つくづく思うんだけどさ、<自分の子供が他所の子供をイジメてるのを学校から知らされるまで見過ごしていた親>なんて、なんの<努力>をしてたって?

 つくづく思うんだけどさ、

 <自分の子供が他所の子供をイジメてるのを学校から知らされるまで見過ごしていた親>

 なんて、なんの<努力>をしてたって? してないじゃん、努力。してたとしてたそれが報われてないじゃん。

 ホント、

『どんなことでも努力次第で乗り越えられる』

 なら、

 <自分の子供が他所の子供をイジメたりしないようにする努力>

 が常に実を結んで、イジメなんかしなくならなきゃおかしいでしょ? なのにいまだに被害者が自殺するまでイジメを放置してたりする。

 おかしいよねえ? 『自分の子供が他所の子供をイジメたりしないようにする努力して』たんならその努力は報われなかったということだし、そもそもその努力をしてなかったんなら、そんな親が<努力>を口にするとか、ふざけ過ぎでしょ?

『イジメはなくならない』

 とか言ってるのがいるけど、それこそ、

『努力すればどんなことでも成し遂げられる乗り越えられる』

 んじゃなかったの? って話だしさあ。

『イジメはなくならない』なんて言っちゃうのが出てくる時点で<努力万能論>なんてただの、

 <絵に描いた餅>

 だよ。

 <自分の子供が他所様の子供を攻撃しない努力>

 <自分の子供が他所様の子供を攻撃してたらそれを確実にやめさせる努力>

 せめて、すべての親がこれを確実に実行して、しかもそれを確実に結実させてみせてから偉そうに言うべきだと思うけど?

 それができないうちは何を言ったって虚しいだけだよ。<イジメ対策>なんてものを学校に丸投げしてるような親なんて、な~んにも偉くないと私は思うけど?

 そもそもすべての親が、<自分の子供が他所様の子供を攻撃しない努力>、<自分の子供が他所様の子供を攻撃してたらそれを確実にやめさせる努力>を確実に実行して結実させれば、イジメなんてなくなるじゃん。

 違う? その努力が報われない親、その努力をしてない親がいるからイジメなんてもんが起こるんだよね? そうじゃないならなんで<イジメ>なんてものが起るのさ? 

『子ガチャに外れた』

 から? 

『親ガチャに外れた』なんてのがただの甘えで、努力すればどうにでもなるって言うなら、『子ガチャに外れた』なんてのもただの甘えじゃん。

『子ガチャに外れたらもうどうすることもできない』

 って言うんなら、『努力すればどうにでもなるって』のも嘘ってことじゃん。

 <自分の子供が他所様の子供を死ぬまで追い詰めてるのを放置してる親>

 なんてものが存在する限りは、親なんて、

 <必ず尊敬すべきもの>

 でも、

 <必ず恩を返すべきもの>

 でもなんでもないよ。子供の方が自主的に尊敬してたり恩を返したいと思ってるなら、それは好きにすればいいと思うけどさ。


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