7日目 無くて七癖

「わたしのせいなのかな……」

「え?」


 長澤フミオが机の下に落とした消しゴムを拾おうとかがんでいるとき、妹のミオがそうつぶやいた。


「ほら、この前電車で痴漢があったじゃん? 兄さんがお尻触られたやつ。あれもさ、わたしがいたから起きたのかな?」


 フミオは指先で消しゴムをつかみとって彼女に向き直った。


「何馬鹿なこと言ってんだ? そんなことより宿題進めなさい」

「兄さん、わたし真剣に相談してるんだけど?」


 いつになくきつい視線を浴びせられフミオは一瞬驚くが、すぐに平静を取り戻す。


「お前があの男に俺に痴漢しろって言ったのか?」

「え?」


 ミオはきょとんとする。


「お前が直接依頼してたのなら話は別だけど、そういうわけじゃないだろ? あれだ。統計学のパラドックスってやつだ。例えば、『人が死ぬ場所は危険だ』ということを前提とするなら、人が多く死ぬ病院は危険度最大級だってことになる。それと同じだ。満員電車では痴漢発生確率が高まる。そこにたまたまお前がいただけだ。この意味わかるか?」


少女は不満げに「意味は分かるけど」と続ける。


「今回だけじゃないもん。昔から、小学生のころわたしのいるクラスだけ友達のものが盗まれたとか悪口が黒板に書かれていたとか問題ばっか起こってたもん。学校じゃなくても体育館とか公民館とかの泥棒だったり、ほら去年動物園で動物を逃がそうとした事件にも出くわしたり」

「それはバーナム効果ってやつだ。誰にでも当てはまる、誰の日常生活にも起こりやすいことを自分だけだと思い込んでるだけだよ。僕だって万引きGメンが万引き犯を捕まえる瞬間に出くわしたことある。ミオ、そんなんだと将来似非占い師にすぐ騙されるぞ。さあ、そうならないためにも勉強進めるぞ」

「フミオ兄さん!」


 ミオは叫んだ。問題集に目を向けていたフミオは顔を上げる。ミオは今にも泣きそうな表情をしていた。フミオは観念した。確かに、なぜだかわからないが昔からミオの周りでは事件が起こりやすかった。以前に何かで調べた、人が生涯で出くわす犯罪件数と比較するとミオは人生を何回か繰り返していることになる。それくらい事件に巻き込まれている。だが、だからといってミオが悪いはずがない。


「ミオ、お前将来警察にならないか?」

「え?」


 フミオの突然の質問にミオは目を丸くする。


「ミオ、確かにお前の周りでは事件が起こりやすい。それは認めよう。だが、事件が起こるのはお前のせいじゃない。それだけは確かだ。僕は逆だと思ってる。事件がお前を呼んでるんだ。将来、刑事か探偵になってみろ。仕事には事欠かないぞ! お前が『なんかここあやしいなぁ』と思った場所に行ってみろ。そこでは必ずと言っていいほど事件が起こる。だが、勘違いするなよ? お前がいたからその事件は明るみになったんだ。むしろお前がそこにいかなけりゃ闇に葬られていた事件のほうが多いはずだ。この前の痴漢だってそうだ。お前がいたからあの子を助けられたんだ。自信を持て。それに、ミオには僕とハヤトがついてる。仮にとんでもなく危ない事件にあったとしてもお前やその周りに傷ひとつつけやさせないさ!」


 フミオはまくし立てるように言った。ここで言わなければいけないと思ったからだ。これは妹の尊厳に、今後の人生にかかわる大切なことだ。ミオは何も言わずにフミオを見つめている。すると、部屋の入り口で「兄貴の言うとおりだ」と声がした。振り向くとハヤトがドアに寄りかかって立っていた。


「兄貴の平和的解決錯、次点かつ最終兵器である俺の力技。これで万事解決だ。」


 ハヤトは自身の右腕の力こぶを立てるポーズをし、ありありとした自信を見せびらかす。フミオは思わず噴き出した。


「ありがとう。二人とも……」


 ミオは憑き物が落ちたように息を吐く。

 フミオは「ともかく」とミオのノートを覗き込む。


「警察になるにも学力は必要だからな。とりあえず、この解答は間違いな」

 

 フミオは赤ペンでノートにぺけをつける。ミオは「そんなぁ」と背中から勢いよく倒れ込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る