令嬢と魔法師団長 1

 ヴィレクセストの力によって辿り着いたそこは、二人が先程までいた場所と大きくは変わらない、石畳で構成された空間だった。唯一違うのは、ここには囚人を入れておく個室がきちんと備わっているという点だ。

 今までのようにただひたすら無意味な廊下が続いているのではなく、いくつもの檻の存在を認識できるこの場所は、アルマニアが想像する牢獄に限りなく近い造りをしていた。

「地下五階。大監獄ガルシャフレの最下層にして、最悪の犯罪者ばかりを集めた超S級収容エリアだ。俺たちが会うべき男は、ここにいる」

 そう言ったヴィレクセストに、アルマニアが緊張の面持ちで周囲の牢獄に視線を巡らせる。

 ザクスハウル国において最も厳重に守られている場所のひとつであるこのエリアには、恐らくアルマニアには想像もできないほどの凶悪犯が収容されているはずだ。そういった人間たちがどういう姿をしていて、どういう扱いを受け、今何を思っているのかを、知っておこうと思ったのだ。

 だが、牢屋のひとつひとつを見たアルマニアの目に入ったのは、四肢を短い鎖に繋がれ、虚ろな目をしている囚人たちの姿だった。短い鎖のせいでほとんど身動きができない様子の彼らは、ろくな運動をさせて貰っていないのか、筋肉がごっそりと落ち、まるで枯れ枝のような手足をしている。いや、糞尿が垂れ流しになっている様子から察するに、運動どころか排せつのための移動すら許されていないのだろう。

 その有様だけでも十二分にアルマニアの背筋をぞっとさせるものがあったが、それよりも彼女を恐れさせたのは、囚人たちの表情だった。

 大罪を犯した極悪人というからには、少なくとも犯罪を働いたそのときには、良し悪しに関わらず強い思いや原動力があったはずだ。だというのに、今の彼らは覇気がないどころか、まともな思考能力があるのかすら怪しいほどに、何の感情も滲ませない。文字通り、魂が抜け落ちたかのような顔をしているのだ。老若男女問わず、等しく気力というものを感じさせないその様相に、アルマニアは底知れぬ怖気を感じ、思わず口を手で覆った。

 この場所に来た直後、余りの静けさに違和を覚えたものだったが、その理由はこれだったのだ。

 普通の監獄であれば、突然現れたアルマニアたちに驚き、そして懺悔や懇願、或いは怒りや罵倒などの反応が寄越されるものだろうが、ここではそうはならなかった。それは、囚人たちが誰一人としてアルマニアたちを認識していなかったからなのだ。

 一体これはどういうことか、と思ったアルマニアがヴィレクセストを見れば、その視線の意図を理解したヴィレクセストは、彼女を見ないままに口を開いた。

「牢のひとつひとつに幻惑魔法が仕込まれている。見せる幻はそれぞれに異なっているようだが、窓ひとつない狭い閉鎖空間で、あんな短い鎖に繋がれっぱなしなところに、定期的に気持ちが良いとは言えないもん見させ続けられりゃあ、人間の心なんて呆気なく壊れるもんさ」

 何の感慨もない様子で言ったヴィレクセストに、アルマニアが思わず顔を顰める。

 あまりに非人道的な行いだ。アルマニアの故郷、シェルモニカ帝国にも犯罪者を収容するための施設はあったが、どんなに重い罪を犯したとしても、人としての権利を損なうような罰を与えるようなことはなかった。犯罪者も国民であり、そうである以上は国内における基本的な人権が保障されるべきである、という考えが、帝国には広く浸透しているのだ。

 そんな国で育ったアルマニアにとって、目の前の光景は信じられないものであり、吐き気をもよおすほどの嫌悪すら感じたが、だからといってこの光景を頭から否定するようなことはしなかった。

 国には国ごとの考えがあり、そのどれが正解かなど、判らないのだ。もしかすると、正解などないのかもしれない。少なくともアルマニアは、この世には正解のない物事が溢れ返っていることを知っている。

 顔を顰め、しかしただ黙って牢を睨む彼女に、ヴィレクセストが少しだけ面白そうな顔をした。

「何も言わないんだな。あんたなら、憤りの言葉くらい吐くもんかと思ったが」

 その言葉に、アルマニアがヴィレクセストを睨む。

「馬鹿にしないでちょうだい。個人的な嫌悪と物事としての善悪を混同するほど、無能ではないわ」

 その言葉通り、アルマニアはこの監獄で行われている処罰の正しさを理解している。

 アルマニアの記憶通りならば、この監獄の第五階層に収容されているのは、国家規模以上の大犯罪を犯した一握りの犯罪者だけだ。犯罪に至った背景や生い立ちなどを考慮したとしてもなお情状酌量の余地がない、この先牢獄から出ることは叶わないだろうほどのことを行った人間が、ここにいる。

 ならば、この処置はひとつの答えである。万が一の脱獄すら許さぬために。ここにいる罪人によって奪われた全てに対する罪滅ぼしと気休めのために。身動きのひとつも許さず、心を追い詰め、そうして生きる気力の全てを奪い去って、同じ人間が同じ過ちを犯す道を完璧に断つ。

 ああ、やはり吐き気がするほどに正しい、とアルマニアは思う。だが、間違いなく歪な答えだ。だからといって、故郷のように罪人に一定の安らぎを与えるのが正解かというと、それだって正しくて歪なのだ。

 だから、アルマニアは何も言わない。どの答えも正しく歪であるというのならば、ただの小娘でしかない今の彼女は、その善悪を決める立場にはない。この状況を変えるにしろ変えないにしろ、彼女が彼女の責任で決定を下すのは、王になってからの話だ。

 険しい表情を浮かべ、しかしそれでも言葉を発しないアルマニアに、ヴィレクセストは目を細めたあとで、そっと手を伸ばして彼女の頭にぽんと触れ、小さく口を開いた。

「ここからが本番だぞ、公爵令嬢。……最奥に見える、あの牢だ」

 言葉と共に指し示された場所へと、アルマニアが視線を向ける。薄暗いこの場所では、ヴィレクセストが指した場所をはっきりと見ることはできなかったが、そこに魔法師団の元団長、アトルッセ・オートヴェントがいるということなのだろう。

 ならば、と覚悟を決めたアルマニアが、うるさく鳴り響く鼓動を抑えるように一度大きく息を吐いてから、その足を踏み出す。

 ここまでアルマニアを先導してきたヴィレクセストが先を行かないということは、ここからはアルマニアが一人で向き合わなければならない問題だということだ。そう確信する程度には、彼女はヴィレクセストのことを信頼していた。

 そうして辿り着いた牢を見て、アルマニアは思わず反射的に目を逸らしそうになってから、必死にそれを堪えた。

「……酷すぎる…………」

 小さくそう零したアルマニアの視線の先では、これまでの囚人たちと同じように、男が鎖に繋がれていた。他と違うのは、その姿そのものだ。

 肉が落ち骨が浮く身体は、焼かれた痕や貫かれた痕、肉を大きく抉り取られたような痕など、無数の傷で埋め尽くされている。その中にはまだ真新しそうなものまであって、それがまたアルマニアには酷く現実的に見えた。だがそれよりもアルマニアの心を抉ったのは、彼の肘と膝の先が失われていたという事実である。

 魔法師団の団長と言えば、魔法能力もさることながら騎士としての武術や剣術にも優れた人物であると聞いている。そんな人間が、四肢を奪われたのだ。

(っ、どれほどの、どれほどの無念か……!)

 この有様では王位簒奪の助力など期待できそうにないということよりも何よりも、アルマニアはまずそう思い、きつく唇を噛んだ。そしてそれから、前を向いたままで口を開く。

「……知っていたわね、ヴィレクセスト」

 確信を持った声でそう言われ、ヴィレクセストが静かに瞬きをする。

「どうしてそう思う?」

「彼の投獄期間が二年だと聞いて、貴方は何か思うところがある様子だったわ。あのときは何が引っ掛かっているのか判らなかったけれど、あの時点で、貴方はこれを予想していたのではなくて?」

「……参ったな。よく見ているお嬢さんだ」

 そう呟いて息を吐き出したヴィレクセストが、言葉を続ける。

「二年ってのは、ここでは長すぎる時間だからな。どういう形でかまでは予想してなかったが、十中八九使いものにならない状態だろうとは思っていた」

「それをあの場で進言しなかったのは?」

「あの場の誰よりも監獄の内情を知っている幻夢の賢人が、団長は無事だと本気で思っていたんだ。だったら、それがあのときのあんたらに得られる情報の限界であると判断した。……まあ、元々駄目だろうとは思ってたが、幻夢の賢人があれだけこの団長のことを信頼しているって事実は、駄目押しみたいなもんだったな」

 淡々と返された言葉たちに、アルマニアはただ静かな声で、そう、とだけ返した。それから、牢に向けた目を逸らすことなく、口を開く。

「……開けてちょうだい、ヴィレクセスト」

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