令嬢と不落の監獄 14
はっと意識を取り戻したアルマニアは、まず真っ先に、自分の身体を包む慣れない温もりに戸惑った。しかし、彼女がその正体に思い至る前に、温もりがばっと離れたかと思うと、両肩を強く掴まれると同時に、見知った顔がアルマニアの顔を覗き込んでくる。
「アルマニア!? 戻ったのか!?」
「……ヴィレク、セスト……」
心配そうな表情で彼女を見つめてきたのは、ヴィレクセストだった。それを認識するや否や、肩を掴むヴィレクセストの手を引き剥がしたアルマニアが、一歩後ろに下がる。そしてそのまま、彼女は腰を折って深く頭を下げた。
「ごめんなさい。私が思わず引いてしまった一歩のせいで、時間を浪費し、貴方に迷惑をかけてしまったわ。不甲斐ないことをして、本当にごめんなさい」
周りの風景から、自分がいる場所があのとき敵と遭遇した場所とは異なることくらいは判る。それに加えて、あのとき自分の身を包んだ光のことを考えれば、自分が空間魔法によってここに飛ばされ、その上で幻惑魔法による幻に囚われていたのだろうことくらいは、容易に推測できた。
ヴィレクセストは、そんなアルマニアを追って、何がしかの手段を用いてここまで来てくれたのだろう。まさに、時間と労力の浪費以外の何物でもない。
謝罪したところで損なわれたそれらが戻る訳ではなく、謝罪したからといって許されることでもなかったが、それでも自分が示せる誠意とけじめとして、アルマニアは頭を下げた。
アルマニアからすれば断罪を待つ心地で行った謝罪に、しかしヴィレクセストは驚きに顔を染めたあとで、困ったような表情を浮かべて彼女の頬に手を伸ばした。
「あんたが謝る必要はない。幻は時間間隔を狂わせるから判らないかもしれないが、あんたが幻に囚われていた時間は、あんたが思っているほど長くはないんだ。それに、俺は迷惑を掛けられたなんて思ってない。だから顔を上げてくれ、公爵令嬢」
表情同様に困ったような響きを思わせる声でそう言ったヴィレクセストが、アルマニアの頬を優しく撫でる。それを受けてアルマニアがそっと顔を上げると、一瞬目が合ったあとで、今度はヴィレクセストの方が深く頭を下げた。
「今回の件、悪いのは全面的に俺だ。あんたを守るだのなんだの偉そうな口を叩いておきながら、判断が遅れてあんたを窮地に立たせちまった。本当にすまなかった」
「ちょ、ちょっと待って。悪いのは貴方ではないわ。私があそこで怯んで貴方との距離を生まなければ、貴方はきっと罠にも対処できていたはずでしょう」
「いいや、それは違う。あそこであんたが怯まない筈がなかったんだ」
そう言ったヴィレクセストが、顔を上げてアルマニアを見つめる。
「あんたは確かに王の器だが、まだまだ成長途中のか弱い女の子なんだよ。それなのに俺は、あんたが余りにも俺の予想を超えて王に相応しい振舞いをするから、どこかであんたを王に近しい存在のように思ってしまっていた。でも、あんたはまだ王じゃない。だから、あそこで驚いて怯え、思わず後退ってしまうなんて、普通のことなんだ。俺は、それを踏まえた上で、自分の行動を定めなければならなかった。だから、これは俺の責任だ。……怖い思いや辛い思いを沢山させて、ごめんな」
心底からアルマニアを想い、労わるような目をして言ったヴィレクセストに、アルマニアが数度瞬く。それから彼女は、少しだけ眦を緩めて口を開いた。
「それなら、お互い様ということにしましょう。私は今回のように貴方の足を引っ張らないよう、今後はもっと気をつけるし、貴方は私の未熟さを織り込んで、より多角的な視点で私を守るように努める。……それでいかが?」
「……ああ、あんたらしいな。俺としては少し不本意ではあるが、ここはあんたの優しさに甘えて、そういうことにさせて貰おうか」
そう言って笑ったヴィレクセストは、しかし次いで再び神妙な顔つきになった。
「あんたが罠魔法に掛けられるまではお互い様ってことにするとしても、その後のことについては、改めて謝罪しなくちゃならない。……あんたを追ってこの部屋に来てすぐに、あんたが幻惑魔法に囚われていることには気づいた。けど、俺はそこからあんたを救い出そうとはしなかった。救える力を持っていたのに、これはあんたが自分自身で乗り越えるべき壁だと、一切手を貸さなかった。実際、俺はこの選択を間違いだとは思っていないし、今後同じ状況になれば、そのときもあんたを助けたりはしないだろう。……だが、そのせいで、あんたには色々と辛い思いをさせてしまった。……酷いことをして、ごめんな」
先程よりもいっそう沈んだ声で成された謝罪に、アルマニアはヴィレクセストをじっと見たあとで、ふっと表情を緩めた。
「それこそ、謝る必要なんてないわ。貴方の選択は間違いなく正しいもの。肉体だけならともかく、心まで守ってもらわないと立っていられないような人間に、王が務まるはずがないものね」
そう言ったアルマニアが、ヴィレクセストの長い髪にそっと触れ、撫でるように指を滑らす。
「だから、この先同じことがあったなら、何度でもそうなさい。そして、私が不甲斐なくも折れてしまったときには、私なんて捨てて新しい王の器を探して。まあ、そんなことには私が絶対にさせやしないけれど」
そう言って、アルマニアはにこりと微笑んでみせた。それを見たヴィレクセストが、少しだけ驚いたような顔をしたあとで、何か眩しいものを見るような目をして微笑みを返す。そんな彼に、アルマニアはまじまじとその顔を見てから、無言でひとつ頷いた。
「なんだ? どうした?」
「いえ、別になんでもないわ。ただ、実物はやっぱりこんなものよねと思っただけよ」
どうせ伝わらないだろうと思って成された発言に、しかしヴィレクセストは納得したような声を出した。
「ああ、確かにあんたの俺、なんか妙にキラキラしてたもんな」
なんでもないことのように言われたそれに、アルマニアが間髪入れずに目を剥いてヴィレクセストを見る。
「な、ど、どういうこと!?」
「どういうことも何も、あんたからは俺があんな風に輝いて見えているんだなー、って思っただけだが?」
「み、見てたの!? というよりも、見えるものなの!?」
目に見えて狼狽して叫んだアルマニアに、ヴィレクセストはきょとんとした顔をしたあとで、にやりと笑った。
「いやぁ、特に最後の俺はもう。道中もなかなかどうして良い感じだったが、最後の最後で特大級のデレがきたもんだから、俺としてはハラハラしつつも思わずニヤつい、」
「黙って!!」
一際大きな声で叫んだアルマニアが、ヴィレクセストの口を勢いよく塞いだ。塞ぐというよりは最早叩きつけるような勢いで押し付けられた掌に、ヴィレクセストは素直に黙ったが、彼女を見る目元のにやつきはそのままだ。
「~~~っ! ああ、もう! そうね! そうだわ! 貴方ほどの力があれば、覗き見するくらい造作もないことでしょうよ!」
顔を真っ赤にして言ったアルマニアに、彼女の手をそっと口から外したヴィレクセストが、いや待て、と言った。
「別に俺は覗き見しようと思ってしたんじゃなくて、あんたが心配だったから、せめて状況の確認だけでもしたいと思ってやったわけでだな。そしたら想定外に良いものを見せて貰ったというか、」
「黙りなさいって言っているでしょう!」
そう叫んで再びヴィレクセストの口を塞いだアルマニアに、ヴィレクセストはどこか楽しそうに目を細めながら両手を上げた。降参した、もう言わない、という意思表示だろう。果たしてどこまで信用できるものやら、と思ったアルマニアだったが、ここでこうしていつまでもじゃれている時間はない。
渋々ながらも手を離した彼女は、次いでヴィレクセストを睨みつけて口を開いた。
「それで、オートヴェント団長がいる牢獄までの行き方のヒントくらいは、見つけているんでしょうね」
まさかただ覗き見をしていただけなんて言わないだろうな、と言外に圧をかけるアルマニアに、ヴィレクセストが苦笑したあとで頷く。
「あんたが頑張ってる間、俺も一応頑張ったんでな。まず、魔法の効率化と最適化を図ることで、外部との伝達を遮断するのに使ってる装填数を三十にまで減らすことに成功した」
「三十ですって?」
思わず耳を疑ったアルマニアが、驚きの表情を浮かべてヴィレクセストを見る。
ここに来てすぐは八十以上を費やしていたものが、どうやったら短時間で三十にまで減らすことができるのか。
「まあ、この世界の魔法ってのはちょっと頭を捻れば色々と簡略化ができるもんなんだよ。ここまでの簡略化を短時間でこなせる奴はあんまいねぇだろうけど」
「……ええ、貴方が規格外だってことは知っていたはすよ。だったら、いちいち驚くべきでもなかったわね。話を進めてちょうだい」
「はいよ。つっても、あとは大幅に増えた空き
やはりなんでもないことのように言ったヴィレクセストに、アルマニアは内心で唸った。ヴィレクセストのことだからヒントくらいは見つけているだろうと思っていたが、とんでもない。彼はアルマニアが幻の中でぐずぐずしている間に、ヒントどころか答えにまで辿り着いてしまったのだ。
「……なんというか、私は本当に不甲斐ないわね」
思わずそう零したアルマニアの頭を、ヴィレクセストがぽんと撫でる。
「そう言うなよ。実際のところ、俺が目的地までの行き方を確立したのとあんたが戻ってきたのとは、ほとんど同時みたいなもんだったんだ。つまり、あんたが幻惑魔法にかかっていようといまいと、どうせ今になるまで身動きは取れなかったってことさ」
アルマニアを慰めるための方便、ということはないだろう。彼はアルマニアに対して非常に優しい人だが、彼女を甘やかすような真似はしない。
それならば、幻の中での出来事は、アルマニアの精神をより成長させるための良い経験だったとして、頭を切り替えよう。そう思ったアルマニアが、ヴィレクセストを見上げる。
「目的の牢獄には、今すぐここから行けるのかしら」
「勿論だ。一応正規の手順も見当はついてるが、そっちはちょっと時間がかかりそうだからな。今みたいな急ぎのときは、邪道に限る」
そう言ってにやりと笑ったヴィレクセストが、自分の横に向かって片手を翳す。
「――
彼の声に呼応して、背後に生じた
アルマニアが見つめる中、
「さあ、元賢人直轄シグマータ魔法師団団長、アトルッセ・オートヴェントとご対面といこうか」
そう言って差し出された手を取ったアルマニアは、ヴィレクセストに連れられ、開かれた光の扉の先へと足を踏み出した。
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