令嬢と不落の監獄 13
「ギリギリだったみてぇだが、間に合ったようで何よりだ」
アルマニアの腰を抱いてそう言った人物の顔を見上げた彼女が、僅かに眉根を寄せる。
さらりと流れる深い藍の長髪に、空色の瞳が嵌まる精悍な顔。今となってはすっかり見慣れた色男の姿は、しかしそれにしてはどうにも慣れない違和を感じさせる。
言語化し難い据わりの悪さを覚えたアルマニアは、彼をまじまじと見てから一層顔を顰めた。
「…………そう。つまり私には、貴方がそう見えているということね。なんと言うか、とても不愉快だわ」
「お、さすがは公爵令嬢。言ってることは辛辣すぎて正直泣きそうだが、現状を良く理解してるな」
「やめてちょうだい。自分で自分を褒めているみたいで気分が悪いわ」
本当に嫌そうに言ったアルマニアに、彼が肩を竦めて苦笑する。
「それじゃあ無駄話はこれくらいにして、さっさとズラかるか」
急いでるんだろ、と言った彼に、アルマニアが頷きを返す。それを見た彼は、アルマニアの手を取って駆け出そうとして、ふと思い出したように彼女を振り返った。
「折角の機会だし、何か言ってくか?」
言われ、一瞬きょとんとした顔をしたアルマニアが、次いで小さく笑ってから、皇帝と皇后がいる方へと視線を向ける。そして、呆気に取られた表情をしている二人を順番に見てから、彼女は小夜に視線を止めて口を開いた。
「サヨ」
名を呼ばれ、困惑のままに視線を合わせてきた小夜に向かい、アルマニアは優雅で艶やかな笑みを浮かべた。
「何度も言ってきたけれど、親しくないもない貴女から愛称で呼ばれるのはとても不愉快なの。貴女に知性というものが欠片でもあるのだったら、もう二度とその名で呼ばないでちょうだい」
歯に衣着せることなくはっきりと言い切ったアルマニアに、小夜がショックを受けたような顔をし、その隣に立つ皇帝が盛大な罵声を浴びせようと口を大きく開く。だが、その口から音が発される前に、皇帝は見えない何かに頭を押さえつけられるようにして床に叩きつけられ、無様に這いつくばった。
「俺の公爵令嬢の前で、汚い口を利いてくれるなよ」
静かな怒りを秘めた声で低くそう言った彼に、アルマニアがかぁっと頬を紅潮させる。
「~~っ! もう良いから、貴方はこれ以上喋らないで! 黙ってさっさと私を連れて行きなさい!」
「あー、はいはいなるほどな? いや待て睨むな睨むな、判ったから。取り敢えず、言いたいことは言ったってことで良いんだよな? それじゃあ、俺の手を離すなよ」
そう言った彼が、今度こそアルマニアの手を引いて走り出す。
行かせまいと道を阻む従者を容易く床に叩き伏せ、皇后の部屋を出て廊下へと踏み出した彼に連れられて、アルマニアは必死に足を動かした。容赦なく駆ける彼はとにかく速く、半ば引っ張られるようにしてついていくアルマニアは早くも息を切らしていたが、ドレスをたくし上げて品位もへったくれもない姿で駆ける自分に、彼女は言いようのない高揚を感じていた。
自らの足で地を蹴るのはこんなにも心地よく、自らが切り開いた道はこんなにも胸を高鳴らせる。そして、自覚してしまったたった一人の存在は、こんなにもアルマニアを急き立てるのだ。
彼はどこに向かっているのか、何を目指しているのか。アルマニアは何も知らなかったが、彼と繋いだ手には一切の不安がなかった。
皇宮の長い廊下を、二人は走り抜ける。後ろから前から、二人の行く手を阻もうと兵士たちが群れとなって襲ってきたが、彼はその腕のひと振りだけで全てを退け、ただひたすらに走り続ける。階段を上がり、また廊下を走り。向かってくる兵を薙ぎ倒しながらそうやって走り続けた末に、ようやく彼が足を止めた。
辿り着いたそこは、皇宮の屋上に作られた空中庭園だった。アルマニアも何度か目にしたことがあるその庭園の中心に、見たことがない光の環のようなものが浮いている。それを見たアルマニアは、言われずとも理解した。あれが、この空間の出口なのだ。
乱れに乱れた呼吸を繰り返すアルマニアの手を引いて、彼が光の環の前まで向かう。そして、そこで彼は、そっとアルマニアの手を離した。消えた温もりにアルマニアが彼を見上げれば、アルマニアの方へ顔を向けた彼は、柔らかい笑みを浮かべて口を開いた。
「俺はここまでだ、公爵令嬢」
言われ、アルマニアがふた呼吸ののちに、こくりと頷く。
「お礼は、言わない、わよ」
乱れた呼吸を必死に整えながらそう言えば、彼は面白そうに声を上げて笑った。
「ああ、そうだな。それで良い。自分で自分に礼を言うなんて、あんたはあんまり好きじゃなさそうだ」
そう言ってひとしきり笑った彼は、アルマニアの髪をさらりと撫でてから、そのままその手を下へと滑らせ、光の輪に向かって彼女の背を押した。
優しく押し出された彼女の身体が、数歩の距離を進んで光の環を潜り抜ける。その刹那、アルマニアの背中に向かって、彼の声が響いた。
「俺によろしくな、
耳に優しく馴染む低い声に、アルマニアが僅かに目を見開いて声の方を振り返ろうとする。だがそれが成されるその前に、アルマニアの意識はふっと白んでいったのだった。
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