令嬢と不落の監獄 12
「な、何……?」
アルマニアの行動が予想外だったのか、皇帝は驚きと狼狽の混じった声でそう言った。それに対し、深く下げた頭を上げないまま、アルマニアが続く言葉を紡ぐ。
「あのとき私が陛下に進言した言葉は、確かに間違いとなりました。多くのために街ひとつを捨てるのではなく、全てを余すところなく救うべきだという皇后陛下のお言葉こそがあの場においては正しく、その正しさ故に全てを救うことができたのは紛れもない事実です。今更とは存じますが、あのときの皇后陛下の助言に深い感謝を申し上げるとともに、私の発言が大きな過ちとなり、多くの民の心を傷つける結果となってしまったこと、そして、その罪を理解せず謝罪の一言すら申し上げなかったあのときの愚かな私の行いに、心からの謝罪を。本当に、申し訳ございませんでした」
凛とした声ではっきりと告げられたそれに、皇帝が呆気に取られたような顔をする。だがすぐにその表情を引き締めた彼は、頭を垂れるアルマニアに向かって、厳しくもどこか勝ち誇ったような声を発した。
「ようやく己の過ちに気づいたか。随分時間がかかったようだが、そなたの傲慢さを考えれば当然といえば当然だな。しかし、その謝罪はいただけない。僕は、膝をつき地に頭を伏せて罪を告白しろと言ったのだ。その場で腰を曲げた程度の謝罪で許されるなどとは思わないことだ。さあ、理解したならば今すぐ地に伏せよ」
その言葉に、アルマニアがゆっくりと顔を上げる。そして彼女は、皇帝を見つめて小さく首を傾げてみせた。
「失礼ながら、仰っている意味が理解できませんわ、皇帝陛下」
「な、何だと!? 罪を認めたならば大人しく謝罪をしろと、」
「ええ、ですから、確かに心からの謝罪を申し上げました。本当は民の一人一人にも頭を下げて回るべきなのですけれど、今すぐにそうする訳にはいきませんので、どうかご容赦ください」
そう言ったアルマニアに、皇帝は座しているソファに拳を叩きつけて立ち上がり、激昂した。
「貴様の犯した罪が、その程度の謝罪で許されると思っているのか!?」
「そ、そうだよアリィ! アリィは貴族だからプライドが高いのは仕方ないけど、でも、ようやく自分が間違ってることに気づけたんなら、ちゃんと謝らないと駄目だよ! ちゃんと謝って、アリィのことも公爵家のことも許して貰って、それから明日の結婚を迎えようよ! 一人じゃ難しいなら、私も一緒に謝ってあげるから!」
「何を言うサヨ! 君が謝る必要などないのだ! アルマニア! 今すぐ地に伏し、その悔やむべき非道な思考を詫びろ!」
叫んでアルマニアを睨んだ皇帝に、しかしアルマニアは目を逸らすことなく彼を睨み返して口を開いた。
「悔やむべき非道な思考? 一体何を仰っていますの? 勘違いをなさっているようですから、教えて差し上げましょう。私は確かに間違ってしまいましたけれど、それでも正しいのです。その場におけるもっとも正しい答えを選んで、しかし不確定要素によってそれが過ちに変わってしまっただけ。勿論、結果として過ちとなってしまった事実は素直に受け止め、嘘偽りのない気持ちで謝罪をすべきではあります。そして、目の前で繰り広げられる貴方の過ちの山を見て我を忘れ、謝罪を怠ったのは私の罪です。けれど、それだけですわ。今この瞬間の正しい答えが未来にも正しくあれるとは限らないと、それだけの話なのです。ですから、私が私の選択を悔いる必要などなく、改める必要もない。仮に全く同じ条件で同じ状況に陥ったならば、私は何度でも同じ答えを出すでしょう」
はっきりと言い切ったアルマニアに、皇帝がその顔を憤怒に染め上げていく。だが、彼が何かを叫ぼうとする前に、小夜がソファから立ち上がって口を開いた。
「違う! アリィは間違ってる! 国を背負う立場にいる人が国民を捨てるなんておかしいよ! 全部救わなくちゃ駄目なの! それがどんなに難しいことでも、やり遂げなきゃ駄目なんだよ! それを諦めるなんて、酷すぎるよ!」
強い目で叫ぶ小夜の言葉には、きっと嘘偽りなどないのだろう。本当にそう思い、そう信じ、そうあるべきだとしている、そんな目だ。
あのときのアルマニアだったら、間違いなく激昂していた。なんて愚かなことを言うのか、国を担う者の在るべき様をなんだと思っているのか、ろくに物も知らない無能者が国を語るな、と厳しく詰っていたことだろう。
けれど今のアルマニアは、彼女の思想を頭から否定しようとは思わなかった。
「皇后陛下、陛下のその想いは、とても尊いものです。全てを救うという気概は、まさに英雄たるべき条件のひとつでしょう。優しく気高い慈しみの心は、何よりも得難いものと存じます。……けれど、力を伴わない口だけのそれは、ただの妄言にしかならないのよ。貴女のそれは、何も知らない小娘が理想と綺麗事を語る自分に酔っているだけに過ぎないわ」
幼い夢物語を振りかざす女への憐れみに満ちた目でそう言ったアルマニアに、皇帝が傍に控えていた従者から剣を奪い取って鞘から引き抜いた。
「己を過信するのもいい加減にしろ冷酷女! その罪に目を向けず悔いもせず、それどころかサヨを貶めるなど、その汚れた命ひとつでは到底払いきれん! 一族全てを根絶やしにしてやろうか!」
「家臣たる私を暴力で従えようなど、愚か者もここまでくると呆れて物も言えませんわ!」
皇帝の叫びに怯むことなく言ったアルマニアが、拳を握って彼を睨み上げる。剣を構える皇帝とアルマニアとの距離は僅か数歩しかなく、間違いなく窮地に追い込まれていると言えるだろうに、彼女は怯えることも逃げることもせずに叫んだ。
「生憎だけれど、貴方の重みのない言葉で何を言われようと、私は必要以上の謝罪などしないし、己の行いを恥じたり悔やんだりもしないわ! 悔やむということは、あのときの私の正しさを否定することになるのだから!」
あのとき彼に言われた言葉をなぞり、アルマニアはそう叫んだ。
そうだ、彼がそう言ってくれたのだ。言葉を尽くして、アルマニアを立ち上がらせてくれたのだ。甘やかな慈しみに溢れたあの声が、夢であるはずがない。己を正当化するために生み出した幻想である訳がない。
(誰よりも自分に厳しかった私が、そんな愚かな幻に縋りつくはずなどないのだから!)
その確信は、疑いようもない事実となってアルマニアを奮い立たせる。
アルマニアが見ているこれは、有り得ない未来だ。アルマニアは彼と共にあり、王となるべく歩み始めた。それこそが幻ではなく事実で、幻なのは目の前の光景の方なのだ。
ならば、これがアルマニアの記憶をなぞって生まれた幻なのであれば、彼女が培ってきた膨大な知識たちは、その魔法を打破する答えを知っている。
怒声を上げた皇帝が、サヨの制止も聞かずに剣を振り上げ、怒りの形相でアルマニアへと向かう。数歩の距離を容易く詰めて、アルマニアへと躊躇いなく振り下ろされた鋭い切っ先に、しかし彼女は目を逸らすことも引くこともない。できなかったのではない、必要がないからしなかったのだ。
何故なら、彼女はもう、
「よくやった、公爵令嬢。あとは俺に任せろ」
アルマニアの耳元で声が囁くと同時に、アルマニアの眼前まで迫っていた皇帝の剣が勢いよく吹き飛ぶ。そして直後、アルマニアは自分の身体が抱き寄せられるのを感じた。
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