令嬢と不落の監獄 11

「さて、まずはおめでとうと言っておこうか、婚約者殿」

「……ありがとうございます、皇帝陛下」

「僕としては、ロワンフレメ公爵令嬢を皇族に迎えるつもりなどなかったのだが、サヨがどうしてもと言うのでな。サヨに感謝すると良い」

「存じ上げております。皇后陛下のこの上ないご厚意、心から感謝申し上げておりますわ」

 皇帝の首元あたりに視線をやって淡々とそう答えたアルマニアに、皇帝が眉根を寄せる。

「感謝の欠片も感じられない声で、よくも言うものだ。……まあ良い。そなたのことは気にくわないが、皇后の座のために躍起になってあれそれ学んでいたそなたならば、皇族の仕事に不慣れなサヨの補佐役には適しているだろう。何より、サヨがそなたを気に入っているのでな。皇后が駄目でも皇妃にはなれたなどと奢らず、精々サヨ専属の召使いとして、サヨのための誠心誠意尽くして貰おうか」

「ベルナンド! 私はアリィを召使いだなんて思ってないからね!」

「ははは、ロワンフレメ公爵令嬢など君の代わりに職務をこなしてくれる召使いのようなものだ、と何度も言っているのに、君はいつもそうやって怒るのだな。その崇高な優しさは心地良いものではあるが、向ける相手はもっと選んで良いのだぞ?」

「十分選んでます! そうやって酷いことばっかり言うなら帰って貰うよ!?」

 とうとう本気で怒りだしたらしい小夜に、皇帝が彼女の頭を撫でる。

「そう怒らないでくれ。これでも、君のために好きでもない女と結婚しようとしているんだ。少しくらい憂さ晴らしをさせてくれても良いだろう? それに、きちんと公爵令嬢への贈り物も用意してきたんだぞ? 君が我慢ならないのであれば追い返してくれてもいいが、せめてそれくらいは渡させておくれ」

 その言葉を聞いた小夜が、表情を明るくして皇帝を見た。一体何を用意したんだろうかと期待に目を輝かせる彼女にもう一度微笑んだ皇帝は、アルマニアへと視線を移して口を開く。

「公爵令嬢は、これでも筆頭貴族だった家の娘だからな。物を贈ったところで目新しさなどないだろう。だから、物ではないものを贈ることにした」

 そう言った皇帝は、アルマニアに向かってこの上なく愉快だと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「恩赦を、くれてやろう」

 言われ、アルマニアはぱちりと瞬きをした。

「…………恩赦、ですか……?」

「そう、恩赦だ。そなたにではなく、そなたの生家に」

 短く言われたそれだけで、アルマニアは理解する。皇帝は、筆頭貴族の座を追われたロワンフレメ公爵家に、再び筆頭貴族の地位を返してやろうと言っているのだ。

 それ自体は願ってもいないことだ。けれど、この皇帝が何の条件もなしにそんなことをしてくれるはずがない。そう思ったアルマニアは、何を言うこともなくただ皇帝の次の言葉を待った。そんな彼女に、一瞬面白くなさそうな顔をした皇帝が、しかしすぐに顔に笑みを戻して続く言葉を発する。

「ただし、いくら祝いとは言え、何の理由もなしに恩赦を出す訳にはいかん。そこで僕は考えたのだ。これならば、僕やサヨ、ひいてはこの国のためになり、そして生家への恩赦を得るそなたも喜ぶという、最良の答えを」

 そう言った皇帝が、傍に控えている従者に命じて、丸テーブルを部屋の端へと移動させる。そうして自分が座るソファとアルマニアが座るソファとの間に何もなくなったところで、彼は優雅に足を組んで口を開いた。

「これまでの行いを深く反省し、二度と過ちを犯さぬと誓え。何が過ちだったかをその口で述べ、膝をつき地に頭を伏せて罪を告白するのだ。そなたのような女は、そうでもしなければ我を曲げそうにないからな」

 その言葉に、アルマニアが目を見開く。

 皇帝は、彼女が己の責務を果たすため、信念を以て選び抜いてきたものが間違いだったと認めろと言っているのだ。彼女の正を過ちとし、彼女の人生を罪としろと、そう言っているのだ。

 許されることではない。許されるべきことではない。国を纏め、民を率い、国家を守る者として、皇帝がアルマニアの行いの全てを罪と切り捨てるなど、あってはならないことだ。だから、アルマニアは抵抗しなければならない。決して屈してはならない。だが――、

「どうした? そなたが自分を曲げ、罪を認めさえすれば、そなたが愚かにも貶めたロワンフレメ公爵家は再び筆頭貴族の栄誉を取り戻すことができるのだぞ?」

 そうだ。アルマニアが折れさえすれば、アルマニアが傷つけた公爵家の名誉を回復できる。アルマニアが迷惑をかけてしまった公爵家の家族たちに、贖罪ができる。

 揺らぐアルマニアを後押しするように、小夜が神妙な顔をして彼女を見た。

「アリィ、これはきっと、ベルナンドの優しさだよ。ベルナンドはアリィに酷いことばっかり言ってるけど、でも、謝るだけでアリィのお家のことを許してくれるって言うんだから、やっぱりこれは意地悪なんかじゃなくて、アリィとの結婚に対するお祝いだと思うの。それに、皆を助けることをすぐに諦めちゃうアリィの考え方は、やっぱり間違ってる。そんな考え方で皇帝を支えるのは難しいと思うの。だから、ちゃんとそれを認めて、ベルナンドに許して貰って、その上で幸せな花嫁になろうよ。考え方をすぐに変えるのが難しいのは判ってる。だから、私も手伝うから、これから頑張って変わっていこう」

 小夜の言葉に、アルマニアが唇をぎゅっと噛む。

 謝るだけで、という彼女の言葉が、この場で殴ってやりたくなるほどに腹立たしい。何の信念も考えもないただの一般人だから、小夜はそんなことが言えるのだ。ベルナンドが望む謝罪は、アルマニアの人生そのものをアルマニア自身が否定し貶める行為だというのに。

 けれど。けれど、とアルマニアは思う。本当にアルマニアは、正しいのだろうか。世間の誰もが間違っていると言っても自分は正しいのだと、言い切れるのだろうか。

 胸の内に重く深く汚泥のような淀みが溜まり、それに底へ底へと引かれるように、アルマニアの膝がゆっくりと折られようとする。

 ああ、思考がぐちゃぐちゃになる。夢から覚めたあのときから、ずっとそうだ。正しさも間違いも認めることができず、アルマニアはただ、馬鹿のように二つの答えの間を彷徨っているだけだ。自分の正しさを認める自分と、何もかもが間違いだったのだと叫ぶ自分が、混ざり合ってどろどろになって滴っていく。ああ、こんな自分では、もう何もできない。正しさも過ちも判らなくなった、どうしようもなく無様な自分では。


――本当にそれで良いのか、公爵令嬢?


 ふと、懐かしい声が聞こえた気がして、アルマニアは動きを止めた。無論、幻聴だ。それはアルマニアも判っている。けれど、アルマニアの胸の奥の奥から湧きあがってきたようなその音は、確かにアルマニアの中で優しく強く響いた。

 動きを止めたアルマニアに苛立ったような顔をした皇帝の視線も、これ以上我が儘を言うのはやめて早く謝ろうと諭す小夜の声も、全てがアルマニアの意識の端で流れて消える。それよりもずっとずっと大きな音色が、声が、アルマニアの全身を駆け巡るようにして、身体中を満たしていく。

 そしてようやく、彼女は気づいた。

 膝を折りかけたまま止まっていたアルマニアが、再び動き出す。しかし彼女は、そのまま膝を折りはしなかった。胸の下に両手を添えて背筋を正した彼女が、顔を上げて真っ直ぐに皇帝を見つめる。

 そう、彼女はとっくに知っている。アルマニア・ソレフ・ロワンフレメの考えは正しく、そして――


 いよいよ苛立ちの色を濃くした皇帝を正面から見つめ返したアルマニアは、次の瞬間、地に膝をつくこと・・・・・・・・なく立ったまま・・・・・・・、腰を曲げて深々と頭を垂れた。

「申し訳ございませんでした、皇帝陛下」

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