令嬢と不落の監獄 10
そのあとのことは、よく覚えていない。公爵ともう二言三言を交わし、メイドや従者たちに促されるままに乗った馬車に揺られて、アルマニアは半ば呆然としたまま皇宮にある皇后の自室へと連れて行かれた。
辿り着いてしまった皇后の部屋の前で立ち竦むアルマニアに、苛立ったような声でヘレナが彼女の名を呼ぶ。それを受けて、アルマニアは自分の意思とは別のところで手を動かし、アルマニアを嘲笑うように立ちはだかる扉をそっと叩いた。
「アリィが来たのね! どうぞ!」
扉の向こうからはしゃぐような声が返ってきたのを聞いて、アルマニアは失礼いたしますと言いながら、扉を押し開いた。ここから先は、ヘレナやアルマニアの従者は入室を許されない、皇后のプライベートな空間だ。そんな場所に一人乗り込まなければならないアルマニアは、しかし公爵家中から疎まれている今の立場を考えると、寧ろ一人で良かったのかもしれない、とぼんやりと思った。
「いらっしゃい、アリィ! それからおめでとう! 明日からは、一緒に暮らすことができるのね!」
わざわざ扉を開けてすぐのところまでやってきてそう言ったのは、赤を基調とした綺麗なドレスに身を包んだ小夜だった。
そのままアルマニアの手を取って、一日早いけどお祝いしちゃって良いよね、と言った彼女は、アルマニアの手を引いて、豪奢なソファとテーブルが備え付けられている、小さめのプライベートサロンのような部屋へ向かった。
部屋に入るや否や、小夜は笑顔でアルマニアにソファを勧めてから、自分はテーブルを挟んで向かいにあるソファへと腰を下ろした。小夜に示されたソファの近くで一瞬立ち尽くしたアルマニアは、しかしすぐに、小夜の言葉に従ってソファにそっと腰を下ろす。ドレスが皺にならないようにと気をつけながら座ったソファは、どうにも柔らかすぎて、あまり居心地が良い気はしなかった。
「今日はお祝いだから、おいしいお菓子を沢山用意してみたの。良かったら食べてみて」
にこにこと笑顔で言った彼女の言葉通り、レースのクロスが敷かれた丸テーブルの上には、種々様々な菓子類が所狭しと並んでいた。
「……あまり、食欲がなくて」
「え、そうなの? 大丈夫? マリッジブルーとかかな? 実はね、私も結婚前はちょっと気分が落ち込んだりしたんだ。でも、ベルナンドがすごく気遣ってくれてね。それに、実際に結婚してみたらすっごく幸せだし、全然落ち込む必要なんてなかったなーって感じなの。だから、アリィもあんまり心配しすぎないでね。気にしすぎると、身体に悪そうだから」
心配そうな顔で言った小夜に、アルマニアがぎこちない笑みを浮かべて礼を述べれば、小夜は食べ物が駄目ならせめて紅茶だけでも、と言って、紅茶が入ったカップを手渡してきた。それを受け取ったアルマニアが、仕方がなく少しだけ紅茶を口に含めば、ぱぁっと嬉しそうな顔をした小夜が、結婚生活や皇宮での生活についてあれやこれやと話を始める。あまり身にならない彼女の話に適当な相槌を打ちつつ、アルマニアはぼんやりと、こういう貴族離れした無知さが皇帝の寵愛を得ているのだろうか、などと中身のないことを思った。
そんな無為な時間を暫く過ごしたところで、不意に小夜の侍女が彼女に何かを小声で囁いたかと思うと、小夜は目を輝かせてアルマニアを見た。
「聞いてアリィ! ベルナンドが来てくれたって!」
「…………は?」
「実はね、今日のお祝いにベルナンドも参加してくれるようにって頼んでたの! 忙しいから難しいって言ってたんだけど、なんとか時間を作って来てくれたのね! 良かった!」
小夜が嬉しそうに言う一方で、アルマニアは全身の血がざっと引くような感覚を覚えた。
小夜が何を考えて彼を呼ぼうと思ったのかは知らないが、アルマニアを疎んでいる彼が、アルマニアが喜ぶようなことをしてくれるわけがない。
そう思ったアルマニアは、皇帝が来る前にこの場を去ろうと口を開いた。
「皇后陛下、大変恐縮ですが、気分がすぐれないのでそろそろお暇を、」
「本日の主役がどこへ行く気だ、ロワンフレメ公爵令嬢」
アルマニアの言葉を遮って聞こえた声に、アルマニアがびくりと肩を震わせる。ぎこちない動きで声の方へと振り返れば、部屋の入口のところに、嘲りをたっぷりと込めた笑みを浮かべた皇帝が立っていた。
その顔を見るや否や、すぐにでもこの場を逃げ出したい気持ちになったアルマニアだったが、それを堪えて立ち上がり、努めて美しく優雅な一礼をする。
「ベルナンド皇帝陛下、ご無沙汰しております」
「そうだな。所詮皇妃としてとはいえ、一応は我が婚約者ともあろう者が、かれこれふた月以上も顔を見せないとは。ああ、いや、その愚かしい行動の数々のせいで謹慎処分となったのだから、見せなかったのではなく見せられなかった、が正しいか」
「ベルナンド! アリィを虐めたら駄目って言ってるでしょ!」
あからさまな嫌味を言った皇帝に、小夜が怒ったように彼を睨む。それを受けた皇帝は、先ほどまでの表情が嘘のような柔らかな笑みを浮かべて小夜の元へと歩み寄り、その額にキスを落とした。
「判っているよ、サヨ。ちょっとした冗談じゃないか。そうして怒っている顔も魅力的だが、君には笑顔の方がよく似合う」
「もう! そんなので誤魔化されないんだからね! これはアリィの結婚を祝う会なんだから、ちゃんとお祝いしてあげて!」
ぷんぷんと怒る小夜に、判った判ったと言って笑った皇帝は、小夜の頭をひと撫でしてから彼女の隣に腰を下ろした。それから皇帝は手ぶりだけでアルマニアに座れと命じ、この場から離脱することは不可能だと悟った彼女は、諦めてソファに座り直した。
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