令嬢と不落の監獄 7

 伸ばした手が空を切り、目の前でアルマニアを失ったヴィレクセストは、この世界に来て初めてこの上ない焦燥に駆られた。

(空間魔法による強制転送! クソッ! 災厄の種ザインジーアの仕業か!? 時間停止を――! いや落ち着け! ここに至るまでに感づかれるような行動は一切取ってねぇし、俺の目晦ましが僅かでもブレたこともねぇ! なら、負担がでかい時間停止はなしだ! 災厄の種ザインジーアは関係ないと仮定して行動する!)

 瞬き一度にも満たない間で頭を回転させ、次手を最速で選択したヴィレクセストは、前方からやってくる実験の成れ果てに向かって叫んだ。

「火霊!」

 彼が火の精霊の名を呼んだその瞬間、突如生じた炎が成れ果てへと迸り、瞬きすら許さぬほどの早さでヘドロのような身体を蒸発させた。

 だが直後、成れ果てがいた方向とは全く別の位置から、ヴィレクセストを狙って光線のようなものが放たれた。ただの光ではない。石畳すら焼き切る、超高熱の凶刃である。更に同時に、別の角度からは鋭く尖った結晶のようなものが矢のように降り注ぎ、ヴィレクセストを貫かんと襲いかかった。

 どちらの攻撃魔法もそれ単体で非常に強力なものだったが、何よりも厄介なのは、この二つの攻撃が重なることでより高度な攻撃へと昇華してしまっている点だ。

 襲い来る結晶の群れは、攻撃と同時に反射体の役割も果たしており、結晶に当たった光線はあちらこちらへとランダムに反射して、予測不可能な光線が飛び交う逃げ場のない空間を作り出してみせたのだ。

 本来であれば、あの成れ果てに気を取られている間に、この二つの魔法で確実に仕留める算段だったのだろう。そうでなくとも、この二つだけでも間違いなく脅威と呼べる罠は、まさに中央地下監獄ガルシャフレの真骨頂ともいえる防衛装置だった。

 だが、それらが持てる力を発揮してみせるその前に、苛立ちを露わにしたヴィレクセストが叫ぶ。

「火霊! 全て焼き払え!」

 瞬間、ヴィレクセストの足元から凄まじい勢いで炎が噴き上がり、辺り一帯へと広がった。彼に放たれた光線も結晶も、その全てが炎に呑まれ、成す術もなく瓦解していく。それでもなお勢いを増す炎たちは、床を舐め壁を駆け上がり天井を覆い、見える範囲の全てを火の海へと変えていった。

 こうなると最早、幻惑魔法による覆いなどは無意味だ。荒れ狂う炎は、見える見えないに関わらず、迸った先の全てを焼き尽くす。

 そうやって、監獄に仕掛けられた魔法の数々が破壊されていく中、ヴィレクセストは僅かも炎の行方を見届けようとはせず、焦燥のままに次なる力を行使した。

「“掌握する賢者の眼のがれることあたわず”! ――アルマニアを補足! 飛ぶぞ星間粒子生物ミーティアども! ――“術式の百七・天翔ける星に至れ”!」

 怒涛の勢いで連続して力を発動させたヴィレクセストの姿が、アルマニアが消えたときと同じように一瞬で消失する。

 彼はこの世界のものではない力を駆使し、アルマニアが飛ばされた場所を特定して、自身もそこへと空間転移したのだ。

(アルマニアには教えていないが、彼女には基幹次元由来の防御系統魔法や特殊な力をこれでもかってくらいに重ね掛けしてある。だから、この世界で起こる事象によってアルマニアが死ぬことはまずない。……だが、万が一にも災厄の種ザインジーアが絡んでいたら、俺なしで生き残るのは無理だ。災厄の種ザインジーアが関与している可能性がゼロでない以上、出し惜しむわけにはいかない)

 故に、ヴィレクセストはこの世界の基準を遥かに超越する力の数々を用い、瞬き数度の間に罠魔法の全てを圧倒してアルマニアの元へと飛んだ。状況的に猶予はあると判断して、負担が大きい力の使用は避けたが、その上で彼にできる最速を以て彼女の元へ向かった。

 だが、それでも遅い。そのたった数瞬で、取り返しがつかないことになってもおかしくはないのだ。

 だからこそ、ヴィレクセストは彼女から離れてはいけなかった。何があっても彼女の隣にいなくてはならなかった。だが、この世界の基準にまで抑え込んだ能力で大監獄を攻略するのに思考のほとんどを持っていかれたせいで、僅かな隙が生まれ、それによってアルマニアと分断されてしまった。

 これは間違いなく、ヴィレクセストの落ち度である。

 彼が発動した力による空間転移は一瞬で成される高度なものだったが、焦りと後悔に押しつぶされそうになっている彼にとっては、その一瞬が永遠のように長く感じられた。

 空間を超え、ヴィレクセストの身体が目的の地、アルマニアが飛ばされた場所へと転送される。相変わらず全面が石造りの小さな部屋のような場所に飛んだヴィレクセストは、一人立っているアルマニアの後ろ姿を見て、すぐさま駆け寄った。

「公爵令嬢!」

 すまない、と言いながらアルマニアの肩に触れた彼は、しかし彼女の顔を目にして絶句した。

(こ、れは……)

 生きている。彼女は生きて、そこに立っている。それはそうだ。彼女が死ねば、ヴィレクセストはそれを知ることができる。

 だが、生きているだけだ。

 虚ろな目は何も映しておらず、小さく空いた口からは絶えず意味をなさない呻き声のようなものを落とすその姿は、まるで心を失った抜け殻のようだった。

(これは、駄目だ……)

 アルマニアを見つめ、ヴィレクセストは血が滲むほど強く唇を噛んだ。

 この部屋にかけられた魔法は解析した。それによって、ヴィレクセストがいない間にアルマニアの身に起こったことも理解した。だからこそ、彼はそう思った。

「…………アルマニア……」

 嘆くような、許しを乞うよな、そんな音色で、ヴィレクセストが彼女の名を呼んだ。

 彼は、彼が持っているあらゆる力を使って、彼女を守るための処置を施した。だが、ひとつだけしなかったことがある。

「……俺は、あんたの心は、守れない」

 呟いたヴィレクセストが、彼女に向かって手を伸ばし、その身体を抱き締めた。

 彼女は王になるべき人だ。王という生き物になるべき存在だ。だから、ヴィレクセストは彼女の心を守るわけにはいかない。

 来たる未来に、王としてたった一人で立って歩かなければならない彼女は、それに見合うだけの強さを手に入れる必要がある。誰かに守って貰わないと崩れてしまうようなか弱い心では、玉座に座ることなどできないのだ。

 だから、ヴィレクセストは彼女の心は守らない。

 たとえそれがどんなに耐え難い悪夢であっても、これだけは、アルマニアが己で乗り越えるしかないのだ。


 この部屋に仕掛けられた魔法。それは、幻覚を見せる幻惑魔法と物事の過去を視る情報把握魔法との組み合わせによる、対象の最も忌むべき過去を歪めて増幅して見せる、精神汚染の罠だった。

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