令嬢と月旦評 1

 ザクスハウル国の首都ゼルリナは、八賢人が拠点としている魔法城を中心とした同心円状に、貴層、高層、中層、低層、無層、といった五つの領域に分かれている。

 魔法城を囲むようにしてある貴層が、いわゆる貴族街に相当する場所で、八賢人直属の魔法師団の団員たちと、八賢人によって非常に優れた魔法能力を有すると認定された魔法貴族たちのみが住んでいる。そして、外縁にいくにつれてザクスハウル国における身分は低くなり、無層と呼ばれる一番外側の区域には、ろくな魔法を使えない無能者が住んでいるのだ。勿論、中心にいくほどその暮らしは豊かなものとなり、逆に外縁に近くなればなるほど、質素な生活を送ることとなる。

 身分による生活圏の区分けがここまではっきりとされているのは首都だけだが、他の街も似たようなもので、魔法能力の高低で定められる身分によって暮らしが決まる、というのがこの国の特徴であった。

 これだけ聞くと差別的にも思える身分制度だが、意外にも国民の中に大きな不満を抱く者はほとんどいない。何故ならこれらは無慈悲な差別ではなく、必要不可欠な区別だからだ。

 科学技術を良しとしないこの国では何をするにも魔法の力が必要で、だからこそ魔法能力の高低によって個人が担える役割は大きく変わってくる。魔法能力が高い者は、それに見合うくらいに難易度の高い仕事を任され、だからこそ居住区と給金の面で優遇される。一方で、労働に伴う責任は非常に重く、また己よりも魔法能力が低い者に率先して手を差し伸べる義務も生じるのだ。では魔法能力が低い者はどうなのかと言うと、そういった人間は、魔法能力が強く求められない誰でもできるような仕事を任され、その分給金も高くない代わりに、負うべき責任もほとんどなく、困ったときにはいつでも上の位の者の助力を乞うことができる。

 ザクスハウルでは、この理想とも言えるバランスを常に保ってきたからこそ、これだけ明確な身分差があっても多くの人がそれを良しとしてきたのだ。

 貴族階級が高貴さに伴う義務を違わず果たしている、という意味では、ザクスハウルは他の二国よりもよほど貴族らしい貴族が存在する国だと言えるだろう。この国における身分は、家に与えられるものではなく個人に与えられるものだ、というのも、これだけの理想を実現できている要因のうちの一つなのかもしれない。

 魔法能力に応じて決まる身分は飽くまでも個に与えられたもので、その財も身分によって得たものがほとんどである、ということで、この国では親の身分や財が子に受け継がれることがないのだ。個に与えられたものは、個が死んだ時点で国へと還るのが決まりだった。

 国へ還った財は国や民のために使われるのだから、であれば己が生きている間にそれをやったところで同じことだし、なんならその方が感謝を得られて気持ちが良い、ということで、社会貢献に充てる費用を惜しむ貴族はほとんどいない、というのがこの国における平和のからくりである。


 そんな風に明確な区分けがされている首都の中層にある、とある飲食店では、ちょうど昼時だと言うのに閑古鳥が鳴いていた。

 レストランと言うには狭いその店の中には、カウンター席が五席分とテーブル席が四つしかなく、こじんまりとした経営状況が窺えるようであったが、それでもこの時間帯に客の一人もいないというのは好ましいことではないだろう。

 だが、客の代わりにカウンター席の一つに座っているマスターらしき男は、特に憂鬱そうな顔をすることもなく、煙草をふかしながら新聞を読んでいる。

 換気が行き届いていないのか、店内には男の吐き出す煙が靄のように満ちていて、一層入りにくい雰囲気を醸し出していた。

 と、不意に店のドアが開いたことを知らせるベルの音が鳴り響き、男がさっと顔を上げる。

「営業中のプレートが出ていたからお邪魔したのだけれど、良かったかしら?」

 開け放ったドアから入店してきたのは、金髪に緑の目をした妙齢の女性――アルマニアだった。

 すぐ後ろにヴィレクセストを伴った彼女は、これまで身に着けていたような貴族らしいドレスではなく、ここ中層に見合った質素な服装をしている。それは、後ろに控えるヴィレクセストも同じだ。だが、輝くような金糸の髪や、彼女自身から醸し出される高貴さは隠されることがなく、彼女がただの庶民ではないことをありありと伝えていた。

「……これは失礼しました。ここのところお客さんが少ないもんで、営業中でも休憩してしまう癖がついてましてね」

 そう言った男は、灰皿に煙草を押し付けてから席を立って、本来自分がいるべきカウンターの向こう側へと向かった。

「それで、どうも場違いなように思えるお嬢さんが、どうしてこんな寂れた店なんかにいらっしゃったので?」

 訝しむような素振りを見せる一方で、貴族階級の冷やかしに対する若干の嫌悪と僅かな興味、といった色が窺える表情を浮かべてそう言った男を見て、アルマニアは感心したような顔をした。

「貴方、すごいのね」

「はい?」

 眉根を寄せて首を傾げた男をじっと見つめてから、アルマニアは背後のヴィレクセストを振り返った。

「ヴィレクセスト」

「んー、俺がやるまでもなく、ここには割と強力なのがかけられてるけど」

「……そう、それじゃあ問題ないのね?」

「大事になったらさすがにきついかもしんねぇけど、そうなったら気取られる前に俺がどうにかするさ」

 そう言って笑ったヴィレクセストに頷きを返してから、アルマニアは男に向き直って可憐な微笑みを浮かべた。

「すごいと言ったのは、貴方の演技力に対して。知らなかったら騙されてしまいそうだわ」

「はぁ、なんのことですかね?」

「私たちへの警戒をよくぞそこまで隠し通せるものね、と褒めているのよ」

「いや、ちょっと言っている意味が判らんのですが、飲むなり食うなりしに来たんですよね? それなら席にご案内しますが」

 埒が明かないと思ったのか、呆れ混じりの面倒臭そうな顔をした男は、カウンターから一番遠いテーブル席を指差した。あそこに座れということだろう。だがアルマニアは、それを無視してカウンターへと歩み寄った。

「食事も飲み物もいらないわ。そのために来た訳ではないのだもの」

「冷やかしですかい? それならできれば帰って貰いたいもんなんですがね」

「“天翔ける翼が落とした雫に、乙女の祈りと吐息を添えて”」

 アルマニアが唐突に口にしたそれに、男が僅かに目を見開いた。

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