令嬢と月旦評 2

「……お嬢さん、どこでそれを知ったんです?」

「あら、詮索するの? この合言葉さえ言えば、無条件で奥に通して貰えると聞いていたのだけれど」

 でもこれよりも上位の合言葉なんて知らないのよね、と言ったアルマニアに向かって、男が狙いを定めるように片手を差し向けた。

「判ってるのか判ってないのかは知りませんが、そいつはうちでも限られた人間にしか開示されてない一番特別な言葉でね。……ここに辿り着いた初回に口にできるようなもんじゃないんですよ」

 あからさまな警戒を以てアルマニアを睨んだ男に、彼女は困ったような顔をして小さく首を傾げた。

「でも、知っているものは知っているの。ならば貴方は、定められたルールに従って私をリーダーの元へ案内すべきではなくて?」

「この状況でそれをするのは、それこそ間抜けというものでしょうね! 拘束ジオクルス!」

 男がそう叫ぶと同時に、彼の掌から光の鎖のようなものが生じて、アルマニアとヴィレクセストへと迸った。対象の自由を奪い、捕らえるための上級拘束魔法である。ここで二人を捕らえて、情報の出所を尋問しようとでも言うのだろう。

 だがやってくる光の鎖に向かい、ヴィレクセストが叫んだ。

反射リヴェロス!」

 その瞬間、アルマニアとヴィレクセストを襲おうとしていた鎖が、見えない壁に弾かれたように大きく跳ね返ったかと思うと、そのまま発動者である男へと向かっていった。

「な!?」

 驚愕の表情を浮かべて一歩後ずさった男の身体に、金の鎖が巻き付いて締め上げる。ぎりぎりと絞るように全身を拘束する鎖に呻き声を洩らした男に対し、ヴィレクセストが冷たい目を向けた。

「わざわ正規ルートで会いに来てやった令嬢相手にいきなり拘束魔法を使うたぁ、良い度胸してんじゃねぇか。なんだ? こりゃ最初っからお前らを拠点ごと吹っ飛ばして、どっちの立場が上だか判らせた方が良かったのか?」

「止めなさいヴィレクセスト。私たちは争いに来たのではないわ」

 咎めるような声で言ったアルマニアに、ヴィレクセストは思いっきり嫌そうな顔はしたものの、大人しく黙って指をぱちんと鳴らした。それを合図に、男を拘束していた鎖が解けて消える。

「……貴方はもっと冷静だと思っていたのだけれど」

「あんたに危害を加える奴は全員ぶち殺してやりたいが、あんたが望まないなら我慢する程度には冷静だぜ」

「……まあ、最低限の分別はあるようで安心したわ」

 そう言ってから、アルマニアが男に向き直ってことりと首をかしげる。

「さて、もう一度言うわね。私はきちんとルールに従い、貴方たちのリーダーに会うための合言葉を言ったわ。それなら、貴方もルールを順守するのが筋ではなくて?」

「…………ハッ、そうやって脅せば俺が従うとでも思ったか? 残念だったなお嬢さん。あんたみたいな怪しい奴は、合言葉を知っていようと通す訳にはいかないんだよ。それで怒ったあんたに、俺が殺されるとしてもな」

 最早店のマスターとしての顔は捨て去って獰猛に笑った男に、アルマニアは綺麗な眉を少しだけ顰めて溜息を吐いた。

「別に脅しているつもりはないのよ。それから、貴方が私を案内しなかったところで怒ったりもしないわ。私は飽くまでも、貴方たちが定めた規則を守りたいと考えているだけなの。だから、できればこのまま合言葉を言った者に対する対応をして貰えると嬉しいのだけれど……」

 そこで言葉を切った彼女が、男の表情を見て再び溜息を吐く。

「やっぱり無理そうね。まあ、気持ちや考えは理解できるわ。それに、木偶のように規則に従うだけのお馬鹿さんではないという意味では、寧ろプラスかしら」

「……さっきから随分な上から目線だな、お嬢さん。そういう言動はまるで品定めしてるように見えるから、気をつけたらどうだ?」

 挑発するようにそう言った男に、アルマニアはわざとらしくきょとんとした顔をした。

「あら、上から品定めをしているのだから、気をつけることなんて何もないわ」

 堂々たる声でそう言ってのけたアルマニアが、男の反応を待たずしてさっと右手を挙げる。

「交渉決裂よ、ヴィレクセスト。郷に入っては郷に従がうもの。さあ、ルールを順守なさい」

 その言葉に、ヴィレクセストが待ちわびたように口を開く。

「――装填トリガーセット

 ヴィレクセストがそう紡ぐと同時に、空白の魔法陣を伴った四つの銃弾のようなものが、彼の背後に浮かび上がる。

「――魔法演算エスティメイト。そうだな、限定的な剥ぎ取りと、強制空間接続に、念のための防御措置、あとついでに外向けの目晦まし補強かね」

 ヴィレクセストが言うと、空白だった魔法陣それぞれに光の模様が書き込まれていった。

装填セット完了。――魔法式展開オープン!」

 言葉と共にヴィレクセストが指をぱちんと鳴らした瞬間、彼の背後の銃弾が一斉に射出されて弾け、カウンターの向こうの壁に当たったかと思うと、そこを起点にまるで溶けるようにして景色が変わっていった。

 壁の一部が溶けた先に、複雑な魔法式がびっしりと書き込まれた扉が現れた直後、その扉は暴風に晒されたかのような勢いで剥ぎ取られて吹き飛んだ。そしてその瞬間、カウンター向こうの壁が丸ごと溶けてなくなり、代わりにそこに開けた空間が広がる。

 天井に備えられた魔法灯によって照らされたそこは、窓のない広々とした部屋だった。いくつもの椅子やソファに加え、大きなテーブルが複数と、本や資料らしき紙の束がぎっしり詰め込まれた棚などが置かれており、ひと目でここが作戦会議などに使われるのだろう場所であることが判るような様相だ。

 大部屋には調度品だけでなく十数人の人間がおり、その全員が突然の出来事にアルマニアたちの方を振り返って目を丸くしている。が、それも一瞬のことだ。すぐさまアルマニアとヴィレクセストを敵とみなしたらしい人々が、二人に向かって一斉に攻撃魔法を放つ。

 しかし、軽く十を超える魔法の群れは、二人に届く寸前で突如として硝子が割れるような音と共に瓦解して掻き消えた。

 驚愕の表情を浮かべる人々に、ヴィレクセストが一人一人の顔を見るように視線を巡らせてから、にやりと笑った。

「無駄無駄。お前ら程度の魔法じゃあ、俺らの髪の毛ひとつ傷つけることなんて痛いッ!」

 話の途中で突然叫んだヴィレクセストが、脛を抱えて蹲る。アルマニアに思いっきり脛を蹴り上げられたのだ。

「この大馬鹿! なんてことをしてくれるのよ!」

「え、ええ……? いや、公爵令嬢がゴーサイン出したから、いっちょ派手にブチかますかって……」

「誰も派手にブチかませなんて言っていないわ! ルールを順守しろって言ったのよ! それが拠点ごとルールを大破壊してどうするの!」

「公爵令嬢、公爵令嬢、お嬢様がブチかますとか汚い言葉使うのはどうかと思うぜ?」

 ヴィレクセストなりの気遣いから出たその言葉には、アルマニアに平手によって返事が返ってきた。

 ヴィレクセストに一撃を食らわせたアルマニアは、次いで大部屋の方へと向き直ってから、こほんと咳払いをした。

「ごめんなさいね、私の臣下が失礼をしたわ。本当はただ本来の手順を実行して貰おうと思っただけなのだけれど、私の説明不足とこのお馬鹿のせいでめちゃくちゃね」

 はぁ、とため息をついたアルマニアは、しかし店のマスターを装っていた男をちらりと見てから、大部屋の人々へと視線を戻した。

「……けれど、初めから大人しく私を案内してくれていたらこうはならなかったのだし、ここはお互い様ということにしていただこうかしら」

 そう言ったアルマニアが、大部屋に向かってつかつかと歩き出す。

 迷いのない足取りで向かってくる彼女に、人々が慌てて再び魔法を放ったが、全て先程と同じように、彼女に届く前に崩れて散っていった。

 ならば直接アルマニアを拘束しようと思ったのか、部屋にいる複数人が彼女に突進するように走り寄る。だがその無礼は、ヴィレクセストが許さなかった。

「俺の令嬢に汚い手で触ってくれるなよ」

 怒気を孕んだ声がそう言った瞬間、アルマニアを拘束しようとしていた人々の動きがぴたりと止まり、まるで彫刻にでもなったかのように瞬きひとつしなくなった。

「ヴィレクセスト」

 振り返ったアルマニアが咎めるような声で名を呼んだが、ヴィレクセストは悪びれもせずに肩を竦める。

「これ以上の手出しはしねぇよ。だが拘束を解く気もねぇ。殺さないだけマシだと思ってくれ」

 ヴィレクセストの声は冗談を言っているかのように軽かったが、その言葉が紛れもない本気であることを悟ったアルマニアは、ほんの僅かに顔を顰めはしたものの、溜息と共に臣下の我が儘を許容することにした。

 こうして行く手を阻むものがなくなった道を悠々と歩んだ彼女は、とあるソファの前に立っている人物の前で足を止めた。

「ご機嫌よう。貴方がレジスタンスのリーダーね」

 そう言って彼女が見上げたのは、肩くらいまで伸びた銀髪と整った顔が印象的な細身の青年だった。野性的なヴィレクセストとはまた違った方向の美形で、こちらは儚さを思わせるような綺麗な顔立ちをした男だ。

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