第51話 ヤマアラシのジレンマ

「……人間ってのは、つくづく馬鹿な生き物かもしれねーな。いや、あたしがそれを言うのは間違っているのかもしれねーけどさ」


 ずるずると崩れ落ちていく偽物の身体。レディ・ジャックは刃物に何か即効性の毒でも塗布していたのだろうか……?


「いやいや、そんなことはねーよ。ただまあ、一言だけ言わせてほしーのは、甘えんな……ってことよ」


 何が何だかさっぱり分からない。

 もしかして殺人鬼なりの何か――特殊な言語でもあるのだろうか? 或いは精神異常者とでも言えば良いのだろうけれど。


「おーおー、言わせておけば好き放題言いやがってよ。……ともあれ、こいつはもう終わりだったんだよ。それぐらい分かっていた話じゃなかったのかな?」

「?」

「……まさかあたしの説教じみた何かで救われるとでも? だとしたら、それはめでてー思考だな。不可能だよ、そんなもんは。あたしはただ、チェックメイトを言い放っただけだぜ。全て終わりを迎えちまった人間モドキに、最後の審判を下しただけに過ぎねー。まさに、ヤマアラシのジレンマってやつさね」

「ヤマアラシのジレンマ?」


 それって、ヤマアラシが近付き過ぎてしまうと怪我をしてしまうから――その丁度良い距離を見つけるようなものだったか?


「人の温もりは欲しい。けど、甘えたくはない。そんな生意気な人間だったんだと思うぜ――こいつはよ。だからこそ剣を振り翳して、人を殺した。いやさ、或いは何かしらの存在意義を見出したかったのかもしれねーな? そういうのって何て言うんだったかな……イデオロギー?」


 もしかしてレゾンデートルとでも言いたかったのか?


「そう、それそれ」


 何か右手を翳して格好いいポーズを取っているつもりかもしれないけれど、それ、イラストにならないと分からないからな。小説じゃ伝わらないのが惜しいところだが……。


「そりゃ、なんつーんだ、表現力が足りねーんじゃねーのか?」


 ダイレクトアタックは辞めてあげなよ。


「……でも、これで終わったんだよな?」


 何がでもなのかは置いといて、これでレディ・ジャックの偽物とやらは居なくなった――正確には居なくした、のが正解なのだろうけれど。


「おー、居なくなったんじゃねーの? ともあれ、あたしみてーな風変わりってのを良く模倣しよーとしたもんだぜ。それに騙される警察も警察だけどよ、もーちっと頑張ってくれても良かったんじゃねーの? 短絡的にあたしだと解釈するのもどーかしてるし」

「そこは警察を非難する話でもないんだと思うけれどな……。それぐらい似ていたんじゃないか? レディ・ジャックと、その偽物が」

「それぐらい、こいつは本物になりたがっていたのかもしれねーな。ほら、言っただろ? 偽物の方が、本物になろうとする努力をしてる分本物に近い――ってやつ。あれって確かどっかの高校生が口に出した、ただの戯言にも聞こえる、或いは物語チックな台詞だったんだろーけれどさ、しかしてそれってどれぐらいの人間が本気で解釈出来るものかね?」


 最後の最後に、何を面倒な言い回しを……。


「ま、それを考えるのは――人生の課題としておこーじゃないの。或いは、二度と会いたくねーか?」


 どうだろうね。

 何だかんだ、楽しかったんじゃないかな。ずっと一緒に居た、ってことはさ。


「そーかい。あたしも実はそこまでつまんなくはなかったぜ。人を殺しても大した感情は抱かなかったんだけどなー……」

「……なあ、レディ・ジャック」

「ん?」


 ぼくは、一つだけやりたかったことがあるんだ。

 この事件が片付いたら、やらなくてはならなかったことを。


「……ちょっと、付き合ってくれないか?」

「…………それって、どういう意味で?」

「さあね。取り敢えず、明日またぼくの家で」


 そうやってぼくは、一方的に殺人現場から離れることとした。

 目撃者が居たらどうしようかと内心ビクビクしていたけれど、意外にも誰にも見られなかった。

 そして、夜が明けた。

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