第50話 何者②

 何者にもなれない存在というのは一言で現すのはなかなか難しいことではあるのだろうけれど、しかしてそれをさも共感した感触で言うのは大間違いであるということを、ぼくは一度も経験したことがないくせに分かっていた。


「……なあ、おれはどうすりゃ良かったんだ?」


 偽物は語る。

 ずっと思っていたことではあったのだろうが、しかしながらそれをずっと口に出すこともしなかったであろう言葉だった――はずだ。

 何故ならそれを認めてしまったら、自分の存在意義に関わってしまうから。


「……どうしようもなかったんじゃねーの? とはいえ、やり直す機会は幾らでもあったよーに感じるぜ。それがいつだったかは、さっぱり見えてこねーんだけれどよ」


 レディ・ジャックはゆっくりと近付いていく。

 普通ならば凶器を持った男に近付くのは、安全が確保出来ないからしない方が身のためではあるのだろうけれど、しかし今向かっている人間は殺人鬼――レディ・ジャックだ。

 人が凶器を持っていたところで、恐れることなどありはしないのだろう。……そうでもなければ、殺人鬼なんて稼業は務まらない。


「おれは……やり直す機会があった……のか?」

「あったんじゃねーかな。なかったかもしれねーけれど、それは分からんよ。誰だって唯一無二の人生を歩んでいて、誰かの人生をトレースすることは出来ねーからな。あたしだってそーだ、誰かの人生を……師匠の人生をトレースしたかった時もあったけれど、それは全くの無駄だった。無意味だったと言っても差し支えないだろーね」


 レディ・ジャックにもそんな時代があったのか。

 というか年齢不詳だよな――レディ・ジャックは。真面目にぼくより年上であることは間違いなさそうだ。童顔で背が低いから、あんまり年上には見られないのかもしれないけれど。


「……おれは、やり直せたのか?」

「犯罪者が犯罪者を諭すってのも、なかなかにシニカルなところではあるんだけど、それは間違いのない事実だと思うぜ。或いは真実と言えば良かったかな? いずれにせよ、それを成し遂げるのが難しいのも事実だ。人生は壮大なシミュレーションではあるけど、一度きりの人生だ。ゲームオーバーになったからって、やり直すことは出来やしない。幾ら金を払ったって、時間を戻すことも選択肢を変えることも出来やしない――そうして気付けば、取り返しの付かない結末に進もうとする。それが人生ってもんだ。そうしてエンディングには……、唯一といって良い程の振り返りが待っている。そんでもってその振り返りは……仮にやったところで次に生かすことは出来ねー。輪廻転生って概念もあるらしーけど、それは本当に存在するかも分かんねーからな。ま、あれば儲けもんとばかりに思うしかねーってことよ」

「……儲けもの、か。確かに聞いたことはある。有名なお笑い芸人が、生きてるだけで丸儲けだ――そう語っていたらしい。しかしそれは結論だけを述べただけに過ぎず、金言になることは間違いないのだろうが、それを全員の人生に適用することは難しい」

「そうかね? 別にそれを肯定するつもりはねーけれど、ほら、やっぱり人間って最後まで楽しく生きなきゃ損だと思うぜ。楽しく生きなきゃ意味はない――は流石に言い過ぎかもしれねーけれど」


 そして、ついにレディ・ジャックは偽物の前に到着した。

 何をするかと思ったら――レディ・ジャックは偽物を抱擁した。

 優しく、優しく、包み込んだ……。


「レディ……ジャック……?」

「良いんだよ、な。もう……苦しまなくて……さ。あたしに成り代わろうとして、それを人生のゴールに位置付けて、死にもの狂いでやってきたのかもしれねーけれど、さ」


 偽物は困惑した表情を――ずっと浮かべていた。

 しかし、直後それは苦悶の表情へと変貌していった。


「レディ……ジャック……?」


 ぽかんとした表情を浮かべた偽物は、そのままゆっくりと地面に倒れていった。

 ……正直、最初は何が起こったのか、さっぱり分からなかった。

 けれども、レディ・ジャックが振り返ると――それが分かった。

 レディ・ジャックの衣服には、べっとりと赤い血が付着していたからだ。

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