愛縁危縁 6
次の日の昼過ぎ。里長から、どうせなら薬師様から直接お話をいただけないだろうかと乞われた朧は、会合の場に赴いていた。
会合といっても、小さな寄合所に各家の代表が集まって話をするだけのもののようで、集まった人間は三十人程度である。それだけ小さな里なのだ。
集まった人々は例外なく、突然の呼び出しに訝し気な顔をしていたが、里長が朧の紹介をし、山の神退治の件について簡単に触れると、一様に顔を曇らせて朧に視線を向けた。
部外者に対する忌避と疑いのこもった目だ。向けられたそれに、朧が隣に座る里長を窺う。里長は、ただ黙って朧に頷きを返した。あとはそちらで、ということだろう。
「それでは、改めて私からお話をさせていただきます」
里の人々は皆判りやすく顔を顰めたが、拒む者はいなかった。
「里長殿から儀式の話は伺いました。遥か昔より、長く続けられているものであることも。……でしたら、もう良いのではないでしょうか」
朧の言葉に、その場にいたうちの一人が声を上げる。
「もう良いとは、どういうことだ」
僅かな棘を感じる声を受け、朧は声の主を見た。がたいの良い初老の男性だった。
「貴方がたはもう、十分すぎるほどに贖罪を果たしたのではないでしょうか。始まりの罪は重いものだったのかもしれませんが、儀式が続けられてきた期間を思うと、もうこれ以上苦しむ必要はないと思うのです」
静かに空気を揺らす声に、ある者は俯き、またある者は顔に浮かぶ嫌悪をより色濃くした。だが、誰も何も言わず、沈黙だけが場を満たす。そんな重苦しくのしかかるような雰囲気の中で、朧は更に言葉を続けた。
「私なら、山の神を退治することができます。必要であれば、その後の祟りや呪いなどの憂いがないように、跡形もなく消し去ってみせましょう。勿論、私がお節介でやろうとしていることですから、見返りは一切求めません。ですから、私に貴方がたの手助けをさせてはいただけないでしょうか」
はっきりとした声で発された言葉に、里の人々は困惑の表情を浮かべて沈黙した。まさかそんなことができる筈がない、と言いたげな顔の中に、しかしもしかすると、という僅かな信の色を滲ませて、人々は長を見た。視線たちを向けられた長もまた、朧の言葉を虚言であると切り捨てることができないようで、黙したまま地面を見つめている。
頭から否定されないのであれば、言葉を重ねれば信を得られるだろうか、と考えた朧が、更に話を続けようと口を開きかける。だが、朧が声を発するよりも早く、先に沈黙を破ったのは、朧から最も離れた場所に座る老人だった。
「…………儂らの罪が濯がれたと、どうして決められようか」
ぽつりと声を落とし、次いで老人は、ぎっと朧を睨みつけた。
「罪が赦されたならば、山神様からそのような沙汰があるはずだ。それがない以上、儂らの罪は未だ償い切れておらず、贄は必要なのだ」
「……さて、それはどうでしょうか。例えば、神が供物を貰うことに味を占めただとか、実はもう神はいなくて、他の何かが取って変わっているだけだとか、そういう例はいくらでも、」
「余所者が知った風な口を効くな!」
朧の言葉を遮って、老人が激昂した。年老いた顔に嵌まる両の目が、器に似合わぬ苛烈さでもって朧を
「物見遊山にやってきただけのお前に何が判る!? 儂らは長い間こうして生きてきたんだ! 皆で議論し贄を選び、それが誰であろうと山神様へと送り届けてきたんだ! だからこそ今がある! だからこそ儂らはここに生きている! お前はそれを愚弄する気か!」
叫びながら朧に飛び掛かろうとした老人を、傍にいた数人が止めに入った。だが、止めた人間もそれ以外の人間も、朧に向ける目は一様に冷たかった。
黙ってその視線を受け止めた朧に、隣の長が小さく息を吐いてから、そっと呟く。
「……記録を読まれた薬師様ならばご存知かと思いますが、ひとつ前の儀式は、八十年ほど前に行われました。……そのときの贄は、あの者の母だったのです」
言われ、朧は頭の中で記録を辿る。確かに、資料にあった一番新しい儀式は八十年前のもので、その贄はキヨという名の女性だった。
判りやすい悪循環だ、と朧は内心で零す。
贄とは、山の神に捧げられ、里を守るために失われた命なのだ。それが全てであり。それ以外の結果は受け入れられない。受け入れてしまったが最後、それまでに失われた命の意義が失われてしまうから。
いや、もしかすると、もっと人間らしい理由なのかもしれない。皆の表情を見る限り、恐らくこの里の人間は誰もが例外なく、何かしらの形で代々の贄と関わっている。だからこそ、一抜けを許さないのではないだろうか。
皆が苦しんでいるのだから、この先に生まれる新しい命たちも同様に苦しむべきだ。自分たちは苦しんだのに、この先の命がそれをしないのは不公平だ。そういう、己の不幸を他者にも求めることで心を保とうとする人間は珍しくない。少なくとも朧はそういう人々を何度も見てきたし、今ここで繰り広げられている光景は、それによく似ている。
なんにせよ、この老人の叫びによって、里の人間たちの気持ちは固まってしまっただろう。
「……薬師様、やはり、このお話はなかったことにしてはいただけないでしょうか。我らにとって、山神様は畏れ敬うべきお方。その山神様を疑うような考えを薬師様がお持ちなのでしたら、薬師様の意見を受け入れる訳にはまいりません」
上辺は恐縮した様子で、しかしはっきりとした音で言われたそれに、朧が僅かに目を細める。
(やはりそうなるか)
憤りも落胆も何もなく、ただ淡々とした気持ちで、朧はそう思った。
ちらりと人々を見れば、誰もが同じ顔をして朧を見ている。これ以上余計なことをするな。早くこの里から出て行け。言語化するのであれば、そんなところだろうか。
「……そうですね。里の皆さんを貶めるような意図はなかったのですが、私が軽率でした。どうかお許しください」
そう言って頭を下げれば、里長は少し慌てたような素振りで、いえ、と言った。
「謝罪をされる必要はないのです。こちらこそ、折角の善意を無下にすることとなってしまい、大変申し訳ない」
「いいえ、私の身勝手さが招いたことです。どうかお気になさらず」
そう言ってから、朧は次いで人々の方へと目を向けた。
「皆さんにも、無駄な時間を使わせた挙句に不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。私からお話することはもうありませんし、私はこれで失礼しようと思います。この後は儀式についての打ち合わせを行うと伺いました。部外者がいるべき場ではないでしょう」
そう言って改めて頭を下げた朧に、人々はなんとも言えぬ表情を浮かべたが、そんな彼らに対してふわりと微笑んでから、朧は立ち上がって寄合所を出た。
外の空気は相変わらず冬の冷たさを以って肌を流れるが、あの籠もり切った空間よりはよほど心地いい。そんなことを思いながら、朧はひとつ伸びをしてから歩き出した。そして、嫌でも視界に入る山にぽつりと呟く。
「……まったく、周到なことだね」
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