言の葉紡ぎ 1

「私は貴方に何度も切って殺されました。責任を取って、私を引き取ってください」





 ここの村から山の向こうの大きい村に行くために通る峠のことなんだけど。そこは、急いで行っちゃあいけないのよ。

 そこを急いで走っていると、今まで何にもなかったはずの場所、すぐ目の前に、ソレは突如として現れる。

 ソレは不定形でさ、確かな形を持ってない上に、なんだかもやっぽくって姿は判然としない。絶えず流動するように形を変え、どことも知れぬ口から言うんだ。

「私は貴方に何度も切って殺されました。責任を取って、私を引き取ってください」

 なんのことやら、って感じだろう? そんないきなり切り殺されたとか言われても、よっぽどの悪人でもなけりゃ覚えはない。

 でもやっぱ、みんな大抵そこで逃げ出すんだな。後ろ暗くなくたって、得体の知れないものにそんな、殺したんだから責任取れとか言われたら恐ろしいよ。そりゃあもう一目散に逃げ出す訳だ。

 ところがこれが、逃げられない。ソイツはどこまでも追いかけてきて、度々に繰り返すんだ。私は貴方に殺されたから責任取れって、同じ言葉を何度もね。そんで、言われ続けた奴は最後にゃ死んじまう。心臓が止まっちまうんだよ。

 いつだかに、早駆け自慢がね、なれば俺がそんな化け物引き離して無事帰ってくれようぞって。無謀にね、挑んだこともあったよ。その、例の峠を走ってさ。当然のようにソイツは出て来て、逃げ出したその男を追いかけるわけだ。早駆け自慢の男は勿論振り切れるつもりで挑んだのに、ソイツは全然離れずぴったりと、距離も変わらず着いて来たみたいでね。こうなりゃ自棄やけだと走って走って、走り続けて、結局男は心臓を破裂させて死んじまった。

 それでまぁ、逃げるのが駄目なら、化け物から隠れて通ってやろうって話もあったが、これまた旨くなくってね。ちょいとばかし峠の道を外れて、木々に茂みにと身を隠して行ったのに、なんでだか見つかっちまう。そうなったらもうおしまいよ。ま、殺した責任を、とか言ってんだ。こそこそしてりゃあ、暗いところあるって思われるのも仕方ないわな。きっとアレは目が良いんだろうね。まあ目があるかどうかも知らないんだけどさ。

 それでね、そんなこともあって、逃げるのは駄目、隠れるのも駄目と。なら、いっそ言うことを聞いてやれば良いんじゃないかって、そういう奴も出てきてね。責任取れって言われて、応と返してやったんだとよ。

 でも駄目だった。返事をしたら、その途端、そいつはばったり倒れて、そのままさ。死んじまってた。責任取らされたってことだろうね。

 そんなんならもう、そこの峠は通れないのかって思うだろう? 山を越えるための道はあそこしかないっていうのに、そんなのはあんまりだ。

 でも、実は一つだけ、ソイツに出会わずに済む方法があってさ。

 簡単なことなんだ。ただ、心を落ち着かせて、ゆっくりと通過すればいい。隠れたり、急いで走ったりすると駄目だ、殺されちまう。焦らずゆっくりと、なるたけ自然体で通るのさ。そうやって逃げも隠れもしないで堂々としてりゃあ、後ろ暗いことがないと思われるのかね。何故だか素通りできるんだな。

 だからこの村の連中は、山を越える時は休憩も多めに、時間もたっぷり確保して、ゆっくり落ち着いて通るんだ。誰も死にたかないからね。

 事情を知らない、向こうからやって来る奴らのために看板も立てた。この峠は急いで通るな、変に身を潜めて行くな。さもなくば化け物に取り憑かれて死ぬぞって。心を落ち着けてゆっくり通れば、化け物は見逃してくれるんだぞってね。

 村の連中も流石に心得てて、死人は減ったよ。それでも、あんたらみたいな旅の奴には、たまにいるんだよな。ここでの忠告も看板の言うことも聞かないで、峠で化け物に殺されちまう奴がさ。ほら、飛脚とかが特にそうさ。まぁ、気持ちは判らんでもないけどね。あの山を越えるの、結構時間かかるからさ。なんか用事があって日暮れ前に山越えしたいとか、そういうこともあるんだろうよ。夜になれば、多かないが獣も出るしね。だからってまぁ、死んじまったら用事もへったくれもないのにねぇ。

 兎に角そんなわけだから、あんたらも気をつけなさいよ。こそこそ行くなんてこたぁ、わざわざしないだろうけど。くれぐれも急いじゃあいけないよ。死にたくなかったらね。





 村人の話を聞いた椿は、自分の腕をそっと摩って憂いの表情を浮かべた。話に出て来た峠を通る必要があるから、ではない。

 今は対処法が見つかったと言うが、それを見つけるまでに一体何人が犠牲になったことだろう、と考えてしまったのだ。それに、対処法が見つかったとは言え、峠への恐怖が完全になくなるわけではない。峠を越える度に死の恐怖に怯えているのだろう村人たちを思うと、とても愉快な気持ちにはなれなかった。

 どうにかできないものだろうか。そう思った椿が傍らの薬師を見上げれば、彼はなんとも言いがたい顔で、何かを思案しているようだった。

「朧さん?」

 首を傾げた椿が薬師の名を呼べば、彼は椿へと視線を落とした。

「うん? ああ、いや、なんでもないよ。それよりも椿くん、山を越えるのに時間がかかるのなら、今日はこの村で泊まらせてもらおうか。今からじゃあ、峠を越える前に日が暮れてしまいそうだ」

 朧がそう言うと、今しがた峠の話をしてくれた村人が、それならうちに来ると良いと二人を誘った。

「小さいが、うちは一応宿をやっているんだ。ぜひ泊まりに来ておくれよ」

「ああ、それはありがたい。それじゃあ泊まらせて貰おうか、椿くん」

「はい」

 朧の言葉に、椿も頷く。朧の言う通り、空の太陽はもう西に傾き始めている。まだ夕暮れ時には遠いが、念のため朝を待った方が良いだろう。

 案内するという村人の後を追い、二人は早めに宿に行くことにした。

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