少年と薬師 3

 到着が遅れたと謝罪する朧に対し、椿は柔らかく笑んで首を横に振った。

「いいえ。朧さんが助けに来てくださると、信じていましたから」

「それでも、怖いものは怖かったはずだよ。そこの君、五郎くんだったかな? 君にも怖い思いをさせてしまったね。でも、もう大丈夫。あとの始末は私がつけるから」

 目が潰れるほどの美形にそう言われ、五郎は慌ててこくこくと頷いた。何か言葉を発するべきだとは思ったのだが、声も出なかったのだ。

「さて、それで貴女のことだけれど、どうしたものだろうね」

 そう言って朧が見た先では、手足をなくした化け物が地面でもがいている。肉塊に乗った顔は血の涙を流し、朧をねめつけて憤怒の限りを詰め込んだような怨嗟の叫びを上げていた。最早言葉なのかどうかすらも判らない支離滅裂な声に、朧は少しだけ困ったような表情を浮かべる。

「ここにあの二人以外の子供はいないし、赤子もいないよ。だから水子なんて生まれようがない。……ごめんね。さっきの唄は、貴女を惑わすためのものだったんだ」

 諭すようにそう言った朧だったが、きっとその言葉は届かなかったのだろう。再び奇声を上げた化け物の全身から、無数の手足がずるりと生える。切り落とされる前よりもずっと多くなった手足に、五郎はひっと悲鳴を上げて椿にしがみついた。

 だが、朧に襲い掛かるかと思われた異形の動きがピタリと止まる。化け物が苛立ったような咆哮を上げたことから察するに、自身の意思で止まった訳ではなさそうだ。そう思った椿が朧を見れば、彼はいつもと変わらない柔らかな表情を浮かべたまま、異形を見つめていた。

「影踏みは、子供の遊びだったね」

 その言葉に椿がはっとして朧の足元を見る。草履を履いたその足は、月明かりに照らされて生まれた化け物の影を踏んでいた。

「貴女は子供のことをよく知っている。だから当然、この遊戯についても詳しいだろう? それなら、私は絶対に逃がさないよ」

 影を踏むことで相手の動きを封じているのだと、椿がそう気づくまで、少し時間が必要だった。なにせ朧は多種多様な術のようなものを使うため、椿もまだ知らないものが数多く存在するのだ。

 影を縫い止められて身動きが取れないでいる異形に対し、朧はそこに佇んだまま言葉を続ける。

「村で色々と貴女に関する話を聞いたよ。最初は私も、攻撃的な妖しの類かなと思ったんだけれど、それにしてはいなくなる子供に法則性がありすぎた。判る範囲で調べた限り、比較的裕福な家の子供はいなくなったことがなかったんだよ。つまり、明らかに子供の選択が行われている。そこにどうにも引っ掛かりを感じてね。それで、あの村に残っている資料をざっくりと洗ってみたんだ。そしたら、数十年前のこの森にはとある神社があったことを知った。とても小規模な、けれど村人に愛されていただろうことが察せられるお社だ。最近は存在も忘れ去られているようだったけれどね」

 朧の言葉に、椿も思い出す。そう言えば、村で見せて貰った書物などの中に、森の神社について書かれたものがあった。確か、そこに記されていたのは、

「……安産祈願の、神様」

 ぽつりと呟かれたその声が届いたのだろう。朧が椿を見て、こくりと頷いた。そして化け物に向き直り、少しだけ悲しげな表情を浮かべて口を開く。

「そう。……貴女の正体は、その安産の神様だね」

 朧の問い掛けに、しかし異形は答えない。ただひたすらに呪詛のような音の羅列を吐き続け、朧の拘束に抗おうとするのみだった。

 そんな異形の元へと、朧が一歩ずつ近づいていく。決して両足が同時に影から離れる瞬間が来ないようにと、注意を払いながら歩いていけば、ものの数歩のうちに異形の元へとたどり着いた。そしてその白い指先が、ぶくぶくと膨れた肉の塊にそっと触れる。

「思い出してごらん。貴女が本当は、何のために生まれた存在だったのかを」

 そう言った朧の指先から、細い光の筋が溢れだした。まるで銀糸がほどけるかのようにしゅるしゅると伸びたそれが、異形の肉に巻き付いていく。そして、光の糸は見る見るうちに異形をすっぽりと覆ってしまった。

 そこで、朧が椿の方へ顔を向けた。椿が不思議そうな表情を浮かべているのが判ったのだろうか。

「神様というのは、基本的に概念だからね。人がそう望めばそう在ってしまうんだ。だから、こうして人の思いによる変質を取り除いてあげるんだよ。本人が自ら引き起こしたものを無に帰すのは難しいけれど、他からの干渉だけならば、そんなに大変なことじゃないんだ」

 朧はそう言うが、それすらも椿では想像がつかないほどに難しいことである。少なくとも椿は、朧以外にこんなことができる存在に出逢ったことがなかった。

「……先程あの神様の手足を切り落としたのは、朧さんですよね?」

「その通り。かごめ唄を使った、ちょっとしたまじないみたいなものさ」

まじない、ですか?」

「うん。かごめ唄の由来には諸説あってね。今回はその中の二つを利用したんだ」

 椿以上に何の話をしているのかさっぱり判らない、といった顔をしている五郎に、朧がにこりと微笑みかける。

「君もかごめ唄は知っているかな?」

「う、うん」

「あれも子供たちの間で有名な遊びだものね。だから今回は役に立ったんだけれど」

 朧の言葉に、椿もまた首を傾げた。理解が追い付かないらしい子供二人にもう一度笑ってみせた朧が、銀糸に覆われた異形を見る。

「あの神様は安産祈願のための神様だから、子供に関連するものの方がよく効くんだよ」

「……では、今回利用した二つの由来というのは?」

「罪人の処刑にまつわる唄である、という説と、水子を表す唄である、という説だね。前者では本当は首が落ちる筈なんだけど、そこはうまく調整して標的を手足に変えたんだ。それが神様の手足を切り落とした仕掛け」

「水子の説は、どのように利用されたんですか?」

「あっちはもっと精神的な効果だね。安産の神様だから、水子の存在を仄めかせば気を逸らせると思ったんだ。実際見込んだ通りの効果はあったんだけれど、少し可哀相なことをしてしまったかな」

 朧の説明になるほどと納得した椿だったが、五郎の方はそうはいかない。唄の由来から何がしかのまじないを行うということ自体が意味不明だ。

 だが五郎が詳細を問おうとする前に、朧が異形の方に向き直った。そしてそれと同時に、異形を覆っていた銀糸がするすると解けていく。そしてそこから姿を現したのは、一人の女性だった。

 異常なほどに腹部が肥大してはいるが、先程のような明らかな化け物ではない。朧ほどではないが、美しい女性だ。

「ああ、それが貴女の本当の姿だね。……そしてその胎は、貴女の業か」

 朧の言葉に、女は口を開いた。

「……子供をね、安全に産ませてあげるのが私の役目だったの。人の子がそれを望むから、叶えてやるの。けれどね、そうして生まれた子たちの中には、大人になれずに死んでしまった子も多くいるのよ。私はどうしてもそれが耐えられなかった。……だって、望まれて産まれた子なのに。産まれ落ちるまで私が守ってきた子たちだったのに。……どうして死ななきゃならないの!? 事故で死んだ子もいた! 働きすぎて死んだ子もいた! 気に食わないからと親に殺された子だっていた! そんなのおかしいじゃない!」

 女が絶叫する度に、彼女の膨れた胎がぼこぼこと波打つ。

「だから! 私が子供たちを守るしかなかったの! 私が! 私が!」

 女の目からぽろぽろと涙が落ちる。しかし朧は、ただ静かに言葉を紡いだ。

「けれど、貴女に赦されたのは子が生まれ落ちるまでの間を守護することだけだ。貴女はそのための概念なのだから」

 朧の言葉に、また女の胎が波打った。

「そうよ! だから私は考えた! 考えて考えて考えて考えて! ようやく子供たちを守る方法を見つけたの!」

 そう言った女が、愛おしそうに自分の胎をさする。

「食べてしまえばね、良いの。全部食べて、お腹の中で守るのよ。それが一番安全なの」

 幸福そうに微笑んだ女に対し、朧はやはり少し悲しそうな顔を浮かべた。

「それで貴女は、子供を攫って食べるようになったんだね」

「ええ。だって子供を守るのが私の役目だもの。誰も子供を守れないなら、私が守るしかないじゃない」

「それは違うよ。貴女の役目は子供を無事に産ませることだ。それまでの子供を守るのは貴女の仕事だけれど、そこから先は貴女の仕事ではない。……自分でも良く判っている筈だよ。だからこそ貴女は自分の力では何もできないことを嘆き、食べてしまおうだなんて発想に至ったんだろう?」

 静かな声が、空気を震わせる。冷たいようにさえ思える声だったが、その中に深い悲しみがあるのを椿は知っていた。

「貴女が鬼と呼ばれるまでになってしまったのは、人々が貴女をそういう生き物であると思い、そうであると定義したからだけれど、そもそものきっかけは貴女自身だ。貴女が望み、貴女がそう在ろうとしてしまった。神としての道を踏み外したのは、貴女からだったんだ」

「だからなあに? だからどうしたと言うの? 何も変わらないわ。今も昔も、ずっとずっと、ずーっと、私は子供を守るだけよ」

 女の意志は変わらない。間違いなく狂っている彼女は、しかし疑いようもなく正気だった。だから朧は、悲しみの溢れる目をそっと閉じる。

「貴女は、もうとっくに自分の役目を見失ってしまったんだね。……それなら、私にできることはもうない。人々の想いが形作った貴女を正すことはできるけれど、貴女自身が描く貴女を変える権利なんて、私にはないから」

 閉じていた目を開けた朧が、懐から二対の石を取り出す。そして彼は、重苦しい息を吐き出すように言葉を紡いだ。

「……だから、私には貴女を救うことはできない」

 そう言った朧が、女の前で石をかちんと打ち鳴らす。石同士がぶつかり合った衝撃で飛び散った火花は、椿や五郎が瞬きをしている間に炎へと変わり、見る見る内に女に纏わり付いていった。

 思わず悲鳴を上げた五郎だったが、炎に舐められている当人は気にしていないような表情で朧を見ている。

「不思議な炎ね。全然熱くないわ」

「それはそうだよ。これは送り火だからね」

「送り火?」

「そう。貴女と、……貴女の子供たちを送る火さ」

 会話を続ける間にも女の肌は焼かれ、その皮膚がぼろぼろと零れ落ちていく。それは膨れ上がった腹も同様で、ついに肉が落ちきったそこからは、青白い光の塊のようなものがいくつも溢れて空へと昇っていくのが見えた。

 あっと小さな声を上げてその光を目で追った女だったが、追いかけようという様子はない。朧が影を縫い止めているからなのか、それ以外に理由があったのか。それは椿には判らなかった。

 炎に焼かれながら、寂しそうに悲しそうに光たちを見送る女は、もう朧たちなど見えていないようだった。ただ、その身が燃え尽きて消えるそのときまで、彼女はずっと、月夜に消えていった光を見つめていた。





 村の近くまで五郎を送った二人は、あと少しで村だというところで足を止めた。

「さて、五郎くん。ここまで来れば、もうあとは安全に村に帰れるだろう。私たちはこれで失礼するよ」

「え、いやいや、あんちゃんたちはおらのこと助けてくれたんだから、きちんと村でお礼しないと、」

 慌ててそう言った五郎だが、その声はやや震えている。必死に隠そうとしてはいるが、そこに恐怖が混じっていることを朧は知っていた。きっと、朧のことが怖いのだろう。もしかすると、椿のこともかもしれない。

 無理もないことだ。妖しと仲良くしようという人間は珍しい。きっと、人に害をなす妖しが目立つせいだろう。

 朧も椿も人に危害を加えようという気はないが、人でないというだけで人から忌避されることには慣れていた。この子など、助けられたことに対する感謝の念を感じているらしい分、まだ良い方である。

「いや、こんな時間にお邪魔するのも悪いしねぇ。やっぱりお暇することにするよ。ねえ、椿くん」

 朧の声に、椿もこくりと頷いた。

「はい。今夜は綺麗なお月様も出ていますし、散歩がてらもう少し歩くのも良いですね」

 にこりと微笑んだ椿に、朧も微笑みを返す。それでも五郎は食い下がったのだが、結局二人とも五郎に手を振って歩き出してしまった。その背を見て何度か躊躇った五郎は、しかし意を決し、遠くなっていく背中に向かって叫んだ。

「く、薬師様!」

 呼びかけに、朧が足を止めて振り返る。

「助けてくださって、ありがとうごぜぇました! ……で、でも……!」

 そこで、五郎が言葉に詰まったように口を閉じる。だが、自分を見る朧が何も言わずに次の言葉を待ってくれていることに気づき、彼はぐっと拳を握って口を開いた。

「あ、あの化け物が神さんなんだったら、それをあんな、簡単に倒しちまった薬師様は、一体何者なんですか……!?」

 それはきっと、得体の知れない何かに対する恐怖だったのだろう。正体が判らないというのは、それだけで酷く不安を与えるものである。

 そんな、子供故の浅はかさで発せられた純粋な疑問に、椿は思わず気遣うように朧を見上げた。しかし朧は数度瞬きをしたあと、自分を見上げる椿の頭を優しく撫でてから、五郎に向かってゆるりと微笑んで返す。


「私もそれが知りたくて、旅を続けているんだよ」





 薬師の朧と妖鳥の椿。二人の旅は、まだ始まったばかりである。

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