紅葉を食む人
=導入=
晩夏の香りが漂う今日、近隣の山に行った。これから赤くなるだろうもみじが緑色に輝いていて、美しいのに人がいない、そんな現状が何となく滑稽で、狭い山道を沿って頂上まで登っていった。
頂上からの景色は、特筆すべきほどではなかった。木々に囲まれ、日の光も満足に入らないその場所が、私は至極気に入った。
足元から聞こえてくる、ぱりぱりという軽快な音につられて目線を下へと落とすと、そこに黒髪のかつらが一つ、落ちていた。
当然不思議に思った私は、それを持ち上げる。かつらの中からもみじの葉が零れ落ちてきて、どうにも不気味だった。私はそれを拾った場所に捨て、風景を記憶に残す間もないままに下山した。
それ以来、私はあの山の頂上に足繫く通うようになった。
=起=
季節は秋、どうにもすっきりしない気持ちを抱えて、私はあの山に登った。あの日見つけたかつらを忘れることが出来ないまま、遂に二カ月の時が経とうとしていた。流石に私は観念して、胸のざわつきを押さえるために、あの場所でもう一度確認する必要があると感じた。
紅葉が山道を埋め、少し歩きにくくなっている坂を登り、私は頂上に着いた。かつらのあったあの場所、私が視線を向けたその先には、少年の生首があった。
生首と言っても、切り落とされた死体としての生首ではない。生きている生首である。生首は、それが置いてあるところの紅葉を口に含んで、咀嚼をしていた。飲み込むような仕草(首より上を切り落とされているので、実際に飲み込んでいるかはわからないものの、)をして、また口を開いて紅葉を食んだ。
ぱりぱり、ぱりぱりと軽快な音がする。私が恐る恐るといった体で近づいて行っても、視線を向けることはせず、ただ漫然と紅葉を食べ続けている。
三十分ほど、私はその生首を観察していた。それが私に何をもたらすのか、測り兼ねていたがためである。じきに私は、その生首が紅葉を食むだけの害のない存在として(これが異様な解釈であることはさておき、)認識するようになった。
私は、少年の髪を掴んだ。若さの象徴ともいえるさらさらとした髪が、指に食い込む。力いっぱい引っ張ると、少年の首が地上から離れて、慣性に従って紅葉がはらはらと舞った。私が持ち上げている間も、少年はただ、ずっと咀嚼をし続けていた。口が空になっても、口を動かし続けていた。
私は馬鹿らしくなってきた。
その少年を放って、紅葉の雨の中、私は座り込んでもみじ狩りをした。
その間も、少年はひたすら紅葉を食べ続けていた。
=承=
私は、時折少年のことを思い出して、その山に登った。
段々と色づいていく紅葉に、付近の観光地には人が増えていくが、その山にはやはり、誰も来なかった。
どのようなタイミングで私が尋ねようとも、少年の首はひたすらに紅葉を食べ続けていた。それは、誰かに強制されてというよりは、自然の摂理とでも表現したほうがいいような光景だった。
段々と、もみじが紅に染まっていく。
それに従って、少年の首も赤く染まっていく。
少年が紅葉を食べるごとに、少年の体は顕在化していった。
まずは首、そして肩、胸、上腕と、本当に少しずつではあるが、少年の上体が見えるようになってきている。
私は心のどこかで、少年の体が「人間らしい」ことに安堵を覚えていた。この不可解な存在は、私の、ひいては人類の理解の範疇であるということに安心を感じた。
それでも少年は、折角の肉体を動かすこともなく、そこに降ってくる紅葉をただ食べ続けている。私はそれに慣れてきて、時折少年の首を移動させて、紅葉のより多いところに動かした。心なしか、少年が喜んでいるような気がしたからである。
相手のことが分かると、こちらもどのような態度を取ればいいのかが分かる用になってくるものである。するべきことが分かれば、自分の行為が意味あるものとして認識でき、少しずつ愉快になってくる。私が山に行く頻度は、秋が深くなるほどに上がっていった。
私の生活の中に少年が浸透していくにつれて、私の夢の中に少年が出てくるようになっていった。夢の中の少年は、体こそ動かさないものの、若干の感情表現と意思疎通が可能だった。
そのような夢を見、目が覚めて私は、「実際の少年と夢の中の少年の乖離」に酷く悩まされた。夢の中の少年は、御しやすいものであった。実際私の夢の中で、少年が他の人間に仕えている、そんな夢を見た。私は、困惑した。それが少年の姿ではないと、私には分かり切っていた。
=転=
私が例のように家を出、山に向かう準備をしていると、隣人が話しかけてきた。
普段話すこともない隣人に声を掛けられて、私は少なからず身構えた。含みがありそうな表現でもって、男は、私に「いつもどこへ向かっているのか」と聞いた。私にそれを隠す理由はなかった。「もみじ狩りです」。それだけ言って、また山へ向かった。
少年は、へそから上のところまで露になっていた。私は、少年がどこまで「人間の範疇にあるか」が気になって仕方がなかった。人間の人間たる部位、あるいは生物としての部位、そこが理解できれば、私は少年と共存できるような気さえした。
次の日も、私は山へ向かう。山の麓に、なぜか隣人が居た。その隣には、私の知らない老人がいた。老人の身なりは小綺麗で、山に登るというよりは金を稼ぐというなりをしていた。
私に彼らにかまう理由はないので、少年のところに向かった。これまでの経験から立てた予想では、少年の体が顕在化するのは時間の問題だった。頂上に至ると、後ろから走ってくる隣人に追い抜かれた。老人も揃って着いてきた。
隣人は少年の首を掴むと、力を入れて引き上げた。少年が脱力したまま口だけを動かしている。紅葉がはらはらと、少年の口から舞い落ちた。
少年の上体を見、老人は満足げに笑う。隣人と何かしらを協議した後、隣人は少年を地に捨てた。次の瞬間、どこから持ってきたのかも分からない斧で、少年の首を切り落とす。血も悲鳴も、何も出なかった。老人は隣人に命じて、少年の体だけを持ち帰らせた。少年の首だけが、その場に残された。
私はその場から立ち去るべきではないと判断した。少年の、ゆっくりとした咀嚼を見続けた。雨が、降ってきた。夜がやってくる。私はその場に座って、生首を凝視し続けた。私以外に、少年に目を向けられる人間はいなかった。
=結=
時間を経るごとに、少年の咀嚼は遅くなっていった。呼応するように、雨が次第に強くなっていく。太陽が昇って、私は、雲がないのに雨が降っているという事実に気が付いた。異常な事態が起こっていると、直感的に理解した。その原因が少年にあるということも、なんとなく飲み込めた。
少年の顔から、段々と赤みが引いていくのが分かった。私が出来ることは何もなかった。ただ、私はその様子を見続けていた。
昼になって、それでも雨は止まなくて、私は少年の頬に触れた。瞬間、少年の顔が砂のように崩れ、その場に骸骨だけが残った。私は、そこにいる理由を失くした。
山道を下り、雨の中私は家に帰った。途中に崩れている家や干からびた小川を見て、どうやら全部が終わったのだと知った。それでも人間は街を歩き続けていた。その中の誰もが、少年の存在を知らないということにある種の滑稽を感じて、私は大声で叫びたいような気持になった。雨は更に強くなっていった。
玄関に着いた。私の家も御多分に洩れず倒壊していた。しかし、これだけ雨に打たれて、今更屋根など求める気もなかった。
家に入る直前に、隣人の玄関が目に入った。庭に「売り出し中」と書かれた看板が立っており、私は納得した気分のまま家に入った。私も少年を忘れ行くだろう、そんなことを考えて眠りについた。朝は二度とこなかった。
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