書籍版刊行記念特別短編 呪われたデビュー作

こちらは4/24発売になる本作の特別短編です。後日談となっておりますので、本編最終話読了後にご覧になることをオススメします。

―――――――――――――――――

 私のデビュー作が刊行されて一週間。

 特に私生活に変化はない。

 著書が出たことで怪談ライターや作家、編集者として一躍有名になったわけでもないし、操山出版以外の版元から執筆依頼が来たわけでもない。

 少しだけ懐が潤い、山城と古川になんだか気まずい飯を奢った。そのくらいだ。

 私の出版祝いなのに、私が奢るのか? という疑問も僅かながらに抱いたが、後輩たちに奢らせるのは気が引けたので結局払いたいと申し出てくれた二人を制止して私が出した。

 料理も酒も味は覚えていない。付き合っているはずの二人が時々なぜか敬語で会話をするたびになんとなく苦みを感じたのだけは記憶にある。

 ともかく本が一冊出たくらいでは人生なにも変わらないのである。



 今日ももはやバイトを辞めたはずの操山出版の片隅で、ノートパソコンに向かって記事を書いている。


「先輩の本、売れてるんですか?」


 私の身代わりにバイトで入った山城が訊ねてくる。


「知らないけどたぶんあんまり売れてないんじゃないか」

「そうなんすか?」

「だって売れてたら重版とかするもんだろ。でも別に何も言われてないし」

「どのくらい売れてるか気になりますね」

「いや、別に」


 正直、本が出たことに満足してしまっていて、あまり売り上げには興味がなかった。というより意図的に目を背けていた。

 新人の怪談集なんてそうそう売れるものでもないだろうし、気にしない方が精神衛生上良いに決まっている。


「俺、後で東さんに売り上げ聞いときますよ」


 全然売れてなかったら、興味がないと自分に言い聞かせているのに傷ついてしまいそうなので、山城の申し出は正直ありがた迷惑なのだが、拒否するのも不自然なので曖昧に頷いた。


「あ、そうだ。俺、サークルで宣伝しときますよ。もしサークル員が買ったらサインとかもらってもいいですか?」

「サイン? そんなもんない」

「ないんですか? プロなのに?」

「ただ本が一冊出ただけの大学生だよ」

「先輩は謙虚ですねぇ。でも俺も書いてほしいですし、サイン作りましょうよ」

 こういうのは謙虚ではなく卑屈という。

「嫌だよ。面倒くさい。普通に名前書くだけならいいけど」

「お願いしますよ、カッコいいサイン作ってくださいよ」


 そもそもサインのデザインというのはどうやって作るものなのか。作家や芸能人は自分でデザインを考えているのだろうか。専門のデザイナーがいるのかもしれない。


「気が向いたらね」


 そう返して話を打ち切ると山城は諦めたのか立ち上がり、郵便物の仕分けを始めた。

 請求書は杉本さんのデスクに、他社から届く見本誌は見本誌棚に、ファンレターは一旦アルバイトの山城が開封してライターや作家宛てに転送する。


「あ、米田さん宛てにファンレター来てますよ!」


 山城が宝を掘り当てたかのような声で報告してくる。


「米田君、良かったじゃない?」


 黙々と事務仕事をしていた杉本さんが山城の声を聞いて、顔を上げた。


「変わり者もいるものですね」

「素直に喜べばいいのに」


 本音を言えば、ちょっと嬉しかったが、気恥ずかしくて喜びを表に出すことはできなかった。


「見ましょう見ましょう」


 山城はカッターで丁寧に封筒を開くと、私のデスクまで持ってくる。

 杉本さんも仕事の手を止め、わざわざこちらにやってきてしまったので、三人で読むのは決まりのようだ。


「開けますよ」

「あぁ」


 山城が封筒から手紙を取り出すと、何の変哲もない送り先だけが書かれた白い便箋に短くこう書いてあった。


『お前の本は呪われている。気をつけろ』


「ファンレターじゃないじゃないか」

「えーっと、なんすかね。これ?」

「米田君の本が呪われてますよっていうお知らせ?」

「嬉しくないなぁ」


 どうやら私のデビュー作は呪われているらしい。


     〇


「ちょうどいいな。よし取材がてら、お祓い行ってこい」


 矢田部編集長が言った。


「はぁ」

「お前、本出てからパソコンぶっ壊れたり、風邪ひいたり、財布落としたり散々だろ。あの手紙の送り主の言うとおりなのかもしれん」


 最近ツイてないと感じる出来事が続いているのは確かだ。

 偶然が続いただけだと自分に言い聞かせてはいたが、呪いの可能性もあるのだろうか。

 一度、オカルト体験をしてしまうと何が本当で何が嘘なのかわからなくなって困る。

 ちょっとしたことでも異界の存在を感じてしまうが、いちいち気にしていては日常生活もままならない。


「本当に呪われてるなら、何千冊も呪いをばら撒いたことになるからな。その報いを受けてるのかもしれん」


 ――報いって。悪いのは僕じゃなくて操山出版だろ ?


「矢田部さん、そういうの信じてないでしょ う。たしかに曰く付きのエピソードをまとめたものではありますけど、考え方によっては矢田部さんが僕に書かせてばら撒いたとも言えますからね」

「屁理屈をこねるな。不幸が降りかかってるのはお前の方なんだから、お前が呪われてるんだろ。とにかくネタにするのにちょうどいい。ほら、ここに連絡しておいたから言ってこい」


 既にこちらの意思も確認せずにアポイントを取られてしまっていた。それならすっぽかすのも相手方に申し訳ないし、一本記事を書くこともできるので、私は汚い字で書かれたメモを受け取り、操山出版を後にした。


 矢田部さんの指定した場所は都内にある何の変哲もない四階建てのマンションだった。 古びているわけではないが、築年数はそこそこ経っていそうに見える。


 ――しかしお祓いって神社とかじゃないんだな。


 オートロックが付いているわけでもなく、そのまま指定された402号室まで行き、インターフォンを鳴らす。

 今回紹介してもらった人は面識がない。どういった人なのだろうか。


「はい」

「操山出版の矢田部からご連絡がいっているかと思いますが、ライターの米田と申します」

「開いているので入ってください」


 私は言われるがまま、中に入る。

 中も外観と同様にこれといって変なところはない。靴は黒いパンプスが一足だけ。広々としているわけではないが、一人暮らしであれば十分な広さがありそうだ。

 短い廊下を抜け、突き当りのリビングルームの扉を開ける。


「失礼します」


 部屋全体が黒を基調としているが、部屋が南向きで高い建物が前に建っているわけでもないので、あまり暗いという印象は受けない。


「いらっしゃい。あなた、大変なんですって?」


 私を出迎えてくれたのは、自分の母親ほどの年齢に 見える女性で、松木と名乗った。

 促されるまま黒い革張りのソファに腰掛ける。


「大変、といいますか。まぁ、そうですね。松木さんはその、霊能者……なんですか?」


 そこまで大変というわけでもなく、なんとなく運が悪いなというくらいことだが、否定していては話が進まない。


「そうね、霊能者とは名乗っていないけど、なんとなく嫌なものがわかるって感じかな」

「はぁ、矢田部さんからはどう聞いてます?」

「あなたが出した本が呪われてるから見てやってくれって」


 なるほど。そこまで通ってるなら話が早い。


「呪い、というものが仮にあるとして、それを消してくれると考えていいですか?」

「ケースバイケースかな。できることもあるし、できないこともある」

「えーっと、ケースバイケースですか」

「大抵の場合はただの勘違いね。ちょっと嫌なことが続いたら、それを呪いのせいにして相談に来る人が一番多いから」


 私の場合もそういうことなんだろうと思うが、はっきりそう言ってもらえるとありがたい。

 それはそれで記事になるし構わない。


「僕もそうなんだろうなとは思います」

「ともかく視てみないとわからないから。出してみて」


 私は鞄を開けて、著作を取り出し、ガラスのテーブルに載せる。

松木さんはどこかよそ見をするような感じで、本を見ているのか見ていないのかわからない。


「別にその本から何も嫌なものは感じないかな」

「やっぱりそうですか。気のせいでしたかね」

「でもね、鞄の中に入ってるお手紙からは嫌なものを感じる」

「え?」


 手紙の話はしていない。矢田部さんから聞いたのだろうか。いや、だとしても鞄に入れているとはわからないはずだ。

 私は訝りながらも封筒を取り出して、テーブルの上に置く。


「燃やしちゃえば大丈夫。あ、燃やしちゃっていい?」

「あ、はい」


 彼女はガラスの灰皿とライターを棚から取り出すと、手紙を摘み上げ火を点けた。

 特にお祓いとか儀式的なものはないらしい。

 手紙は燃え尽きるまでに思ったよりもずっと時間がかかり、髪の毛が燃えるような嫌な臭いがした。


「これでもう変なことも起こらないんじゃないかな。多分ね」

「ありがとうございます。なんだったんでしょうか、あの手紙」


 私は何か恨まれるようなことをしただろうか。

 心当たりはまったくなかった。


「あんまり深く考えない方がいいんじゃないかな。載ってた怪談を読んで何か思うところがあったのかもしれないし、身近な人かもしれない。でもそんなのわからないし、わからないことをずっと考えてたら疲れちゃうでしょ」

「そうですね」


     〇


「米田さん」


 数少ない講義を受けるために大学に行く途中で後輩の古川に話しかけられた。


「あぁ、古川か」

「お久しぶりです」

「こないだ飲みに行ったばかりだろ」

「それ結構前ですよ。本出てからは会うのはじめてです。サインもらっていいですか?」


 古川は鞄から私の怪談集とペンを取り出して渡してくる。


「サインとかないからただ名前書くだけになるけど」

「それでもいいですよ。あと瑠華ちゃんへって書いてください」

「漢字がわからないから、書いて」


 彼女はノートを取り出し、空いたページに自分の名前を書いて見せてくる。


 ――画数多くて、書くの面倒くさい名前だな。


 私はそう思いながら、文庫にサインを入れる。

 古川の字はあの呪いの手紙の字に少し似ているような気がしたのだが、もう燃やしてしまったし、そんなことを考えていると疲れてしまうので忘れてしまうことにした。

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