煌炎 4
そうして改めて辺りを見渡してみて、男は少し顔を顰めた。
先ほど魔物が出現した辺りに、魔導陣が光っていたのだ。何の前触れもなく魔物が現れたことに疑問を抱いていた男だったが、これで合点が行った。魔導に詳しくない男には、あの魔導陣が持つ正確な効果は判らないが、魔物を召喚する召喚陣のようなものだという解釈で、概ね間違いないだろう。つまりこれは、何者かが意図的に引き起こした事件なのだ。
似たような陣は、きっと多く仕込まれていたのだろう。会場の至る所で、火の手が上がっている。だが、それだけではなかった。驚いたことに、遥か遠く、恐らくは首都ギルドレッドの最端に近いあたりでも、僅かだが燃えるような赤色が見える。
「風霊。あれは何だ」
男の声に、風霊が囁く。
曰く、貿易祭で事件が起こる少し前に、首都の外れの四方で火の手が上がったらしい。風霊も把握しきっている訳ではないようだが、やはりこちらも未知の魔物の出現を伴っている恐れがあると、彼女たちは言った。
「なるほど」
中心部からですら確認できるほど大きな炎が噴き上がっているということは、向こうは向こうで大変なことになっているのだろう。そして、魔物が貿易祭を襲うよりも早くそれが起こったとなれば、当然兵力が割かれるのはあちらである。
つまり、郊外で上がった火の手は囮だったのだ。
そもそも、ギルガルド国王はまだ幼くとも王の器であると男は思っている。その国王の膝元における交易の場で不測の事態が生じたところで、国王直属の近衛兵などの迅速な投入により、混乱はすぐに収束するはずだ。それが、未だに近衛兵が来た様子が見られない。このことから察するに、恐らくは先んじて生じていた四方の戦火の鎮圧に努めたのだろう。大事な貿易祭の最中だ。いくら会場から遠く離れているとは言え、首都を脅かす事件は素早く処理するに限る。故に、金の国王はすぐさま動かせる兵の多くを四方の処理に使ったのではないだろうか。
それに、この距離で判るほどの戦火だ。仮に外れでの襲撃とこちらでの襲撃が同時に起こった所で、全てを対処しきれるほどの兵力を集めるのにはそれなりの時間を要するだろう。
それでも、聡明な金の王ならば、真っ先に貿易祭の保護に打って出る。それを知ってか、敵は貿易祭の場に集まる兵を限りなく抑えるために、このような時間差の攻撃を仕掛けたのだろう。それに加え、何の前触れもない突然の襲撃だ。さすがにこれは、若き国王の手に余る。
ふ、と息を吐いた男が、もう一度辺りを見回す。
会場の出入り口は一カ所ではない。人々は皆、思い思いの出口を目指し、中央の噴水から見て放射状に散り散りになっているようだった。そして、噴水の直下には、青白く光る巨大な魔導陣がある。魔物たちは、どうやら多くがそこから湧き出しているようだった。先程男が確認したような、魔物一体分くらいの小さな魔導陣は、人々が逃げるだろう先にいくつか設置されているのだろう。だが、いくら小さな魔導陣を壊したところで、中央のあれをどうにかしなければ、焼け石に水だ。そして、現状の兵力では人々を逃がすことで手一杯で、大元の魔導陣までは手が回らない、といったところか。
人の少ない場所を選んで地面に跳び下りた男は、先程の魔物が出てきた魔導陣を剣で一閃した。すると、じわりと陣が滲み、融けるようにして消え去っていく。
それを確認してから、彼は中心部を目指して駆け出した。先程魔物を倒して道を作ったせいか、さすがにこのルート上に残る人は少ない。他の場所はまだだろうが、この区画に居た人々は大方逃げおおせたのだろう。ならば。
「風霊、屋根の亀裂が気掛かりだ。崩壊と落下に備えて、何かあればすぐに対応しろ」
命に従い風が舞い上がると同時に、今度は一際強い声が空気を震わせる。
「火霊!」
駆ける脚を緩めぬまま呼べば、熱気が男の周囲でゆらりと揺れた。鎮火ならば水霊に任せるのが最良の判断だが、男は水霊との相性が一際悪く、水霊魔法だけは全く扱えない。風で火の拡大を抑え込む方法もあるにはあるが、風霊魔法を得意とする男でも、精々この会場一帯の炎をどうにかするのが限度だろう。
よって、ここで選択できる方法はひとつである。
「私の魔力であればいくら使っても構わん。首都全域に散り、全ての戦火に潜り込め。可能な限り存在を気取られぬよう、徐々にで良い。あらゆる炎を司る精霊の誇りにかけて、僅かな種火すら残さず鎮火してみせよ!」
びりびりとした威厳すら感じさせる声が、朗々と響く。その瞬間、男の足元から激しい炎が噴き上がり、たちまちに四方へと迸った。
「ああこら! 存在を気取られるなと言った傍から派手に飛び出る阿呆がいるか!」
人の話をきちんと聞けと苦言を呈した男に、炎の精霊たちは、やたらと撒き散らしていた炎を慌てて掻き消した。まったく困ったことだが、彼らは男の命を受けたことに歓喜し、はしゃいでいるのだ。そうでなくとも、火霊たちは四大精霊一活発で目立ちたがりやである。そこに大好きな彼からの頼みごとが加われば、こうなるのはある程度予想がついていた。
だから男は、身元を隠している時にはあまり火霊魔法を使わないのだ。だが、現状を打破するにはこの手段しかない。事実、奔った火霊たちは間違いなく仕事を成し遂げてくるだろう。郊外にそれなりの兵力があるだろうことを考えれば、これくらいの手助けで、あちらの騒動は比較的問題なく収まるはずだ。残るは、この場だけである。
貿易祭や人々への被害も気にならない訳ではないが、男が何よりも心配しているのは、刺青師の少年のことであった。
折角ここまで順調に事を進めているのだから、ここで全て無駄になるのだけは避けたい。丸々太らせた子山羊には、きちんと役目を果たすまでは生きていて貰わねば困るのだ。
飾りだった剣を携え、男は噴水の元を目指す。一部の火霊は、既にこの会場の炎の中に紛れたのだろう。己から僅かずつ魔力が喰われているのを感じた。
広大な首都の全域に渡り魔法を行使することなど、通常であれば長い詠唱を以てしても不可能なことだったが、男にとってはどうということではない。それどころか、詠唱すら必要のない程度には容易なことであった。
彼は、その魂を炎に愛されている。故に、炎が彼を傷つけることはなく、炎が彼を想わないことはない。だが、炎の愛情を存分に浴びて行使する火霊魔法は、すなわち、折角魔法で隠していた彼の魂の輝きが漏れ出てしまう行為でもあった。
その身の魔力を喰われるごとに、彼を覆っていた薄靄が晴れていく。髪の毛の先から薄衣を脱ぐように洗われていった先にあるのは、くすんだ炎のような色を湛える長髪。癖の強い赤銅色の髪は、ようやく晒された素顔に、とても似合っていた。
美形とは言えないものの、立派な体躯に見合う、精悍に整った顔。そしてそこに二つ嵌るのは、まるで炎を溶かし込んだように橙色がかった、金色の瞳。
身を覆う霧が全て消えた後に残ったのは、炎を思わせる男の姿だった。
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