煌炎 2

 夜の市に連れて行って貰う約束を(半ば無理矢理)取り付けた男は、満足して宿の床に入った。勿論、夜の市を見て回れることもそうだが、それよりも昨夜の功績が大きい。ようやく、カジノ客の口から『失せ物』についての情報を得ることができたのだ。

 聞いたところによると、男の探し物はよりにもよって、あのカジノの更に奥にあるらしいオークション会場で競りに出されるらしい。明確に『失せ物』である旨が聞き出せた訳ではないが、この世にふたつとない珍品中の珍品、という謳い文句に該当するものなど、他には浮かばなかった。

 しかし、さすがの男もこれには驚いてしまった。まさか相手がそこまでの暴挙に出るとは思っていなかったのだ。もしもオークションが開催されてしまったならば、いよいよ国家戦争ものだ。なんとしても、オークションという衆目に晒される前に、取り戻さなければならない。

 だが、オークションなどと言うそれなりに思い切った手段を選んでくれたおかげで、逆に発覚も早かったのだろう。どうやら一週間後に開かれるらしいそれを見据え、男は本格的に動き出していた。

 とは言え、一日中気を張っているのも馬鹿らしい。物事には動くべき時というものがあるのだ。そうではない時にいくらがむしゃらになったところで、状況が好転することなどない。

 という訳で、宿のベッドで十分な睡眠を取ってから、昼の市を覗きにふらりと外に出たのは、本当にただの物見遊山だった。店主と約束した時間まではそれなりにあるし、折角だから久々に貿易祭に顔を出すのも悪くないと思ったのだ。




 男が再び店を訪ねて来たのは、日が沈む少し前だった。扉を叩く音にひとつ溜息を吐き出して外に出れば、男が笑顔を見せる。

「それでは、よろしくお願いする」

「……はい。でも、僕はそんなに長居はできないと思うのですが」

「何故だ? 折角の貿易祭だと言うのに」

「人混みは苦手で……」

 相も変わらずの人工めいた笑顔を浮かべてそう答えた少年に、男はそうかと頷いて歩き出した。

 恐らくは、少年の歩幅に合わせて普段よりゆっくりと歩いてくれているのだろう。隣を進む大柄な男をそっと見上げれば、男はずっとこちらを見ていたのか、ばちりと目が合った。慌てて視線を下げた少年は、やはり居心地の悪さを感じずにはいられない。

 そもそも誰かと買い物に行くなど、何年ぶりだろう。だいぶ昔のそれだって、自分に刺青の刺し方を教えてくれた師匠とだった気がする。もしかすると、赤の他人と買い物に行ったことなどなかったかもしれない。

 そんなことを考えながら歩く少年だったが、夜の市に着くと、僅かだが顔を綻ばせた。人混みは苦手だが、夜の市で出会える染料には決まって極上のものがあるのだ。それだけでなく、昔から美しいものに並々ならぬ執着を持ちやすい少年にとって、リアンジュナイル大陸中からかき集められた稀少な材料たちは、とても魅力的だった。

 貿易祭が行われる会場はとても広い。一応屋外ではあるが、貿易祭を行うために建造された大きな屋根があり、雨を凌げる造りになっている。また、屋根にはギルガルド国の錬金術を駆使した装置が設置されていて、それにより、屋根の下の空間は一定の温度に保たれ、外からの風を遮るようになっていた。

 会場はいくつかのフロアに分かれていて、出品者たちはそれぞれに与えられたスペースに簡易的なブースを設けていた。客は皆己の求める品物があるフロアに行き、思い思いの買い物を楽しむのだ。とにかく出品側も購入側も人が多いため、人気の品を扱っているブースなどでは、長蛇の列ができあがることも珍しくはない。

 少年の目的は飽くまでも染料だから、取り敢えずは真っ先に染料のフロアに向かうが、道中でちらりと窺える品々は、どうやら普段にも増して珍しいものが多いようだ。これなら、少しだけなら長居して他のフロアを覗くのも良いかもしれない、という考えすらちらついた。

「ほう、炎華鳥の羽根に、ウンディーネの水衣、あちらに見えるのはゴーレムの核だな? どれもそう簡単に手に入るものではないが、さすがは貿易祭、と言ったところか」

「いえ、今日は特にすごいと思います。普段の貿易祭でも珍しい品を見かけることくらいはありますが、滅多に手に入らない品がこんなに沢山置いてあることなんて、なかなかありませんから」

「なるほどそうなのか。では、私は運が良いのだろうな」

 嬉しそうに笑った男に、そうですね、と適当な返事を返し、少年は先を急いだ。

 何せ、男はどうだか知らないが、少年はとても運が悪いのだ。買い物に行ったら欲しかったものが品切れだったり、帰りに恐喝にあってせっかく購入した品物を持って行かれてしまったり、数え出したらきりがない。故に、今日も急がなくては、珍しい染料がなくなってしまうかもしれない。

「あの、僕は染料のフロアに行くので、貴方はどうぞお好きなところを見ていてください」

「うん? いや、同行人ということにして貰う代わりに荷物持ちくらいはすると言っただろう。店主殿について行くが」

「いえ、付き合わせてしまうのは申し訳ないので」

 折角素敵なものに囲まれた空間に居るのに、男が隣に居ては台無しである。丁重にお断りすれば、男は存外にあっさりと引いてくれた。やはり、よく判らない人だ。

「それでは、また後で落ち合おう。場所は、……中央に大きな噴水があったな。そこでどうだろうか?」

「判りました」

 男と別れ、急ぎ足で目的のフロアに向かえば、少年の目に様々な染料が飛び込んでくる。見落としがないようにと少し時間をかけてフロアを巡った中で、一際強く少年の目を引いたのは、一角獣の角を削った粉末をたっぷりと含んだ染料だった。きっと、無色の染料に混ぜ込んだのだろう。真珠色のそれは、会場のライトの当たり方によって色を変えて煌めき、まるで虹をそのまま閉じ込めたかのように綺麗だった。

 話には聞いたことがあったが、少年も実物は初めて見た。想像以上の美しさに、ほう、と息を吐き出して見惚れてしまう。しばし人の流れを妨げていることにすら気づかないままその色に見入っていた少年は、思い出したように掲示されている値段を見て、別の意味で息を吐いた。

 ティースプーンふた匙で金貨一枚は、少年が手を出すには高すぎる。だが、それを理由に諦めるには、この染料は美しすぎた。

 散々悩んだ少年だったが、真珠色の染料以外で買おうと思っていたもののおおまかな見積もりをした結果、ふた匙分だけであれば、なんとか残りの手持ちで買えそうだという結論に至った。今月の生活は本当にギリギリになってしまうけれど、それでも、どうしてもあの真珠色が欲しかったのだ。

 結局、少年は自身の生活費を大幅に削って一角獣の染料を買うことに決めた。他の買い物を済ませているうちに売り切れてしまったら悲しいから、まずはこれを買ってしまおう。そう考えて少年は、商人に金貨を一枚差し出した。手持ちのリンカネット金貨はこれだけだ。残っているのは、ジュカイラ銀貨が十枚と,イルテアン銅貨が二十枚ほどだろうか。金貨は、銀貨で二十枚、銅貨で千枚分の価値を持つため、ふた匙ばかりの染料に金貨一枚をはたくのは、とても覚悟のいることだった。

 そうして手に入れた染料の小瓶を大切にしまい、珍しく少しほっこりとした表情を浮かべた少年は、買い物の続きをしようと再びフロアを歩き出すのだった。

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