潜入 4
相手が男のベットと同じ枚数の金貨を机に乗せたところで、ゲームが開始する。ディーラーの合図に合わせ、二人は交互に好きな山からカードを手札に加えていった。五枚になったところで一度ストップがかかり、男は改めて自分の手札を見る。まあ、判っていたし予想していた結果だ。特に驚くこともない。
男が普段と変わらぬ表情のまま見つめる先、大きな手によって扇状に広げられている五枚のカードは、全て縁が赤く彩られており、姫、王子、王妃、王獣、国王を模した絵が描かれていた。赤の国グランデル王国が一揃いになった上、上位から順に階級が揃っている、“赤国”という最上級の大役である。この手札に勝てる役は、四大国である赤青橙緑の王札に銀の王札が加わった“国始”などであるが、さて相手の方はどうか、と視線を上げれば、落ち着いた表情で微笑みを絶やさぬ顔が窺えた。どうやら相手もかなり遊び慣れている人間のようで、その表情から手札のほどを読み取ることは難しい。面白そうに勝負の行方を眺めている周囲の人間も、二人の手札がいかほどのものか、判断しかねているようだった。だが、
(ふむ。有り余るほどに自信に満ちているな。よほど良い手が揃ったと見える)
この男にとっては、関係のない話だった。
人の心というものは、どんなに隠そうとも隠し切れないものだ。呼吸のリズム、瞬きの回数、唇の濡れ具合、指先の僅かな震え、その他様々な身体的特徴を全て逃すことなく見れば、あらゆる生き物のおおよその思考が、手に取るように判る。増してや、男は日常的にそれを行ってきた人間だった。故に、今もはっきりと判る。今目の前にいる相手は、この上ないほどに最上の手を持っているのだと。
このゲームに絶対はない。だが、限りなく絶対に近い手が、ひとつだけ存在する。そして相手は恐らくそれを引き当てた。だとすれば、男が次に取る手はひとつである。
「チェンジはいかがなさいますか?」
ディーラーの言葉に、初老の貴族はわざとらしくゆっくりと首を横に振った。
「私はやめておこう。これで勝負させて貰うよ」
「承知致しました。そちら様は?」
「では、こちらは全てチェンジで」
持っていたカードをすっと机に伏せた男に、周囲が僅かにざわめく。
「おや、全て換えてしまって良いのかね?」
「ええ。残念ながら、あまり良い手ではなかったので」
言いながら、今一度男が手札を五枚引いたところで、ディーラーによって山札が回収された。
「それでは、手札を公開してくださいませ」
ディーラーの指示に待ちきれないといった風にカードを机に置いたのは、初老の貴族の方だった。表になったその柄に、周囲がおおっとどよめく。
五枚のカードは、縁の色がバラバラで、男の最初の手札のように上位階級のカードが揃っている訳でもない。だが、一枚だけ、一際豪奢な縁取りのカードがあった。金箔によって複雑な模様を描く縁取りがなされたそれには、美しい男の姿が描かれている。
そう。これこそが、このゲームがカジノで好まれる所以である、最高の一枚。
相手が示したそれは、太陽神のカードであった。
そのカードが場に出たとき、“キングオブキングス”における番狂わせの特殊ルールが適応される。リアンジュナイルの神話では、太陽の神はありとあらゆる次元を統括する最高峰の神であり、何者も敵うことのない絶対的な存在だとされている。それ故に、このカードもまた、ありとあらゆる役を凌ぐ最高の一枚なのである。つまり、このカードが手札にあるだけで、相手がどのような役を持っていようとも勝ててしまうのだ。ルール上山札にたった一枚しか入らないカードではあるが、引き当ててさえしまえばこれほど強いカードもない。この時点で、ほとんど勝負は決まっていたようなものだったし、周囲の人間も勿論そう思い、男に同情の目や馬鹿にしたような視線を向けたのであったが、当の男はにっこりと微笑んで見せた。
「素晴らしい。太陽神のカードは久々に拝見した。お陰様で、私の勝ちです」
そう言って男が机に無造作に置いたカードを見て、周囲が先ほどよりも大きくどよめく。
出されたのは、初老の貴族が出したのと似通った、特に何の役もないようなバラバラの絵柄と色のカードである。だがその中の一枚だけ、毛色が異なっていた。
他のカードと違って縁取りがない、随分と質素なカードである。しかし、そこに描かれている美しい女性の絵は、このカードがこの場における逆転の一枚であることを示していた。
「月神のカード」
驚きを隠せないとった様子で呟いたのは、勝負の行方を見守っていたディーラーだった。
月神のカード。それは、“キングオブキングス”中、最も不要とされるカードだった。持っていても何の役にもならないどころか、持っている者は問答無用で負けになる、という特殊カード故に、手札に入った場合はすぐさま捨てられる疫病神的なカードなのだ。が、とある条件においてのみ、最強のカードに変貌することができる。その条件が揃ったのが、今この瞬間なのであった。
月神のカードは、相手が太陽神のカードを持っているときに限り、所有者に勝利をもたらす奇跡のカードとなる。
しかし、月神のカードが発動することは極めて少ない。何故なら、太陽神のカードと月神のカードは山札に一枚ずつしか入れられず、両者が揃って場に出ることはほぼあり得ないからだ。よって、月神のカードは捨てられないことの方が珍しい。
だが、男はそれが狙いだった。相手の細かな挙動から、向こうが太陽神のカードを持っていることはほぼ確実だと踏んで、ならばと月神のカードを引き当てるために、大役だった五枚のカードを全て捨てることにしたのだった。
もちろん、たかだか五枚を引いただけで、百枚以上の中から望むたった一枚を引き当てることは困難だが、男にそれに対する不安はなかった。何故なら、男は異常なくらいの強運の持ち主であり、本人もそれを自覚していたからである。現に、こうしてたった一枚を引き当て、奇跡のような勝利を収めている。
まんまと金貨五枚を手に入れた男は、続く勝負も危なげなく勝ち抜いていった。そのまま続けること十戦。すべての勝負に大勝した男は、順調に金貨を積み上げていった。
さてそれではもう一戦、と十一戦目に臨もうとするも、どうやら少々やりすぎたようで、その頃にはもう、男に勝負を挑んでくる者はいなくなってしまった。これは困ったぞ、と、仕方なく別の遊戯に移ろうとした男だったが、歩み寄ってきた気配に、ぽん、と肩を叩かれ、振り返る。
「何か?」
振り返った先に居たのは、年配のディーラーだった。胸につけている名札をちらりと見れば、ディーラーの中でも上の立場の者であることが窺えた。
「いえ、お客様、本日は非常に幸運でいらっしゃるようで」
「ああ、たまたまだとは思うが、やはりツキが来ていると楽しいものだな」
「それは何よりでございます」
にこりと微笑んだディーラーだったがしかし、男には彼が心の底から笑っている訳ではないことがよく判った。
どの道、そろそろ来る頃合いだと思っていた。男は誓ってイカサマなどしていないが、あのゲームでここまで勝ち続けるとそう思われるのは当然だろう。イカサマをする必要など一切ないほどの強運の持ち主なのだ、と言って納得してくれるような相手ではないし、それで納得してくれる相手の方が珍しい。
「ぜひとも一勝負、お願いできませんか?」
お願いできませんか、と言ってはいるが、男が勝ち越しているこの流れでは断ろうにも断れない。裏カジノに来る客のほとんどは、それなりに権力のある人間だ。こういった場で誘いを断っては、自分の顔に泥を塗ることになる。もともと断るつもりはなかったどころか、これが狙いだった男は、少しだけ渋る様子を見せた後、仕方ない風を装って頷いて見せた。
「有難うございます。それでは、勝負はぜひあちらのルーレットで」
「ルーレットか。久々だな」
構わない、と言ってディーラーの誘いに乗った男だったが、この時点で大体の展開は読めていた。
腕利きのディーラーは、望みのマスに止まるように球を投げられるという。大方、イカサマで稼がれた大金をイカサマで回収しようという魂胆なのだろう。男の場合はイカサマで稼いだ大金ではない訳だが。
案内されたルーレットは、いくつか種類がある中でも最も単純なものだった。十二国の内の金と銀を除く十色がそれぞれ三マスずつと、金と銀が一マスずつ組み込まれたルーレット版。そのどの色の部分に球が止まるかを賭けるゲームだった。ただし、金色と銀色だけはディーラーマスと呼ばれ、プレイヤーが賭けることはできない。そして、球がディーラーマスに止まった場合は、場にある賭け金は全てディーラーが回収する決まりである。
「ルールは単純明快に、一色賭けの五回勝負でいかがでしょう。お客様が賭けたマスにもディーラーマスにも止まらなかった場合は場にプールされる、ということで」
「構わんよ。ではそうしよう」
プレイヤー用にと渡された赤色のチップを受け取り、取り敢えず適当な枚数を青色のマスに賭けてみる。いつの間にか、周囲には人だかりができていた。大方、勝ち越して有頂天になっていた客がディーラーに大負けする様を一目見ようといったところだろう。まったく、良い見世物である。
それでは、という声と共に、ディーラーがルーレットを回し、球を投げ入れる。カラカラと音を立てて駆ける球の行方を目で追えば、徐々に速度を落としていったそれは、見事に青色のマスに落ち着いた。観衆が感嘆の声を上げるが、しかし男は表情を変えない。
勝負は五回あるのだ。どうせ最後のベットでこちらの稼ぎを全て賭けさせるのだろうから、最後の勝負に勝たねば意味がない。その後、三回四回と勝負を重ねたが、驚いたことにその全てで、球は男の選んだ色のマスに止まった。さすがの男も、これはディーラーがわざとやっていることなのでは、と考えたが、様子を見るにディーラー側も想定外の事態だったらしい。思っていた以上に男の運が場を乱してくれているようで結構なことだが、大事なのは次の一戦だ。
「そこまで大勝されますと、こちらとしても引き下がれなくなってしまいます。……どうでしょう。ここは一つ、お客様がここで稼いだ金額を全て賭けて頂くことはできないでしょうか。勿論、お客様が勝利されたあかつきには、その金額の更に倍をお支払いさせて頂きます」
やはりこう来たか、と思いつつ周囲を見回せば、いつの間にか増えているギャラリーが揃って、賭けに乗れと無責任に囃し立ててくる。ほら見たことか。案の定逃げることは許されない状況を作り上げられてしまっている。
どうせギャラリーの一部はサクラなのだろうなぁと悠長に考えながら、男はふたつ返事でディーラーの提案を飲んだ。元より逃げるつもりなどないのだから、ここで物怖じをする必要はない。
もう一度盤面を確認してから、稼いだ分と同じ枚数のコインを、赤のマスに置く。一際大きくなったギャラリーのざわめきを受けて、ディーラーが今まで以上に演技じみた動作でルーレットを回した。そして、男が見つめる先、回転する盤の中に球が投じられる。先ほどまでと変わらぬディーラーの手捌きに、しかし男は僅かに目を細めた。本当に些細なものではあるが、投じる際の動きに違いがある。それは恐らく、男だからこそ判った変化だろう。やはり、仕掛けてきたのだ。
一同が固唾を飲んで見守る中、その回転を緩めていく盤面の上を球が転がっていく。勢い良く走る球は、やがてひとつのマスに向けてその動きを鈍くしていった。
かた、と音を立てて球が、止まろうとする。そのマスは、確かに金色に染まる一マスであった。だが、ディーラーの勝利を確信したギャラリーが歓声を上げる寸前、黙って盤面を見つめていた男の瞳が、僅かに、まるで何かに目配せをするかのように動いた。刹那、
からり、という乾いた音とともに、球がゆっくりと転がり、金のマスの隣にあった赤のマスへと進んで、止まった。
たっぷり三秒後、ルーレット台を取り巻く周囲が湧いた。ディーラーは信じられないものを見るような目で呆然と盤面を見つめ、周囲にいたスタッフたちも皆、動揺したように視線を彷徨わせている。
「いやはや、どうなることかと心臓が早鐘を打ったが、これはツイている」
ほっと胸を撫で下ろすような動作をして見せた男がにこりと微笑むと、ギャラリーたちが次々と賛辞や祝いの言葉を投げかける。それらに丁寧に応えてから、男は若干顔色が悪くなっているディーラーを見た。
「さて」
「……いやはや、私の完敗です。お見事としか言いようがありません」
「いや、今日はたまたまツキがあっただけのことだろう。して、勝利金のことだが」
そこで言葉を切った男が周囲を見回してから、テーブルの赤マスに置かれていたコインを綺麗に半分に分ける。
「今日は随分と楽しませて貰ったからな。これの二倍の金貨が貰えるとして、それでは、その内半分はこのカジノに、もう半分は、共に楽しんでくれたギャラリーの方々で山分けを」
そう言って微笑んだ男に、今日一番の歓声が上がる。これ以上ないほどに気前の良い男の采配に、ギャラリーは大いに盛り上がり、ディーラーを含めたスタッフも感嘆と感謝の念を感じられずにはいなかった。
この一件は少しの間、貴族などの権力者の間でちょっとした伝説のように語られたのだが、不思議なことに、その場にいた誰もが、男の詳細な容姿を思い出せずにいたのだった。
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