潜入 3

 優雅に一礼をして見せたバーテンにもう一度礼を言ってから、先程示された方へ向かい、従業員用と札の掛かった扉を潜る。すると、長い廊下の向こうに壁があることが窺えた。

 なるほど、あれが例の壁か。となると、あそこでカードを差し込む部分を探せば良い訳だ。

 しかし、それにしても随分用心深い。バーテンダーは何気ない顔で男と会話をしていたが、実はあの時、男以外には会話の一切を聞かれぬよう、その場に居た他の顧客には幻術の類をかけていたのだ。そして、男の見立てが正しければ、あれは魔法ではなく魔導の類だった。

 リアンジュナイルにおいて魔導は異端である。この大陸で尊ばれるのは魔法であり、魔法があれば魔導は必要ないのだ。ただし魔法は生まれついた能力に大きく依存するものであるため、生まれつき魔法の才がない者も勿論いる。そんな人間のうち、それでも魔法に準ずる何がしかを成し遂げたい者は、魔術を学ぶのがこの土地における定石である。故に、リアンジュナイルで魔導を見ることはほとんどないと言って良い。

 そもそも歴史的に見ると、リアンジュナイルには魔術すらも存在しなかったとされている。その理由は定かではないが、この地方で受け継がれている歴史とも伝承とも言える書を信じるのならば、こうである。

 原初、全ての次元を統括する最高位の神、太陽神と月神は、この次元において神世と現世を繋ぐ門を設置した場所に、始まりの四大国、赤の国グランデル王国、青の国ミゼルティア王国、橙の国テニタグナータ王国、緑の国カスィーミレウ王国を生み出し、この四つの国をそれぞれの直属の配下に任せることにした。すなわち、太陽神直属の配下、火の神、地の神、月神直属の配下、水の神、風の神である。こうして、赤の国は火を、青の国は水を、橙の国は地を、緑の国は風を司る国家となった。これが、リアンジュナイルの始まりである。この後渡ってきた銀の国が先の四国を統括してリアンジュナイル大陸と成し、更に増えた移民により、最終的に現在の十二国にまで至った。このように、神により生まれた地であるが故に、この地方の人々は誰よりも精霊に愛されており、だからこそ、精霊の加護を必要とする魔法を扱える人間が多いのだ。

 この国生みの伝承に関しては、信じている者もいれば信じていない者もいるのだが、他の大陸に比べ、リアンジュナイルの民に魔法適性のある者が多いのは事実だ。

 一方の魔導は、魔法とは全く別機構の術式である。それはいわば、召喚術と魔術を組み合わせて魔法に並ぶ術式にまで昇華させたもの。己には足りぬ魔法的な部分を、ヒトならざるものによって補う術。それも召喚の術式は、限りなく召喚者、すなわち魔導の使用者に有利な条件での召喚がなされる。しかし、それはつまり、召喚される側にとっては不利益でしかない。精霊と対等な関係で行使される魔法とは違い、召喚対象を強制的に使役する魔導は、非常にリスクの高い術式であるとも言える。これは、魔法適性のある人間が少ない他大陸において、それを補うために、リスクを知った上で生み出されたものなのだ。故に、精霊のようなヒトならざるものを尊重するリアンジュナイル大陸の民の多くから魔導は忌み嫌われており、魔導を使用する者のほとんどは、リアンジュナイル外の大陸の人間なのである。

 ということは、だ。

(裏カジノの経営側は、別大陸の人間……? ならばここは大当たりか)

 思案の片手間に壁を眺めれば、確かに判りにくいが、カードを通す箇所がある。僅かな躊躇いすらなくそこにカードを差し込めば、壁に光の紋様が浮かび上がり、次の瞬間、中央に亀裂が走って扉が開くように左右にスライドした。

(なるほど。これは巧妙だ)

 恐らくは、これも魔導。ならば魔導の心得がないこの大陸の人間には、そう簡単には見抜かれないだろう。

 開いた扉を潜って中へと進むと、僅かな明かりを灯すランプにぼんやりと照らされる空間に、下へと続く階段があるのが見えた。やはり逡巡することなく、男はゆっくりと階段を下りる。壁にかかる橙色の光を宿したランプには、この大陸ではあまり目にすることのない装飾が施されていた。

 階下へ進むと、そこには両開きの大きな扉があった。そして、その扉を守るように、屈強と称して良いだろう護衛兵のような者が二人立っている。尤も、恐らくそれなりの手練れであろう護衛兵よりも、のんびりと階段を下りてきた男の方が優れた体格ではあったが。

「失礼ながら、お客様でしょうか?」

 護衛兵の内の一人が口を開く。それにしては随分と粗末な格好をしているが、という目で見てきた彼に、男は肩を竦めて見せた。

「少なくとも、上にいたバーテンダーにここを案内された以上は客なのだろうよ。サービスでエル・アウレアのような上等な酒を貰ってしまった以上、立ち寄らずに帰るのも無粋だと思ったのだが」

 お邪魔なようなら帰るとしようか、と続けた男に、護衛兵が慌てて頭を下げる。

「失礼致しました。どうぞお入りください」

 重々しい音を立てて扉が開かれ、その招きに応じた男が中へ入る。すると、入った先にはまた、同じような扉が設置されていた。

「ほう、二重扉か」

「こちらのお客様方がお楽しみなっているお声が漏れては、上でお酒を嗜まれているお客様にご迷惑ですので」

「なるほど。素晴らしい配慮だな」

 感心したように頷いた男の背後で、入ってきた扉が閉まる。次いで、護衛兵によって、向かう先である正面の扉が開かれた。

 途端、耳に飛び込んでくる歓声。勿論それは、男に向けられたものではない。地下に造られた遊技場で遊ぶ人々の声である。じゃらじゃらとコインが積まれる音や、ルーレットが回る音。そう、紛れもなくここは、非合法に運営されている裏カジノであった。

「どうぞ、ごゆっくりお楽しみくださいませ」

 再び深々と頭を下げた護衛兵が、後方へと下がり、扉が閉まる。それを目端に捉えてから、男は改めて目の前に広がる光景を眺めた。リアンジュナイルの十二の国にある裏カジノは全て回ったという自負のある男だったが、このカジノの大きさは、その中でも最大級の内の一つに数えられるだろう。驚くべきは、この規模のものを恐らくは短期間で設置したであろうことだ。半年ほど前に男が金の国へ来たとき、確かにこのカジノも、上のバーも存在しなかった。だとすれば、半年足らずでここまでのものを造り出したことになる。

 それが可能か不可能かで言えば、可能ではあるだろう。しかし、人の手では無理だ。ヒト以外の何かの力を借りなければ、ここまでのものを短期間で造ることはできない。いや、それよりも、もしかするとこの空間自体が異質なのではないだろうか。

 急ごしらえの地下施設は、どうしても耐久の面で弱くなってしまうものだ。しかし、このカジノは敷地面積が広く、途中途中に支えとなるような柱もない。ではどうやって、このような柱を置かないぶち抜きの巨大な空間を造るかだが、可能性として考えられるのは、空間の転移だろうか。地霊の力を借りて大地を固定させた可能性もあるにはあるが、地霊は少々頑固者が多く、大地を大きく変動させた上にそれを長期間固定させるとなると、かなりの魔法の腕と魔力が必要となる。橙の国の王であれば容易にやってのけるだろうが、リアンジュナイル外の人間がそうそう真似できることではないだろう。故に、やはり空間転移の可能性が高い。実はここはバーの地下ではなく、どこか別の場所、なのかもしれない。扉は空間と空間を繋ぐゲートであり、潜った者を別の空間に飛ばす装置だとしたら、まあ納得はできる。それならば魔法を使えずとも魔導を駆使すれば可能だろうし、少なくとも、地霊を説得して穴掘り作業をするよりは現実的だ。

 と、そこまで思考を巡らせたところで、男がひと息つく。

 男の魔法や魔術や魔導に関する感知能力は、そこまで高くない。というか、どちらかと言うと鈍い方だ。よって、これ以上考えるのは無駄である。いくら考えたところで憶測の域を出ないし、今回の目的を考えるならば、ここがどういう空間であるかを知ることはあまり本質的ではない。いざというときに逃げられれば、まあそれで良いのだ。

 さて、と呟いた男は、手始めにカード遊戯が行われている場所へ足を運んだ。遊戯自体は、合法である表カジノでも採用されている、よくある種類のものだ。“キングオブキングス”と呼ばれるそのゲームのルールは、いたって単純であり、見習い騎士、準騎士、騎士、騎士隊長、騎士団長、姫、王子、王妃、王獣、国王といった十階級のカードが、リアンジュナイルの十二の国の分だけ用意されていて、山札から得た五枚の手札を互いに見せ合い、強い役の方が勝ち、といったものである。手札は、一度だけ好きな枚数を捨てて山札からその枚数分引き直すことも可能だ。

 簡単ルールであることから、小さな子供の遊びにも使われることが多いが、実は役の数が非常に多く、また山札内のカードの配合はカジノによって異なってもいるため、単純ではあるが運に大きく左右されるゲームでもあった。それはつまり、勝ち続けることが困難なゲームであることを示唆し、同時に今の男にとって最も条件の良いゲームであることを示していた。

「失礼。私もひと勝負、良いだろうか?」

 取りあえず、と手近にいた初老の男性(恐らくは貴族だろう)に声を掛ける。初老の男は、勝負に誘ってきた男が傭兵のような風貌であることに一瞬怪訝そうな顔をしたが、すぐに微笑みを貼り付けて頷いた。

「これはこれは。まだお若いのにお盛んなことだ。ルールはお判りかな?」

「若いだけであれば、私よりも若い者も多く遊びに来ているでしょう。これでもカジノ通いは趣味でしてね。特にこのゲームはとても好みだ」

「ほう。では、楽しませて貰おうかね」

 にっこりと微笑み、初老の男が席につく。やたらと豪奢な机を挟んで向き合う形で、男も毛皮張りの椅子に腰掛けた。すると、ディーラーが自然な動作でテーブルの上にカードの山を置く。山は四つ。厚みからして、全て合わせると百二十枚程度だろう。尤も、配合がどうなっているかは不明だが。

「ベットはどうなさいますか?」

「そちらのお若いのに任せるよ。いくらにするかね?」

「そうですね。……では、まずはこれくらいでいかがだろうか」

 そう言い、男は懐からリンカネット金貨を五枚取り出して机に置いた。

「ほう、これは」

 この大陸での金貨は非常に価値が高い。職にもよるが、ごく一般的な人間がひと月働いたとして、その収入は金貨二枚もあるかどうかだろう。それを五枚となると、この男、もしかすると手練れの傭兵なのかもしれない。と、相対している貴族を含む、周囲の人間は思った。

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