第3話


 翌朝


 部屋に運ばれていた朝食を手早くとったイオリは、朝もやがまだ残る早朝に家を出て行くことにした。


 荷物の準備は昨日のうちに終えていた。

 一見して貴族とわからないように町娘のような服装に着替え、気合を入れるためにポニーテールに髪を結わえる。


 そして洋服、宝石、お金、身支度用の道具、密かに買っていた工具などをカバンに詰めていく。

 この家でイオリが与えられたものはほとんどないため、持っていくものもほとんどイオリが自分で調達したものだ。

 何度も手入れをして改造を重ねたマジックバッグは、一見するとトートバック位にしか見えず、これらが全て入っていても大荷物であるようにはわからないものだった。


「それじゃ、今までお世話になりました。みなさん、ありがとうございました」

 家の裏門には、早朝にもかかわらず、使用人のほとんどが集まって来ている。


「イオリ様、お気をつけて!」

「なんで、こんなに可愛いイオリ様が家を追い出されることに……!」

「私と一緒に逃げましょう!?」

「イオリ様がいないこの家は、まるで火が消えたようです……」

「うわあああああああん!」

「なんで旦那様と奥様はこのような酷いことができるのでしょうか!」

「納得できません、今からでも……!」


 旅の無事を願うもの。

 追い出すアレックスたちに憤るもの。

 別の道を提案するものなど、反応は様々だったが、総じて彼女の旅立ちを悲しく思っている。


 それほどに、彼女は使用人たちから愛されていた。


 料理が美味しいと言ってくれるのも、庭木が美しく剪定されているのを褒めてくれるのも、掃除が行き届いていることを褒めるのもイオリしかいなかった。


 彼女は貴族の娘でありながらも、決して横柄な態度をとることなく、使用人たちに敬意を持ってくれていた。

 他のブライト家の横柄な態度を知っている使用人たちの中で、そんな彼女のことを悪く思う者は誰一人としていなかった。


「みなさん、ありがとうございます。私のことを大事に想ってくれるのはとても嬉しいです。ですが、お父様とお母様が話し合って出た結果に私は納得していて、それを受け入れたいと思っています」

 彼女が納得していようがいまいが、追い出されるのは確定だった。


 実際のところ、彼女は自由でいられることを嬉しく思っており納得している。

 だからこそ、あえて父母のことを悪く言わないようにしていた。


「そんな……」

「だからみなさん、笑顔で見送ってくれると嬉しいです! そんな顔をされては旅立てなくなってしまいます」

 使用人たちが涙を流し始めるなか、このままでは旅立てないと、イオリはふわりとほほ笑みを見せる。


 その言葉が、彼らを元気づけるため、悲しませないためのものだと気づいた使用人たちは笑顔で頷くことを選択する。


「「「「「いってらっしゃいませ!」」」」」

 そして、示し合わせたわけでもないのに全員が声をそろえて頭を下げ、イオリを送り出してくれた。


「はい、いってきます!」

 そして、元気な挨拶を返すと、イオリは家を後にして旅立っていく。


 チラリと振り返ると、イオリの姿が見えなくなるまで、彼らは大きく手を振っているのが見えた。


(結局、お父様もお母様も現れませんでしたね)

 ふと見上げたブライト家の屋敷は静まり返っており、そのことを少し悲しく、そして清々しく思っていた。


 そして、彼女は角を曲がって周囲に人の目がないことを確認してから、小指にリングをはめていく。


「――チェンジ」

 一つ言葉を口にすると、イオリの見た目に変化が訪れる。


髪の色が輝く金髪から、可愛らしい茶色に。

 目の色も透き通るような青から、やや赤みがかった鮮やかな色に変化している。


 これは変化のリングというものであり、イオリが創り出した魔道具の一つである。これは彼女のオリジナルのもので、他に持っているものはいない。


 たまに家族に内緒にして、お忍びで平民街に行く際に、身元がばれないようにこっそりと作り出したこれを使っていた。


 実家にあった、古びたリングを磨き上げて魔道具加工を施したものであり、このようなことができるのはイオリの能力の高さを表している。


 それでも、当の本人は特別なことをしたとは思っておらず、『便利な道具を作りました!』くらいにしか思っていない。

 彼女本人は気づいていないが、他にもたくさんの魔道具やアイテムを日々生み出し続けており、それも家を出る際に全て持ち出していた。


 彼女が住んでいた屋敷は、王都の中でも城に近い高い地域にある貴族街と呼ばれる場所にある。

 そこから徐々に下に降りていくことで、一般的な人々の暮らす平民街にたどり着く。


「さて、まずはお金ですね」

 なにをするにもお金が必要となるため、イオリは宝石商の店へと真っすぐ向かって行った。


 父が用意してくれた旅の資金は、一人で暮らすなら数週間は十分にもつ。

 しかし、それでは今後の生活に不安が生じてしまうため、早いうちにお金を稼いでおく必要があった。


「おっかね、おっかね♪」

 およそ貴族とは思えない歌を歌いながら、イオリは街の中をスキップしながら進んでいく。

 その頃には朝の喧騒が顔を出し、街にも人が出てきていた。

 イオリの服装は、貴族然としたものではなく、街に溶け込めるような落ち着いた服装を選択しているため、悪目立ちせずにすんでいる。


 青を基調としたシャツは彼女の金髪を映えさせている。

 ひざ丈のスカートが落ち着いた雰囲気を見せている。


 そして、ほどなくして宝石店へと到着する。

 ここは個人店であり、さほど大きくはないが質のいい宝石をとり扱っているということで有名だった。


「いらっしゃいませ、今日は休み……あら、イオリじゃない」

 寝起き特有のけだるい雰囲気をにじませた店主は二十代後半の犬の獣人の女性。

 ベースがヨークシャーテリアらしく、美しいブラウンの髪がサラサラと流れている。


 彼女はその素晴らしい審美眼で宝石の質を解析して、良質な宝石だけを仕入れていた。


 それゆえに商人や貴族からの信頼も厚く、多くの客が訪れる。

 中には美人である彼女を目当てに来ている者もいる。


 そんなケイティだが、今日は商品チェックの日であり、閉店して作業をしていた。


「ケイティさん、お休みのところ、ごめんなさい。ちょっと見て欲しいものがあってきました」

 申し訳なさそうな顔でカバンのひもを握るイオリは、それでもとしっかりと彼女の顔を見る。 

 イオリと店主のケイティは顔見知りであり、今日も休みとわかっていて訪れていた。


「イオリならいつでも歓迎よ。あなたが持ち込んでくれる品物はいつも特別だからね。それで今日は一体どんなものを持ってきてくれたのかしら?」

 真剣な様子のイオリにふわりと安心させるような笑顔を向けたケイティは彼女を招き入れる。


 ケイティも作業をしていたが、その手を止めて店内に設置されている取引用のテーブルへと移動する。

 明らかにいつもと違う雰囲気のイオリに対して、もちろん余計なことは質問してこない。


「ありがとうございます。えっと、今日はこれを持ってきたのですが……」

 そう言ってマジックバッグからケースを取り出す。


 それは彼女がいつも使っているジュエリーケースで、敷居で小分けされている中にいくつも宝石が丁寧にしまってあった。


「これは……相変わらず見事なものね。ちょっと手に取って見せてもらっていいかしら?」

「はい、どうぞ」

 イオリの許可を得たケイティは、白い手袋をして宝石を順番に確認していく。


 細かい品質の確認のために、拡大鏡を手にしている。


「……これは、すごいわ。傷一つついてなくて、これまでにイオリが持ってきたもののなかでも、一番大きいし綺麗だわ。これも、これも……これも……全部ね――はあ」

 うっとりとした表情のケイティは宝石に見惚れて、あまりの美しさに艶っぽいため息が漏れる。


「ふふっ、ケイティさんにそう言ってもらえるとすごく嬉しいです! 今日持ってきたのは、私が削り上げたもののなかでも特別綺麗なものを厳選しているんですよ」

 イオリはイオリで、まるで自分の子どもを送り出すかのような愛おしさを持って宝石を見ている。


 彼女は前世で叔父の家で、宝石の原石の磨き方を教えてもらっていた。

 時折原石探しに出かけてはようやく見つけたイオリの手持ちの中でも一級品のもの。

 叔父からの教えを思い出しながら、こちらの世界でも数々の宝石を磨き上げてこの店に持ち込んでいた。


「うーん、どれもこれもすごいわ! これなら高値で買い取らせて!」


 しかし、その返事を聞いたイオリは首を横に振っている。


「今回はお金ではなく、物で頂きたいんです」

「……物で? あなたがそんなことを言うなんて珍しいわね。一体なにが必要なのかしら? 魔道具? アクセサリー? それともドレスかしら?」

 意外そうにきょとんとした顔のケイティは次々と提案する。

 どれをとっても、イオリが持ち込んだ品物と同等の価値となると一つや二つでは釣り合わない。


「えっとですね――ちょっと、お店兼おうちが欲しいんですよ」

「…………えっ?」

 さすがにとんでもない物を要求されたため、ケイティは言葉を失って、驚くことしかできずにいた。

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