第57話 打合せ

 翌日の昼休み、誠のスマフォにハートレッドが遠隔会議システムのリンクをクリックしたことを知らせる通知が来た。誠は急いでパソコンを開きヘッドセットを装着して、遠隔会議システムをスタートさせた。会話すると周りの人に相手が分かる可能性があるため、チャットで連絡することにした。

湘南:岩田誠です。こちらは声を出すことができませんが、ヘッドセットから赤坂さんの声は聞こえます。

「あっ、お兄さん、こんにちは?」

湘南:こんにちはです

「監督は?」

湘南:古文・漢文の質問ですか?SNSのチャットで聞いてみます

「有難う。」


 誠がSNSのチャットでパスカルに連絡する。

湘南:赤坂さんが遠隔会議室に入りましたが、パスカルさんは出られますか?

パスカル:昼休み中だけど出るのは無理かな。自分のノートパソコンを持ってきていないんだよ。仕事場のパソコンを使うわけにはいかないし

湘南:分かりました。夕方は大丈夫ですか?

パスカル:大丈夫だ。早い方がいいなら帰りの近くのネカフェから接続するよ

湘南:ネカフェを使うなら渋谷まで出てくることはできますか?

パスカル:別々じゃ不安だよな。分かった。そうしよう。

湘南:それではいつもの渋谷のネカフェ前に17時50分でいいですか?

パスカル:渋谷のネカフェに17時50分、了解


 誠がハートレッドに返信する。

湘南:昼休み中みたいですが職場から遠隔会議に出るのは無理で、夕方18時からならば出られるということです

「職場にいるんじゃ仕方がないわよね。」

湘南:そうだと思います。僕も赤坂さんが話していると分かると問題になりそうですので、チャットなら大丈夫ですが、ここでの通話は避けようと思います

「大学の彼女に怒られる?」

湘南:僕に彼女はいないのでその心配はないです。ただ、赤坂さんに変な噂が立つと良くないと思って

「お兄さんと私だと噂にならないんじゃないかな。」

湘南:常識ではそうですが、赤坂さんは悪食という尾ひれがつくかもしれません

「ははははは、悪食ね。そういう意味じゃなくて、お兄さんの服がスタッフさんが着る服みたいだからという意味だったんだけど。」

湘南:週刊誌は売れるなら何でも書きますから

「そうね。事務所では、たまたまホテルの前を通っただけなのに、写真を撮られてホテルから出てきたと書かれることもあるからって、注意されている。」

湘南:その通りだと思います。それでレッドさんは自宅ですか?

「そうだけど?家に来たい?」

湘南:戸締りをちゃんとしているか確認しようと思って

「何だ。分からない。」

湘南:それではパソコンを持って家を回ってもらえますか

「相変わらず心配性ね。」

湘南:よくそう言われますが、赤坂さんに万が一のことがあると大変ですので

「分かった。」


 ハートレッドがパソコンを持って見回った結果、高い窓の鍵が空いていた。

湘南:上の窓の鍵が開いていますね

「でも、お兄さん、こんな高い窓から泥棒が入る?」

湘南:ちょっと待っててください

誠が家に泥棒が侵入する動画のリンクを送る。

湘南:送ったリンクの動画をみて下さい

「へー、泥棒は、こうやって入るのか。」

湘南:盗む方もプロですから、お金を盗るだけのことはある高い技術を持っています

「困ったものね。」

湘南:赤坂さんのダンスや会話の技術もすごいです。これからたくさんの人からお金を吸い取ることができると思います

「何か酷いな。」

湘南:申し訳ないです。言い方が悪かったでした。赤坂さんはその代わりに、楽しい気持ちを与えているので良いことだと思います

「お金ならいいけど、監督の鼻血は吸い取りたくないわね。」

湘南:そうですが、例えば毒蛇にかまれたときには、血といっしょに毒を吸い出さなくてはいけないときもあるみたいです

「ふーん。でも、お兄さんはそういうことしそうよね。」

湘南:はい、他に方法がなければそうすると思います

「分かる。おじさんにマウスツーマウスで人工呼吸をしていたもんね。」

湘南:心臓と呼吸が完全に止まっていましたから

「逆に、ミサさんなら躊躇した?」

湘南:呼吸が止まっていたら躊躇しないと思います

「そうね。あの激しく揺れる胸を見ても全く動じないんだからね。私でも?」

湘南:はい、その時最善と思うことをします

「さすがお兄さん。偉い!」

湘南:有難うございます。それで戸締りの話ですが、みんながちゃんと戸締りすれば、泥棒の採算が合わなくなって、盗みのプロは減っていくと思います

「だから、全員が気を付ける必要があるということね。」

湘南:その通りです

「まあ、そうね。」

湘南:それでは窓の鍵を締めて下さい

「分かった。」

高いところに手を伸ばすために、ハートレッドがパソコンを床に置く。

湘南:床のパソコンは横に向けておいて下さい

「何で?」

「返事がないけど。」

湘南:分かって下さい

「分からない。」

湘南:本当は分かっていますよね

「まあね。」

湘南:僕はまだ大丈夫ですが、パスカルさんの場合は大変なことになるかもしれませんので気をつけて下さい

「なるほど。気を付ける。」


 ハートレッドがパソコンを横に向けて高い窓の鍵を閉める

「これで大丈夫。」

湘南:有難うございます、それでは18時にまたこの遠隔会議室に入って下さい

「お兄さん、まだ時間はある?」

湘南:はい、授業開始まで30分ぐらいありますが

「それじゃあ、暇つぶしにお話して。」

湘南:僕は構わないのですが

「朝8時から勉強していて退屈で。」

湘南:分かりました

「お兄さんは何で湘南と呼ばれているの?」

湘南:辻堂に住んでいるため、SNSで湘南オタクと名乗っているからです

「へー。私もおばあちゃんが元気なころ、鎌倉とか江の島とかが好きだったから、二人でそっちに行ったことがあるけど、海がとっても綺麗よね。」

湘南:家は海から離れていますが、海の方によく遊びに行きました

「海岸の近くの水族館も楽しかったな。」

湘南:本当によく来たんですか?

「一時期、毎週のように行ったこともあった。」

湘南:毎週のようにですか。何かあったのでしょうか?

「後で分かったんだけど、湘南の方に毎週のように行っていたのはおばちゃんがガンと分かってからみたい。」

湘南:そうなんですね。お爺さんとの思い出とかあったのでしょうか

「どうだろう。私が生まれる前のことだから分からない。」

湘南:二人で行ったというのは、お爺さんは先に亡くなられたのですか?

「そんな感じかな。」

湘南:申し訳ありません。要らないことを聞いてしまいました

「大丈夫。地元の人から見た湘南のお勧めは?」

湘南:湘南のお勧めは湘南、つまり僕です

「あの、お兄さん、そういうことを言うと嫌われるよ。」


 誠は「何でバカなことを言ってしまったんだろう。」と思いながら反省した。

湘南:その通りです。僕の思慮が浅くて申し訳ありません。入試の質問には本当に真面目に答えますので、また18時にお願いします

「ちょっと待って。切らないで。私の周りにはそういううざい男性が多いだけかも。普通はそういう冗談でも大丈夫かもしれない。」

湘南:有難うございます。うざくならないように気を付けます

「それで、湘南で二番目のお勧めは?」

湘南:本当の一番目のお勧めは妹です

「シスコンか!まあ、プロデューサーは本当にすごい人だけど。それじゃあ、湘南でお勧めの場所は?」

湘南:一般的には江の島なんでしょうけれど、僕は辻堂海浜公園が好きです。子供のころ海を見ながら遊んでいました

「私も行ったことがあるのかな?」

湘南:海が見えて広いのに、プールとか特別な施設以外無料で入れる公園だったら辻堂海浜公園だと思います

「鉄棒もある?」

湘南:鉄棒の他、アスレチックの道具があります

「それじゃあ行ったことがありそう。もしかして、お兄さんって、そこで逆上がりの練習をしていなかった?」

湘南:していました。結局できなかったですが

「本当に?全然できなかったの?」

湘南:はい、残念ながら

「そうか。」

湘南:何かあるんですか?

「ううん、別に大したことじゃない。」

湘南:明日夏さんが小さい時に辻堂海浜公園の広場でよく歌っていたそうです

「本当に?」

湘南:小学校2年生まで歌っていたと言っていました

「えっ、と言うことは、その近くに明日夏さんの家があったということ?」

湘南:今はもう家はないので構わないと思いますが、藤沢にあったそうです

「なるほど。」

湘南:何かあるんですか?

「一つ謎が解けた気がした。」

湘南:良かったです。内容は聞かない方がいいですね

「うん。悲しいと言えば悲しい話だし。」

湘南:明日夏さん、今は元気そうにしています

「そっ、そうだね。」

湘南:明日夏さんのことじゃなさそうですね。レッドさんは大丈夫ですか?

「今は大丈夫。そうだ、湘南オタクで検索するから待っていて。」

湘南:それほど面白い内容はないと思います

「有った。プロフィールで、最初が『ユナイテッドアローズ』の音楽担当。」

湘南:『ハートリンクス』という曲は、『ユナイテッドアローズ』のために途中まで作曲していたものを、5人用に変えたものなんです

「なるほど。だからあんなに早く用意できたのか。でも、アキさんたちから曲を取っちゃって大丈夫だった?」

湘南:また作りますので、赤坂さんは心配しなくても大丈夫です。

「曲の出来は?」

湘南:僕だけではなく、平田社長といっしょに仕上げましたので最高の出来だと思います

「なるほど。次は推しで、『トリプレット』と明日夏さんか。」

湘南:明日夏さんには妹がとてもお世話になっています

「でも、『ユナイテッドアローズ』の皆さんは、最初は明日夏さんのファンの集まりだったんだよね。」

湘南:どうしてそれを?

「明日夏さんを応援するホームページは、最初のころの記事の著者が湘南オタクになっていたから、元はお兄さんが作ったものだよね。」

湘南:その通りです。すごいですね

「それで、お兄さんは明日夏さんのどこがいいの?顔?スタイル?歌?声?それとも全部というやつ?」

湘南:動画で明日夏さんが歌っている主題歌を聴いて、何故だか絶対に応援しなくてはと思いました

「そうなんだ。あの癒すような感じがいいのかな?」

湘南:それが分からないんです

「まあ、人を好きになるって、そういうものよね。」

湘南:好きかどうかはわからないのですが、今でも絶対プロの歌手として成功させたいと思っています

「本人は歌手より作詞家として左うちわが楽でいいって言っているけど。」

湘南:はい、そっちでも構いません。

「お兄さんは明日夏さんに曲を提供しているんだよね。」

湘南:そんなに大それたものではありませんが、明日夏さんが作詞を練習するための曲を作ったのが始まりです

「『ハートリンクス』の曲は今のところ3曲全部が明日夏さんの作詞だよね。やっぱり、すごい。曲も、お兄さん、平田社長、アイシャさんが分担して作って、パラダイス興行はいい会社だと思う。」

湘南:二人に比べれば僕はおまけみたいなものですが

「ヘルツレコードの方は会議ばかりで動きが遅くて、今やっと曲を募集しているところだから、CDリリースは5月になるかもしれないって。」

湘南:CDリリースともなると、かかるお金が違いますので仕方がないです

「まあ、ファーストシングルは大失敗しちゃったから、慎重になっているのかも。」

湘南:今はメディアへの露出を優先させた方がいいですので、気にすることはないです

「3曲目はへそ出しで、かなり大胆に露出するみたいだけどね。」

湘南:そう意味ではないのですが

「分かってる。あれ、プロフィールにミサさんのことが全く書いていないけど何で?事務所が違うから?」

湘南:事務所は関係なくて、美香さんにはファンになるなと言われていますので

「本当に!?」

湘南:不用意に近づくなと言うことだと思います

「もしかしてミサさんに直接言われたの?」

湘南:はい

「うーん。」


 ハートレッドは「それは、アーティストとファンの関係よりもっと近くなりたいという意味じゃ。」と思いながらも、それを言うのをためらった。

「気にすることはないよ。お兄さんを嫌っているということはないから。」

湘南:有難うございます。妹についても安全は考えていますが、シスコンにならないように気を付けています

「ははははは、まあそうよね。何でも適切な距離はあるよ。」

湘南:さっきの僕はその距離を見誤ったということですね

「さっきのは単なるアドバイスだから大丈夫。お兄さんも監督も悪い人でないって分かっているし、何でも言って。」

湘南:有難うございます。良くないと思ったら指摘して下さい。

「了解。その代わり、SNSのプロフィールに私をファンに加えておいて。私はミサさんみたいに面倒くさいことは言わないから。」

湘南:ハートレッドの名前を加えるということですね?

「そう。明日夏さんの後でいいので、ハートレッドで。」

湘南:了解です。今、加えます。

「おー、女神:ハートレッド、ね。別枠を有難う。」

湘南:でも赤坂さんは本当に女神という感じです

湘南:あっ、今のもアウトですね

「私でなければいいんじゃない。」

湘南:有難うございます。気を付けます

「実は私にそう言う人が多いんだけど、本当に私は女神という感じなの?」

湘南:はいそうだと思います

「私にはミサさんの方が女神と言う感じだけど。」

湘南:確かに美香さんの方が人間離れしてますが、幼く感じるからかもしれません

「分からなくもない。」

湘南:赤坂さんは女神と人間の合いの子というか、いわゆるイイ女です

「お兄さん、私を口説いているの?」

湘南:違います。1月始めは平田社長とそういう話をしていました

「私が初めてパラダイス興行に行った頃か。へー、でも平田社長もそういうことを言うんだ。」

湘南:それで僕と社長がパラダイス興行の女性の方々から白い目で見られてしまいました

「他の女性がいるところでする話ではないわね。」

湘南:気を付けます

「本当に大丈夫かな。お兄さんも社長も。あと監督もか。」

湘南:そうやって心配してくれるところが女神様みたいな所なんだと思います

「有難う。」

湘南:大変申し訳ないのですが、教室に行かないといけない時間になりました

「そうだよね。有難う。お兄さんのタイピングが速くて、話しているみたいだった。」

湘南:有難うございます。それでは18時にお願いします。

「分かった。大学の勉強、頑張って。」

湘南:4月からは赤坂さんも大学の勉強を頑張ることになると思います

「それが今の目標ね。それじゃあ18時に。」

湘南:はい、18時に


 誠は、ハートレッドとの会話を楽しんでいる自分に気がついていた。しかし、

「赤坂さんと話せなくなると寂しくなりそうだな。でも仕方がない。あと少しの間だけど、赤坂さんが大学に合格できるように頑張らないとか。」

と思い直していた。


 一方のハートレッドは、祖母に湘南海岸に連れて行ってもらったころを思い出していた。

「おばあちゃんと湘南海岸に行くようになったのは小学3年の夏の前だったっけ。おばあちゃんは私を公園に置いて、夕方までどこかに行ってしまうこともあったんだよね。」

目の前に海が見える公園の情景が見えてきた。

「一人で、公園の鉄棒で逆上がりとか蹴上がりをしていたら、少し離れたところに、逆上がりを練習している男の子がいたんだっけ。妹みたいな女の子が頑張って、逆上がりを補助しようとしていたな。すごい小さかったけど、あれは幼稚園児だよね。」

ハートレッドは詳細に思い出そうと努力し始めた。

「次の週も練習していたから、妹の方にお姉ちゃんが手伝おうかって声をかけたんだけど、妹は手伝いはいらないと言ったから手伝えなかった。でも、結局はその次の週から私も手伝うようになって、私が補助すれば何とか逆上がりができるようになったけど、まだ一人ではできなかった。休日以外も練習していたみたいで、その次に会った時には助言しただけで、一人でもできるようになってたよね。」

ハートレッドは喜んでいる兄の顔は思い出せたが、細かい特徴は思い出せなかった。

「逆上がりができるようになって、すごく喜んでいた。お礼にガリガリ君をおごってもらったんだっけ。ガリガリ君とか食べたことがなかったから、すごく美味しかったかな。その後、おばあちゃんの容体が悪化して、もうあの公園に行くことがなくなってしまったけど、あの二人の頑張りを見たから、私も頑張ろうと思えた。」

ハートレッドがその二人を誠と尚美に重ねてみた。

「あの二人が、お兄さんとプロデューサーだったら良かったんだけど。まあ、そんな小説みたいなことはないわよね。」

公園で二人が夕方まで頑張っていたことを思い出して、ハートレッドも頑張る気になった。

「あの二人を思い出すとやる気になる。18時まであと4時間半・・・・。さあ、試験は月曜日だし頑張って勉強しよう。」


 同じ日の夕方、由香と豊に関する打合せの準備のため、尚美が中学校の授業が終わってからパラダイス興行に来て、『作戦計画書C-2(改)』を印刷していた。その様子を見ていた、明日夏がその尚美に話しかける。

「尚ちゃん、書類をファイルに閉じるのを手伝うよ。」

「明日夏さん、有難うございます。」

「先週発表したレッドちゃんたちのビデオ、アイドルの掲示板でもなかなか好評だね。」

「はい。明日夏さんの歌詞もすごく好評です。」

「なるほど。全ては私のおかげというわけか。」

「その通りですが、やはりレッドさんのシーンの視聴者数が突出していて、他のメンバーの人気の底上げが大きな課題であることもはっきりしました。」

「尚ちゃんの苦労も絶えないね。でも、当面はレッドちゃんにユニットを引っ張ってもらうんだよね?」

「当面はそうせざるを得ないと思います。レッドさんはMVだけじゃなく、コメントのビデオにあるレッドさんの蹴上がりシーンを繰り返し見ている人もかなり多いみたいです。」

「レッドちゃんの蹴上がり、すごくカッコいいからね。でも、そのシーンを思いついた、逆上がりが出来ないマー君のお手柄かな。」

「実を言うと、兄は事故に会う直前に、逆上がりができるようになっていたんです。」

「そうなんだ。」

「でも、事故の後は安静にしていないといけないこともあって、残念ながらまた出来なくなってしまいました。」

「マー君は逆上がりができたことを思い出せないんだね。尚ちゃんも、そのことをマー君に話していないわけね。」

「はい。精神的負担になるのは避けたいですので。」

「それはそうだね。まあ別に、逆上がりができなくても死ぬわけではないし、いいんじゃないかな。でも、マー君が逆上がりができるようになるために、きっと尚ちゃんはすごく頑張ったんだろうね。」

「はい。私もそれなりに頑張ったんですが。」

「それなりというより、尚ちゃんの場合は全力じゃないの。その努力の甲斐があってできるようになったんだろうけど、事故じゃ仕方がないと諦めるしかないかな。」

「はい。明日夏さんと話していて、兄が自分で逆上がりができるようになったときの、すごく嬉しそうな兄の顔を思い出しました。」

「マー君が嬉しそうな顔をしたと言う割には、尚ちゃんは嬉しそうじゃないね。」

「そんなこともないですけど。まあ、いろいろありました。」

「そうなのね。」

koko

 由香と豊に関する打ち合わせに出発する時間になり、悟が由香と尚美を呼んだ。

「由香ちゃん、尚ちゃん、そろそろ打合せに出発するよ。」

「私は尚に任せて留守番することにしたから、二人とも気を付けてね。」

「それでは、橘さん、明日夏さん、行ってきます。」

「由香ちゃん、玉砕しないようにね。」

「分かっています。」

「橘さん、明日夏先輩行ってきます。」

「尚ちゃん、行ってらっしゃい。」

3人は事務所のバンに乗って、溝口エイジェンシーに向かった。

「社長、そろそろ、このバンを買い替えましょうよ。」

「由香先輩、橘さんの再デビューがうまく行ったらお願いしましょう。」

「俺たちのギャラで何とかなるだろう。」

「由香ちゃん、お金だけの問題じゃなくて、久美の気持ちの整理の問題かな。尚ちゃんの言う通り、久美の再デビューがうまく行ったら、久美と相談するよ。」

「俺にはよく分からないですが、リーダーと社長が言うなら絶対に間違っていませんので、了解です。」

「本当は、由香ちゃんが一番分かるはずなんだけどね。」

「それは恋愛の話ということですか?リーダーはまだ中学生だからいいとして、社長は恋愛に対して頭でっかちだからダメなんですよ。行動あるのみです。」

「ははははは、余計なことを言うんじゃなかった。」

「社長、頑張って下さい。」

「分かった。」

バンは安全運転で溝口エイジェンシーに向かっていった。


 誠は授業の後、パスカルとの待ち合わせの時間調整のために、大学の学生会館で期末試験に向けた勉強をしたり、尚美のためのロックの曲の作り直しをしてから、渋谷に移動した。いつものネットカフェの前に到着すると、パスカルがもう来ていた。

「湘南、それじゃあ行こうか。」

「はい、遠隔会議のための防音の2人部屋を予約しておきました。」

「さすがだな。じゃあ行こうか。」

「はい。」


 ネットカフェの部屋に入り席を付いた後、誠がパソコンをセットして、遠隔会議室をスタートさせた。18時少し前に、ハートレッドが遠隔会議に入ってきた。

「お兄さん、監督、こんばんは。」

「赤坂さん、こんばんは。」

「赤坂さん、こんばんはです。」

「面白いわね。離れているのに顔が見ながら話せる。」

「お見苦しい顔で申し訳ありません。」

「赤坂さんに比べれば、それはそうだな。」

「そんなことないって。」

「いえ、画面に顔が並ぶと差が歴然で。」

「それは湘南の言う通りだ。俺たちはカメラを止めるか。」

「そうですね。」

「ゼーレの会議じゃないんだから、やっぱり顔が見えていた方が話しやすいよ。」

誠とパスカルが碇ゲンドウのポーズをする。

「ゲンドウがシンクロしている。でも、画面は1つか。もしかして二人は同じ部屋?」

「はい、二人用の防音の部屋に居ます。」

「ネカフェと言うこと?」

「はい、渋谷のネカフェです。」

「渋谷ならうちに来れば良かったのに。」

「女性一人で住んでいるところに、あまりお邪魔するのも問題がありそうで。」

「そんなに気にしなくても・・・。そうだ。私がそっちに行けばいいんだ。」

「二人用の部屋ですが。」

「私が一人用の部屋を借りて、たまたま知り合いがいたということで、そっちに行っても大丈夫じゃない。その部屋に3人は入れる?」

「入れないことはないですが。ネカフェに男女同室というのは。」

「赤坂さん、ネカフェっていう所には、ふらちなことをするふらちなカップルがいたりするんだ。それと間違われると大変だから。」

「はい、床がマットの鍵付きのカップル室とかもあったりしますから。」

「そうなんだ。でも、ゆっくりデートするならいいかも。」

「・・・・・・。」

「あの、その、デートと言ってもふらちなことじゃなくて、マットでゴロゴロしながら映画を見るとかだよ。」

「でも、ホテルで男性と同室なのと同じなので、赤坂さんのスキャンダルになります。」

「恋人二人がゴロゴロしていたら、ふらちなことをする気がなくても、ふらちなことが始まってしまうかもということね。」

「・・・・・・。」

「あの、大変失礼ですが、例えば、ハートレッドに貧乏彼氏が!ホテルにも行けずにネットカフェの個室で一夜を過ごした、なんて書かれる可能性もあります。」

「お兄さん、すごい失礼。」

「申し訳ありません。」

「やっぱり、貧乏彼氏はいやだよね。」

「それは、そうでしょうね。」

「あっ、そうか、分かった。私に来てほしくないのは、お兄さんと監督は私の質問が終わったら、ふらちなことをする予定だったんだ。」

「そうではありません。質問の後は、ユナアロの土曜日の再撮影に関して話す予定です。それに、ここは椅子が2つの遠隔会議用の防音室です。」

「椅子一つあれば何とかなるんじゃない。それで防音室なら、したい放題。」

「あの、赤坂さん。」

「あれっ、監督、また鼻血ですか。」

「えっ。」

誠がパスカルを見る。

「すまん。」

「監督ぅ、何を想像していたんですか?」

「・・・・・・。」

「お兄さんとの関係?怒らないから、言いなさい。」

「そうじゃなくて、普通に赤坂さんがゴロゴロしているところ。」

「でもそれだと監督は撮影監督として困るわよね。そうだ、監督を鍛えるために、家で3人でゴロゴロしようか。」

「いきなりそれではパスカルさんが危ないです。それでは、赤坂さん、勉強を始めましょう。数学の質問から受け付けます。」

「分かったけど。でも監督、アキさんも18歳になれば、セクシーな映像も必要となると思うんだけどなー。」

「それまでに、まだあと1年以上ありますから。」

「まあ、ゆっくり鍛えるということで、勉強しようか。」

「さすがです。このリンクをクリックして下さい。赤坂さんの液タブから描画できると思います。画面はこちらから共有します。」

「了解。」

「赤坂さん、何か描いてみてください。」

ハートレッドが誠とパスカルのBLのスケッチを描く。

「すごく上手ですけど。」

誠がその絵の横に「これはフィクションです。」と書く。

「へー、本当に離れていてもお兄さんからも書けるのね。」

「はい、それでは、そこに数学の質問を書いてください。」

「分かった。」


 数学の質問が終わったところで、誠が感想を伝える。

「赤坂さん、よく勉強してきたんですね。」

「それはもちろん。第一志望の大学に受かりたいから。」

「やっぱり、偉い人なんだと思います。」

「第一志望にした理由が、家から歩いて10分以内に行けるからなんだけどね。」

「いい大学が家から近くで良かったですね。」

「有難う。でも、このサービス、画像も読み込めるみたいね。」

「はい、その上から描くこともできます。」

「そうなんだ。何か趣味にも使えそう。」

「受験が終わったら共同で図を書くときなどに使ってみるといいと思います。パスカルさん、もう体調は戻りましたか?」

「大丈夫だ。」

「お兄さん、今日は1日勉強して疲れたんだから、少し休憩。」

「分かりました。10分休憩しましょう。」

「お兄さん、勉強に関しては鬼だよね。そうだ。『ユナイテッドアローズ』の再撮影の案を教えてよ。アドバイスできることがあればするから。」

「それは嬉しいですが。」

「アドバイスなら問題にならないよ。」

「時間を決めてお願いしようか。」

「分かりました。それではよろしくお願いします。」

「了解。」

「まず、俺が描いた絵コンテを赤坂さんに見せてあげて。」

「了解です。」

誠がパスカルが書いた絵コンテを共有する。

「ぷっ。」

「赤坂さん、ぷっと言われても。」

「監督、私が描いてあげるね。」

「大丈夫か?」

「外に出るもんじゃないから、大丈夫。」

3人が話し合いながら、ハートレッドが絵コンテを描き直していった。


 溝口エイジェンシーの会議室に、由香、尚美、悟と、溝口エイジェンシーの溝口社長、溝口マネージャー、ヘルツレコードの森永事業本部長、鎌田マネージャーが集まった。溝口社長が口火を切る。

「南くん、今の気持ちはどうかね。」

「アイドルとして活動し始めた時から、いつかこのような時が来るとは思っていましたが、 いざとなると恐いものです。手の震えが止まりません。」

「ははははは。余裕だね。でも、そのセリフは自分で考えたの?」

「いえ、リーダーから教えてもらいました。」

「そうか。星野君、『作戦計画書C-2』は読ませてもらったよ。デビュー当初から南君のことが公になることを考えてプロデュースしていたんだね。」

「はい。由香先輩の友人には周知の事実でしたので、いつかは公になることを想定して、周到に準備したつもりです。」

「そうだね。よくできた計画だと思うよ。さすがに一人で作ったんじゃないよね。」

「はい、平田社長と兄に相談しました。」

「そうかね。平田さん、有難うね。」

悟は自分はそれほど手伝ってはいなかったが、誠のことを言うと面倒になるので、受け流すことにした。

「お褒めにあずかって、光栄です。」


 森永も同意する。

「私もここまで綿密に計画を立てて実行しているとは思わなかった。さすが星野さんというところだけど、できれば最初に教えて欲しかった。そうすれば、こちらももっと協力することができたんだけど。」

「最初にお伝えすることも考えましたが、こちらの信用が得られた時点でお話ししようと思い、ここまで先延ばしすることになってしまい、大変申し訳ありません。」

「まあ、森永さん、公になる前に話してくれたんだから、気にすることはないよ。ユニットのためを考えれば星野君の判断が正しい。」

「溝口社長がおっしゃるなら、その通りなのかもしれません。」

「それで、南くんを別れさせなかったのは、平田さんのところの方針なんだよね。」


 悟が説明する。

「ボイストレーナーの橘が大学時代に付き合っていた男性が、交通事故でなくなってしまって、二人で会社を起こすときに、人生には何があるか分からないから真剣な恋愛を制限するのはやめようと決めました。あともう一つの理由に、歌が上手になるためには、恋愛とその時に感じる気持ちを経験しなくてはいけないということもあります。」

「橘さんね。大河内君とのDVDと記者会見の配信を見させてもらったよ。」

「有難うございます。」

「DVDの歌を聴くと、確かに歌は上手なんだけど、芸能人としてやっていくなら、もう少し度胸を付けないとやっていけないと思う。」

「はい、溝口社長のおっしゃる通りです。」

「水着写真集をいやがっていた去年の夏を思えば、大河内君があんなに堂々として歌っていることや、20万部用意した写真集の在庫が無くなったことには驚いているけど、この写真集に対する橘さんの功績も小さくないことは確かだよ。」

「恐れ入ります。」

「橘さんも、たくさんの人前で話すのがあまり得意じゃないなら、グラビアの方がいいんじゃないかな。言葉に詰まったらセクシーポーズでごまかせばいい。DVDを付ける形なら歌も売ることができる。」

「実際、橘にグラビアの話はいくつか頂いていますので、溝口社長の話は是非参考にさせて頂きたいと思います。」

森永が過去の久美について話す。

「実は、私はかなり前、橘さんのオーディションを担当したことがあるんですが、歌もルックスもプロとして基準を上回っていると思いました。」

「はい、森永さんの面接を受けたことは橘からも聞いています。」

「ただ、面接での態度がかなり心許ないため、あの時は特に広報部からの反対が多くて採用するには至りませんでした。」

「それは、森永さんのおっしゃる通りだと思います。」

「でも、今回の記者会見を見る限りは、前よりかなり良くなったと思いますので、事務所に余裕ができたでしょうから、チャレンジすれば成功する可能性も低くないと思います。」

「あれで良くなった方なんですね。私はオーディションには立ち会えないので、本当に貴重な情報、大変有難うございます。ご紹介いただいたインディーズの会社にチャレンジするときの参考にしたいと思います。」

「今回のことで、橘さんの指導で大河内君の歌が良くなったことや、橘さんと一緒なら水着写真集にOKしたことで、大河内君が橘さんを信用していることも分かる。いいボイストレーナーにはなれるとは思うので、焦らず諦めずやることかな。」

「有難うございます。社長のご意見は貴重ですから、その方針で頑張りたいと思います。」

「橘さんと言えば、最近、星野君から、ハートレッド君が橘さんのロックのボイストレーニングを受けていると聞いているんだけど、実際、どんなものなの?」

「それがですね、意外と言っては失礼なのですが、大河内さんに比べればパワーは劣りますが、高音の綺麗さを使って、テクニシャンと言いますか、上手にロックを歌っています。」

「そうなんだね。彼女には幅広く稼げる才がありそうだから、大学にも行ってもらって、マルチタレントとして、大事に育てていくよ。」

「はい、私もそれがいいと思います。」

尚美が溝口社長に話しかける。

「一応、私が首相になりましたら、ハートレッドさんには内閣官房長官をお願いする予定でいます。」

「ははははは、それはいいね。僕もその時まで生きていたいものだ。」

森永が同意する。

「全くです。」

「だが、ハートレッド君は、父親が不明とか、親戚とは疎遠とか、家庭環境はあまり良くないから、気を付ける必要があるが。」

悟は敢えて明日夏との関係については話さないことにした。

「分かりました。私の方でも細心の注意を払って見守りたいと思いますが、こちらでは伸び伸びやっていますので、それほどご心配はいらないかもしれません。」

「そうだね。平田さんのところの女性タレントはみんな伸び伸び活動しているよね。やっぱり、社長がイケメンだからかな。どう思う、森永さん。」

「社長のおっしゃる通りです。ゲームの『タイピングワールド』の大会で、神田さん、星野さん、柴田さんの活躍には、本社の人たちが驚いていました。」

「恐れ入ります。」

「大変申し訳ありません。」

「実際、タイピングの速さで、他の参加者を圧倒していたんだってね。まあ、ルール違反をしなければ、元気が一番だよ。」

「有難うございます。」

「実際、ユニコードを全部覚えて16進コードで打てるなんて、世界でも星野さんぐらいじゃないかと思います。」

「あれは本当に集中しないとできなくて、長く続けられませんので、あまり実用にはならないです。」

「それはそうでしょうね。」


 尚美が溝口社長と森永本部長に話しかける。

「大変申し訳ありませんが、話を由香先輩の件に戻してよろしいでしょうか?」

「すまん、もちろんだ。」

「昨年の夏に作成しました『作戦計画書C-2』ですが、由香先輩の件が公になる前の対策としてはこのままで良いと思うのですが、美香先輩のアメリカ進出が予想以上に早まったため、公になったときの対応に修正を加える必要があります。」

「それはそうだね。日本にいないんじゃ仕方がないね。」

「そのため、5章を変更した『作戦計画書C-2(改)』を作成しました。」

「うむ。」

尚美が『作戦計画書C-2(改)』を配る。

「それで、美香先輩が担当するはずだった役をハートレッドさんにお願いします。由香さんとハートレッドさんは昔からの知り合いで、ダンスの予選大会で1位と2位になった写真などもありますから、かえって好都合だと思います。」

「それは星野君の言う通りだね。」

「それに加えて、最初の計画と逆にして、説明や質問に答える時には、ハートレッドさんが表に立って、私がサポートに回ろうと思います。」

「大河内君のときは、星野君が表に立つ計画だったね。」

「はい。替える理由は三つあります。一つ目はハートレッドさんならば予想外の質問が来ても上手に答えることができるからです。また、答えられなくても、上手にいなすこともできます。」

「確かに、大河内君の場合、答えを準備した質問なら大丈夫だけど、そうでないと、内容が内容だけに苦しいかもしれないな。」

「二つ目は、18歳のハートレッドさんが対応した方が、質問者が話しやすいこと。」

「まあ、質問者も中学生に男女関係について話すのはためらうだろうね。」

「スキャンダルの性質がもっと悪ければ、私が出て質問しにくいようにすることも考えられますが、今回はきちんと説明した方が良い結果が得られると思います。」

「そうだね。」

「三つ目は、ハートレッドさんがうまく対応すれば、『ハートリンクス』の人気を飛躍的に高めることが可能であることです。」

「ハートレッド君のスキャンダルではないから、リスクも低いか。」

「はい、感情的になって変なことを言わない限り、リスクはないと思っています。」

「感情的になる子ではないからリスクはないね。でも、そんなに上手くいくかね。」

「ほとんどの男性がすぐに好感を抱くハートレッドさんならば、絶対に上手くいくと思っています。それに、それだけの魅力を持ちながら、絶好の機会を活かせないようでしたら、ユニットのセンターは務まらないと思います。」

「ははははは、星野君、厳しいね。」

「申し訳ありません。あまり必要がないと思いますが、万が一のために、私も一緒に出演して全力でサポートするつもりです。」

「それは心強いね。分かった。その方針で行こうか。森永さんも構わないよね。」

「はい、社長がおっしゃられる方向が、正しい方向だと思います。」

「それで、僕がしなくてはいけないことは、二人がなるべくたくさんのテレビのワイドショーに出れるようにすればいいんだね。」

「はい、よろしくお願いします。」

「森永さん。」

「溝口社長、分かっております。ヘルツグループがスポンサーをしている番組に二人の出演をプッシュするように、関連会社の広報に連絡します。」

「うん、よろしく頼むよ。上手くいけば、テレビ局は視聴率、こちらはファンの数が増えてウィンウィンだからね。」

「はい、社長のおっしゃる通りです。」

「具体的な対応については、ハートレッドさんと詰めておきます。」

「うん、上手くやってくれたまえ。」

「対応が上手かったかどうかは、『ハートリンクス』のワンマンの遠隔での参加者の数で評価しようと思っています。」

「このことを考えて、遠隔配信をすることにしたの?」

「さすがにそこまでは考えていませんでした。所沢は少し遠いということと、値段を下げて迷っている方をファンにするのが目的でした。」

「星野さん、ヘルツの配信システムを使ってくれるんだよね。」

「はい、それはもちろんです。」

「こちらは、100万人でも1000万人でも、配信しますので頑張って下さい。」

「本当に1000万人に配信できますか?」

「ははははは、厳しいですね。実績は30万ぐらいだったかな。」

「説明のときに、50万人ぐらいまでならなんとかなるとおっしゃっていました。」

「実際はそんなものでしょうね。それでは目指せ50万人で。」

「森永さん、大変申し訳ないのですが、『ハートリンクス』の初ライブでもありますし、10万人行けば大成功だと思っています。」

「森永さん、たぶん、星野君が言う方が正しい。」

「溝口社長、本当は私もそう思います。」

「でも、何人視聴するかという楽しみができたな。」

「そうですね。」


 溝口社長が尚美に質問する。

「それで、星野君としては、南君の件はいつごろ公になると予想する?」

「由香先輩が活動を控える期間を2週間ぐらいは取る必要がありますから、3月中旬から4月中旬の間に公になると、『トリプレット』のワンマンに影響が出る可能性が高くなると思います。」

「まあ、そうだろうね。」

由香が尚美に尋ねる。

「リーダーの言うことは分かるが、さすがに、いつバレるか分からないぞ。」

「由香先輩、ですから、そうならないようにしなくてはいけないということです。」

「リーダー、分かった。その期間は豊と会わないようにしろということだな。ドームでのワンマンの前なら1か月ぐらいは我慢するぜ。」

「少し違います。後でお話しします。」

「分かった。」


 森永が尚美に意見する。

「でも、星野君、その次期だとヘルツレコードの第2事業部のライブに『トリプレット』は出られないことになりますね。」

「お許し頂けるのでしたら、『ハートリンクス』さんに協力をお願いして、対応することを考えています。」

「『ハートリンクス』が出演する予定はありませんので、ちょうどいいですね。」

「由香さんの代わりをハートイエローさんが務める方法、亜美先輩とハートグリーンさんのコラボ、私とハートレッドさんとのコラボなどで対応することを検討しています。」

「柴田さんはソロの配信でも人気がありますし、星野さんは器用で何でもできそうですから、何とかなりそうですね。」

「器用というわけではありませんが、全力を尽くします。」

「両案とも問題になる可能性はありませんので、具体的な案が決まりましたら連絡して下さい。」

「承知しました。決まり次第ご連絡します。」

「また、『ハートリンクス』のタイアップの件も、おいおい相談させて下さい。」

「分かりました。方向性としてはどのように考えていますか?」

「溝口社長のお力で、春からハートレッドさんがCMをいくつか取れそうですので、その提供番組の主題歌が現実的ですが、将来的にはハートレッドさん主役のドラマで主題歌を歌うのが良いように思います。」

「分かりました。こちらでも検討します。」

「『ハートリンクス』に関しては、定期的に話し合いの場を持ちたいのですが。」

「こちらでも専任担当者を置こうと考えていたところで、定期的な打合せは、こちらからもお願いしたいところです。」

「有難うございます。」

「それにしても、本当に星野さんは『ハートリンクス』のプロデューサーなんですね。」

溝口社長が説明する。

「『ハートリンクス』に関しては一切を星野君に任せているから、よろしく頼むよ。」

「分かりました。」

「あと、星野君には申し訳ないが、『ハートリンクス』のワンマンの宣伝のビデオでは『ヒートマップ』もよろしく頼むね。」

「承知しています。少しでも目立つようにしようと思っています。」

「溝口社長、『ヒートマップ』というのは?」

「うちの売れない男子のアイドルダンスユニットだ。『ボイジャー』より4歳ぐらい若い。レベルは決して低くないんだが、この分野は激戦区だからなかなか難しいね。一度火が付けば、売れていきそうなんだが。」

「おっしゃる通りです。それで、その火をつける役を星野さんに依頼するんですね。」

「ファン層が違うので、それは難しいと思うが、うちだけで制作するビデオだから、ついでにと思って。」

「なるほど。」

「溝口社長がおっしゃる通り、ファン層が違うことが問題だと思いますが、全力は尽くすつもりです。」

「そうですか。ビデオを見るのを楽しみにしています。」

尚美が溝口社長に話しかける。

「ところで、先ほどのライブですが、溝口社長はどうされますか?」

「私が?えーと、星野君、何のことかな?」

「溝口社長がライブに出演する件です。」

「ははははは。アイシャ君のお許しが出て、再来週、ようやく柴田君のツインヴァイオリンの伴奏に参加することになったよ。平田さん、その節には、よろしくお願いね。」

「承知しました。」

「だが、さすがにライブ出演に関しては、もう少し考えさせてくれ。」

「承知しました。アイシャさんにその旨、伝えます。」

「溝口社長が出演したら、うちの川上社長も出ると言いそうですね。」

「そう言えば、まだ聴いたことはないけど、川上さんもヴァイオリンを弾くんだったね。」

「おっしゃる通りです。」

「それじゃあ、今度勝負してみようかな。」

「分かりました。そうお伝えします。」


 話がだいたい終わったため、尚美が話を変える。

「溝口社長、森永本部長、溝口マネージャー、鎌田さん、もしお時間があるようでしたら、『ハートリンクス』の3曲目がだいたい仕上がりましたので、カラオケはMIDIで作ったものですが、お聴き頂けますでしょうか。」

「この後、時間が決まっている仕事はないから、是非、聴きたいね。」

「社長は本当にお忙しいんですね。私は後は帰るだけですから、ぜひ聴かせて下さい。」

尚美が自分のノートパソコンを部屋のスピーカーに接続しながら答える。

「歌っているのは、レッドさんのパートはレッドさんが、残り4人のパートはアイシャさんと明日夏先輩が手分けして歌っています。」

「さっきのヴァイオリンのところで名前が出てきましたが、アイシャさんというのはクラシックの方ですか?」

「はい、パラダイス興行のヴァイオリン演奏で、事務所では作曲も手伝っています。この曲を主に作曲したのはアイシャさんで、編曲もアイシャさんと平田社長です。」

「それはすごいですね。」

「本当に肝の座った女だな。」

溝口マネージャーが同意する。

「アイシャさんは、社長と対等、もしくは少し上から見ているところがあって、芸能人になる気がないからかもしれませんが、私は見たことがないタイプです。」

「溝口マネージャーからそう見えるということは、本当にすごい方なんですね。」

「星野さんも、明日夏さんも、パラダイス興行の皆さんは見たことがないタイプの方ばかりです。始めは何だこの人たちはと思っていましたが、最近は慣れました。」

「ははははは、それには全く同感です。」

「それでは、流します。」


 曲が終わり感想を述べる。

「なかなか良かったよ。今回の歌は少しセクシーな感じを狙うんだね。」

「私もそう思います。今までが、可愛い曲、元気な曲でしたので順当だと思います。」

「衣装も、スリットスカートで、お腹、肩を露出するものにする予定です。」

「それはいいね。いつ発表するつもりなんだい?」

尚美は好評だったため、少しでも前倒しして、最も早い発表の機会を選ぶことにした。

「ミュージックキスのバレンタインデー特番で発表することを計画しています。」

「チューとキスだから相性はいいけど、あと2週間か。間に合うかな?」

「ハートレッドさんが月曜日からですが、他のメンバーはこの音源で明日から練習を開始する予定です。レコーディングは来週末になると思います。」

「しかし、星野さん、それだとMVの撮影が間に合わなくなります。」

「はい。できれば、練習風景とコメントのビデオは撮影したいと思っていますが、MVは本撮影をするまでは、ミュージックキスの録画を使う予定です。」

「それはすごい発想ですね。私たちでは思いつきもしないです。」

「とりあえずワンマンライブまではスピード感を大切にしようと思っています。」

「今の時代はその通りだと思います。逆に、お恥ずかしい話、こちらのCDの企画の方が遅れに遅れていて。」

「森永さん、大きな会社では良くあることだし、1枚目のCDを失敗した『ハートリングス』が『ハートリンクス』になったとは言え、どれだけ売れるか疑問を持っている人も多いだろうからね。仕方がないと思うよ。」

「溝口社長にそう言っていただけると助かります。」

「それじゃあ、平田さん、そういうことだから、『ハートリングス』の4曲目もお願いできるかね。」

「承知しました。事務所を上げて全力で取り組みます。」

「有難う。森永さんのところも、CDの5月発売は仕方がないとして、ワンマンライブではタイトル曲を発表できるようにお願いしたい。」

「はい、曲の宣伝にもなりますので、全力で社内を説得したいと思います。」

「頼んだよ。」

「承知ました。」

「それで、他に話がある人はいるかな。・・・・いないようなら、今日の打ち合わせはこれまでにしようか。それで、南君。」

「はい。」

「南君はダンサーだから、自由な女として生きるのも、イメージ的にもいいと思うけど、ルール、特に法律を犯すようなことは絶対にやめてくれたまえ。これだけは絶対だ。そういうことをされると、僕も君を庇うことができなくなる。」

「承知しました。溝口社長のお言葉、肝に命じます。」

「うん、そうしてくれたまえ。」

こうして打合せが終わった。


 誠、パスカル、ハートレッドの遠隔会議では、結局30分ぐらい、絵コンテを描くのに費やしていた。

「もう、こんな時間ですので、古文・漢文の質問にしようと思いますが、ハートレッドさんが描いた絵コンテ、本当に素晴らしいです。」

「全くだ。」

「本当に、有難う。私も楽しかった。自分の仕事でも使ってみたいな。」

「『ハートリンクス』のMVの場合は、プロの方が作るんですよね。」

「それは、そう。」

「俺たちが撮影することがあったら、次は3人で相談して絵コンテを作るか。遠隔会議なら問題になることも少ないだろうし。」

「そうですね。赤坂さんに時間があるときは、そうしてみましょうか。」

「うん、お願い。この絵コンテももう少し考えてみるね。」

「それは嬉しいですが、アキさんやユミさんができないような技は入れないで下さいね。」

「それは例えば、腰をこんなふうに・・。」

ハートレッドが腰を振るダンスを始める。

「赤坂さん、ストップです。次の古文・漢文ができなくなります。」

「もう、監督は仕方がないわね。」

「世の中にはどうしようもないこともありますので、お願いします。」

「大げさな。でも、分かった。」

「それじゃあ赤坂さん、始めよう。古文・漢文の質問をしてくれ。」

「あれ、監督、ティッシュを鼻に詰めているの?」

「鼻血を出しても教えられるのが、遠隔授業の良いところだな。」

「いや、そうだろうけど。」

「時間がもったいない。始めよう。」

「分かったけど。」

 

 ハートレッドの古文・漢文の質問とその回答が終了した。

「監督、お兄さん、どうも有難う。あと一つお願いしたいことがあるんだけど。」

「何?」

「何でしょうか?」

「二人とも、そんなに身構えなくても大丈夫。今回は仕事の話。」

「安心した。」

「はい。」

「二人のキスは、映画で私のキスシーンが決まってからにするから、それまでは大丈夫。安心して。」

「それは安心できないけどな。」

「パスカルさんの言う通りですが、お願いしたいことと言うのは何でしょうか?」

「お兄さんは、『ハートリンクス対ギャラクシーインベーダーズ』のストーリーの概要は見たんだよね。」

「はい、妹から意見を求められました。」

「それは良かった。それで、ギャラクシーインベーダーズの仲間に虐待されるお嬢様アイドルとかお嬢様店員とかが出てくるのは見た?」

「はい、見ました。」

「それをアキさんにお願いできないかと思っているんだけど。」

「アキちゃんに?」

「監督そうです。アキさんって、すごいお嬢様っぽいし。虐待されるお嬢様は何回か出てくるけど、全部アキさんにお願いしようかと思って。」

「毎回役は違ってもキャストを固定する方法を使うんですね。でも、溝口エイジェンシーのタレントを使わないんですか。」

「今回はライブの宣伝用だから配信サイトで配信するだけで、プロデューサーの手持ち予算だけで撮影するので、無名な人しか使えないの。それだったら、私はアキさんの方が絶対にいいと思う。」

「妹からも予算はあまりないとは聞いています。」

「それでも、何万人とかは視聴する可能性が高いので、アキさんの宣伝にはなると思う。」

「それはレッドさんの言う通りです。パスカルさんはどう思います。」

「虐待されるというのは、どのぐらい?」

「まだ決まっていないけど、全年齢視聴可能の内容だから、縛られてくすぐられるとか、ハリセンで叩かれるとか、タライが落ちてくるとかじゃないかな。」

「タライ?」

「タライを落とされなければ、降参しろ、みたいな内容になるのかな。」

「なるほど。ギャグが中心のストーリーになるのか。」

「そうなると思う。服が破られることはあるかもしれないけど、全年齢対象だし、私たちの変身シーンよりは過激にならない。」

「『ハートリングス』の皆さんには変身シーンがあるのか。」

「それについても技術的なところで相談したいこともあるんだけど、時間があるときに聞いていい?」

「技術的なところなら、何でも相談に乗ります。」

「有難う。私たちは変身シーンではレオタードを着ることになりそうだけど、アキさんにはそこまでのものはないし、もちろん今回は水着もない。」

「レオタード!レッドちゃんが?」

「パスカルさん、想像は止めましょう。無我の境地です。」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、アーメン、アーメン、アーメン・・・。」

「画面では、まぶしくしてシルエットだけになると思うけど。」

「そうだろうけど、それでも刺激が強そうだな。」

「レッドさん、今回は水着もないと言いましたが、今回はというのは?」

「もし上手くいったら、映画化しようと話しているけど、その時は、全員が水着になるシーンを撮るかもしれない。出演者も撮影者もこちらでは選べないから、アキさんが出演できるかどうかわからないけど。」

「まあ、映画化の話は、俺たちは考えなくてもいいな。」

「それはそうですね。」

「『私とイイことしよう』の練習風景とコメントのビデオ、再生回数が結構多いから、私は二人を推薦してみるけど、やっぱり映画だから。」

「それは分かっているから、無理はしなくて大丈夫。」

「そのビデオの件ですが、どのシーンの再生が多いか分かりますか?」

「きちんとした分析は一週間ぐらいしてからになると思うけど、私の蹴上がりシーンの再生回数が本当に多いらしい。」

「世の中には、湘南のようなやつが多いんだな。」

「パスカルさん、レッドさんの蹴上がりは本当に綺麗だったと思います。」

「でも、高校のときの彼女には敵わないんだよね。」

「ですから、彼女ではありませんし、うちの高校では女子体操部のエースでしたので、動きが違う感じです。でも、赤坂さんの蹴上がりは素人っぽさが残っていて、近所の体操が得意な女の子と言う感じで、親近感を感じていいです。」

「でも、お兄さんは高校のときの子の方がいい。」

「そう言えば、ユミさんの出演は考えなくていいんですね。」

「あっ、ごまかした。それじゃあ、外見はどっちがいい。」

「赤坂さんと一般の人だと勝負にならないです。」

「どっちがいい?」

「それは圧倒的に赤坂さんです。でも、赤坂さんは思ったより負けず嫌いなんですね。」

「そうか。普段はそうじゃないはずなんだけど。」

「僕もそう思っていましたが、受験勉強を一生懸命するところを見ると、本当はいい意味で負けず嫌いなのかもしれません。」

「有難う。それで、ユミさんについては、小学生の女の子を虐待するのは無理ということと、夜の空いている時間に撮影する予定なので、労働基準法的にも無理だから見送ることにしたみたい。」

「それは赤坂さんのいう通りです。」

「あとアキさんを虐待するのは、『ヒートマップ』という去年デビューした溝口エイジェンシーのオタ芸ユニットにお願いする予定。」

「パスカルさん、知っていますか?」

「すまん。男性ユニットは全然詳しくない。」

「僕もです。」

「それで、始めは『ヒートマップ』のメンバーがアキさんを応援しているところに、『ギャラクシーインベーダーズ』が現れて、『ヒートマップ』のメンバーに操られて、アキさんを襲う設定になっている。襲うのがプロデューサーたちじゃなくて安心した?」

「はい、安心しましたが。」

「でも、湘南、アキちゃんが出るか出ないかについては、アキちゃんに直接聞いてみないと、俺たちじゃ答えられないよな。」

「パスカルさんの言う通りです。SNSで今の内容を伝えて、土曜日の再撮影の時に返事してもらいましょうか。」

「そうだな。赤坂さん、返事は土曜日と言うことで大丈夫?」

「土曜日の再撮影というのは、さっき絵コンテを描いたビデオのこと?」

「その通り。赤坂さんの意見を参考に、今週土曜日の15時から再撮影をする予定。」

「それじゃあ、土曜日に私が行って直接聞くよ。もう少し詳しい話もできるし、アキさんのパフォーマンスにアドバイスができるかもしれないし。」

「だけど。」

「これでも『ハートリンクス』のリーダーなんだよ。ユニットの未来がかかっているから頑張らないと。」

「嬉しいのですが、赤坂さん、受験勉強は?」

「午前中にちゃんとやるから。約束する。それに、お兄さん、監督、アキさんについても、芸能人になりたいなら過保護はダメよ。」

「それはそうかもしれません。」

「湘南、アキちゃんにとってはすごいチャンスだし、本当は赤坂さんが下手に出る話ではないんだよな。」

「それはパスカルさんの言う通りなんですが。」

「それじゃあ、私が決めた。場所と時間を教えて。」

「分かりました。」


 誠がハートレッドに場所と時間を伝える。

「土曜日15時から新宿のスタジオで撮影ね。了解。」

「僕たちは14時ごろから準備を始めていますので、早く着く必要はありませんが、少し早く着いても外で待つ必要はありません。」

「分かった。」

「あと、二次試験まであまり時間がありません。勉強の質問は随時受け付けますので、質問がありましたら気軽に連絡して下さい。」

「おう、湘南の言う通りだ。」

「有難う。金曜日は夜にテレビの仕事があるから、明日連絡できるとしても、夜の10時ごろになるかな。」

「その時間、僕は妹と電車の中で、見ることはできても話せませんので、パスカルさんの古文・漢文を質問して下さい。昼は話せる場所に移動しておきますので、もし数学の質問がありましたら、その時にお願いします。」

「俺も明日はパソコンを持ってきて、昼に外に出て連絡できるようにする。」

「本当に有難う。それじゃあ、また明日の昼ね。」

「はい、また。」

「またな。」

誠が遠隔会議室を閉じた。


 パスカルが誠に話しかける。

「赤坂さんの家庭教師が終わると寂しくなりそうだな。」

「僕もそう思いますが、パスカルさん、僕たちには『ユナイテッドアローズ』をメジャーで活躍できるようにするという目標があるじゃないですか。」

「そうだったな。」

「それに、人妻トリ何とかもありますし。」

「マリちゃん、やる気満々だからな。頑張らないと。」

「その通りです。」

「まあ、そっちの方が俺たちには似合っているしな。」

「パスカルさん、それは贅沢です。1年前の僕なら、アキさんやユミさんのような女性のプロデュースをするなんて夢のようなことは考えられなかったです。」

「なるほど、俺も同じだ。俺の部屋に女子高校生が来るなんて考えもしなかった。」

「ですよね。今はアキさんのビデオ出演の件、早く連絡しないと。」

「おう。」


 パスカルと誠がアキPGでアキに連絡する。

パスカル:アキちゃん、ちょっと話があるんだが

湘南:それなりに重要なお話です

アキ:何、二人とも改まっちゃって。もしかして大学館の写真集の話?

パスカル:そうじゃない。ハートリンクス対ギャラクシーインベーダーズの撮影を手伝うかもしれないという話はしたよね

アキ:それは知っているわよ。私も音声を担当するかもしれないと思ってマイクの使い方の本を読んでいるけど、撮影の日程が決まったの?

パスカル:そうじゃなくて、その話の中にギャラクシーインベーダーズの手下に虐待されるお嬢様アイドルとかお嬢様店員とかが出てくるんだけど、それをアキちゃんがやらないかという話が来た

アキ:本当に。でも虐待されるって、どんな感じ?

パスカル:全年齢対象のビデオだからそれほど酷いことはないという話だけど。縛られてくすぐられるとか、ハリセンでぶたれるとか、タライを落とされるとか

アキ:何それ

湘南:全体的にギャグみたいな構成になるそうです。それでアキさんが虐められる頂点でハートリングスが現れるみたいです

アキ:なるほど

ユミ:あの私にはその話はないんですか

湘南:小学生を虐待するのは問題になるのと、二つのユニットの空いている時間に撮影するので、撮影する時間がかなり遅くなることがあるから無理と判断したそうです

ユミ:残念

アキ:服を脱いだりするの?

パスカル:服を破られることはあるかもしれないけど、全年齢対象で、向こうの変身シーンよりは過激にはならないって

アキ:確かにあの手の変身シーンは一瞬裸になるわよね。でも、パスカルは変身シーンの撮影は楽しみなんでしょう?

パスカル:いや、さすがにその撮影はこちらにまわってこないだろう。でも、できたビデオを見るのは楽しみかな

アキ:みっともないから鼻血は出さないでね

パスカル:鼻血を出さないと心臓に負担がかかる

アキ:困ったやつ

コッコ:何だ何だ、何かすごいことになりそうだな。アキちゃん、服は思いっきり破ってもらってよ。そういうシーンを描く参考になる

アキ:コッコ、勝手なことを言わない。だったらコッコが破ってもらえばいいじゃない

コッコ:お嬢様みたいな人を求めているなら、私は絶対お呼びじゃないな。それに私が破られたんじゃ私から見えないし

アキ:人のことだと思って

コッコ:大丈夫、大丈夫。もしアキちゃんがお嫁に行けなくなったら、パスカルが責任を取ってもらってくれるから

アキ:えー、パスカルと

湘南:コッコさん、アキさんはまだ17歳ですのでそういう話は止めましょう

アキ:湘南、失礼ね。私はまだ16よ

湘南:そうでした。申し訳ありません。あと2週間は16歳です

パスカル:湘南、やっぱり断ろうか

湘南:そうですね

コッコ:アキちゃんが16歳であることを再確認してビビるパスカルと湘南

アキ:二人ともお願いだから勝手に断らないで。いつまでに決めればいい?

パスカル:今度の土曜日の再撮影の時までに返事をくれると嬉しい

アキ:分かった。それまでに決めておく

湘南:その時に質問できる人が来る予定ですから、質問したいことがあればまとめておくといいと思います

アキ:来るのは妹子?

湘南:違いますがその時には分かると思います

アキ:分かった。でも私の服を破くのが妹子たちということはないわよね

湘南:はい。『ヒートマップ』というオタ芸ユニットが最初お嬢様アイドルを応援しているのに、操られてそのアイドルを襲うという設定だそうです

ユミ:ちょっと待って下さい。それは本当ですか?

アキ:ユミちゃん、何?もしかして『ヒートマップ』を知っているの?

ユミ:去年デビューしたすごいイケメンを揃えたユニットなんですが、オタ芸とか完全にイケメンを無駄遣いしています

アキ:さすがユミちゃん

ユミ:本当はもっとずっと人気が出るはずです。ダメプロデューサー、出てこい!と言いたいです

アキ:ユミちゃんが怒っている

ユミ:えー、でもアキ姉さん、ずるいです。『ヒートマップ』にオタ芸で応援してもらって、服まで破いてもらえるんですか

アキ:服まで破いてもらえるって、ユミちゃん、発想が危ない

ユミ:でも本当にイケメンなんです。画像のリンクを送りますね


 ユミが画像のリンクを送る

アキ:うん、確かにみんなイケメンよね

ユミ:正統派のダンスユニットとして売り出せばいいのに

コッコ:正統派のダンスユニットは乱立しているからじゃないの

湘南:溝口エイジェンシーには『ボイジャー』もありますから、競合を避けたのかもしれません

ユミ:ボイジャーのメンバーもイケメンですけど、『ヒートマップ』の方がイケメンでその上可愛い

パスカル:確かに『ボイジャー』より若そうだな

ユミ:それはプロデューサーのいう通りです。平均年齢が4歳ぐらい違います。リュウ、ユッキー、ホップ、タカの4人ともイケメンで可愛いです

アキ:私はこの人たちに縛られたり、くすぐられたり、服を破られたり、タライを落とされたりするのか

ユミ:羨ましいです。私も高校生と鯖読んでみましょうか

アキ:ユミちゃん、さすがにそれは無理

パスカル:未成年だと出演に両親の許可が必要になりそうだし

ユミ:ママは裸になると言っても絶対に大丈夫だと思うけど、パパがだめと言いそう

湘南:僕もそうだと思います

アキ:未成年なら私も親の許可が必要ということね

パスカル:そうなる

アキ:分かった。出ると決めたら親に話しておく

ラッキー:二人とも親と僕が契約を結んでいるから、法律的には僕が出演を了解すれば大丈夫だとは思う

湘南:芸能事務所に一任する承諾を取っておけば、一回一回の出演に親の承諾書はいらないということですね

ラッキー:その通りだけど、やっぱり親には話しておいた方がいいかな

アキ:分かった。それとなく話しておく

ユミ:それでママで思い出したんですが、土曜日はパパが仕事でママが自分のユニットの練習とかで私が徹の面倒を見なくてはいけないんですが、連れてきてもいいですか

パスカル:徹君はこっちの誰かが面倒を見るから、ユミちゃんが可愛い弟に気を取られなければ大丈夫だけど

ユミ:はい、撮影中は撮影に集中します

アキ:ユミちゃんならできる

パスカル:それなら大丈夫、こちらで何とかする

ユミ:有難うございます

ミーア:パスカル一尉、困っているようだな。大丈夫だ。徹君の面倒は私に任せてくれ。そして一尉と二尉は、心置きなくビデオ撮影に専念してくれ

湘南:三佐、お時間は大丈夫ですか。午前中は雑誌社の仕事があると思いますが

ミーア:二尉、幸運なことに土曜日の午後は夜まであいているから大丈夫だ。私だけ夜から『私といっしょにイイことしよう』の練習が入るが

アキ:トリプレットが『私といっしょにイイことしよう』をカバーするんですか?

湘南:アキさん、すみません

アキ:そうね、聞いちゃいけないわね

ミーア:二尉、すまん。口が滑った。曹長、申し訳ないが日曜日のミュージックキスを楽しみにしていてくれ

アキ:はい、楽しみにしています

パスカル:話を戻すと、ユミちゃん、みんなもいるから心配はいらない

ユミ:分かりました。それが困ったことに、徹もミーアさんに会えれば喜びますので仕方がありません

ミーア:お姉さま、徹君が私に会うと喜ぶって、それは本当ですか?

ユミ:お姉さまって、私ですか?

ミーア:はい、お姉さま

ユミ:本当に大丈夫ですか?

ミーア:大丈夫です。徹君が望むなら何でもしますと伝えておいてください

ユミ:歌だけでいいです

ミーア:お姉さまがそう言われるのならばそうします

ユミ:有難うございます

ミーア:お姉さま、もう少し私を信用して下さい。これでも私は『トリプレット』のメンバーですから、リーダーや由香に迷惑をかけるようなことは絶対にしません

ユミ:ミーアさんが『トリプレット』のメンバーになれた理由が分からないのですが、それならまず、お姉さまは止めてください

ミーア:ユミお姉さん、分かりました

ユミ:分かっていません。ユミって呼び捨てでいいです

ミーア:お姉さまに向かって、呼び捨ては失礼です。それではユミ様で

ユミ:分かりました。とりあえずはそれでお願いします

ミーア:はい、ユミ様

湘南:ユミさん、僕も定期的に徹君と三佐を見るようにします

ユミ:湘南兄さん、有難うございます

ミーア:ところで、二尉、『ヒートマップ』にいい噂を聞かないので、出演の話を受けるなら、曹長に注意を払わないとダメだぞ

アキ:そうなんだ

ミーア:ちょっとイケメンだから調子に乗っているという話がある

ユミ:ミーアさん、お言葉ですが、『ヒートマップ』はちょっとイケメンじゃなくて、すごいイケメンです。あまり人気がないのは運営が悪いんです

ミーア:ユミ様、イケメンで言うなら徹君の方が、『ヒートマップ』の100倍ぐらいイケメンです

ユミ:徹はとても可愛いですが、そういう対象じゃないです

アキ:あとユミちゃん、今から受ける事務所の悪口を言っちゃだめよ

ユミ:それはそうですが、もったいないというか、『ヒートマップ』のメンバーがかわいそうです

湘南:三佐、悪い噂というのは具体的にはどんな感じですか

ミーア:ファンの女の子を個人的に誘ったりしているという話が出ている

湘南:事務所は注意しないんですか

ミーア:もちろんしているはずだ。だが熱狂的なファンが少数いて、プライベートに連絡しているため分かりにくい

湘南:それはそうですね

ユミ:私も熱狂的なファンになれば誘ってくれるかな

アキ:小学生は誘わないと思うよ

ユミ:化粧して行こうかな

アキ:化粧しても分かると思う。それに、そんな人たちなら、飽きたらすぐに捨てられちゃうよ

パスカル:アキちゃんの言う通りだぞ

ミーア:実際、噂が出た理由は捨てられたファンがSNSに書いているからのようだ

湘南:それで大丈夫なんですか

ミーア:写真のような証拠はなく、それほど有名でないから騒ぎにならない

湘南:なるほど

アキ:ユミちゃん、分かったでしょう

ユミ:はい。イケメンと付き合う以上、捨てられるリスクを覚悟しないといけないということですね

アキ:違う!

ユミ:アキ姉さん、飽きられないように頑張ればいいんです。終わりを恐れて始まらないよりは絶対にいいです

アキ:いいことを言っているようだけど、困った

湘南:アキさん、さすがに小学生に手を出すことはないと思いますので、やっぱりアキさんの方が気を付けた方がいいと思います

アキ:私は心配無用。だってプロのアイドルになれなくなるじゃん

湘南:さすがです

ミーア:最初に4人で女性2人を誘って、途中で二つに分かれて女性を一人にするそうだ

コッコ:陳腐な手だね。でもアキちゃんはイケメン男子に囲まれても舞い上がらないから大丈夫だと思うよ

アキ:コッコ、有難う

ユミ:アキ姉さんが大丈夫なら、私も撮影を見に行きますから、アキ姉さんと私の二人で誘いに乗って、後は別々に行動すれば問題ないです

アキ:もう、ユミちゃんは

ユミ:アキ姉さん、心配しないでください。小学生と付き合ったことがバレたら社会的に生きていけませんので、うまく立ち回れば捨てられることはありません

コッコ:罠にかかったふりをして罠をかけるのか。怖い小学生だね

ユミ:虎穴に入らざれば虎子を得ず、です

アキ:ユミちゃん、危ないからやめなさいよ。三佐も何か言ってください

ミーア:それはいいな

湘南:三佐、小学生の僕と別れられると思っているの、と徹君から脅される妄想は止めて下さいね

ミーア:もうやだな、二尉は、ははははは

パスカル:とりあえず『ハートリングス対ギャラクシーインベーダーズ』の撮影はまだ先だから、今はアイドルコンテストの出演を目指して集中しよう

アキ:了解

ユミ:了解です

ミーア:了解だ

パスカル:それでは土曜日、湘南は14時、それ以外は15時に

コッコ:私も14時ごろに行くけど、何か面白いことが起きそうだな

アキ:起きないわよ。それじゃあ土曜日に

ユミ:土曜日、頑張ります

湘南:はい、頑張りましょう


 尚美たちがバンで事務所に向かっていった。

「社長、俺が言った通りリーダーがいて正解だったでしょう。」

「そうだね。話が上手くまとまった。」

「それでリーダー、俺は3月中旬からワンマンまで自重していればいいんだよな。」

「ですから、そうではないんです。」

「さっきもそう言っていたけど、それじゃあ、どうすればいいんだ。」

「普通にしていてください。その代わり、お酒やタバコを含めて、法律に触れるようなことは一切しないでください。」

「それは分かっている。二人でホテルに行ったりするのは?」

「構いません。」

「分かったけど。分からないな。どうやって、その期間にスキャンダルになることを防ぐんだ。溝口社長が雑誌社に圧力をかけるのか?」

「雑誌社は多数ありますので、溝口社長でも全部に圧力をかけるのは難しいでしょう。ですから逆に3月初めまでに、溝口事務所の方から雑誌社にリークすることになります。」

「わざとリークするのか。」

「はい、それで具合が悪い期間に記事になることがなくなります。」

「でも。」

「豊さんは今は一般の方ですので、情報が出ても由香さんの高校の先輩ということぐらいだと思います。」

「高校のやつらはみんな知っているから、それなら大丈夫か。」

「はい。それで、少し伺いますが、豊さんはプロのダンサーになりたいんですか?」

「俺は豊のダンスが好きなんだが、オーディションに受からないし、さすがに最近は無理だと諦めているみたいだ。」

「それならば、このスキャンダルの時に自分から名乗り出て、豊さんの名前を売り出すという選択肢もあります。」

悟が止める。

「尚ちゃん、尚ちゃん、そういうことをすると、ことが大きくなって、由香ちゃんのリスクが大きくならない?」

「はい、話題性が大きくなりますので、リスクも増えますが、うまく行けば由香先輩の名がもっと売れますし、豊さんも名前が売れてプロのダンサーになれる可能性もあります。」

「それは尚ちゃんのいう通りだけど。」

「判断は由香先輩と豊さんにお任せしますが。」

「俺と豊で決めていいんだな。」

「それはもちろんです。でも、スキャンダルが表ざたになってから2~3日以内に決めて下さい。私はどちらでも対応します。」

「分かった。」


 尚美と由香を渋谷駅で降ろして、悟は事務所に戻った。

「ただいま。」

「悟、お帰り。どうだった。」

「尚ちゃんといっしょにいると自信を無くすよ。」

「ということは上手くいったのね。まあ、良かったじゃない。」

「うん、大きな問題はなかった。それと『ハートリンクス』の4曲目の仕事ももらったから、頑張らないと。」

「3曲目の伴奏の録音もまだよね。」

「そっちは楽譜はできているから『デスデーモンズ』とアイシャちゃんのヴァイオリンで録音すればいいから何とでもなる。それより、続けて4曲となると、さすがにネタが尽きてきたかな。とりあえず、誠君とアイシャちゃんと方向性だけでも相談しようと思う。」

「良かったわね。音楽に詳しい仲間ができて。」

「そうだね。」


 渋谷駅の待ち合わせ場所にいる誠のところに、尚美と由香がやって来た。

「お兄ちゃん、お待たせ。」

「兄ちゃん、こんばんは。」

「南さん、こんばんは。妹がいつもお世話になっています。尚、お疲れ様。雰囲気からすると打合せは上手くいったみたいだね。」

「その通り。リーダーのおかげだぜ。」

「それは良かったです。」

「でもまだ、いろいろ決めなくちゃいけないことも残っているんだけど。」

「そうなんですね。」

「とりあえず、兄ちゃんたちの電車に乗ろう。」

「南さんはこっちでしたっけ?」

「途中までいっしょに行って離脱する。」

「大丈夫ですか?」

「最短コースじゃないけど、今日はそっちの方向に帰るから大丈夫だ。」

「そっ、そうなんですね。分かりました。」


 3人が駅のプラットフォームに向かう。

「南さん、何か相談ですか?」

「その通りだ。リーダーは俺と豊がスキャンダルになったときに豊が名乗り出れば、豊も有名になることができて、豊のプロダンサーとしての道が開ける可能性があると言っているけど、お兄ちゃんはどう思う?」

「僕に聞くということは、真剣に悩んでいるということですね。」

「まあな。亜美が兄ちゃんはリーダーに勝るとも劣らないと言っているので、聞いてみようかと思って。」

「分かりました。尚、どんなふうに名乗り出るつもりなの?」

「まだ、具体的には考えていないけど。」

「出版社に抗議するのは得策ではないと思う。」

「それはそうだね。」

「悪いことじゃないんだから、二人で記者会見を開いて、仲が良いところを見せる感じがいいんじゃないか。付き合いながら『トリプレット』を続けていくことを宣言する感じ。」

「そうか。それがいいかも。」

「問題は二人だけで記者会見をきちんとできるかということかな。そのときは二人以外は表に出ない方がいいから。」

「豊と俺だけで記者会見を受けるのか。」

「そうなると思います。尚たちはそれに答える形で翌日に会見を開けばいいと思う。」

「そうだね。それでお兄ちゃん、時期はどうする?」

「スキャンダルになって1週間後ぐらいかな。それまでは、どうするか迷って相談していたということで休んでいたと説明する方がいいと思います。」

「それは私も同意見。問題は記者会見での質疑か。質問に対する答えはある程度作っておけるけど、予想しない質問が出てくることはありそう。」

「それに、発表文は読んでも大丈夫かもしれないけど、質問に読みながら答えると見ている人の印象が悪くなると思う。」

「誠実さが求められる会見になるからね。」

「あと、南さん、南さんと豊さんは過去に法律に違反するようなこと、例えば、未成年の時の飲酒や喫煙を含めて、そういうことをしていたことはありませんか?」

「ダンスばかりだったから大丈夫だと思う。」

「そうでしたら、基本的に正直に何でも答えればいいと思います。余計なことや余計な言い訳は言わないで、できるだけ誠実な態度を示せばいいと思います。」

「兄ちゃん、分かったぜ。」

「尚、それでも記者会見の練習はしておいた方がいいと思うよ。」

「うん、決まったら、そうする。」

「後は二人が誹謗中傷を受けるかもしれないけど、酷いものは事務所から警察に連絡してもらうだけで、基本的には無視をしていればいい。」

「うん、溝口エイジェンシーにはSNSの悪質な投稿の対策チームがあるから、酷いものはなんとかしてもらう。」

「それは安心だね。」


 由香と別れる駅に到着した。由香は、

「兄ちゃん、リーダー、有難うな。」

と言って電車を降りて行った。尚美が誠に話しかける。

「酷い誹謗中傷は事務所が対応するとしても、そこまでいかないレベルのものもたくさん来そうだよね。」

「うん、悪くすると1日に数百ぐらい来るかもしれない。あと、尚はリーダーだから、尚にも来る可能性もあるけど、尚は中学生だから誹謗中傷した人に誹謗中傷する人が現れて、SNSが混乱するかもしれない。」

「私は何万来ても大丈夫だけど。」

「本当に?」

「総理大臣になるならそれぐらいの覚悟は必要だよ。」

「ははははは、それはそうだね。」

「でも、やっぱり由香先輩は少し心配かな。」

「三佐は誹謗中傷に屈せず持論を展開できるタイプだろうけど、やっぱり精神的には一番由香さんが心配かな。」

「エゴサするなと言ってもするだろうし。どうフォローすればいいかな。」

「例えば、誹謗中傷の投稿1件に、うーん、僕じゃないから10円じゃ安いか、30円ぐらい支給するとか?」

「そうすれば誹謗中傷の投稿が30円に見えるようになるかもしれないということか。」

「うん、気が楽になるんじゃないかと思う。」

「人間は現金なものだからね。分かった。検討してみる。」

「あと、さっき由香さんには言わなかったけど、もう二つリスクがあって。」

「何?」

「一つは、単に僕がもてなくて思いつくだけならいいんだけど、豊さんに人気が出て、女性からもてるようになると。」

「浮気するということ。」

「うん。最悪は別れることになる。」

「男ってそういうものなの?」

「今はすごく仲が良さそうだけど、可能性がないとは言えない。」

「なるほど。」

「いや、豊さんは違うかもしれないけど、リスクがあるということ。」

「ふーん。もう一つは?」

「似たようなことだけど、豊さんの女性関係が明らかになるかもしれない。特に、現在や過去に、由香さんの他に付き合っている女性がいると、それが分かるということ。」

「もし今、他に付き合っている人がいたら、そんな奴、とっとと振ればいいじゃん。早期発見、早期対処で被害が少なくなる。」

「ははははは、尚はそうかもしれないけど。」

「何よ、お兄ちゃん、私を馬鹿にしているの?」

「そうじゃなくて、人間はそんな簡単に割り切れないというか、由香さんは本当に豊さん一筋だから、想像以上に精神的にショックが大きくなるかもしれないと思って。」

「そう言われればそうか。でも、そんなに人を好きになったりするもんなんだ。」

「それは人によるし、その人が歩んできた人生にもよるのかもしれない。でも、歴史を見ても不合理なほど人を好きになることはあると思うよ。」

「国を傾けることもあるからね。でも、そうなった方が本当は幸せなのかな。」

「僕はそういうことは絶対にないけど、それも人によるんじゃないかな。」

「まあね。」


 そのころ、ミサはインターネットでのアメリカのボイストレーナーによるレッスンを終え、バレンタインデーに誠にチョコレートを渡す方法を考えていた。

「レッドは、期待を持たせつつ義理チョコを渡すのがいいって言っているけど、実際にはどうやればいいんだろう。」

ミサが両手を伸ばして、チョコを渡す振りをする。

「誠、これ義理チョコだけど、尚にお世話になっている感謝のしるし。取っておいて。」

両手を戻してから考え込む。

「手を伸ばさない方が、誠に近寄れるからいいかな。」

今度は手を伸ばさずに渡す振りをする。

「誠、これ義理チョコなんだけど、受け取ってくれる。私が尚にお世話になっている感謝のしるしだよ。」

ミサがまた考え込む。

「そう言えば、パスカルさんにもプレゼントを渡すことをお願いするんだっけ。誠のときとは差をつけた方がいいわよね。パスカルさんへのプレゼントは片手で渡そうかな。」

ミサが片手を伸ばす。

「うちのレッドがいつもパスカルさんにお世話になっているそうだから、チョコレートじゃないけど、これをパスカルさんに渡してくれない。」

ミサがまた考え込む。

「誠とパスカルさんと、どっちを先にするといいんだろう。やっぱり、パスカルさんを先にすべきかな。そうだとすると、」

ミサがまたプレゼントを渡す振りを始める。

「うちのレッドが撮影でいつもパスカルさんにお世話になっているそうだから、これを渡してくれない。あと、誠には義理チョコをあげる。私が尚にお世話になっている感謝のしるし。受け取ってくれると嬉しい。」

それが終わると、ミサはハートレッドを思い出しながら考える。

「レッドならどうするんだろう。もっと期待を持たせるようなことをするのかな。それなら、最後に何か言葉を付け加えようか。やっぱり、初めてということを言うといいよね。」

ミサが不安そうな顔をして話す。

「本当のことを言うと、チョコを手作りするのは初めてなんだ。上手く作れているか自信がないんだけど、食べてみて。」

ミサが思い直す。

「こんなことを言うと、本命が他にいて、誠のチョコレートは練習のために作ったみたいだよね。うーん、どうしよう。」


 ミサはセリフは後でもう一度考えることにして、次に進むことにした。

「それじゃあ、肝心のチョコレートの作り方を調べておかなくちゃね。」

ネットで調べていると、チョコレートの作り方というページに目が行った。

「これがチョコレートの作り方か。」

ミサがそのページを読む。

「なるほど。最初にカカオ豆をローストして、殻を取るのか。殻をとる機械は必要そうね。それから粉にしてか。結構手間がかかりそうね。でも、世間の女の子はみんなしていることなんだから、負けるわけにはいかない。よし、頑張るぞ!」


 ミサは他に必要なことを考え始めた。

「他に準備しなくてはいけないことは・・・・。着ていく服を決めておかないと。」

ミサは写真集の記者会見でのことを思い出した。

「誠は私が裸で歌うと嬉しいと言っていたけど、誠のことだから、あれはたぶん歌に気持ちが乗って歌が良くなるという意味で嬉しいと言ったんだよね。それとも、みんなスタイルがいいと言ってくれるし、私が良かったのかな。どっちにしても、今回は歌うわけじゃないから、裸はだめだよね。何かいい恰好はないかな。」

ミサがスマフォでバレンタインデーの服に関して検索する。

「この恰好はなんだろう。裸エプロン!?これを喜ばない男性はいないか。裸の上にエプロンだけ付けるのか。うーん、私が着て行ったら誠はどんな反応をするかな。喜んでくれるならいいんだけど。」

ミサが閃いた顔をした。

「そうだ。プレゼントを渡した後に、ワンツーワンで歌もプレゼントすると言って歌えばいいのか。裸エプロンでチョコを渡すなら、そのエプロンを取って歌うことができるよね。歌にもっと気持ちを乗せて歌うことができれば、誠もきっと喜んでくれるはず。」

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