第46話 一周年(前編)
火曜日の朝、誠と尚美が湘南新宿ラインで東京に向かっていた。
「尚は新学期の準備は大丈夫?」
「うん、お兄ちゃんは。」
「僕の新学期は木曜日から始まっていたから。」
「へー、大学の冬休みはそんなに短いんだ。」
「その代わり2月中旬からまた春休みだけど。」
「それはいいね。」
「尚もそうだったけど、本当にいろいろなことがあった冬休みだった。」
「スキーの後は、新曲関係のイベントの準備と『ハートリンクス』かな。」
「『ハートリンクス』はうまく行っているの?」
「SNSのフォロー数や動画の再生数を見ると滑り出しは上々という感じ。」
「それは良かった。」
「お兄ちゃんは、早くアキたちのレベルを上げるように頑張って。」
「アキさんたちを『ハートリンクス』に加える話?」
「そう。時流に合わせてオタクのメンバーが欲しいのと、レッドさんは個人での活動を中心にして、人気が安定すれば早期に卒業してもらうかもしれない。それで、グリーンさんをセンターにする。」
「ハートレッドさんのことは分かるけど。」
「グリーンさんも、もう少し垢抜ければセンターになれると思う。私に決定権はないんだけど、アキは面倒な問題を起こさないことは分かっているから、推すことはできると思う。」
「アキさんのことは基本的にパスカルさんとマリさんが担当しているけど、有利かもしれないということは話しておくよ。」
「うん、お願い。ところで、アイシャさんも今日から高校なの?」
「東京の高校だから、そうなんじゃないかと思うけど、よく分からない。」
「高校の名前は?」
「知らない。」
「本当に?」
「本当だよ。高校の名前を秘密にしても仕方がないでしょう。たぶん、平田社長さんは知っているんじゃないかな。」
「そうだね。それじゃ社長から聞いてみる。でも、亜美さんも『ハートリンクス』の皆さんも高校が始まるから、これから夕方からの活動が増えるね。」
「平日の夜はずうっと空いているから、迎えに行くよ。」
「有難う。」
アイシャが通う東京の高校では始業式の前のホームルームが始まろうとしていた。教室に担任の教師が入ってくると、日直の生徒が号令をかける。
「起立!・・・・礼!」
「お早うございます。」
「お早うございます。着席して下さい。」
「着席!」
「みなさん、冬休みはどのように過ごしていたでしょうか。高校生活もあと1年と3か月です。大学を受験する人は共通テストまでは1年と2週間(著者注:本当の大学入試共通テストよりも1週間ほど遅くしている)です。せかすわけではありませんが、時間は止まってくれません。3学期も勉強と遊びを両立させて悔いのないように過ごして下さい。ところで、今日からこのクラスに新しい仲間が加わります。藤崎さん、教室に入ってきてください。」
「はい。」
と返事をしてアイシャが教室に入ってきた。教室の生徒は、アイシャの背が175センチと高いため驚きながらアイシャを見ていた。教師が黒板に名前を書く。
「それでは藤崎さん、自己紹介をお願いします。」
堂々とした話しぶりで、アイシャが話し始める。
「先生、有難うございます。私の名前は藤崎アイシャです。この正月に北海道の札幌から東京へやって来ました。これからよろしくお願いします。」
アイシャが一礼をすると、一人を除いて全員が頭を下げた。アイシャは教室を見回してから話を続ける。
「私の好きなことはヴァイオリンを演奏することで、将来の夢はソロヴァイオリニストになることです。東京に来た理由はヴァイオリン科がある東京の大学の受験の準備をするためです。ヴァイオリンとピアノを弾く以外はあまり何もできないですが、力はありますので、やらなくてはいけない力仕事がありましたら、私に任せて下さい。」
「うちの高校は教員も女性が多いから、力があるのは助かるわね。それじゃあ、アイシャさん、とりあえず窓際の一番後ろの空いている席に座ってください。」
「はい、先生、分かりました。私は背が高いですので、後ろの人の邪魔にならなくてちょうどいいと思います。」
「確かに席替えでは気を付けないといけないわね。」
「あれ!?」
「どうしたのですか?」
「私の前の席の人。」
「あー、そうね。テレビにも出演しているから。でも、学校では気にすることなく普通の生徒として接して下さい。」
「分かりました。」
亜美の高校も始業式の日で、教室ではホームルームが始まっていたが、あまり話を聞かずにアイシャと徹のことを考えていた。
「良く考えると、アイシャさんは徹君の従妹なんだから、礼儀正しくしないとだめだよね。毎日マリさんに会っているわけだし。今度アイシャさんに会ったら、きちんと挨拶しなくっちゃ。」
しかし、アイシャと徹の関係を妄想し始める。
「二日に一度、徹君をお風呂に入れて、並んで洗い物をしているということか。アイシャさんもそのうち徹君の魅力に気が付いて、毎日会えることをいいことに徹君を誘惑して、お姉さんは徹君が大好きとか、・・・・、あー変な妄想をしない。」
ホームルームが始まる「起立」という声で立ち上がり、「礼」という声で礼をし、「着席」という声で座った。どの動作もパブロフの犬のような条件反射による行動で、心の中では妄想を続けていた。
「二人で、外で遊んだりもするのかな。アイシャさんは体が大きいから抱っこをしたり。夏になったらプールに行ったりもしそう。ユミちゃんと徹君の二人でプールに行くのはまだ無理だろうから、マリさんじゃなければ、アイシャさんがついていきそう。背は低いけど私も水着なら少しは自信があるんだけど。それなら、私もいっしょに行く方法を考えないとか。そう言えば、マリさんは二尉を頼りにしているみたいだから、いっしょに行くかもしれないな。ということは、二尉に頼んでおけばいいのか。我ながら頭がいい。」
そういうことを考えているうちに、後ろの席から声がかかった。
「亜美さん、こんにちは。よろしくね。」
亜美はクラスで声をかけられることがあまりなかったため、少し驚いた。
「はいっ!?・・・・・。」
しかし、振り向いて相手の顔を見てもっと驚いた。
「・・・・・アイシャ・・さん・・・・なっ、何でここに。」
「何でって、今、先生が言ったでしょう。今日からこの高校に転校してきたって。」
「えっ、何で?」
「何でって、自分の成績と住んでいるアパートからの近さだけど、今はホームルーム中だから話は後で。」
亜美は先生が自分を見ていたことに気づいた。
「わっ、分かった。」
ホームルームが終わり、全員が始業式を行う体育館へ移動を始めた。アイシャと同じクラスの生徒がアイシャの周りに集まってきた。
「藤崎さん、すごくカッコいい。」
「本当に?有難う。アイシャでいいよ。」
「アイシャの身長は何センチあるの?」
「175センチかな。中学生のころからは変わっていないけど。」
「へー。兄弟は何人?」
「兄と弟がいる。それで男っぽいってよく言われる。」
「でも、顔も精悍でカッコいいからいいと思うよ。」
「有難う。でも、男子にはあまりもてないけどね。」
「アイシャはカッコよすぎて、男の子が近づきにくいのかも。」
「それは悲しい。」
「でも、佐藤(亜美の本名の苗字)さんを知っているということは、アイシャも実は芸能人なの?」
「芸能人とは違うかな。亜美さんと同じ事務所に所属しているけど、私はライブでバックバンドとしてヴァイオリンを弾く予定だよ。」
「バックバンドでヴァイオリンを!カッ、カッコいい。今度、どこで弾くの?」
「3月のヘルツレコードのライブでは弾く予定だけど。」
「本当に!絶対見に行く。」
「私も!」「私も!」「私も!」
「有難う。でも、バックバンドで演奏するだけだよ。」
「それでも絶対。」
亜美もアイシャから徹のことを聞こうと思ってアイシャの方に行ったが、アイシャの周りに他の生徒がいるために、その後ろに付いて歩いていた。ヘルツレコードのライブのことでアイシャが振り向いて亜美に話しかける。
「亜美さんも亜美でいい?」
亜美は「徹君と結婚したら、アイシャさんは義理の従妹で、徹君より年上だから、アイシャ姉さんと呼ぶのかな。」と考えていたため、アイシャの言うことをあまりちゃんと聞いていなかった。
「えっ、何!?」
「亜美さんを亜美と呼んでいい?」
「もちろん。それじゃあ、私はアイシャ姉(ねえ)と呼んでいい?」
「同じ年なのに、何で姉さんなの?背の大きさ?」
「何となく。」
「まあいいけど。それで3月のライブ、亜美も出るんだよね。」
「3月のライブ?」
「3月のヘルツレコードがさいたまスーパーアリーナで開催するライブに『トリプレット』が出演するんだよね。」
「たぶん、そうだったかな。」
「全然気がないみたいだけど。あっ、そうか、そっちより4月の所沢ドームのワンマンライブの方が気になっているんだ。まあ、ドームで3人でライブだもんね。」
「そう言えば。4月はドームでワンマンだった。」
「亜美、大丈夫なの?」
「『トリプレット』にはリーダーがいるから全く問題ない。」
「尚美さんか。まあ、そうかもしれないけど。」
「アイシャ姉、そんなことより・・・。」
「そんなことより?」
「・・・後で聞く。」
「パラダイス興行の話ね。分かった。」
「うーん。それじゃあ、また。」
「了解。また。」
亜美は「そうじゃないんだけど」と思いながらも話を止め、先に体育館に行くことにした。アイシャの周りの女子生徒が尋ねる。
「佐藤さんが学校で普通に話すのを初めて聞いた。」
「アイシャ、佐藤さんがあまり話さないのは秘密があるから?」
アイシャが答える。
「うん。一応、仕事だから守秘義務が課せられていて、勝手に話せないことも多いよ。」
「やっぱり、そうなんだ。」
「私の方は大したことはないんだけど、亜美のドームのワンマンライブとか、1日で2億円ぐらいのお金が動く仕事と言っているし。」
「1日で2億円!。すごいなー。」
「少し可愛いからと言って、あの性格でアイドルやっているとか信じられないって思っていたけど、いつも一人でいるのは秘密を話しちゃいけないからなのかな。」
「でも、いつもアニメのグッズを見ながら一人でニヤニヤしていて気持ち悪いよね。」
「そうそう。それで、一番気持ち悪いのは、小学生か中学生のサッカー少年のぬいぐるみにキスしたりするときかな。」
「でもさあ、そういうことをするのは、佐藤さんは男子と付き合うのを禁止されているからなのかも。」
「まあ、ぬいぐるみにキスする画像が流出しても、あまり問題にはならないわよね。」
「そう考えると佐藤さんも可哀そうな人ということか。」
「可哀そうな人って、どっちの意味?」
「本当に可哀そうということ。」
「でも、最近はそれもしていないかな。」
「もしかすると、それも止められたのか?」
「湊の話では、佐藤さんはイベントで1回に数百人とハイタッチするそうだし。」
「湊!何々、ミウの彼氏は佐藤さんのファンなの?」
「湊じゃなくて、湊の友達が星野なおみのファンで一緒に行ったって。」
「それは嘘かもよ。」
「それでも佐藤さんはない。佐藤さんと同じクラスと言っても、あまり興味を示さないし。」
「それじゃあ、星野なおみかもう一人のファンかも。」
「うーーーー。」
「アイシャは、星野なおみともう一人・・・」
「南由香さん。」
「そうそう。由香さんとかとも話すの。」
「事務所に来ていれば話すこともあるけど、私はバンドの方だから、話すのは平田社長か音楽担当の誠君が多いかな。」
「まあ、そうだろうね。でも、星野なおみや南由佳ってどんな人なの。」
「うーん、『トリプレット』だけじゃなく、うちの事務所の女性タレントは全員少し変わっているけど、能力が高い人ばかり。社長がそういう人ばかりを選んでいるって話を、別の会社のマネージャーから聞いた。」
「そうなんだ。」
「亜美も、動画サイトの歌を聴いてみたけど、落ち着いた歌が上手だと思うよ。高校生とは思えないぐらい。」
「そうそう、私も聞いたことがある。歌は上手だった。性格と一致していなくて、何か変な感じ。聴いていてすごい違和感がある。」
「亜美は、小さな子の面倒を見るのが好きで、本当はアイドルのイメージと違って家庭的な人なのかも。テレビでのイメージと素の姿は関係ないから。」
「さっきの感じだと、春に開催するライブも、あまり興味がないみたいだから、言われている通りにやっているだけなのかも。」
「まさにアイドル、テレビが作り出す偶像ということか。」
「そうなのかもね。確かに私もテレビで見たとき、似ているとは思ったけど、佐藤さん本人と分かったときには驚いた。」
「私も。」「私も。」
アイシャがまとめる。
「まあ、亜美は少し変わっているけど、悪い人じゃないから、よろしくね。」
「分かった。」「分かった。」
「分かった。でも、アイシャの方が今日転校して来たばかりなのに、変な感じ。」
「それもそうね。そんなことより、みんなの名前を教えて。」
「私は、加山美海。あだ名はミウ。」
「湊さんが彼氏のミウね。覚えた。」
「私は、工藤美奈。あだ名はビーナ。」
「私は、千葉羅夢。あだ名もラム。」
「ミウとラムね。覚えた。二人とも彼氏持ちなの?」
「それはミウだけ。」
「そうそう。それでアイシャは?」
「彼氏がいたら、こっちに来ないよ。」
「やっぱりそうだよね。でも、アイシャの場合、彼女持ちと言われても疑わない。」
「ミウ、自分だけ彼氏がいるからって、酷い。」
「ごめん。」
廊下に笑い声が響いた。
始業式は校歌を歌い校長先生の長い話を聞いた後、無事に終了した。3年生の中には悲壮感を漂わせている生徒もいたが、2年生はまだ余裕がある雰囲気だった。教室に戻る時もアイシャの周りに多数の生徒が囲んでいたため、亜美は一人で歩いていた。亜美が歩きながら
「アイシャ姉はすごい人気だな。私より芸能人に向いているんじゃないかな。私の代わりに『トリプレット』に入れば、女性ファンがたくさん集まりそう。その代わりに、私が徹君の面倒をみるとか。でも親戚じゃないから難しいか。」
とか、
「アイシャ姉じゃなくても、アキさんと代われば、週に1回は練習のためにマリさんの家に行けるのか。それでもいいのにな。アイシャ姉もアキさんも羨ましい。」
などと考えていると、ほどなく教室に到着した。教室についても、アイシャの周りには生徒が多数いて、ヴァイオリンのことやアイシャの生活について話していた。アイシャが話すマリさんの家の話では、亜美も聞き耳を立てていた。
「徹君は女の子にもてるのか。やっぱりそうだよね。可愛いもん。・・・・へー、マリさんの言うことは良く聞くのか。それじゃあ、やっぱりマリさんに失礼がないように気を付けないと。」
その日は、始業式の後、長めのホームルームが終わると授業は終わりとなった。
「今日はこれで終わりにします。明日から授業が始まるので、予習復習を欠かさないようにして下さい。あと、掃除当番の生徒は掃除をお願いします。藤崎さんは佐藤さんと同じ掃除の班に入ってください。」
「はい。」
「それでは、みなさんまた明日。日直の川崎さん、お願いします。」
「起立!・・・礼!・・・着席!」
アイシャが亜美に尋ねる。
「今日、うちの班は掃除?」
「えーと、そうみたい。」
「それじゃあ、ちゃっちゃと終わらしちゃおう。」
「分かった。」
教室の掃除はアイシャが机を率先して運び、だんだんと他の学生に指示するようになって、いつもよりだいぶ早く終わった。
「亜美、これで終わりで大丈夫?」
「全然大丈夫。いつもより丁寧にやっているぐらい。」
「そうか。それじゃあ、みんな掃除はこれでおしまいにしよう。」
全員が返事をして解散になった。
「亜美はパラダイス興業の事務所に行くの?」
「今日は新曲をダンスしながら歌う練習をする予定。レコーディングやMVは別々でいいけど、イベントではそうはいかないから。」
「さすがだね。それじゃあ、私も一緒に行こうかな。」
「何しに行くの?」
「社長と誠君が作曲している曲のアレンジを見てくる。」
「アイシャ姉は音楽に詳しいからね。」
「それほどでもないけど、ランチを食べてから行く?」
「そのつもり。」
「亜美のお勧めは?」
「私はいつも甘いものを食べてお終いかな。」
「亜美、それは体に悪いよ。サラダランチにしよう。」
「まあ、ダイエットしたいからいいけど。」
「今調べるから待ってて。」
「分かった。」
アイシャと亜美はサラダやスープでランチができる店に行き、高校生活やパラダイス興業のことに関して話した。そして、パラダイス興業に向かった。到着すると、悟が二人を迎えた。
「亜美ちゃん、アイシャちゃん、いらっしゃい。」
アイシャが先に返事をする。
「社長、橘さん、こんにちは。」
「社長、橘さん、こんにちはです。」
「二人が一緒に来たということは、どこかで待ち合わせたの?」
「それが社長、私は今日が初登校だったんですが、教室に行ってみたら、亜美が同じクラスにいたんです。」
「そうか。アイシャちゃんの履歴書を見たとき、どこかで見たことがある高校だと思っていたけど、亜美ちゃんの高校だったのか。」
「はい。それで私が座る席も亜美のすぐ後ろになりました。」
「それは、亜美ちゃんも驚いたでしょう。」
「はい、アイシャ姉に声を掛けられたときには驚きました。」
「姉って?」
「亜美によると、私がそういう感じだからそうです。」
「そう。まあ姉なら大丈夫か。」
「亜美が驚いたのは、先生が私を紹介した時に話を聞いていなかったからみたいで、いろいろ考えることがあるのかなと思いました。」
「亜美、こっちも大変だろうけど、学校の先生の話はちゃんと聞かないとだめよ。・・・・悟、なに笑っているの?」
「いや、久美は高校の時に先生の話を聞いていたのかなと思って。」
「聞いているわけないじゃない。だから言っているの。」
「ははははは、分かりました。僕も先生が話すことは聞いていた方がいいとは思う。でも、高校にあまり友達がいないと言っていたから、話し相手ができてよかったね。」
「それが、アイシャ姉はたった10分でクラスの人気者になっていて、アイシャ姉の周りに生徒が集まってきて、学校ではあまり話すことができませんでした。」
「でも、亜美、ここへ来る間に話せたでしょう。」
「肝心の話はできなかったけど。」
「肝心の話って?」
「そのうち話す。」
「分かった。」
「亜美とアイシャは女子高だっけ。そうすると、アイシャは背が高くて精悍な顔立ちをしているから、女子には人気が出そうよね。」
「もしかすると、橘さんも女子生徒には人気があったんですか?」
「アイシャ、それ、少年が言いそうなセリフね。でもまあ、靴箱に入っていたラブレターが女子からで、がっかりしたことは何度かある。」
「それは私も良くあります。でも、好きでもない男子からラブレターが来ても断るのが面倒なだけですが。」
「それはそうだな。」
「橘さん、アイシャ姉、下駄箱にラブレターが入っているなんて、アニメの世界だけじゃなくて本当にあるんですか?」
「亜美なんて、可愛んだからたくさん入っていそうだけど?」
「女子中、女子高、だったからかな。私にそういうことは一度もないよ。」
「悟は共学の高校でバンドをやっていたんだから、結構もらったんじゃない。女子生徒からのラブレター。」
「うーん、ジュンには敵わなかったけど。」
「それは分かるわ。」
「酷いな。」
アイシャが話を変える。
「ところで、社長、真面目な話をしてもいいですか?」
「ははははは、アイシャちゃん、ごめん。どんな話?」
「亜美のチャンネルで、私がヴァイオリンかピアノで亜美の歌の伴奏をすることを考えています。そうすれば、簡単に亜美の歌のバラエティーが増やせます。」
「それはいいアイディアだね。早速お願いしようかな。アイシャちゃんには所定のバイト料を支払うよ。」
「有難うございます。ちなみに、亜美の契約はどうなっているんですか?」
「動画収入の30%。」
「おー、さすがはプロの歌手。」
「アイシャ姉はバイト料で大丈夫なの?」
「もちろん。主役は亜美だし、伴奏なんてそんなもの。そんなことより曲を決めよう。」
「分かった。」
「この間聴いた、美香の『FLY!FLY!FLY!』は?あれなら今すぐにでも演奏できるけど。」
「無理。ミサさんと私じゃ、パワーゲインが4倍ぐらい違う。」
「パワーゲインが4倍。何それ?」
「核動力と通常動力ぐらいの差があるということ。」
「何を言っているか良くわからないけど、確かに、ミサさんの歌にはパワーがあった。」
悟が提案する。
「『アイヲウタエ』では?」
「知らない曲ですが、楽譜があれば何とかなると思います。」
「楽譜はあると思うから送るね。亜美ちゃんは?」
「歌は知っていますが、練習しておきます。」
「練習室があいているみたいだから、今から練習しよう。ピアノで伴奏するよ。」
「今から!?」
「その通り!社長、楽譜、出ました?」
「ああ、これ。」
「送ってくれれば、タブレットで見ます。」
「それじゃあ、今送るね。」
「有難うございます。それじゃあ、亜美、練習を始めよう。」
「分かった。」
二人が練習室に入り、練習を始めた。久美が悟に話しかける。
「尚とはタイプは違うけど、アイシャもリーダー向きね。」
「そうだね。尚ちゃんは知略を巡らすタイプで、アイシャちゃんはグイグイ引っ張って行くタイプかな。」
「まあ、のんびり屋の亜美にはいいかも知れない。」
「僕もそう思った。」
二人が練習を始めてしばらくしてから、尚美と由香がやってきた。尚美が練習室を見ながら悟に尋ねる。
「社長、あれは亜美先輩の動画配信チャンネル用?」
「その通り。アイシャちゃんが考えたみたいだけど、アイシャちゃんのピアノ伴奏、亜美ちゃんが歌ってビデオ収録するって。アイシャちゃん、楽譜があればすぐに演奏できるので、亜美ちゃんの曲のレパートリーも増やせそう。」
「アイシャさん、やっぱり音楽全般の能力が高いんですか?」
「そうだと思うよ。」
「そうですか。はい、有難うございます。」
由香が尚美に尋ねる。
「リーダーはアイシャに何かやってもらおうと考えている?」
「いえ、兄がアイシャさんは受験優先と言っていましたから。」
尚美たちが来たことに気づいて、アイシャと亜美が練習室から出てきた。
「それじゃあ、亜美、明日収録しよう。」
「私は大丈夫だけど。あの、社長、明日は授業が始まりますので、夕方からチャンネルのビデオ撮影をお願いできますでしょうか。」
「夕方ね。分かった。」
「そう言えば、社長、明日夏さんもピアノが弾けるのに、何で亜美さんの歌の伴奏をお願いしないんですか?」
「一応、明日夏ちゃんはメジャーのレコード会社と契約している歌手だから、レコード会社と相談しないと。」
「歌はともかく、演奏もダメなんですか?」
「そう言われれば、演奏に関しては特に取り決めはないかな。」
「それじゃあ、私から明日夏さんにピアノ演奏をお願いしてみます。やってもらえるようなら、私がヴァイオリンを弾きます。」
「でも、明日夏ちゃん、アイシャちゃんみたいに即興での演奏はできないかも。」
「分かりました。ピアノ用の楽譜は私が作っておきます。明日夏さんの連絡先だけ教えてください。」
「分かった。」
アイシャが悟から明日夏の連絡先を聞いて、明日夏にSNSで連絡した。明日夏さんからすぐに返事が返ってきた。
「明日夏さん、大丈夫だそうです。単なる亜美のマネージャーじゃないところを小学生たちに見せたいそうです。」
久美が尋ねる。
「アイシャ、それはどういう意味?」
「さあ?」
亜美が説明する。
「この間、アニメグッズの店で私が小学生の男の子に囲まれたとき、明日夏さんが私のマネージャーと言ったら、みんな疑いもなく信じたからだと思います。」
「なるほど、亜美ちゃんが小学生に囲まれた話は聞いたけど、そのときにそんなことがあったのか。まあ、そうじゃなくても明日夏ちゃんなら断らないとは思っていたけど。」
「話はまとまったようですので、私はヴァイオリンの練習もしなくてはいけなくて、申し訳ありませんが、ここで失礼しますが、明日夏さんのピアノと社長のベースの楽譜は家で作って、今日中に明日夏さんと社長に送ります。」
「えっ、僕も?」
「はい、僕も。」
「ビデオの撮影は?」
「誠君にお願いして、夕方からなら大丈夫だそうです。」
「手回しがいいね。まあ、ベースの演奏なら僕は楽譜がなくても大丈夫だよ。」
「そうですね。それでは皆さん、また明日。」
「また明日。」「また明日。」
アイシャが事務所を出て行った。久美が悟に話しかける。
「台風が来たみたいだったわね。」
「堀田さんもあんな感じだったの?」
「真理子先輩?うん、そんな感じだったかな。」
「堀田さんも、久美に対抗できていたぐらいだから常人じゃないとは思っていた。」
「何それ。」
「でも、悪いことではないと思うよ。」
「真理子先輩が居なかったら歌手としての私はいなかったから、そうだとは思う。」
尚美が亜美に話しかける。
「これから練習ですが、亜美先輩、疲れていませんか?」
「はい、あまり動いてはいませんので、振り付けの方から始めてもらえれば。」
「分かりました。それでは、由香先輩、亜美先輩、テレビ出演とリリースイベントに向けて、最後の追い込みを始めましょう。」
「おう、やろう。亜美もダンス、頑張れよ。」「分かってるよ。」
3人が練習室に入って、練習を始めた。
「亜美ちゃんの疲れに気を遣うところが尚ちゃんらしい。」
「アイシャの場合は、若いんだから平気平気とか言いそうね。」
「そうだね。」
次の日の夕方、ミサが練習のためにパラダイス興業にやって来た。
「橘さん、こんにちは。」
「美香、こんにちは?」
「明日夏とヒラっちは何をしているんですか?」
「亜美の配信チャンネルで伴奏するための練習をしているところ。」
「へー、ピアノとベースで楽しそう。私もギターで参加したいな。」
「美香は日本にはあと1か月も居られないんだから、歌の練習よ。」
「はい、残念ですけど、契約的にもだめだと思います。」
ミサと久美がもう一つの練習室に入り、練習を始めた。
その後、しばらくしてから、高校の授業が終わった亜美とアイシャも事務所にやってきた。二人は、悟、明日夏といっしょに練習を始めた。少しして、練習を終えたミサと久美も練習室に入ってきた。
「悟、どう?」
「うん、もう少し練習するけど、大丈夫だと思う。」
アイシャがミサに話しかける。
「美香はギターを弾けるんだよね。いっしょにどう?」
「事務所との契約的にできないと思う。」
「そうなんだ。事務所にお願いしてみたら?」
「橘さんのボイストレーニングとアメリカデビューと2回も無理を言ったところだから、今は難しいかな。」
「私からお願いしてみようか?」
「お願いするときは自分から言うよ。」
「うーん、それじゃあ、覆面を被ってギターを弾けば分からないから大丈夫じゃない。タイガーマスクとか?」
「アイシャ、それじゃあプロレスラーになっちゃうよ。」
「でも、美香、覆面ロックシンガーっていないこともないみたいだよ。」
「うん、それはもちろん知っているけど、やっぱり無理かな。でもそんなロックシンガー、良くアイシャが知っていたね。」
「前はロックにあまり興味がなかったけど、美香の歌を聴いてから、いろいろ聴いて調べているから。」
「それは嬉しい。私も時間ができたら、音楽理論をもっと真面目に勉強するよ。」
「それがいいと思う。」
「真理子先輩の姪のアイシャがロックを聴いていると知って、私も嬉しいぞ。」
「有難うございます。そうだ、橘さんも亜美の歌の伴奏に参加しませんか?」
「私はミサと違って、ヴォーカル専門で楽器はできないから。」
「それじゃあ、トライアングルで。」
「私がトライアングルを鳴らすの!?」
「はい。前にこの事務所にトライアングルがあるのは見ましたから。楽譜を用意してきてありますので、このタイミングで鳴らしてください。その方がこの曲、楽しくなりますよ。音で楽しむのが音楽ですから。」
「しかし。」
「亜美のためです。」
「うーん。」
「動画配信を見る人も楽しい方がいいに決まっています。」
「分かった。やってみるよ。」
「それじゃあ、2回ほど伴奏だけで練習しましょう。亜美は休んでいて。」
「分かった。」
悟が驚いた顔をする中、明日夏がピアノ、アイシャがヴァイオリン、悟がベース、久美がトライアングルで、2回ほど演奏した。
「大丈夫そうです。誠君はまだかな。確認してみます。」
「誠が来るの?」
「社長が演奏するので、ビデオ撮影は誠君に頼んだんだ。なおみさんといっしょで、駅からタクシーで来るみたいだから、そんなに時間はかからないはず。」
「でも、それならそうと言ってくれれば。」
「昨日社長に誠君に撮影を依頼する許可を得たので大丈夫だよ。」
「そう言うことじゃないんだけど。仕方がないか。」
「美香はその後も、明日夏さんたちとのボイトレがあるから、まだ帰らないんだよね。」
「そうだけど。」
「それじゃ、美香は撮影で誠君の方を手伝ってくれる。」
「えっ、いいけど。いいの?」
「いいのって?演奏者が多いから、誠君一人じゃ撮影と録音で大変でしょ。」
「分かった。誠を手伝う。」
「それじゃあ、誠君が来るまで、また練習しよう。」
2回ほど練習したところで、誠と尚美がやってきた。
「皆さん、こんにちは。」
「こんにちは。ビデオの撮影に・・・・・。えっ、橘さん、トライアングルですか。」
「アイシャがその方が楽しいからって。」
「分かりました。はい、アイシャさんが言う通り、楽しさは加わると思います。」
アイシャが誠に話しかける。
「誠君、美香にビデオ撮影の手伝いをお願いしたら、やってくれるということだから、手伝って欲しいことがあったら何でも言ってあげて。」
「えっ!」
「誠、大丈夫だよ。私は事務所との契約で出演することができないから、何でも言って。手伝うよ。」
「契約。そうですよね。分かりました。えーと、それでは、ミックスした音のバランスを確認してもらえますか。」
「分かった。」
「本当はマルチトラックレコーダーがあれば、それぞれの音を録っておいて後でミキシングできるのですが、ここだとライブ用のミキサーでミキシングして直接録音するので。」
「分かった。やってみる。」
「誠君、やっぱり、レコーディングスタジオ用の機材も揃えた方がいいかな。」
「本当のレコーディングのためには、レコーディングスタジオをレンタルした方が良いですので、こういう撮影の頻度によるんじゃないでしょうか。」
「それはそうだね。」
「それでは、僕はカメラとマイクをセットします。尚、申し訳ないけど、みなさんのイヤモニを用意してくれる。」
「了解。」
誠、ミサ、尚美でマイクやイヤモニの配置・配線を完了し、誠、ミサ、尚美もヘッドフォンを装着して、全員が音を共有できる状態になった。ミサが感心して言う。
「へー、こうやって配線するんだ。」
「美香さんのところは、みんなやってもらえるんですね。」
「うん。だから勉強になる。」
「ミキシングは美香さんに任せます。どのレバーがヴォーカル、楽器のボリュームに対応するか書いたものを貼りましたので、分かると思います。」
「これがヴォーカル、ピアノ、ヴァイオリン、ベース、トライアングルね。」
「その通りです。準備完了です。皆さんの手元にボリュームがありませんので、大きすぎたり、小さすぎる場合は言ってください。こちらで調整します。それでは、演奏を始めてみて下さい。」
アイシャが悟に話しかける。
「開始の合図は社長、お願いします。」
「オーケー、それじゃあ、みんな行くよ。試し撮り1回目。ワン、ツー、ワン、ツー、スリー、フォー!」
誠が録画と録音を開始し、演奏が始まった。ミサが亜美のボーカルと各楽器のボリュームを調整する。
「こんな感じで大丈夫。」
「はい、問題ないと思います。細かいところは美香さんの好みで行きましょう。」
「分かった。有難う。」
演奏が終わったところで、誠が再生して全員が確認した。誠が感想を言う。
「まとまっていて、かなり良かったでした。」
アイシャが亜美にアドバイスをする。
「演奏は大丈夫だと思います。亜美の歌はもっと楽しそうに、かな。亜美、いつもあまり楽しそうじゃないけど。」
亜美は「それは徹君とアイシャの関係を聞けないからだよ。」と思いながらも、
「そうそう楽しくしてはいられないよ。」
「まあ、プロのアイドルは大変なんだろうけど。歌詞からすると、好きな人といっしょにいることを想像しながらだといいんだろうけど。誰かいないの?」
「いない。」
「まあ、私も大好きな人はいないけど、少し好きな人もいないの?」
「アイシャ姉はいるの?」
「東京でなら、平田社長と誠君かな。音楽の話も合うし、いい人だし。」
ミサが「何、サラッと言っているの。」とムッとしていたが、アイシャは気にも留めていなかった。その時、急にアイシャにSNSの通話でマリのスマフォから連絡がきた。アイシャはとりあえずその通話に出た。
「はい、アイシャです。・・・・・・真理子さんが買ってきてって言ってたのね。・・・・検索してみるからちょっと待っていてね。その間、亜美と話していて。」
アイシャが亜美にスマフォを差し出す。
「亜美、調べ物があるから、ちょっとの間、徹君の相手をしていて。」
「徹君!」
「そうだよ。何回か会ったことがあるんでしょう。」
「いいけど、まだ心の準備が・・・。」
「心の準備って何を言っているの?」
亜美がスマフォを受け取ると、アイシャはタブレットでマリに頼まれた品物を売っている店を確認していた。ミサとアイシャ以外の人が不安そうな顔をする中、亜美がスマフォを通して徹に話しかける。
「徹君!?亜美だよ。覚えている?」
「亜美ちゃん。歌が上手なお姉ちゃん。」
「そうだよ。有難う。」
「いま、何しているの?」
「私の歌を録音しているところ。」
「僕も聴きたいな。」
「本当に!徹君が私の歌を聴いてくれるの?」
「うん。」
亜美が誠に尋ねる。
「このスマフォに歌っている音を流せる。」
「はい、小さなスピーカーの前に置けばなんとかなります。準備します。」
「有難う。」
誠が準備を始める。
「湘南二尉が大丈夫だって。それじゃあ今から歌うね。アイシャ姉もヴァイオリンを弾いているんだよ。」
「本当に。分かった。」
お店を調べ終わったアイシャが亜美に話しかける。
「亜美、有難う。お店は確認できた。」
「徹君が歌を聴きたいって。二尉がその準備をしてくれた。」
「亜美、了解。誠君、有難う。皆さんお待たせして申し訳ありません。それではビデオ撮りを再開しましょう。」
「了解。それじゃあ徹君、聴いていてね。」
演奏が始まり、亜美が元気に歌い出す。アイシャにも亜美が前より高揚して歌っていることが分かった。そして、
「へー、亜美の歌が元気になった。本当に子供好きなんだ。私も従妹なんだから、いいところを見せなくっちゃ。違うか、聴かせなくっちゃかな。」
と思いながらヴァイオリンを演奏した。演奏が終わると、亜美がスマフォを手にした。
「徹君、聴いてくれた?」
「うん、聴いた。亜美ちゃん、歌が上手。」
「有難う。これから何回か録音して、配信サイトにアップするからアイシャにお願いして見てみてね。」
「分かった。」
「有難う。それじゃあ、アイシャ姉にスマフォを渡すね。徹君、またね。」
「うん、また。」
アイシャが亜美から自分のスマフォを受け取る。
「徹君、ママに頼まれたものは帰りに買ってくるって伝えて。」
「うん。」
「それじゃあ、また。」
「また。」
アイシャが通話を切ると、亜美が全員に話しかける。
「もう少し歌い方を工夫するので、皆さん、もう一度お願いします。」
「亜美、今の調子で頑張ろう。」
「アイシャ、分かった。」
ビデオ撮りを再開し、4回ほど撮った後、撮影は終了した。
その後、アイシャはそこにいた全員に挨拶をして帰宅した。一方、明日夏、ミサ、尚美、由香、亜美でいつもの歌の練習を始めた。誠は悟と配線を片づけた後、撮影した亜美の歌のビデオの編集を始めていた。5回分のビデオの中で、一番良い部分を繋いでいき、オープニングとクロージングを付けて一本のビデオに仕上げた。
「社長、こんな感じでいかがでしょうか。」
「さすが、仕事が速い。僕だったら倍以上の時間がかかる。」
ビデオを見た悟と久美が答える。
「僕はいいと思う。」
「私、トライアングルを叩いているだけで、恥ずかしい。」
「でも、みんな楽しそうだからいいじゃない。」
「そうだけど。まあ、いいや。ちょっと向こうを見てくる。」
久美が5人が練習している練習室に入って行った。
「橘さん、大丈夫でしょうか。」
「照れ隠しなんじゃないかな。本人は楽しんでいたと思うよ。」
「橘さんが楽器をするとすればギターでしょうか。」
「そうだろうけど・・・・。」
「申し訳ありません。そうでした。」
「いや、僕は大丈夫だけど。」
歌の練習が終わって、全員が練習室から出てきた。
「二尉、ビデオができたそうだが、見せてくれるか。」
「はい。」
久美が指示する。
「みんな、私は見ないのよ。」
亜美は素直に答える。
「はい、橘さん、分かりました。」
明日夏が答える。
「えっ、橘さん、私はピアノで反対を向いていたから見れなかった。面白いのかな。見よ見よ。」
「明日夏!」
悟が久美を諭す。
「久美も何も言わなければ、みんな気にしないのに。」
「それも、そうか。」
誠が動画をディスプレイに映し、全員でそれを見た。見終わって、亜美が感想を述べる。
「二尉、ご苦労。さすがだな。」
「有難うございます。」
「ミサさん、完璧なミキシングです。」
「亜美、有難う。ミキシングも面白いけど、やっぱり私もギターで入りたかった。」
「ミサちゃん、うちは大歓迎なんだけど。ミサちゃんを出すと、無料でも溝口エイジェンシーさんからクレームが来ると思う。」
「ヒラっち、それは分かっているから大丈夫です。気にしないで下さい。」
明日夏が久美に話しかける。
「橘さんのトライアングル、完璧です。こんな見事なトライアングルの演奏は見たことがありません。」
「明日夏!」
「でも、何でトライアングルをやる気になったんですか?」
「悟には言ったけど、アイシャ、昔の真理子先輩に似ているからかな。」
「なるほど。」
「でも、少しだけバックバンドの気持ちが分かって良かった。」
「久美、その気持ちを大切にして、歌うといいかもしれない。」
「まあね。そうする。」
「それじゃあ、その動画は今日の22:00にアップロードするから、亜美ちゃんはSNSで宣伝しておいて。」
「分かりました。」
その日は、そこでお開きになった。帰りの電車の中で誠と尚美が話す。
「今日の亜美さんの動画、良かったと思うよ。音楽的にはしっかりしているのに、みんな楽しそうで、配信サイト向きだと思う。」
「音楽的にはしっかりしているんだ?」
「そう思う。亜美さんの歌の雰囲気も良かった。」
「ふーん。」
「どうしたの?」
「何でもない。アイシャさんのおかげだと思う?」
「そうだと思うけど。」
「アイシャさん、お兄ちゃんのこと、好きって言っていたね。」
「社長のこともそう言っていたから、音楽仲間としてということじゃないかな。」
「悪い気はしない?」
「それはもちろん。」
「ふーん。」
「何?」
「何でもない。」
「心配しなくても、僕たちを騙そうとしている感じはなかったよ。それに、アイシャさんはすごくもてそうだし。」
「私もそう思うけど。」
「アイシャさんは編曲と演奏ができるから、亜美さんのチャンネルに亜美さんの歌を週1ぐらいはアップした方がいいと思う。」
「動画サイトでは頻度は重要だもんね。」
「尚も電子リコーダーで出てみたら。中学生らしいし。」
「分かった。リコーダーなら吹けるから、やってみようか。」
「楽しみにしている。」
「有難う。」
その週の金曜日、明日夏は翌日のリリースイベントの宣伝のため、SNSに投稿する。
「1年前、アニメ『タイピング』の主題歌『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』でデビューしました。今日までアニソン歌手をやってこれたのは、皆様の応援のおかげです。本当にありがとう。嬉しいことに『アニメ『タイピング』の二期『タイピング ページ2』の主題歌『恋もDX』の担当も決まり、ちょうどデビュー1周年の明日、13時からリリースイベントを開催します。是非参加してください。」
その投稿に対して、「デビュー1周年、お祝いに行くよー。3枚目のCDも楽しみだよー。」「参加します。」「マネさんの晴れ姿、久しぶりに見れます。」「3枚目のCDリリース、おめでとうございます。明日が楽しみです。」「デビュー約1周年、おめでとう。これからも応援するので、頑張ってね。」「アスミサも期待しているよ。」のようなリプライが相次いだ。同様に、ミサや『トリプレット』の3人も翌日のリリースイベントの宣伝のSNSに投稿した。
翌日の土曜日は、明日夏だけでなく、ミサ、『トリプレット』の新曲の初めてのリリースイベントが開催される日である。朝早く起きたパスカルが始発の電車に乗り、明日夏のリリースイベントの会場に到着すると、セローが店の前で待っていた。
「おっ、一番乗りはセローか。さすが明日夏ちゃんのTO(トップオタ)だな。」
「あー、パスカルさん、お早うございますー。」
「おう、お早う。」
「3枚目のシングル、早く生歌が聞きたくて、バイクで来てしまいましたー。」
「そうか、こういうときにバイクは便利だな。」
「湘南さんは?」
「湘南は、妹子ちゃんの方も今日初めての新曲のリリースイベントがあるから、妹子ちゃんを送ってから来るそうだ。だから10時過ぎになるって連絡があった。」
「妹さんか。それじゃあ仕方がないなー。ラッキーさんはー?」
「SNSを見たら、羽田行きの飛行機に乗ったって書いてあった。」
「広島から来るんじゃ大変だー。」
「今日から明日夏ちゃん、ミサちゃん、『トリプレット』や声優さんのリリースイベントが始まるから、ラッキーさん、どこに行くか迷っていたみたいだけど、明日夏ちゃんのところにも何回かは来ると思うよ。」
「良かったー。ラッキーさんの感想は聞きたいなー。」
「まあ、そうだろうな。セローはこの後はどうするの?」
「あまり寝ていないから、帰って寝るよ。パスカルさんは?」
「俺は、明日夏ちゃん、『トリプレット』、ミサちゃんの三連チャンだ。」
「さすがー。」
「最近、休日が忙しくて、こういう時にまとめて行こうと思って。」
少ししてアキがやって来た。
「パスカル、セロー、お早う。ごめん、始発を一本逃してしまったわ。」
セローは明日夏の曲をイヤフォンで聴いていたため気が付かなかった。
「アキちゃん、お早う。自分の出番に遅れたんじゃないから、いいんじゃないか。」
「そうね。でも、やっぱりセローが一番か。」
「バイクで来たみたいだから。」
「なるほど。だから早いわけね。パスカルは明日夏ちゃんの後も行くの?」
「せっかくだから、『トリプレット』とミサちゃんにも行く。」
「私もそのつもり。コッコは?来ると言っていたけど。」
「コッコちゃんは夜遅くまで漫画を描いているから、来るとしても昼前じゃないかな。」
「そうね。この間は朝からいたけど。」
「あれは、アキちゃんとユミちゃんの振袖をスケッチするためだから。」
「そっか。せっかく振袖を着たんだから、コッコのためにもなれば嬉しいけど。」
「漫画のネタにアレーと言って振袖を脱がされるのをやってもらえば良かったって言ってた。」
「もう。ためにならなくてもいいわ。湘南は妹子を送ってからね。」
「そう。今日から『トリプレット』も3枚目のシングルのリリースイベントだから。妹子ちゃんを送ってから来ると言ってたよ。」
「それは仕方がないわ。ラッキーは?」
「ラッキーさんは広島を出発したところ。遅くてもミサちゃんの現場では会えると思う。」
「湘南とラッキーには『ユナイテッドアローズ』ではお世話になりっぱなしだけど、こういうイベントで会うのは久しぶりね。」
「俺もそうだよ。」
それからしばらくの間、明日夏のイベントの待機列には誰もやってこなかったが、10時半前に誠がやってきた。
「みなさん、こんにちは。」
「湘南、よく来た。」
「湘南、いらっしゃい。」
「いらっしゃいー。新曲のコール(合いの手)の案を作ってみたけど、見てくれるー?」
「はい、もちろん僕も見ますが、こういうのはラッキーさんが一番頼りになります。」
「セローも明日夏ちゃんのTOらしくなったな。」
「僕はみなさんの見よう見まねですー。」
見終わった湘南が話す。
「セローさん、とりあえずこれでやってみましょう。印刷はしてきましたか?」
「3部はコピーしてきたよー。」
「もう少しあったほうがいいから、コンビニで10部ほど印刷してきます。元ファイルはありますか?」
「ごめん、持ってきていないよー。」
「大丈夫です。これをコピーしてきます。」
湘南がコンビニに向かった。
「僕、まだまだだなー。」
「湘南も最初はラッキーさんの真似をしていたから、セローもだんだんと覚えていけばいいんだよ。」
「パスカルさん、有難うー。」
「湘南は、覚えるのが得意そうだから焦らずね。」
「アキちゃん、有難うー。」
「そう言えば、パスカルのプロデューサーも最近は板についてきたわよ。」
「サンキュー。」
誠が戻って来てコピーしたものをセローに渡した。遠慮する誠に、セローは自分は就職しているからということでコピー代を渡すと、またイヤフォンで明日夏の歌を聴きだした。誠がパスカルとアキに話しかける。
「パスカルさん、アキさん、今週前半にミーア三佐のチャンネルに上がったビデオを見ましたか?」
「うん、見たよ。明日夏ちゃんがピアノの伴奏をしていたやつよね。」
「それで、平田社長がベースを弾いていた。」
「あと、橘さんがトライアングルを叩いていた。」
「そのビデオで、ヴァイオリンで伴奏をしていたのがマリさんの姪のアイシャさんです。」
「ヴァイオリンを弾いていた人がマリさんに似ていたから、私もそうかもしれないって思ったけど、本当にそうなんだ。」
「はい。」
「背が高いわよね。」
「はい、僕よりも高いです。」
「精悍な顔をしているし、女子にも人気が出そう。」
「そうみたいです。」
「でも、お前、あんな美人に4回も叩かれたのか。」
「まあ、そうですけど。」
アキもニヤニヤしながら言う。
「それも、このけだもの!って言われながら。」
誠は余計なことを話し出すんじゃなかったと思いながら答える。
「その通りですが、マリさんが来て誤解が解けるまで本当に大変だったんですよ。本当に極悪人を見るような怖い目で見られて。」
「まあ、湘南。それは『ユナイテッドアローズ』で頑張ったご褒美だぞ。」
「そうね。」
「二人とも他人事だと思って。」
「その通りだ。」
「でも、今度そう言うことがあったら私に連絡して。私から、説明してあげるから。」
「はい。ユミさんはかばってくれたんですが、ユミさんは完全に僕に騙されているって思ったみたいです。」
「ユミちゃんが湘南に騙されるわけないのに。」
「はい、僕はイケメンじゃないので、その通りだと思います。」
「でも、アキちゃん、ユミちゃんのような頭のいい女の子でも、イケメンだとあっさり騙されたりするの?」
「そういう場合もあるみたいね。でも、パスカルと湘南は可愛くなくても、女性なら誰にでも騙されそうよね。」
「はい、そうだと思います。」
「だな。」
「そこは否定しないと。でも、二人とも、もし彼女ができて、ちょっとでも疑問を持ったら、早めに私に相談しなさい。」
「はい、パスカルさんに聞いても分からなさそうだったら、そうします。」
「俺は分からないから、直接アキちゃんに聞いた方がいい。」
「分かりました。そうします。」
アキは苦笑いをして二人を見ていた。
店が開くと誠たちはCDを購入した。特典会参加券の配布が先着順だったため、朝に店の前に並んだ順番で待機列に並んだ。イベントの開始30分前に会場の扉が開き、特典会参加券を店員に見せて順番に席に着いた。しばらくして、誠が会場の様子を見るために後ろを振り向いた。
「8割は入っています。この景色も半年ぶりですね。」
「そうだな。まあ、見慣れた顔ばかりだけど。」
「そうですね。」
「明日夏ちゃんみたいに、年2回のペースでメジャーからCDがリリースできるって、そうはいないよ。」
「私たちからすると、超すごい。」
「僕もそう思います。このまま続けていって欲しいです。」
誠は3枚目のCDを出すことができた明日夏の今の状況にホッとしながら、この後の特典会で何を言うかを考えていた。
時間になって、案内のアナウンスの後、明日夏がステージに出てきた。会場を見回した後、挨拶を始めた。
「こんにちは。神田明日夏です。今日はアニメ『タイピング ページ2』の主題歌『恋もDX』の最初のリリースイベントにお集まりいただき大変ありがとうございます。私は1年前の金曜日に今回のアニメの第1期『タイピング』の主題歌『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』でデビューしました。それで、ちょうど今日がデビュー1周年です。まずは、その私のデビュー曲、『タイピング』の主題歌『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』から歌わせて頂きます。」
明日夏が『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』を歌う。1年前に誠が考えた応援方法で会場の多くの人が応援していた。
歌い終わった明日夏がMCを再開する。
「私は『タイピング』の直人が大好きで、ゲーム『タイピングワールド』の大会で直人の特製フィギュア―を獲得するために、その大会に一般参加者として参加して決勝まで進んだのですが、運悪くネットワークの接続が切れてしまったため失格になってしまいました。大会に参加しても契約違反ではないのですが、お前はゲーム参加者の邪魔だからということで、次は大会のゲストとして呼ばれることになりました。」
会場から笑いが起きる。
「ですので、次の大会には参加しません。あと、うちの事務所に直人が好きなアイドルがいて、そのアイドルを助けるためにユニットのリーダーも大会に参加して、決勝まで進んだのですが、そのアイドルは推し変をしてしまいましたので、やはり次の大会には参加しません。これで、うちの事務所が変なタレントが所属するブラックリストに載ることはなくなったと思います。」
会場から笑いが起きる。
「というわけで、次は平和な大会になると思いますので、皆様もタイピングを練習して、是非、『タイピングワールド』の大会に参加してそこでしか得られない賞品をゲットして下さい。さて、いよいよ新曲『恋もDX』を歌います。お客さんの前で歌うのは今回が初めてで、やはり緊張してしまうのですが、頑張って歌いますので、応援をお願いします。それでは、神田明日夏で『恋もDX』。」
明日夏が歌い出す。明日夏のイベントに良く来るファンにセローが考えた応援の方法を書いた紙を渡したため、あまりそろってはいなかったが、前の席の方の十人程度のファンがそれに従って応援した。歌い終わると明日夏がMCを再開する。
「有難うございます。お聴き頂いた曲は神田明日夏で『恋もDX』です。今までにないぐらい、たくさん練習してきたので上手に歌えていたと思うのですがいかがですか。」
会場のお客が全員拍手をし、「良かった」という声も聞こえた。明日夏が横を向いて、客席から見えない位置にいる久美を見てから答える。
「有難うございます。私の歌の師匠も怖い顔をしていませんので、大丈夫だと思います。とても残念なのですが、次が最後の曲になります。」
会場から「えー。」という声が聞こえる。
「次の曲は『恋もDX』のカップリング曲で、お客さんの前では初めて歌う新曲です。聴いて下さい、神田明日夏で『二人だけのランチ』。」
明日夏が歌い始め歌い終わると会場の全員が拍手をした。
「有難うございます。神田明日夏で『二人だけのランチ』でした。ランチとは言え、一人ぼっちから二人になってヒロインとの関係がかなり進歩しました。私の歌も進歩していると思ってもらえると嬉しいです。でも、『タイピング』も3期になると三人だけのディナーとかになるのかな。それだと後退したことになっちゃうかも。まあ、そんな先のことを心配しても仕方がないですね。『恋もDX』のリリースイベントは始まったばかりですので、また遊びに来てくれると嬉しいです。今日は『恋もDX』のリリースイベントに来てくれて、本当に有難うございました。この後は特典会になります。またねー。」
明日夏が一度舞台袖に下がって行った。
久美と治が出てきて、久美の指示で店員がテーブルと椅子を運んだ。準備が整うと、再度アナウンスがあり、明日夏が出てきた。
「今日はジャケットサイン会です。サインも上手になったので、期待して下さい。」
明日夏が椅子に座り、久美がその隣に立った。お客も店員に誘導され順番に並んだ。レディーファーストで、アキが一番になり、その後、セロー、パスカル、湘南の順番で並んだ。コッコも来ていたが、かなり後ろの方だった。
アキが明日夏の前に進んだ。明日夏とジャケットにサインをしながら話す。
「明日夏ちゃん、デビュー1周年おめでとうございます。すてきなステージをいつも勉強をさせてもらっています。」
「プロになると、CDの売れ行きでいろいろ言われたり、次の仕事を取るのが大変だぞ。」
「はい、分かっています。それでも目指します。」
「なら、頑張って。」
「はい、頑張ります。」
次に、セローが進んだ。
「明日夏ちゃん、デビュー1周年、3枚目のCDのリリース、本当におめでとうだよー。」
「有難う。1年で私の歌も進歩したでしょう。」
「明日夏ちゃんの歌は最初から最高だよー。これからも応援するから、頑張ってねー。」
「うん、頑張る。有難う。」
次に、パスカルが進んだ。
「デビュー1周年おめでとうございます。俺はデビューの最初のリリースイベントにも来たんですよ。」
「うん、先頭の何人かは同じメンバーだよね。覚えているよ。」
「その時にそいつらと知り合えて、人生が楽しくなりました。明日夏ちゃんは縁結びの女神さまです。」
「それは良かった。」
「これからも、みんなで団結して応援するので、頑張って下さい。」
「あっ、うん。仲がいいんだね。分かった。私も頑張る。有難う。」
次に誠が進んだ。
「こんにちは。亜美さんのビデオを見て思ったのですが、アイシャさんがピアノからヴァイオリンに演奏を変えて、明日夏さんがセーラー服を着てバレエを踊ると面白そうです。」
「お前はそんなくだらないことを言うために来たのか。」
「すみません。」
「あっ、すまん。でも、あのアニメは担当のレコード会社が違うから無理だ。」
「そうですね。申し訳ありません。」
誠が一礼して下がって特典会の部屋から出て行った。セローとパスカルはCDを複数枚買っていたので、列の最後尾に並んだ。
特典会の会場から一番多くのCDを買ったセローが最後に出てきた。駅の方に向かう途中で、コッコが誠に尋ねる。
「湘南ちゃんの番で明日夏ちゃんがちょっとムッとしていたようだけど、湘南ちゃん、何を言ったの?」
「俺は気付かなかったけど?」
「僕もだよー。」
「男性には分からないかも。」
「私は部屋から出たから見ていないけど、湘南、何か変なことを言ったの?」
「えーと、亜美さんのビデオを見て思ったのですが、アイシャさんのピアノとヴァイオリンで、明日夏さんがセーラー服を着てバレエを踊ると面白そうです、と言いました。」
「ねえ、湘南。頭がいいのに何で時々そういうバカなことを言うの?」
「すみません。明日夏さんにも、そんなくだらないことを言うために来たのかと言われてしまいました。」
「確かに明日夏ちゃんは、一文字取るだけでそのアニメの主人公と同じ名前で、主人公と同じくバレエができて、相手役がピアノとヴァイオリンが弾けるみたいだけど・・・。」
「さすがアキさん、よくご存じです。それに『タイピング』の舞台となる高校の女子学生の制服がセーラー服なんです。」
「それは分かるけど、湘南、明日夏ちゃんはデビュー1周年で、3枚目のCDを出せて、デビューの時と同じファンが最初に来ていたから、感慨深かったのかもしれないわよ。明日夏ちゃん、私にはプロになるとつらいこともあるけど頑張ってね、って言ってくれた。」
「そうなんですね。アキさんの言う通りだと思います。」
「明日夏ちゃん、俺たちがデビューの最初のイベントの先頭に並んだことを覚えていると言っていた。」
「それなのに、湘南がくだらないことを言うから。」
「申し訳ありません。」
「そうだよー。湘南君ももっと考えないとー。」
「セローさん、申し訳ありません。」
「でも、あのビデオ、明日夏ちゃんがピアノを弾くところを見れて良かったしー、バレエを踊っているところを見たいから、湘南君の気持ちは分かるよー。」
「俺は、明日夏ちゃんのセーラー服姿を見てみたい。」
「私は微妙にムッとした顔が見れて良かったよ。まあ、セーラー服を着てバレエを踊るところも見てみたいかな。」
「コッコは女なのにそんなことを言って。イラストの題材にするの?」
「女の前にイラストレーター。」
「さすが、コッコさんです。」
「湘南は調子に乗らない。次は変に凝らないでいいから、もう少しちゃんとしたことを言いなさい。」
「分かりました。」
「それじゃあ、湘南が冗談を言うにもTPOを考えるということで、次の『トリプレット』に行こうぜ。」
「冗談にTPOを考えろって、一番はパスカルじゃん。」
「ははははは、そうかも。」
「そうなの!」
「分かった。」
少し進んだところで、セローが家に帰る旨を伝える。
「みなさん、僕はここで帰りますー。今日は有難う。」
「おう、分かった。セローが一番たくさんCDを買っていたからな。」
セローはバイクがあるところに向かおうとしたが、少しふらふらしているようなので、パスカルが注意をする。
「眠そうだけど、バイクの運転、気を付けろよ。」
「はい。まだ死ねないから気を付けますー。それでは、またー。」
「またな。」
誠は「最近、明日夏さんといっしょに曲を作ったりしているから、距離感を誤ったのかもしれない。気を付けないと。」と思いながら、『トリプレット』がリリースイベントを行うショッピングモールの野外広場に向かった。
誠たちが広場に到着して、あたりを見回す。パスカルが感想を言う。
「1000人、もう少しいるかな。」
「やっぱり、明日夏ちゃんとはだいぶ客層が違うわね。」
「子供もいっぱいいるしな。」
「とりあえずCDを買ってこよう。ハイタッチ券が残っているといいけど。」
「うーん、妹子ちゃんのものは無くなったみたいだな。」
「さすがの妹子か。」
誠たちは並んでCDを購入した。全員がハイタッチ券は由香のものにすることにした。券が一番余っていたからである。
「ミーア三佐も人気なのね。」
「小中学生男子の人気が増えたみたいです。」
「チャンネルでサッカーアニメのオタク話をしているからか。」
「そうみたいです。『ピュアキュート』の主題歌を歌っているので、普通なら女の子のファンが増えるんでしょうけれど。」
「そうね。私とはジャンルが違うけど、オタクの三佐らしいかな。」
「はい。」
その時、ラッキーから声がかかった。
「湘南君、こんにちは。タック君が湘南君に謝りたいそうで。その必要はないよ、って言ったんだけど。」
タックが湘南に向けて深く頭を下げて謝罪する。
「湘南さん、申し訳ありません。何人かが抜けてしまって。俺のTOとしての監督不行き届きです。」
「いえいえ、それはその方の自由ですし、ある意味、妹たちの実力不足ですから気にしないでください。あの、それで、その方を決して責めたりしないでください。」
「なおみちゃん、申し訳ありません、なおみ様の実力不足ということはありません。あいつらが、単に浮ついているだけです。」
「タック、『ユナイテッドアローズ』のワンマンライブに来てくれて有難うね。それで何かあったの?」
「それが、誠に申し訳ないのですが、うちのグループのメンバー4人が『ハートリンクス』のハートレッドなんかに推し変してしまって。」
パスカルが話に入る。
「ああ、ハートレッドちゃんね。それじゃあ仕方がないんじゃない。」
「パスカルさん、パフォーマンスは『トリプレット』の方が全然上です。」
「でも、ハートレッドちゃん、すごくいい女だし。」
「何ですかパスカルさんは。ハートレッドと知り合いみたいなこと言って。」
「まあ、ちょっとした知り合いだ。あっちはもう忘れているかもしれないけど。」
「パスカルさん、それは知り合いとは言いませんよ。」
「ははははは、そうだな。」
そのとき、パスカルに声がかかった。
「やっぱり、監督だ。こんにちは!監督たちも『トリプレット』のパフォーマンスを勉強しに来たんですか?」
「・・・・・・・。」
「どうしちゃったんですか?そんなに驚かなくても。家から近いので受験勉強の息抜きとステージの勉強のために『トリプレット』のステージを見に来ました。」
誠がハートレッドに注意する。
「あの、ハートレッドさん、騒ぎになる前に関係者入口の方に行った方がいいです。」
「あっ、お兄さんもいっしょだったんですね。こんにちは、プロデューサーにはいつもお世話になっています。『ハートリングス』のイベントはいつもガラガラだったし、私もそれほど有名じゃありませんから、心配しなくても大丈夫です。」
「ドームライブのチケットもある程度は売れているわけですし、そんなことはないです。」
「ああ、それね。ここだけの話だけど、溝口社長の力でスポンサーさんに買って頂いているだけ。由香さんとはダンス大会からの知り合いだから、その応援もしたいし。」
湘南が尚美との専用スマフォで通話を始める。タックがハートレッドに尋ねる。
「あの、由香ちゃんを個人的に知っているんですか。」
「やっぱり知らないわよね。ダンスの東京予選で由香さんが1位で私が2位だったのよ。」
「そうなんですね。」
「でも、1位と2位の差は大きかったかな。『トリプレット』はアイドルユニットというより、アーティストがグループとなって活動している感じ。みなさん、すごく個性が強いんだけど、平田社長さんとプロデューサーがうまくまとめて、とんでもないユニットになったんだと思う。」
「僕も、そうだと思います。」
「えーと、タックさんでしたっけ?」
「はい、タックです。」
「タックさんも由香ちゃんのファンなら、私もその5分の1ぐらいでもいいので推してくれると嬉しいかな。」
「分かりました。『トリプレット』の次に推させて頂きます。」
「僕も推します。ラッキーといいます。」
「タックさん、ラッキーさん、有難う。」
ハートレッドとタックが話している間、誠は尚美にハートレッドの迎えのためにガードマンをこっちによこすように連絡を取っていた。周りの客もハートレッドに気づいたようで、「ハートレッドだ!」「ハートレッドちゃん、こっち向いて!」のような声が聞こえ始め、人だかりができはじめていた。誠がタックにお願いをする。
「タックさん、今ガードマンを呼びましたので、それまでタックさんのグループでハートレッドさんの周りを固めてもらえますか。」
「分かりました。『トリプレット』の最初のライブもそんな感じでしたね。」
タックが指示をしてハートレッドの周りを固めて大きな声でいう。
「ここは『トリプレット』のイベントだ。他のタレント様で騒ぐな!」
ハートレッドも驚いていた。
「こんなにたくさん私の名前が呼ばれたのは初めてです。」
誠が意見する。
「『ハートリンクス』の方々、特にハートレッドさんは、1週間前と状況が大きく変わっていますので、これからは気を付けてください。」
「分かりました。でも、それはプロデューサーのおかげですね。お兄さんも、いろいろ有難うございます。」
『トリプレット』のマネージャーの鎌田とガードマンがやって来て、ハートレッドを関係者入口の方に連れて行った。タックがパスカルに尋ねる。
「パスカルさん、ハートレッドちゃんと本当に知り合いだったんですね。でも、パスカルさんを監督と呼んでいましたが。」
「溝口エイジェンシーのチャンネルにある『ハートリンクス』の練習風景のビデオを見たことはある?」
「参考のために見ましたが、パフォーマンスのレベルが『トリプレット』に及ばなかったので、1回見ただけです。」
「そのビデオのエンドロールを見てみて。」
「エンドロール?もしかして!見てみます。」
タックがスマフォでビデオを確認すると驚く。
「本当ですね。監督パスカル、録音・編集湘南と書いてあります。」
「でも、ハートレッドちゃんがまだ覚えていてくれて、こんなに嬉しいことはない!」
「それはそうでしょうね。」
「まあ、おれが監督になれたのは、イメージチェンジを溝口社長が突然正月に独断で決めたみたいで、人がいなかったためみたいだけどな。」
「それでもすごいです。本当に酒粕パスカルじゃなくなっていたんですね。」
「その通りだ。だが、タック、ハートレッドちゃんはいい女だっただろう。」
「はい。それだけでなく、自分の実力を知って未来に向かって頑張っていることを知ると、推したくなります。・・・あっ、湘南さん、推し変はしませんから大丈夫です。パフォーマンスは『トリプレット』の方が上ですし。」
「あのタックさん、そのことはあまり気にしなくても大丈夫です。推したい人を推してください。それに、誰でもわかることなので言いますが、『ギャラクシーインベーダー』は『トリプレット』で、これからもコラボしていくみたいですし。」
「有難うございます。」
「湘南も明日夏ちゃんのTOを降りたときには、いろいろ言われたからな。」
「一番言っていたのはパスカルさんだったような。」
「ははははは、そうか。湘南、すまん。」
「理由が分かれば頑張れよと言って送り出してやりたいですが、自分の妹と話すわけにもいかないでしょうから難しいです。」
「まあ、そうだな。それにしても、ハートレッドちゃんはいい女だっただろう。」
「パスカルさん、それはさっき言ったばかりです。」
「そうか。」
「でも、同意します。」
「そうだろう。そうだろう。」
そのころ、ハートレッドが来て存在感をなくしていたアキが機嫌を悪くしていた。
「何よ、みんな。ハートレッド、ハートレッドって。」
「あああ、アキちゃん、ごめんなさい。アキちゃんも可愛いよ。」
「アキちゃんも!?」
「アキちゃんが一番、可愛い。」
「もういいわよ。でも、タックも簡単に推し増しして、『トリプレット』のTOと言っても、大したことはないわね。」
「ハートレッドさんは、由香さんと知り合いと言いますし、すごく頑張っているみたいですから。」
「私も妹子、なおみちゃんとは知り合いだし、すごく頑張っているわよ。」
「あの、ですからワンマンライブには顔を出しました。」
「そう言えば、そうだったわね。それじゃあ、次の3月のワンマンにも来てね。」
「『トリプレット』と『ハートリンクス』とぶつかってなかったら必ず行きます。」
「タックは嘘はつかなさそうだから、それでいいか。でも、ハートレッドちゃん、お人形さんみたいなミサちゃんとは違うけど、美人だったわね。」
コッコが感想を述べる。
「何と言うか、日本の上品なお嬢様という感じかな。ふふふふふ。」
「あの、コッコさん、ハートレッドさんでエロいイラストを描くのは避けて下さいね。」
「やっぱり分かるか。」
「ハートレッドさんを見ている目が危なかったです。」
「湘南ちゃん、普段はお嬢様みたいな女の子がエロい格好をすると、すごく萌えるものなんだよ。」
「それは分かりますが。」
「ハートレッドちゃん、明日夏ちゃんとは違うけど、全身の骨格がすごくいい。」
「コッコさん、そんなことまでわかるんですか。僕も綺麗な鎖骨だとは思いましたが。」
「おっ、湘南の性癖がだんだんと明らかになっていくね。」
「そんなことはありませんが、お願いします。」
「まあ、コミケで売るだけにしておくよ。しかし、私じゃなくても描く奴は出てくると思う。名前はハードレッドとかになると思うけど。」
「ソフトレッドでお願いします。」
「なるほど、それはいいね。ハードレッドは攻めでソフトレッドが受けか。」
「いえ、そう言う意味で言ったのではありません。」
「まあ、ウェブに載せたりはしないから安心して。」
「お願いします。」
アキが話に割り込む。
「また、ハートレッドちゃんの話ばかりになっている。」
「アキさん、大丈夫です。アイドルはあまり美人過ぎない方が売れるといいますし。」
「湘南、それ全然慰めになっていないから。」
「すみません。でも、この間のライブに参加したアイドルの中では、アキさんが一番可愛かったと思いました。」
「おれも、そう思った。」
「僕は地下アイドルには詳しくないですが、アキさんがテレビに写っていても不自然ということはないと思います。」
「そう。みんな有難うね。でも、ハートレッドちゃん、話し方とかがあまりアイドルっぽくなかったわね。コッコの言う通り育ちのいい高校生みたいだった。」
「デビューして半年も経っていませんし、あまり売れていなかったからかもしれません。」
「でも、たぶん、これから売れるわね。」
「溝口エイジェンシーとヘルツレコードが強力にプロモートするそうですので、僕もそう思います。でも、そのことはあまり気にせずにこっちはこっちで頑張りましょう。」
「そうだな。『ハートリンクス』のビデオを撮って勉強になったこともあったし。」
「向こうは何万人の中から選ばれて、いきなりお金がかかるドームでワンマンだから、全てがこっちと違うのは分かってる。でも、パスカル、湘南、ラッキー、頼んだわよ。」
「おう!」「はい、頑張ります。」「僕も頑張るよ。」
このラノベは、第1話「デビューイベント」で、物語の中のちょうど1年の金曜日の夜、明日夏の入浴シーンから始まった。この話で、46話目、この話の最後の文字が1,444,096文字目である。それとは別に、異世界戦記を10話382,276文字を書いている。というわけで、この日の後半は次話で書くことにし、その日の夜に明日夏が入浴しているシーンまで話を飛ばす。
「何が、というわけで、なの。全然関係ないじゃん。」
だから主人公が説明文に突っ込まないでね。もしアニメ化された場合、お約束していた通り、湯煙が最初のシーンより薄くなっているはずである。
「酷い。でも、この話に魅力的な女の子がどんどん出てくるけど、本当に私が主人公なの?」
どうだろう。
「どうだろうって!?」
でも、タイトルは「明日夏INパラダイス」だから。
「それ、アスパラの方が先に思いついただけでしょう。」
ははははは、実はその通り。今後もアスパラをよろしくお願いします。
「ページがもったいないので、話を続けましょう。」
了解。
「デビューしてからもう1年か。慌ただしかったけど、あっと言う間だった。1年前はお風呂の中でMCの練習をしていたんだっけ。いろんな話し方を試したけど。結局MCは普通で良かったというか、それしかできないよ。冬にはワンマンライブも開くことができて、本当に社長と橘さんのおかげです。でも、初めてのリリースイベントに本当にマー君が来るとは思わなかった。私のことを全然覚えていないみたいだけど、それは事故だから仕方がないか。私の声を聞いて応援しなくちゃと思ったのは、私の声が深層記憶に残っていたのか。でも、ミサちゃんがマー君に一目ぼれみたいな感じだったのは、3歳の時のことが深層記憶に強烈に残っていたのかな。小学生の時の私もマー君のことは覚えていなかったけど、3歳の時に会ったことが深層心理にあったのかもしれない。だから、最初から信用しちゃっていたのか。まあ結局、私が作詞して、マー君が作曲するようになったからいいんだけど。それで、マー君がいい曲を書けるようになったら・・・・。」
明日夏が自分を見て、そっと言う。
「でも、肉体的にミサちゃんには勝てる気はしない。」
尚美もお風呂に入っていた。
「ミサ先輩はともかく、アイシャさんも、ハートレッドさんも、お兄ちゃんに好意を持っているみたいなのは何でなんだろう。アイシャさんの音楽的能力を社長も認めているから、能力がある人ほど兄の良さが分かるのかな。ハートレッドさんは空気を読んでるだけかもしれないけど。でも、ハートレッドさんがパスカルさんの名前を挙げるのは、お兄ちゃんと仲がいいし、パスカルさんもビデオ撮影とか上手なのかもしれない。再生数も伸びているし、オタクの需要に答えているのかな。それなら、次のコメントビデオもパスカルさんにお願いしてみるか。お兄ちゃんも喜ぶだろうし。明日夏先輩は二次元のイケメンが好きだけど、作曲に関してはお兄ちゃんを認めているし、『ハートリンクス』の曲はなかなか良かった。ははははは、ということは『ユナイテッドアローズ』がそれほど売れないのは、やっぱりアキとユミがダメということか。もしアキが『ハートリンクス』に入ったら、オタク全開で目立ってもらうしかないかな。」
ミサもインターネットで英語でのボイストレーニングのレッスンを受けた後、お風呂に入っていた。
「明日は大阪でイベントか。でも、帰ったら誠に会える。明日の夜は誠と明日夏とアイシャと亜美で練習室で一緒に亜美の曲を作るのか。アイシャの言うことは分かるけど、アイシャは誠のこと、どう思っているんだろう。私もそういう曲作りをしてみたいな。誕生日に曲をプレゼントしてくれる約束はしているから、誠に、私が作詞と演奏と歌を歌うから、二人でうちの練習室に籠って曲を作ろうって、言う?でも、うちは来るのに不便だし、誠も親に気を使うだろうし。そうだ、道玄坂のホテルなら便利だし、二人で籠るなら、ちょうどいいんじゃないかな。私が作詞と演奏と歌を歌うから、二人で道玄坂のホテルに籠って曲を作ろうって、言えるわけないよね。とりあえずは、このままか。仕方がないよね。」
ミサが首を振って気を取り直す。
「あと1か月でアメリカで活動開始だよ。その前にニューヨークで住むところを下見に行かなくちゃいけないし。ニューヨークには彰人(ミサの兄)が住んでいるけど、相変わらずなんだろうな。あんまり会いたくないな。そんなことより、私がいない間、誠が何をしているか心配。アキさんとはどんな関係なんだろう。スキー場では二人で居たし。私を応援してくれると言っていたけど。でも、本当はもう付き合っていて、全然余裕と言う感じだったりするのかな。ああ、また誠のことを考えてる・・・。」
次は亜美である。
「ちょっと待った。次は俺だろう。」
俺だろうと言われても、豊さんといっしょにお風呂に入っているので、R指定がないこのラノベで記述することは無理なんだよ。
「そっ、そうか。それじゃあ仕方ねえな。いいぞ、亜美に行って。」
ご理解、有難うございます。それでは、亜美も1年前にはパラダイス興行に在籍していたので、明日夏がデビューしてからの1年間を、髪を洗いながら思い返していた。
「明日夏さんがデビューしてから1年か。『トリプレット』がメジャーでデビューできたのはリーダーのおかげもあるけど、明日夏さんが先にメジャーでデビューしていたから、私たちがヘルツレコードのライブで明日夏さんのバックダンサーを務めて、リーダーが森永本部長と話すきっかけができたんだった。パラダイス興行のメジャー進出の先陣は明日夏さんが切ったんだよ。やっぱり、リーダーとは違うけど、私も明日夏さんみたいな精神的な強さが必要なのかもしれない。」
亜美は、髪を洗い終わると、体を洗い始めていたが、手が止まっていた。
「でも、アイシャの精神力も並大抵じゃない。あの堂々とした態度が学校で人気が出る理由なんだろうな。私は一人になってもやっていけるのかな。そうだ、利益の半分ぐらいあげるので、リーダーがプロデュースしてくれないかな。その方が私の収入も安定するし、一人でやるよりずっと収入も増えそう。でも、アイシャ、徹君とお風呂に入っているのかな。それとも、並んで洗い物をしているのかな。羨ましいな。徹君と次は何時会えるんだろう。いけないいけない、明日もイベントだ。」
亜美はまた手を動かして体を洗い始めた。
アイシャは徹を洗うためにいっしょにお風呂に入っていた。
「徹君、シャンプーを流すよ。下を向いて目をつぶって・・・・。はい、ざぶーん。」
「わー。」
「男の子なんだから、こんなことで騒がない。」
「アイシャ姉ちゃんは乱暴だよ。亜美お姉ちゃんは、もっと優しかった。」
「そうなんだ。亜美は小さな子供の面倒を見るのが好きみたいだからね。」
「アイシャお姉ちゃんは?」
「めんどうだから、ちゃっちゃと終わらせる。」
「ひどいよー。」
「徹君、これでもうちの弟よりは優しくしているんだよ。」
「アイシャお姉ちゃんの弟?ミチルお兄ちゃん?。」
「そうだよ。真理子さんはもっと優しいの?」
「ママもアイシャお姉ちゃんと同じぐらい。」
「徹君、世の中はそういうものなんだよ。うん。」
「亜美お姉ちゃんに会いたい。」
「うーん、亜美はプロの歌手だから時間があるかどうか。」
「亜美お姉ちゃん、うちの小学校の上級生にもすごい人気があるんだよ。」
「そうか。とりあえず、明日リリースイベントに連れてってあげようか。亜美のお歌が聞けて、ハイタッチができるよ。」
「ハイタッチって?」
「うーん、手を上に上げて。」
「うん。」
アイシャが徹とハイタッチする。
「こんな感じ。」
「分かった。行く。」
「それじゃあ、行こう。」
「うん。」
湯船に浸かっていた亜美にSNSに連絡が来た。
アイシャ:明日徹君を連れてリリースイベントに行く
亜美:えっ何で
アイシャ:徹君が亜美に会いたいと言っているからだけど、ダメ?
亜美:それなら私から行くよ
アイシャ:さすがにそれは申し訳ない
亜美:申し訳なくない。小さな子供を人混みの中に連れてくるのは良くない
アイシャ:いいの?
亜美:もちろん。徹君が会いたいときはいつでも行くって伝えて
アイシャ:亜美は子供好きだからね。分かった徹君には伝えておくよ
亜美:有難う
アイシャ:お礼を言うのはこっちだよ。有難う
亜美:今、宮崎台に向けて土下座しています
アイシャ:あー、オタクって土下座が好きよね。それじゃあ明日の夕方、曲を作るときに亜美が来る日を決めよう
亜美:仰せのままに
アイシャ:それじゃあ、また
亜美:よろしく、よろしく、よろしくお願いします。
アイシャは亜美は変わっていると思いながら、面接試験を前にしたユミのマリによる歌のレッスンに付き合っていた。洗い場に出て全裸土下座をしていた亜美が嬉しそうに湯船に戻った。
ハートレッドは、家に帰ってから受験勉強をした後、お風呂に入っていた。
「来週は共通テスト。いやだなー。でも、共通テストだけで受かってしまうと楽だけど、そううまくいくか。まあ、正月までは所沢ドームが『ハートリングス』の最初で最後のワンマンライブで引退ライブって記録を作っちゃうのかなと思っていたけど、プロデューサーのおかげでアイドルとしても何とかなりそうになってきたし、最悪、大学に行けなくても何とかなりそう。だけど、プロデューサーは受験勉強のためにスケジュールを調整してくれたし、受かって欲しそうだから、あと1か月、頑張るだけは頑張ろう。さっきやった英単語でも思い出すか。crucial、非常に大切な。criterion、基準・・・」
アキも家族が全員入った後の遅い時間にお風呂場で髪と体を洗っていた。
「何よ、みんなハートレッド、ハートレッドって。パスカルの裏切り者め。タックも『トリプレット』のTOと威張っていた割には大したことなかった。男なんてみんなそう。ちょっと美人だからと言って。まあ、ちょっとじゃないけど。あれが何万人から選ばれたアイドルなのか。ユミちゃんの溝口エイジェンシーの面接試験が来週あるけど、書類審査は通っても合格するのは大変かもしれない。ユミちゃんの面接が終わったら、再来週はアイドルコンテストのビデオ撮影か。でも、私、結局パスカルと湘南に頼りっきりね。」
石鹸を流した後、この1年間のことを思い出しながら、お風呂に浸かる。
「明日で、パスカル、湘南、コッコと知り合ってちょうど1周年なんだよね。明日のライブで何かプレゼントをあげるべきかな。いや、やっぱり、向こうがくれるべきじゃないか。女の子を見るのが趣味のパスカルは私を見放題だし、水着、いや、そう言えばいっしょにお風呂に入ったんだっけ。ははははは、私も大丈夫かな。コッコはイラストのモデルになっているし。やっぱり知り合って一周年でプレゼントも変だから、パスカルはバレンタインの義理チョコでいいか。誰からももらっていなさそうだしね。でも、湘南は鈴木さんからもらっているんじゃないかな。あの感じだと、鈴木さんは準備をしていても渡せないでいるかもしれない。だから私が渡すと義理チョコでも恨まれるかな。彼を取ったとか、スポーツで私と勝負してと言われても困るな。どんな人なんだろう。声がちょっとミサちゃんに似ているけど、雰囲気はドジっ子で全然違うかな。運動が得意なドジっ子というジャンルがあるのかな。コッコに聞いてみるか。それにしても、何で湘南は鈴木さんの気持ちに気づかないんだ。肝心なところで鈍い。実はパスカルもそうなのかな。もしかして、パスカルを想っている人が近くにいるのかな。考えにくいけど。私、何を考えているんだろう。どうでもいいじゃん。」
アキがお風呂のお湯を顔にかける。
「でも、冬のスキー、楽しかったな。春の山登り、夏の海も。今年もどこか行きたいな。でも、大会の出場が決まると大会が終わるまで無理か。それに、パスカルの女の子しか見ない癖を何とかしないと、観光地でこっちが恥ずかしい。とりあえず、再来週のビデオ撮影を頑張らないと。」
こうして明日夏のデビュー1周年の夜が更けていった。
「ちょっと待って。」
何ですか、アキさん?
「洗い場で石鹸を流したら見えちゃうじゃないの。R指定じゃないというのはうそなの?」
そっ、それは。
「曹長、私なんか全裸土下座だよ、全裸土下座。石鹸も付けずに。」
「三佐はそうでしたね。」
「どういうことなの?」「どういうことだ?」
ですから。
「亜美、アキさん、私なんて両手を上げて全裸ハイタッチだったんだよ。」
「アイシャさんはそうでしたね。」
「徹君と全裸ハイタッチなんて、羨ましすぎるよ。」
「三佐、その発言はR指定どころか犯罪になる可能性があります。お気を付け下さい。」
「そっ、そうだね。」
「まあ、全裸を見せるぐらいならいいんだけど、そのぐらいにしておいてね。」
分かりました。
「私はいやよ。」
「私も徹君以外はいやだ。」
「ですから、三佐、その発言は。」
「そうだった。私も特定の人以外はいやだ。」
まあ、湯煙で何とか。
「薄くなっているんじゃないの?」
テレビアニメではR指定にならないギリギリを責めるということで、ご了解願います。
「ちょっと待って。」
「三佐、私から言います。円盤では湯煙が消えるということはしないでね。」
申し訳ないですが、もしそこまで行ったら原作者の意見は通りませんので、製作委員会の方にご連絡下さい。
「まあ、それはそうね。」
「仕方がないか。」
ご理解有難うございます。次話は少し時間が戻り、土曜日の残っている話をする。
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