第38話 ワンマン&ワンマンライブ
明日夏のワンマンライブ当日、誠たち全員が時間前に集まった。ユミがセローに挨拶する。
「セロー兄さん、こんにちは。」
「こんにちは。えーと。」
「私のこと、忘れてしまいましたか。」
「ごめんなさい。」
「セロー兄さんは、明日夏さん一途ですから仕方がないです。私はユミといます。アキ姉さんといっしょに、アイドル活動をしています。」
「もしかして、夏の合宿の時のお嬢さん?」
「はい、その通りです。」
「今日は明日夏さんの応援?」
「夏に練習したので応援もできますが、あとはステージの勉強です。」
「そうですか。明日夏さんのステージはとっても素敵ですので、勉強になると思います。」
ラッキーが説明する。
「ユミちゃんは、初めてだよね、こういうライブは。」
「はい。」
「私もスタンディングのライブは初めて。」
「了解。スマフォのチケットの画面に整理番号が書いてあるけど、まずその番号の順に並んで、先頭から順番に入場する。」
「この番号ですね。」
「その通り。次に、スマフォのQRコードを読み込んでもらって、ドリンク代の600円を払ったら入場できる。」
「スマフォが入場券になるというのはすごいですね。」
「このライブでは会場での場所は自由。トイレに行くときは、誰かに場所を確保してもらって。でも、女性専用エリアはそれほど混んでいないので、あまり心配はいらないかな。」
「分かりました。」
「ラッキーさん、ミーアさんに正志さんと徹君が5分後に関係者受付に到着する連絡をしようと思います。」
「OK、行動開始だね。」
「湘南さん、二人をお願いね。徹とパパは湘南さんに付いて行って。」
「分かった。」「お願いします。」
誠が二人を関係者受付に案内する途中、マスクをした女性から声がかかった。
「湘南君、いい所で会った。関係者受付はどっちか分かるか?」
「今、明日夏さんのボイストレーナーのご親族二人を受付にお連れするところでしたので、いっしょに案内します。」
「それは有難い。」
誠は3人を連れて受付に向かった。
「妹から聞いたが、小学生の時に頭を打ったそうだな。」
「はい、その通りです。」
「記憶力とか大丈夫か?」
「昔のことを忘れてしまっていますが、現在の記憶力は大丈夫です。」
「そうか。それじゃあ、私のことも全く覚えていないのか。」
誠は「3歳の時にアスハさんにも会っていたのか。」と思いながら答える。
「はい、大変申し訳ありませんが。」
「気にしなくていい。しかし、残念だ。現在の記憶力が落ちているようなら、アメリカの知り合いのベンチャーで開発しているベクトルアソシエイティブアナログメモリーを脳に取り付ける実験台になってもらおうと思ったのだが。」
「連続値ベクトルの連想記憶装置ですか。」
「その通り。これを取り付ければ、人の記憶力は10倍に拡張される。」
「すごいですね。でも今の記憶力で十分ですので、大丈夫です。」
「そうか。分かった。」
関係者受付に到着すると、亜美が待っていた。
「堀田さん、初めまして。『トリプレット』の柴田亜美、本名を佐藤亜美と言います。今日は、私の先輩にあたる神田明日夏のワンマンライブにお越しいただき、大変有難うございます。神田が、奥様の真理子さんに歌のご指導いただいて、大変勉強になると申しておりました。事務所の全員が本当に感謝しております。それでは、今から受付をした後、お席までご案内致します。」
「真理子がお役に立てて嬉しいです。亜美さんのことは真理子に言われてテレビで拝見しました。可愛くて才能にあふれた、とても素晴らしい方と思います。」
「お父さんもお世辞が上手でいらっしゃいますが、そう言ってもらえると嬉しいです。二尉、ここまでの案内、感謝する。ここからの手続きと案内は私が受け持つから戻って大丈夫だ。」
「有難うございます。もうひと方お連れしていますので、その方の受付が終わったら戻ります。」
「そうか。しかし、二尉は本当に苦労性だな。」
「はい、そうかもしれません。」
亜美が正志と徹の受付を開始する。誠がもう一人の女性に話しかける。
「アスハさん、ここで受付ができます。僕はここから中に入れませんので、受付を見届けてから戻ります。」
「子供じゃないからその必要はない。湘南君も列に戻って大丈夫だよ。」
「分かりました。それでは列に戻らせて頂きます。」
「湘南君、案内してくれて有難う。また来年もプログラミングの手伝いを頼むね。」
「了解です。」
女性の声を聴いた亜美が驚いて誠に尋ねる。
「明日夏さんに声がそっくりなようだが。」
「えーと。」
「湘南さん、亜美さんなら言っても大丈夫。明日夏から話は聞いているし。」
「あの、この方は明日夏さんのお姉さんです。」
「そっ、そうなんですか。本当に声がそっくり。柴田亜美と申します。神田明日夏さんにはいつもお大変世話になっています。」
「北崎明日春(みはる)と言います。妹がいつもお世話になっています。」
「イベントで明日夏さんが言っていたのですが、明日春さんは『タイピングワールド』のプログラムを作っている方ですよね。」
「はい、今は『タイピングワールド2』を制作しています。制作にはアルバイトとして湘南君にも手伝ってもらっています。」
「それは楽しみです。でも、二尉はそんなこともしているのか。」
「どちらかと言えば、そちらの方が本業です。」
「なるほど。情報系の学科だったな。あの、明日春さん、よろしかったら、いっしょにご案内します。」
「そうですか。有難うございます。」
「二尉、本当に有難う。もう戻っても大丈夫。」
「有難うございます。ミーア三佐もご武運を祈っています。」
「了解。」
亜美は3人を席まで案内した。
「徹君、ここではお姉ちゃんは、ミーアちゃんじゃなくて亜美だから、ライブの後の方でお姉ちゃんが出てきたら、亜美ちゃんって声をかけてくれる。」
「分かった。亜美ちゃん。」
明日春が尋ねる。
「ご家族の方ですか?」
「はい、そんな感じです。」
亜美は心の中で「将来の」と付け足した。ただ、明日春がいて、何となくばつが悪いため早々に楽屋へ戻って行った。楽屋に戻ると由香が待っていた。
「お帰り。早いな。あまりベタベタしなかったんだな。」
「そんなことはしないよ。それより、徹君たちといっしょに、二尉が明日夏さんのお姉さんを案内していたので慌ててしまった。」
「リーダーの兄ちゃんがか。明日夏さんのお姉ちゃんなら俺も見たかったぜ。」
「マスクをしていて顔は見れなかったけど、何となく落ち着いている感じはあった。声は明日夏さんかと思うほどそっくりだった。」
「なるほど。」
「あと『タイピングワールド2』の制作が進んでいることを聞けて良かった。」
「明日夏さんがお姉さんは開発者と言ってたな。しかし、お前も徹君と直人で忙しいな。」
「直人は徹君が18歳になるまでの繋ぎ。」
「お前なあ、頼むよ。」
「大丈夫だって。でも徹君も見ているんだ、頑張らなくっちゃ。」
「まあ、明日夏さんとリーダーもMCの練習をしているようだから、おれもバックダンスの復習をするか。」
列に戻った誠にユミが話しかける。
「大丈夫でした?」
「徹君ですか?お父さんも付いていますので大丈夫だと思います。」
「パパも可愛い女の子の前だと信用できない。」
「そうですか。一応、お父さんにSMSか何かで連絡してみては。」
「そうする。」
ユミがスマフォで正志さんに連絡をしていると、入場が開始された。
「ミーアさんは案内すると、すぐ楽屋に戻って、今は二人で開演を待っているそうです。さすがに大丈夫そうでした。」
「はい、すぐにステージに立つという大事な仕事がありますから、それはそうだと思います。」
「こんなに大きなホールで歌うんだからそれはそうか。プロの歌手だから、仕事の時はちゃんとするんでしょうね。」
「はい、そうだと思います。」
「それじゃあ、危ないのは、やっぱり遊んでいる時か。」
「それも大丈夫だと思いますが。」
「湘南兄さんは人がいいから、こういう時は少し頼りにならない。」
「すみません。とりあえず、ユミさんは女性専用エリアの前の方に行くといいと思います。子供ですから前にしてくれるとは思います。」
「はい、そうしようと思います。」
ホールで待っていると、開演の案内があり、会場の照明が暗くなった。少しすると、スポットライトに照らされながら、中央に尚美が現れた。
「こんにちは、今日は大晦日、大変忙しい日にもかかわらず、神田明日夏のファーストワンマンライブ『ジュニア』にお集まりくださり大変ありがとうございます。私は明日夏先輩と同じレコード会社と事務所に所属している後輩、『トリプレット』の星野なおみです。このワンマンライブの司会進行を務めさせていただきます。私がアイドルとして活躍できるようになった理由の半分以上は明日夏先輩のおかげなんです。ですので、今日はこの場所に立てて大変うれしいです。それではみなさんお待ちかね、明日夏先輩の入場です。皆さん、行進曲に合わせて手拍子をお願いします。」
ファンファーレの後に『ラ・マルセイエーズ』が流れた。観客が手拍子をすると、それに合わせて明日夏が入場してきた。誠は「明日夏さんらしいワンマンの始まり方だな」とつぶやいた。明日夏がステージを1周回って、尚美のところに到着すると曲が止まった。
「皆さん、こんにちは。神田明日夏です。今日は年末の大変忙し日に、私の初のワンマンライブ『ジュニア』にお集まり下さり、大変有難うございます。尚ちゃん、こんにちは、年末の忙しい時に、司会、有難うね。」
「今日は、明日夏先輩がライブでの順番を忘れそうですので、司会をすることにしました。」
「さすが私の性格をよく分かっている。でも入場行進って、何なの。こんなワンマンライブの始まりを見たことがないよ。」
「何なのって、明日夏先輩が自分で言い出したんじゃないですか。」
「本当は冗談のつもりだったんだけど。みんなが真に受けるから。」
「それは、この始まり方が、明日夏先輩らしすぎるからです。それで、スタッフのみんなもそれがいいということになったんです。明日夏さんの普段の行いのせいです。」
「それじゃあ、仕方がないか。でも、尚ちゃんがアイドルとして活躍できる半分は私のおかげと言っていたけど、それは反面教師ということ。」
「もちろん、それもありますけど。」
「あるのか。」
「はい、それは当然ですが、事務所での活動が楽しいからです。」
「やっぱり、楽しいが一番だよね。今日も楽しくいこうね。」
「はい、それでは意気込みを歌手宣誓でお願いします。」
「歌手宣誓をするの。」
「今夜の歌手の男女対抗番組でもやっているじゃないですか。」
「あれは対戦をするからだけど、まあ、やってみようか。」
「はい、それではどうぞ。」
「わたくし神田明日夏は、このワンマンライブが最高に楽しいものになるよう、全力でパフォーマンスすることを誓います。」
会場から拍手が起きる。
「有難うございます。今日は、今までにCDリリースされた曲の他、アニソンのカバー、一部楽曲の配信が始まりましたが、1月下旬に発売されるアルバムの曲を何曲か披露する予定です。どうぞご期待ください。」
「明日夏先輩,歌手宣誓,有難うございました。」
「初披露の曲があるから、ドキドキだよ。」
「そして、歌の他にコントでお楽しみいただければと思います。」
「MCとかトークとかじゃなくてコントなの?」
「内容を見た感じが、MCというよりコントという感じでしたから。」
「尚ちゃんには、あの真面目な内容がコントに見えるのか。」
「どっちが正しいかは、終わったとでお客さんに決めてくれると思います。」
「それは、そうだね。」
「それでは、明日夏先輩、歌う準備はできていますか。」
「さっきまで準備できていたんだけど、今はもっと話したい。」
「お笑いライブではないので、歌わないならギャラをあげません。」
「歌う、歌う。ギャラをもらわないとグッズが買えない。でも、何を歌うんだっけ。」
「デビューCD『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』に入っている曲を3曲続けて歌います。」
「順番は?」
「CDとは逆の順番です。ここまで言えば思い出しますよね。」
「たぶん、大丈夫。」
「それでは、明日夏先輩、お願いします。」
「私の思い出のデビューCDから、『やってられるか』、『一人ぼっちのモーニングコーヒー』、『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』の3曲を続けてお届けします。」
『すっカーズ』の演奏がはじまり、3曲を無事に歌い終わる。
「『有難うございました。『やってられるか』、『一人ぼっちのモーニングコーヒー』、『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』の3曲をお届けしました。」
「先輩、有難うございます。デビューしたころより表現がすごく豊かになってきていると思います。みなさんは、どう思われました?」
会場から拍手が沸いた。誠も「また、急に良くなった。」と思っていた。
「有難うございます。」
「やはり、1年間、練習を続けてきた成果ですか?」
「それもあるけど、なんか昨日の晩、急に歌えるようになった気がする。」
「何ですか。一夜漬けですか。高校の時の試験も一夜漬けだったんですか?」
「試験の朝の通学中に勉強しただけだったかもしれない。」
「朝漬けですか。」
「浅くはない。赤点ギリギリはあったけど、赤点は取ったことがない。朝の深付け。」
「さすが、明日夏先輩の天才性の発揮ですね。ところで、アニソン歌手になろうと思ったのは、アニメと歌が好きだったからですよね。」
「その通り。それで、落ち込んだ時にアニソンから元気をもらっていたから、私も元気をあげられる人になりたいと思って。」
「苦労を知らなそうな明日夏先輩が落ち込むって、人が生きていくって本当に大変なことなんだと思います。」
「失礼な。私だって苦労は知っているよ。そんな時に自分を元気にしてくれる何かがあるのは幸せなことだと思うよ。」
「今はコントじゃなくてMCになってしまっていますが、その通りだと思います。」
「でも、どんなことを言えばコントになるの?」
「例えば、夏コミで朝一番に自分を元気にしてくれるグッズを買うために最寄りの駅から会場に向かったら、隣にいた女性が同じものを狙っている気がして走り出したとか。」
「そうそう、それで隣の女の子も同じ気持ちだったのか、走り始めて、会場の列の一番後ろまで競争になった。」
「それで、列の後ろまで全力で走ったんですよね。」
「やっぱり、そうなっちゃうよね。」
「それで勝ったんですか?」
「最初は勝っていたんだけど、ゲームのやりすぎか、最後は負けちゃった。」
「それは残念でしたね。」
「それで、その女の子の隣に並んだんだけど。」
「間に誰も入らないというのは接戦だったんですね。でも、バツが悪いですよね。」
「でも、その隣の女の子、どこかで見たことがある気がして。」
「オタク仲間だったんですか。」
「オタク仲間と言えばそうだけど、良く見たら亜美ちゃんだった。それでお互い、えーーーー、となった。」
「笑い話みたいですが、実話なんです。この話、亜美先輩からも聞きました。」
「でも、そこで走ったおかげか、亜美ちゃんも私も無事にお目当てのグッズを手にすることができたんだよ。」
「めでたしめでたしですが、大丈夫ですか、うちの事務所。」
「そんな心配しなくても、尚ちゃんがいるから大丈夫だよ。」
「私に言いますか、それ。」
「うん。」
「先輩なんですから、普通、自分が何とかすると言うもんですよ。」
「尚ちゃん、だれに任せれば大丈夫か、人を見る目が人生で最も重要なんだよ。それさえ適切に選べれば、あとはその人が何とかしてくれる。」
「なるほど、明日夏先輩の処世術ですね。」
「その通り。そのおかげで、私はここまで来れた。」
「それならば、私もアニソンを歌うことを明日夏先輩に任せることにします。ですので、今から明日夏先輩が大好きで有名なアニソンを4曲カバーします。」
「正確には、私が大好きで、有名で、私が歌えそうな4曲ね。」
「考えて、選んでいるんですね。」
「うん、カラオケで『FLY!FLY!FLY!』を歌ったら、ミサちゃんが笑いをこらえていた。」
「そうでしたね。ここはカラオケでなくお客さんがいらっしゃいますので、私も得意な歌を歌う方がいいと思います。それでは、明日夏先輩、お願いします。」
「それでは、『君の知らない物語』、『君色シグナル』、『残酷な天使のテーゼ』、『やさしさにつつまれたなら』の4曲を続けてお届けします。」
明日夏が4曲を無事に歌い終える。
「有難うございます。『君の知らない物語』、『君色シグナル』、『残酷な天使のテーゼ』、『やさしさにつつまれたなら』をお届けしました。」
「明日夏先輩、4曲ともすごくよかったですが、先輩のイメージに合わない『残酷な天使のテーゼ』も雰囲気が良く出ていました。皆さんも、そう思いますよね。」
会場から拍手が起きた。
「有難うございます。」
「そう言えば、2年前のアニソンコンテストの東京予選では、ヘルツレコードの社長さんに君の『残酷な天使のテーゼ』は『面白い天然のテーゼ』って言われたんですよね。」
「そう。舞台袖にいる係員さんと思って話していた。いい突っ込みをしていたので、来年はアニネタ漫才で出場しましょうと言ったら、断られてしまった。」
「それなのに、明日夏さんを採用したヘルツレコードは、懐が広いというか、将来を見る目があるんでしょうね。明日夏さんが採用されなかったら、私たちにチャンスも来なかったので、本当に良かったです。」
「えへん。でも、尚ちゃんたちがチャンスを掴んだのは尚ちゃんたちの実力。」
「アニソンコンテストに出場したときには、プロの歌手になりたかったんですか?」
「うん。子供のころからぼんやりとした希望はあって、アニソンコンテストに応募してみたけど、本気に思ったのは予選会出場直前のお正月。」
「すると、2年でここまで来たんですね。すごい。」
「ここまで来れたのは、事務所の平田社長さんとボイストレーナの橘さんや私をサポートして下さるスタッフの方々と私の歌を聴いて下さる皆様のおかげです。」
「その通りですね。でも、2年前の正月というと、明日夏先輩はまだ高校3年生だったんですよね。」
「そう、私も女子高生だったんだよ。」
「朝、いつも遅刻しそうで、食パンを口にくわえて走っていたんですか?」
「尚ちゃん、さすがに食パンを口にくわえて走る女子高生は2次元の世界にしか存在しないよ。」
「明日夏さんにしては常識的な答えですね。・・・でも、いたー。」
「尚ちゃん、何がいたの?」
「パンを口にくわえて走る超美少女高校生!」
「えっ、まさか。」
そのとき、ミサが高校の制服を着て、食パンをくわえて走ってきた。
「良かった。朝寝坊しちゃったけど、明日夏のワンマンライブに間に合った。」
「ミサちゃん、来てくれたんだ。有難う。」
「ミサ先輩の出演は、諸般の問題で難しかったんですよね。」
「ギャラの違いね。」
「明日夏さん、本当のことを言わないで下さい。」
「明日夏のワンマンライブに行きたい。行きたいって、駄々をこねていたら、うちの社長も行ってこいって言ってくれた。」
「駄々をこねる。ミサちゃんが。」
「うん、畳に横たわって手足をバタバタさせて。」
「それはちょっと見てみたい。」
「今はスカートだから、ここではできないかな。」
「残念。でも、ミサちゃんの超美少女女子高校生姿が見れたからいいか。」
「しかし、明日夏先輩、いいんですか。日本の次世代を担うロックシンガーに高校の制服を着せて食パンをくわえさせて走らすなんて。」
「自分のワンマンライブだと絶対にできないけど、ここは明日夏の世界だから。そういう扉を開けてしまったみたい。」
「郷に入れば郷に従えでしょうか。」
「尚の言う通り。」
「ミサちゃんと会うのは久しぶりで、ハワイのライブ以来かな。だから1週間会っていなかった。」
「その後に練習やリハーサルでも会っているけど。」
「そうだけどさー。だいたい、毎週2回は会っているし。でも公的には。」
「そうね。ライブで会うのは1週間ぶり。」
「あの、明日夏先輩、ミサ先輩、普通は家族とか同級生でもないのに、会わない期間が1週間は短い方だと思います。」
「そうだけどさー。ハワイの話がしたいんだよ。」
「なるほど。明日夏先輩、ちゃんと仕切っていたんですね。気が付かなくて申し訳ありません。ハワイの最終日の半日はみんなでビーチで遊んだんですよね。」
「そう、ハワイには尚ちゃんもいたの。ライブもないのに。」
「いいじゃないですか。明日夏先輩はいつも遊んでいるみたいなものなんですから、たまには私にも遊ばして下さいよ。」
「でも、本当は尚も仕事だった。」
「はい、仕事でした。ミサ先輩のお手伝いです。」
「ミサちゃんを脱がすお手伝い。」
「100%外れているとは言いませんが、人聞きが悪い言い方です。SNSで現場の写真が上がっていたので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。」
「尚ちゃんがミサちゃんを脱がした現場。」
「ですから、人聞きが悪い言い方はやめましょう。何と来年1月27日に、ミサ先輩のファースト写真集が発売されます。拍手。」
会場から拍手が巻き起こる。
「何と、ミサちゃんの水着姿の写真もたくさん載っているんだよ。」
「ボイストレーナの橘さんといっしょの写真もあります。・・・・何か、会場がはてなマークで一杯になっているようですが、ミサちゃんが一人だと恥ずかしいということで、橘さんが一緒に写ることになりました。」
「実は嫌がるミサちゃんを、そういう条件を付けて何とか脱がしたのが、尚ちゃん。男性諸氏は尚ちゃんに感謝するように。」
「また人聞きの悪いことを。私だけじゃないですよ。写真の他にも橘さんと水着で歌ったDVDも付属しています。」
「それも尚ちゃんが言い出した。なんと尚ちゃんがその写真集の監修をしているんだよ。」
「私はその仕事でハワイに行っていました。出版社、レコード会社、事務所、カメラマン、ミサ先輩、橘さんの関係調整が大変でした。」
「その通り。傍から見て、私じゃできない仕事だった。さすが尚ちゃん。」
「尚は本当に頑張ったと思う。有難うね。でも、明日夏のワンマンライブで私の写真集の宣伝をしていいの?」
「みんな仲間だし、お客さんが喜ぶから構わないよ。」
「明日夏、有難う。」
「写真集やそれ以外も含めて、ハワイでの写真をご紹介したいと思います。」
ハワイの街で撮影した写真がスクリーンに映し出され、尚美がその紹介をした。
「次が最後の写真です。」
「ねえ、ミサちゃんの水着姿の写真がなかったけど、最後ぐらい水着写真にしようよ。」
「さあ、どうでしょう。会場内で撮影している人はいませんね。絶対に撮っちゃだめですよ。それでは最後の写真。ジャーン。」
スクリーンに明日夏の水着姿の写真が映し出される。
「こっ、これは。私の水着写真。」
「大変申し訳ありません。出版社と事務所の調整が付きませんでしたので、ミサ先輩の水着写真は写真集の発売までお待ちください。写真はこれでおしまいです。」
スクリーンが暗くなる。
「でも、明日夏の水着姿は凛として綺麗で羨ましい。」
「いやいや、さすがにミサちゃんにはかなわないけど、私のワンマンライブだから仕方がないでしょうかね。でも、この写真で半分寝ていた人も、目が覚めたんじゃないかな。」
「明日夏、授業じゃないんだから眠くならないでしょう。」
「ミサちゃんも、授業中は眠くなったの?」
「まあ、ある程度は。」
「ふふふふふ。私は授業中に眠気を意識したことはなかった。」
「すごい。さすが明日夏。」
「瞬間的に寝付いては、眠気を意識できませんよね。」
「尚ちゃん、先に答えを言うもんじゃない。でも、授業中にこういう写真を出すと、生徒が目を覚まして良いかも。」
「そんなことをすると、学校の先生がセクハラで首になってしまいます。さて、ミサ先輩の写真集の発売が待ち遠しいところですが、次は明日夏先輩とミサ先輩に歌って頂きたいと思います。ミサ先輩、よろしいでしょうか。」
「もちろん。そのために来たんだし。」
「パンをくわえて。」
「ステージ袖からだけど、パンをくわえて。」
「歌う曲は、明日夏先輩のアルバムに入る予定の『あんなに約束したのに』です。」
「この曲、実はアイドルユニット『ユナイテッドアローズ』のスタッフの方が曲はあるけれど、歌詞がなくて困っていたので、私が作詞した曲です。」
「というと、作詞家の秋山充年さんというのは明日夏さんだったんですね。」
「尚ちゃんの言う通り。というか私が作詞しているの見てたじゃない。」
「はい、明日夏先輩、かなり苦労していました。」
「私の初作詞。歌詞だけを書いたことはあるけど、曲まで付いたのははじめて。『ユナイテッドアローズ』のみなさん、作詞の機会を与えて下さり有難うございます。」
「でも明日夏先輩は、実は『ユナイテッドアローズ』のアキさんとユミさんに歌ってもらって、自分は印税だけで左うちわの楽をしたいと考えているんじゃないですか。」
「へへへへへ。バレちゃった。そのための第一歩を踏み出しました。」
「まあ頑張って下さい。」
「私も『ユナイテッドアローズ』のユミちゃんと、橘さんの師匠でもあるお母さんのマリさんとは温泉で会ったことがある。」
「私はユミさんとは会ったことがないんだけど、アキさんとは温泉で会って、マリさんには歌を教わっています。本当に有難うございます。目がいいミサちゃんは3人がどちらにいらっしゃるか分かるの?」
「うん、3人とも女性専用スペースにいらっしゃいます。」
「ライブに来てくれて有難うございます。楽しんでいって下さい。それじゃあ、ミサちゃん、『あんなに約束したのに』を歌おうか。」
「うん。明日夏といっぱい練習してきました。」
「二人の練習の成果をお聴きください。」
二人が『あんなに約束したのに』を歌い終わる。誠は「二人とも、また上手になっている。プロの歌手はすごいな。追いつくのは本当に大変だ。」と思いながら応援していた。
「有難うございました。」
「『あんなに約束したのに』をお届けしました。」
「ミサちゃん、私、うまく歌えたかな。」
「うん、2年前より本当に上手になった。マリさんもグッジョブのサインをしている。」
「良かった。マリさんは橘さんと違って怒ったりしないけど、目が厳しいから。」
「そうなんだ。今度、私も教わってみたい。」
「うん、ロックは専門じゃないみたいだけど、バラードなら大丈夫だと思う。」
「マリさん、時間があるときでかまいませんので、私にも歌を教えてください。・・・・OKだって。良かった。」
「さて、次の曲に進みたいと思いますが、ミサ先輩と明日夏先輩は2年前のアニソンコンテストで再会したんですよね。」
「尚の言う通り、3歳の時に伊豆で会って以来。すごい偶然。」
「あの時、ミサちゃんが歌った『Don’t say lazy』がすごく良かった。」
「私も聞きたいです。ミサ先輩の『Don’t say lazy』。」
「分かった。歌うね。それでは、お聴きください。大河内ミサで『Don’t say lazy』。」
ミサが『Don’t say lazy』を歌い終わると、拍手が巻き起こった。
「有難うございます。大河内ミサで『Don’t say lazy』でした。」
「やっぱり、ロックはミサちゃんだ。」
「その通りですね。迫力が違います。」
「本当に。有難う。」
「こちらこそ、駄々をこねてまでして来てくれて有難う。」
「また、明日夏のワンマンライブには絶対に来たい。」
「それじゃあ、次の私のワンマンライブでは、バニーガールの格好で『God knows』を歌って。」
「分かった。」
「ミサ先輩、いいんですか?」
「事務所がダメと言わなければバニーガールの格好で歌う。もちろん、そういうのは明日夏のワンマンライブ限定だけど。」
「今回もミサ先輩の出演はサプライズでしたが、そんな予告をすると、ミサ先輩のファンがたくさんいらっしゃって、ミサ先輩の出演が終わったらみんな帰っちゃうかもしれませんよ。」
「そうか。それじゃあミサちゃんのバニーガールは止めておこうか。」
「分かった。でも、その時までにどうするか考えておいて。ちょっと怖いけど、明日夏の言うことに従うから。」
「そういうことなら真面目に考えておく。」
「それでは、ミサ先輩、今日は有難うございました。夜中のテレビ番組も頑張ってください。」
「ミサちゃん、有難う。また会おうね。」
「明日の夕方。仕事が終わったあとに遊ぶ約束をしているでしょう。尚もいっしょ。忘れないでね。」
「そうだった。それじゃあ、また明日の夕方。」
「また明日、よろしくお願いします。」
「それじゃあ。」
ミサが舞台袖に下がって行った。
「ミサちゃん、行っちゃった。」
「忙しい方ですからね。」
「でも、ミサちゃんの前では言わなかったけど、制服きつそうだったね。」
「ウエストとかは大丈夫そうでしたけど。」
「歌っているときにシャツのボタンが飛んだらどうしようかと思っていた。」
「そんなことは・・・・」
「でも、尚ちゃん、そういう場合にそなえて準備していたでしょう。」
「念のためバスタオルを持っていました。」
「さすが、尚ちゃん。」
「まだ昼間ですから、この話は止めにしましょう。」
「はーい。でも、みんなが写真集をより楽しみにできるよね。」
「それは明日夏先輩の言う通りです。」
「さて、尚ちゃん、ミサちゃんも帰っちゃったし私たちも帰ろうか。」
「いやいや、明日夏先輩の歌をもっと聴きたい方はいっぱいいらっしゃると思いますよ。みなさん、そうですよね。」
会場から「聴きたい」という声が返って来た。
「ふん、皆の前で歌いたいなんて全然思っていないんだからね。」
「明日夏さん、ツンデレですか。」
「私の歌を聴きたいと言ってくれる方がいるのはとても嬉しくてつい。」
「はい、とても有難いことです。」
「それじゃあ、この手錠をお客さんの手首と柵に掛けて、逃げられないようにするね。それで、私の歌をお客さんの息絶えるまで聴かせてあげるね。ふふふふふ。」
「今度はヤンデレですか。手錠は火災の時に逃げれなくなるからだめです。」
「でも、ヤンデレはツンデレより難しい。」
「やっぱり、プロの声優さんはすごいと思います。」
「尚ちゃんがヤンデレするなら、どうする?」
「君はもう私以外の人と合わなくていい。だから、このカナノコで君の脚を切り取っちゃうけど、安心して。君の面倒は私が一生みるからね。何でも言ってね。」
「そこまで来ると、ヤンデレと言うよりサイコパス。」
「あの、みなさん、この手錠もカナノコもおもちゃですのでご安心ください。それでは、次の曲に行こうと思います。亜美先輩、お願いします。」
「はーい。」
亜美が入って来た。
「亜美ちゃんは、尚ちゃんと同じ格好で普通に入って来たね。現役女子高校生、パンを口にくわえて走ってこないの?」
「明日夏さん、私の制服はリアルですから、いろいろまずいです。」
「なるほど、そう言われるとそうか。」
「明日夏さん、ファーストワンマンライブ、おめでとうございます。」
「有難う。それじゃあ、亜美ちゃん、一緒に歌おうか。」
「はい。」
「明日夏先輩と亜美先輩が歌う曲は、亜美先輩の十八番、『トリプレット』の『ずっと好き』です。それでは準備お願いします。」
明日夏と亜美が左右に広がる。
「それでは、神田明日夏さんと『トリプレット』柴田亜美が歌います。」
「『ずっと好き。』」
二人で『ずっと好き』を歌い始める。途中、歩きながら左右を交代しながら、無事に歌い終える。
「有難うございます。神田明日夏と」
「柴田亜美で『ずっと好き』でした。」
「みんな、こんな私のワンマンライブに来てくれて、ずっと好きだよ。」
「私も明日夏先輩がずっと好きです。でも、限定グッズは譲りません。」
「私も亜美ちゃんは大好きだけど、限定グッズは譲らない。」
「全部、抽選か受注生産になれば平和になりそうです。でも、そういうわけにもいかなさそうですから、争いは続くと思います。せめて、仲良く喧嘩して欲しいものです。」
「私たちの争いはこれからだ。」
「明日夏さん、それだと打ち切られる漫画みたいですから止めましょう。」
「そっ、そうだね。でも、さすがにこの冬はコミケに行けなかった。」
「私もです。」
「来年の夏コミはいっしょに行こう。」
「明日夏さん、いいですか。限定グッズを買うまでは、途中の等身大パネルに引っ掛かったりしないで下さいね。」
「分かったよ。」
「話がまとまったようですので、次の曲に行きたいと思います。」
「次の3曲でラストになります。」
少しの間の後、会場から「えー」という声が起きた。
「ラストも3曲続けて行くんですね。」
「ラストスパートだから。」
「分かりました。それではミサ先輩、由香先輩、お願いします。」
ミサと由香が尚と亜美と同じ衣装でステージにやってきた。
「ミサ先輩、由香先輩、申し訳ないですが、私たち4人で明日夏先輩のバックダンスをしようと思いますが、お願いできますか。」
「おう、もちろんいいぜ。俺は元からダンサー志望だから。」
「私も、もちろん。それに、この衣装を久しぶりに着れて嬉しい。」
「まあ、可愛い衣装は由香よりは似合うよね。」
「亜美、うるせーぞ。まあ、それは本当だけどな。」
「由香はカッコいい衣装で切れ切れのダンスをしているときが一番似合う。」
「ミサさん、有難うございます。でも、ミサさんのダンスも切れ切れです。」
「そうなの。その体なのに。」
「明日夏、その体って。」
「ミサ先輩には、脂肪の重さに打ち勝つ筋力があるから大丈夫なんです。」
「尚まで。それじゃあ、私、何と言うか、太っているみたいじゃない。」
「いえ、全然太っていません。答えは写真集を見てみて下さい。明るさや色の補正はしていますが、空間的な修正は全くしていません。監修者の私が保証します。」
「そうなの。私からも空間的な修正はしないようにお願いした。」
「だから、12月はミサちゃんはよくお腹を鳴らしていた。」
「うん、ダイエットを頑張った。でも、12月はハワイが終わるまで本当につらかった。由香はすごいスリムだけど、どうしているの、ダイエット?」
「俺はダンスの練習の運動量で消費している。」
「さすが。」
「誰も私に聞かないんですね。」
「亜美、それは武士の情けだ。」
「かたじけない。」
「それでは、ラスト3曲、明日夏先輩、準備はいいですか?」
「ダコール。それでは、私の2枚目のシングルから『スーパーガール』、『天使の笑顔』の2曲、そして先行配信中のアルバムのタイトル曲『秋葉原ラブストーリー』の3曲を続けて歌います。いくよー。」
明日夏が3曲を続けて歌い、無事に歌い終わる。そして、明日夏が
「有難うございました。」
と言って、5人がそろってお辞儀をすると、ステージが暗くなった。会場では、セローが先導して「アンコール」の声が巻き起こった。しばらくすると、ステージが明るくなった。ステージ中央に、明日夏と尚美が現れた。
「皆さん、アンコール、有難うございます。」
「明日夏先輩、嬉しい限りですね。」
「尚ちゃんの言う通り。」
「それでは、ここでライブグッズの紹介です。まずは、Tシャツとキャップ、由香先輩、どうぞ。」
由香がライブグッズのTシャツを着てキャップを被って、時々モデルのように回りながら登場した。
「カッコいい、由香先輩がますますカッコよくなっています。」
「スーパーのチラシのモデルならやったことはあるけど、ファッションモデルをやったのは初めてだぜ。」
「ファッションモデルはスリムな方が仕事がありますので、結構いけるかもしれませんね。」
「尚ちゃんは、思考がプロデューサーのようになっちゃう。」
「すみません。明日夏先輩、コンセプトを説明してください。」
「コンセプトは可愛い。可愛い色、可愛いフォント、可愛いロゴ。」
「なるほど。先輩は可愛いのが好きですからね。次にパーカーです。ミサ先輩、どうぞ。」
由香がライブグッズのパーカーを着てキャップを被って、由香と同じように時々モデルのように回りながら登場した。
「ミサ先輩、由香と違った方向でカッコいいです。明日夏先輩、このパーカーも可愛いがコンセプトなんですか。」
「その通り。色はTシャツより可愛くしてみた。」
「それでも、ミサさんが着るとカッコよくなります。」
「尚、有難う。」
「うーん、ミサちゃんはこれにセクシーさが加わったら最強なんだけど。」
「明日夏、どうしたらセクシーになる?」
「パーカーのあちこちを切って肌を出すとか。」
「それじゃあ、寒くなってパーカーの役を果たさないよ。」
「そういうふうに考えるところが、ミサちゃんにセクシーさがないところ。」
「なるほど。セクシーさのためには寒いのを我慢しなくてはいけないということか。」
「うーーん、ちょっと違う。」
「ミサ先輩は、カッコ可愛いところがいいところです。」
「尚ちゃん、写真集もそうなの。」
「セクシーというよりはカッコ可愛いですが、人間とは思えないほどカッコ可愛いですよ。みなさん、発売されたら、是非手に取ってみて下さい。」
「でも明日夏、セクシーさは必要なの?」
「来年には私たちは二十歳になるからね。いつまでも子供ではいけない。」
「分かった。頑張ってみる。」
「それでは、来年の写真集は思いっきりセクシーにして構成してみましょう。」
「私、来年も写真集出すの?」
「出版社も事務所もファースト写真集の発売前から乗り気みたいです。」
「はー、来年の冬はまたダイエットか。」
「ミサちゃんが暗くなった。」
「大変申し訳ないのですが、冬より前の来年の夏に地中海のどこかの浜辺で撮影することを計画中です。」
「来年の夏に!私の知らないところで勝手に計画が進んでいる。」
「ミサちゃん、ファイト!」
「いえ、次は明日夏先輩がミサ先輩と一緒に撮影する予定です。」
「聞いていないよ。」
「昨日、そういう方向性が決まったばかりで、まだ社長にも橘さんにも話していません。」
「尚ちゃんの暴走。ミサちゃんとじゃ差がはっきりしちゃうけど、ミサちゃんといっしょなら、思い出になるからいいかな。」
「私も明日夏がいっしょならいいかな。尚のいいようにされている気もするけど。」
「尚ちゃんは将来の総理大臣だから。でも尚ちゃんは総理大臣になったら、国民を全部コントロールするつもりでしょう。」
「国民のみなさんのための政治をするつもりです。来年のミサ先輩と明日夏先輩の写真集のことは来年考えることにして、今年の写真集も19歳のミサ先輩のカッコ可愛さがギュッと詰まっています。本当にお勧めです。」
「有難う。でも尚、写真集の話ばかりしてていいの?今は明日夏のライブグッズの紹介の時間なのに。」
「そうなんですが、Tシャツ、パーカー、キャップは全て売り切れてしまいました。お買い上げ下さったファンの皆様、大変有難うございます。逆に、売れる数の予想が外れて、お買い上げいただけなかったファンの皆様、大変申し訳ありません。ただ、パーカーとキャップはホームページで予約販売することを計画中です。メールを登録して頂ければ、メールでもご案内しますので、メール登録をお願いします。」
「私からも、明日夏のメール登録、お願いします。」
「お願いします。」
「それでは、亜美先輩どうぞ。」
亜美がTシャツを着て、痛バッグを持って、マフラータオルを首にかけて、歩いてやってきた。
「亜美先輩、いらっしゃい。」
「明日夏先輩、ミサさんと由香はカッコいい格好なのに、何で私だけ痛い格好なんですか?」
「それが亜美ちゃんの通常運転だから。」
「それはそうですが。」
「亜美、否定しないのか。」
「由香、明日夏さんとはオタ友かつオタ敵だから。そういうことなら『トリプレット』のワンマンライブでは、明日夏さんに思いっきり痛い格好をしてもらいますよ。」
「それは構わないけど、さすがにドームのステージには呼んでもらえないんじゃないの。」
「明日夏先輩、監督に推薦はしてみますが、さすがに確約はできません。」
「尚ちゃん、無理しなくてもいいよ。スタンドからみんなの活躍を見ているから。」
「有難うございます。それでは、明日夏先輩、痛バッグに入っているグッズの説明をお願いします。」
「はい、これは6種類の缶バッジとアクリルスタンド。缶バッジは中が見えない袋に入っていて、どれが出るかはランダムです。私がサインしたものがそれぞれ1つづつあるので、お楽しみに。アクリルスタンドは今日の衣装で作ってある。今日の思い出に是非どうぞ。」
「明日夏先輩、有難うございます。缶バッジとアクリルスタンドはまだ残っていますので、お帰りに際に是非チェックしていって下さい。」
「あと、亜美ちゃんが首に巻いているのが、このライブのマフラータオルです。これも、可愛いでしょう。」
「私もグッズのデザインはかなり可愛いと思いました。さすが、明日夏さんです。」
「亜美ちゃん、有難う。宿敵から誉められた気分で、なかなかいい。」
「さて、神田明日夏ワンマンライブ『ジュニア』も大詰めになってきました。」
「アンコール1曲目はライブのタイトルになっている『ジュニア』です。浮気性の男の子に想いを寄せている女の子の気持ちを歌った曲です。それではお聴きください。神田明日夏で『ジュニア』。」
明日夏が『ジュニア』を歌い始める。尚たちはステージの端の方で観客といっしょに応援する。明日夏が無事に歌い終わると拍手が巻き起こった。
「有難うございます。神田明日夏で『ジュニア』でした。」
「私たちもファンの皆さんと一緒に応援できました。」
「明日夏、みんなで予習してきたんだよ。」
「なぜか、亜美は一発で覚えた。」
「由香、オタ芸の構成要素は分かっているから。」
「みんなも、有難うね。」
「さて、ここで、素敵な伴奏でライブを盛り上げてくれた、『すっカーズ』の紹介です。バンドの紹介はいつもやっていて、一番上手そうなミサ先輩にお願いします。」
「それじゃあ、可愛い曲からカッコいい曲まで、完璧な演奏で会場を盛り上げてくれた『すっカーズ』のカッコいいみんなを紹介するね。まずは、ギター、翔!」
会場が拍手をする中、翔がギターを演奏する。このような感じで順番にバンドメンバーを紹介していった。
「カッコいい演奏の翔さんでした。次は、キーボード、和!・・・・・繊細なタッチで奇麗にシンセを奏でた和さんでした。次はドラムス、英樹!・・・・・・体を揺さぶられるような英樹さんのドラム、有難うございます。さて、次は、ベース、治!・・・・・全身が音に共振してしびれちゃいます。最後、ギター&バンマス、大輝!・・・・・エフェクトが聴いた音が心に染み入ります。『すっカーズ』のみなさん、本当に有難うございます。」
「ミサ先輩、バンドメンバーの紹介、有難うございます。」
「尚ちゃん、バンドのみんなが泣いちゃっているんだけど、大輝さん、大丈夫?」
「感激しました。」
「私の歌に?」
「ミサさんにご紹介頂いて。」
「治さんも?」
「はい、大輝と同じです。」
「明日夏さん、細かいことはおいておいておきましょう。大輝さん、演奏の方が大丈夫ですか。」
「はい、目をつぶっても演奏できますから大丈夫です。」
「俺もです。」
「それでは、明日夏さん、お願いします。」
「尚ちゃん、有難う。今日は年末のお忙しいところ、私のワンマンライブ『ジュニア』に来て下さいまして本当に有難うございます。今日本当の最後の曲になります。私が作詞した曲で、ここで初披露する曲です。『君が元気なら』」
明日夏が『君が元気なら』を丁寧に歌い上げる。歌い終わると会場から、拍手や『明日夏ちゃん』、『明日夏』という掛け声が飛び交った。
「有難うございました。神田明日夏で『君が元気なら』でした。1月に発売されるアルバム『秋葉原ラブストーリー』に入っていますので、発売されましたら、またお楽しみ頂ければと思います。それじゃあ、尚ちゃん。」
「みんな並びましょう。」
尚美、ミサ、明日夏、由香、亜美の順に並び、一度手を上げた後、お辞儀をして挨拶をする。
「今日は本当にありがとうございました。」
5人が顔上げると会場から盛大な拍手が巻き起こった。
「それでは、バンドの皆さん、退場のマーチをお願いします。」
会場が少し笑いに包まれた。5人が整列して『君が代行進曲』で手を振り行進しながら、ステージを2週回った後、ステージ袖に下がって行った。ミサは深夜のテレビ出演のために会場で分かれたが、パラダイス興行のメンバーは打ち上げのためにレストランに向かった。
「それでは、明日夏ちゃんのワンマンライブの成功を祝して乾杯したいと思います。」
「何だよ、『デスデーモンズ』のやつらは。こんな時ぐらい飲めよ。」
「申し訳ないっす。この後、カウントダウンライブの出演があるっす。」
「何時から。」
「夜中の2時からっす。」
「なんだ、まだ8時間以上あるじゃないか。なら三杯は大丈夫だ。」
「いえ、いい演奏をしたいっす。」
「お前らの場合は、少し飲んだ方がいい演奏ができる。」
「それじゃあ、悪いけど、久美に一杯だけ付き合ってくれるか。」
「社長さんの頼みなら了解っす。」
「何だ。治、私の酒は飲めないか。」
「久美さん、新年会ではどこまでもつきあうっすよ。」
「大輝、治、それじゃあ新年会を楽しみに、今日はライブがあるなら一杯で許してやるか。でも、ライブのためにお酒を控えようとするのはいい心がけだ。」
「橘さん、何か矛盾していますよ。」
「明日夏、人間とは矛盾を抱えた生き物なんだよ。」
「そうでしょうけれど。」
「でも、明日夏も急に上手くなったな。今日のライブを聴いて驚いた。少年の言った通り、真理子先輩のおかげか。」
「はい、自分で自分の歌を良くしていくコツみたいなものが少しわかった気がしました。もちろん、まだまだですが。」
「そうか。さすがだな・・・」
「でも、それは橘さんに鍛えて頂いた基礎があるからできることだと思います。」
「そう言ってもらえると嬉しいが、やっぱり、悟や少年の言う通り、私にも足りないところがあるということだな。」
「久美、それは来年考えることにして、今は乾杯しよう。」
「悟、頼む。」
「明日夏ちゃん、『トリプレット』のみんな、『デスデーモンズ』のみんな、今年はパラダイス興行にとって、とても良い年でした。来年はもっと良い年にするように頑張りましょう。」
「社長がお嫁さんを見つけるのかな。」
「明日夏ちゃん、それはいいから。では、乾杯!」
「乾杯!」
歓談が少し続いた後、亜美が社長や明日夏のいるところにやってきた。
「社長、橘さん、明日夏さん、今年は大変お世話になりました。」
「いや、亜美ちゃんの活躍のおかげで事務所は助かっている。」
「亜美ちゃん、私も楽しかった。」
「亜美、亜美も立派になったなー。」
「皆さん、有難うございます。大変申し訳ありませんが、私はここで失礼します。みなさん、良いお年を。明日夏さんは明日の夕方に会いましょう。」
「うん、明日の夕方。でも、亜美ちゃん、今から仕事?」
「いえ、二尉たちの忘年会に行ってこようと思って。マリさんの一家がそろっていらっしゃるということですし。」
「そっ、そうなの。」
「リーダーにも言いましたが、アキさんと二尉の関係はチェックして報告します。」
「それは私に言わなくても、尚ちゃんに報告すれば大丈夫だから。それじゃあ、行ってらっしゃい。」
「はい、行ってきます。」
明日夏は亜美が部屋から出ていくまで、目で亜美を追っていた。
「何だ明日夏。お前も行ってきていいぞ。」
「歌を教えて頂いた真理子さんにお礼は言いたいですが、次の機会で構いません。」
「そうじゃないだろう。」
「私がここから動くわけにはいかないですから。」
「大丈夫。パラダイス興行の主役はいつも私だ。」
「はい、それには同意します。」
「何だ、少年みたいな口調だな。」
「そっ、そうですか?」
「僕もそう思った。」
「そうですか。でも、今は私のわがままを聞いてくれた『デスデーモンズ』の皆さんといっしょにいます。」
「そうだね。今はそれがいいと思う。」
明日夏は『デスデーモンズ』のメンバーが坐っている席の隣に行って、今日のライブのことや、『デスデーモンズ』の曲について話をした。そして、打ち上げは、2時間程度でお開きで、解散となった。悟と久美は『デスデーモンズ』が出演するカウントダウンライブに客として参加することにして、ホールに向かった。明日夏と尚美は、尚美の誠との待ち合わせ時間まで喫茶店に寄った後、帰宅することにした。
一方の誠たちもレストランで忘年会を始めようとしていた。
「パスカルさん、今連絡がありましたが、三佐が途中から合流するそうです。」
「それは大歓迎だが、あっちも打ち上げをやっているんじゃないか?」
「途中で抜けてくるということです。気にせず先に始めていて下さいとのことです。」
「分かった。それじゃあ、始めようか。」
パスカルが席を見回す。
「パスカル、急にどうしたの?」
「いや、年末に、こんな素敵な人たちと夕食を囲めるなんて夢みたいだなと思って。」
「パスカル、すべて私のおかげよ。」
「本当にそうかもしれない。アキちゃんの積極性に巻き込まれた感じはあったけど、それで得られた幸せなことは分かっている。」
「ほら、早く乾杯する。」
「分かった。それでは、『ユナイテッドアローズ』の今年の活躍を祝すと共に、来年の発展を願って乾杯!」
「乾杯!」
みんながソフトドリンクを飲み始める。
「美味しい!でも、明日夏さんたちが、マリさんや私たちの名前を言ったのは驚いたわ。」
「俺も、いい宣伝になると思う。」
「たぶん、お礼のつもりだったんだと思います。」
「私もそう思う。これで『あんなに約束したのに』は、もともとは私たちのための曲って言える。」
「『ユナイテッドアローズ』という言葉も出ましたし、ミサお姉さん、ユミのことを覚えているみたいだし。ちょっと自慢できる。」
「大河内ミサちゃんとは一緒に温泉の湯舟を浸かった仲だって。」
「MCのネタにはなりそう。」
「そうね。」
「あの、」
「その時明日夏さんとミサさんについて、あまり変なことは言わないようにして下さい。」
「そっ、その通りです。」
「湘南兄さん、心配しなくても分かっています。」
「湘南ちゃん、アキちゃんに心を読まれている。」
「たぶん全員分かったんじゃない。湘南の、あの、の後に何を言うか。」
「まあね。」
「でも、お風呂でミサ姉さんをもっと見ておけば良かった。ママは見たんだよね。」
「一応、ずうっと話をしていたし、普通には見たわよ。どんなに歌が上手くても初めは何かのきっかけで何回か聴いてもらえないと良さが分からないから、あの見た目はプロの歌手としては武器だと思う。だからすごい人気が最初から立ち上がったんだと思うわよ。」
「今日聴いて、明日夏さんも急に歌が上手になったように思うのですが、やっぱりマリさんの指導のおかげだと思いました。」
「有難う。明日夏さん、すごく感のいい子だから、1回で何かを掴んだのかもしれない。指導したときより良かったから、自分で考えて歌を良くしているんだと思う。」
「それは良かったです。有難うございます。でも、こっちと差が少し開いてしまったような気がしました。」
「うーん、まあね。でも、アキちゃんもユミちゃんもまだ若いから、続けていけばまだまだ伸びるとは思う。」
「それはそうですね。二人は、まだまだこれからですね。」
「まだまだこれからなのは、明日夏さんとミサさんも同じだけど。」
「はい、みんなさんそうですね。それなら、みなさんの成長を見守る楽しみが増えます。パスカルさん、来年も頑張って行きましょう。」
「おう、そのつもりだ。ラッキーさん、来年も会計周り、お願いします。」
「パスカル君、分かっている。来年は帳簿の処理を全部自分でできるようにするよ。」
「よっ、さすが、社長。」
「個人事業主だよ。」
「あの3人とも、見守ったり支援するだけじゃなくて、来年は自分のことも考えないと。」
「頑張ってはみます。」「僕は手遅れだから。」「僕はまだ先のことですので。」
「はあ。」
「パスカル、それより、サングラスを掛けて浜辺で女性を見るのはやめようね。そういうのが友達と知られたら恥ずかしい。」
「ミサちゃんや明日夏ちゃんにも知られちゃったし。今後絶対サングラスを掛けて浜辺で女性を見たりしない。」
「よろしい。」
「私はパスカルのおかげで、サングラスをかければ浜辺で堂々と男性の水着姿を見れると分かって、ためになったけどな。」
「コッコ。せっかくいい話になっていたのに。」
「これは私のライフワークだから。」
「ライフワークねー。」
その後、明日夏のライブや『ユナイテッドアローズ』の反省や来年の計画、1月1日夕方からのスキーについて話した。途中、亜美がやってきて、徹の右隣に座り左隣のユミと冷戦状態であったが、2時間ほどして忘年会はお開きにすることになった。
「これからラッキーさんと少しだけ飲みに行くけど、湘南はどうする。」
「妹を家まで送らなくてはいけないのですが、1時間ほどならごいっしょできます。」
「それじゃあ、1時間付き合え。俺たちも深夜にミサちゃんの番組があるから1時間ぐらいが限度だ。」
「えーと、今日は2回目だから2杯までだっけ。」
「大学のコンパでも飲みましたが、もう少しは大丈夫です。」
「僕たちと違って、湘南君は妹子ちゃんを送る大切な仕事があるから、自重するように。」
「へべれけになっている湘南を妹子ちゃんが見て、ミサちゃんに報告されたら、俺の評判が地に落ちるしな。」
「パスカル君の場合は、ある意味もう地に落ちているとも言えるけど。」
「ラッキーさん。怖いことを言わないでください。」
「それでは、みんなで二杯飲みに行きましょう。」
「湘南がパスカルみたいなことを言っている。」
「申し訳ありません。」
「ううん、いいけど。」
「それでは、締めの言葉は湘南に頼む。」
「社長のラッキーさんがいいんじゃないですか。」
「みんな、湘南君がいいと思うよなー。」
誠を全員が賛同する。
「それでは、社長命令と言うことで。」
「分かりました。今年の1月にパスカルさんとアキさんと知り合ってから、まだ1年も経っていませんが、こんなに素敵な友達がたくさんできて本当に嬉しく思っています。僕は来年も、アキさん、ユミさんをプロのアイドルや女優の世界に送り出すべく、頑張って行きたいと思います。みなさんもご協力お願いします。」
全員が拍手する中、会はお開きとなった。店の外に出ると、亜美が誠のそばにやって来た。
「二尉、二尉は、マリさんのことをどう思うか。」
「音楽に詳しく、美人で性格も素敵な方だと思います。」
「なるほど。それでマリさんが独身だとしたら、マリさんは二尉の結婚対象になるか?」
「マリさんもユミさんと同じでイケメン好きですので、僕を結婚対象と・・・。あー、そういうことですね。はい、歳がちょうど一回り離れていますが、僕としては結婚対象になります。」
「そうか、それは良かった。有難う。」
「やっぱり気持ちと雰囲気を若々しくしておくことでしょうか。」
「うむ、マリさんを見て勉強しておくことにする。」
「それがいいと思います。」
「それでは、良いお年を。何か、安心して年を越せそうだ。」
「はい、良いお年を。」
ラッキー、パスカル、湘南の3人は居酒屋が混んでいたため、ラッキーが行きつけのショットバーに入った。
「湘南君、ここなら時間を忘れることがないから安心して。」
「有難うございます。でも、何か大人の雰囲気ですね。女性の前にグラスに入ったお酒が滑走しながら来て、あのお客様からです。みたいな。」
「まあ、実際にはそんなことはできないけど、お酒が好きな人間が来るところかな。」
「俺もこういうところは入ったことがないです。いつも居酒屋ばかりです。」
「まあ、そうだろうね。」
「いつか、こういうところに女性と二人で来たいです。」
「ははははは。パスカル君、それは僕もだ。」
「ははははは。」「ははははは。」
「こんなことを言っていると、マリちゃんに怒られそうだ。」
「僕も、しっかりしなさいって、いつも言われています。でも、どうしっかりしたらいいのか、分かりませんよね。」
「そうだな。」
「でも、二人はまだ手遅れじゃないから、頑張り給え。」
暗く微笑んだ誠を見てパスカルが尋ねる。
「どうした、湘南。」
「いえ、15年ぐらい経って、後輩のオタクに、君たちは手遅れじゃないから頑張るように、と言っている自分が思い浮かんでしまったからです。」
「実は俺もだ。ははははは。」
「ははははは。」「ははははは。」
「とりあえず、飲もうか。」
「はい。」「はい。」
3人とも2杯飲んだところでショットバーを後にして、それぞれの行く先に向かった。
誠が待ち合わせ時間10分前に、尚美との待ち合わせ場所に到着すると、尚美と明日夏が待っていた。
「やあ、マー君、尚ちゃんは無事に渡したから。それじゃあ。」
「今日のワンマンライブ、本当に素晴らしかったです。短時間で上達して、マリさんも、感が良い子だから1回で何かを掴んだんだと思うとおっしゃっていました。」
「そうか、それは嬉しいな。」
「あと、アキさんとユミさんの名前を出して頂いて有難うございます。」
「まあ、こちらがカバーだから当然かな。」
「足止めしてしまって申し訳ありません。妹をわざわざ有難うございます。明日夏さん、良いお年を。」
「明日夏先輩、良いお年を。」
「うん、尚ちゃんとマー君も良いお年を。マー君、来年も曲の方を頼む。」
「はい、喜んで。明日夏さんと『デスデーモンズ』の両方頑張ります。」
「メルシー、ボク。」
明日夏は「マー君は事故さえなければ約束は守るだろうから。」と思い、少し安心して来年のことを考えながら帰宅した。誠と尚美は今日のライブや来年夏のミサと明日夏の写真集について話しながら辻堂の家に帰宅した。
明日夏のワンマンライブの翌日の1月1日、明日夏はなんとなく寝付くことができずに、早朝、明日春の車で辻堂海浜公園に来ていた。そして、公演のベンチに腰かけて12年前のだいぶ薄れてきた記憶を思い返していた。両親の離婚により、その日の夜に父のビジネスジェットで母と妹といっしょにフランスへ出発することになっていた。出発する前の1月1日の朝、明日夏は誠と会っていた。
「マー君、1月1日になのによく来てくれて、有難う。」
「あきさん、お誕生日おめでとう。」
「有難う。尚ちゃんはどうしている?」
「昨日、紅白を見て寝るのが遅かったから、まだ寝ているよ。」
「そうかそれは良かった。静かに話せる。」
「あきさん、本当に外国に引っ越しちゃうの?」
「マー君、そうだよ。フランスという国に行くんだ。」
「フランスって外国で、遠いんだよね。住所は分かるの?」
「新しい住所、読めないから分からない。」
「フランス語だから?」
「そうなんだ。あと、私の苗字も北崎じゃなくなっちゃうんだ。父と母が喧嘩しちゃったから。だからマー君と会えるのは今日が最後。」
「もう、あきさんの歌が聴けなくなっちゃうの?」
「そうなっちゃうね。でもマー君、録音するもの持ってきた。」
「うん、ノートパソコンを借りてきた。」
「マー君、パソコンで録音するんだ。それじゃあ、今から歌うから録音してね。」
「分かった。」
明日夏が十八番の『アメージンググレース』を含む3曲歌い終わってから尋ねた。
「録音できた?」
「できたと思う。あの、最後にいっしょに歌った歌を録音したいです。」
「いいぞ。何がいい?」
「『故郷』」
「それじゃあ、マー君から歌い始めて。」
「分かった。」
二人で『故郷』を歌う。歌い終わったところで、誠が尋ねる。
「聴いてみる?」
「うん。このイヤフォンを片耳づつ使おうか。仲がいい二人はそうするんだって。」
「分かった。」
明日夏が持っていたイヤフォンのイヤフォンジャックをパソコンに挿した。
「それじゃあ、再生するよ。」
「お願い。」
誠が録音したものを再生する。
「うん、私の歌が聴こえる。でも、私の声、こんななの。」
「そうだよ。あきさんの性格と違って、とっても安らかな声。」
「私、誉められているの?」
「うん、誉めている。」
「まあいいや。このイヤフォンをマー君にあげるから、会えない間はこのイヤフォンで録音を聴いてね。」
「次にいつアキさんの歌が聴けるの?」
「二人が大人になって、親とか関係なく会えるようになったらまた会おう。そのときに。」
「分かった。それはいつ?」
「それじゃあ、10年後の1月1日6時にここに集まろう。」
「10年後?」
「10年経ったら、マー君も私も大人だよ。」
「そうか。10年後の1月1日6時だね。絶対にここに来る。」
「約束だよ。」
「約束。」
「それで、マー君はそのときまでに曲が書けるようになって。」
「僕が作曲するの?」
「そう。私は歌詞をかけるようになるから。それで二人で作った曲を私が歌うの。」
「分かった。コンピュータを使って曲を作ってみる。」
「10年間、時間はたっぷりあるから大丈夫だよね。」
「頑張る。」
「それで、マー君がいい曲を書けるようになったら、私がマー君のお嫁さんになってあげるね。」
「あきさんの面倒を見るのは大変そうだけど。分かった、それも頑張る。」
「何よ、頑張るって。」
「料理とか、洗濯とか、掃除とか。あきさんできなさそうだから。」
「マー君、10年あれば、それぐらいできるようになるわよ。」
「それじゃあ、いっしょにやろう。」
「分かった。マー君より上手くならないと。」
「会えないと言うから、妹といっしょの3人の写真を印刷してきた。1枚あげる。」
「本当?有難う。書くものは持っている?」
「あるよ。」
「それじゃあ、お互いの写真に約束を書こう。」
「分かった。それじゃあ、あきさんは緑のペンで。」
「うん。マー君はオレンジで。」
「分かった。」
二人が約束を写真の裏に記し、交換して、明日夏が読み上げる。
「あきさんが18歳の誕生日の6時にあきさんと公園で会う。ぼくがいい曲を書けるようになったら、あきさんがぼくのお嫁さんになってくれる。・・・うん、でもマー君、私の誕生日、10年後も覚えている?」
「覚えている。」
「まあ、マー君だから覚えているよね。」
「それに、それはあきさんが持っているものだから。」
「そうか、さすが。それじゃあ、私のも読んで。」
「平成3〇年1月1日6時に辻堂海浜公園で待ち合わせ。マー君が私が気に入る曲が書けるようになったら、私はマー君のお嫁さん。・・・有難う。大切にする。」
「もう行かなくちゃだめだけど、このイヤフォンで私の歌を聴いたら私を思い出してね。」
「分かった。」
「それじゃあ、10年後。」
「うん、10年後の1月1日6時にまた!」
「約束のチューをしようか。」
「えっ。」
明日夏が誠の両肩を持ってほっぺにキスをする。
「それじゃあ、マー君も。」
「えっ、はい。」
誠が同じように明日夏のほっぺにキスをする。明日夏と誠が見つめあった後、明日夏が走って去って行く。明日夏が振り返って声をかける。
「マー君、10年後、絶対。」
誠が返事をする。
「あきさん、10年後、絶対!」
「はい。」
明日夏は前を向いて涙を拭いて走り去った。
明日夏が気が付くと、空はうっすらと明るくなり始めていたが、あたりはまだ暗かった。
「あれから12年か。私は料理、洗濯、掃除はできないままだな。きっとマー君の方が上手だろうな。でも、このベンチ、12年前も2年前も去年も座っていたベンチか。」
2年前の1月1日、明日夏は午後3時ごろ公園に到着して誠を待ち始めた。辺りがだんだんと薄暗くなっていった。
「住所が伝えられなかったから、手紙も交わせなかったけど、マー君は来るだろうか。まだ、3時間もあるのに、何でドキドキするんだろう。別に笑い話になるだけだろうし。それで構わないし。でも、マー君が作曲できるようになっていたら、休みの日はストリートで歌おうかな。もちろん、最初はこの公園で歌う。」
明日夏はベンチに座って待っていた。今は歌う気分にはなれなかった。景色を見ているうちに、午後6時まであと5分となった。心臓のドキドキはずうっと止まらないでいた。
「あと5分か。マー君ならもう来ていそうな時間だけど。」
6時になった。辺りを見回しても誠らしい人影はなかった。
「もう、10年前のことだから。でも、何か事情があるかもしれないから、もう少し待ってようかな。」
1時間が過ぎても、誠は現れなかった。
「プロの歌手を目指そうか。アニソンコンテストの書類審査も通ったし、その可能性はあるということだよね。プロになれば、マー君がどこかで聴いてくれるかもしれないし。でも、寒くなってきたな。」
自然に涙が出てきた。結局、夜の11時ごろまで待ったあと、明日夏は『故郷』だけを歌って帰って行った。そして、次の年、パラダイス興行に所属し、デビューが決まっていた1月1日の夕方も明日夏は辻堂海浜公園に来てみていたが、やはり待ちぼうけだった。家に帰って、誠、明日夏、尚美の3人が写った写真を見つめて、破ろうかどうか迷ったが、結局古い日記に挟むだけにした。
「マー君のことは忘れよう。デビューイベント、頑張らなくちゃ。うちの事務所、経営もそんなに楽じゃないみたいだから、頑張って橘さんや社長に恩返ししなくっちゃ。」
デビューイベントの日が来て、ライブパートでは気が付かなかったが、特典会で3番目に並んでいる男性を見て明日夏は驚いた。「マー君に似ているけど。」と思ったが「10年も経っているし、他人の空似かもしれない。」と思い直した。男性の番になった。
「今日は歌を聴けて良かったでした。CDより千倍良かったです。」
「あっ有難うございます。」
「次のイベントにも来ます。」
明日夏は「ちょっとだけ確認してみよう。」と思って尋ねた。
「えーと、どちらからいらしているんですか。」
「辻堂です。」
「えっそうですか。遠くから有難うございます。」
「有難うございました。」
明日夏は「えっ、マー君じゃないの?」と思ったが次のお客さんが来たので、その対応に追われた。イベントが終わり家に帰って、3人で写っている写真を見返した。
「やっぱりマー君みたいだけど。私を覚えて来ているの?完全に忘れていて偶然来ているの?苗字は違うけど、明日夏という名前は同じだし。約束だけ忘れたということもあるのかな。逆に、私が覚えていないと思っている?でも、それなら2年前には来たはずだし。それにしても、マー君が順番を譲ったあの若い女は誰?マー君の彼女?私に見せつけに来たのだろうか?私より若い女がいいということ?それとも、マー君といっしょにいた男の彼女なの?分からない。」
デビューシングルの最終イベントの日になった。明日夏はマー君らしき男性が、あまり性格が変わってなく、中心になって明日夏のことを応援してくれていることが嬉しかったが、本当にマー君かどうか、明日夏のことを覚えているかどうか、とても気になっていた。ライブが始まると、マー君らしき男性が、一番最後の女子中学生らしき人を気遣っているのが気になった。「委員長さんみたいな恰好をしているけど、あれ尚ちゃんじゃないかな。マー君が大好きで、金魚の糞みたいにいつもくっついていて、私は敵視されていたけど。マー君かどうかもう少し確認してみようか。でも、それまで仕事はちゃんとやらないと。」明日夏は、仕事はきちんとしながら、マー君らしき男性の順番を待った。そして、その男性の番になった。
「今日は、揃って応援できて良かったでした。」
「今日も、辻堂からですか?」
「はいそうです。」
「私も小学2年まで藤沢に住んでて、お正月の辻堂海浜公園からの海が綺麗でした。」
「はい、その通りです。今日は素敵な歌を本当に有難うございました。」
「こちらこそ、有難うございました。」
明日夏は、「マー君はたぶん自分のことを覚えていないんだ。」と思った。でも、マー君であることに確信を持ちたかった。イベントが終わって、「尚ちゃんみたいな子が一人残っている。今日もマー君についてきたなら、マー君の悪口を言ってみると分かるかも。」
都合が良いことに、橘が誠とパスカルの話をしたため、明日夏が誠の悪口を言ってみた。
「応援の仕方を考えてくれたり、二人ともすごく良さそうな人そうだけど、もうちょっとイケメンになったら良かったかな。」
その言葉で尚美がキレて明日夏に食いかかってきたことは、第5節「兄と妹」に書いた通りである。その時は、明日夏も「やっぱりマー君じゃない。何で私も約束も忘れちゃうの。」という誠に対する怒りが、尚美に向けられてしまっていた。
「あの時はマー君の悪口を言って、尚ちゃんに申し訳ないことをした。」
明日夏が気が付くと、辺りは明るさを増していた。
「寒いな。でも、小学生の時に事故で頭をぶつけたんじゃしょうがないかな。写真はどこかにしまい込んで忘れちゃったのかな。そんなことより、大丈夫って言っているけど、マー君の健康の方が大事だよね。でも、それはお医者さんに任せるしかないか。そう言えば、お姉ちゃんは、よくマー君を患者にしてお医者さんごっことかをしていたけど。・・・・とにかく、私は、私が今できること、プロの歌手、作詞家として頑張ることかな。」
明日夏は発声練習の後、昨日のワンマンライブで歌った曲を歌い始めた。10曲ぐらい歌った後、後ろに人がいる気配がした。何となく、前を向いたまま、
「マー君か?」
と言ってみた。そうすると、
「はい、その通りです。」
という返事が帰って来た。
1月1日の朝、早く目が覚めた誠は、何となく辻堂海浜公園に散歩に出かけた。公園に到着した時刻は辺りがまだ暗い6時前だった。
「ここのところ新年1月1日の早朝はこの公園に来てしまうな。」
つぶやいて公園を散歩していると遠くから歌声が聴こえた。耳を澄ますとその曲は『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』に間違いなく、声も明日夏のものだった。誠は「明日夏さん?」と思って、声がする方に行ってみると、後ろ姿と声が99パーセント明日夏と思える女性が、広場の中央で海の方に向って歌っていた。「昨日ワンマンライブがあったばかりなのに、何でこんな時間にこんなところで?とりえあず何かあったらいけないから、少し離れたところで見張っていよう。」と思って、広場の隅の方のベンチに座って後ろから明日夏を見ていた。正月のためか、早朝にも関わらず公園に人影が少しあったが、二人がいる広場に人はいなかった。明日夏が10曲近くを歌い終わると、その女性が前を向いたまま言った。
「マー君か?」
誠は「明日夏さんはニュータイプか?」と思いながらも答えた。
「はい、その通りです。」
「えっ、そっ、そうか。・・・・・また、ずいぶんと遅い到着だな。」
「あの、まだ朝の6時ですが。」
「ははははは、そうだな。ずいぶん早い到着ということか。」
「はい?」
「前の前の正月は忙しかったりしたのか?」
「2年前ですね。ちょうど大学受験前でしたから、お正月から勉強をしていました。」
「そう言えば、うちの兄と同じ大岡山工業大学だったな。第1志望だったのか?」
「はい、もちろん第1志望です。」
「第1志望の大学に入れて良かったな。」
「有難うございます。」
「尚ちゃんは、今何をしているか分かるか?」
「家を出てくるときは寝ているようでした。」
「この時間なら普通はそうだな。でも、尚ちゃん、確か今日は仕事があったかな。」
「はい、夕方、テレビの生出演があるので11時に家を出ると言っていました。その前に、朝は学校の勉強をすると思います。それで、夜からスキーに行くと言っていました。」
「そうだった。私もいっしょに夜からスキーだ。」
「それが、大変申し訳ないのですが。」
「もしかして、マー君たちも同じ蔵王のスキー場にスキーに行くのか?」
「はい、偶然同じ日程で同じところになってしまって。」
「まあ、尚ちゃんとマー君の思考は似ているから、驚かんよ。」
「今回同じところになった理由は、美香さんの別荘とラッキーさんが良く使う民宿が同じところにあるからなのですが。」
「なるほど。もしスキー場であったらよろしくな。」
「分かりました。」
「尚ちゃんの勉強には、マー君が付いているのか。」
「付いていなくても、一人で本を読んで勉強できると思いますが、やっぱり、いろいろな例を出した方が理解が深まると思って。」
「それはそうだな。でも、一人で本を読むなんて尚ちゃんも成長したんだな。」
「はい、どんどん成長している感じです。」
「ははははは、そうだな。私も頑張らないと。」
「そうですね。でも、明日夏さんの場合は、総理大臣になると言っている尚と違って、一生歌手のつもりなんですよね。」
「いや、私も違う。私は家政婦付きの家の専業主婦で、のんびり暮らすのが夢だ。」
「そうなんですね。明日夏さんはプロの歌手ですから、歌が上手になって有名になれば、作詞の印税と合わせて、自分のお金でもそういう生活ができるようになると思います。」
「そうだな。しかしマー君の言う通り、私はプロの歌手なんだから、歌を聴くなら、お金を払ってもらおうかな。」
誠が財布を確認する。
「今、一万二千円ぐらいしか持ち合わせがありませんが、それで良ければ。」
「冗談だ。事務所を通さず勝手にお金を取ったら、裏営業で芸能界から追放される。」
「そう言えばそうですね。でも、僕はプロの歌手の方とお話ができるようになって、とても嬉しいです。それにしても、明日夏さんは何でこんなところに。」
「前に言っただろう。子供のころ、こっちの方に住んでいたって。」
「藤沢でしたね。」
「子供のころは、ここで良く歌っていたんだ。」
「なるほど、そのころから歌手志望だったんですね。」
「一度、歌手になることを諦めたんだが、高校に入ったらまた歌手になりたくなった。」
「明日夏さんにもいろいろあるんですね。」
「そうだ。私にもいろいろあるんだ。それで悩んだりすると、ここに来て歌いたくなる。」
「何か、悩みがあるのですか。」
「大きな悩みはないな。少なくとも今は。パラダイス興行に入ってからは結構順調に行っている。今日は昨日のワンマンライブで興奮しているのか寝れないから来てみただけだ。」
「大きな悩みがないのは嬉しいです。もし悩みがあったら、尚を経由して教えてもらえれば、僕も全力で対応します。」
「すまんな。マー君の方も最近の生活は楽しいか?」
「はい、明日夏さんを応援するようになってから、いろいろなことが起きて、気の合う友達もできて楽しいです。まあ、オタクでちょっと変わった人間ばかりですが。」
「それは良かった。でも、ミサちゃんはオタクではないだろう。」
「美香さんとは友達と呼べるような関係ではないですが、ロックオタクみたいなところがありますね。」
「ははははは。確かにそうだな。でも、友達でないと言うと、ミサちゃんが悲しむぞ。」
「友達と言うより、尊敬している人でしょうか。少し危なっかしいところが気がかりですが。」
「ミサちゃんはお前を信用しているようだし、何かあったら守ってやってくれ。」
「はい、妹にもそう言われています。何かあったら、明日夏さん、ミサさん、尚、由佳さん、三佐も命に代えてもお守りします。」
「私も入っているのか。でも、尚ちゃんの次かな。」
「申し訳ないです。」
「まあ、尚ちゃんは小さいし、それはしかたがないな。そう言えば、マー君は二十歳になったんじゃないか。」
「はい。もしかするとなんですが、明日夏さんは今日、1月1日で二十歳ですか。」
「そうだ。外部発表はしていなかったはずだが、尚ちゃんから聞いたのか?別に構わないが。」
「いいえ、妹から聞いたわけではないです。何で知っているんでしょう。ただ、そんな気がしただけです。」
「なんだ、私がめでたいやつだからか。」
「そういうわけではないと思います。」
「実は前世での知り合いとかかな。」
「それが本当にそんな感じなんです。明日夏さんの歌を初めて聞いたときにも、ものすごい衝撃が走って、これは絶対応援しなくちゃと思いました。」
「そうか。それは有難いな。もしかすると、マー君が小学生の時にここで私の歌を聴いていたのかもしれないな。」
「はい、良く遊びに来ていたそうですので、そうかもしれません。」
「なるほど。・・・・それじゃあ、私の二十歳のプレゼント代わりに、何か歌ってくれ。」
「あの、プロの歌手を前に、それは拷問よりつらいです。」
「なんなら、途中から一緒に歌うよ。何でもいい。ミサちゃんと同じ、君が代でも。」
「それでは、全然上手ではないのですが、『故郷』で。」
「えっ、本当に。」
「何となく『故郷』を歌うのがいいんじゃないかという気がして。」
「・・・・・・ああ、それじゃあ、頼む。」
誠が『故郷』を歌いだし、明日夏がそれに合わせた。歌い終わると、誠は、前を向いている明日夏が肩を振るわせているのに気が付いた。
「明日夏さん?」
「すまん。何か感傷的になった。」
「それだけだったらいいのですが。」
「それだけだ。それで私のための作曲の方はどんな感じだ?」
「はい、実はいろいろコンセプトを考えてはいるのですが、なかなか難しくて。」
「なるほど。もし、いい曲ができたら・・・・・。」
「できたら?」
「えーと、私の次のアルバムのタイトル曲に推薦してみる。」
「有難うございます。」
「それで、タイトル曲に採用されて売れたら・・・・・。うん、マー君の言うことを何でも聞いてやる。」
「有難うございます。でも、何でもって、僕のお嫁さんになってという願いもいいんですか。」
「うーん、それにはタイトル曲が3曲ぐらい売れて欲しいかな。それで、年収が1000万円を越えて、料理が美味しくて、掃除と洗濯が完璧で、身長はもう無理だから、体重をあと10キロぐらい減らしたら、考えなくもない。」
「要求が多いですね。」
「あと、私は二次元男性と浮気し放題。」
「三次元男性は?」
「それは絶対にしない。それだけは誓える。それは私の矜持だ。」
「さすがです。」
「でも、結婚時期は社長と相談しないと。」
「えーと、本当良いんですか?」
「まあ、基本、3次元男性は便利な男なら誰でもいい。」
「なるほど、3次元男性とは偽装結婚ということですね。」
「その通り。さすがはマー君。ところで、お返しにマー君が好きな歌を歌ってやろう。何がいい。」
「有難うございます。ここへ来ると、不思議に『アメージンググレース』が聴きたくなるのですが。」
「ああ、そうか。そうなのか。小さい時から歌っていたし、私も好きだし、今でも練習で歌っている。まあ、得意な方の歌だと思う。」
明日夏が初めて振り返った。太陽が昇るまでもう少しだけ間があったが、朝の光の中で明日夏が神々しく見え、誠はドキッとした。明日夏がアカペラで『アメージンググレース』を歌い始めた。明日夏が歌い終わって、誠が拍手をする。
「どうもありがとうございます。なんか心の奥にジーンと来ました。」
「それは良かった。しかしまだ歌じゃミサちゃんには敵わないけどね。」
「はい、そうかもしれませんが、明日夏さんも本当に上手になってきていると思います。」
「お世辞でもミサちゃんより上手とは言わないやつだな。」
「申し訳ありません。でも、『アメージンググレース』ならば、明日夏さんが歌った方が声的には合っていると思います。」
「そうか。これからも頑張るよ。」
「はい、これからも応援します。」
「それじゃあ、私はこれで失礼する。」
「有難うございました。帰りはタクシーですか?」
「車を運転して来ているから心配はいらない。」
「もしかして、お姉さんの車ですか。」
「その通り。でも、マー君は昔の姉貴も覚えていないよね。」
「申し訳ありません。」
「マー君はよく姉貴のお医者さんごっごの患者になっていたから、姉貴と一緒に仕事をしているなら気を付けないと。」
誠は「3歳の時に何をされていたんだろう。でも、今もあまり変わっていなさそうな感じだな。」と思いながら答える。
「分かりました。僕も気を付けますが、あの車はスピードが出る車ですから、あまり飛ばさないようにして下さい。」
「分かっている。私はミサちゃんと違って安全運転だから。」
「あと、万が一のために、アラームなどは持っていますか。」
「いや、持っていない。」
「そうですか。もしよかったら、万一のためにこれを使ってください。」
「これは尚ちゃんが言っていた、圧縮空気式の防犯アラームか。」
「その通りですが、尚が防犯アラームの説明を?」
「尚ちゃんの最初のイベントで使ったやつだよね。尚ちゃんがアラームの音だけで、鳴らしたのはお兄ちゃんだと言っていた。おかげで助かった。」
「そうでしたね。このアラームは音が大きいですので、電気式より目立ちます。」
「なるほど。尚ちゃんを守るために使えそうだし、有難く頂いておこう。」
「有難うございます。」
「そういえば、マー君がミサちゃんにあげた位置がわかるタグ、まだミサちゃんが持っているのか?」
「はい、ナンシーさんが持っていた方がいいということで、そのままにしています。でも、お渡ししてから、1回も位置を確認したことはありません。」
「本当か?」
「探索履歴を見てみますか?」
「いや、履歴を消すことぐらいマー君ならお手の物だろうからいい。でも、ミサちゃんのことが、そんなに心配なのか?」
「妹には話してあるのですが、キャンプ場で鍋パーティーをしたとき、美香さんが入り口の辺りで固まって動けなくなっていました。」
「ミサちゃん、キャンプ場はやっぱり鬼門だったのかな。」
「はい、道に迷ってパニックになったんじゃないかと思います。それで明日夏さんたちの近くまでお連れしたら、元気が戻ったようです。」
「それはマー君が連れてきてくれたからだろう。」
「そういうことがあるので、やっぱり気を付けないといけないと思っています。」
「ハワイでは元気すぎるぐらい元気だったから大丈夫だと思うが、私も注意しておこう。」
「有難うございます。」
「でも、なんだかんだ言っても、ハワイ、楽しかったな。」
「はい、僕も楽しかったです。」
「マー君、ラッキースケベが2回もあったしな。」
「申し訳ありません。本当にわざとではないんです。」
「それは分かっている。でも、来年は私もミサちゃんといっしょに水着姿の写真集を出すことになりそうだが、その時はマー君も来るのか。」
「はい、昨日の帰りに電車で妹から聞いて、そうなりそうです。」
「そうか。それじゃあ、またよろしく頼む。でも、撮影は一緒でも写真集は分けるのか?」
「美香さんと同時期に別々に出版すると、CDの売り上げより差が大きくなると思います。多分、百分の1も行かないんじゃないでしょうか。」
「それじゃあ、私の写真はミサちゃんの写真集の付録に付けるとかか。」
「その場合、付録だけ捨てられそうです。」
「それじゃあ、私の写真集にミサちゃんの写真を付録につけるとか。」
「それだと、本体が捨てられそうです。」
「ねー、マー君、それでもマー君は私のファンなの?」
「はい。応援したいという気持ちはすごく強いです。」
「じゃあ、マー君は写真集の私の部分を捨てたりしないよね。」
「それはもちろんです。自分の宝物にします。とにかく、写真集の構成は、明日夏さんと美香さんのためになるように、真剣に考えるつもりです。」
「それならいいか。マー君を信用するよ。」
「有難うございます。」
「それにしても、何でこんな朝早くから、公園に来ているんだ。早朝、散歩をする日課でもあるのか。」
「それが、2年前から1月1日の朝6時にここに来なくちゃという気がするんです。」
「えっ,うそ。受験があったのに、2年前の朝6時に本当にここに来ていたのか?」
「はい、ここで3時間ぐらい受験勉強をしていました。」
「マー君だから嘘は言わないだろうけど、普通、6時と言ったら、夕方の6時だよね。」
「生活習慣によって違いますが、何も付けなければ、朝6時の場合が多いと思います。夕方の6時なら、午後6時とか夕方6時、または18時と言った方がいいです。ただ、3時だと、さすがに朝3時でなく、午後3時を指すことが多いとは思います。」
「そうなのか。・・・・・遅い到着だったのは私の方ということか、日本語は難しいな。でも、寒いのに悪いことをした。それなら、尚ちゃんにちゃんと謝らないと。」
「明日夏さんは妹との約束で、午前と午後を間違えたりしたんですね。」
「うん、そんなところだ。」
「妹は何も言っていなかったので、大丈夫だと思います。」
「そうか。尚ちゃんには私から謝るから、マー君は何も言わなくていい。」
「分かりました。」
「それと、風邪を引くからもう朝6時にここに来る必要はないと思うぞ。」
「はい、ぼくもそんな気がしています。」
「そうだな。そう言えば、マー君は尚ちゃんの勉強を見ないといけないんだったな。それでは、私は帰って寝ることにするよ。」
「はい、睡眠時間は取った方がいいと思います。でも、居眠り運転、気を付けて下さいね。」
「死にたくない理由もできたから大丈夫だ。それにしても、歌手1人、観客1人のワンマン&ワンマンライブで、昔を思い出したよ。」
「この公園で、そういうライブをしていたんですね。」
「その通りだ。」
「僕には最高のワンマンライブだったです。」
「もしこの先、お客がマー君一人になっても、ずうっと応援を続けてくれるのか?」
「もちろん頑張って応援します。明日夏さんの歌が大好きですし。逆に、お客が僕一人になってもずうっと歌い続けてくれますか?」
「もちろんだ。歌うのが好きだからな。そういうときは、ここでまた歌うよ。」
「有難うございます。それではまた曲を作って持っていきます。」
「待っている。それじゃあ、また。」
明日夏が駐車場に向かう後姿を誠は見送った。そして、明日夏はカウンタックの排気音を響かせ、去っていった。
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