第28話 大河内ミサのワンマンライブ(武道館編)

 武道館ワンマンライブのための、バンドを交えた歌手はミサ一人の練習が都内スタジオで行われ、無事に終了した。

「浩二さん、チェルさん、サブさん、トムさん、ヨッキーさん、有難うございました。」

「次は、ゲネプロ(リハーサルみたいなもの)だね。がんばってね。」

「はい。」

「最高だったよ。本当に、楽しかった。」

「私も、最高でした。」

「あれだけ動いて歌えるのはすごい。僕じゃ無理だ。」

「トムさんは煙草をやめないと、無理だろう。でも、ミサちゃんの歌声よかったね。」

「トムさん、健康には気を付けて下さいね。ヨッキーさん、有難うございました。」

「ミサちゃん、ギターを練習しているんだって?今度、聞かせてよ。」

「始めてからまだ一年ちょっとで、とても浩二さんにお聴き頂けるものではありませんが、一緒に演奏できるように頑張ります。」

「いつまででも待っているよ。」

「有難うございます。」

 バンドメンバーが帰ると、ナンシーがやってきた。

「ミサ、お疲れ様ですねー。」

「有難う。そう言えば、誠たちにシンガポールのことをお詫びする件だけど、東京のワンマンライブのバックステージパスを6人分を渡して、ライブの後に来てもらおうかと思っているんだけど、どうかな。」

「その件なら、もう謝ってきたですねー。それに、10月23日は湘南さんの誕生日だから、早く帰りたいと思うんですねー。」

「誠の誕生日って10月23日なんだ。」

「そうですねー。」

「誠も言ってくれればいいのに。でもナンシー、尚に約束したんだから、ひとりで勝手にお詫びしたらダメじゃない。」

「ごめんなさいですねー。ラッキーさんが誠さんと会う機会を作ってくれたんですねー。」

「そうなんだ。誠に何か失礼なことは言わなかった?」

「大丈夫と思うですねー。その後で、ミサについてたくさんお話ししたですねー。」

「私のこと?」

「そうですねー。それと『ユナイテッドアローズ』のレコーディングを手伝ってきたですねー。」

「『ユナイテッドアローズ』って?」

「アキさんとユミさんの地下アイドルの名前ですねー。」

「もしかすると、ユミさんって小学生の女の子?」

「そうですねー。アキさんが言うには、魔性の女子小学生ですねー。」

「何それ?誠なら大丈夫だと思うけど。でも、10月23日、誠の誕生日だったのか。」

何となくしょんぼりしているミサを見てナンシーが言う。

「世話が焼ける人ですねー。」

「世話が焼けるって?」

ナンシーがミサのスケジュールが書いてある手帳を取り出しながら、スマフォのSNSで通話を始める。

「もしもし、湘南さんですねー。」

「はい、そうです。ナンシーさんこんにちはです。」

「ミサが湘南さんに少し急ぎの用事があるみたいなんですねー・・・・11月1日の日曜日の午後は空いているですねー?」

ミサがナンシーに話しかける。

「何、勝手に。」

ナンシーがミサを手で抑える。誠が答える。

「あー、盗聴器の件ですね。はい、11月1日は2時すぎまで渋谷で『ユナイテッドアローズ』のデビューライブがありますが、2時半以降は空いています。でも、大河内さん、土曜日の大阪のライブの次の日ですが、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですねー。一応2時半から夜までスケジュールをずっと抑えておいてくれますですねー?」

「はい、2時半から予定を入れないようにします。」

「有難うですねー。私の方はできるだけ11月1日の『ユナイテッドアローズ』のイベントも行くですねー。その日のミサのスケジュールはまた連絡するですねー。それでは、ミサに代わるですねー。」

「えっ、分かりました。」

「あの、誠、急にごめんなさい。」

「いえ、ワンマンライブの後に盗聴器を調べることは前からの約束ですし、それ以外でも、何かお役立てることがあれば何でもしますので、言って下さい。」

「本当に有難う。」

「ワンマンライブ、楽しみにしています。あと、親が大阪のライブにも行ってきて欲しいということですので、そちらにもお邪魔する予定です。」

「本当に!嬉しいです。ご両親も尚が心配なんですね。それで大阪のチケットは大丈夫?」

「はい、大阪のチケットは尚に用意してもらいました。」

「そう、良かった。ワンマンライブ、いまできる最高のライブにする。あと尚のことで心配なことがあったら何でも言って。私ができることなら、全力で何でもするから。」

「有難うございます。今のところは大丈夫です。それでは11月1日の集合場所などは、後ほどナンシーさんと相談します。」

「はい、よろしくお願いします。今、ナンシーから聞いたんだけど、10月23日は誕生日だったんですね。」

「はい、そうです。二十歳になるので、パスカルさんにお酒を飲まさせられそうで、少し心配しています。」

「私の誕生日は3月31日です。私も二十歳になったら、みんなでいっしょにお酒を飲みましょう。」

「はい、楽しみにしています。でも何となくですが、鈴木さんもすごくお酒が強そうな気がします。」

「ふふふふふ、そうね、本当の誠を暴きだしてあげるわ。」

「はっ、はい。お手柔らかにお願いします。」

「まあ、あまり酷いことをしたら、尚に怒られるから、手は抜いてあげるけど。」

「有難うございます。」

「それじゃあ、ワンマンが終わったら、またお願いね。」

「はい、喜んで。」

スマフォをナンシーに返す。

「それでは、湘南さん、またですねー。」

「はい、また。」

ナンシーがミサの方を向く。

「簡単ですねー。二人でお酒を飲む約束までしていたんですねー。」

「二人じゃないけど。」

「ごめん、友達が来れなくなっちゃった、というやつですねー。」

「・・・・・。とりあえず、半年先の話しだから。」

「ところで、盗聴器ってなんですねー?」

「ああ、それは親が心配してなんだけど、夏に私の持ち物に盗聴器を仕掛けていたのを、誠に調べてもらったの。親は外すと言ったんだけど、それを確認してもらおうと思って。」

「湘南さんを見直したんですねー。湘南さんはそんな策士だったんですねー。」

「策士って?」

「そう言って、ミサの体のあんなところやこんなところを調べたんですねー?」

「尚も一緒だったし、そんなことはできないわよ。」

「星野さんもいっしょだったんですねー。つまらないですねー。でも、次は二人きりになりそうなんですねー。最近、星野さんは日曜日の午後は忙しいですねー。」

「ナンシーはいっしょに来るんじゃないの?」

「夜から仕事があるから一緒に行くですねー。でも、湘南さんと会っている間は、私はショッピングをしているですねー。」

「まっ、まあ、一人でも大丈夫だけど。持ち物を調べてもらうだけだから。」

「盗聴器は服に付いているかもしれないですねー。下着にだって隠せるですねー。だから、湘南さんに隅から隅まで全部調べてもらうといいですねー。」

「誠がそういうことをしようするわけないじゃない。」

「それじゃあ、ミサからお願いするしかないですねー。」

「私の隅から隅まで調べて下さいって。そんなことを言ったら普通嫌われるでしょう。」

「意気地なしですねー。」

「その話はともかく、10月23日が誕生日なら、何かプレゼントを考えないと。」

「プレゼントはわ・た・し、でいいですねー」

「あの、ナンシー、ナンシーはそんなことを言ったことがあるの?」

「高校生の時にあるんですねー。でも断られたんですねー。ひどい男なんですねー。」

「まあ、現実世界ではそうなるわね。」

「ミサのスタイルなら絶対に大丈夫なんですねー。・・・・でも、堅物の湘南さんは断りそうなんですねー。」

「どっちなのよ。」

「やってみないと分からないんですねー。」

「そんな、無責任な。」

「それが恋愛のいいところなんですねー。」

「まあ、それはそうかもね。そんな冗談より、真面目に誕生日のプレゼントを考えることにする。」

「今はそれでいいですかねー。」

「前に、尚からポルシェやフェラーリは良くないと言われたから、堅実な不動産にして、品川あたりのマンションの部屋とかはどうかな。」

「ミサにしては、面白い冗談ですねー。」

「冗談じゃないんだけど。」

「マジなんですねー?」

「そうだけど、どう思う?」

「知らないですねー。自分で考えるといいですねー。」

「そうか。プレゼントって、そういうものよね。」


 ミサの武道館のワンマンまで、一週間と少しになったころ、都内のスタジオを借りてゲストの明日夏と『トリプレット』を交えて、ミサのワンマンのゲネプロが行われていた。練習が終わった後、五人でケーキを食べながらお茶をすることになった。ミサが尚美に尋ねる。

「ナンシーから聞いたんだけど、誠の誕生日って、10月23日だったんだ。」

「はい、その通りです。」

「実は、尚ちゃんの誕生日もお兄ちゃんと同じ10月23日なんだよね。」

「はい、明日夏先輩の言う通りです。『トリプレット』の3人は芸名と本名が違いますので、本当の誕生日を公開していて、秘密ではないのですが。」

「尚ちゃんとお兄ちゃんは誕生日まで仲良しなんだよ。」

「そうなんだ。それじゃあ尚もライブが終わったらすぐに帰っちゃうんだね。」

「申し訳ありませんが、そうさせてもらおうと思っています。」

「うん、全然気にしないで。東京公演の後、うちの両親がホテルのレストランで打ち上げをしたいと言ってただけだから。うちの事務所やヘルツレコードの関係者が来るけど、明日夏たちは来てくれる?」

「うん、私はもちろん行くよ。」

「私も参加したいです。」

「もちろん大歓迎。由香は?」

「ミサさん、あの申し訳ないですが、決めるのはもう少し後でいいですか。」

「あー、はい。邪魔はしないわ。でも二人で来ても構わないわよ。来るのは関係者だけだから、ダンス仲間と言ってもらえれば。」

「気を遣わせちゃって、すみません。でも行くなら一人で行きます。」

「ミサさん、由香は豊さんをミサさんに会わせたくないだけじゃないかと思います。」

「亜美、それもあるけど、さすがに今回はレコードの関係者が来るからだろう。」

「そうなんだ。由香にも常識がついてきたんだ。」

「いやいや、さすがにレコード会社にバレたらやばすぎだろう。」

「まあ、そうよね。23日の尚と誠の誕生日にプレゼントを考えないと。尚は自分で考えるけど、誠は何がいいかな。父親以外の男性にプレゼントをしたことがないから分からなくて。」

「ミサちゃん、マンションの部屋とか常識のないプレゼントをしちゃだめだよ。」

「ははははは、えーと、そんなのしないよ。そうなんだ、マンションの部屋をプレゼントするのは常識がないんだ。でも、明日夏が言うぐらいだから、本当は常識的なプレゼントなんじゃないかな。」

「ミサさん、それはすごいお金持ちのマダムがお気に入りのホストへするプレゼントですぜ。」

「ミサさん、私もあまり常識的ではないと思います。」

「美香先輩、私も止めておいた方がいいと思います。」

「そっ、そうか。もちろん知っていたよ。冗談で言っただけだよ。」

「まあ、そうだと思いましたが。」

「やっぱり、私、冗談が今一つ下手だよね。」

「ミサさんは、ステージでも、変な冗談なんかを言わずに、真っ直ぐ歌で表現するのがいいと思います。」

「そうだよね。亜美、有難う。」

「真っ直ぐ、歌手の王道を進んでください。」

「一直線にね。」

「美香先輩、兄へのプレゼントは、前と同じで、美香先輩が歌った歌を吹き込んだオリジナルCDがいいと思います。」

「尚、有難う。誠は音楽仲間だし、そうすることにする。」

「リーダーのお兄さんと言えば、パスカルさんとお兄さんに事務所に来てもらって、ビデオ撮影と編集の方法を教えてもらいました。この間、アップした動画はその時に制作したものなんです。」

「そうなんだ。歌の録音はもとから良かったけど、映像の方が良くなって、制作会社に依頼したのかと思った。」

「ビデオ撮影も編集も、事務所で二人に教わりながらやりました。これからは自分でも頑張ってみるつもりです。」

「でも、なんで事務所とかレコード会社に撮ってもらわないの?」

「やっぱり、うちは音楽事務所で動画のことは今一つですし、もし『トリプレット』が解散したら、ヘルツレコードが面倒を見てくれないからです。」

「うちの事務所に頼んでみたら?」

「溝口エイジェンシーが興味があるのはリーダーだけですから、私は一人になったら、やっぱり、パラダイス興行で活動するつもりで、動画のことは自分で頑張るつもりです。」

「亜美ちゃん、私も手伝うから、いっしょに頑張ろう。」

「はい、明日夏さん、頑張りましょう。」

「そうなったら、俺はダンスを専門にしている事務所に移るかもしれないけど。」

「由香ちゃん、そのことは社長も分かっているから大丈夫。社長はそういう事務所について調べているみたいだよ。」

「嬉しいけど、引き留めてもらえないのは少し淋しい。」

「由香先輩は、社長が引き留めたら移らないんですか。」

「当たり前だ。社長さんに引き留められたら移らない。俺は人の恩を忘れるような人間ではないつもりだ。」

「でも、由香ちゃん、社長さんはそのほうが由香ちゃんのためにいいと思ったら、引き留めないと思うよ。」

「社長なら、そうだよな。」

「それに、事務所のために引き止めたら橘さんに蹴られますしね。」

「亜美ちゃん、いい話でまとめようとしたのに。」

「ははははは。でもいい話ね。それで誠とパスカルさんってどんな感じだった?」

「すごい仲が良かったです。あの漫画が面白い理由が分かりました。」

「ついでに、社長も合わせて、年齢と恋人いない歴が同じ3人組って共感していたぜ。」

「さすがに、社長は、あの二人と違うけれどもね。」

「明日夏さん、そいつはひでーな。」

「先週、パスカルさんとリーダーのお兄さんが、ユミさんという小学生の女の子の部屋に入って、二人ともそれが親族以外の女の子の部屋に入った初めての経験だったらしいです。お母さんもいっしょなので、犯罪ではないとは思いますが。」

「いや、さすがに尚ちゃんのお兄ちゃんでも、そんなことはないんじゃない。もしかして、頭でも打ったんじゃないの。」

「明日夏!」

「リーダーが怖い顔をしている。」

「あっ、尚ちゃん、ごめんなさい。」

「えっ、あっ。明日夏さんのことは気にしていません。ユミという女子小学生のことを考えていただけです。でも、兄は小学生の時に本当に頭を打っていて、小さい時の記憶がかなり欠けているところがあります。できれば兄に昔の話は、あまりしないでもらえると嬉しいです。」

「えっ、尚ちゃん、お兄ちゃんが頭を打ったって、本当の話?」

「はい、10歳の時にです。」

明日夏が土下座する。

「尚ちゃん、本当にごめんなさい。私、人として許されないことを言ったよね。」

「知らなかったんですから大丈夫です。明日夏先輩、手を上げてください。」

「尚ちゃん、有難う。でも、本当にごめんなさい。」

「構いません。それより明日夏先輩、今の話からすると、かなり昔に兄は明日夏さんの部屋に行ったことがあるのですか?」

「えっ、あっ、・・・・・うん。」

「そうなの、明日夏?」

「うん。でも、尚ちゃん、何で分かったの?」

「先週、兄の部屋から古いアルバムが出てきて、その中の写真に明日夏さんらしい人が写っていたんです。」

「尚、本当なの?」

「はい。明日夏さん、その写真を見せてもいいですか。」

「尚ちゃん、もちろん。私も見たい。その時、出てきたのは写真だけだった?」

「はい。ですので、撮影した日付は分かるのですが、何の写真か今一つ分かりません。親に聞けば分かるかもしれませんが。えーと、この写真です。」

尚美がスマフォから写真を見せる。

「すげーな、みんな、ちっちゃい。」

「みんな可愛い。真ん中の男の子がお兄さんですね。」

「亜美先輩、その通りです。3歳ぐらいの写真だと思います。それで、これは明日夏先輩ですよね。」

「そうだと思うけど、この写真には全然覚えがないというか。」

「それは16年ぐらい前のことですから仕方がありません。」

「ミサさん、固まってしまっていますが、リーダーのお兄さんが可愛いからですか?」

「そうじゃなくて。ううん、それもあるけど、これ私。」

「えーーーーー。」「えーーーーー。」「えーーーーー。」

「この外国の女の子みたいな子供ですか。」

「うん。私、クォーターだし、子供のころは着ている服のせいもあると思うけど、今より外国人ぽかった。」

「そう言われれば、面影はあります。美香先輩はどういう状況か覚えていますか。」

「顔は覚えていなかったけど、たぶん状況は覚えている。伊豆の別荘の近くを散歩しているときに知り合った女の子、明日夏ってことね、と友達になって。明日夏が探検と言って、どんどん山奥に行ってしまって。止めたんだけど、全然、聞いてもらえなくて。一人でいるのも怖いので、着いて行ったら迷子になって、夜になって泣いていたら、この男の子、誠が助けてくれたの。」

「美香先輩、教えてくれて有難うございます。でも、明日夏先輩は、こんな小さい頃から明日夏先輩だったんですね。」

「へへへへへ。」

「実際は、通りからそんなに離れていなくて、泣き声を聞いた男の子が大声で呼んでくれて、答えたら来てくれて、無事に戻れたんだけど。それにしても、あの男の子、誠だったんだ。」

尚美は「美香先輩が兄を信頼しているのも、それが深層心理に残っていることもあるのかな。」と思いながら、答える。

「明日夏先輩はそのことは忘れていたわけですか。」

「うん。でも、今のミサちゃんの話でそのことも少し思い出した。たぶん次の日だと思うけど、私の部屋で3人でカラオケをやって遊んだんだよね。アニソンを歌って。」

「それは覚えていないかな。でも、まだ3歳だったから、それきりだったと思う。」

「うん、そうだと思う。」

「それで、女の子二人が歌手で再会して、男の子がファンか。奇跡みたいな話だな。」

「誠はファンじゃなくて、音楽仲間だけど。」

「ファンだったみたいだったけど、裏切られて、今は作曲家と作詞家。」

「裏切られたって。尚じゃしょうがないじゃない。」

「まあ、そうだけどさ。」

「でも、明日夏さんは、3歳の時と小学校2年生の時の二人の男の子に、忘れられてしまったわけですね。」

「明日夏さん、ドンマイ!」

「まあ、頭を打ったんならしかたがないよ。ところで、尚ちゃんのお兄ちゃんは大丈夫なの?後遺症とかは?」

「はい、CTやNMRで調べても脳に異常はなくて、一部の記憶を失った以外は特に問題はないそうです。」

「それは、良かった。」

「兄には詳しい話はしないで、3歳の時に明日夏先輩とミサ先輩と出会っていっしょに遊んだことがあるけれど、さすがに二人ともよく覚えていないとだけ伝えます。兄から言い出すことはないと思いますので、兄にはこの話をあまりしないで下さい。」

「うん、誠が覚えているなら話したいけど、今は直接話すのはやめておく。」

「私もそうするよ。」

「有難うございます。それより、今はユミという女子小学生の方を何とかしないと。」

「尚ちゃん、ユミちゃんっていう子、他に何かあったの?」

「はい、この間のイベントのハイタッチ会にも来たんですが、湘南兄さんはもらった、と言っていました。」

「おーー、それは命知らずな女子小学生だな。」

「ナンシーから聞いた話だけど、アキさんはユミさんのことを、魔性の女子小学生って言っているみたい。」

「そうなんですか。あのアキがそんなことを言うって。類は友を呼ぶというやつか。」

「尚ちゃん、また心配ごとが増えるね。」

「リーダー。二人のワンマンの裏方に参加したときに、私も調査してみます。」

「亜美先輩、申し訳ありません、皆さんに心配をお掛けして。」

「でも、尚ちゃん、お兄ちゃんは心配しなくても大丈夫だと思うよ。」

「明日夏先輩の言うこともわかるのですが・・・・」

「この私より、尚ちゃんの方を優先するぐらいなんだから。」

「私も誠は大丈夫だと思うけど、尚の気持ちの問題ということよ。明日夏。」

「有難うございます。美香先輩の大阪ワンマンの往復の新幹線は兄と一緒ですので、様子を聞いてみます。」

「兄弟で、ゆっくり話すといいと思う。」

「はい、そうします。それより、今は美香先輩のワンマンライブに集中です。」

「その通りだよ。尚ちゃん。私のお姉ちゃんが聴きに来るって言ってたから、私も頑張らなくては。初めてなんだよ、お姉ちゃんが私が出ているライブに来るの。」

「明日夏先輩のお姉さんが、こんどのライブに来るのですか。」

「そうだけど。・・・・・なんでみんな不安そうな顔をしているの?」

「明日夏さんのお姉さんはゲーム『タイピングワールド』のプログラミングをしているんですよね。やっぱり、凄そうな人って、みんな思っているからではないでしょうか。」

「亜美ちゃん、そうなんだ。へへへへへ。」

亜美以外の考えはそうではなかったようである。


 いよいよ、ミサの武道館ワンマンライブの日になった。ライブの開始前、楽屋に5人が集まって、おしゃべりをしていた。

「尚、誕生日おめでとう。何をプレゼントして良いか分からなかったんだけど、うちの父の知り合いの元国土交通大臣のサイン入りの自叙伝。」

「有難うございます。総理大臣になるためには、国会議員になったあと、大臣にならないとですね。本を読んで勉強したいと思います。」

「あと、これは音楽仲間の誠のために、私が歌った歌を吹き込んだCDだけど、誠に渡して、その時お誕生日おめでとうって伝えてくれる。」

「はい、よろこんで。兄も喜ぶと思います。」

明日夏がスマフォを見せながら言う。

「えー、ミサちゃんなら、この人間が入る誕生プレゼント用の箱に入って、プレゼントは、わ・た・し、じゃないの。」

「へー、そんな箱があるんだ。でも、ナンシーは高校生の時にそれをやって、断られたそうだよ。」

「ナンシーちゃん。さすが。」

「しかし、それを断られるって、きついな。」

「由香はやったの?」

「いや、さすがにそれはできない。」

「明日夏先輩は、それに入って、私たちを驚かせることを考えていたんでしょうね。」

「へへへへへ。」

「でも、その製品名はチェックするんだ?」

「亜美、違う。ナンシーに教えてあげようと思って。」

「えっ、ミサさん、すみません。私は由香に言ったつもりだったんですが。」

「亜美、俺はネタになるからだよ。」

「亜美ちゃん、そうだよ。二人ともネタのためだよ。本当にやったりしないよ。たぶん。」

「そうですね。たぶん。」

「それで、尚ちゃん、誕生日おめでとう。はい、これプレゼント。」

「明日夏先輩、有難うございます。」

「開けて、開けて。」

「亜美先輩、一緒に見てみましょうか。」

「はい、リーダー、何でしょうね。明日夏さんのプレゼント。」

尚美が箱を開けると、それはビックリ箱で、ばねでつながった顔が描かれている球が飛び出てきた。亜美が驚く。

「わー。・・・・・驚いた。リーダーは分かっていたんですか。」

「亜美先輩、申し訳ありません。私が驚いた真似をしても、わざとらしくなるだけで、亜美先輩なら驚いてもらえるかなと思いまして。」

「まあ、亜美ちゃんが、驚いてくれて良かったよ。」

「明日夏さんは、こんなときに。」

「じゃあ、尚ちゃん、これが本当のプレゼントだよ。」

「亜美先輩、また、一緒に見てもらえますか。」

「はい。今度は驚きませんよ。」

尚美が箱を開けると、亜美が感想を言う。

「だて眼鏡ですね。リーダーの変装用にピッタリです。リーダーかけてみて下さい。」

亜美が眼鏡を取り出すと。裏に蜘蛛のおもちゃがついていた。」

「わっ、蜘蛛が!・・・・何だ、おもちゃだ。子供ですか、明日夏さんは。」

「へへへへへ。」

「リーダー、いろいろ迷ったのですが、俺と亜美は一緒にこれを贈ります。」

「有難うございます。・・・・・これは?」

「一つはお兄さんの分で、ペアマグカップだ。ここに名前が掘ってある。」

「お兄さんに、お誕生日おめでとう。ビデオ編集の講座、有難うございましたと伝えて下さい。」

「有難うございます。大切にします。」

「あと、この前の特典会で、豊に注意してくれて有難うと伝えておいてくれ。」

「はい、その話は聞いています。」

「由香ちゃん、注意って。」

「大丈夫。うちの豊が周りの男性を睨みすぎだった。感謝している。本当に。」

「うちの豊・・・・。」

「豊さん、男性客を睨むって、本当に仲がいいんですね。良かったです。」

「仲がいい・・・・。」

「ミサさん、反応しすぎです。」

「亜美、ごめんなさい。豊さん、今日は来ているの?」

「はい、来てます。まあ、3階席ですから、あまり気にすることはないと思います。」

「由香、分かってる。」

「それにしても、由香ちゃんと亜美ちゃんも、尚ちゃんのお兄ちゃんにお誕生プレゼントを贈るんだ。」

「明日夏先輩、大丈夫です。もともと、兄は明日夏さんのファンですから、そういう関係は避けた方がいいですし、兄にとっては、明日夏さんがステージの上でしっかりとパフォーマンスするのが一番だと思います。」

「なるほど。プレゼントは、しっかりとした、わ・た・しということか。」

「はい、その通りです。」

「それにしても、ミサさんの衣装、シンガポールの打ち上げの時よりセクシーで素敵です。」

「ディレクターさんが選んだんだけど。」

「本当に、すごい奇麗です。」

「初めてのワンマンライブでこの衣装、本当だったら緊張するところなんだろうけど、みんながいるから、かなりリラックスしている。」

「ライブの仕切りは、尚ちゃんがやってくれるから楽だよね。」

「その通り。私は歌うことに集中できる。」

「私のワンマンライブも尚ちゃんに司会をお願いしたい。」

「はい、明日夏さんのワンマンライブも司会をしますよ。」

「有難う。持つべきものは、尚ちゃんのお兄ちゃんの妹だよ。」

「また、回りくどいことを。」

「だったら、ミサちゃん、尚ちゃんたちのワンマンライブは、ミサちゃんと私で司会をしようか。」

「私は喜んで引き受けるけど。」

「二人で司会ですか。」

「二人で力を合わせないと、尚ちゃんに敵わない気がして。ミサちゃん、ボケと突っ込みで頑張ろうよ。」

「分かったよ。私はやっぱり突っ込みを頑張ってみる。」

「お二人は漫才をするつもりですか?」

「漫才と言えば、さっきアニソンコンテストの東京予選で、一緒にアニネタ漫才をしようと言って断られた係員さんと、偶然に再会したんだよ。」

「あー、そういえば、そんな話もあったわね。舞台袖でそのスタッフさんといっしょに私の歌を聞いていてくれたんだっけ。」

「そう。そこでいろいろ係員さんと話をして、ミサちゃんの歌を聞いて、私も頑張らなくちゃって思った。その係員さんもそれまでの仕事を辞めて、今の仕事に就いて歌手をサポートするために頑張っているって言ってた。」

「すごいね。やっぱり音楽が好きなのかな。」

「少しヴァイオリンが弾けるぐらいみたいだけど、大好きみたい。」

「私もお世話になったんだろうから、歌でお返ししないと。」

「ミサちゃんの歌なら喜んでくれると思うよ。係員さん、ミサちゃんの歌は、若手ナンバーワンと言っていたし。あと、私の歌も聴いてくれていたみたいで、さっき、だいぶプロらしくなってきたって褒めてくれた。気が付かなかったけど、春のヘルツレコードのライブの時も係員をやっていたんだって。」

「今日は、橘さんとの練習の成果が分かってくれるといいな。」

「終わったら、感想を聞いてみるね。」

「うん。お願い。」

尚美が時計を見る。

「美香先輩、もうすぐ始まります。万が一、不測の事態が起きたときの確認ですが、私が時間を稼ぎますので、先輩も可能なら自分で走って逃げてください。」

「分かった。今度は頑張る。でも尚は大丈夫?」

「はい、魔法少女の衣装や小道具の仕掛をかなりグレードアップしていますので、美香先輩が逃げられない場合は、今回はそれを使って取り押さえます。今の装備なら、並大抵の魔法少女ならば倒せる自信はあります。」

「でも尚ちゃん、魔法少女って、地球破壊とかすごい魔法を持っているよ。」

「大丈夫です。魔法を発動させる前に片付けてしまえば、問題ないです。」

「なるほど。でも、尚ちゃんが格闘しているところをお客さんに見られちゃうよ。」

「明日夏先輩、ここは元々、武道などの戦いをしているところをたくさんのお客さんに見せる場所ですから大丈夫です。」

「おー、そうだね。それが本来の使い方だったわね。納得したよ。」

「でも、怪我をしたら大変だから、無理はしないでね。」

「はい、美香先輩が逃げたら私も逃げます。一応、明日夏先輩、もし美香先輩が動けなくなったら、美香先輩を引っ張って人が多い方に連れ出して下さい。」

「ダコール。」

「でも、明日夏先輩は滑って転ばないで下さいね。」

「そのときにミサちゃんとファーストキスになっちゃったらどうしよう。」

「そのときは結婚でもなんでもしてください。」

「ひどい。」

「真面目な話の途中で変なことを言うからです。」

「みんな、心配してくれて有難う。でも今回は大丈夫。」

「はい、そう思っています。」


 ライブ開始五分前のアナウンスがあり、誠たちは二階の観客席で開演を待っていた。席はパスカルと誠、その少し後ろにラッキーとアキとコッコが座っていた。パスカルが湘南に話しかける。

「湘南、何か熱い視線を感じないか?」

「女性のものですか。」

「そうだ。女性の視線なんてめったに感じないんだがな。」

「いえ、この視線は時々は感じているんじゃないですか。」

「そう言われればそうか。」

「でも、亜美さんにネタを提供するようにお願いされましたが、どうします。」

「いや、普通にしていよう。」

「そうですね。」

 後ろで、コッコがアキに話しかける。

「パスカルちゃんと湘南ちゃん、今日も仲良さそうで楽しみだ。」

「コッコ、ライブに来たんだから、ちゃんとミサちゃんのステージも見ないとだめだよ。」

「私にとっては、パスカルちゃんと湘南ちゃんのツーマンライブだよ。」

「そんなのいつでも見てるじゃない。」

「毎回新鮮なのよ、と言いたいところだけど、冬コミのネタが必要なんだよ。」

「そうなの、大変ね。ラッキーさん、チケット有難うございます。」

「いや、アニソン歌手の女性オタクを増やすのは、僕たちに課せられた責務だから。」

「でも、ミサちゃんのワンマン、若い女性客もかなりいるみたいよ。」

「アキちゃんの言う通りだね。ミサちゃんに感謝状を送りたいぐらいだ。」

「女性オタクを増やしたで賞、という感じね。」

「そうだね。まあ、ミサちゃんはそんな賞状欲しくはないだろうけど。」

「それは、そうね。」


 一方、パスカルと誠がステージの形式に関して会話する。

「ウェブの記事では見たことがあるけど、このセンターステージ、すごいな。」

「演者さんが一万四千人のお客さんに取り囲まれる感じになりますよね。」

「フロアにも人がいるから、もう少し多いかもしれない。」

「そうですね。大丈夫でしょうか?」

「なおみちゃんのことか?でも、二階からじゃ駆けつけることもできないし、警備員さんに任せるしかないんじゃないか。」

「パスカルさんの言う通りですね。」

誠は、センターステージ周りに多数の警備員がいるので、安全面よりもミサの精神的なことを心配していたが、妹や明日夏さんがいっしょにいるし、心配しても仕方がないので気持ちを切り替えることにした。

「アキさんとユミさんが、ここで歌えるようにしたいですね。」

「ここでワンマンか。湘南、大きく出たな。」

「ワンマンでなくてもです。」

「そうだな。アイドルのイベントとかで、ここで一曲でも歌えるようになれば、俺たちもすごいということだな。」

「そうですね。頑張りましょう。」

「おう。・・・・バンドが出てきた。いよいよ始まるな。」

「そうですね。うまくいって欲しいです。」

誠は、ミサのことがやはり気がかりだった。


 あたりが暗くなり、センターステージの端の方にスポットライトが灯ると、そこには尚美がいて、MCを始める。

「皆さん、こんばんは。大河内ミサ ファーストワンマンライブ『On Your Mark』にようこそ。『トリプレット』の星野なおみです。・・・何か小さい人間が出てきたって?引っ込めって?そう言わないで下さい。これでも大河内ミサ先輩の友達なんですから。大河内ミサ先輩は1年前の10月にテレビアニメ『フロントベース』の主題歌『Fly!Fly!Fly!』でデビューして、世界で通用するロックシンガーになるために、日々努力を重ねてきました。そんなミサ先輩の歌を今日はたっぷりと聴いて頂きたいと思います。それに今日は歌ばかりでなく、普段は着ない特別なミサ先輩の素敵なドレスにも大注目です。まずは三曲。ミサ先輩お願いします。」

 尚美へのスポットライトが消え、スポットライトがステージ中央に集まった。すると中央の昇降式の舞台から、落ち着いた色のセクシーな衣装をまとったミサが現れた。拍手に包まれたあと、ミサが歌い始める。


 そのころ舞台裏では、溝口エイジェンシーの映像送出装置が急に故障し、ホール機材のカメラで撮影した画像をスクリーンに映すことができるが、溝口エイジェンシーで用意した映像や写真をセンターステージ上のスクリーンに映し出すことができなくなっていて、溝口エイジェンシーのライブ実施の技術スタッフが対応で大忙しだった。

「今は、大河内さんが歌っているから、カメラ画像だけでもなんとかなるが、次のMCでは写真や映像を映す必要があるぞ。治らないか。」

「これは初めての症状で、バージョンアップしたばかりなのですが。」

「それが原因かもしれない。とりあえず、メーカーのサービスに電話しろ。」

「分かりました。でも、今からサービスを呼んでもライブは終わってしまっている可能性が高いですが。」

「それでもいいから連絡しろ。その情報がないと今後の対応が決められない。私は演者の方に連絡してくる。」

「分かりました。」

 尚美や溝口社長たちがいるところに、溝口エイジェンシーのライブのスタッフが来る。

「菊池、最初に流す予定の映像が流れていなかったようだが。」

「社長、大変申し訳ありません。機材故障で準備した映像と画像を映せない状態になっています。カメラ映像を映すことはできるのですが。」

「それじゃあ、ライブ途中で過去の映像や写真が映せないだろう。」

「はい。大変申し訳ありません。」

「何とかならないのか。」

「現在、メーカーに問い合わせていますが、いつ治るか分からない状態です。もしかすると、このライブ中には治らないかもしれません。」

「菊池さん、歌っている間は、美香先輩の映像でなんとかなりますが、MCで写真や映像が使えなくなるんですね。」

「はい、そういうことになります。」

「星野君、何とかなりそうかね。」

「夏の休暇を再現した寸劇やトークなどでなんとかします。」

「そうか、それで頼む。」

「分かりました。」


 尚美は念のため、誠と尚美の専用スマフォで誠に連絡した。誠はそのスマフォだけ電源を切らずにいた。誠はそのスマフォが振動したので、驚いてスマフォを取り出した。

尚美:写真を映す装置が故障したんだけど、何かいい方法ない

誠:カメラは無事だから、尚のタブレットをカメラで写してみるのは

尚美:やってみる


 尚美がスタッフに尋ねる。

「今、ステージのハンディカメラの予備は使っていませんよね。」

「はい、今は使っていません。」

「このタブレットの映像や写真をそのカメラで撮って、きちんと映るか試してみてもらえますか。」

「了解です。」

ステージのカメラで尚美のタブレットの画面を撮影して、モニターで確認する。

「モニター上では少し画質は落ちますが、あのプロジェクタの映像はもともと画質がそれほど良くはないので問題ないと思います。」

「良かったです。」

「写すとき、照明が反射しないように気を付けて下さい。」

「了解です。溝口社長、寸劇を取り入れる案は止めて、この方法で予定通りのトークにしようと思います。予習用に、本番と同じ画像と映像が入っています。」

「そうだな。これだけ映るならその方がいい。それでお願いする。」


 尚美が誠に連絡する。

尚美:お兄ちゃんの案で行けそう

誠:良かった

尚美:有難う

誠:頑張って


 尚美からの連絡を待っていた誠は連絡を見て安心して、ミサの歌に集中することにした。同じころ。誰もいなくなった映像送出装置がある小部屋では、とある女性が装置の前に座っていた。

「スタッフに急げって言われて、関係者しか入れない区域に入ってしまったけど、立ち聞きしたスタッフの話だと映像が出ないのか、それは大変だな。メインテナンスモードに入っているから原因が分かるかもしれないな。・・・・・えーと、プログラムのソースファイルがあるな。」

ソースファイルを見ながら女性がつぶやく。

「急なトラブルなら、OSのこのドライバーモジュールが怪しいな。少し見てみるか。あー、ここだな。画質を良くするために通信速度を上げたのに、これじゃあバッファ容量が少ないな。設定値を増やそう。他は大丈夫かな。・・・・・・・あー、ここも変えないとだめか。このモジュールを一度OSのカーネルから切り離して、ソースをコンパイル。終わった。またカーネルにモジュールをロードしてと。動画を試験再生。どうだ。・・・よしよし。治った治った。」

そのとき、その小部屋に尚美がやって来た。

「先輩、勝手に触っちゃだめですよ。」

「治ったみたいだよ。」

「本当ですか?本当っぽいですね。今、スタッフを呼んできます。」

スタッフが確認する。

「はい、大丈夫そうです。・・・・はい、大丈夫です。今は正常に動作しています。」

「うん、ドライバーをいじったら動き出した。」

「そうなんですね。でも先輩、あんまりネジをいじったら壊れちゃいますよ。」

「うん、ちょっとだけ。」

「それなら良いですけれど。それより出番がもうすぐなんですから、勝手に普通の恰好に着替えないで下さい。」

「えーと。」

尚美が兄に連絡するためにその部屋から出て行った。

尚美:明日夏さんがネジをいじったら、機械が治った

誠:接触不良だったのかな。とりあえず良かった

尚美が舞台への出口のそばに戻ると、明日夏がミサの歌を聴いていた。

「尚ちゃん、忙しそうだね。大丈夫?」

「明日夏先輩、もう着替え直している。早い。」

「へへへへへ。」

「ミサちゃん、また上手になっている。」

「そうですね。いつも頑張っていますから。」

「悲しい表現とか深くなっている。」

「私は聴けなかったですが、あとで録音を聴いてみます。」

「そうだね。尚ちゃん、また出番だね。」

「はい、いろいろありましたが、明日夏先輩の超能力おかげで無事にライブができそうです。頑張ってきます。」

「私の超能力?」

尚美がステージに出て行った。


 ミサが歌い終わる。ミサと尚美はセンターステージのため、時々向きを変えながら話す。

「みなさん、こんばんは。大河内ミサです。私の最初のワンマンライブ『On Your Mark』においで下さり、大変ありがとうございます。『許されざる恋』、『忘れないで』、『あなたの隣で』の3曲をお聞きいただきました。」

「ミサ先輩、素晴らしい歌を有難うございます。」

「尚、最初の紹介を有難う。私、やっぱり話すのはそれほど得意ではないから。」

「そんなことはないと思いますが、やっぱりミサ先輩は歌にできるだけ集中した方がいいと思いますので、そのために私が少しでもお役に立てれば嬉しいです。」

「有難う。本当にそう。」

「それにしても、すごく奇麗なドレスですね。というか、ミサ先輩が着るとより一層、ドレスが奇麗に見えます。」

「尚、恥ずかしいからあまり言わないで。」

「会場の皆さんも、凄く綺麗に見えると思いますよね。」

拍手が起きる。

「会場のみなさんも同意されています。」

「有難うございます。初めはシックな歌と言うことで、最初の衣装はこれにするということをディレクターさんが決めたんだよ。」

「ハイセンスなディレクターさんだと思います。でも、最初の衣装と言うと、何回か着替える予定があるということですね。」

「うん、その予定。」

「みなさんも是非楽しみにしていて下さい。実は、私はリハーサルの時に見ているから知っているんですが、この衣装はあと三曲でおしまいになってしまいますので、皆さんにゆっくりご覧になって頂き、目に焼き付けてもらいましょう。それでは、あちらのお客さんに。」

ミサが手を振りながら答える。

「大河内ミサです、よろしくお願いします。」

これを繰り返して、ステージの中央で一周回った。

「それでは、次の3曲は、『Uninnocent』、『希望』、『未来への光』です。ミサ先輩よろしくお願いします。」

「尚、頑張る。それでは、心を込めて歌います。」

ミサが3曲歌った後で、舞台が暗くなり、明るくなると、ミサがいなくなり尚美が現れる。

「ミサ先輩の素晴らしい歌でした。ミサ先輩は、今、着替えに向かっています。この時間を利用して、皆様にはこの10月に発売された新曲『Ignited World』のMVをフルサイズで見て頂こうと思います。初回限定盤を購入された方は既に見ていらっしゃるかもしれません。もうすでにフルで見たという方はいらっしゃいますか?」

尚美が手を挙げると、20%ぐらいの人が手を挙げる。

「かなりの方が見ていられるようですが、会場のスペシャル音響でお届けしますので、その既に見たという方も、是非お楽しみください。それでは、ミュージックビデオスタート!」


 ミュージックビデオが映し終わると、ステージは暗くなり、少しして会場にイントロが流れ始めた。誠がつぶやく。

「一直線?」

スポットライトが灯ると、『トリプレット』と『トリプレット』の衣装を着たミサがステージに現れ、センターがミサと尚美の二人の『一直線』のパフォーマンスを披露する。パフォーマンスが終わると、尚美が話し始める。

「改めまして、こんばんは。『トリプレット』チアセンターの尚美です。」

「こんばんは、『トリプレット』ダンスセンター、南由香です。」

「こんばんは、『トリプレット」ボーカルセンター、柴田亜美です。」

「由香先輩、亜美先輩、有難うございます。あれ、『トリプレット』、三連符という意味で普通は3人なのに、今日は4人いますね。」

「おー、武道館の幽霊か。」

「由香、それにしては綺麗すぎない。」

「亜美、逆だ。この綺麗さは、とてもこの世の物とは思えないぜ。」

「もう、尚も、由香も、亜美もいいかげんにしなさい。」

「その声は。」

「その姿は。」

「もしかすると。」

「こんにちは、『トリプレット・今日だけスペシャル』ロックセンター、大河内ミサです。」

「ミサ先輩、有難うございます。『トリプレット・今日だけスペシャル』、4人編成でお送りいたしました。そして、ミサ先輩には最初の6曲から打って変わって、『トリプレット』の曲を可愛く歌ってもらいました。いかがでしたでしょうか?」

「それにしても、ミサさん、魔法少女の服装も本当に良く似合います。」

「亜美、有難う。ちょっとだけ恥ずかしかったけど、三人が着ているから、私も勇気を出して着てみた。」

「ミサさん、普段の服も良いけど、こういう魔法少女の衣装もすごく良く似合うぜ。おめーらも、こういう衣装を着たミサさんをもっとよく見たいよなー。・・・声、ちいせーぞ。そんなことじゃ、もうこういう服を着てくれなくなっちゃうぞ。いいのか。・・・・いやだよな!じゃあ、俺がこういう衣装を着たミサさんをもっと良く見たいよなーと言ったら、大声で見たいと言ってくれ。いいな!・・・いくぜ、こういう衣装を着たミサさんをもっと良く見たいよなー!」

会場から「見たい!」という声が帰って来た。

「まだまだだな。そんなことじゃ、『トリプレット』のファンの足元にもおよばないぞ。まあ、それは俺が鍛えているからということもあるが、こっちの方が人数は多いんだから負けるなよ。もう一度いくぜ、こういう衣装を着たミサさんをもっと良く見たいよなー!」

会場から大きくなった「見たい!」という声が帰って来た。

「よーし、よくできた。それじゃあ、ミサさんと亜美が、観客席の方を歩きながら歌うぜ。リーダーと俺がミサさんの護衛につくから、安心してくれ。」

スタッフが尚美に魔法少女が持つような弓と弓矢、由香に刀を渡す。尚美が弓を持つのを見て、由香は「その弓と弓矢、どんな仕掛けがあるんだ?」、亜美は「これなら、本当にテロリストが襲ってきても大丈夫そう。」、ミサは「尚、本当の魔法少女のように可愛い。」と思った。由香が三人に向かって言う。

「俺が先頭だ。」

「私がしんがりです。」

「それじゃあ、亜美、観客席で歌うよ。」

「はい、分かりました。ミサさんとこの歌をお届けします。」

ミサと亜美が声をそろえる。

「『secret base 〜君がくれたもの〜』」

伴奏が流れ始めると、四人はステージを降りて、ステージを中心としたフロアの半径の半分ぐらいのところにある通路を周り始める。由香が先頭で刀を構え、時々刀を振り回しながら、その後ろでミサと亜美が歌い、最後尾に尚美が弓に仕掛けた強力なライトで観客席を照らしながら進んだ。尚美からのライトが当たって、喜んでいる客もいた。ちなみに、四人がいる場所にはスポットライトが当たっていて、その周辺は位置によって明暗に大きな差があり、暗視装置が使えないため、尚美はライトを使っていたのである。曲は時間を調整するために、間奏が少し長めに演奏されていたが、曲が終わるころ四人はステージの上に戻っていった。

「有難うございます。大河内ミサと、」

「柴田亜美で」

「『secret base 〜君がくれたもの〜』を歌わせて頂きました。」

「いやー、ミサさんも亜美も凄かったな。」

「さすが、亜美先輩は『トリプレット』のボーカルセンターです。」

「いえ、さすがにミサさんには敵いません。でも、一緒に歌えて本当に楽しかったでした。一生の思い出になると思います。」

「私も楽しかった。また一緒に歌おうね。でも、尚も由香も一緒に歌えば良かったのに。」

「俺は、こういう歌は不得意だけど、リーダーなら。」

「私は、最初に『一直線』をいっしょに歌えたので、それで満足です。ということは、次は由香さんの番ですね。」

「俺か。俺は歌はそれほど得意じゃないぞ。ダンスならば何とかなるけど。」

「それではここで、ミサ先輩と由香先輩のダンスパフォーマンスを見て頂きたいと思います。皆さんも、手拍子をお願いします。」

尚美と亜美が手拍子をすると、観客の手拍子が始まり、ミサと由香がダンスを見せる。

「それじゃあ、このまま『私のパスをスルーしないで』をミサさんと俺のセンターで届けるぜ!」

『私のパスをスルーしないで』のイントロが流れ始め、4人によるパフォーマンスが開始され、無事終了した。

「有難うございました。ミサ先輩も有難うございます。『トリプレット』のデビュー曲、『私のパスをスルーしないで』をお聴きいただきました。」

ここで、ステージに明日夏が出てくる。

「いやー、ミサちゃん、すごい。アイドルとしても超一流になれる。みんな、そう思うよね。」

観客席から拍手が起きる。

「みんな思うって。」

「明日夏先輩、とりあえず、自己紹介して下さい。」

「尚ちゃん、ごめんなさい。ミサちゃんのアイドル衣装が新鮮で、興奮して忘れちゃっていました。みなさん、こんにちは、ミサちゃんと同じヘルツレコードから今年の1月にデビューした神田明日夏です。私はコメディアンじゃなくて、アニメの主題歌を歌うアニソン歌手です。ミサちゃんとの関係は、この後お話しします。」

「明日夏、今日は有難う。」

「どういたしまして。それにしても、ミサちゃん、三曲とも歌もダンスも完璧で、『トリプレット』の立つ瀬がなくなっちゃう。」

「いつも、いっしょに練習しているから。みんなの曲は歌えるよ。」

「いっしょに練習しているというより、ミサ先輩の場合は、実質、私たちの歌の先生ですから。」

「でも、ダンスは、由香のダンスがすごい参考になっている。」

「おー、これで少しは俺のことも見直してくれるかな。」

「でも、ミサちゃんは、胸のあたりにウエイトをかなり積んでいるのにすごいよね。」

「明日夏さん、そういう話は五人だけの時に。」

「由香ちゃん、ごめん。でも、こんどみんなで温泉に行ったら、どのぐらい重いか計ってみようっと。」

「明日夏はもう!」

「明日夏先輩、胴体と分離できないので、直接重さを測るのは難しいと思います。」

「尚の言う通り。」

「洗面器いっぱいにお湯を入れて、計測したい場所を洗面器に漬けた時に、こぼれるお湯の量で計ることはできると思います。人間の体組織の比重は1からそれほど違いませんし。」

「尚、何か、頭良さそうなことを言っているけど・・・・・。」

「申し訳ありません。」

「なるほど、胸を漬ける前後の重さの差から計るのか。さすが尚ちゃん、アルキメデスの原理の応用だね。」

「明日夏さん、悲しいくなるから、もうそろそろ、この手の話は止めましょう。」

「ごめんなさい。由香ちゃんは常識人だからね。尚ちゃんの提案は、次の温泉をお楽しみということで。」

「明日夏、本気なの?」

「冗談かな。話を戻すと、ミサちゃんがいれば、『トリプレット』の3人のうち誰かが風邪で休んでも、代わってもらえばいいから安心だよね。」

「これから聴いて頂きますが、明日夏さんもそうですよね。」

「亜美先輩、歌は大丈夫だと思いますが、ミサ先輩の場合は、ステージ上で明日夏先輩のようにバカなことが言えないという問題があります。」

「後輩なのにはっきり言うねー。」

「とりあえず、できることは何でもするから、言ってね。」

「お気持ちは有難いですが、ミサ先輩はかなり忙しいですから、やっぱり私たちが風邪をひかないようにしないと。」

「でも、ひいちゃうときはひいちゃうよね。」

「風邪をひくのは自己管理ができていない証拠だそうです。うちの学校の先生がそう言っていました。」

「厳しそうというか、ブラックなんじゃない、尚ちゃんの学校。」

「そうかもしれません。さて、それでは、ここでミサ先輩のこれまでの歩みを写真を使って振り返って見てみましょう。」

「それは楽しみだねー。」

スクリーンに写真が投影される。

「これは、赤ちゃんの時ですか。」

「そう。」

「それにしても、可愛い赤ちゃんだぜ。」

「由香先輩の言う通りです。」

「これはミサ先輩が3歳の時です。真ん中の男の子は一般の方のため、モザイクをかけています。」

「ミサさん、外国人の女の子のモデルみたいで、すごく可愛いです。」

「でも、リーダー、一般の方にモザイクをかけるなら、右の女の子にもモザイクをかけなくちゃだめだろう?」

「いいんです。」

「何で?」

「それは、この女の子がこの中にいるからです。」

「えーーーーー!」

「可能性があるのは、同い年の明日夏先輩と一歳違いの由香先輩だけなんですが、顔を見ればどっちか分かりますよね。」

「二人とも、すごい可愛いけれど、少し四角っぽい可愛い顔は・・・・・」

「ミサちゃん、私、四角っぽい顔なの?」

「明日夏先輩、答えを言わないで下さい。」

「へへへへへ、ごめん。でもミサちゃん、私、四角っぽい顔なの?」

「うん。でも、私、明日夏の顔が本当に好きだよ。」

「まあ、みんなに止められていますけど、ミサ先輩は、顔が交換できるなら、明日夏先輩の顔にしたいみたいです。」

「うん、本当にそう思っている。」

「じゃあ、交換した方がいいと思うやつ!・・・・・・シーンとしているな。しない方がいいと思うやつ。・・・・・おっ、すごい拍手だ。交換しない方が良いということだな。」

「みんな、何か酷い。」

「明日夏先輩、ここはミサ先輩のワンマンライブですから。」

「そっ、そうか。そうだよね。」

「でも、明日夏さん、明日夏さんのワンマンでも同じ反応だったらどうします。」

「亜美ちゃん、怖いことは言わない。」

「なんと言われようと、私は明日夏のような自然な顔、好きだから。」

「ミサちゃんの言うことを信じることにするよ。」

「話を戻しましょう。答えは出てしまいましたが、この女の子は明日夏先輩です。何と、ミサ先輩と明日夏先輩は、三歳の夏に伊豆で会っていたんです。」

会場がどよめく。

「そして、次の日に明日夏の部屋でカラオケで遊んだんだよ。」

「私がアニソンを歌って、ミサちゃんは聴き役だったかな。」

「うん、なんとなくだけど明日夏が楽しそうに歌っていた気がする。今にして思うと、明日夏みたいになりたいというのが、歌手を目指した理由の一つかもしれない。歌のジャンルは違うけど。」

「会場の皆さん、皆さんがミサちゃんにこうして会えるのは私のおかげなんですよ。是非、私に感謝してください。」

「でも、この後ずうっと会っていなくて、お互い忘れてしまったんだよね。それで、高校3年の冬に出場したアニソンコンテストで再会したんだよね。」

「そう。でもその時は、二人とも三歳の夏に会っていたことは思い出さなかったんだよ。」

「その通り。偶然、この写真が出てくるまでは。」

「アニソンコンテストの話の前に、これがミサさんの小学校・中学校・高校の入学の時の写真です。やっぱり、可愛いです。」

「ミサちゃん、笑っていない。」

「うん、この頃は、どちらかというと根暗な子だった。」

「それで、ミサ先輩は写真嫌いだったため、その頃の写真があまりないんです。」

「それはもったいない。世界的な損失だ。」

「明日夏、オーバー。」

「そんなことはない。」

「えーと、いよいよ、ミサ先輩が歌手として表に出てきた、高校3年のアニソンコンテスト東京予選に出場して優勝したときの写真です。」

「懐かしい。」

「1年10か月前か。この時も、同じ控室で偶然ミサちゃんの隣に座ったんだよね。」

「控室でみんなピリピリしているのに、明日夏は漫画を読んで大笑いしていた。」

「それで、ミサちゃんに怒られちゃった。」

「ごめんなさい。あの時は、胃が痛くなるぐらい緊張していたのに、隣で魚肉ソーセージ、魚肉ソーセージと叫びながら笑っていられる明日夏が、羨ましかった。」

「私も、明日夏先輩が緊張したところを見たことがありません。」

「それは俺もねーな。」

「私もです。」

「何か、みんな酷い。」

「ちなみに、これは同じ東京予選で予選落ちした明日夏先輩です。」

「人をネタのように。」

「明日夏、やっぱり楽しそうに歌っている。」

「ちょうどミサちゃんの前で歌って、ミサちゃんが歌うのを舞台袖で聴いていたんだけれど、そこにいた係員さんに、私の『残酷な天使のテーゼ』は、『面白い天然のテーゼ』と言われたんだよね。」

「ははははは。」

「尚ちゃん、笑わない。ミサちゃんの歌と、係員さんの言葉で、頑張らなきゃって思ったんだよ。ミサちゃんと係員さんは、今、ステージの上に立てる恩人だよ。」

「ミサさんと明日夏さんがお互いに良い影響を与えたんですね。」

「でも、明日夏先輩はその後もあまり熱心に練習していなかったと、ボイストレーナーの橘さんは言っていましたよ。」

「尚ちゃん、せっかくいい話でまとめようとしたのに。」

「でも、『トリプレット』がデビューしてから、熱心に練習するようになったとは言っていました。」

「へへへへへ。」

「明日夏も、後輩に負けるのはいやなわけか。」

「まあ、そんなもんかもね。でも、その係員さん、ここでも係員をやっていて、さっき再会したんだよ。それもすごい偶然。」

「明日夏先輩の話では、その方は、音楽が好きでそれまでの仕事を辞めて、今の仕事をされているということですから、あちこちのイベントで私たちの活動を支えて下さっているのだと思います。」

「尚の言う通り。そのような方々に支えられて、このライブも開催できるんですね。有難うございます。」

「有難うございます。でも、歌手として上手くいかなかったら、アニネタ漫才を一緒にやりましょうと言ったら断られちゃいましたけど。」

「それは、音楽が好きなんだから、そうでしょう。」

「そうか。すごくいい突っ込みをしていたんだけどなー。あっ、あそこで笑っていらっしゃる。」

「どこ?」

「私たちの通路の扉の右にいらっしゃる方です。さすが、ミサちゃんのライブということもあって、今日はピシッとした恰好をしていらっしゃいます。」

「あの、赤いネクタイの。」

「その通り。」

「明日夏、ちょっと待って、それ真面目に言っているの。」

「そうだよ。・・・・今日も有難うございます。私なりに一生懸命頑張っています。でも、上手くいかなかったら、一緒に漫才をやりましょう。すごくいい突っ込みをしていました。」

明日夏が手を振る。その係員は首を横に振った。

「やっぱり、漫才はやらないって。」

「というか、明日夏。あの方はうちの社長だよ。」

「溝口の社長さん?」

「そうじゃなくて、ヘルツレコードの川上社長。」

「へっ。でも、会社辞めて今の仕事をしているって。」

「明日夏先輩、たぶん、ヘルツ電子の役員を辞めて、ヘルツレコードの社長になられたんだと思います。私もお会いするのは初めてですが、ホームページの写真では拝見したことがあります。」

「そうなの。役員を辞めて社長って、それありなの。」

「基本的にそういうものみたいです。」

「でも、私、大丈夫かな。首にならないかな。」

「明日夏、そうなったら、私、突っ込みを鍛えるから、いっしょに漫才をやろう。」

「有難う。持つべきものは、ミサちゃんだよ。」

川上が叫ぶ。

「大河内さんに辞められたら困るから、首にしない。」

「首にしないって。良かった。これからも頑張りますので、よろしくお願いします。」

男性が首を縦に振っていた。尚美は、ミサの他、客席の悟と久美や、ヘルツレコードの社員が大笑いしているのを見て「みんな心配していたんだ。」と思った。

「ねえ、ねえ、でも、ミサちゃん、笑いすぎだよ。尚ちゃん、どうする。」

「ミサ先輩大丈夫ですか。水を持ってきます。」

「尚ちゃん、ミサちゃんの腹筋がつって担架で運び出されたときのために、ライブ中止のアナウンスとお詫びを考えなくちゃいけないかな。」

ミサがまた大笑いをする。

「明日夏先輩がいると、こっちが普通に話していても掛け合い漫才みたいになっちゃいますから、少し黙ってて下さい。」

「そうだね。本当にニュースになったら困るもんね。ロック歌手の大河内ミサさんが笑いすぎて腹筋がつって、担架で途中退場し、ライブが途中中止になりました、とか。」

「もっ、もう、・・・・」

「由香先輩、亜美先輩、明日夏先輩をとりあえず控室まで連行してください。」

「了解。明日夏さん、行くぜ。」「明日夏さん、行きましょう。」

由香と亜美が明日夏を連れていく。ミサがまだ笑う中、尚美がライブを進行する。

「それでは、写真の紹介を再開します。これが、デビュー曲のレコーディングのときの写真です。少し緊張していることが分かりますが、男性の方々にはミサさんの不安そうな顔も愛おしいのではないかと思います。」

ミサがまだ笑っているので、そのまま続ける。

「これが、昨年10月のデビューイベントです。いっぱいのお客さん、有難うございます。次がアップの写真です。やっぱり、ミサ先輩は脚が長いですから、ステージ上で映えますね。・・・・もう少しアップ。うん、やっぱりカッコいいです。」

尚美がミサがだいぶ笑いやんだようだったため、尋ねる。

「デビューの時の思い出などありますか。」

「ただただ緊張していて、一生懸命やろうとだけ考えていた。でも、もし、このときに明日夏がいれば・・・」

ミサが笑い出したので、時間が押していることもあって、尚美は次の写真に進んだ。

「次の写真が、3月にヘルツレコードのライブで、ミサ先輩が歌っているところです。こんなに大きなホールで歌うのは初めてだと思いますが、緊張の方はどうでしたか?」

「すごい緊張をしていたんだけど、橘さんに面白いことを思い出すと緊張しなくなるって言われたので、明日夏の顔・・・・・・を思い出すことにしたんだよ。そうしたら、・・・・・・緊張しなくなった。」

ミサが必死に笑いをこらえながら話していた。

「なるほど。緊張したら、みなさんの場合は明日夏先輩でなくて、ミサ先輩の顔を思い出してみて下さい。」

「そういうことに関して、私に明日夏ほどの才能があるかな。」

「そうですね。かえって緊張してしまうかもしれないということですね。でも、奇麗な花を見ても緊張がほぐれるそうですから、大丈夫だと思います。」

「尚、有難う。」

「明日夏先輩、由香先輩、亜美先輩、戻ってきてください。」

「はーい。」「おう、待たせたな。」「懐かしい。」

「ミサちゃんは、このときもセンターステージの下から出てきたんだよね。」

「そうそう。一人で、たくさんのお客さんの中に立っている感じが」

「快感だった?」

「いや。明日夏は快感なの?」

「そう。でも全周囲のお客さんに気を使わないといけないから、やっぱり大変ではある。」

「明日夏先輩は、そんな気を使っているんですか。」

「一応、ディレクターさんに言われたし。機動戦士の全周囲ディスプレイと思って、周囲に気を配れと。」

「なるほど。さすがディレクターさん。明日夏先輩のことを調べてから助言しているんですね。私には、クォーターバックと思って、周囲に気を配れとおっしゃっていました。次は、明日夏先輩の写真ですが、ミサ先輩、心の準備はいいですね。」

「うん、もう大丈夫だと思う。」

「これが、ヘルツレコードのライブでの明日夏先輩の様子です。」

ミサが笑い出す。

「あの、ミサ先輩、笑うような写真ではないと思いますが。」

「ごっ、ごめんなさい。明日夏が楽しそうな顔で歌っているから。」

「それはいつものことです。それで、この二人のバックダンサーが由香先輩と亜美先輩です。」

「いきなり3万人のホールだったから、さすがの俺でも緊張した。」

「由香と違って、ダンスはそれほど得意じゃなかったから、もっと緊張してた。」

「このときに『トリプレット』の三人に初めて会ったんだよね。」

「はい。私は、由香先輩と亜美先輩のマネージャーとして来ていました。」

「そうそう。それで私のイヤモニが故障したときに、明日夏の予備を貸してもらって、すごく助かった。」

「はい、あのライブでは事務所にあったもの全部を持ってきました。明日夏さんがいくつ壊すかわからなかったので。」

「でも、デビューしてから一個も壊していない。」

「それは、その通りです。」

「ふふふふふ。」

「その最後の舞台あいさつで、ミサ先輩と明日夏先輩がほっぺたをつねりあっているところです。夢じゃないことを確認していたんですか?」

「その通り。」

「今もそうだけど、本当に夢みたい。ここまで来れたのは、皆様のおかげです。」

「私のおかげも少しある。」

「うん、明日夏や『トリプレット』のおかげは大きいと思う。」

「えへん。」

「最後の写真は、夏のライブで5人で歌ったときのものです。」

「5人のためにアレンジを変えて歌えて、いい思い出になった。」

「はい、私も楽しかったですし、一生の思い出です。」

「俺も。」「私も。」

「私もだけど、これが最後の写真なの?」

「はい。」

「ミサちゃんの水着写真はないの。」

「ありません。」

「せっかくみんなで海に行ったのに?」

「はい。お客さんが全員女性だったら可能だったかもしれませんが。」

「ということで、男性のお客さんは一度会場から出て行って下さい。」

「そういうわけには。仕方がありませんので、水着ではありませんが、海に行って帰るときに撮影した写真をお見せします。準備をしていなかったので、カメラさん、こっちにお願いします。」

尚美のタブレットを台に置いて、カメラで撮影する。

「こんな感じです。かなりカオスになっています。」

「ウイスキーをラッパ飲みしている人がボイストレーナーの橘さん。」

「亜美がいちばんまともで可愛い。」

「有難うございます。」

「尚ちゃんのタブレットには、水着の写真も入っている?」

「入っていますが、事務所から許可が下りていません。それでは、もう一つおまけに筑波山の山頂で行われた騎馬戦の写真です。ミサ先輩と明日夏先輩vs由香先輩と亜美先輩が帽子を取り合う騎馬戦です。他の観光客が少なくて良かったです。」

「本当、こんなこともあったわね。楽しかった。」

「はい、休みにはこんなふうに集まって、いっしょに遊んだりしています。それでは、写真の時間は終わりにして、歌の時間に戻りましょう。まずはミサ先輩と明日夏先輩がいっしょに二曲歌います。『残酷な天使のテーゼ』と『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』、二曲続けてどうぞ。」

「その前に。」

「明日夏先輩、何ですか?」

「ミサちゃんに、試練を課そう。」

「勝手に試練を課さないで下さい。」

「武道館は武道をするところ。」

「その通りです。」

「武道は、向かい合って礼をするところから。」

「明日夏、分かった。」

二人が向かい合って礼をする。

「このまま歌うの?」

「その通り。これが武道館スタイル。」

「勝手なことを。向かい合って歌うのはいいと思いますが、明日夏先輩、美香先輩に変顔の試練を与えないで下さいね。にらめっこじゃないので。」

「大丈夫。歌っている間にそんなことはしないよ。」

「今からこの2曲を歌い終わるまではだめです。」

「はーい。」

「それじゃ、明日夏、歌うよ。」

「ダコール。」

 バンドの演奏が始まり、『残酷な天使のテーゼ』と『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』を歌い終わった。お互い一礼してから、尚美がミサに尋ねる。

「ミサ先輩、明日夏先輩、有難うございました。ミサ先輩、いかがでした。」

「向かい合って歌うの、楽しかった。二曲目は、明日夏の歌の可愛さが出ているかは心配だけど。」

「みなさん、どうでしたでしょうか。ミサ先輩の歌は可愛かったでしょうか?」

客席から「可愛かった。」という声が多数帰ってきた。

「お客さんも、可愛かったとおっしゃっています。」

「有難うございます。」

一礼して、ミサがステージから離れる。

「明日夏先輩はどうでした。」

「うん、私もミサちゃんが歌っているところを近くで見れて楽しかった。歌っている間は我慢したので、これからミサちゃんとにらめっこをしようと思ったんだけど、ミサちゃんがいなくなっちゃった。」

「はい、今、着替えに向かいました。明日夏先輩の『残酷な天使のテーゼ』は『面白い天然のテーゼ』と川上社長さんにダメだしされたことがあるそうですが、川上社長、今の歌はどうでしたか?」

川上が腕で大きく丸を作る。

「大丈夫みたいです。良かったですね。明日夏先輩。」

「有難うございます。これでまたミサちゃんと歌えます。」

「ミサ先輩の着替えに、まだ少し時間がかかりますので、ここで、私たちの告知をさせて頂きます。明日夏先輩、先輩もワンマンライブをやるんですよね。」

少数の客から「おー。」という歓声があがる。

「12月31日午後2時から赤坂ブリッツでワンマンライブを開催します。」

「なかなか微妙な日時ですね。」

「カウントダウン前ライブ!」

「カウントダウン前ライブ!同じ事務所ですので知っているんですが、そこしかちょうどいい会場が空いていなかったというのもあるんです。皆様、是非、脚をお運びください。」

「尚ちゃん、そういうことは言わないの。尚ちゃんたちのワンマンは?」

「私たちは6月にデビューしたばかりですので、現在は計画中で、年末までには発表できるといいです。」

「尚ちゃんたちなら、きっとすごいステージになると思う。」

「明日夏先輩のワンマンは?」

「できるだけ面白くて笑えるものにしたいんだけど、橘さんに怒られそう。」

「歌と両立するように考えましょう。」

モニターを確認した尚が続ける。

「さて、ミサ先輩の準備ができたようですので、この辺りで私たちは退散して、この後は、ミサ先輩のカッコいいロックをお聞きいただきたいと思います。それでは、また後で。」

「またねー。」


 尚美と明日夏がステージからいなくなると、舞台が暗くなり、ガスのトーチが灯った。昇降式の舞台からステージでの普段の恰好をしたミサが上がってきて、掛け声をかける。

「それじゃー、これからジェット機の速さで行くよ。『FLY!FLY!FLY!』」

ミサがつづけさまに6曲を歌い上げる。序奏が流れるたびに、観客から歓声があがった。6曲目を歌い終わると、ミサが話し始める。

「続けて6曲をお届けしました。こんな広い会場で、たくさんの声援に包まれて歌うことができて、こんなに幸せを感じたことはありません。これからも、歌い続けていきますので、是非、応援をお願いします。それでは次が最後の曲になります。」

会場から「えーーー。」という声が巻き起こる。

『Look at Me』

ミサが歌い始め、無事に歌い終わり、一礼するとステージが暗くなった。そして、ミサは昇降式の舞台と一緒に下がって行った。会場からは手拍子に合わせて「アンコール」の掛け声が鳴り響いていた。少しして、バンドメンバーによる『FLY!FLY!FLY!』の序奏がはじまり、照明が灯るとライブグッズのTシャツと赤いジーンズを着て、マフラータオル(細長いタオル)を肩にかけたミサが現れ、歌い始めた。歌い終わると、明日夏たち4人も登場した。

「アンコール、有難うございます。『FLY!FLY!FLY!』の英語バージョンを歌わせて頂きました。」

「ミサ先輩、英語で歌うと一段とカッコよかったでした。」

「俺には何言っているか、さっぱり分からなかったけど、カッコいいということは分かった。」

「由香、やっぱり英語を勉強しないと。」

「ミサ先輩と私たちが着ているものは、ライブグッズのTシャツとマフラータオルです。もう、すべて売り切れてしまったのですが、ミサ先輩の公式ホームページの通販で予約販売するとのことですので、思い出に是非欲しいけど買うことができなかったという方は、是非、公式ホームページでご予約下さい。」

「それにしても、ミサちゃん、何を着ても似合うね。」

「明日夏も、何を着ても可愛い。」

「それじゃあ、ミサさんの今日の服、どれが良かったかアンケートを取るぜ。一番良かったと思うものに拍手してくれ、いいな。では、最初のシックでセクシーな服!・・・・・・次に俺たちと同じ魔法少女の服!・・・・・・・・次にいつものカッコいいTシャツとジーンズ!・・・・・最後は、グッズのTシャツと赤いジーンズ。」

拍手の勢いは四つとも同じぐらいだった。

「お前ら、四つとも拍手しているだろう!」

「確かに、ミサ先輩、四つの服ともすごく似合っていますから。」

「ほんとに、今日来た人はお得だと思います。」

「よし、ミサちゃん、お客さんの意をくんて、次はカッコよくてセクシーでスカートが赤い魔法少女の衣装を着てみよう。」

「全部混ぜるの?」

「そう。」

「ダンサーとしての俺としては、ミサさんを今まで見た中では、夏の旅行で見たTシャツ、ホットパンツにキャップを被った恰好が一番カッコよかった。」

「私は最初の衣装かな。」

「あれを着たいなら、亜美はもう少し痩せないとな。」

「由香、分かっているよ。明日夏さんは?」

「やっぱり、水着かな。」

「明日夏先輩は、私たち4人がビーチバレーをしている脇で、ビーチベッドでジュースを持って見ていましたよね。」

「いやー、セレブおじさんの良さが良く分かったよ。躍動するミサちゃん、正確にトスを上げる尚ちゃん、スピーディな由香ちゃん、ミサちゃんの足を引っ張る可愛いドジっ子亜美ちゃん。」

「明日夏、そんなことを言っちゃだめ。亜美が一番頑張ったんだから。」

「みなさん、誤解のないように言っておきます。この三人が体力ありすぎておかしいんです。私が普通なんです。五人で出たテレビ番組の救出者を見てくれた人は分かってくれると思います。一番速い追跡者を振り切るミサさんとか、追跡者の上を飛び越えるリーダーとか。」

会場から笑い声が起きた。

「それは、亜美の言うとおりだ。俺も学校じゃあ体力に自信があったんだが。井の中の蛙という感じだ。」

「とりあえず、ミサ先輩は何を着ても似合うということですので、これからもいろいろな衣装を着た方が、ファンの方々は楽しめると思います。そうですよね?」

盛大な拍手が起きる。

「有難うございます。そういういことならば、いろいろな衣装に挑戦したいと思います。」

「本当は、尚ちゃんと二人で幕を持って、ミサちゃんの生着替えをしようと提案したんだけど、却下されてしまいました。」

「それは当たり前です。明日夏先輩じゃないんですから。何なら、12月31日の明日夏先輩のワンマンライブの時にやってあげますよ。」

「おっ、ステマだね。優秀な後輩だ。」

「じゃあ、尚と私で幕を持つね。」

「でも、ミサちゃんと私じゃギャラが違いすぎて、ミサちゃんの1曲だけで私のワンマンの半分の経費を使っちゃうから、無理みたい。」

「明日夏は、川上社長を係員と間違えるぐらいだから、私は幕を持つ単なる係員をやるよ。」

「えっ、私、本当にやらなくちゃいけなくなってきた?」

「口は災いのもと、自業自得です。」

「うー。」

「でも、需要はないですし、ミサ先輩も係員としても事務所の許可が下りないと思います。」

「そっそうだよね。良かった。」

「私も、明日夏先輩にそういうことを恥ずかしがるところがあると分かって良かったです。」

「へへへへへ。」

「それで、ミサ先輩的にはどの衣装が一番良かったですか。」

「もちろん『トリプレット』の衣装だよ。ロックシンガーとしてやって行けなくなったら、『トリプレット』に入れてもらいたいなと思っているぐらいだから。」

「ミサちゃんがアイドルをやるなら、グラビアアイドルの方が向いていそうだけど。」

「ミサさん、脚が長くて、スタイルが抜群にいいですからね。」

「たとえロックじゃなくなっても、やっぱり私は歌っていられる方がいい。」

「そうだ、両方やるといいと思う。みんな、そう思うよね。」

会場から拍手が巻き起こる。

「でも、明日夏先輩、ミサ先輩がロック歌手としてやっていけなくなる心配は無用だと思います。それよりも、まず、自分の心配をして下さい。」

「はーい。」

「それに、ミサ先輩はこれからロック歌手として、ますます活躍していく予定なんです。ここで大切な発表があります。ミサ先輩、どうぞ。」

「はい、私、大河内ミサは、来年2月、ロックシンガー ミサ オオコウチとして、全米デビューをすることが決まりました。」

「すごい。全米デビューですか。」

「いま、一生懸命、英語の歌を勉強しているところです。」

「さすがです。だから、アンコールでも英語の歌を歌ったんですね。」

「はい。」

「ミサ先輩の全米デビューの詳細はこれから順次発表していきますので、是非、ミサ先輩のホームページのチェックを忘れないようにして下さい。」

「よろしくお願いします。」

「でも、ミサちゃん、ミサ オオコウチってそのままじゃない。」

「そうだけど、それじゃあ、明日夏、どんなのがいいの?」

「ミサ インビッグリバー」

「明日夏先輩、それも、そのままじゃないですか。」

「なるほど、それもそうだね。」

「リーダー、明日夏さんは何を言ったんだ。」

「ビッグリバーが大きな河、インが内を表していて、インビックリバーで大河内を意味していたと思います。」

「なるほど、さすが明日夏さんだ。」

「由香先輩、こんなので感心しないで下さい。」

「そうか。ところで、亜美は分かったのか。」

「そんなの決まっているじゃん。分からないよ。」

「俺たち、仲間だな。」

「うん。」

「由香さん、亜美さん、今まで日本の正統派ロック歌手で、全米で成功した人は一人もいません。それに挑戦するミサ先輩には、想像を絶する苦労が降りかかることもあると思います。」

「そうだよな。すげーな。」

「うん、すごいことだよ。」

「全米デビューをするミサ先輩を勇気づけるために、4人で『愛は勝つ』を歌いたいと思います。」

「尚、そんなのプログラムにあった?」

「サプライズで、ミサ先輩以外は知っています。それではバンドの皆さん、お願いします。」

『愛は勝つ』の序奏が始まり、1コーラスを四人が代わる代わる歌う。

「会場の皆さんもいっしょに歌って下さい。歌詞はスクリーンに表示されます。」

2コーラス目から会場の全員で『愛は勝つ』を歌う。ミサの目からは涙がこぼれていた。歌い終わると、ミサがまだ泣いているようだったため、尚美はバンドの紹介に移ることにした。

「みなさん、いっしょに『愛は勝つ』を歌って頂いて有難うございました。ここで、素敵な演奏をして下さった、バンドの皆さんを紹介したいと思います。」

尚美がギター2名、ベース、ドラム、キーボードの紹介を終える。

「ミサ先輩のファーストワンマンライブ「オンユアマーク」、ミサ先輩の歌やトークで楽しんできましたが、いよいよ次が本当に最後の曲になります。」

会場からこの日最大の「えーーー。」という声が響き渡る。

「ミサ先輩、準備は大丈夫ですか。」

「尚、その前にサプライズがあるの。」

「えーと、私は聞いていませんが。」

「うん、明日夏以外は知らないはず。」

「ディレクターも?」

「そう。二人しかしらない。」

「それは本当のサプライズですね。そう言えば、明日夏先輩がステージにいませんね。」

「『トリプレット』のファンの方はご存じと思いますが、今日は『トリプレット』星野なおみちゃんの誕生日です。もしかすると、中の人は違うかもしれないけれど。」

「中の人って、私は被り物ですか。でも、はい、星野なおみは今日で14歳になります。」

「それで、ケーキを焼いてきました。」

明日夏がケーキ、ロウソク、ナイフ、小皿、ホークを持って入って来た。

「ミサちゃんは、アニサマのときもケーキを焼いてきてくれたんだよ。ミサちゃんの本当にケーキ美味しいから。」

尚美はディレクターの指示を見ながら、由香と亜美に小声で指示をしていた。

「5分以内でという指示です。由香先輩、私はこの場の進行を担当することができませんので、進行をお願いします。できるだけ、巻きで。あと、最後の舞台挨拶も短めにお願いします。」

「了解。」「分かりました。」

明日夏とミサがケーキに一本の大きなロウソクと四本の小さなローソクを立てる中、尚美はローソクを一本持ってスタッフを呼びに行った。明日夏が困ったように言う。

「あっ、火をどうしよう。」

「明日夏、着火装置、持ってこなかったの?」

「尚ちゃん、あれ居ない?・・・・あそこだ。スタッフさんと、舞台の火からローソクの火を取っている。」

スタッフがケーキのローソクに火をつける。

「尚ちゃん、さすが、すごい。」

尚美はそれを無視して、由香の方を見る。

「それじゃあ、ディア尚ちゃんで、誕生日の歌を歌おう。会場のみんなも良かったら、いっしょにお願いな。それではいくぞ。」

ステージの照明が暗くなり、演者にスポットライトが照らすだけになった。歌い始めると同時にバンドが演奏を始めた。

「ハッピーバースデー ツーユー。ハッピーバースデー ツーユー。ハッピーバースデー ディア尚ちゃん。ハッピーバースデー ツーユー。」

歌い終わると、由香がライブの進行を続ける。

「それじゃ、リーダー、ロウソクの火を吹き消してくれ。」

尚美がケーキのロウソクを吹き消す。

「尚、おめでとう。」「尚ちゃん、おめでとう。」「リーダー、おめでとう。」「リーダー、おめでとうございます。」

「ミサ先輩、明日夏先輩、由香先輩、亜美先輩、そして、会場のみなさん、本当に有難うございます。思い出に残る最高の誕生日になりました。」

「それじゃあ、亜美、ケーキを切り分けるの手伝ってくれ。」

「由香、了解。」

「ミサ先輩、本当に有難うございます。」

「スタッフさんのためと、あと、尚のご家族の方のためにもケーキを焼いてきたので、帰ったらご家族でどうぞ。」

「有難うございます。うちの家族も喜ぶと思います。」

「ちなみに、ミサちゃんのスタッフさん用のケーキ、こんなに大きい。」

明日夏が手の振りで大きさを示す。

「さすがです。」

由香が言う。

「リーダー、準備ができたぜ。」

「由香先輩、亜美先輩、有難うございます。早速、頂きたいと思います。」

「おう、それじゃあ、みんなで、いただきます、しようぜ。」

「はい。」

「いただきます。」

尚美がケーキを一口食べて、感想を述べる。

「本当に美味しいです。」

「うん、美味しい。ミサちゃんが結婚したら、旦那さんが太りすぎないか心配だよ。」

「美味しいぜ。亜美は気を付けなよ。」

「由香、分かっている。でも、本当に美味しいです。」

「ちなみに、亜美先輩は日本の高校2年生標準よりはスリムです。」

「リーダー有難うございます。でも、この世界だとスタイルの良い方が多いので、仕方がないです。」

ケーキを3分の1ぐらい食べたところで、尚美がライブの進行を再開する。

「本当のサプライズになってしまいましたが、ライブを進めていきたいと思います。ミサ先輩、準備をお願いします。」

「了解。」

「えー、尚ちゃん、まだケーキを食べていたいよ。」

「ミサ先輩の歌を聴きながら食べていてください。」

「ダコール。」

ミサが水を口に含んで、尚美に合図を送る。

「それでは、ミサ先輩、曲紹介をお願いします。」

「今日は私のファーストワンマンライブ『On Your Mark』においでくださり、大変ありがとうございます。この曲は夏のライブのステージでトラブルがあったときに、会場の皆さんが歌って届けてくれた曲です。ふさぎこんでいた私に、本当に大きな力になり、こうしてまたステージに立つことができるようになりました。今日最後の曲、心を込めて歌います。『Bottomless power』。」

無事に『Bottomless power』を歌い終わる。

「有難うございました。『Bottomless power』を歌わせて頂きました。」

「ミサ先輩、パワフルな心がこもった『Bottomless power』、とっても素敵でした。」

明日夏、尚美、亜美、由香、ミサの順番で一列に並び、舞台挨拶を始める。

「それでは、明日夏先輩、お願いします。」

「神田明日夏です。ミサちゃんのワンマンライブ、すごい歌とダンスパフォーマンスで楽しかったです。歌とダンスでは敵わないので、12月31日の私のワンマンライブは笑いだけは負けないように頑張りたいと思います。これからもよろしくお願いします。」

「明日夏ちゃん!」という声がかかる。

「有難うございます。」

「明日夏先輩の場合、そこしか勝負になりませんからね。きっと、楽しいライブになると思います。私は『トリプレット』チアセンターの星野なおみです。今日はミサ先輩の歌をたくさん聞けて、皆さんといっしょに楽しい時間が過ごせました。これからも、こんな時間をいっぱい作っていきたいと思いますので、よろしくお願いします。」

「尚ちゃん!」「尚美ちゃん!」という声がかかった。

「有難うございます。」

「『トリプレット』ボーカルセンターの柴田亜美です。楽しくて勉強になったライブでした。ミサさん、有難うございました。『亜美の歌ってみたチャンネル』を配信しています。是非見て下さいね。よろしくお願いします。」

「亜美ちゃん!」という声がかかる。

「声援ありがとうございます。」

「『トリプレット』ダンスセンターの南由香です。今日はミサさんとダンスができて、楽しかったぜ。亜美のチャンネル、俺もたまに出るんでよろしくな。」

「由香ー」という声がかかる。

「おう、ありがとな!」

ミサが深くお辞儀した恰好のまま動かないでいた。尚美が声をかける。

「ミサ先輩!・・・・・・・ミサ先輩、ずうっと頑張ってきた思いが込み上げてきているんだと思います。でも先輩、もう少しです。頑張りましょう。」

会場からも「ミサちゃん、頑張って!」「頑張れ」の声がかかる。少しして、ミサが顔を上げる。

「有難う、尚。もう大丈夫。」

「あれ、先輩、顔が赤いですけど、実は泣いていたのではなく思い出し笑いですか?」

「ごめんなさい。今日のことを思い出していたら、可笑しくなってきたんだけど、エンディングだから笑っちゃいけないと思って、一生懸命こらえていたの。」

「なるほど。それも頑張ってきた思いには違いないですね。」

会場から笑いが漏れる。

「ごめんなさい。」

「では、締めの続きをお願いします。」

「はい。尚、今日は司会有難う。私だけだったら、こんなに上手にライブを進行させることはできなかったと思う。」

「ミサちゃん、私がいなかったら、普通にちゃんとできたよ。」

「明日夏先輩、自分で言わないで下さい。」

「ふふふふふ。明日夏、いつも私をリラックスさせてくれて、有難う。」

「ちょっと、リラックスさせすぎの時もありますが。」

「私は、みんなといると本当に楽しい。」

「エンターテイメントですから、ミサさんが言う通り楽しいが一番ですね。ミサ先輩、続きをお願いします。」

「はい。由香・・・・・・・・・、いっしょにダンスができて、私も楽しかった。これからもいっしょにダンスしようね。」

「ガッテンです。」

「亜美、いっしょに歌えてたのしかった。また、カラオケをしよう。」

「はい、ミサさんに少しでも近づけるように頑張ります。」

「バンドのみなさん、スタッフのみなさん、本当に有難うございます。無事にライブを開催することができたのは、みなさんのお力があってこそです。深く感謝します。そして、会場に集まって下さった皆さん、今日は楽しんで頂けたでしょうか。何か実は私が一番楽しんでいた感じもしますので、心配なところもあるのですが、少しでも皆さんの明日からの活力になれば、嬉しいです。私も、全米デビューに向かってより一層頑張って、そして、また、こんな楽しいライブを開きたいと思っています。その時には、是非、また私たちの歌を聴きに来てください。よろしくお願いします。今日は本当に有難うございました。」

ミサが中央に来て五人が手をつないでお辞儀をする。

「今日はお越しいただき、本当に、本当に。」「有難うございました。」

手を振る5人を載せた昇降式の舞台が降りて行った。


 ステージの下でミサが尚美に話しかける。

「尚、今日は有難う。おかげ様で、本当に楽しくて素晴らしいワンマンライブになったと思う。」

「ミサさんの場合は、歌だけでも大丈夫だとは思いますが、明日夏さんが加わって、ライブに愉快さも加わりました。」

「ほんとそう。でも、結局、明日夏と川上社長、何でもなかったわね。良かった。大山鳴動してねずみ一匹って感じ。」

「明日夏先輩らしい落ちでした。」

「ほんとに。あと最後に取り繕ってくれて有難う。」

「美香先輩も、豊さんを見つけたぐらいで、赤くならないで下さい。」

「やっぱり、分かっちゃった?由香ーって叫んでいる人をみたら、夏の海で見た写真の人と同じだったから。」

「なるほど。」

「そしたら、次々に写真が思い浮かんで。」

「横から見て、泣いているという感じはしなかったでした。でも、そのことが分かったのは、私だけとは思います。」

「それは良かった。」

「それで、ワンマンのブルーレイが出たとき不自然じゃないように、笑いの方に話しを持っていきましたが、大丈夫でしたか?」

「完璧すぎるぐらい。」

「それは、良かったです。」


 明日夏と久美、由香と亜美と悟が話していたが、5人がミサと尚美のところにやってきた。

「二人で何コソコソ話しているの?」

「明日夏先輩、お疲れ様です。私はもう帰らなくてはいけないので、お礼とお別れを言っていたところです。」

「本当は、尚と誠にも来てほしんだけど、仕方がない。」

「はい、もうそろそろお暇しようと思います。」

「明日夏、美香と歌った『残酷な天使のテーゼ』、すごい良かった。あのぐらい歌えれば、東京の予選大会、歌は2位で通過で来たんじゃないかと思う。」

「僕もそう思った。」

「久美先輩、ヒラっち。今なら1位も可能だと思います。」

「へへへへへ。でも、やっぱりミサちゃんには敵わないかな。」

「そうかな。でも『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』は明日夏の方が可愛さが出てて、良かったと思う。」

「明日夏が、最近いろんな曲を歌って録音していたのは、聴き返してもっと良くしようとしていたということが分かったわ。」

「えっ、はい。」

「久美先輩、最近は本当に明日夏も頑張っています。」

「最初のころは、悟の選択は間違っていたんじゃないかとも思っていたけど。」

「橘さん、酷い。」

「でも、正しかったということね。」

「社長をもっと信じないと。」

「そうね。あと美香の最初の三曲も、悲しい感情がこもっててとっても良かったわよ。」

「そうですか。誠が下の方ばかり見ていて、実際悲しかった。」

「美香先輩、大変申し訳ありません。最初に溝口エイジェンシーの映像送出装置が故障して、その対応を兄と相談していました。」

「えっ、そんなことがあったの?」

「はい、初めは寸劇で対応しようと思ったのですが、写真や映像はあった方がいいと思って、兄と相談して、私のタブレットの画像をカメラで撮影する方針にしていました。」

「そうなんだ。私が歌っている間に、そんなことがあったんだ。」

「結局、明日夏先輩がネジを締め直したら、治ってしまったんですが。」

「ははははは、さすが明日夏。」

「えっ、尚ちゃん、私は何もしていないよ。」

「明日夏先輩、勝手に機械をいじって怒られると思って、嘘を言わないで下さい。」

「うーん、意識がないときに動いたのかな。」

「そうかもしれませんね。でも、兄が言った方法を使って2枚ほど追加で画像を表示して、場を盛り上げることができました。」

「そうだったわね。また誠にお礼をしなくちゃいけないかな。」

「ほっぺたに口づけでいいんじゃない。」

「くっ、くっ、くっ、口づけ!」

「美香、そんなこともできないんじゃ、全米デビューなんて10年早い。」

「なっ、なっ、なっ、何でですか?」

「ミサちゃん、久美がそう言うのは、たぶんアメリカの芸能界だと、ほっぺたにキスが挨拶代わりだったりするからと思うけど。」

「そうか。ヒラっち、有難う。その通りですね。私が全米デビューするのは早すぎたのかもしれないです。」

「ミサさん、そういう理由でですか。」

「だって、亜美は大丈夫なの?」

「はい。全米デビューするならば向こうの文化ですし。でも、私の場合は英語ができないから無理ですけど。」

「やっぱり、全米デビューをするって、ほっぺたにキスできるぐらいの覚悟が必要ということなのか。」

「そうそう、まずは少年で練習しよう。」

「あの、お二人さん、こういう話は尚ちゃんが。」

「あっ、尚、ごめん。私は誠に酷いことは絶対にしないから安心して。」

「はい、そのことは良く分かっています。アメリカ大統領とソ連の書記長もほっぺたにキスしていましたし、兄もアメリカに留学したいという気持ちはあるようですから、私から言うことはありません。」

「そうそう。尚もだんだん兄離れが必要よ。」

「そうだ。ミサちゃん、そういう練習が必要なら、うちの社長とすればいいんだよ。」

「あっ、明日夏ちゃん、何を急に。」

「だって、社長も悪い人ではないし。」

「明日夏ちゃん、安心も大切だけど、こういうことはミサちゃんの気持ちが一番大切だよ。」

「それに、明日夏。ほっぺたと言っても、悟が最初じゃ美香がかわいそうよ。」

「橘さん、酷い。」

「まあ、この話は置いておいて、美香、悲しい歌を歌う時は、またその気持ちを思い出して、歌うといいと思うわよ。」

「悲しいことを、あまり思い出すのは気が進みません。」

「その通りだけど、もっと経験を積めば、悲しいことを思い出さなくても、歌で表現できるようになると思うけど。」

「分かりました。今はそれで頑張ります。」

「ところで、尚ちゃん。洗面器で測るネタは、もしかして、お兄ちゃんが考えたのかな。」

「はい、明日夏先輩の言う通りです。ただ、兄が言った方法は、洗面器をまた水でいっぱいにするときの量を計量カップで計るというものですが。」

「なるほど、それなら百均の計量カップを持っていくだけでできるのか。」

「明日夏さん、本当にやる気ですか。」

「亜美ちゃん、勝負だ。」

「結構です。」

「でも、誠もそういうのに興味があるのかな?」

「ミサちゃん、それはたぶん違うよ。尚ちゃんのお兄ちゃんは、尚ちゃんに尋ねられると、どんな変なことでも答えちゃうんだよ。」

「はい、いろいろなネタに対する答えを相談したりしています。」

「そうか。なるほど。」

「ミサちゃん、がっかりした?」

「何でがっかりするの?」

「いや、そのことに関しては、ミサちゃん、最強だから。」

「勘違いしないで。誠とは音楽仲間だから。でも、男性がそういうことに興味があるのは仕方がないことだから、もし興味があっても、いちいち怒ったりはしないけど。」

「なるほど。」

尚美が時計を見てから言う。

「美香先輩、明日夏先輩、大変申し訳ありませんが。」

「尚、ごめんなさい。引き留めちゃっていたかな。」

「まだ、大丈夫です。私もまだ話していたいのですが。」

「今日も、帰りはお兄ちゃんがいっしょ?」

「はい、渋谷駅で待ち合わせています。」

「そうか。誠を待たせちゃ悪いもんね。それじゃあ、また。」

「美香先輩のライブ、とってもためになりました。あと、プレゼントとケーキも有難うございます。CDは兄に渡して、ケーキは家族で頂きます。」

「それじゃあ、尚ちゃん、・・・・・またね。」

「はい、明日夏先輩も、また。」


 尚美はタクシーで渋谷駅に向かった。

「ミサさん、明日夏さん、俺もこれで失礼します。」

「そう。お疲れ様。」

「由香ちゃん、またねー。」

由香も会場を後にした。

「亜美、由香はもしかして?」

「ミサさんのパーティーには関係者が多数来るので、人的ネットワークのためにも参加した方がいいと言ったのですが。やっぱり、待ち合わせがあるみたいです。」

「そうか。友達よりも、仕事よりも、愛情か・・・・」

「みさちゃん、また赤くなっている。」

「ごめんなさい。それじゃあ、私たちも着替えたら行こうか。」

「ダコール。」「はい。」

「久美先輩とヒラっちは来てくれますよね。父がブランディを用意して待っています。」

「それは楽しみだな。」


 ライブが終わって、誠たち五人は出口に向かった。

「今日は本当に妹の誕生日ですので、申し訳ないですが、これで失礼しようと思います。」

「妹子の誕生日じゃ、しょうがないわね。お疲れ様。それじゃあ、来週の日曜日の『ユナイテッドアローズ』のデビューライブで。」

「有難うございます。」

「しかし、湘南はミサちゃんが焼いた手作りのケーキが食べられるんだよな。」

「でも、あれは僕のためじゃなく、妹の誕生日のために作ったものですから。」

「それは、そうだろうけどさ。」

「やっぱり、オタク仲間として、抜け駆けしているようだからな。」

「パスカルもラッキーも、ミサちゃんと妹子が仲のいい友達なんだから、仕方がないじゃない。」

「そのことは、俺も分かっているんだよ。一口、いや、ひとかけらでもいいから食べたいんだよ。」

「分かりました。僕に割り当てられた分の半分はとっておきます。手作りケーキですので防腐剤が入っていないと思います。今日の夜11時ごろに辻堂まで来てくれるなら差し上げます。ただ、その時間だと電車では品川まで戻るのが精一杯になってしまいますが。」

「ノープロブレム。俺は行く。」

「僕も行くよ。広島には明日の始発で帰るつもりだったし。」

「分かりました。それならば、僕も辻堂駅の改札で待っています。」

「おー、有難う。持つべきものは、湘南だ。」

「その通りだね。湘南君、その代わりもし僕にできることがあったら、何でもするから。」

「それでは、妹たちの宣伝、お願いします。」

「それは言われなくても、頑張るよ。」

「有難うございます。」


 ライブが終わった後、映像送出装置の販売会社のサービスマンが会場にやってきた。

「申し訳ありません。新しいターミナルの通信速度が速くなったため、この映像送出装置のOSのバージョンが古いと、通信デバイス用のOSに含まれるドライバープログラムのメモリー不足で、バッファーがオーバーフローしてしまうようです。機器のOSをバージョンアップすることで直すことができます。」

「よくわかりませんが、分かりました。バージョンアップをお願いします。ライブではとりあえず動いたので助かりましたが。」

「そんなはずないのですが良かったです。ではOSのバージョンアップを行います。」

「お願いします。」

機器のディスプレイを開いたメインテナンス作業員がつぶやいた。

「あれ、ドライバープログラムのソースファイルのタイムスタンプが新しいな。えーと、今日の17時23分か。おっ、バッファーの記憶容量の値が増やしてある。それで動いたのか。ということは、ライブ中に誰かがOSを書き換えたということか。さすが溝口エイジェンシー、すごいスタッフがいるな。」

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