第21話 アニサマ

 8月も終わりに近づき、誠はBLONGのアリアが先輩と言う人とプログラミングに関して、Discord(プログラミングをする人たちが使っているSNS)のチャットで初めての打ち合わせをした。

湘南:こんにちは、アスハさん。僕の名前は湘南と言います

アスハ:こんにちは、湘南君。私はアスハだ

湘南:あの、お名前が春にバイトをしていた担当者の方と同じなのですが

アスハ:そうか、湘南って、どこかで見た名前と思ったら春先のバイトか

湘南:あのときは、お世話になりました

アスハ:無理言っても期限内に仕上げてくれて感謝している。湘南君なら期待できるな

湘南:有難うございます

アスハ:BLONGに属しているということは湘南君は大岡山工業大学なのか

湘南:はいそうです。アスハさんもですか?

アスハ:私はUCLAを去年卒業した

湘南:それはすごいですね

アスハ:まあ大したことはない。コミケでBLONGを知って手伝っている

湘南:そうなんですね。

アスハ:そういうことで、今回も頑張ろう

湘南:分かりました。分からないことがあったら質問してもいいですか

アスハ:もちろん、どんどん聞いてくれ

湘南:有難うございます

アスハ:でも、湘南君は一人称が僕だから男だと思っていたよ。何だ、僕っ子(一人称に僕を使う女性)だったのか

湘南:そうじゃなくて、僕は一応男です

アスハ:へー、そうなのか。BLに興味がある男性は初めてだ

湘南:BLに興味があるわけじゃないんですが

アスハ:それじゃ何でBLONGに所属しているんだ

湘南:いろいろあるんですが、コッコさんの漫画をご存じですか

アスハ:あのバールと平塚の漫画か

湘南:はい、その平塚のモデルが僕なんです

アスハ:なるほど

湘南:それで、アリアさんが、手伝わないと平塚をゲームに出演させるぞと脅すからです

アスハ:何だ、アリアと仲がいいのか

湘南:そういうわけでもないですが、学年と系はいっしょです

アスハ:まあいい。バイトではインターフェースばかりだったけれど、今回は内部の方も手伝ってもらう。何せ二人しかいないんだから

湘南:はい、頑張ります

アスハ:言語エンジンは『タイピングワールド』より高度化させて、言語モデルとしてBERT(トランスフォーマー出力双方向符号化表現)を使う予定だ

湘南:大変そうですが面白そうですね

アスハ:そう言ってくれると嬉しい。システムの基本構成と仕様のドキュメントはGitHub(プログラムや文書を共有するサイト)にアップしてあるから見てくれ。URLを送る

湘南:分かりました

基本構成を観ながら誠が話す

湘南:この緑の部分を作ればいいんですね

アスハ:その通りだ

湘南:僕の部分はなんとかなると思います。アスハさんの部分は僕の3倍以上ありますが、もうある程度作ってあるんですか?

アスハ:いや、これからだ

湘南:分かりました。もし、僕の方が先に終わればお手伝いします。学習データの方は?

アスハ:学習データとイラストはケメとその友人が作っている

湘南:ケメ?

アスハ:北崎研の友達だよ

湘南:北崎研の漫画を描いた方ですか?

アスハ:その通り。まあ、自分の兄にあんな妄想をしているのかと思うと、何だがな

湘南:アスハさんは北崎先生の妹さんなんですね

アスハ:ああ、それでコミケ会場で話がはずんだんだ。まあ、私も人のことは言えないがな

湘南:そうですね

アスハ:厳しいな

湘南:僕も半分被害者ですから

アスハ:それもそうか。だが、私は完全バーチャルだから健全な方だ

湘南:リアルの人で妄想するより、迷惑をかけることは少なさそうですね

アスハ:その通り。それじゃあ、プログラムの作成、期待しているよ

湘南:はい、頑張ります。そしてアスハさんみたいに、全体構成を考えられるようになりたいです。

アスハ:大学2年生だっけ。うーん、大学でいろいろ勉強して卒業してからかな、それは

湘南:分かりました。ドキュメントを読んで、できるだけ急いでプログラム作成にとりかかります

アスハ:頼んだ


 8月も終わりの金曜日、明日夏とミサが出演するアニサマの1日目が開催されていた。由香と亜美が明日夏の応援とステージの勉強をかねてさいたまスーパーアリーナにやって来た。

「今日は応援だけだからつまらないな。」

「由香、独り立ちしたいなら、リーダーに頼ってばかりいないで、ステージでの振舞を勉強をしていかないと。」

「まあ、俺もバックダンスを見て勉強しようと思うけど、明日夏さんのバックダンスでいいから出たかった。」

「私たち、『トリプレット』としてデビューしちゃったからもう無理だよ。明日夏さんと一緒に出演するときなら、できるかもしれないけど。」

「そうだな。仕方がないか。」

「あっ、由香、あれ、あそこにいる男の人がリーダーのお兄さんだよ。」

「どれ?」

「あそこにいる何かを配っている、あまり痩せてはいない男性。ほら、いま何か手渡した。」

「あれか。・・・・何かパッとしねーな。まあ、真面目そうだけどな。」

「由香、分かっていると思うけど、リーダーのお兄さんの悪口は、リーダーが本当に切れるから要注意だよ。」

「そんなこと分かってるよ。」

「それに、私はそんなに悪くないと思うんだけどなー。」

「亜美は、リーダーを信頼しきっているから、リーダーのお兄さんも良く見えるのか。それとも、オタク同士の共感か?」

「まあ、コミケの感じだと、話は合いそうな気はするけど。」

「オタク話か?でも、明日夏さんとミサさんの場合の反応とは逆だな。」

「オタクじゃないミサさんは、リーダーのお兄さん素敵って言っているし。オタクの明日夏さんは、ちょっと無理って感じだし。私の場合、素敵というよりは、話して楽しそうというのと、頼りになりそうという感じかな。」

「それじゃあ、リーダーのイメージがかぶっているだけじゃん。でも、どんなやつか知りたいし、声をかけるというか、挨拶してくるか。」

「うん、そうしよう。」

由香と亜美が誠の方に行って声をかける。

「岩田さん、ちーすっ。」

「こんにちは、リーダーのお兄さん。」

「はい?えっ、あっ。・・・ユニットでは妹がいつも本当にお世話になり、大変ありがとうございます。妹が生き生きとして活動できるのも、お二人のおかげだと思います。これからもよろしくお願いします。」

由香が誠の周りを回って観察しながら言う。

「いや、お兄さん、リーダーにお世話になっているのはこっちだぜ。」

「それに、お兄さんにも、デビュー前のヘルツレコードの面接の受け答えにアドバイスしてくれて、有難うございました。」

「そうだった。そのお礼を言わなくちゃいけなかった。」

「おかげ様で、無事にメジャーのヘルツレコードからデビューできて、自分たちの夢に何歩も近づくことができました。」

「本当にサンキューな。」

「そう言ってもらえると嬉しいですが、デビューできたのは由香さんと亜美さんの実力によるものだと思います。由香さんの軽やかで切れのあるダンスはアイドルのレベルを超えていますし、亜美さんの歌も、高校2年生としては日本最高レベルだと思います。」

「そう言ってもらえると有難い。」

「有難うございます。」

「でも、お兄さん、リーダーの機転は大人でも見たことがないよ。やっぱり、それが合格のキーポイントだった。」

「私もそう思います。」

「妹のことを高く評価してもらって嬉しいです。」

「お兄さんは、今日も明日夏さんの応援に来たんですか。」

「はい、このカードを配って応援の方法が載っているホームページを案内しています。」

「おう、このホームページ知ってるぜ。今日明日夏さんの応援するために、俺たちもここのオタ芸のダンス、覚えてきたんだぜ。」

由香が明日夏の応援のオタ芸を少しやって見せる。

「すっ、すごいですね。やっぱり。」

「サンキューな。席は離れていても、いっしょに明日夏さんを応援しようぜ。」

「はい、有難うございます。でも、僕はチケットが手に入らなかったので、このカードを配ったら、物販でグッズを買って帰る予定です。」

「そうなんですね。お兄さん、ちょうど良かった。」

「亜美、それ、何か危ない客引きみたいだぜ。」

「そんなことないよ。お兄さんにもいい話だよ。春に買ったチケットが余っているんですけれど、定価で買ってもらえませんか。後ろのスタンド席で、あまりいい席とは言えませんが。」

「僕にとっては、とても嬉しいですが。」

「メジャーでこんなに早くデビューできるなんて思わなくて、春にアニサマのチケットを申し込んでいたんです。でも、関係者の席に入ることになって不要になったんですが、本名が書いてあるから、誰でもいいというわけにはいかなくて。」

「僕は大丈夫ですか。」

「はい。リーダーのお兄さんですから、信用しています。」

「そうですか。それではお願いします。チケットに書いてある名前は絶対に誰にも見せないようにします。」

「有難うございます。チケットが無駄にならなくて良かったです。」


 誠の様子が目に入ったパスカルがアキに話しかける。

「湘南のやつ、何かペコペコしながら、若い女の子と話しているけど、何をしているんだ。」

「えっ、あれね。たぶんというか間違いなく、あの二人、由香ちゃんと亜美ちゃん。」

「えっ、『トリプレット』の?向こうから話しかけてきたようだけど。」

「じゃあ、たぶん妹子の兄と分かって挨拶しにきたんだと思う。」

「それはすごいな。でも、由香ちゃんと亜美ちゃんって、本当に仲良さそうだな。」

「そうね。ダンスと歌でバッティングしないし。お互いダンスと歌を教えあいっこしているっていう話だし。」

「背の高い方が由香ちゃんか。でも、やっぱり動きがカッコいいな。」

「湘南の周りを回っているだけだけど、パスカルの言うこと分かる。」

「何を話しているんだろう。」

「湘南はお礼を言ってそうだけど。」

「おっ、あれ、うちらのオタ芸だ。」

「本当だ。ということは、たぶん明日夏さんを応援しに来たのかな。今日の出演はなさそうだし。」

「まあ、シークレットということもあるかもしれないけど。」

「リハーサルは午前からあるから、それはないと思う。あとは、ステージ上の振舞の勉強のためもあるとは思うけど。」

「しかし、うちらが踊るのと、しなやかさとキレが違うな。」

「動きが余裕たっぷりで、本当にプロのダンサーって感じ。」

「手足が長くて細いし。」

「そうね。」


 誠が定価の金額を支払って、亜美からチケットを受け取る。

「でも、お兄さんから見て、明日夏さんのどんなところが良かったんですか?ファンになったきっかけというか。」

「それが良く分からないのですが、初めて歌を聴いた瞬間に、絶対応援しなくてはいけないという思いがこみ上げてきたんです。」

「声が可愛いとかですか?」

「確かに可愛い声をしていますが、正直なところ良く分からないです。」

「もしかして、前世のときファンだったとかじゃないか。」

「はい、そんな感じかもしれないです。こんなことは初めてでした。」

「歌の一目ぼれ、一聴きぼれかな。」

「どうでしょう。いつもハラハラしながら頑張れと思いながら聴いている感じです。大河内さんとか亜美さんの歌は、安心して聴けるんですが。すみません。失礼なことを言ってしまいました。でも、明日夏さんも『トリプレット』の皆さんもうまく行って良かったです。所沢ドームのワンマンライブに向けて頑張って下さい。」

「おう、これからもどんどん行くぜ。」

「ただ、由香さんの場合はスタイルがカッコよくて目立ちますので、何と言いますか、自重すべきところは自重もお願いします。」

「おう、そうだった。リーダーといっしょに、万一の場合の対策を考えてくれているんだっけ。」

「はい、状況に応じて、6つほど対応策をまとめてありますが、使わないに越したことはないです。妹は人の自由を尊重する考えを持っていますので、あまり制約を加えたくないのですが、上手に振舞ってもらえると助かります」

「おう、気を付けるよ。」

「うん、由香は道で声がかかったりするから気を付けようね。」

「亜美、分かったよ。」

「でも、本当にリーダーはみんなを大切にしてくれるので、ぜひ総理大臣になってもらいたいと思っています。」

「それは、そうだな。」

「有難うございます。でも、亜美さんも、自分の安全のために周囲に注意することも必要になると思います。」

「お兄さん、私は背も低いし、目立たないから大丈夫です。池袋を歩いていても周りに溶け込んでいて、誰も気が付かないし。」

「どうでしょう。今では秋葉原では気が付かれても不思議じゃないと思います。」

「でも、お兄さん、コミケでは気が付かなかったじゃないですか。」

「えっ、ということは、やっぱり、あの二人は亜美さんと明日夏さんだったんですね。」

「やっぱり、なんとなくは分かっていたんですね。」

「初めに雰囲気と声でそうかなと思ったんですが、北崎先生の名前が出たので、大学関係者かと思ってしまいました。」

「あの、私のことだったらお話ししてもよいのですが。」

「はい、分かります。個人情報ですから、明日夏さんと北崎先生との関係については秘密で大丈夫です。コミケのことも誰にも言いません。でも、あの漫画を見る5人の友達というのは?」

「大丈夫です。リーダーとミサさんには見せません。ですので3人です。」

「有難うございます。それにしても、亜美さん、コミケには良くいらっしゃるのですか?」

「はい、中学2年から参加しています。今回は『タイピング』の公式物販と『プラズマイレブン』の同人漫画を探しに行きました。」

「『プラズマイレブン』というとショタの漫画ということですか。」

「私は完全にショタというわけでもないのですが。」

「そうですね、いろいろありますよね。僕はコミケは今年が初めての参加だったんですが、活気があって面白そうだったので、次もBLONGでゲームのプログラムを作るのを手伝う予定です。」

「えっ、お兄さんはそのゲームのキャラクターになるんですか。冴えないヒーローの育て方?すみません、本当のお兄さんは冴えていますけれど。」

「違います。僕はプログラム開発を手伝うだけで、登場人物は僕とは関係ないイケメン男性になる予定です。」

「でも、BLはBLなんですね。」

「そっ、そうですね。でも『タイピング』より進んだ人工知能を取り入れる予定です。」

「それはすごいですね。じゃあ、冬コミもBLONGに立ち寄ろうと思います。」

「有難うございます。でも、そのときはマスクをして目立たないようにお願いします。」

「やっぱり、そうですよね。」

「あそこは、オタクが集まりますから、特に必要だと思います。でも、これからテレビ番組に出演するという話しですので、そうなると、どこでも必要になるかもしれません。」

「本当に芸能人になってしまうんですね。」

「プロの歌手ですから知名度が必要で、そうなるとどうしても、そうなってしまいます。」

「はい、それは覚悟のうえで始めましたので大丈夫です。」

「『トリプレット』の場合、海外に行けば羽を伸ばすこともできると思いますが、大河内さんの場合、計画がうまくいくとそれもできなくなるかもしれませんけど。」

「そうか。そうですね。」

「何はともあれ、もし何かありそうでしたら、お二人の場合、何かが起きる前にパラダイス興行の社長さんに相談するのが一番いいと思います。」

「社長に?」

「ははははは、ヒラっちか。頼りないけどな。」

「やらなくてはいけないことは、きちんとやる人だと思います。7月のステージでは、先頭に立って犯人に向かって行きましたし。」

「やっつけたのはリーダーだけどな。そういえば、岩田さんがリーダーにスプレーを投げてくれたんだっけ。」

「でも、社長さんが時間を作ってくれたから、その後のことが上手くいったわけで。」

「まあそうだな。そう言えばリーダーも社長のこと、すごく信用しているみたいだしな。」

「由香、いい人たちに出会えて、私たちがついていたってことだよ。だから2年間は自重しようね。」

「分かってるよ。」

「あの、もちろん社長にも相談しますが、リーダーを通じて、お兄さんにも相談していいですか?リーダーもミサさんも、お兄さんを頼りにしているぐらいだから、すごい人なんじゃないかと思って。」

「すごいということはないですが、僕で力になれることがありましたら何でもしますので言って下さい。」

「有難うございます。」

「俺もよろしく頼むぜ。」

「はい、もちろんです。」

「あの、お兄さん、もう少しお話をしていたいのですが、開演前に楽屋で挨拶をしてきたいので・・・」

「はい、頑張ってきてください。」

「明日夏さんと、ミサさんに何か伝言はありますか?」

「個人的に言うのは、どうかとも思いますが。」

「リーダーのお兄さんだし、大丈夫です。たぶん、二人の力になると思います。」

「分かりました。ミサさんには、橘さんの特訓の成果、楽しみにしています。明日夏さんには、同人誌の内容は100%創作です。5人で練習している成果、期待しています。と伝えて下さい。」

「やっぱり、あの漫画は創作だったんですか。」

「はい。漫画のバールさんのモデルの人は、あそこにいます。」

「本当だ。ちょっと見てこようかな。」

「亜美さん、時間がもったいないですので、もう行かれた方が。」

「岩田さんの言う通り。亜美、もう時間だぜ。」

「分かったよ。それではお兄さん、また、お願いします。」

「またな。」

「はい、またよろしくお願いします。」


 由香と亜美が立ち去った後、誠の元にアキとパスカルがやってきた。

「湘南、今のは由香ちゃんと亜美ちゃんだよね?」

「はい、その通りです。二人に妹のお礼をちゃんと言えて良かったでした。」

「由香ちゃんと亜美ちゃん、どんな感じだった?」

「由香さんはすべての身のこなしが軽いって感じでした。」

「亜美ちゃんは?」

「話した感じは普通に丁寧に話していました。」

「そうなんだ。」

「でも、亜美さんの場合は、やはり歌で勝負していると思います。高校2年生としては日本最高レベルだと思います。」

「そうだよね。」

「あと、ダンスも由香さんと練習しているためか、どんどん上達してきていると思います。」

「可愛さは?私と比べて。」

「可愛さは同じぐらいだと思います。」

「へー、そう思うんだ。素直に受け取っておく。」

「夏休みということもあって、お盆の後から、お客さんの反応をみるために、アキさんのライブにだいだい参加しているんですが、出演者の中ではアキさんが一番可愛かったと思います。」

「有難う。でも、うちの妹に比べれば全然だけど、みたいな感じがしゃくにさわるわね。」

「そんなことはないです。」

「まあ、それは仕方がないか。それはそうと、ライブ、見に来てくれているなら、声をかけてくれれば良かったのに。」

「パスカルさんに、若い男は来るなと言われていますから。でも、新曲、お客さんの評判も良さそうで嬉しかったでした。」

「うん、評判は良かった。特典会でもみんなほめてくれている。あの曲、私に合っていると思う。」

「おう、それは言える。アキちゃん、無理なくノリノリで歌えているから、お客さんの反応がすごくいい。」

「良かったです。」

「でも、前に聞いたミサちゃんの反応と、由香ちゃん、亜美ちゃんの反応を比べると、ミサちゃんは奇麗さでも別格ということ?」

「そうですね。す、大河内さんは、見た感じがちょっと人間離れしています。」

「えっ、湘南。もしかすると、ミサちゃんを近くで見たことがあるということか?」

「あっ、はい。妹といっしょですが。」

「何だそれ。羨ましいな。」

「その時、少しだけ話したんですが、歌にすごく一途な人ですから、ファンの方は変なことを言ったりしないで欲しいと思いました。」

「テレビでの会話でもそんな感じがするから、それは分かっている。それでも、湘南はやっぱりミサちゃんのファンにはならないのか?」

「妹が大河内さんに歌を教わっていて、すごく丁寧に教えてくれるということで、とても感謝はしています。」

「妹子、ミサちゃんに歌を教わったりするんだ。」

「はい、週に2回ぐらい、大河内さん、明日夏さん、『トリプレット』の5人で歌やダンスの練習をしているそうです。」

「はあ、差は開く一方か。」

「アキさん、こちらはこちらで、できることをしましょう。」

「もちろん、分かっているけどさ・・・・。」

「で、ファンにならないのは?」

「大河内さんに、ファンになるなって言われているからです。」

「おい、湘南、貴様、何をやった。」

「何もしていないです。僕が明日夏さんの副TOだからじゃないでしょうか。」

「そうか。前に友達の彼氏がミサちゃんを一方的に好きになって、彼氏を取られたと勘違いした友達がミサちゃんを嫌ったとかはありそう。」

「確かに、ミサちゃんならありうるな。」

「ミサちゃんは、明日夏ちゃんとずうっと仲良しでいたいんだね。」

「そうだな。でも、湘南、ミサちゃんに、お前なんか興味ないと言われていることになるな。」

「それは、明日夏さんも大河内さんも、僕に個人的興味はないと思います。」

「そりゃあそうだ。俺もだろうけど。ははははは。」

「ですので、今は『トリプレット』と明日夏さんを応援しようと思っています。」

「まあ、本人に言われちゃ、仕方がないな。」

「はい。」

「私はパスカルと湘南に興味があるわよ。」

「アキちゃん、フォロー、サンキューな。」

「でも、コッコはもっと二人に興味があるけどね。」

「それは意味が違うだろう。湘南、ちょっとこっちに来て。」

「何ですか?」

パスカルが誠の肩を抱いて見つめる。

「平塚・・・・コッコちゃんが興味あるのは、こんな感じか。」

「もう、パスカルさんは・・・・・・・・。バールさん。」

アキがスマフォで写真を撮影した。

「あっ。アキさんが写真を撮っている。」

「コッコに送ってやろう。」

「アキちゃん、コッコちゃんだけだよ。」

「分かっている。そう書いておく。」

「まあいいですけど。パスカルさんが油断しすぎなんです。」

「ははははは。お前もな。」

「それもそうですね。」

「あれ、入場列が動き出しているわよ。」

「そうだな。開場時間になったな。」

「湘南、悪いけど・・・・。」

「大丈夫です。亜美さんから定価でチケットを譲ってもらえました。」

「それはすごいわね。」

「デビューが決まる前に予約して、今日は関係者席に入るのでいらなくなったそうです。本名が書いてあるので、チケットは見せられないんですが。」

「そうか、何か手渡しているように見えたのはチケットか。でも、湘南、ついているな。」

「がんばった人へのご褒美だわね。」

「そうだといいです。」

「それじゃ、行くわよ。」

「おう。」

「はい。」


 由香と亜美が明日夏の楽屋に向かった。

「おっと、明日夏さんの楽屋はここだな。」

「だいぶ端の方ですね。」

「まあ、入ろうや。」

「明日夏さん、いるかな。」

由香が扉を開ける。

「あー、由香ちゃん、亜美ちゃん、いらっしゃい。」

「由香、亜美、こんにちは。お邪魔しています。」

「明日夏さん、ミサさん、ちーす。」

「明日夏さん、ミサさん、こんにちはです。今日はステージの勉強に来ました。」

「尚ちゃんは?」

ミサが答える。

「尚、今日は、うちの社長に呼ばれて、溝口エイジェンシーに行っていると思う。」

「へー、そうなんだ。」

「ヘルツレコードの人も来て、所沢ドームでのワンマンライブのことを話し合うみたい。溝口マネージャーも今日はそっちみたい。」

「ミサちゃん、マネージャーさんが代わるの?。」

「うん、裏では動いてくれるみたいだけど、マネージャーは英語が得意なナンシーが担当になった。」

「ナンシー、英語が得意そうな名前だね。」

「溝口マネージャーは、『ハートリングス』のマネージャーと、『トリプレット』のワンマンライブの支援をするっていう話し。」

「そうなんだ。でも、尚ちゃんの話、社長は行かなくていいんですか。」

「まあ、『トリプレット』のプロモーションは基本ヘルツレコードの担当だから。ワンマンライブはヘルツさんから溝口エイジェンシーさんに協力をお願いした形になっている。」

「そうなんですか。でも尚ちゃん、何か溝口エイジェンシー所属みたいになっちゃいますね。」

「大丈夫。その辺りはうまくやるつもり。」

「さすが、ヒラっちょ。」

「誉めてもらったと思っておくよ。」

ミサが人差し指を1本出しながら小声で話す。

「でも、うちの社長は、尚がうちに移籍するなら、パラダイスにこれぐらい出すと言っているそうです。」

久美が答える。

「100万円か。それだけあったら、練習室の機器を新品にできるわね。」

悟が答える。

「おいおい、久美、100万円ということはないだろう。一桁違うよ。」

「一桁、1000万円の方?でも、尚には全然お金がかかっていないわよ。ダンスのレッスン代3か月分ぐらい。あとは、みんなヘルツレコードが出してくれているし。」

「それはそうだけど。1000万円ぐらいが相場だと思う。でも、それだけあれば、久美の再デビューも楽にできる。」

「尚を売ったお金で再デビューしたいなんて全然思わないわよ。」

「久美なら、そう言うと思った。」

「悟もそんなことはしないよね。」

「そうだね。僕も、尚ちゃんがつぶれないためにも、高校卒業まではうちにいて、余裕を持って取り組んだ方がいいと思う。」

「あの、久美先輩、ヒラっち、言葉をはさむようですが、もう一桁違います。1億円です。」

「えっ、ミサちゃん、本当にですか。」

「だって、ヒラっち、春に計画しているワンマンは、フルに入らなくても、関連グッズまで含めて2億円の売り上げを見込んでいるそうですから。」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「ヒラっちが頑張れば、1億円から引き上げることもできると思いますよ。」

「でも、尚ちゃんを売ったりはしないよなー、久美。」

「うん、しないしない。」

「もちろん、尚ちゃんたちのためになると言うなら考えるけど。久美もそうだよな。」

「その通り。」

「はは・・・ははははは。」

「社長、苦しそうだな。」

「でも、さすが社長さんです。」

「亜美ちゃん、有難う。」

「リーダーのお兄さんも言っていました。社長はやらなくてはいけないことは、きちんとやる人だから、何かありそうだったら、すぐに社長に相談しなさいって。」

「おう、そう言ってた、そう言ってた。」

「へー、さすがは尚ちゃんのお兄さんというところかな。でも、その通りだよ。」

「ミサさんの事件の時も、リーダーばかりが注目されるけど、最初に社長さんが立ち向かったから、リーダーの行動が生きたって。」

「そう言ってもらえるなら、打撲したかいもあったよ。」

「そうか、誠の言う通りです。ヒラっちにもお礼をしないと。何か欲しいものとかありませんか。何でもいいですよ。」

「いや、ミサちゃんが元気に歌ってくれるならそれでいいよ。」

「でも・・・・」

「うちの子たちへの歌の指導してもらっているし。それで十分です。」

「そうだ。それじゃ美香、『Undefeated』を歌って吹き込んでくれる?」

「そんなことでよければすぐにやりますが、それは久美先輩に僭越な気がします。」

「ううん、美香は私が19のときよりは上手だし、ジュンが作曲した『Undefeated』が歌い継がれていると知ったらジュンが喜ぶと思うの。だから、美香が歌ったCDを次の命日にお供えしようと思って。」

「分かりました。次回の練習の時に録音しましょう。」

「有難う。」

「僕は初めてだ。ミサちゃんの『Undefeated』を聴くの。楽しみだな。」

「橘さんも歌いましょうよ。天使の『Undefeated』と悪魔の『Undefeated』の対決、また聴きたいです。」

「明日夏!まあ、いいけど。じゃあ、次回は『Undefeated』を練習してから、録音をしましょう。」

「はい、よろしくお願いします。」

「ミサさん、私も聴かせて下さい。」

「亜美、もちろんいいよ。」

「有難うございます。」

「でも、亜美、ヒラっちの話、いつ誠から聞いたの?」

「そうそう、それとも尚ちゃんから聞いたの?」

「ちょうど今、このホールの入り口で会った時です。リーダーのお兄さん、明日夏さんの応援のためのカードを配っていたので、由香といっしょに挨拶してきました。」

「そうなんだ。」

「ついでに春に申し込んだ今日のチケットを買ってもらって助かりました。」

「リーダーの兄貴、今日のチケットを持っていなかったんで、カードを配ったら物販に寄って帰るつもりだったって。」

「たぶん尚ちゃんからの関係者席は断ったんだろうね。でも入れて良かったよ。」

「そう言えば、そのとき、明日夏さんとミサさんへの言付けを聞いてきました。」

「おう、最初遠慮していたけど、亜美が強引に聞き出した。」

「へー、誠が何て?」

「ミサさんには、橘さんの特訓の成果を楽しみにしていますで、明日夏さんは、同人誌の内容は100%創作です。5人での練習の成果を期待しています、です。」

「うん、橘さんとの練習で『FLY!FLY!FLY!』は、前よりずっと良くなっていると思うから、誠に聴いて欲しかったんだ。今日は2曲だけだけど、誠が期待していてくれているなら、気合を入れて頑張らないと。」

「なんとなくだけど、ミサちゃんと私で微妙に表現が違うのが気になる。」

「ミサさんの歌は安心して聴けるけど、明日夏さんの歌はいつもハラハラしながら聴いているみたいです。」

「なるほど、ハラハラしながら聴いているのか。でも、コミケで同人誌を買ったの、尚ちゃんのお兄ちゃんにバレていたんだ。」

「確信はなかったみたいですが。」

「亜美がばらした。」

「亜美ちゃん!」

「お兄さんしかいなかったし、秘密にするって言っていましたから、大丈夫ですよ。」

「そうだけどさ。」

「明日夏、何?コミケって?」

「えーと、コミケはコミックマーケットと言って、いろんな人がオタクっぽい漫画や本を書いたり、グッズを作ったりして、販売しているところ。」

「そこで、明日夏さんの女性のファンの方が、明日夏さんの男性ファンの方をモデルにした漫画を描いて売っていたから、買ってきたんです。」

「もしかすると、コッコさん?」

「作者のところにはコッコと書いてあったけど、何でミサちゃんが名前を知っているの?」

「尚が言ってたの、アキさんとコッコさんには気を付けないとって。」

「なるほど。あの内容を描くようなら確かにそうだ。」

「でも、コッコさん、明日夏のイラストも描いているけど、上手だったよ。今度、その漫画も見せてくれる?」

「うーん、ミサちゃんにはあと10年したら見せてあげるよ。」

「何で?」

「18禁だから。」

「あの、ミサさん、男性同士が裸で抱き合う場面とかありますから、ミサさんはまだ止めておいた方がいいと思います。」

「そっ、そうか。分かった。」

「それにしても、リーダーのお兄さん、コミケでもそうでしたけど、女の子の押しに弱そうですよね。リーダーが心配するのが良く分かりました。」

「うん、私も尚が心配するのが良く分かる。」

「まあ、亜美に押されるぐらいだからな。」

「いや、本当に困ったもんだよ。尚ちゃんのお兄ちゃんには。」

「明日夏、困ったもんって。」

「何と言うか、尚ちゃんに心配をかけないでということ。」

「でも、明日夏さんを推す理由は、初めて歌を聞いた瞬間に、応援しなくっちゃって強く思ったそうです。」

「おう、そう言っていたな。」

「もしかすると、前世でも歌手とファンだったのかもしれませんね、と聞いたら、そんな感じかもと言っていました。」

「前世ねえ・・・・寝ぼけて夢でも見ているのかな、尚ちゃんのお兄ちゃん。」

「明日夏、自分のファンにそういうことを言う?」

「明日夏さん、酷い。」

「それ、あんまり聞かないパターンだな。」

「そう言えば、そうね。」

「あはははは。」

そのとき、ミサのスマフォに連絡が入った。

「ごめんなさい。まだ話していたいんだけど、私、もう戻らないと。」

「じゃあ、ライブが終わったら、また会わない?」

「分かった。そうしよう。」

「でも、明日夏。尚ちゃんのお兄さん、本当にいい人だから、あんまり変なこと言っちゃだめだよ。」

「尚ちゃんのお兄ちゃんだし、それは分かっているって。」

「ならいいけど。それじゃあ、またね。」

「ミサちゃん、僕もデスデーモンズのところに戻るので、ミサちゃんの楽屋まで送っていきます。」

「有難うございます。それなら、私もデスデーモンズの皆さんに挨拶してから戻ります。」

「ミサちゃん、今日はすっカーズだよ。でもミサちゃんが訪ねてきて、緊張が増さないといいけれど。」

「そのときは、またヒラっちのウクレレが聴けますね。」

「ミサちゃん、冷やかさないでください。さすがに今日は大丈夫だと思います。とりあえず行きましょう。」

「はい。」

ミサと悟が出て行った。

「じゃあ、俺たちも客席で聴いています。」

「終わったら、また来ます。」

「じゃあ、由香ちゃん、亜美ちゃん、またね。」

「じゃあ、また。」

由香と亜美も部屋を出て行った。

「橘さん、社長とミサちゃんが一緒に行っちゃいましたが、心配じゃないですか。」

「何が?」

「社長をミサちゃんに取られちゃうかもしれませんよ。」

「ははははは、そんなことになったら、悟を精一杯お祝いしてあげるわ。でも美香にそんな気はないわよ。」

「そうですか。」

「美香は少年に惹かれていっている感じ。明日夏の方が少年を取られちゃうわよ。」

「私は別に構わないですが、ミサちゃん、今、大事な時期なのに。」

「美香は大丈夫。少年も。そんなことより、明日夏は、今日も自分の歌の良さを出すことに集中しなさい。」

「はい、アニサマに出演することは子供のころからの夢でしたから、もちろん今日は思いっきり頑張ります。」

「うん、その意気よ。」


 ちょうどそのころ、尚美は溝口エイジェンシーの応接室で、4月に開催される予定の『トリプレット』のファーストワンマンライブに向けての打ち合わせを始めるところだった。尚美の他の出席者は、溝口エイジェンシーの溝口社長、溝口マネージャー、ヘルツレコード第二事業部の森永本部長、高田広報課長、『トリプレット』担当の蒲田である。尚美が挨拶する。

「溝口社長、森本本部長、『トリプレット』のワンマンライブの件では大変お世話になります。」

「いや、『アイドルライン』のために所沢ドームを二日間取ってあったのを何とかしなくちゃいけなかったから、その一日を『トリプレット』に使えるのでちょうどよかったよ。」

「はい、ワンマンライブの成功に向けて精一杯がんばります。」

「期待しているよ。あと、星野君、大河内君の件もお礼を言っておかないと。君の言った通り、前よりもっと生き生きとして頑張っているよ。」

「はい、美香先輩は現在、ワンマンライブと全米デビューに向けて、ほとんど休みもないのに、すごく前向きに取り組んでいます。」

「溝口社長、大河内さんの件というのは。」

「ボイストレーナーの件で、星野君に世話になったんだ。」

「そうなんですね。星野さん、有難う。うちのみんなが、大河内さんは今までの枠を越えた世界的な歌手にしたいと頑張っているところなんです。」

「私も、美香先輩にはその素質があると思います。」

「それに、『トリプレット』の活躍も担当から聞いている。本当にあちこちから聞いているよ。滑り出し順調というところだね。」

「はい、有難うございます。ここからが勝負だと思っています。」

「えーと、高田さんは星野さんと初対面かな。」

「はい、その通りです。こんにちは、ヘルツレコード第2事業本部広報課長の高田です。噂は蒲田さんから聞いています。」

「こんにちは、『トリプレット』の星野なおみです。今後ともよろしくお願いします。」

「あと、蒲田さんは溝口社長にご挨拶を。」

「ヘルツレコード第2事業本部のアーティストマネジメント課『トリプレット』担当の蒲田です。溝口マネージャーにはいろいろなことを教えて頂き大変感謝しています。」

「はい、よろしく。それでは、星野君、大河内君から聞いているという話だが、『トリプレット』のワンマンライブは、君のところだとマネジメントが無理と言うことで、ヘルツレコードの第2事業部とうちで開催することになった。」

「はい、美香先輩から聞いています。ワクワクする話だと思います。」

「それで、今日、来てもらったのは、春の所沢ドームでのワンマンライブに向けたプロモーションについて確認するためだ。」

「分かりました。ワンマンライブの内容でなくて、その前のプロモーションの話ですね。」

「その通り。ライブの内容は様子を見て、もう少ししてから決めようと思う。」

「分かりました。『ハートリングス』と共演という話も聞いていましたが、プロモーションでも共演をするのですか?」

「それは今のところ考えていない。『トリプレット』、特に、星野君のプロモーションを中心に考えていくつもりだ。」

「とすると、歌番組は『トリプレット』、バラエティーやクイズ番組は私が個人で出演することが多いということでしょうか。」

「あー、説明する必要もないか。その通りだ。」

「CMなどのコンペの計画は。」

「もう、3社ほど好感触が得られている。今度、面接に行ってもらおうと思っている。」

「分かりました。その会社に関して調べておこうと思いますので、会社名や商品名などが分かりましたら連絡して下さい。」

溝口社長が溝口マネージャーの方を向いて尋ねる。

「分かるか?」

「はい、星野さん、なるべく急いで資料を送ります。」

「有難うございます。」

森永が今のやりとりを感心して感想を述べる。

「それにしても、星野さんは、このメンバーの中でも堂々と話していて、立派だね。」

「それは、森永さんの言う通りだね。中学生でこれだけ頭が回る子は初めてだ。」

「お褒めいただき、有難うございます。」

「星野君、さすが、首相を目指すだけのことはあるね。」

「はい。でも、アメリカやロシアの大統領、中国の国家主席と会談する日本の総理に比べれば、気が楽なのではないかと思います。」

「ははははは。上手いことをいいますね。そのときのための練習ですか。」

「それなら、森永さんがアメリカ大統領で、私がロシア大統領というところか。」

「喧嘩はしませんけどね。」

「本当の米ロもそうあって欲しいよ。」

「その通りですね。」

「話を戻そう。それで、今はスケジュールの大筋を決めることが必要だ。」

「はい、細かい話しは、溝口マネージャーと蒲田さんと詰めていこうと思います。」

「そうなるな。」

「基本的には、柴田と私に関しては、学校の正規の時間以外、南に関しては全部の時間をプロモーションのために優先させる予定です。」

「分かった。南君には単独でダンスのイベントや番組に出演してもらう予定だ。」

「そうですか。それは、とても南が喜ぶと思います。」

「柴田君はとりあえず『トリプレット』としての出演が中心となる。」

「分かりました。柴田に関しては、蒲田さんにはお話ししてあるのですが、柴田は歌が一番の売りですので、動画配信サイトで『亜美の歌ってみた』というチャンネルを開設して、ヘルツレコードやその前身の名曲のカバーを配信する計画を進めています。」

「それは、いいね。是非、進めてくれたまえ。」

「蒲田さん、あとで柴田さんの動画配信サイトの詳細を教えて下さい。」

「はい、分かりました。」

この後、『トリプレット』や個々のメンバーのプロモーションの内容やスケージュールの概要を決めるための話し合いを続け、それらが決まったところで会議は終了した。

「それでは、星野君、今日は有難う。僕は森永さんとこれから『ハートリングス』の打ち合わせをするので、今日はここまでかな。」

「承知しました。今日は貴重なお時間を割いていただいて、本当にありがとうございました。最後にお願いなのですが、病気や怪我など、今後起こるかもしれない様々なトラブルを想定して、その対応策をまとめた文書を持ってきました。できれば、保存しておいて下さればと思います。」

尚美が溝口と森永に『トリプレット リスクマネジメント 202x年8月』と書かれたラベルが貼ってあるUSBメモリーを渡す。

「星野君、とりあえず持っておけばいいんだね。」

「はい、溝口社長、おっしゃる通りです。あくまでもリスクマネジメントのためで、現状では見る必要もないのですが、万一のために用意しましたので、私たちのワンマンライブが終わるまでお持ち下さい。」

「分かった。今日は有意義な打ち合わせができたよ。」

「有難うございます。今日決まったことはメンバーには責任を持って伝え、実施します。」

「それじゃあ、星野さん、次は、えーと、大河内さんのワンマンライブですね。楽しみにしています。」

「はい、ライブの司会と、美香先輩・『トリプレット』のコラボレーションのパフォーマンス、期待してください。」

「そうだね、大河内君がロック以外を歌うというのは、星野君たちのいい影響だね。厄介をかけると思うが、今後もよろしく頼むよ。」

「厄介だなんて。美香先輩はすごい才能がある方ですし、美香先輩に関しても全力をつくします。それでは、溝口社長、森永事業部長、森口マネージャー、高田課長、失礼いたします。」

「蒲田さんもここまでで大丈夫です。」

「はい、皆様、失礼致します。」

尚美と蒲田と応接室の入り口で一礼した後、会議室を後にした。部屋を出た後、蒲田が尚美に話しかける。

「溝口社長と溝口マネージャーがいっしょなんて、すごい緊張した。」

「別に核ミサイルのボタンを持っているわけではないですから、緊張する必要はないと思いますよ。筋が分からない方々でもありませんし。」

「ははははは、やっぱり、星野さんは大物ですね。スケジュール詳細を決めなくてはいけませんので、なるべく急いで三人の外せない時間を連絡して下さい。」

「はい、明日中にはお送りしようと思います。」

部屋に残った溝口社長が森永に尋ねる。

「星野君が行ったところで、星野君の事務所、パラダイス興行の神田明日夏のことで、おたくの社長と悪い噂を耳にしたんだが、大丈夫かね。」

「悪い噂というのは、神田とうちの社長が特別な関係にあるということですか。うちの社長に限って、そういうことはないとは思いますが。」

「そうだろうけど、若さは魅力だからね。」

「そうですね。社長が神田さんを強く推したことが、採用の決め手になったことは事実です。ただ、私個人としても神田は実力的にも問題はないと思っています。」

「溝口社長、森永さん、私も噂を聞いたことがあるのは確かです。ただ、私も神田は固定客を増やしていますし、商業的にも問題はないと思います。それに、まだ19歳ですので、これから売り上げも伸びることを期待しています。」

「高田君はそんな噂を聞いたことがあるの?」

「はい、採用の時の社長の強い推薦から来た憶測で、根拠はないと思います。」

「まあ、お宅の社長さんの力ならば、何かがあってももみ消せるだろうから、それはいいんだが、うちの大河内が神田君とかなり仲が良いようなんで、単に大河内への精神的な影響が気がかりなだけなんだよ。」

「承知しました。大河内さんはこちらでも非常に大切な若手ですので、注意してウォッチするようにします。」

「ああ、そうしてくれたまえ。」

「それでは、『ハートリングス』のプロモーションの議題に移りたいと思いますが、溝口社長、よろしいでしょうか。」

「承知した。」


 アニサマが開演した。アニサマはアニソンの大きなライブとしては一番歴史があり、現在でも最大のライブであり、そのステージでは今ホットで人気のある歌手や声優の他、レジェンドとなった歌手や声優がパフォーマンスを披露する。そのため、初出演の演者は1、2曲、トリの歌手でも4曲と歌う曲数が少な目であるが、多数の歌手や声優が入れ替わり立ち替わり出演する。そして、他ではめったに見られない歌手や声優のコラボレーションも売り物である。明日夏とミサは今回は初出演であり、コラボはなく、明日夏は前半の出演で1曲、ミサは後半の出演で2曲の持ち歌を歌う。アニサマは順調に進行して、次の次が明日夏の出番となっていた。由香と亜美が関係者のための客席でステージを見ていた。

「亜美、このコラボの次ぎだよな、明日夏さんの出番は。」

「でも、由香は恥ずかしくない?ここでオタ芸をして。」

「全然。俺は体で表現してなんぼだからな。」

「まあね。同じ事務所だから大丈夫だろうけど。」

「由香、亜美、こんにちは。」

「ミサさん、チィーす。」

「ミサさん、こんにちは。明日夏さんの応援ですか?」

「うん。私、後半の出演だから。」

「俺たち、明日夏さんの応援のダンス練習してきたんで、ここで踊るつもりなんですが。」

「大丈夫。私も覚えてきたから。」

「おっ、じゃあ、またダンスでコラボができますね。」

「由香、ダンスというよりオタ芸だけどね。でも、ミサさんはロックシンガーのイメージとして大丈夫ですか?」

「由香と亜美がいれば大丈夫だと思うよ。」

「亜美、ミサさんならば大丈夫だろう。すごい奇麗な人がボロボロの服を着ると、そのボロボロの服が高級品に見えるってやつさ。」

「ボロボロの服のミサさん。うーん、そうか、由香の言うこと何となくわかる。それじゃあ、3人で明日夏さんの応援頑張りましょう。」

「うん、いっしょに頑張ろう。」

「とすると、センターは、ミサさん、お願いします。」

「ううん、たぶん、センターは亜美の方がいいと思う。」

「亜美がセンター・・・おう、なるほど。ミサさんの言う通りだ。」

「私がセンターなの・・・。みんなに見られないといいけど。」

「大丈夫だって。」

「分かった。」

「おっ、コラボが始まったぜ。」

「・・・・・・・・。」

「なんか、このコラボ酷くないか。俺より下手だぞ。」

「さっき、一人で歌ったときは上手だったのに。」

「その通りです。私は昔から知っていますが、中堅とベテランのアニソンアーティストで、二人とも歌は上手な方だと思います。」

「そうだよね。これがコラボの難しさかな。」

「俺たち、この前のコラボは、海で練習してきて良かったぜ。」

「私のワンマンでもコラボはちゃんと練習しておかないと、誠にハラハラすると言われちゃいそう。」

「私たちは毎週2回は練習していますから、その中で時間を取って練習すれば大丈夫です。」

「亜美の言う通り。安心した。有難う。」

「おっ、コラボが終わったぜ。」

「次は明日夏さんだな。」

「うん。」

 明日夏が出演する番になった。ステージが暗くなり、すっカーズを乗せた移動舞台がステージ左に出てくる中、正面スクリーンにアニメ『タイピング』の登場人物の恵梨香と直人による寸劇が映された。明日夏も暗いステージ上を歩き、中央に立ったところで、明日夏に向けてスポットライトが灯った。

「こんにちは、神田明日夏です。恵梨香先輩と直人に声援を送られて登場できるなんて、さすがアニサマです。私は今年の1月にデビューしました。アニソンが大好きでアニサマに出演することはずうっと私の夢でした。去年は3日通しで客席でアニサマに参加していました。それが、今日、自分がこのステージの上に立てて、本当に幸せを感じています。私の歌は安心して聴けないという声もありますが、これからも頑張って練習して、もっともっとアニメの世界観を表現できるようになっていきたいと思います。ですので、応援、よろしくね。それでは歌います。私のデビュー曲、アニメ『タイピング』主題歌、『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』」

 アニサマへの出演は、明日夏の嘘偽りのない子供のころからの夢だったため、多少緊張はしていたが、歌いなれた『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』をしっかりと歌っていた。会場では20名以上のファンが、誠たちのホームページにあったオタ芸を踊っていたが、明日夏には会場を見る余裕はなかった。誠は「この曲はもう大丈夫。」と安心して、明日夏の歌を聴いていた。それでも、観客の反応が気になって周りを見ていた。ミサは観客席でオタ芸を踊っている人を、自分も踊りながら見渡していた。明日夏は、歌い終わると、

「有難うございました。神田明日夏でした。」

とだけ言い残して、舞台袖に下がって行った。ミサは前半が終わるまで、由香と亜美のところにいたが、休憩時間になると自分の出演のために楽屋に戻って行った。逆に、明日夏と久美が由香と亜美のところにやってきた。

「由香ちゃん、亜美ちゃん、こんにちは。」

「明日夏さん、お疲れ。」

「明日夏さん、お疲れ様です。」

「いやー、さすがアニサマ、独特の熱気で緊張したよ。」

「こっちからは、いつもの明日夏さんにしか見えませんでしたぜ。」

「明日夏さんは、緊張しても、緊張したように見えない顔なのかも。」

「亜美ちゃん、酷い。」

「明日夏さん、ミサさんと3人で応援のオタ芸を踊ったんですが、見えましたか。」

「ごめん、見えなかった。」

「まあ、ここは大きいから仕方がないかな。」

「来年は、私たちも出演して、ミサさんを含めて5人でコラボをやりたいと思いました。」

「本当だね。そのためには、来年も出れるように私が一番頑張らないと。」

「明日夏さんの場合、オタク枠で出れるかもしれません。」

「なるほど。その線もあるか。」

「真に受けないでください。」

「はーい。」

 後半の部が始まり、3人目のミサの番となった。ミサがステージに設置された階段の上に現れて、

「ミュージックスタート!」

と叫ぶと、アニサマバンドによる演奏が始まり、ミサが『Fly!Fly!Fly!』を歌い始めた。明日夏たち、誠たちはペンライトを振って応援した。誠は「また一段レベルが上がったみたいだ。」と思いミサの方を見ながら聴いていた。ミサが歌い終わりMCを始める。

「みなさんこんにちは、大河内ミサです。ただ今お届けした曲は、アニメ『フロントベース』の主題歌、そして私のデビュー曲『Fly!Fly!Fly!』です。応援ありがとうございます。今回、アニサマに初めて出場させて頂きました。本当に独特な熱気を感じる声援で、今まで経験した中では最強の声援だったと思います。本当に本当に有難うございます。アニサマと言えば、前半に出演した友達の明日夏にお兄さんがいるのですが、会ってみたいと言ったら、私が兄様殺しになったらいやだから会わせてくれないそうです。えーと、お兄さんの兄、何々様の様と書いて兄様です。ですので、まだ、明日夏のお兄さんには会ったことがないです。ですが、兄様殺しになったりしませんので、お兄さんがいらっしゃる方も安心して、私の歌を聞いてください。あと、今みんなが応援してくれたから、私がアニサマ殺しにならなくて良かったです。このアニサマは、今日のライブのアニサマです。うーん、ちょっと滑っちゃったかな。ごめんなさい。私は歌ってみなさんに喜んでもらうことが大好きです。これからも、一昨日発表したワンマンライブをはじめ、どんどんライブで歌っていこうと思っていますので、私の歌を聴きたいという方は、是非聴きに来てください。よろしくお願いします。それでは、次が最後の曲になります。」

最大級の大きさの「えー」という声が響き渡る。

「『Bottomless Power』。」

ミサがを歌い、歌い終わると

「有難うございました。大河内ミサでした。」

手を振りながら舞台袖に下がっていった。ミサは、自分の楽屋に戻った後、明日夏の楽屋に向かった。明日夏もミサの出演が終わると、由香と亜美のところから自分の楽屋に戻って行った。

「久美先輩、明日夏、こんにちは。また来ちゃいました。」

「お疲れ様。大歓迎だからいつでも来て。」

「ミサちゃん、お疲れ。由香ちゃんや亜美ちゃんといっしょにミサちゃんの歌、聴いてたよ。そうだ、お菓子持ってきたから食べよう。」

「うん。私も持ってきたんだよ。」

「何?・・・・おっ、ホールケーキだ。美味しそう。」

「ナイフも持ってきたから、どうぞ好きなだけ召し上がれ。」

「そんなことを言うと、明日夏だと、丸一個食べちゃうかも。」

「さすがに私もプロの歌手だしそんなことはしないよ。社長、由香ちゃん、亜美ちゃん、デスデーモンズの分はちゃんと残しておくよ。」

「へー、明日夏も、分別がついてきたのね。」

「明日夏の口に合うといいんだけど。久美先輩もどうぞ。」

「いただきます。」

「有難う。じゃあ、せっかくだから頂くわね。」

「久美先輩、私の歌、聴いてもらえました?」

「もちろん。明日夏たちと一緒に関係者席で。美香、前よりずっと歌に気持ちが乗っていて、気持ちよかったわよ。」

「有難うございます。私の『Fly!Fly!Fly!』も、ジェット機になれたでしょうか?」

「ジェット機?」

「夏の海で久美先輩が言ったんです。私の『Fly!Fly!Fly!』はプロペラ機だって。」

「私がそんなこと言ったの?ごめんなさい。うん、でも、前がプロペラ機だとすれば、今の歌はジェット機だった。」

「有難うございます。」

「それじゃ次の目標はロケットだね、ミサちゃん。」

「ロケット!分かった、頑張る。明日夏も、今日聴いた歌声、すごく安定していたよ。」

「有難う。ミサちゃんと橘さんのおかげだよ。」

「この曲は、誠もハラハラしないで聴けるようになったんじゃないかな。」

「美香、明日夏の歌、ハラハラで済むだけ、最初のころよりはずっといいわよ。」

「橘さん。以前はハラハラなんていうものじゃなかったということですか。」

「バラバラ?めちゃくちゃ?」

「橘さん、酷い。」

「そうか、アニソンコンテストの東京予選の時の明日夏か。でも、楽しいめちゃくちゃでしたよね。明日夏のめちゃくちゃ。」

「ミサちゃんは、酷いんだか酷くないんだか。」

「若い人が成長するのを見るのは楽しいわ。」

「えへん。」

「でも、明日夏、まだまだだからね。美香のレベルに達するのは。」

「ミサちゃんはまだまだ上手くなりそうだから、追いつくときはないかも。でも、東京予選では、係員さんには何でデモテープが通ったのがわからないとか、ミサちゃんには素人が来るところじゃないって言われたのに、ここまで来れて満足だよ。」

「あの時はごめんね。」

「全然。ミサちゃんにそう言われたから今の私があると分かっているから。」

「でも、明日夏は、何か目指すこととかないの?」

「うーん、作詞かな。」

「そうか、そう言ってたね。印税で左うちわって言ってたけど、冗談じゃなかったんだ。それじゃあ、がんばらないと。」

「短いフレーズは書きとめているんだ。こんな感じ。」

「へー。ケーキの艶は女の子の憧れ。今日も元気だ、ケーキが美味い。ケーキを食べると景気が良くなる。なにこれ。」

「今の気持ち。」

「それは分かるけど、歌になるの?」

「ロックは無理かもしれないけど。アイドルや美少女アニメの歌なら。」

「なるほど。」

「美香、明日夏の話を真に受けちゃだめ。それじゃあ歌詞にならない。」

「そうか『Undefeated』の作詞、久美先輩でしたね。」

「橘さん、こんな歌詞もあるんですよ。」

明日夏が久美とミサに電波系アニソンの歌詞を見せる。

「何これ。明日夏が書いたの?」

「違いますよ。アニメの主題歌です。」

「そうなんだ。主人公が明日夏みたいなのかな。世界は広いわね。」

「でも、橘さん。私の場合、やっぱり曲が先にないと歌詞の全体のイメージがわかなくて。」

「私も来年出すシングルの曲で、2番は私が作詞するという話しがあって、曲と1番の詩をもらったんだけど、作詞家はやっぱりすごいと思った。」

「そうなんだ。見せて、見せて。・・・・・げっ、全部英語。」

「そう。全米、デビュー用だから。」

「これじゃあ、助言できないや。」

「それでも、明日夏の歌詞ができたら、見せて。参考になるかもしれないから。」

「分かった。でも、このケーキ、なかなか美味しいよ。この前のと味が違うから、ミサちゃんのホテルのじゃないの?」

「ホテルのじゃない。私が焼いたの。尚も誠も美味しいって言ってくれた。」

「そっ、そうなんだ。でも、ミサちゃん、ケーキが焼けたんだ。」

「今月から始めたんだけど。尚と誠にお礼するために。」

「手作りのケーキで・・・・。でも、本当に美味しい。」

「有難う。今は家でできる一番の息抜きになっている。」

「そうなのね。うーん、でもミサちゃんだと、ケーキは焼けるけどパンは焼けないみたいになっちゃいそう。」

「マリーアントワネット?分かった。パンを焼くのにも挑戦する。」

「そういうことじゃないんだけど。でも、息抜きになるならいいか。」

「うん。」

「ミサちゃん、由香ちゃんと亜美ちゃんと応援のオタ芸を踊ってくれたんだってね。」

「見えた?」

「ごめんなさい。人が多くて見えなかった。由香ちゃんと、亜美ちゃんから聞いた。すごい嬉しんだけど、イメージ的にも大丈夫?由香ちゃんと亜美ちゃんは、大丈夫だろうけど。」

「うーん、亜美にも言われたけど友達の応援だから大丈夫じゃない。社長にも、堅すぎるって言われていて、最近、柔らかくなったって褒められている。」

「そうなんだ。」

「それに20人以上いたよ、明日夏のダンスを踊っていた人。誠もやっていた。」

「尚ちゃんのお兄ちゃん見えたんだ。」

「うん、後ろ側の2階のスタンド席。右から2番目の前のブロックかな。赤いリストバンドもしているし、すぐに分かった。」

「えーー、関係者の席から、ほぼ対角線だよ。ミサちゃん、視力いくつ?」

「この前計ったら5.0だった。」

「もしかして、ミサちゃん、普段はサバンナでライオン狩りでもしているんじゃ。」

「そんなことはしてないよ。視力5.0ぐらい普通じゃない?」

「うーん、日本じゃ普通じゃない。」

「誠はこっちに気が付いていないみたいだった。」

「いや、普通、そうだから。ねえ、でも、もしかすると、ミサちゃん、耳もいいの?」

「うーん、100メートルぐらい離れた人の話し声が聞こえるぐらいかな。」

「そうすると、ミサちゃん、何か特別な呼吸法が使えたりするの?」

「腹式呼吸?歌手ならだれでも、というか明日夏も使えるでしょう。」

「お腹の呼吸一の型、ビブラートか。」

「一の型?」

「何でもない。」

 その後も少し話をした後、ミサは最後の舞台あいさつの着替えのために、自分の部屋に戻っていった。最後の舞台挨拶は、アニサマ公式のTシャツやそれに飾りを付けた服など、ラフな恰好で出場する演者も多い。トリの演者が歌い始めるころ、入場口に演者が集まってきた。明日夏を見つけたミサが話しかける。

「明日夏、フリルが可愛くて似合っている。」

「ミサちゃんは、Tシャツそのままか。あの声優さんみたいな感じでへそ出しとかすれば、ジーンズでも似合ったのに。」

「えー、それ事務所からも言われたけど断った。だって、恥ずかしいよ。」

「まあミサちゃんはそうだよね。うん、今の格好でも十分似合っているよ。」

「そう、有難う。私も明日夏みたいなフリルだったら着たかった。」

「うーん。うーーーーーん。」

「明日夏、それは私には似合わないということ。まあ、明日夏ほど可愛くないから仕方がないけど。」

「外見的には大丈夫なんだけど、イメージ的にはカッコよくいった方がいいって感じかな。トゲトゲを付けるなんてどうかな。」

「デスデーモンズと共演するときに革ジャンに付けるならいいけど。」

「まあ、このTシャツでトゲトゲだと、コメディアンみたいになっちゃうね。うーん、とすると、やっぱりへそ出しか。それに、ホットパンツ。」

「それじゃあ、露出狂みたい。」

「ミサちゃん、声が大きい。そういう恰好の演者もいるから。」

「そうだ。ごめん。でも私には無理かな。」

「ホットパンツは海で着ていたけど。」

「うん、みんなとだけなら大丈夫だよ。でも、知らない人に注目されると。」

「そうか。なら無理することはないよね。」

「うん。」

 アニサマの最後の舞台挨拶は、舞台中央から出てきて一言述べたあと、舞台に順番に並んでいく。明日夏とミサは順番が離れていたため、今回は隣同士とはならなかった。全員が並んだところで、アニサマバンド(バックバンド)の紹介があり、その年のアニサマのタイトル曲を全員で少しずつ順番に歌っていく。歌い終わると、演者全員が手を繋いで「有難うございました」と言いながら大きく一礼し、演者が舞台袖から下がっていく。舞台袖に向かう途中、観客席に手を振りながら、ミサが明日夏に追いつき話しかけた。

「明日夏と私の時に、誠が大きく手をたたいてくれていたよ。」

「後ろの2階席だったっけ、全然分からない。」

「右から2番目のブロックの、下から4列目、右から5番目。」

「やっぱり分からない。」

「そうか、残念。」

舞台袖に下がってからも話を続ける。

「それにしても、すごいね、ミサちゃんの目。私には人が点にしか見えない。」

「でも、ロックシンガーにはいらない能力かな。」

「まあ、何かの役に立つことはあるよ。」

「本当はまだおしゃべりしていたいけど、今日は遅いから。」

「残念だけど、そうだね。じゃあ、今度の練習の時に。私たちは一度事務所に戻るので、ミサちゃんのケーキはそこでみんなと食べて、感想を聞いてくるよ。」

「有難う。じゃあ、また。」

「お礼を言うのはこっちです。でも、ミサちゃんの手作りのケーキを食べるデスデーモンズの反応が今から楽しみ。」

 アニサマが終わった後、明日夏と久美がタクシーで、悟とデスデーモンズがバンで東京へ向かった。タクシーには由香と亜美も便乗していた。明日夏がパソコンを見ながら亜美に尋ねる。

「ねえ、ねえ、亜美ちゃん。尚ちゃんのお兄ちゃんに売ったというチケットの席って覚えている。」

「はい、えーと、入口が217で、4列目の337番でした。」

「2階のスタンド席、4列目の337番か。」

「何を調べているんです。」

「ミサちゃんが見えたと言った、尚ちゃんのお兄ちゃんの位置と席の位置が合っているかどうかだけど。」

「さすがに、後ろのスタンド席ですよ。2階席と言っても無理だと思いますけど。」

「いや、合っている。ミサちゃん、本当に見えたんだ。」

「本当ですか。目がすごくいいんでしょうか。」

「ミサちゃん、視力5.0って言ってた。」

「ミサさんが言ったんなら、視力5.0って本当なんでしょうね。」

「私だったら信じてもらえないということね。」

「はい。何かの方法で前もって調べておいて、ネタとして言っていると思ってしまいます。」

「さすが、亜美ちゃん。」

「自覚があるんですか。亜美ちゃん、酷い、じゃないんですね。」

「今度、やってみようかと思っていたから。」

「バレると、みっともないから止めてください。」

「はーい。」

「止める気がなさそうです。」

「それにしても、その視力、サバンナで狩人ができるぜ、ミサさん。」

「実は、耳も100メートル位離れても何を言っているか聞こえるって言ってたから、ミサちゃんに悪いことはできないよね。」

「明日夏さん。ミサさんじゃなくても、悪いことはしないで下さいね。」

「分かっているよー。」


 一方、パスカルたちは、さいたまスーパーアリーナの出口で待ち合わせていた。

「パスカル君、この後はどうするの?僕は一歩たちと飲みに行くけど。」

「土日にアキちゃんのライブがあるので帰ります。8月の最終イベントです。」

「そっか。土日ともアニサマに行くから、次は9月かな。」

「はい、そうだと思います。その時に、またよろしくお願いします。」

「はい。それでは、お疲れ様。」

「お疲れ様でした。・・・・・・それじゃあ、アキちゃん、湘南、帰ろうか。」

「分かった。」「はい。」

3人はホームに向かった。湘南新宿ラインはすごく混んでいて、すぐには電車に乗れなかったが、3本目で乗ることができた。

「やっと乗れたわ。」

「ギューギューですね。」

「まあ仕方がない。いつもは、飲んでから帰るからそんなに混んではいなかったけど。」

「明日の始発っていうときもあったんでしょう。」

「まあ、そうだな。」

「そういう人がいるので、人が分散して、僕たちが電車に乗れるんですね。」

「そうだな。とこで、湘南は後ろのスタンド席だったっけ。」

「はい、後ろの2階席です。」

「どのぐらい見えた。」

「そうですね、本物の人は豆粒ぐらいですが、モニタは見れましたし、現場やお客さんの雰囲気が分かって良かったでした。」

「そうか。パスカルは?」

「俺は、横の2階席。まあまあ見えたな。アキちゃんはアリーナだったっけ。」

「そう、それも前から2番目のブロック。すごく良く見えたわ。それで、パフォーマンスはどうだった?誰が良かった?」

「ミサちゃんの歌がより迫力を増していて良かった。あと、兄様殺しの話も、滑った時の表情が可愛かった。」

「俺は面白いと思ったけど。」

「湘南は?」

「明日夏さんは、歌が安定して落ち着いて、プロの歌手という感じになってきました。大河内さんの歌は、『Fly!Fly!Fly!』はスピード感が増していましたし、『Bottomless Power』もより力強くなっていました。それを完全にマネージできているという感じがすごいと思いました。」

「そうなんだ。私にはそこまでわからないかな。」

「アキちゃんは、何が良かった?」

「うん、明日夏ちゃんもミサちゃんもみんな良かったんだけど、明日夏ちゃんが歌っているとき、ミサちゃん、由香ちゃん、亜美ちゃんが私たちのオタ芸を踊っているのが良かった。」

「へー、そんなのが見えたんだ。」

「3階席の一番ステージ側にいた。一緒に踊っている感じが良かったわよ。」

「それじゃあ、俺たちも一緒に踊っていたことになるのか。ますます見たかったな。」

「そうよね。でも、ミサちゃん、湘南みたいに周りの客席の方も気にしていた。」

「明日夏ちゃんの歌に対するお客さんの反応が気になるのかな。それじゃあ確かに湘南みたいだな。」

「あと、後ろの方とか良く見ていた。」

「後ろの方?湘南でも探していたんじゃないか?」

「そんなことあるわけないでしょう。だいたいステージ側と後ろじゃ見えませんよ。」

「3万人もいるんだ、冗談に決まっているだろう。」

「それもそうですね。僕も観客席の方も見ていましたが、3人のことは全然分かりませんでした。アキさんも、パスカルさんもですが。」

「おれも、誰も分からなかった。」

「でもそう言えば、妹子はいなかったわね。」

「妹は、今日は打ち合わせみたいです。」

「由香ちゃんや亜美ちゃんを置いて?」

「あまり詳しくは言えないのですが、バラエティー番組とかで歌手としてではなく単独でも活動することになるそうです。」

「それはそうね。分かるわ。」

「俺も、プロデューサーとして分かる。」

「これから三日間は、夏休み最後のライブと、アキさんとユミさんのプレプロのレコーディングですので頑張りましょう。」

「うん、分かっている。」

「俺も月曜日は有休を取って行くから。振付の様子も見てみたいし。」

「パスカルも有難う。」

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