第20話 8月後半
お盆が明けて、『救出者』の撮影日になった。5人は全員新人ということで、ミサは溝口マネージャーに、明日夏と『トリプレット』は、ヘルツレコードの担当者に連れられて、出演者の挨拶まわりをしていた。溝口マネージャーがミサに説明する。
「ミサちゃん。これから出演者の皆さんに挨拶をしに行きます。皆さん歌手ではありませんが、知ってもらって損はありませんので、失礼のないように、挨拶して下さい。」
「分かりました。」
「あと、この番組の放送は2週間後です。ディレクターには話を通してあります。」
「はい、了解しました。」
溝口マネージャーがミサを知り合いの俳優のところに連れていく。
「溝口さん、いつもお世話になっています。」
「須藤さん、渡辺さん、お世話になっているのはこちらの方です。この子がうちの新人歌手の大河内ミサです。」
「初めまして、溝口事務所所属、ヘルツレコード専属契約の大河内ミサと申します。ロックシンガーが本業で、去年の10月にデビューしました。」
「ミサちゃん、この方々は三橋プロダクションの俳優の須藤千夏さんと渡辺和彦さんです。」
「渡辺です。よろしく。テレビで歌を聞いたよ。あれ、生で歌っているんだよね。」
「はい、そうです。」
「すごい、心に響いたよ。」
「有難うございます。」
「本当にすごく綺麗ね。でも、芸能界、悪い男も多いから気を付けないといけないわよ。」
「ご忠告、有難うございます。」
「特に、この和彦とか。」
「ひどいな。千春姉さんは。」
「変なことを言われたら、すぐに溝口マネージャーに相談するのよ。」
「確かに、芸能界にいて溝口マネージャーに睨まれたくはないからね。」
「分かりました。」
「こちらの方々も、溝口エイジェンシーの方?」
「明日夏は、事務所は違うのですが、同じヘルツレコード契約の歌手です。」
「初めまして。神田明日夏と言います。アニメの主題歌を歌っています。パラダイス興行所属です。」
「パラダイス興行?あまり聞いたことがない事務所ね。」
「神田と同じパラダイス興行所属の星野なおみと言います。パラダイス興行はもともとロックバンドのための小さな音楽事務所です。音楽が中心ですが、最近、手を広げていまして、神田と私たちアイドルユニット『トリプレット』の3人がメジャーのヘルツレコードからデビューしています。」
「また可愛らしい子ね。中学生?」
「中学2年生です。『トリプレット』の残りのメンバーをご紹介します。ダンスが得意な南由香と歌が得意な柴田亜美です。」
「去年高校を卒業した南由香です。」
「高校2年の柴田亜美です。」
「みんな若いのね。」
「神田はこの正月に、私たちはこの6月末にデビューしたばかりですので、至らないところもあると思います。もし、お気づきの点がありましたら、遠慮なく何でも言ってください。良くないところは、どんどん直していこうと思います。」
「そう。若いのにしっかりしているのね。」
「本当だね。」
「さすがの和彦も中高生には手を出さないので、神田さんと南さんは気を付けてね。」
「えっ、はい。」「はい、気を付けます。」
「姉さんに、信用されているのか、されていないのか。」
「まあ、和彦は犯罪はしないわよね。それは信用しているわよ。」
「女性に優しいだけです。」
「そうかしら。でも、若いみなさんには、本当に大変なこともあると思うけど、この世界で生きていこうと思ったら、強くならなくちゃだめよ。」
「はい、ご助言、有難うございます。」
「こんなに初々しいみなさんが千春姉さんみたいになるなんて、・・・・想像したくないな。」
「こらっ。」
「ははははは。」
スタッフが出場者に集合するように呼びかけがあり、全員が集合地点に移動する。そこでルールについて再確認した後、アシスタントの白石が出場者のインタビューを始めた。
「それでは、出場者のインタビューを始めたいと思います。まずは新人さんから。大河内ミサさん、噂通りのスタイルで、ランナーの恰好が良く似合っています。」
「有難うございます。」
「『救出者』に向けて抱負は。」
「事務所からは遊んでくればいいと言われているのですが、この5人全員が生き残ることを目標にして全力で頑張ります。」
「さすがですね。神田明日夏さん、抱負は?」
「私は最初に捕まって体力を温存して、みんなに助けてもらってから頑張る予定です。」
「なるほど、そういう作戦を立てているんですね。」
「はい、ミサちゃんと尚ちゃんが救出してくれる予定です。」
「大河内さんと星野さんですね。それでは、『トリプレット』の星野さん。」
「なるべく体力を温存して逃げながら、最後の方で救出作戦を決行する予定です。」
「そうですか。救出作戦が楽しみですね。南さんは?」
「俺はリーダーとコンビで逃走と救出作戦を頑張るぜ。みんな、俺たちのチームワークを見てくれよな。」
「えーと、もう一人の柴田さんはどうされるのですか?」
「私は明日夏さんといっしょに捕まります。3人に助けてもらってから頑張ります。」
「5人は同じレコード会社に所属していますが、事務所は違っても仲良しなんですか?」
「はい、8月初めに海に行って5人でいっしょに遊んできました。」
「へー、それは楽しいそうですね。」
「はい、楽しかったです。今日も、楽しみながら全員生き残るように頑張ります。」
「それでは、最後の時間に捕まっていないように頑張って下さい。」
「有難うございます。」
白石はその後もインタビューを続けていった。
白石が実況席に戻り、安達アナウンサーが『救出者』の開始を告げる。実況は会場のスピーカからも流れている。
「さあ、みなさんお待ちかね。いよいよスタートです。カウントダウンを始めたいと思います。10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、スタート!ここから1時間、無事に逃げ切れれば賞金100万円、捕まった人を救出すると一人当たり10万円の賞金がもらえます。それでは、出場者のみなさん、頑張って下さい。」
5人は尚美が先頭になって出発した。
「尚、何をしているの?」
「逃走経路の確認です。地図で調べてきたんですが、現場を確認しようと思って。」
「逃げやすい場所とかあるの?」
「角を曲がっても見えなくなると、追跡をやめるルールですので、曲がり角がたくさんあるところに入れば振り切れます。」
「なるほど。」
「ここの十字路は、右に逃げた方がいいです。右からも来ている場合は、左に行かないで真っ直ぐ進んで、次を右です。」
「尚、分かった。」
「追手は皮靴でこちらは運動靴で滑りにくいですので、迫ってきたら、芝生や土のところを走ると有利だと思います。」
「あの池の周りの芝生で道をショートカットすればいいのね。」
「はい、ミサさん(カメラマンがいるため尚美はミサさんと呼んでいる)はそれで良いと思います。明日夏先輩は池に落ちる可能性がありますので、池のそばには行かないようにして下さい。」
「尚ちゃん、酷い。」
「明日夏さんのことを心配しているんですよ。リーダーは。」
「そうか。尚ちゃん、亜美ちゃん、有難うね。」
「でも、リーダー、背中のバックには何が入っているんですか?」
「ふふふふふ、私には分かっている。尚ちゃん、冷たいお茶とお菓子でしょう。」
「違います。明日夏先輩を逃がすための秘密兵器です。最後の方で披露します。」
「リーダーの秘密兵器、楽しみだな。」
「そう言う明日夏先輩の背中のバックは、冷たいお茶とお菓子ですか。」
「そうだよ。だって私は捕まっちゃう計画だから。」
「そうですね。私たちが救出に行くまで、まったりしていて下さい。でも、寝るのは救出した後にして下さいね。」
「さすがに、テレビのカメラも回っているし、寝れないと思うよ。」
「亜美先輩、終了の10分ぐらい前から準備運動を始めていて下さい。」
「私は?」
「明日夏先輩はそこまでしなくても大丈夫です。」
「ふふふふふ。私の運動神経を信用してくれているんだね、尚ちゃん。」
「はい、その通りです。」
安達アナウンサーがモニターを見ながら実況をする。
「須藤さんは隠れる場所を探しながら歩いているようです。渡辺さんは建物の隅に隠れました。5人組のアイドルのみなさんは、何やら集合して作戦を立てているようです。」
「安達アナウンサー、さっきご紹介したときも、いっしょにいたので分かりにくかったかもしれませんが、あの5人は、お二人が歌手で、3人組のアイドルユニットからなっています。」
「なるほど、失礼しました。みなさん、新人さんですか?」
「はい、5人ともデビューしてまだ1年経っていません。『トリプレット』は6月末にデビューしたばかりです。」
「なるほど、みなさん、初々しいですね。でも、あのすごくお綺麗な方は・・・」
「それは私です。」
「白石さんがお奇麗なことは分かっていますが・・・」
「冗談です。綺麗な方というのは、ロック歌手の大河内さんだと思います。私もあのスタイルには憧れています。あとの4人ももう一度ご紹介しますと、背が一番高い方が、アニソン歌手の神田さん、衣装が同じ3人が『トリプレット』のみなさんで、右からスレンダーでエネルギッシュな南さん、ユニットのリーダーで妖精のような星野さん、丸顔で可愛い柴田さんです。」
「分かりました。有難うございます。これからご活躍しそうな予感がしますので、テレビの前の皆さんも、是非、覚えておいて下さい。」
明日夏が亜美に話しかける。
「亜美ちゃん、アシスタントさんが丸顔で可愛いって。」
「ぽっちゃりよりはいいです。」
「そうなんだ。でも、私の特徴なんて背が高いってだけだから。可愛いって言ってもらった方がいいよね。」
「明日夏先輩の場合は、今日も平和そうな顔のとか欲しいところですね。」
「尚ちゃん、酷い。」
「先は長いですので、追手が来るまで、ミサさん、由香さんは休んでいて下さい。」
「尚ちゃん、私は休まなくていいの?」
「檻(おり)の中でゆっくり休めます。」
「でも、簡単に捕まるのは何かいやだな。」
「分かりました。それでは、明日夏さんも逃げてみて下さい。でも、転ばないで下さいね。」
「リーダー、私も別行動で逃げてみます。最後に逃げるための練習にもなりますし。」
「分かりました。」
「じゃあ、亜美ちゃん、いっしょに行こうか。」
「はい、リーダーたちの作戦の邪魔にならないようにそうします。では、ミサさん、リーダー、由香、行ってきます。」
「じゃあ、亜美ちゃんと行ってくるよ。みんなが捕まってたら助けてあげるからね。」
「分かりました。その時はお願いします。」
明日夏と亜美が店がある方に向かっていった。
アナウンサーが追手が放たれたことを告げる。
「さて、ここで追手が放たれます。ミサさん、最後まで捕まらないでいて欲しいです。」
「安達さん、何か、ひいきしていませんか。」
「失礼しました。みなさんが捕まらないことを祈っています。」
放送を聞いた尚美が冷静に時計を見た。
「追手が放たれたそうです。ここに来るまでざっと3分20秒ぐらいでしょう。ミサさん、集合は終了10分前にここか、ここから200メートル行ったところの広場のそばです。」
「分かった。それまで頑張って逃げる。」
「ミサさんならば追手を振り切ることができると思いますので、振り切った後は逃げやすい場所で休んで、救出作戦に備えてください。」
「うん、分かった。」
「由香先輩とはいっしょに行きますが、ぎりぎりの時には、交差点の直前でブレークナウと声をかけますので、そこを曲がって生き延びてください。」
「いや、救出作戦の指揮は俺じゃできないので、そのときはリーダーが曲がってくれ。俺が真っ直ぐ行く。」
「心苦しいですが、その方が全員が助かる確率が高いと思います。」
「リーダー、そんなこと分かっているぜ。」
「明日夏さん、何を買っているんですか。」
「えっ、ご当地ソフトキャンディーだよ。一つ食べる?」
「有難うございます。納豆味ですか。なかなか変わっていますね。」
「でも、癖になるかも・・・・しれなくないな。」
「明日夏さんの言う通りです。・・・・あっ、明日夏さん、追手です。」
「逃げよう。」
「はい。」
明日夏と亜美が走り出す。しかし、追手はどんどんと迫ってきた。
「だめです。追いつかれます。」
「あっ、亜美ちゃん、左のあのスタッフ、直人にそっくり。」
「えっ。」
亜美は左を向いてスタッフを見た後、右を向いた。
「全然似て・・・・・、あれ、明日夏さんがいない。」
明日夏は亜美が横を見た瞬間、角を右に曲がっていたのである。
「明日夏さん!明日夏さん!どこ行ったんですか?いっしょに逃げるんじゃないんですか。」
亜美が追手に捕まったことが会場にアナウンスされた。
「柴田さん、神田さんに裏切られて捕まってしまったようです。」
明日夏が後ろを振り返りながらつぶやく。
「亜美ちゃん、ごめん。絶対救出するから、尚ちゃんたちが。」
しかし、明日夏の正面に追手が立っていて、明日夏も捕まってしまった。
「わー、追手が前にいるとは予想外。」
二人一緒に檻の方に歩いて向かった。
「もう、明日夏さん、酷いですよ。」
「亜美ちゃん、ごめん。逃げ切った後、助け出そうと思った。」
「明日夏さんがですか。そんなの無理に決まっているじゃないですか。リーダーの足を引っ張るだけですよ。」
「捕まっちゃったら仕方がない。お菓子を持ってきたから、檻に入ったら、いっしょに食べよう。」
「食べ物でごまかさないでください。」
檻に到着すると、中にはまだだれもいなかった。
「誰もいませんね。」
「やった、亜美ちゃん、私たちが捕まるの一番だよ。スタッフさん、一番に捕まった人に賞金はないんですか?」
「ありません。」
「明日夏さん、恥ずかしいから止めてください。」
「へへへへへ。」
檻に入った明日夏と亜美は、後から来た人にお菓子を配りながらも、二人でアニメの話を延々と続けていた。
ミサは、スピードを生かして苦も無く捕まらないでいた。一方、細い路地にいた尚美と由香が追手に見つかっていた。
「リーダー後ろから追手です。」
「由香先輩、ダッシュです。前の道を右に出て、3つ先の角を右に曲がって、左、左で隠れれば追ってこなくなると思います。」
「分かった。」
前の道に出て、3つ先の角を右に曲がって左に曲がったが、追手は近づいていて、また左に曲がっても追ってくる状況になっていた。
「思ったより近づかれています。」
「そうだな。」
「トラップが仕掛けられればいいのですが。とりあえず、元の道に出ます。」
「分かった。」
「追いつかれる直前で反転して、左右から抜けて、後は細かい道を行こうと思います。」
「それじゃあまた追いつかれるだけだから、次の角で俺は真っ直ぐ行く。リーダーは曲がってくれ。」
「由香さん。」
「いいって。」
「分かりました。後で必ず救出に行きます。」
そのとき、その道の右側からミサがやってきた。
「尚、ここを曲がって。こっちに追手はいない。後ろの追手は私がひきつけるから。」
「有難うございます。でも、あの追手、かなり速いから気を付けて下さい。」
「分かった。気を付ける。」
尚美と由香が曲がり、ミサが追手がある程度近づくまで待ってからスタートした。追手は決まりに従って、前に見えるミサを追い始める。モニターを見ていた、アナウンサーが叫ぶ。
「あーっと、追手が大河内さんを追い始めました。大河内さん頑張れ。」
「安達アナウンサー、私情が入りすぎじゃないですか?」
「お茶の間の皆さんを代表しての発言です。大河内さん頑張れ!」
ミサと追手が距離を保ってのダッシュが続いた。
「あの追手、速い、なかなか引き離せない。」
双方のダッシュが1分位続いたが、だんだんと、背広と革靴を履いて走る疲労が溜まったのか、距離が広がってきた。そこで、ミサは左に曲がって、次の次の交差点を右に曲がった。追手は、左に曲がったところでミサが見えなくなったので、ルールに従って真っ直ぐ普通に歩き出した。ミサは追手が追ってこなくなったことを確認してホッと一息ついた。
「あの追手、本当に速かった。」
安達アナウンサーが興奮して言う。
「うぉーーーー!」
「大河内さん、逃げ切りました。」
「大河内勝った!大河内勝った!大河内勝った!」
「私も手に汗握ってしまいました。でも、安達アナウンサー、興奮しすぎです。」
「ごめんなさい。それにしても、走っている姿が奇麗でした。」
「カモシカのようでしたね。」
「はい、また走る姿が見れます。逃げ切って本当に良かった。」
「友人の星野さんと南さんを助けたところも、さすがでした。後半の神田さん柴田さんの救出作戦、楽しみになりました。」
「そうでした。でも、美人でスタイルが良くて、運動もできて、その上性格もいいって、そんなことありますかね。」
「ないんじゃないですか。」
「そんなにひがまないでください。」
場内に流れたアナウンスを聴いていた、尚美と由香が喜んだ。
「おー、さすがミサさん、逃げ切った!」
「あの追手を一人で振り切ったんですね。長距離になれば、靴と服で有利になると思っていましたが。」
「やっぱ、基礎体力が違うんか。」
「そうだと思います。今度、追いつかれそうになったら、今のことを参考にして、二人で交互にスイッチをして逃げ切りましょう。」
「スイッチ?」
「はい、今のミサさんの行動を見て思いつきました。基本的には同じところを周回しながら、由香先輩と私が交互に走るようにします。」
「追手に長距離を走らせて、振り切るわけか。こっちだけリレー作戦だな。」
「その通りです。いずれにしろ、あの追手は要注意です。位置を推測しながら行動しないと。」
「任せたぜ。」
「それでは、こっちだけリレー作戦がしやすい位置に移動します。」
「おう。」
尚美が棒の先に付いた鏡で確認しながら、二人は移動していった。
その後も、ミサはかなり遠くから追手を識別して避けながら、また、出合頭で追手と遭遇してもスピードを活かして余裕で逃げていた。
「あの速い人でなければ、尚が言ったところに入り込めば大丈夫そう。」
尚美と由香は時々こっちだけリレー作戦を使いながら逃げていた。
「リーダー、スイッチ!」
「スイッチ!」
尚美が一周回ってきた。
「由香先輩、スイッチ!次の交代地点を3番に変えます。」
「了解!スイッチ!」
交代地点3番に由香がやってきた。
「リーダー、だいぶ離した。スイッチ。」
「了解、スイッチ。」
交代地点3番に、尚美が後ろを見ながらゆっくりやってきた。
「振り切ったようです。」
「さすがリーダー、上手くいったぜ。」
「それでは、交代地点1番に戻ります。」
「オーケー。」
アナウンサーが感心して話す。
「星野さんと由香さん、追手を交代で振り切りました。連携プレーが光ります。」
「はい、見事なチームワークです。」
終了10分前になって、集合地点にミサ、尚美、由香が集まってきた。
「ミサさん、大丈夫ですか?」
「うん、まだ準備運動という感じ。これからが本番よね。」
「おう、ワクワクするぜ。」
「由香の言うとおり。」
「それでは、救出作戦開始です。まずは、檻のそばの出発地点まで進みます。」
「分かった。」「オーケー。」
尚美が棒の先に着いた鏡で確認しながら檻の方へ進む。
「追手が来ます。隠れます。」
かなり出発地点のそばにまで到達したとき、ミサが前から来る追手を発見する。
「尚、前の方の角から追手が出てきた。」
「視認しました。でも、隠れている時間はありません。強行突破します。」
「尚、あれを使うのね。」
「そうです。」
「じゃあ、俺が先頭に立つぜ。」
「はい、由香さん、お願いします。」
由香、ミサ、尚美の順で縦一列になって走る。前から来る追手が迫ってきたとき、3人が声をそろえて言う。
「ジェットストリームアタック!」
ミサが手を組み、尚美がそこに足をかけて、尚美がジャンプをする。そして、由香の肩に足をかけてさらにジャンプする。
「おう、俺を踏み台にして、リーダー行け!」
追手からも声が出る。
「うぉっ!?」
同時にミサが右に、由香が左にずれて直進し、尚美は一回転しながら追手の上を通って着地した。追手が上を通る尚美を見ているすきに、ミサと由香が追手の左右をすり抜け、尚美は着地と共に走り出した。追手は驚いて3人が走り去るのを少しの間止まって見ていた。
「尚、カッコいい!」
「おう、すごかった。」
「有難うございます。次の角を右、左と曲がって振り切ります。」
「分かった。」「OK!」
アナウンサーが驚きながら実況する。
「ジェットストリームアタックですか。すごいですね、星野さん。追手の上を飛び越えていきました。」
檻の手前の交差点で尚美が最後の確認をする。
「ミサさんは、最速のダッシュで檻の前を通り過ぎて下さい。計算では、看守が道に出てくる前に通り過ぎるはずです。それから減速して、看守や追手を引き付けてから再度走りだして下さい。この作戦の最初の部分はミサさんのスピードがすべてで、成功はミサさんの個人的な能力にかかっています。」
「分かった。全力でダッシュする。」
「由香さんは、ミサさん後について行って、反転して戻ってさっきと同じ手順で追手をまいて下さい。」
「おう、分かっているぜ。」
「なんか、ドキドキしてきたわね。」
「ミサさん、がんばりましょう。」
「うん。」
「それでは、出発です。」
ミサが、それに続いて由香が走り出した。アナウンサーがその実況を始めた。みんなが、ミサに注目する中、尚美は背中のバッグをおろして開いた。
「おっと、曲がり角から出てきた大河内さんが、檻に向けてすごい速さでダッシュしています。本当に速い。・・・それに気が付いた看守たちが道に出てきますが、その前をあっという間に通り過ぎました。走る姿が本当に美しいです。大河内さん、通り過ぎて一度止まりました。南さんが後ろから続いています。追手は二手に分かれて、大河内さんと南さんを追い始めました。あっと、南さんは来た場所の方に戻って行きます。檻の前はガラ空きです。」
「これは、大河内さんたちが最初に言っていた救出作戦だと思います。」
「とすると、星野さんがどこかにいるのでしょうか。えーと、道には誰もいないようですが。」
「安達さん、檻の前に星野さんがいます。」
「本当だ。星野さんが檻の扉を開けて、中の人を外に誘導しています。救出作戦は成功したようですが、星野さん、どこから現れたんでしょうか。空を飛んできた?」
「まさか。」
須藤と渡辺が尚美に話しかける。
「星野さん、有難う。次は頑張って逃げるわ。」
「見事な救出作戦だったよ。」
「有難うございます。あと5分ですので、捕まらないように頑張りましょう。」
他の出場者が出て行った後、尚美が明日夏を檻の後ろに連れて行って話しかける。
「明日夏先輩は、これを被って檻の隣で静かに寝ていてください。」
「これは。」
「スナイパー用のギリースーツです。外から見ると、草むらにしか見えなくなります。」
「尚ちゃんが現れたときも急に現れたので、どこから来たか分からなかったけど、これを着てたのね。」
「はい。今はミサさんに注意が行って気づかれませんでしたが、動くと分かりやすくなるので、動かないようにお願いします。」
「分かった尚ちゃん。おとなしく寝ているよ。」
「それでは、亜美先輩、行きましょう。まず、由香先輩との合流地点に行きます。」
「リーダー、はい。」
尚美が来た道を戻って由香が隠れている合流地点に行く。
「由香先輩、救出作戦成功です。」
「おう、たくさんの出場者が逃げていくのが見えた。」
「でも、リーダー、逃げ切れるでしょうか。」
「あと3分です。出場者のほぼ全員が逃げましたので、追手が我々より先に別の出場者の方を捕まえるように、上手に位置取りをすれば大丈夫です。」
「それでリーダーは、さっきから周りを見ているわけですね。」
「はい。ミサ先輩にはスピードで逃げ切ってもらうしかないですが、時間が短いですから何とかなると思います。」
「それでは、あちらの方に行きましょう。由香先輩と亜美先輩は後ろを警戒してください。」
「おう、分かった。」「分かりました。」
何人かの出場者が再び捕まっていたが、『トリプレット』の3人はその間を縫って見つかることなく、隙間から檻や池がある広場を見ることができる位置に移動していた。
「あと1分とちょっと。こっちは、なんとか大丈夫そうです。」
「明日夏さんも、うまく隠れていますね。」
「はい。戻ってきた看守も全く気が付いていないようですので、大丈夫だと思います。」
「やばい!リーダー、あそこ、ミサさんが囲まれそうだぜ。」
「由香先輩の言う通りです。後ろから来るのはあの速い追手みたいです。前と右横、左の橋からも来ていますね。」
「ミサさん、芝生の方に入っていきます。」
「靴が違うので、芝生に入れば後ろの追手より速くなると思います。3人のうち一人をかわせさえすれば、逃げ切れるのですが。」
アナウンサーがミサの状況を実況する。
「大河内さん、このままだと4人に囲まれます。可愛い女の子に大の大人が4人がかりで、酷い追手です。」
「安達さん、追手も仕事なんですから、変な個人的な感想は入れないでください。」
「頑張れ、ミサちゃん!」
「聴いちゃいねー。」
「大河内さん、左に曲がりました。池の方向です。」
「橋を渡って左から来る追手の脇をすり抜けそうですが、大河内さんの正面は池ですね。」
「白石さん、大河内さんは池を飛び越えるつもりでしょうか。6メートルはありそうですが。」
「そうだと思います。大河内さん、一度止まりました。息を整えているみたいです。後ろの追手が迫ってきます。」
「大河内さん、再び、池に向かってダッシュを開始!踏み切った!届くのか!?」
片足が反対側の岸の水が浅いところに着地することになったが、何とか池を飛び越えた。
「届いた!」
「すごい。」
後ろから追って来た追手もジャンプをするが、岸の2メートルぐらい手前に着地して、滑って転んでしまった。ミサが池の中の追手に呼びかける。
「大丈夫ですか?」
追手は池の中で座ったまま、片手を上げてそれに答えた。追手が無事なことが分かったミサは、
「先を急ぎますので、ごめんなさい。」
と言って走り去った。それを見ていた亜美が叫ぶ。
「リーダー、やりました!作戦が完全に成功しそうです。」
「あと40秒、万が一明日夏さんが見つかっても、この時間ならば逃げ切れると思いますので、何とかなると思います。ほっとしました。」
「それにしても、ミサさんのジャンプ、カッコよかったぜ。」
「確かに。ミサさんが、踏み切ったところでCMに入るぐらい、すごかったですね。」
だが、尚美たちが安心するのは早かった。再び捕まって檻に入った須藤がつぶやく。
「はー、久しぶりに走って疲れたわ。水を飲まないと死んじゃいそう。」
「これ、冷たいお茶です。どうぞ。」
「うわっ、びっくりした。草むらが動いたのかと思った。」
「えへへへへ。これを被っていると見分けがつかないでしょう。ビックリさせて、ごめんなさい。尚ちゃんが考えてくれたんです。」
「えーと。ヘルツレコードの新人歌手さんでしたね。」
「はい、神田明日夏とい言います。冷たいお茶をどうぞ。コップは尚ちゃんたちのために用意した新しいものです。」
「有難う。美味しいわ。・・・・あっ、後ろ!」
「へっ!?」
結局、明日夏は終了10秒前に捕まって、檻の中に入っていった。
「捕まっちゃいました。」
「残念。でも、お水、有難うね。」
「どういたしまして。」
ちょうどそこでタイムアップとなった。そのほんの少し前から安達アナウンサーが終了を告げていた。
「終了まであと10秒・・・5、4、3、2、1、ノーサイド!」
「今回生き残った人は、俳優の渡辺さん、元Jリーガーの高橋さん、お笑い屋台のこんぶさん、歌手の大河内さん、『トリプレット』の3人、星野さん、南さん、柴田さんの6人です。」
「今までは最多でも2名でしたから、今回で最多人数を大きく更新しました。」
「女性が4名いるというのも見逃せません。」
「5分前に救出作戦が成功したことが大きかったと思います。」
「そうですね。追手の数が増えているところで、見事な救出作戦だったと思います。」
「白石さん、今日の『救出者』はいかがでしたか。」
「Jリーガーの高橋さん、最後、追い詰められましたが、一度も捕まらずに逃げ切りました。力強い走りが印象的でしたね。では、次はCMです。」
「白石さん、僕には聞き返さないんですか?」
「答えが、なんとなく分かっていますから。でも、台本にありますので、一応聞きます。安達アナウンサー、今日の『救出者』、何か感想はありますでしょうか。」
「大河内さんの、最初のダッシュと最後のジャンプ、本当に見事でした。」
「大河内さん、歌手としての実力も、かなりのものですので、みなさん、是非、大河内さんの歌を聴いてみて下さい。」
「はい、私は絶対に聴こうと思います。それでは、ここでCMです。」
「CMの後は、私が出場選手の感想を伺って、お届けしたいと思います。」
タイムアップとなって、『トリプレット』の3人は集合場所の方に向かった。その途中で、ミサが『トリプレット』の3人のところにやってきた。
「片足が濡れちゃったけど、何とか逃げ切った。明日夏は?」
「明日夏さん、あと1分を切るところまではうまく隠れていたんですが。」
「ははははは。それがミサさん、明日夏さんは暑がっている檻の中の須藤さんに水をあげようとして、捕まっちゃいましたよ。」
「由香、本当に!?残念。まあ、明日夏らしいと言えば明日夏らしいか。」
「申し訳ありません。明日夏さんからすれば当然の行動ですので、そこまで想定できなかった、私のミスです。」
「リーダー、あまり気にしなくて大丈夫です。私たち、十分に目立ちましたし、賞金もいっぱいもらえますし、これで良かったと思いますよ。」
「亜美先輩、相手が本当のテロリストだったら、明日夏先輩は助からなかったことになります。」
「いや、尚、これはテロリストからの人質奪還作戦の演習じゃないんだから・・・。」
檻から出てきた明日夏が4人のところにやってくる。
「尚ちゃん、みんな、ごめんなさい。最後の最後に捕まっちゃった。」
「明日夏、それが、尚が、追手が本当のテロリストだったら明日夏が助からなかったと、作戦を反省してすごく悩んでいるんだよ。何か言ってあげて。」
「もう、尚ちゃんは。大丈夫だよ。あの程度のテロリストだったら、尚ちゃんがみんなやっつけちゃっているから。」
「そうか、そうですね。明日夏先輩の言う通りと思います。少し考えすぎていました。」
「そうそう。それじゃあ、終了後のインタビューが終わったら、帰りに事務所によってみんなでケーキでも食べようよ。」
「そうしましょう。ミサさん、大丈夫ですか。」
「えっ、まあ、今日の仕事はこれで終わりだから、大丈夫だけど。」
「由香ちゃんも亜美ちゃんも大丈夫だよね。」
「おっ、おう。」「良くわかりませんが、私はリーダーについていきます。」
尚美がテレビ番組の撮影をしているころ、大学の学生会館で勉強していた誠が何気なくメールを確認すると、美咲からアキのホームページの管理者宛にメールが届いていた。
************************************
湘南兄さん
美咲です。
やっと、お父さんに許可をもらえました。
湘南兄さんも、今までいろいろ相談に乗ってくれて有難う。
これから、みんなの言うことを聞いて頑張ります。
お父さんがパスカルさんに会いたいと言っていますが大丈夫ですか?
美咲より
************************************
誠はすぐに返事をした。
************************************
美咲さん
おめでとう。
説得、頑張ったんだと思います。活躍を期待しています。
でも無理はしないで、学校の課外活動と思って取り組んで下さい。
パスカルさんの件は了解です。
お父さんへの連絡のため、お父さんのお名前とメールアドレスを教えてもらえますか。
湘南より
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すぐに返事が来た。
************************************
湘南兄さん
すぐに返事をくれて有難うございます。
お父さんの名前は堀田正志です。
メールアドレスは、hmasashi722@wahoo.co.jp です。
また、みんなと会えることを楽しみにしています。
美咲より
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誠もすぐに返事送った。
************************************
美咲さん
お父さんの名前とメールアドレスを送ってくれて有難う。
早速、こちらで打ち合わせをします。
必ず返事はしますので待っててください。
湘南より
************************************
誠がSNSの「アキPG」に投稿する。
湘南:美咲さんからのメールを見ましたか?
パスカル:何?今見る
アキ:お父さんから許可が出たんだ
パスカル:そうみたいだね
湘南:お父さんがパスカルさんに会いたいとのことです
パスカル:それはそうだろうな
パスカル:湘南も来れるか?
湘南:僕にも責任がありますから行きます
パスカル:助かる
コッコ:ごちそうさまです
アキ:コッコ、今はそんな話をしているときじゃないよ
コッコ:ごめん
アキ:二人だけだと心配だから私も行くわ
パスカル:本当のことを言うと、とても有難い
アキ:私から説明した方が角が立たないから
パスカル:何か注意しなくてはいけないことはあるか
湘南:あくまでもボランティアでプロデュース活動をしているということを分かってもらうことだと思います
パスカル:そうだよね
湘南:念のため傷害保険には入ってもらいましょう
パスカル:分かった
湘南:あとはコミケの締め切りが迫ったコッコさんです
コッコ:何でだよ
湘南:非人道的な行為に走る可能性があります
コッコ:まあね
パスカル:そこは否定しないと
コッコ:美咲ちゃんには湘南がついているから大丈夫だよ
アキ:それで美咲ちゃんの芸名は決まったの
パスカル:ユミ
アキ:まあまあかな
パスカル:フルネームは、木下優美
湘南:大人になってからも使えそうでいい名前だと思います
パスカル:サンキュー
アキ:それでユニット名は
パスカル:アキ&ユミ
アキ:そのままか
ラッキー:何か漫才コンビみたいな名前だけど
パスカル:ラッキーさんこんばんは
ラッキー:すごいことになったね
湘南:コンビの名前はともかく曲の方をどうにかしましょう
アキ:美咲ちゃんは『トリプレット』のファンだけど
湘南:『トリプレット』の曲から考えますか
アキ:それは妹子の兄としてどうなの
湘南:曲は『トリプレット』だけのものではありませんので大丈夫だと思います
アキ:それでも妹子が悲しがると思う
パスカル:それじゃあ解散したアイドルラインの曲は?
ラッキー:美咲ちゃんもファンだったと言ってたよね
パスカル:これから言い間違えないようにユミちゃんと呼ぼう
湘南:はい、これからはユミさんと呼びます
アキ:ユミちゃんね。分かった。
湘南:アイドルラインの曲を二人用にしなくてはいけないですが何とかします
ラッキー:本家が解散しても曲を聴きたい人も多いと思うよ
アキ:分かった。そうしよう
湘南:とりあえず、大ヒットした『ジャンプイン』と『ネクストサンデー』の2曲をMIDIデータで起こします。
アキ:湘南有難う。私も歌ってみたかった
パスカル:おう頼む
アキ:じゃあユミちゃんのお父さんには私からメールする
パスカル:大丈夫か
アキ:大丈夫
湘南:メールするときは必ずホームページのアキPGのアカウントからメールしてください
湘南:そうすればアキさん個人のメールアドレスを秘匿できますし返事が共有できます
アキ:分かった。そうする
パスカル:ユミちゃんのお父さんには次の日曜日のライブに来てもらおうと思う
アキ:昼の1時からだから4時には会場を離れられるもんね
パスカル:悪いけど湘南には会場で二人の案内をお願いできるか
湘南:分かりました
パスカル:ついでにアイドル活動の一般的な話だけをしてくれるかな
湘南:具体的な話しはパスカルさんがしてくれるということですね
パスカル:おう
アキ:湘南、お父さんにアイドル活動の問題点ばかりを話しちゃだめよ
湘南:わっ、分かりました
コッコ:さすがはご主人様。湘南のことを良く分かっている
パスカル:それじゃあ次の日曜日
アキ:分かった。堀田正志さんにメールしてみる。
コッコ:ユミちゃんだっけ。また会えるの楽しみだな
湘南:アキさんもコッコさんを見張っていてください
アキ:大丈夫だと思うけど、湘南のためにそうする
************************************
堀田正志 様
アイドルになることを目指して地下アイドル活動をしている有森杏子(アキ)です。
私たちの活動は、プロフェッショナルな活動とは違い、私がアイドルになるために
みんなが応援してくれるサークルのような活動です。そのために良いところと悪い
ところがあります。私のイベントに参加して、様子を分かってもらってから
具体的なお話をしたいと思いますが、いかがでしょうか。
いらして頂ける場合は、次の日曜日に渋谷のハチ公前に12:30にいらして
頂ければ、メンバーの岩田誠(湘南)が会場までご案内します。
有森杏子
************************************
翌日の朝に返事が来た。
************************************
有森杏子 様
丁寧なメール有難うございます。
承知しました。日曜日の12:30にハチ公前に向かいます。
当日はよろしくお願いします。
岩田さんにもよろしくお伝えください。
堀田正志
************************************
次の日曜日、尚美が事務所で練習する時間に合わせて、誠と尚美が家を出た。
「こんどの水曜日がMVの撮影だっけ。」
「そう。集中して練習出来るのは今日が最後になる。」
「今度の曲は、3人のための曲って感じに仕上がっていて、さすがプロと思った。」
「デビュー曲は、曲の方が先にあったけれど、今度の曲は本当に私たちのために作った曲だから。プレプロでも私たちに合わせて、すごい歌いやすくなった。」
「それは聴いていて良く分かった。」
「作曲は安藤さん、作詞は戸川さん。いつもはアーティストの曲を作っている方々が担当してくれた。」
「うん、ヘルツも力が入っているんだと思う。」
「国民的なアニメだし。予算も違うみたい。」
「それにしても、安藤さん、いつもと曲調が全然違うのに、いい曲に仕上がっている。」
「そうなんだ。」
「すごい能力がある方なんだと思うよ。」
「分かった。頑張って歌うよ。お兄ちゃんは、今日はアキのライブだっけ?」
「そうだよ。今日、新曲を初めて披露する予定。」
「そう言えば、作曲を頼んだって言ってたね。」
「パスカルさんが一曲3万円ぐらいで発注して、8月初めの海でプレプロをして、アキさんに合わせて僕がメロディーと伴奏を少し変えた曲だよ。」
「そうなんだ・・・。」
「歌いやすいって、アキさんには好評だったけど、所詮素人だから、お客さんの反応が心配で、僕もドキドキしている。」
「お兄ちゃんが、担当したんだから絶対大丈夫だよ。」
「でも、今聴くともう少し変えたい気はする。」
「それは分かる。『トリプレット』のパフォーマンスも同じ曲でも良くしていこうと思っているし。」
「さすが、尚。」
「さすが、お兄ちゃん。」
「ははははは。」「ははははは。」
「本当はアキのライブにも行って、アドバイスできることがあればアドバイスしたいんだけど、亜美さんも高校生だからどうしても休みに練習することになって、なかなか時間が合わなくて。」
「大丈夫。尚が忙しいのは分かっているから、尚は尚のことに集中してくれれば、それでいいよ。」
アキと誠の関係が気になる尚美だった。
「分かっているけど。」
その後も、お互いの新曲を聴きながら、編曲やダンスについて話をした。誠は美咲のことについて、「話すのは今日の様子を見てからでいいか。」と思っていた。
誠は渋谷で尚美を見送り、時間調整のため喫茶店でノートパソコンによる作業をした後、12時20分にはハチ公の前に来ていた。地下鉄の出口の方から、美咲とその父がやってくるのが見えた。美咲も湘南を発見したようで、走って湘南の方にやってきた。
「湘南兄さん、こんにちは。今日はよろしくお願いします。」
「美咲さん、こんにちは。お久しぶりです。」
「みなさん、元気でしたか?」
「はい、みんな元気です。美咲さんと徹君は?」
「もちろん、元気!」
「それは良かったです。夏休みの宿題はどのぐらい残っています?」
「算数が少し残っているけど、後は全部終わらせた。これから忙しくなるかもしれないから。」
「それはすごい。算数は分からなかったら聞いて下さい。妹の中学受験で教えていたので、多少は分かると思います。」
「えっ、妹さんがいらっしゃるんですか。」
「はい、意外ですか?」
「アキ姉さん以外には女性には縁がないと思っていました。」
「それは当たっていますが、妹は妹ですから。」
「なるほど。徹が男じゃないような感じですね。でも、妹さんにもこんな感じで接しているんですか。」
「基本的にはそうだと思います。」
「私は弟しかいないので分かりませんが、兄さんってこんな感じなのかな。」
「やはり、人それぞれではないでしょうか。」
「そうですね。」
美咲の父が到着した。
「パパ、遅い!」
「ごめん、ごめん。私は堀田正志といいます。この間は大きな声を出してしまい失礼しました。本当はあまり賛成はしていないのですが、娘がどうしてもと言うので。」
「僕は岩田誠と言います。ここでは湘南と呼んで下さい。お父さんが心配する気持ちは良く分かります。あと、僕たちのグループはプロではなく、出演回数も少ないですので、学校の本格的なクラブ活動より忙しくなることはないとは思います。ただ、収入が得られるというものでもないです。」
「はい、それは聞いています。」
「あと本名は分からないほうがいいと思いますので、美咲ちゃんの芸名を考えてあります。木下優美です。美咲さん、パスカルさんが考えたんだけど、木下優美でいい?」
「うん、いい名前だと思う。」
「申し訳ないのですが、お父さんも、ここでは美咲さんのことはユミさんと呼んでもらえればと思います。」
「分かりました。では、僕は木下ですね。」
(ここから説明文も美咲からユミに変わる。)
「はい、ここではそれでお願いします。今日は、地下アイドルがどんなものなのか見てもらおうと思っています。その後で、パスカルさんとアキさんを交えてお話をしたいと思います。」
「分かりました。」
「その様子を見て、家族で話し合って最終的に決定してください。」
「ユミはもうやるって決めている。」
「ユミさんも現場を見たことはないでしょう。ちゃんと分かってから決めないと。」
「大丈夫。湘南兄さんとパスカル兄さんなら変な現場に連れて行ったりしないって信用しているから。」
「信用してくれるのは有難いけれど。」
「ところで君は大学生。」
「はい。僕は大学生で、アキさんが高校生、パスカルさんが地方公務員です。」
「なるほど。本当にアマチュアなんですね。」
「支出と収入は同じぐらいです。活動の会計簿も、ライブが終わった後にお見せします。」
「有難うございます。」
「開演が1時からですので、もう行きましょう。」
「分かりました。」
会場に向かい、誠が二人分のチケットを渡す。
「二人分のチケット代はお支払いします。」
「有難うございます。会計は楽ではないので助かります。」
「私自身も、どんなところか全く興味がないというわけではないので、構いません。」
「パパ、ママにそれ言うわよ。」
「美咲、そ」
ユミが言葉をかぶせる。
「パパ、慌てたぐらいで、私の名前を間違えないで。」
「えっ、あっ・・・ユミ、そんな意味じゃないよ。」
「まあ、秘密にしておいてあげる。」
誠が微笑みながら言う。
「ユミさんはしっかりしたお子さんですね。」
「そうですね。ははははは。」
会場に入ると、あまり混んでいなかった。客席は段差がついていて、後ろに行くにつれて少しずつ上がっていく構造になっていた。3人は後ろ右側の段上で通路側で前に手すりのある位置についた。
「ユミさん、見えそうですか?」
「なんとか。」
「観客はほとんど男性なんですね。」
「はい、男性アイドルが出演する女性用のイベントもありますが、基本的にはイベント自体が分かれていますので、ここには来ません。」
「でも、今の子はいいですね。こういうものを近くで見れて。我々のころは、アイドルはもっと遠い存在でした。」
「今でも、そういうアイドルや歌手もいますが、地下アイドルが可能になったのは、インターネットの普及で広告にお金がかからなくなったことが大きいと思います。誰でもユニットのパフォーマンスのビデオを見ることができて、それで興味がわいたら、ホームページで公演の日程を調べて、参加することができます。」
「なるほど。この業界でもロングテールの重要性が増している(少数しか売れないものが全体の中で占める売り上げの割合が増えているということ)というわけですか。」
「はい、そうだと思います。」
パンフレットを見ながらユミの父が感想を言う。
「このユニットは、何と言うか、衣装の露出が・・・。」
「はい、そういうユニットもありますが、うちは違います。」
「それは、安心しました。そうですね、アキさんの写真を見てもそんな感じですね。」
「湘南兄さん、私やアキ姉さんのスタイルでは、こういう服を着てもあまりメリットがないということですよね。」
「メリットがないかどうかは分かりませんが、しません。」
「男子の目から見て、率直に言うと?」
「・・・・・。」
「み、ユミ、湘南君が困っているから。」
「湘南兄さん、ごめんなさい。パパがいる前だと答えにくいですね。」
「そういうことじゃないです。」
「ユミはこういう格好できるの?」
「湘南兄さん、パスカル兄さん、アキ姉さんがした方がいいと言えばするよ。やるときは全力で取り組むから。」
「木下さん。」
「木下さん?あっ、私か。はい。」
「服については、必ず出演する前に木下さんに連絡するようにします。」
「そうですか。有難うございます。」
「えー、みんなを信用しているから大丈夫だよ。」
「世の中には悪い大人もいるから、用心するにこしたことはないんです。大河内ミサさんって知っていますか。」
「はい、ニュースで見ました。変な男がステージに上がってきて、動けなくなっちゃったところを、『トリプレット』のなおみちゃんがやっつけたんですよね。なおみちゃん、カッコよかった。」
「その通りです。ですから、お父さん、お母さんと相談して、安全を確かめながら活動を進めていく必要があるんです。」
「分かりました。でも、あの大河内って女、あんなことで動けなくなって、ガキかって感じですよね。」
「・・・・・・・。」
「たぶん、あの女、子供じみたことばかり言って、周りの人にすごい迷惑をかけていそう。でも、すごい美人だからいつも許されちゃうんでしょうね。」
「・・・・・・・。」
「ユミ、よく知りもしない人の悪口を言うもんじゃありません。湘南さんは、そういう子は好きじゃないと思うよ。」
「あっ、パパ、ごめんなさい。あと、湘南兄さんも、ごめんなさい。」
「僕は構いませんが、パスカルさんとラッキーさんは大河内さんの大ファンですので、そういう話しはあまりしないほうがいいと思います。」
「分かる気がします。やっぱり美人は徳ですよね。」
「大河内さん、ロックに夢中過ぎて、ユミさんが言うことに当たっているところもあると思います。でも、本当に歌も上手なんですよ。」
「そうなんですか。もしかすると湘南兄さんも大河内さんのファンなんですか。」
「えーと、違います。僕は神田明日夏さんのファンなのですが、大河内さんと明日夏さんは仲良しなので多少知ってはいます。」
「そうでした。湘南兄さんとセロー兄さんは神田明日夏さんの大ファンでしたね。でも、あの、今の話はパスカル兄さんには。」
「はい、他の人に話したりしませんから大丈夫です。」
「有難う。湘南兄さんは頼りになります。」
「有難うございます。でも、もしユミさんに大河内さんみたいなことが起きたら、急いでスタッフの方に逃げてくださいね。」
「はい。足はそんなに速くはないですが、全力で逃げます。」
「こちらも、ユミさんが逃げられるように準備はしておきます。」
「有難うございます。」
公演が始まった。2時40分まで、20分ずつ5グループが出演する。ユミは応援を真似ながら、誠と父親は黙って見ていた。3番目にアキが出てきた。
「みなさんー、こんにちは!アキだよー!みんな元気にしていた。・・・・いやー元気だね。結構、結構。私が今まで歌ってきた曲は、カバー曲だけだったけど、いよいよ今日は何と私のためのオリジナルの新曲を披露しちゃうよ。ノリのいい曲だから、楽しみにしていてね。オリジナルの新曲の披露は後にして、まずは、新しいカバー曲から歌います。『アイヲウタエ』。」
アキが『アイヲウタエ』を歌う。
「有難うございました。アキで『アイヲウタエ』でした。そして、いよいよ次はオリジナルの新曲です。私の声に合わせて曲を作りました。この夏、いっぱい練習してきたので聴いて下さい。アキで『急に呼び出さないで』。」
アキが歌い始める。誠は「ちゃんと歌えている」と思いながらお客さんの反応を見ていた。ユミは誠が貸したペンライトを振りながら応援していた。
「有難うございます。アキで『急に呼び出さないで』でした。まだ友達関係の男子に急に呼び出されたときの女の子の気持ちを明るく歌ったものです。それじゃあ、みんな、みんなの曲の感想を聞かせてくれる。是非、聞かせて下さい。じゃあ、感想がある人は手を挙げて!おー、たくさん、挙げてくれたね。有難う。時間の制限があるからみんなに当てられないと思うけど、じゃあ、君!・・・・・可愛いって。有難う。でも、もうちょっと気の利いた事を言えないかな?じゃあ、もう一度別なことを言って!えっ、厳しいって。そうだよ。世界は残酷なんだよ。・・・・・リズムが心地いいって。有難う。そうだよね。この曲、アップテンポなリズムが売りだと思う。じゃあ、もう一人、反対側から。君。・・・・・えっ、私の場合、呼び出したらお前が来いって言いそうって。ははははは。そうかもしれないけど。でも、私にも意外と可愛いところもあるかもしれないよ。私も私のそういうとこ、あまり知らないけど。ははははは。実は、今日には間に合わなかったけど、オリジナル曲はあと2曲準備中なんだよ。9月には披露できると思うので、是非、楽しみにしていて下さい。また、この新曲と最初に歌った新しいカバー曲『アイヲウタエ』のCDを物販で販売しています。私もそこにいて、CDの他には私をモチーフにしたイラスト集やアクリルスタンド、あとチェキ撮影会もやっているので、是非、お立ち寄り下さい。それでは、今日最後の曲です。」
「えー」という声が湧き上がる。
「有難う。今日最後の曲は『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』です。」
アキが『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』を歌い始める。誠は「歌いなれてきて、自然な感じになってきている」と思いながら聞いていた。歌い終わると、アキが最後のMCを始める。
「有難うございました。今お聞きいただいた歌はアキで、『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』でした。今日も私の歌を聴いてくれて有難う。夏休みもあと二週間と少し、是非、ラストスパートで楽しんでください。私も、8月中にあと3回出演します。オリジナル曲は少ないけど、カバー曲の種類は増やしていますので、私の歌を聴きに来てください。あと、この後特典会で、新しいCDを販売しますので、是非、私の物販ブースまで足を運んでください。今日は本当にありがとうございました。アキでした。」
アキが舞台袖に下がって行った。誠がユミの方を見ると、ユミの元気が少しなくなっていたようだったので尋ねた。
「ユミさん、大丈夫ですか。疲れました?」
「そうじゃなくて、アキお姉さんみたいにうまくやれるか、少し自身が持てなくなってしまいました。」
「アキさんも、前よりはずっと上手になっているから、素質もあるかもしれないけど、経験を積めば上達すると思います。」
「湘南兄さん、私に素質があると思います?」
「あると思います。大河内さんをあの女呼ばわりできる人はそうそういないです。」
「何だか良く分からない理由ですね。」
「強気で頑張れるということです。アキさんもかなり気が強い方ですけれど。」
「ははははは、そうですね。」
「それにユミさんはまだ若いですから、向いていないと思ったら、別の道を考えればいいだけです。でも、何となく上手くいきそうな気がします。」
「気を使ってくれて有難う。頑張ってみます。パパ、いいでしょう。」
「まあ、ユミに悪いことをするという感じじゃないから、前向きに考えるけど。」
「一応、物販の様子を見てから決めてください。」
「私はやると決めている。」
「ユミ、ちゃんと見て考えて決めよう。」
「分かった。」
5組のライブが終わって、物販をやっているロビーに向かった。アキ、パスカル、ラッキー、コッコは、アキのライブが終わるとすぐに物販の準備をしていた。誠とアキたちは目が合ったが、そのまま少し離れたところで見ていることにした。
「アキさんの他は、列を整理している男性がパスカルさん、会計をしている女性がコッコさん、テーブルの後ろで見ている男性がラッキーさんです。」
「うん、みんな覚えているよ。セローさんは?」
「セローさんはアキさんをプロデュースするグループには入っていなくて、この間は明日夏さんのファンの代表ということで海に来ていたんです。」
「そう言えば、メールにも名前がなかったですね。」
「はい。」
「アキさんは何をやるの?」
「お客さんと少しお話しながら、サインをしたり、いっしょにチェキという写真を撮ったりです。だいたい1つ千円で売っています。ライブに参加するために、参加費を払わないといけないので、収支はトントンという感じです。」
「そうなんだ。」
「でも、有名になって、一グループでこの部屋にいるお客さんが集められるようになったら、利益も出るようになるようです。」
「『トリプレット』とかはどうなんですか?」
「『トリプレット』はプロの事務所とメジャーのレコード会社が売り出し中だから、宣伝費を考えると今は赤字なんじゃないかと思います。解散したアイドルラインの武道館ライブなんかは、一晩一億円ぐらい動くらしいですが、たくさんのプロフェッショナルな人が関わっていて、お金がかかるので、ちょっと間違えると何千万円という大赤字になって、すごい大変みたいです。」
「アイドルにも厳しいんでしょうね。」
「だと思います。」
「アキお姉さん、ちょっと変なお客さんにも、笑顔を絶やさず、すごいですね。」
「うん、頑張っていると思います。だから、応援したくなるのだと思います。」
「湘南兄さんはそうなんでしょうね。」
「ユミさん、他のグループも見ておくといいと思います。」
「はい、私もそう思います。見てみます。」
3人は他のグループのブースを回りながら、その様子を見ていた。
「あそこの人のハートマークのポーズ、大きいですね。」
「ハートマークは、いろいろ工夫しているみたいです。」
「あそこのユニット、チェキを撮る照明がすごくちゃんとしていますね。」
「たぶん、車を用意して持ってきてるんでしょうね。うちはスーツケースだから、あんなに大きな装置は無理だと思います。」
熱心に見ている父親にユミが話しかける。
「パパ、物販に参加してきたかったら参加してきていいよ。大したことはなさそうだけど、ママには黙っておくから。」
「そうじゃなくて、実際にどんなものか知るために行ってくる。」
「分かった。調べてきて。」
「すぐに戻ってくる。」
父親は、沖縄出身のアイドルのチェキを撮影する列に並んだ。
「でも、アキ姉さん、一人なのに結構人気がありますね。」
「はい、気の強さと男性向けアニメのオタク話に強いところが人気につながっていると思います。」
「そうなんですね。ユミは何を話せばいいでしょうか。」
「ユミさんが好きなものはなんですか。」
「湘南兄さんと『トリプレット』。」
「アイドルグループが好きなんでしたね。『トリプレット』以外はどうですか。一番メジャーな『IKB47』などは?」
「はい、知っています。テレビも見ています。」
「では、アイドルに関して話すのがいいんじゃないかと思います。自分もいつかは『IKB47』に入りたいみたいな感じで。」
「分かりました。メジャーなアイドルの話しがもっとできるようにしておきます。」
「あと、個人向けて好きと言うのは、ファンサービスと分からなくて本気にしてしまう人がいますので、絶対に避けるようにして下さい。面倒というか、場合によっては危険な状況が生じてしまいます。言うなら、みんな大好きとかです。」
「分かりました。気を付けます。でも、湘南お兄さんは優しいので本当に好きですけど。」
「有難うございます。」
誠は「大河内さんを含めると、3人目の妹か。まあ、頑張ろう。」と思いながら、歌の説明を始めた。
「曲についてですが、アキさんと二人で出演するときは、アイドルラインの曲を使おうと思っています。有名で歌いやすい曲が多いためです。」
「はい、アイドルラインの曲は全部知っているので、大丈夫だと思います。」
「それは助かります。二人用に編曲を変えています。主に高音パートをユミさん、低音パートをアキさんが歌うようにします。最初は二人で歌うときも同じ音程で歌うようにしますが、ハモることができるようなら、だんだん取り入れてきたいと思います。」
「分かりました。」
「海で聞いた感じでは、同じ音程で歌うのは大丈夫だと思っています。」
「そうだといいです。」
「二曲ほどインスツルメンタルを制作しましたが、聴いてみますか?」
「お願いします。」
誠がパソコンを取り出し、イヤフォンを取り付けてユミに渡し、再生を始める。ユミは軽く全身でリズムをとりながら聴いていた。2曲聴き終わった後で誠が尋ねる。
「どうでした。」
「はい、何とか歌えると思います。」
「振付に関しては、アキさんが考えてくれています。その練習をしないといけないと思いますが、それはアキさんと話して決めましょう。」
「分かりました。私は今は夏休みなので時間は大丈夫です。」
「はい、夏休みのうちに練習して、できれば9月にレコーディングをする予定です。」
「レコーディング!」
「手焼きですが、販売するCDを制作するためです。」
「分かりました。頑張ります。それにしても、パパ、戻ってこないですね。他のアイドルのところにも行っちゃっているし。」
「お父さん、ユミさんが心配で、いろいろ調べているだと思います。」
「そうですね。そういうことにしておきます。でも、パパ楽しそう。」
「二人のお子さんを育てるのに大変で、今は若い時に戻った気分なんじゃないでしょうか。」
「はい。」
物販が終わり、荷物を片付け始めたとき、誠たちはアキの物販のテーブルに向かった。
「パスカルさん、片付け、手伝います。あと、芸名については伝えてあります。」
「サンキュー。」
「プロデューサーさんお久しぶりです。」
「パスカルさん、この間は失礼しました。」
「ユミちゃん、ユミちゃんのお父さん、お久しぶりです。今片付けていますので、それが終わりましたら、喫茶店に行きましょう。」
「うん。」「分かりました。」
「ユミちゃん、お久しぶり。ステージの上から見えていたよ。応援有難うね。」
「いえ、ステージ上のアキ姉さんが光り輝いていて、私なんかにできるか心配になりました。」
「何事もやってみないと分からないわよ。」
「はい。湘南兄さんにもそう言われましたので頑張ってみます。」
「じゃあ、着替えてくるので、後でね。」
「はい。」
「おっ、ユミちゃん、久しぶり。相変わらず美少女JSしているね。」
「コッコさん、ユミさんに変なことは言わないで下さい。」
コッコは誠の注意を気にもせずにスケッチを始めていた。
「コッコ姉さん、お久しぶりです。湘南兄さん、コッコ姉さんも法律を犯すようなことはしないと思いますよ。」
「でも、締め切り近くで、ネタに困っているときは、危ない可能性があります。」
「漫画家の宿命ですね。分かりました。ネタに困っているようなときは気を付けます。ラッキー兄さんこんにちは。」
「ユミちゃん、こんにちは。まあ、うちはこんな感じでやっているから気楽にやってよ。」
「はい、有難うございます。できればアイドルやアニソン歌手のイベントにも行ってみたいと思っています。」
「勉強のためにだね。女性ファンが増えるのは大歓迎だからもちろんいいけど、ご両親の許可は、やっぱり必要だよ。」
「分かりました。」
「でも、ラッキーさんが、ユミちゃんを連れていたら、娘と間違われそうですね。」
「えー、ラッキーさん、娘さんがいたんですか、って感じか。」
「そうそう。」
「まあ、アイドル志望の子を案内しているだけと説明するよ。」
「それはそれで、誤解を受ける気がする。」
「それも、そうだね。」
「ラッキーさん、心配しないで下さい。その時は私から説明します。」
「そうしてもらえると助かるよ。」
「任せてください。」
アキが着替えから戻ってくるまで雑談をした後、7人は喫茶店に移動した。
アキが話を切り出す。
「ユミちゃんのお父さん、まずは今までの活動に関して、パスカルと湘南から説明します。」
「実は私たちの活動の始まりは、今年の1月の神田明日夏さんというアニソン歌手のリリースイベントで、私とアキちゃんと湘南が知り合ったことから始まります。」
「まだ1年経っていないんですね。」
「はい、その通りです。その後、3月にCDを制作するためのレコーディングを行い、4月に初めてのイベントに出演しました。以後の活動は、このホームページにある通りです。」
誠がパソコンを使ってホームページを見せる。
「なるほど。」
そして、会計について説明する。
「これが、現在までの会計です。」
「多少、利益が出ている程度という感じですね。」
「はい、普通の地下アイドルは毎日のように出演していますが、我々は普段の月は3回ぐらいです。この8月は夏休みですので出演回数を増やしていますが、まともな利益が出せるというものではないです。」
「ご丁寧に、有難うございます。」
「その代わり、毎日にように出演しているプロの地下アイドルと違って、ユミちゃんへの負担は限られると思います。参加の決定は、ご家族で相談してからになると思いますが、何か質問はありますでしょうか。」
「パパ、私はやるよ。」
「ママとも相談しないと。」
「ママはだめと言わないと思う。」
「ユミ、最終決定は家族で決めるから。でも、パスカルさん、ユミは今まで弟の面倒を良く見てくれて、自分の好きなことを我慢してきたんじゃないかと思っています。弟の手が離れるようになって、ユミに自由にやらせたいという気持ちもあります。ですので、前向きに考えたいと思います。」
「分かりました。もし、ご心配ならば、是非、イベントには、お父さんでもお母さんでもご参加下さい。ついでに、運営を手伝って頂けるとこちらも助かります。」
「分かりました。私か家内が参加するようにしたいと思います。」
アキが喜びながら言う。
「ユミちゃん、良かったね。湘南、曲の話はユミちゃんにしたんだよね。」
「はい、二曲とも聴いてもらいました。歌えそうということです。」
「はい、アキ姉さん、大丈夫だと思います。」
「でも、これから、いっぱい練習しないとね。」
「はい。」
「練習場所を決めないと。カラオケを使ったりもできるけど。」
「練習場所は、うちでよければ、小さいですが防音が効いたAVルームがありますが。」
「AV?」
「パスカルさん、このAVはオーディオ、ビジュアルの略です。」
「あーなるほど。」
「あの、ユミちゃんのお父さん、お宅の場所を伺ってよろしいですか。」
「宮前平です。歩いて15分位のマンションの1階です。」
「田園都市線ですね。一本で行けますし、その方が安心できるでしょうから、初めはそうさせてもらおうと思います。」
「アキちゃん、1階なら下に響かないから、振付の練習もできるんじゃないか。」
「そうね。」
「はい、それは大丈夫だと思います。まあ、1階にしたのは値段の都合なんですけど。」
「でも、ユミちゃん、昼間に大きな公園や河原でも練習したりもするからね。」
「公園で?恥ずかし・・・・そんなこと言っちゃダメなんですね。」
「その通り。」
「分かりました。」
「ユミちゃん、とりあえず一人で練習して、歌に慣れておいてくれるかな。」
「はい、頑張って練習します。」
「湘南、私とユミちゃんにそのインスツルメンタルのデータを送ってくれる?」
「もちろんです。その前に、ユミさんとユミさんのお父さんにもSNSグループの『アキPG』に加入してもらったらどうでしょうか。」
「そうですね。その方が便利ですので、お願いします。」
「分かりました。」
ユミとユミの父親が『アキPG』に加入する。
「それでは『アキPG』宛に、インスツルメンタルのデータのURLを送ります。あっ、そうか。ユミちゃん、データから音に出すのはできる?」
「そこは私がやります。」
「有難うございます。お願いします。」
「あと、ユミちゃん、今週の木曜日の午後に、アキさんがレコーディングをするから見に来る?」
「うん。アキ姉さんのレコーディング、見たい。」
「それじゃあ、三軒茶屋の待ち合わせでいい。」
「大丈夫。」
「あと、決めなくてはいけないことはなにかあるかな?」
「あの、プロデューサーさん、ユニット名は決まっていますか?」
「おーそうだった。さすがユミちゃん。まだ正式には決まっていない。」
「プロデューサーさん、何か考えありますか。」
「アキ&ユミ。」
「そのままですね。」
「パスカル、小学生にも同じことを言われている。」
「ユニット名は急がなくても『アキPG』で案を考えれば大丈夫だと思います。」
「そうね。湘南の言う通りにしましょうか。」
「おう。」「分かりました。」
その後、7人は地下アイドル活動、曲、演者を推す活動の話などを1時間ぐらいしたあと、解散となった。
「それじゃあ、ユミちゃん、お父さん、これからもよろしくお願いします。」
「はい、みなさん、こちらこそ、よろしくお願いします。」
「プロデューサーさん、アキ姉さん、湘南兄さん、ラッキー兄さん、コッコ姉さん、今日は本当に有難うございました。アイドルラインの歌、頑張って練習します。」
「ユミさん、勉強もちゃんとして下さいね。」
「はい、勉強を怠けると、湘南兄さんに嫌われちゃいますよね。頑張ります。」
「えらいぞ、ユミ。」
「だって、湘南兄さんの妹さんって優秀なんですよね。」
答えをためらっている誠に代わってアキが答える。
「うん、すごく優秀だよ。」
「ですよね。アキ姉さん、有難うございました。それでは皆さん失礼します。」
「じゃあ、次はレコーディングで。」「練習、頑張ってね。」「またね、レコーディングで。」「また、イベントで。」「良い絵が描けそうです。有難うございました。」
7人は喫茶店を出て、ユミと父親は地下鉄の入り口に向かった。5人もおしゃべりをしながら、駅の方に向かった。
「ユミちゃん、やる気いっぱいという感じが嬉しかった。」
「おう、アキちゃんの言うとおりだよな。」
「私には、父親の方にやる気を感じたよ。」
「コッコさん、父親は木下さんと呼ぶことにしたのですが、さっき、良い絵が描けそうって、木下さんの方を見て言ってませんでしたか?」
「いやー、どんなふうに展開させるか考えているんだよ。見て、なかなかいい絵でしょう。」
「この打ち合わせの間、木下さんの絵ばかりを描いていたんですね。」
「もちろん。本業だから。」
「湘南、いいじゃない。その分、ユミちゃんが安全になるんだから。」
「それは、そうですけど。」
「それより、今はユニット名を考えなくちゃね。」
「おお、その通りだ。ところで、ラッキーさんは、この後のご予定は?」
「ごめん、今日はこれから羽田に行って広島に帰らないと。」
「明日は仕事ですからね。ということは、今日はここで解散かな。」
「そうなるかな。それじゃあ、みんな、またどこかのイベントで。」
「ラッキーさんとは次はアニサマかな。コッコは次のライブで。パスカルと湘南は木曜日のレコーディングで。」
「アキちゃん、またね。」「それじゃあ、レコーディングで。」
渋谷駅前で5人も解散した。
誠は尚美と待ち合わせて家に向かった。
「尚、ぼくたちが海で撮影したビデオ、覚えている?」
「うん、明日夏先輩を応援するオタ芸の?」
「そう。そこに小学生の女の子が映っていたのは?」
「何となくだけど、覚えている。」
「今度、アキさんとユニットを組むことになった。」
「はっ、何それ。アイドル活動、遊びでやってんの?」
「ごめん。尚からはそう見えるだろうけど、実際、遊びでやっていると言われれば、その通りだと思う。いつも言っているけど、尚たちとは、プロ野球と草野球の差はあると思う。」
「でも、何でそんなことに?」
「女の子がアイドルに憧れていて、父親も活動に応援してくれるからかな。イベントは父親か母親が手伝ってくれるって。」
尚は「何だ、子供のお遊戯会か。」と思いながらも、否定的なことを言うのを避けた。
「まあ、楽しくなりそうだけど。」
「難しい曲は無理だけど、今より高音が使えるので、曲のレパートリーが広がる。アイドルらしさも、もっと出せると思う。」
「そうなんだ。それは良かったと思うよ。でも、お兄ちゃんが無理しすぎないように気を付けてね。無理だと思ったら、何でも話してね。」
「分かっている。」
尚美は、親もいっしょということで、女子小学生が加入すること自体はあまり心配することなく、『トリプレット』の新曲の練習や衣装に関する話をしながら家に向かった。
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