第2章 光るワンマンライブ

第18話 自立

 アニソンヤングライブの翌々日の夕食の後、リビングで考え事をしている尚美に誠が声をかけた。

「尚、昨日からずうっと考え事をしているようだけど大丈夫。」

「うん、実は二つあるんだけど、お兄ちゃんに話して良いかどうかも迷っているんだ。」

「僕の方は、一番大切な尚が本当に困っているならば、何でも相談に乗るけど。」

「本当に?私が一番大切って。」

「いつも言っているように、それで何かを諦めなくていけないことがあったら諦める。あと、秘密は絶対に守る。」

「分かった。一つは大したことじゃなくて、明日夏さんがアニサマに追加で出演が決まったということ。」

「そうなんだ。それは良かった。大丈夫だよ。発表までは絶対に秘密にしておく。申し訳ないけど、セローさんにも。」

「あまり確かな情報じゃないんだけど、アニサマの関係者が、明日夏さんのオタクなところを知って、それを気に入ったからという話があるみたい。」

「明日夏さんのオタクはちょっとずば抜けているから、そういうこともあるかも。」

「お兄ちゃんは、応援に行くの?」

「情報が解禁されたら、チケットを探してはみるけど、定価でチケットを入手するのは無理だと思う。だから、会場の外でできることだけを頑張るよ。ラッキーさんに広報の方法とか聞いてみる。」

「関係者用のチケットなら入手できるんだけど。」

「ううん、それはいらない。」

「そうだよね。」

「あっ、でも、トリプレットが出るライブは、関係者チケットでも行くから、その時はそういうチケットでもあればお願い。」

「本当!有難う。」

「まあ、正真正銘の関係者だし。」

「うん、それでも嬉しい。」

「それでもう一つは?」

「それが難しくて。ある人を説得する方法を考えているんだけど。」

「そうなんだ。学校の友達の話?」

「友達というか美香先輩の話。」

「鈴木さん?鈴木さんを説得するの?」

「そうじゃなくて、美香先輩は、うちの橘さんが歌手だったときの大ファンで、橘さんのレッスンを希望しているんだけど、向こうの社長が首を縦に振らないみたいなの。」

「パラダイス興行側は大丈夫なの?」

「そっちは全然大丈夫。美香先輩が直接溝口社長に掛け合っているみたいなんだけど、うまくいかないみたい。」

「それで、溝口社長を説得するためには、どうしようかということか。」

「そう。」

「友達のことでそれだけ悩むって、尚は偉いな。」

「いろいろお世話になっているし。」

「事情はだいたい分かった。会社の社長さんだから会社へのメリットは必要だと思う。でも、それだけじゃなくて、溝口社長が一代で興した会社だから、社長の夢にそえるといいと思う。とりあえず、溝口社長は何て言っているか分かる?あと、その社長のプロフィールや社長が書いた抱負のようなものがあると助かる。」

「うん、集めてあるけど。」

「さすが尚、ちょっと待ってて、読んでみるよ。」

「分かった。」

誠が読んだあと相談する。

「海外で活躍できる歌手になるため、という方針で説得するんだよね。」

「やっぱり、そうなると思う。ところで、お兄ちゃん、このアニメ知っている?」

「だいぶ昔のアニメだよ。うーん、大リーグ、メジャーリーグか。」

誠と尚美が1時間ぐらい説得方法を検討した。

「有難う、お兄ちゃん。だいぶ方針が分かってきた。あと細かいところは自分で考える。」

「うん。もし、まだ何かあったらいつでも相談して。」

「分かった。」


 翌日、尚美がミサに連絡する。

「美香先輩、橘さんのレッスンの件、私が溝口社長に直接会って、お話することは可能でしょうか。」

「尚、有難う。あの後、また社長と会ったけれど、やっぱり分かってくれなかった。」

「そうですか。兄と相談して、説得材料を探してきました。何とかならないかやってみます。」

「誠も考えてくれたんだ。分かった、もう一度、社長に会ってもらえるようにお願いしてみる。」

ミサの依頼を受けた、溝口マネージャーが溝口社長に電話する。

「社長。溝口です。」

「また、大河内のトレーナーの件か。」

「はい、その通りです。」

「お前の方で何とかできないのか。」

「今回はパラダイス興行さんからも説明に上がるそうです。」

「向こうの社長か橘とかいうトレーナーが来るのか?」

「いえ、ミサちゃんの友人の星野なおみ、中学2年生で、アイドルユニットのトリプレットのリーダーが来るそうです。」

「何で私がそんなのと会わなくてはいけないんだ。」

「私は星野に3月のヘルツレコードのライブと7月のアニソンサマーフェスティバルで会ったことがありますが、そのときの印象はとても良かったでした。特に、アニソンサマーフェスティバルのトラブルを収拾した機転は中学生とは思えないぐらいのものです。社長も一度は会っておいた方がいいと思います。4月のヘルツのアイドルユニットのオーディションで、最終選考なしでうちの『ハートリングス』を破ってデビューが決まったユニットのリーダーです。」

「あー、あれか。ヘルツの第2事業部幹部の受けは非常に良かったみたいだね。分かった、お前がそこまで言うなら会ってみよう。」

 尚美はその日の夕方、学校が終わってから溝口エイジェンシーに向かった。ミサが出迎える。

「尚、今日は有難う。」

「お礼は、成功してからです。」

「ううん、尚と誠が考えてくれたというだけでも嬉しい。」

尚美が溝口マネージャーに挨拶する。

「溝口さん、3月と7月のライブでは大変お世話になりました。」

「いえ、こちらこそお世話になりました。どうぞこちらへ。社長がお待ちです。」

「有難うございます。」

3人はエレベーターで別のフロアに上がり、社長室と書かれた扉の前で止まる。溝口マネージャーがノックをして、社長に尋ねる。

「社長、よろしいでしょうか。」

「はい、どうぞ。」

3人が社長室に入る。社長室には社長と秘書の2名が座っていた。社長と秘書が立ち上がり、社長が尚美の前にやってきた。

「こんにちは、溝口エイジェンシー社長の溝口一郎です。」

「はじめまして、トリプレットの星野なおみ、本名は岩田尚美です。今日はお時間を頂き、大変ありがとうございます。」

「噂通り、知的で可愛らしい娘だね。」

「有難うございます。社長は大変お忙しいと思いますので、早速本題、私の友人である大河内ミサさんのボイストレーナーに関してお話したいのですが、よろしいでしょうか。」

「もちろん。ただ大河内にも説明したように、彼女には日本で最高のトレーナーをチームで付けているつもりだ。それが大河内にとって最も良いと私は確信している。だから、このままで行くつもりだ。」

「お言葉を返すようですが、そのトレーナーさんのお弟子さんで、海外の本場で本道のロックミュージシャンとして活躍されている方はいらっしゃいますか。」

「それは、いないだろう。そういうミュージシャン自体がほとんどいない。」

「はい、でも、大河内さんは、その世界的なミュージシャンへの道に挑戦する資格が十分あると思います。」

「そうは言っても、世界的な歌手なんてそんなに簡単になれるものではないよ。」

「大河内さんは、子供のころから英語の教育を受けて来たため、英語がネイティブ並みに達者です。ルックス的にも、日本人らしさを残した美人でありながら、超日本人的なスタイルをしています。そして、声の素質や歌の才能も十分に高いです。それに、まだ19才と言う若さのため、真の世界的なミュージシャンに成長する可能性は、日本の歌手の中では大河内さんが一番高いと思います。」

「そうだね。日本でも人気があり、ラスベガスやロンドンの大きなホールを一杯にできる歌手を育てることが私の夢でもあったんだが、それをどこかで調べて来たの?」

「はい、もちろんです。社長、想像してみて下さい、大河内さんが、海外のホール、今ならドーム球場や、巨大な広場での野外公演を一杯の観客の前で歌っている姿を。」

「まさに夢だな。」

「夢を売るのが、私たちの商売です。その商売を発展させるためには、自分たちの夢を実現して見せて、一般の方に夢やそれを実現する魅力を知ってもらうことがとても重要です。」

「君の言うことはわかるが、その橘さんだって、世界的に売れる歌手を育てたことはないだろう。」

「それは、社長のおっしゃる通りです。ただ、大河内さん、夏のカラオケで橘の歌を初めて聴いたとき、涙を流しながら聴いていたんです。」

「そうなのか。」

「はい、世界的なミュージシャンになるためには、誰かのマネではなく、歌にもオリジナリティーが必要です。そのためには、大河内さんの自身の感性を磨いていく他はありません。そのためには、大河内さんが共感する歌を歌える橘をトレーナーに加える必要があります。」

「なるほど。」

「それにもう一点、モチベーションのこともあります。大河内さんが、自分のしたいことの要求でこんなに社長を困らせたことはなかったんじゃないでしょうか。」

「そうだね。歌と全然関係しないことを断ることはあったけど、歌に関係することならば、素直に聞いていた。大河内にはもう少し貪欲さ欲しいと思っていた。」

「大河内さんのご家庭はとても裕福で、そのため音楽と言う労働で多額のお金を稼ぐということに意欲は沸いてこないと思います。やはり、自分が納得できる歌で、たくさんの人の力になりたい。そういう気持ちが努力への原動力になっているんだと思います。」

「まあね、この業界で抜きんでるためには、並外れたやる気が必要なのは確かだな。」

「私が今のユニットで、うちの社長がインディーズでもいいから早くデビューするという方針に反対して、メジャーを目指すと言ったのも、他のメンバーの二人、基礎的な力は十分にありましたから、そのやる気をもっと引き出そうと思ったからです。」

「そこまで考えてユニットを率いているのか、君は。」

「はい、結果的には、思ったより早くメジャーデビューできてしまいましたが。」

「それは、君の力が大きいのだろうけど。」

「普段は大人しい大河内さんが橘の指導受けることに、これだけこだわっているのですから、それは大切に考える必要があると思います。ただ、本気で海外の本流で売り出そうと考えるならば、橘の指導に加えて、アメリカかイギリスのトレーナーにトレーニングをお願いすることを考える必要もあると思います。」

「うーん、今は大河内にとっても大切な時期だ。大河内を長期間留学させることはできないぞ。」

「はい、例えば半年留学したところで、あまり役に立たないでしょう。継続的にトレーニングを受ける必要があります。」

「君の言う通りだ。それで、どうする。」

尚美がリストを見せる。

「このリストはインターネットを使ったボイストレーニング、歌唱指導を行っているところです。インターネットを使えば、わずかな時間遅れはありますが、十分な音質で通話できますので、事前に伴奏の音源を送るなどして、海外のトレーナーによるトレーニングが可能です。」

溝口社長がリストを見ながら言う。

「ほう。」

「それに、溝口エイジェンシーの力ならば、今はインターネットを使っていない著名なトレーナーにもトレーニングを依頼することができると思います。」

「それはそうだね。うちの海外の協力会社に探してもらうことはできる。」

「昔、メジャーリーグを大リーグと呼んでいたころ、漫画で大リーグのボールと言えば、バットにわざと当たったり、消えたり、逃げたりしていたんです。でも、今では日本人選手で本当のメジャーリーグの、それもトッププレーヤーになっている選手もいます。」

「それも、調べてきたんだね。」

「はい、手記を読ませて頂きました。歌手に関してもそれが不可能なはずはありません。」

「確かに、大河内が、消えたり、避けるようになっても困るしな。」

「言語の問題がない大河内さんがそれに最も適任ですし、日本の最大手の溝口エイジェンシーは、日本の歌謡界全体をレベルアップさせるためにも、本格的に先陣を切る必要があると思います。」

「うーん。」

「海外に本格的に売り出す時には、一桁以上違う予算が必要になると思いますが、逆に、そうしないと、家電製品のように、桁違いの予算を使う海外のプロダクションに日本の主なエンターテイメント市場が次第に取られていってしまうかもしれません。ですので、現在は、溝口エイジェンシーと日本の歌謡界のために海外への売り出しを考えれば、橘による指導を加えて、大河内さんの感性を磨き、やる気を出してもらうことが絶対的に必要と言って間違いないと思います。」

溝口社長がミサの方を見て言う。

「大河内君、今の話でいいかね。一層忙しくなるとは思うが、橘さんの指導と、インターネットによる海外トレーナーの指導を受けて、国内のほかに海外への売り出しを進めていくということで。」

「異存はありません。精いっぱいがんばります。」

「わかった。大河内のトレーニング計画に関しては再考しよう。とりあえず、忙しくないときに、週2回ほど、パラダイスさんにトレーニングをお願いすることにするよ。」

尚美とミサがお礼を言う。

「有難うございます。」

「ところで、君の事務所には他に誰がいるの?」

「あとメジャーでデビューしているのは、神田明日夏だけです。」

「あー、神田明日夏か。まあ、それはいいか。あと、もう一つ。申し訳ないが、月一で大河内のそちらでの活動に関してレポートの提出をお願いできるかな。」

「はい、わかりました。毎月、大河内さんの活動の報告と改善点の提案を行います。」

大河内が言う。

「それを尚にやってもらうのは申し訳ないので、レポートの提出は、私がやります。」

「客観的な評価が欲しいので、星野君にお願いしたい。ただでとは言わない。報告書作成の手数料も上乗せする。」

「でも。」

「美香先輩、うちの仕事を取らないで下さい。」

「大河内君、その通りだよ。」

「分かりました。お二人の言う通りにします。」

「有難うございます。」

「じゃあ、星野君、今日は有難う。楽しかったよ。」

「そう言って頂けると嬉しいです。」

「あと、星野君に関して、そちらの事務所では処理できないような案件があったら、私に相談してくれたまえ。絶対に悪いようにはしないつもりだ。」

「有難うございます。その節にはお願いに伺います。」

「そうしてくれたまえ。それでは、また。」

「はい、失礼いたします。」

部屋を出るときに、溝口マネージャーがミサに話しかける。

「私は今の件で、まだ社長とお話がありますので、星野さんを送って行ってくれますか。」

「はい、分かりました。」

尚美とミサが部屋から出ると社長に礼をして扉を閉めた。ミサが尚美に話しかける。

「尚、すごかった。本当に有難う。」

「野球のくだりとインターネットによる指導は、兄が考えたんです。」

「誠が?」

「かなり効果的でした。」

「この前のライブのことと言い、二人には土下座してお礼を言いたいぐらい。」

「気にしなくても大丈夫です。うちの事務所の仕事が2つ増えましたし。兄も美香先輩が世界で活躍できれば喜ぶと思います。」

「そうだけど。何か欲しいものとかない?」

「美香先輩の笑顔で十分です。」

「尚、もうそれじゃ、どっかのおじさまみたいだよ。」

「美香先輩、本当にそういうこと言われていそうですよね。」

「それは、たまにだけど。そうだ、誠にもお礼をしたいんだけど、何がいいかな。」

「兄も美香先輩の歌が好きと言っていますので、美香先輩の歌のパフォーマンスが良くなれば、それが一番のお返しだと思います。」

「でも、誠、車が好きなようだから、ポルシェとかフェラーリとかは?」

「もしかするとですが、それは本物だったりするんですか?プラモデルじゃなくて。」

「子供じゃないんだから、もちろん本物だけど。」

「それじゃあ、美香先輩が若い男に貢ぐお金持ちのマダムみたいですよ。」

「そんなことないよ。私が車好きと言うと、おじさま方がそういう車をプレゼントするって言うし。」

「そして、その車のお礼は美香先輩の笑顔だけでいいという。なるほど。そういう世界もあるわけですね。いい勉強になります。」

「本当に感謝の気持ちを伝えたいだけなんだけど。」

「うーーん。美香先輩のサイン入りCDとかなら受け取るとは思いますけど。」

「私のCDだと今一つ面白くはないけど。誠、あまりロックは聞かないんだよね。」

「そうですね。美香先輩以外のロックはあまり聞かないかもしれません。よく聞くのは、明日夏先輩の曲と、昔の蒲池さんとか今井さんの曲です。」

「明日夏の曲と後の二人はだいぶ曲調が違うけど、やっぱり癒し系かな。分かった、じゃあ今度CDを用意して持っていくね。」

「持っていくというのは。」

「尚の家までだけど。」

「うち、辻堂ですので、忙しい美香先輩にそんな面倒なことをさせるわけにも。兄の大学も東京にありますので、呼び出しますよ。美香先輩が指定の場所に。」

「じゃあ、こうしよう。二人を車で家まで送っていくよ。帰りは反対方向だから空いているし。」

尚美はあまり気は進まなかったが、二人っきりでなく、自分も一緒なのでそうすることにした。

「分かりました。いつにするかは、兄が大学に行く日のことも聞かなくてはいけないので、後でSNSに連絡します。」

「でも、誠、来てくれるかな。」

「あー、リムジンの乗れると言えば来ると思います。」

「そうだね。良かった。有難う。」


 家に帰った尚美が誠に報告する。

「うまくいったのか。良かったよ。さすがは尚だな。」

「うん。それで、美香先輩がお礼としてサイン入りCDをお兄ちゃんに手渡したいから、今度、美香先輩の家のリムジンでお兄ちゃんと私を送ることになった。」

「リムジンか、すごいな。1回乗ってみたかったって、えっ、家のリムジン?」

「美香先輩、家が想像以上にお金持ちみたい。」

「別荘とフェラーリを持っているぐらいだから、そうなんだろうけど。」

「でも、美香先輩、家のことは気にしないで欲しいって。」

「うん、分かった。普通に接するよ。」

「一応言っておくけど、お兄ちゃん、感謝の気持ちだから、勘違いしちゃだめよ。」

「勘違いって?」

「美香先輩が・・・その、お兄ちゃんに好意を持っているとか。」

「おいおい、尚。尚には僕がそんなアニメと現実の区別ができないような人間に見えるのか。そのぐらいのこと分かっているよ。」

「美香先輩、すごい美人だから、勘違いするかなと思って。」

「いやいや、レベル違いなことは分かっているって。すごい美人だし、歌も別格という感じで、本当に夜空に輝く星って感じの人だよね。それに何と言っても、尚に恥をかかすようなことは絶対にしない。大切な尚だから、誓うよ。」

「本当に?」

「本当に。」

「良かった。」

「もう、自分の兄のことをもっと信用しなよ。」

「うん、そうする。」


 ミサは練習のため、週2回、パラダイス興行の事務所に来るようになっていた。今日はその2回目の練習日である。

「お邪魔します。」

悟が答える。

「ミサちゃん、いらっしゃい。いやー、今日はまた一段と綺麗になって。」

「社長さんったら。今日はこの間のお礼で、尚をうちの車で送っていく約束をしているので、尚と服装を合わせて明るい感じにしてみました。」

「そうか、いつもはジーンズだからね。それだけじゃない感じもするけど。雰囲気が明るくなったのかな。」

「はい。向こうの事務所では一人ぼっちのことが多かったので、こちらに来るのは楽しいです。」

「そうですか。それではレッスンがない日でも、遊びに来て下さい。美しい人はいつでも大歓迎です。」

「有難うございます。」

久美が言う。

「悟、口が上手いから気を付けてね。仕事以外のことは信用しちゃ絶対にだめよ。」

「分かりました。」

「酷いな、久美。」

「でも、美香、本当に綺麗。私の若い時・・・・・若い時でも勝てないな。」

ミサが否定する。

「そんなことはありません。久美先輩はお若いですし、私よりもずっと美しいと思います。」

「美香、有難う。嘘でも嬉しい。それじゃあ、レッスンを始めましょう。」

「はい。」

ミサの久美によるレッスンが終わって、練習室から出てくる。

「久美先輩、有難うございました。」

「それじゃあ、今度は来週の月曜日に。」

「分かりました。」

明日夏たちは事務所の方で待っていた。

「ミサちゃん。よーし、勉強会をやろう。」

「わかった。でも、明日夏、橘さんじゃないからと言って、お喋りばかりしていたらだめだよ。」

尚美が言う。

「橘さんの時も、お喋りが少なくはないのですけれど・・・」

「明日夏は、アメリカ大統領が相手でも変わらない人だったわね。」

「あと、実際は私たちが教わるのに、歌の自主勉強会という名前にして申し訳ありません。」

「全然。報告書を書くために尚が考えたんだよね。それに教えることが自分の勉強にもなっているし。本当に勉強会だよ。」

「はい、報告書には美香先輩のプラスになっている点も書かせて頂こうと思っています。それでは、今日もよろしくお願いします。」

「うん、こちらこそ。」

由佳と亜美が言う。

「でも、ミサさん、本当に今日は一段と綺麗ですね。」

「ほんと、ほんと。もしかして、何かあったんで。」

「由佳と亜美もヒラっちみたいなことを。今日はジーンズじゃなくスカートで、明るめの服を着てきただけです。」

「そう言われれば、そうだけど。」

「それだけでもないような。」

「その話しはいいから、勉強会を始めます。」

「了解。」「よろしくお願いします。」

勉強会は、ミサがトレーナー、亜美がその助手となって、二人が実演しながら行っている。ミサが明日夏に言う。

「明日夏だけだぞ、ちゃんとやってこないの。」

「へへへ。いろいろ忙しくて。」

「でも、美香先輩、これでも前より数倍は家で練習するようになっているんです。」

「そうなの?」

由佳と亜美も同意する。

「前は、全然やってこなかったというか。」

「良くこれでプロの歌手が務まるのか不思議でした。」

「由香ちゃん、亜美ちゃん、酷い。」

「でも、雰囲気芸人の明日夏先輩にはアニメやゲームも必要なのかも知れませんけど。」

「雰囲気芸人って・・・」

「そうなのね。分かった。でもプロの歌手としてやっていこうと思ったら、明日夏、もう少し頑張ろう。今度のアニサマもいっしょに出るんだし。」

「そうだった。アニサマに出演するのは夢だったから。頑張らねば。」

ミサが微笑みながら始める。

「では、まずは、発声練習から。」


 勉強会が終わって、練習室から5人が出てきた。

「お疲れ様。冷えた麦茶があるわよ。作ったのは悟だけど。」

ミサが答える。

「有難うございます。お言葉に甘えて頂きます。」

「いつでも、甘えてください。」

尚美が苦言を呈する。

「社長、美香先輩の場合、そういう言葉はフェラーリをプレゼントできるぐらいになってから言って下さい。」

「うへっ。」

「いえ、私、フェラーリより、この麦茶の方が嬉しいです。」

「ミサちゃん、有難う。尚もまだまだだな。レベルが上がると、いろいろ変わるものなんだよ。」

「そうでした。美香先輩はフェラーリじゃ喜ばないんでした。ホストの方が向いているんじゃないですか、社長は。」

明日夏が反論する。

「でも、社長さんは29年間恋愛経験なしだから、向いていないんじゃないかな。」

久美が悟に詰問する。

「悟、何で明日夏にそんな話をしたの?」

「それは、明日夏ちゃんから聞かれたからだよ。」

明日夏も言う。

「うん、私が聞いたの。社長ってどんなだろうと思って。」

「それならいいけど。」

尚美も言う。

「橘さん。社長さんなら絶対に大丈夫ですから、もっと信用しましょう。みなさんも社長さんに変なことを言われたことはないですよね。」

「ないよー。」「全然ない。」「ないです。」

「ということです。」

「そうね。悟、ごめん。」

「いや、いんだよ。女性の皆さんは、警戒することは必要だから。特にこの業界は。」

「でも、社長さんは本当に29年間、恋愛経験なしなんか。」

「由佳ちゃん、その話しに戻さない。」

「本当みたいだな。ある意味、ミサさんや明日夏さんより心配だな。」

久美が言う。

「悟は、ずうっと音楽が恋人なのよ。」

亜美が答える。

「私も音楽は大好きですが。もしかして、社長、BLとかですか。」

「違います。」

「残念。」

「あの、みんな、僕のことは心配しなくていいから。」

尚美が「いや、橘さんが困ったもんなんです。」と思いながら言う。

「社長、恋愛は決まるときには、瞬間で決まったりするそうですから、気を落とさずに。」

「尚、有難う。しかし、勉強会の時はデスデーモンズでも呼ぶか、さすがに6対1じゃ分が悪い。」

由佳が言う。

「ははは、デスデーモンズとは頼りない援軍だな。それに、あいつらがミサさんを見たら、全員膝まづいて拝んじゃうんで、戦力になりませんよ。」

「はははは、それは、由香の言う通りだな。」

麦茶を飲み終えたミサが言う。

「麦茶、美味しかったでした。あと、皆さんとのお話も楽しかったです。有難うございます。でも、もうそろそろ、お暇しようと思います。」

「はい、今日も有難う。それでは気を付けて帰ってください。」

「わかりました。尚、行こう。」

「はい。溝口社長を説得したお礼ということで、今日は美香先輩のリムジンでセレブ帰宅です。」

「そんなお礼で良いのかわかりませんが、尚がそう言うので。一応、ケーキと紅茶は用意したけど。」

「リムジンに乗って、ケーキとお茶を飲みながらのセレブ帰宅、すごいな。」

「本当ね。」

「すごい、よーし。私もミサちゃんにお礼されるようなことを頑張るぞ。」

「明日夏、こんなことならいつでもするよ。」

「美香は忙しんだから、自分の時間も大切にしなくてはいけないわよ。」

「そうだ、ミサちゃんちまでケーキを食べながら帰宅して、私たちはそこから電車で帰ればいいんだ。それならミサちゃんの時間を無駄にしないよ。」

「明日夏さん、さすがです。」

「由佳ちゃん、そうでしょう。もっと誉めて。」

「明日夏さん、天才。」

「有難う、亜美ちゃん。」

尚美が言う。

「でも、それじゃあ帰宅にならないじゃないですか。」

「事務所からの帰りにやれば、日本のセレブ帰宅の雰囲気は味わえるよ。」

「さすが、雰囲気芸人ですね。」

「また、それを。」

ミサが尚美に言う。

「尚、もうそろそろ行った方が。」

「分かりました。行きましょう。」

「では、皆さんまた来週。」

「それでは、失礼します。」

「ミサちゃん、尚ちゃん、お気を付けて。」「じゃあ、また。」「二人とも、またねー。」「お疲れ様。」「お疲れさまでした。」

ミサと尚美は事務所のある建物を出た。リムジンの運転手がドアを開け、リムジンに乗り込む。

「運転手さん、出してください。尚、せかしてごめんなさい。誠を待たしては悪いと思って。」

「兄は待つのは得意ですから大丈夫です。ノートパソコンがあれば、半日でも平気で待っていられる方です。」

「へー、すごいんだ。」

「逆に、周りが見えなくなちゃいますけどね。オタク気質なんだと思います。いま、SNSで確認しましたが、時間までには到着するそうです。こちらも出発したと連絡しました。」

「有難う。」

「うちの事務所どうですか。社長からしてあれで、問題があったら言ってください。何でも言えることぐらいがうちの取り柄ですから。」

「問題はないかな。それより、部活みたいで楽しいよ。」

「もともと、大学の同じバンド出身の二人ですから、そうなるのかもしれません。」

「なるほど。」

待ち合わせ場所に近づくにつれて、ミサの口数が少なくなっていった。

「兄が到着したそうです。」

「有難う。こちらは、あと信号2つです。」

「了解です。そう連絡します。」

「あっ、誠。前方に見えてきました。」

「そうですね。兄です。」

車が誠の前で停止する。ミサがドアを開いて、車を降りる。

「今日は、お越しいただき、大変有難うございます。」

「こちらこそ、いつも尚がお世話になっていて、今日はリムジンで送って頂けるそうで、有難うございます。」

「あの、できれば、もっと普通に話しましょう。」

「分かりました。では最初から、どうぞ。」

「えっ、最初から?あっ、はい。今日は、来てくれて有難うね。」

「いえいえ、いつも尚の面倒を見てくれて、あと今日はリムジンで送ってくれて、ありがとな。」

「はい、こんな感じでお願いします。違った、お願い。」

「了解。」

尚美が降りてきて、誠に早く車に乗るように言う。

「お兄ちゃん、早く乗りなよ。」

「わかった。」

誠が乗り、続いて、尚美、ミサが乗った。

「運転手さん、出して下さい。」

車が出発した。

「やっぱり独特の乗り心地だね。質量があって、ホイールベースが長いのに重心が低い。バスやバンでは実現できない乗り心地だ。すみません、このしゃべり方、やっぱりしっくりこないです。丁寧語だけ許してください。」

「わかりました。私もそっちの方が自然です。丁寧語にしましょう。」

「やっぱり独特の乗り心地です。質量があって、ホイールベースが長いのに重心が低いですからですが、バスやバンでは実現できない乗り心地です。」

「そうなんですね。」

「アメリカみたいに、長距離移動するときに疲れないということで重宝されているみたいです。」

「確かに揺れが少ないので、食べたり飲んだりも簡単です。」

「そうですよね。よく冷蔵庫が、あっ、ついていますね。」

「はい。ケーキが入っています。いま紅茶を入れますので、お茶が入ったら、みんなで食べましょう。」

電気ポットのお湯をポットとカップに入れようとする。

「お湯は危ないので僕がやります。ケーキの方の準備をお願いします。」

「大丈夫ですけど。」

「万一のことを考えてです。僕は火傷しても、大した損害にはなりません。」

誠は、電気ポットを受け取ると、お湯をポットとカップに注いで一度捨て、ポットに紅茶葉を入れて、お湯を再度注いだ。少し待って、それをカップに注ぐ。

「カップのお湯がもう少し冷めるまで待ちましょう。」

「わかりました。」

ミサがケーキを出した。イチゴのショートケーキだった。

「お口に合うと、いいんですが。」

尚美と誠が言う。

「すごい美味しいです。甘みもちょうどで、あの店長さんに言って特別に作ってもらったんですか?」

「本当に美味しいです。こんなに美味しいケーキ食べたことがないです。」

「えーと、うちの店のケーキじゃないんです。」

ミサが店の名前を言わないので、尚美が尋ねる。

「もしかして、先輩が作ったんですか。」

「はい、そうです。何回か作って、やっとここまで来ました。」

誠が言う。

「本当に美味しいと思います。ケーキ屋さんでも成功しそうですが、でも、ケーキを焼くのは趣味にして、歌の方がもっと多くの人を喜んでもらうことができるとは思いますよ。」

「はい、ケーキ屋さんになるつもりは、今のところありません。」

「良かったです。」

「紅茶もだいぶ冷めたと思いますので、どうぞ。」

「有難うございます。」

一口飲んだミサが言う。

「美味しいです。喫茶店が開けそうです。」

「有難うです。でも僕の場合、もし店を開くならば自動車屋さんにしたいです。」

「そんな感じですね。もし店を開いたら、点検をお願いしに行きます。」

「毎度、有難うございます。」

誠が尚美に話しかける。

「尚が店を開くとしたら何がいいんだい。」

「えっ、何?今、考え事をして聞いていなかった。」

「尚がお店を開くとしたら何が良いんだい。鈴木さんは歌一本で、僕が自動車屋と答えたんだけど。」

「お兄ちゃんじゃ、すぐに店を潰しちゃいそうだから、自動車屋を手伝うよ。」

「そうか。有難う。尚によれば、僕は店の経営に向かないそうです。」

「尚は、誠にも厳しいのね。」

「でも当たっている気はします。」

「そう、そこが尚のすごいところ。」

ケーキを食べ終わって、片づけた後、ミサが切り出す。

「社長の説得の件は、本当に有難うございました。」

「99%、尚のおかげですけど。」

「尚に聞いたら、サイン入りCDなら受け取ってもらえるんじゃないかって。」

「はい、CDは嬉しいです。7月に出たアルバムですか?」

「これです。」

ミサがCDを手渡す。

「これはCD-R?」

「はい、尚に聞いたら、ロックはあまり聴かないということだったので、明日夏さんや、蒲池さん、今井さんの曲を吹き込んでみました。」

「・・・・」

「お二人には、感謝しきれないぐらい、感謝してます。」

誠は「なるほど、だから尚が誤解しないでって言ったのか。」と思った。

「本当に貴重なものを、ありがとうございます。ところで、たぶんですが、この車にCDプレーヤーがついていますよね。」

「はい、付いています。」

「このCD、聴いてもいいですか。」

「はい。少し恥ずかしいけど、どうぞ。」

「尚、楽しみだな。」

「えっ、うん。明日夏先輩の曲を美香先輩が歌うのは、勉強会で聴くけど、それ以外の二人の曲は私も初めて。」

「そうか、尚は生で聴いているんだよな。すごいな。あの鈴木さん、CDプレーヤーをお借りします。」

「どうぞ。」

 2曲ずつ全部で6曲入っていた。黙って、聴き終わったあと感想を述べる。

「鈴木さん的というか、明日夏さんの曲も、しっかりとした感じ、それも綺麗に歌っていて、とても良かったです。尚はどう思った?」

「美香先輩は私の歌の先生ですから、基礎がしっかりしていて、表現力もあって、私じゃまだまだで、さすがとしか。ただ、橘さんと美香先輩の間では、私じゃ分からない、さらに高いレベルの表現力が問題になっているようだけど。」

「尚の言う通りです。本当、尚を指導してもらって有難うございます。」

「尚はまだ13歳ですし、頑張っていますから、これからもどんどん上達すると思います。私も橘さんの指導を受けて、これからも頑張ります。でも、尚と誠の頭の回転は私じゃ全然追いつけません。それで橘さんの指導を実現してくれた尚と誠は私の恩人だと思っています。」

「これからも協力できることは協力しますので、なんでも言って下さい。」

「でも、誠は友達の尚のお兄さんであって、私のファンになるのは禁止ですから、覚えておいてくださいね。」

「はい、妹の友達として協力します。」

「良かった。」

「では、音楽以外のことを話しましょうか。」

「音楽以外ですか。あまり他に趣味がないもので。」

「じゃあ、スマフォとかパソコンとか。尚はファッションの話ができるんじゃないかな。私服がなんとなく尚に似ているから。」

「美香先輩、いつもはジーンズだけれど、今日は私といっしょに帰るので私に合わせてみたそうです。」

「はい、その通りなんですが、私の事務所でも尚の事務所でも好評だったので、検討してみたいと思います。」


 3人は音楽以外の話をしていたが、なんとなく後ろを気にし出していた誠が、藤沢の近くで話を切り出した。

「もし時間があれば、みんなで江ノ島を散歩しませんか。」

「ちょっと何を言っているのお兄ちゃん。美香先輩にそんな時間があるわけないじゃない。」

「尚、時間は大丈夫だよ。それにロックでもよく歌の題材になっているのに、江ノ島に行ったことがないので、是非行ってみたい。」

「美香先輩がいいならばいいですけど・・・」

尚美は兄の言葉とは思えない発言に真意を測りかねていた。美香がトライバーに指示する。

「大野さん、申し訳ありませんが、江ノ島に寄って下さい。」

「お嬢様。かしこまりました。」

「すみません。その前にコンビニによってもらえますか。」

「大野さん、お願いできますか。」

「はい、かしこまりました。」

江ノ島入口のコンビニに寄った後、江ノ島に向った。

「お兄ちゃん、何買ってきたの?」

「フリーサイズのサンダルだよ。ハイヒールだと不便だと思って。」

美香が言う。

「この靴でも大丈夫ですよ。」

「階段とかが多いですので。」

橋を渡るだけなので、あまり話す間もなく、江ノ島に着いた。駐車場で3人は車を降りた。平日の夕方であまり混んではいなかった。誠が黙って尚にタブレットを見せる。タブレットには次のように書かれていた。

「車が尾行されている。入口近くに止まった工務店の白いバン。鈴木さんが盗聴されていると思うので静かに。」

尚美もその車から作業着を着た男が出てくるのを確認した。それで、誠が江ノ島を選んだ理由、サンダルを買ってきた理由がすぐに理解できた。誠がミサに言う。

「コインロッカーに寄って荷物を全部置いていきましょう。僕は外にいるので、尚、お願い。」

「お兄ちゃん、分かった。美香先輩、行きましょう。」

「分かったけど。」

コインロッカーがある場所に行くと、尚美が、その方が気持ちが楽になるから、スマフォ、携帯など置けるものは全て置いておくように言った。ミサはそこまでしなくてもとは思ったが、尚美も全部置いていくと言うので、決心して二人を信じることにした。そして、ハイヒールをサンダルに履き替えロッカーの鍵を閉めて、その場所を離れた。途中のエスカレータや展望台の入場料は誠が支払った。展望台の上に着くと、景色を見てミサが言う。

「本当、本当に海が奇麗。あっちには富士山も見えます。身軽になって来るとありのままで、自由になった感じがすごく良いです。」

誠が答える。

「そう言ってもらえると嬉しいですが、荷物を置いてきた理由は、そうじゃないんです。車の中で気が付いたのですが、白い工務店のバンに尾行されています。」

「本当ですか?」

「夏の時の海で、GT-R僕たちの車がスピンしたすぐ後に、横を抜けていった車と同じですから、間違いありません。それで盗聴されているんじゃないかと思って、荷物を全て置いてきたんです。バンから降りた作業服を着た男二人がこっちの様子を伺っています。左の自動販売機のそばです。庭を眺める感じで見てみて下さい。」

「そうですね。私の視線を避けた感じがしました。でも、ここは大丈夫ですか。」

「荷物は置いてきたので盗聴器はないと思います。ガンマイクらしきものを持っていますが、風もあるしこの距離ならば声は拾えないはずなので、普通に話して大丈夫です。」

「はい。でも、まだ、います。」

「そうですね。仕事がないのに、工務店の車で男二人がこの時間にこんなところに来ることはないでしょう。」

「お兄ちゃん、パラボラマイクなら持っているけど、ロッカーまで取りに行って後ろから向こうの話を聞いてこようか。」

「何で尚はパラボラマイクなんて持っているんだ。」

尚美は「お兄ちゃんと美香先輩が二人っきりになったときに盗聴するためなんて言えない。」と思って次のように言った。

「美香先輩には、何が起きるか分からないからだよ。」

「そうか。さすがは尚だな。でも誰がやっているからはだいたい分かるので、こちらから盗聴しなくても大丈夫だよ。」

「尾行しているはどんな人なのでしょうか。」

「99%間違いなく、鈴木さんのご両親が依頼した興信所の人だと思います。」

「うちの父と母が?」

「はい、鈴木さんを心配して依頼しているのだと思います。」

「そうですか。」

「どちらかというと、尾行というより秘密に護衛している感じだと思います。信号であのワゴン車が引っかかったときに、リムジンも追いついてくるまでゆっくり走っていましたから、運転手の大野さんはこのことを知っていると思います。」

「分かりました。私はどうすればいいでしょうか。」

「ここにお連れした理由は、他の人に知られないように、このことを伝えるためです。鈴木さんの家庭のことですので、最終的な判断は鈴木さんがする必要があると思います。」

「そうですよね。」

「両極端を言えば、黙ってこのままでいる、家を飛び出る、です。あとは、夏のこともありましたし、ご両親も心配しているでしょうから、話し合って尾行は普通の護衛にして、盗聴はやめてもらうことでしょうか。盗聴については、もう少し調べてみないと分からないですが。」

「盗聴について、調べてもらうことはできますでしょうか。」

「分かりました。うちに来ることは可能ですか?ワイドバンドレシーバーがあった方が簡単なので。」

「はい、大丈夫です。」

「それでは、家に行きましょう。尚、家に連絡しておいてくれる。」

「うん、分かった。」

「車に盗聴器が仕掛けられている可能性がありますので、家までは普通の話をして下さい。」

「分かりました。でも、せっかくの景色だから、夕日が沈むまでここにいましょう。」

「はい。あっ、と言っても、あまり太陽を見ないで下さい。目の負担が大きいです。」

「わかりました。赤く染まった海の方を見ています。あの、写真を取って頂いていいですか。スマフォをロッカーにおいてきてしまったので。」

「もちろんです。」

「3人で撮りましょう。」

「分かりました。」

「じゃあ、誠が真ん中で。」

「尚、おいで。」

「わかった。」

「では、撮ります。チーズ。」

「景色を変えて、何枚かお願いします。」

「はい、では富士山を。」

「わかりました。」

3人は写真を数枚撮った。尚美は誠とミサの距離が気になったが、それほど近づいてはいなかったので安心していた。「普通の兄弟ぐらいの距離か。」と思った。そうしているうちに、日はだんだんと落ちて、太陽の下端が山の稜線に接しようとしていた。

「もう、見ても大丈夫そう。」

「薄く曇っていますから、凝視しなければ大丈夫と思います。」

「あと、どのぐらいで沈むんでしょうか。」

「えーと、太陽の視直径が角度で32分ぐらいで、度と時間の比から、360分の24を32に掛けたぐらい。2分ちょっとぐらいでしょうか。」

「ふふふ、そうですか。」

ミサが少し浮かれた感じで、夕日が沈むのを実況する。辺りは顔が赤くても分からないぐらい、真っ赤だった。

「あと半分。」

「もう少しで太陽が。」

「ほとんど点だけ光っている。」

「あー、沈んじゃいました。」

ミサは、尚美と誠の方を見てお礼を言う。

「盗聴の件はおいておいても、ここに来れて良かったでした。」

「夕日でこんなに綺麗に海が染まるのは珍しいので、ついています。じゃあ、車に戻りましょうか。尚美、またコインロッカーをお願い。」

「うん、分かった。」

「どうした、尚、元気なさそうだけど。」

「そんなことはないけど、考え事。美香先輩、家までの道中、美香先輩のお兄さんの話をもう少し聞かせてもらってもいいですか。」

尚美はミサが誠に憧れみたいな気持ちを抱くのは、ミサの兄に問題があるからで、それを何とかしないとと思ったのである。

「うん、いいけど。」

「確かに、それは差しさわりのない話題だね。」

 3人はコインロッカー経由で車に戻った。

「大野さん、有難う。では、目的地に向かって下さい。」

「かしこまりました。」

 誠と尚美の家に向かう途中、美香は尚美と兄の話をしていた。

「私より3歳上で、幼いときはよく遊んでいましたが、小学校に入るころにはいっしょに遊ばなくなりました。私はそうは思わないのですが、周りからすごいイケメンと思われていて、小学校高学年からずうっと女の子にもててたみたいです。」

「美香先輩のお兄さんだから、すごいイケメンと言うのは分かります。運動神経もいいんですよね。」

「悪くはないけど、運動神経がいいって感じはしないです。兄が中学生の時、私の方が足が速かったですし。」

「小学生の妹に走るので負けて、先輩のお兄さんショックだったんですかね。」

「僕の場合は、尚が小学生で僕が高校生の時に尚の方がもう足が速かったけど、俺の妹はすごいなとしか思わなかったけど。」

「それは、お兄ちゃんの方が私より全然頭がいいし、他人をひがんだりしない性格だからだよ。」

「他人をひがむなんて、時間の無駄だろう。」

「その時間の無駄ばかりしている人がいるってこと。すみません、美香先輩のお兄さんはそうではないと思います。」

「いえ、気にしないで何でも言って大丈夫。」

「美香先輩、学校の成績はどっちが良かったですか。」

「私は、別に頭が良いわけじゃないけど、私の方が良かったと思います。」

「美香先輩は学校の成績はいつも上位だった?」

「はい、いつも3番以内には入っていました。でも、頭の良さということでは尚や誠には全然かなわないです。二人ともすごい洞察力をしていて、私とは違うって感じがします。」

「やっぱり、お兄さんは美香先輩にコンプレックスを持っていて、それで上手く行かないのかもしれません。」

「あと、高校生のころからプレーボーイみたいな感じで、いつも違う女の人といて、はっきり言うと、あまり好きじゃなくて。」

「なるほど、だから美香先輩は男性に対して警戒心が強いんですね。」

「警戒しているわけではないんですが。」

「お兄さんみたいになりたくないということで、不器用になった感じでしょうか。」

「うん、そうかもしれないです。」

「学校の先生の受けも、美香先輩が良かった。」

「はい。」

「そうすると、お兄さんの方が優れていたのは、女性にもてることぐらい。」

「どうでしょう、バレンタインデーのチョコレートは10個以上もらっていたようですが、一応、私は50個ぐらいもらっていました。」

「そうですか。」

誠が言う。

「でも、なんか、鈴木さんのお兄さんが可愛そうになってきました。」

「やはり、私が悪かったのでしょうか。」

「そんなことは全くありません。鈴木さんはその才能を生かして自分が進みたい道をどんどん進むべきです。鈴木さんのお兄さんも真剣に打ち込める何かを見つけられれば、ひがんでいる時間なんてもったいなく感じると思います。今、MBAを取りにアメリカに行っているとのことでしたが、ホテルの事業の後を次ぐ予定なんですか?」

「どこまで本気なのかわかりません。大学時代の休みには父に言われてうちのホテルで働いていたんですが、サボってばかりいたそうです。」

「なるほど。」

「父はホテルの経営のためには、現場を知らなくてはいけないと言うのですが、兄はそれが面倒で、すぐに経営をしたいように見えます。」

「格好を気にしているのでしょうか。いろいろ注意されるのがいやなのかも。」

「両方だと思います。」

「尚によれば、鈴木さんは恵まれた環境にいても、すごく努力をする人ということですから、親のお金で遊んでばかりいるようなお兄さんとは距離を置きたくなるわけですね。」

「たぶんそうだと思います。」

「やっぱり、さっきお兄ちゃんが言ったように、美香先輩のお兄さんにも、打ち込める何かが見つかると問題は改善するとは思います。」

「はい、その通りだと思います。」

誠が話を進める。

「あと、幼いとき、お兄さんがやっていることを真似したりしていましたか?」

「仲が良かったときは、はい、そうだと思います。」

「後から始めても、鈴木さんがすぐにお兄さんより上手くなってしまうとか。」

「そういうこともあったと思います。ピアノとか運動とか。」

「そうですか。それなら、もし、お兄さんに集中できるものが見つかったときに、すぐに鈴木さんが同じことをするのは避けた方が良いと思います。鈴木さん、ケーキでもそうですが感が良いので、鈴木さんの方がすぐにうまくやってしまうと、お兄さんの志をくじいてしまうかもしれません。」

「そうですか。」

「長期的に集中して取り組めば、敵わなくなっていくと思いますが、最初の段階に鈴木さんが楽にできるように見えると、良くない影響があることも考えられます。」

「分かりました。気を付けます。」

「逆に、鈴木さんが非常に努力しているところがお兄さんに見えると良いと思います。あと、失礼ですが、お金持ちの家庭ですので尋ねますが、血のつながった兄弟なんですよね。」

「確かめたことはありませんが、顔も似ているところがありますので、そうだと思います。」

「親の扱いが違うということはなさそうですね。跡を継がせようとしているみたいですし。」

「はい、そうだと思います。」

「兄弟がなんでも話せるようになっておくと、鈴木さんも精神的にも楽になると思います。」

「そうですよね。お二人を見てそう思います。」

「もし、お兄さんの方がうまく行かなくても、尚と僕には何でも相談して下さい。協力は惜しみません。尚もそうだよね。」

「うん、お兄ちゃんの言う通り、なんでも言って下さい。」

「はい、本当に有難う。兄の心配までしてもらって。」

ミサの目が潤んでいたが、尚美はそれに気が付かず、兄を問いただす。

「でもお兄ちゃん。いま妹に何でも話すって言ってたけど、この間、海に行くこと黙ってたじゃん。」

「またその話か。嘘を付いたわけじゃないし、同じ日程だから心配させてはいけないと思っただけだよ。」

「ほんとかな。」

「ほんとだよ。」

「それで、アキって言う女とは、今どうなっているの?」

「どうにもなっていないよ。地下アイドルの活動のために、プロデューサーのパスカルさんに協力しているだけだよ。歌を収録したり、ポスターやチラシ作ったり、機材を運んだり、ホームページを作ったり。」

「ほんとかな。」

「ほんとだよ。」

「お兄ちゃんは、人に利用されやすいんだよね。」

「利用されていることはわかっているんだけど、頑張っていると、どうしても応援したくなるんだよ。」

「そういうところがあることは知っているけど。でも、これから外泊するときは、事前に連絡してね。」

「親かよ。」

「だって、親が頼りないんだもん。」

「分かった。外泊するときは連絡します。そういえば、今度、3泊、うち機中2泊でシンガポールのライブに行ってくるよ。」

「あー、明日夏先輩が出るライブか。だれと一緒に行くの。」

「飛行機とホテルが一緒なのは、パスカルさん、セローさん、ラッキーさんの男4人。アキさんとコッコさんは別に来るみたいだけど。」

微笑みながら兄弟の会話を聞いていたミサが尋ねる。

「エンジョイアニメーションのライブですか。」

「その通りです。鈴木さんも出演されるんですよね。」

「はい、その通りです。向こうでご一緒できるといいのですが。」

「仕事で行かれているので忙しいでしょうし、パスカルさんとラッキーさんは、鈴木さんの大ファンですので、残念ながら無理だと思います。それより、関係者、出演者との交流と、何よりも良いライブにするよう頑張ってください。」

「はい、わかりました。残念ですが、誠の言う通りにします。」

尚美がミサにお願いする。

「次に美香先輩のお兄さんが日本に来た時に会わせてもらえませんか、少し話をしてみます。」

「でも、うちの家庭の問題で、ご迷惑をかけたら。」

「乗りかかった船です。美香先輩のお兄さんですから、別に危険もないでしょうし。」

「分かった。今度来た時、一緒に会えるようにしてみる。有難うね、尚。」

「お礼は、成功してからにして下さい。」

「私のこと考えてくれるだけで、嬉しいから。」

尚美は「美香先輩のお兄さん、美香先輩と上手くいくように、修正してやらないと。そうじゃないと、美香先輩とお兄ちゃんが、変な方向に行っちゃうような気がする。」と思っていた。

 その他、世間話をしている間に、車が岩田家の前に到着した。ミサが、ドライバーに指示する。

「1時間はここにいます。出発するときに連絡しますので、それまで自由にしていて下さい。」

「かしこまりました。」

 誠と尚美が奥にいる母親に帰宅を知らせ、ミサが挨拶する。

「ただいま。」「ただいま。」「お邪魔します。」

母が出てきて、挨拶する。

「いらっしゃい。尚が何もするなというのですが、何かありましたら下にいますので声をかけて下さい。」

「わかりました。有難うございます。」

誠とミサは3階の誠の部屋に行った。尚美は飲み物を持ってくると言って、台所に向かった。

「へー、これが男子の部屋なんですね。入るのは初めてです。あっ、小学生のころに兄の部屋ならば入ったことがありますが。」

「汚い部屋ですが、これでも、さっき言ったパスカルさんの部屋よりはだいぶ綺麗だとは思います。ラッキーさんは広島在住なので行ったことはありませんが、写真を見る限り収納しきれなかったグッズが、床にたくさん置いてありました。さっきも言った通り、ラッキーさんは鈴木さんの大ファンで、広島在住ですがイベントは抽選が外れなければ全部行っているそうです。」

「広島から全部ですか。私も頑張らなくてはいけないですね。」

「その通りですが、鈴木さんの場合、頑張りすぎる方も心配しながらでお願いします。」

「有難うございます。あっ、これ、明日夏のポスター。」

「はい、最初のデビューイベントでもらったものです。」

尚美が誠の部屋に飲み物、コップとお菓子を持って入ってきた。

「これは、アキって書いてありますから、アキさんのですか。」

「はい、これは僕がデザインして作りました。」

「そうなんだ。素敵なデザインです。」

尚美がそのアキのポスターを破いて取り去り、丸めてゴミ箱に入れる。

「おいおい。」

「明日夏先輩のは仕方がないけど、アキのポスターは禁止。」

「そういう意味じゃなくて、僕が作ったからなんだけど。」

「データはパソコンに入っているでしょう。だから貼るのは禁止。」

「分かったけど。心配しなくても大丈夫だよ。」

「アキはちょっと信用できないんだよ。あっ、棚の上にチラシもある。」

「それも僕がデザインして、今度配るやつだから捨てちゃだめだよ。配るのはパスカルさんだけど。それより盗聴器を調べる方を。」

「そうだった。お兄ちゃん、始めてていいよ。」

「尚はどうするの。」

「お兄ちゃんの部屋に入るの久しぶりだから、部屋の検査をする。」

「もしもし。」

「大丈夫。エロい本があっても気にしない。」

「そんなのはないけど。」

「いいから、始めてて。」

「分かったよ。」

「いつもは、どこでお話しするんですか?」

「リビングです。と言っても狭いですが。とりあえず、始めましょう。まずはハイヒールからです。」

誠が拡大鏡を見ながらハイヒールに顔を近づける。尚美が釘を刺す。

「においを嗅いじゃだめだよ。」

「そんな趣味ないから。見ているだけだよ。これは簡単かな。」

靴の中の敷物をかかとの方から剥がすと、左右共に小さな電子機器が入っていた。ミサが尋ねる。

「これはどういうものですか?」

「こっちは、GPSと携帯の電波を使って現在位置を知らせるものです。こっちは、音を録音してやはり携帯の電波を使って定期的にデータを送るものです。とりあえず、電池を外します。」

「有難うございます。」

「バックの中を見てもいいですか。」

「どうぞ。変なものは入っていません。」

「尚も手伝ってくれる。」

「わかった。お兄ちゃんの部屋、さっきのポスターとチラシ以外に怪しいものはなかった。」

「そりゃ、そうだろう。」

「お兄ちゃん、拡大鏡を持ってくるからちょっと待ってて。」

「了解。」

尚美は拡大鏡を持って戻ってきた。誠はワイドバンドレシーバーで電波が出ていないか、調べていた。」

「とりあえず、電波は出ていなそうだよ。」

「うん、大きいものがないから、電波を使った盗聴器を忍ばせるのは難しそうだよね。」

「その通りだな。」

「あとは録音式かな。」

「それは、1個1個調べるしかないか。尚はスマフォに不審なソフトがインストールされていないか調べてみて。」

「了解。」

誠は持ち物の開けられるところは開けてみたり、拡大鏡で見たり、振ったり、曲げてみたりして調べた。尚美はミサにスマフォのロックを解除してもらって、不審なソフトがインストールされていないか調べた。尚美が報告する。

「スマフォは大丈夫そう。ケースも異常はなかった。」

「ありがとう。マスカラのブラシの柄の部分にこれが入っていた。」

「これは盗聴器だよね。市販の録音式のやつ。私も持っているから分かるよ。」

「いいけど。悪用しちゃだめだよ。尚。」

「えっ、あっ、はい。」

「鈴木さん。また1つ見つけて、全部で3つありました。多分、もうないとは思います。」

「そうですか。3つも。どうすれば良いか自分で決めなくてはいけないんですね。」

「はい、そうなります。もちろん、できることは協力します。」

「有難うございます。さっき、誠が言っていた、普通の護衛は構わないので、盗聴は止めてもらうというのが、一番良いと思います。」

「僕もそうだと思います。護衛は良いので盗聴を止めるように言って、言葉を濁すよならば、盗聴は自分の子供だとしても刑法に違反する犯罪と言って説得してみたてはどうでしょうか。社会的な信用が重要な仕事と思いますので、盗聴はやめてもらえると思います。」

「分かりました。そう、言ってみます。」

「盗聴を止めたかどうか確認するためには、僕と尚で調べることができます。あと、盗聴装置は電子機器で充電が必要ですので、自分の部屋に隠しカメラを置いて、部屋に誰かが入ってきていないか調べることもできると思います。」

「外すと言ってから、1か月ぐらいしたら、チェックをお願いできないでしょうか。」

「分かりました。どこか場所を探して、尚と一緒に調べます。尚、いいよね。」

「分かった。」

「いつも尚の手を煩わすのは申し訳ないので、誠、連絡用にSNSのアドレスの交換をお願いしていいですか?」

尚美が言う。

「私は連絡係をするのは平気だけど。」

「尚は、僕が鈴木さんに変なことをしないか心配なんですよ。尚に恥をかかすようなことは絶対しないと言っているんですが。それでは3人でグループを作りましょう。」

「分かりました。」

「まあ、私が入るなら良いけど。」

「グループの名前は何がいいですか?」

「何にしましょうか。辻堂を使います?辻堂3兄弟では。」

「多数決で姉妹では。辻堂3姉妹。」

「分かりました。そうしましょう。」

「尚も、辻堂3姉妹で良い?」

「うん。」

3人がSNSのグループを作成する。誠が言う。

「江ノ島で撮った写真を投稿しますね。」

「はい、有難うございます。」

ミサのスマフォに写真が送られてきた。

「素敵な写真、有難うございます。」

「富士山とか、光ったヨットの航跡が良い感じですよね。」

「女性二人が写っているのに、誠はそっちなんですね。」

「ごめんなさい。えー、塔に舞い降りた美しい天使二人という感じがとっても良いです。」

「無理はしなくていいです。でも景色も本当に素敵です。行って良かったです。」

「有難うございます。」

机のモニターに目が行ったミサが尋ねる。

「大きなパソコンなんですね。」

「グラフィックカードが入っていて、熱が出るので大きくなっちゃうんです。」

「へー、どんなことができるんですか。」

誠がパソコンにログインしながら話す。

「音楽の編集、ポスターの作成、CADで3次元設計をしたり、ニューラルネットワークを作ってみたりできます。あと、ゲームでしょうか。」

「すごいですね。音楽なんかの編集もできるんですね。」

「はい。」

「これは、アキさんのデータですか。」

「それほど売れない作曲家がMIDIデータ付きで曲を売っているんですが、それをアキさんに合わせて少し変えたり、アレンジを変えたり、ボーカルと合成してCDに焼いて売ったりしています。」

「いわゆる手売りですね。聞いてもいいですか?」

「構いませんけど。」

ミサがヘッドホンをつけて、アキの曲を聞く。曲が終わったところで、ヘッドホンを外した。

「なんて言ったら良いんでしょう。」

「もしよろしければ、誰とは言わずプロが聴いた感想と伝えますので、できれば率直に言ってください。」

「偉そうに聞こえるかもしれませんが。」

「実際に歌に関してはとても偉いですので、気にする必要はありません。」

「分かりました。発声から全然できていない。その状態で表現をつけようとしても、変にしか聞こえないという感じです。」

「そうですよね。僕も少しやりすぎのように聴こえていました。」

「アニソンコンテストの時の明日夏にも達していない感じです。なるべく早く、若いうちにボイストレーニングで、発声の基礎を整えた方が良いと思います。」

「分かりました。そのように伝えます。」

「それにしても、明日夏が1年であそこまで上達したのは、橘さんの力だと思います。あと、あの状態でスカウトした、パラダイスの社長さんも素質を見る目があったのだと思います。私には、アキさんがボイストレーニングをすればプロの歌手のレベルまで達することができるかどうかは、トレーニングした後でないと分からないです。」

「率直な意見、有難うございます。」

「でも、友達同士でCDを作って、楽しそうですね。」

「草野球はプロ野球よりレベルはずっと低いですが、楽しさはあるみたいな感じでしょうか。」

「私もオーディションに受からなかったら、手売りして一生歌っていたとは思います。」

「もしスキャンダルなどで、追い出されたら、手売り用のCDを作りますので言ってください。」

「スキャンダルか・・・。でも恋人ができたというスキャンダルなら、パラダイス興行さんが拾ってくれるそうですよ。」

「それは安心ですね。」

「でも、もっとすごいスキャンダルの場合にはお願いします。」

「お安い御用です。でも、もっとすごいスキャンダルって、法律に触れる行為ですかね?」

「そうなりますか。」

「じゃあ、刑務所から出てきたら、CDを作りましょう。」

「はい。CDを作ってもらえる場合は、黄色いハンカチーフを目印に飾っておいて下さい。」

「分かりました。ところで、尚は静かだけど、何をしているの?」

「一応、尾行はいつからだろうと思って。夏のライブからなのか、それより前なのか、美香先輩と一緒だった時の写真を見ているの。」

「そうか、さすが尚だな。」

「お兄ちゃん、4月に亜美先輩が撮った写真だけど、この写真とこの写真に写っているこのバンはそれっぽいよね。」

「そうだね。二つの写真、時間も離れているから、つけてきているんだと思う。」

ミサが尋ねる。

「どういうことですか。」

「尚の調べでは、少なくとも4月には尾行が付いていたということです。それ以前はちょっと分かりません。」

「そうですか。」

「その辺りのことも話し合いで聞いてみて下さい。冷静に話し合えば大丈夫だと思います。」

「わかりました。有難うございます。話は変わりますが、あの、夏の海でアキさんたちと、どんなことをしていたか聞いてもいいですか。」

「はい。」

誠がコンピュータに画像や動画を表示しながら説明する。

「これがアキさんのホームページ用の写真を撮っている様子を、コッコさんがイラストにしたものです。」

「へー、いいイラストですね。銀レフを持っているのが誠ですね。」

「はい。素人なので、光の当て方がわからなくて苦労しました。それで、この画像が、そのときにパスカルさんが撮った写真です。」

「いい感じで撮れていますね。私も誠に銀レフを当ててもらいたいな。」

「お恥ずかしいビデオですが、これが海岸で明日夏さんの『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』のオタ芸を練習しているときにコッコさんが撮ったビデオです。」

「前列右がアキさんで、後列の左から2番目が誠。アキさん幸せそう。小さな子供二人は?」

「海岸で飛び入り参加した兄弟です。」

「へー、私も覚えようかな、明日夏を応援するオタ芸。明日夏が驚くかもしれない。」

「鈴木さんは、歌ですごく高いところにいる方ですので、できれば、もっと歌の高みを目指して欲しいとは思います。」

「そうですか。」

「でも息抜きになるなら、いいかもしれません。」

「はい、息抜きにはなると思います。」

「7月のイベントで初めて鈴木さんの生の歌を聴いた時、尚に感想を聞かれて、あまりにも上手なので、化け物のように上手と言ったら、尚に叱られてしまったのですが。」

「化け物は酷いです。」

「正直に言うと、あの時は歌っている姿や言動もカッコ良くて、性格が人間とは思えないような人なのかと思っていました。」

「社長に言われて、カッコをつけているだけです。」

「純粋に自分を追い求めている方と分かりましたが、前の僕のように思っている方も多いとは思います。本当にレベル違いで上手ですし。」

「でも、私もまだまだなんですよ。もっと、上手くなりますので見ていてください。」

「はい、鈴木さんの歌のためにできることがあれば、何でもしますので何でも言ってください。」

「有難うございます。そうですね、とりあえず、ファンのことを知るために、明日夏のオタ芸を覚えるにはどうすれば良いか教えてもらえますか。」

「息抜きにはなりますか。えーと、これが明日夏さんのコールブックです。ここに動画サイトのURLのQRコードがありますが、そこで振りを見ることができます。公園で男3人でやった振りですが。」

ミサがQRコードをスマフォで読み取る。

「ちょっと、見てみますね。・・・真ん中が、誠ですね。」

「はい、この頃は明日夏さんのTOをやっていました。」

「TOというのは。」

「トップオタの略で、ファンの中で、こういう応援の活動を先導する人です。」

「へー。」

「鈴木さんのところは、ファンがたくさんいるので、TOが決まらない感じです。」

「そうですか。」

「ファンの数が多い演者さんのところはみんなそうですので、仕方がないと思います。」

「分かりました。」

誠のパソコンで、夏の海での写真や動画、コッコが描いたイラストを見ていた尚美が叫ぶ。

「何これ!」

「何?」

「アキの写真。何、カッコつけちゃって。」

「これは花火をした時の写真だよ。」

「撮ったのはパスカル?」

「そう。僕は銀レフ担当。これはフラッシュの光を銀レフで反射させて光を当てている。」

「ふーん。パスカル、写真は上手だよね。でも、モデルのレベルが低い。」

「尚たちのレベルが高いのは分かっているから、そういうことは言わない。」

ミサがスマフォで海で最後に撮影した集合写真を見せる。

「これが私たちの写真です。」

「何かすごいカオスな写真ですが、みなさん、それぞれ能力が高そうです。橘さんはお酒を飲む能力ですか。」

「歌は本当に私より上手なんですが、一晩でブランデーのボトルを半分あけていました。」

「それは、すごいです。」

尚美がまた叫ぶ。

「何これ!」

「今度は何?」

「アキがお兄ちゃんに日焼け止めを塗っているイラスト。」

「あー、それ、パスカルさんのもあるよね。コッコさんが漫画を書くためのスケッチにするからって。」

「本当に塗られたの?」

「それはそうだけど。逆にアキさんには塗ってはいないよ。スケッチもないだろう。」

「それじゃあ、そこにうつ伏せに寝て。」

「何をするんだよ。」

「日焼け止め塗ってあげる。」

「今は夜だし、鈴木さんもいらっしゃるのに、何を言っているんだ、尚は。」

「何か許しがたくて。」

「誠、鼻の下を伸ばしている。」

「塗られたくて塗られたわけじゃないんですが、コッコさんが漫画を書くための参考に必要と言われると。」

「コッコは、口が上手いんだよね。私のことだったら拒否できるんだけど、お兄ちゃん、お兄ちゃん自身のことだと断れないんだよ。」

「誠の性格からして、なんとなくわかるけど。そうだ、3人で海に行って、二人で誠の背中に日焼け止めを塗ろうか。」

「な、何でです?」

「私の歌のためです。そういうシーンが歌の中に出てくるかもしれません。」

「そんな歌ありますか。」

「はい、歌詞の回想の部分に入ることがあります。さっき、私の歌のためなら何でもすると言いました。」

「言いましたけど。」

「それに、ケーキ屋の前で会ったときに、尚と私だけなら、うちの別荘に来てもいいって言いました。」

「それは、運転の話を切り出すために。」

「でも、言いました。」

「はい、言いました。」

しかし、ミサがスマフォでスケジュールを見て、悲しそうな顔をする。

「ごめんなさい。本当に行きたいのですが、自分で言っておきながら、8月はもう1日もスケジュールに空きがなくて。」

「こちらのことは気にする必要はありません、でも、本当に大変そうですね。」

「本当にごめんなさい。10月23日に武道館で初のワンマンを開催する予定で、そのプロモーションのために、テレビやラジオの出演、雑誌の取材が毎日入っていて。」

「全然謝る必要はありません。それにしても、初ワンマンが武道館ってすごいですね。」

「私もお客さんが入るか心配なのですが、今、私ができるプロモーションは全力でやらないとと思って。」

「その通りです。やっぱり、人並外れたすごい人という感じです。」

「本当は、普通に心配だったり、悩んだりしているんですよ。」

「今はそれも理解しているつもりです。」

「有難うございます。あと、トリプレットと明日夏もワンマンに呼べるように調整していますので、誠も尚のお兄さんとして、是非来てください。」

「分かりました。是非伺います。あと、この件は絶対に秘密にしますので、安心してください。」

「はい、誠のことは信用しています。私も約束を守る方ですので、尚と誠に日焼け止めを塗る件は後日必ずやります。いいですね。」

「僕は構わないと言えば構わないのですが、鈴木さんの方が心配です。」

「お兄ちゃんの言う事はわかる。美香先輩、先輩のイメージ的に大丈夫ですか。」

「大丈夫です。ロックシンガーにとって男は歌の糧です。」

「あの、鈴木さん。」

「橘さんの受け売りで、今のところ冗談です。でも尚の力になりたくて。」

「安心しました。」

「まあね。でも、お兄ちゃん、本当にお兄ちゃんがアキとコッコに利用されているようにしか見えないんだよ。」

「大丈夫だよ。大学の勉強はやっているし、単位も取れているし、GPAもいい方だよ。ん?何だかこれ、親への言い訳みたいだな。」

ミサが微笑む。

「まあ、お兄ちゃんのその辺のことは信用しているけれどね。」

 誠が話しを変える。

「鈴木さんは、中学生の時に、橘さんの歌を聴いてロックシンガーを目指すようになったんでしたっけ。」

「はい、その通りです。そのころ、塞ぎ込んでいたんですが、橘さんの歌を聴くと、心が解放された感じになって、私もこんな歌手になりたいと思うようになりました。」

「鈴木さんが橘さんに学ばなくてはいけないところって、どういうところですか。」

「細かいテクニックもそうです。でも、それは頑張れば何とかなる気がします。やっぱり、気持ちの乗せ方で、なかなか難しいです。でも、橘さんの生の歌を近くで聴いて、何とかして行こうと思っています。試行錯誤をしてたくさん歌ってみるしかありません。」

「すごいです。人間として尊敬します。」

「化け物じゃなくて。」

「はい、もう絶対にそんなことは言いません。」

「有難うございます。でも、私も誠を尊敬しています。私からすると、誠と尚の頭の中は、化け物のようです。」

「酷いですけど、有難うございます。」

二人で笑った。尚美は、ミサが誠を兄のように思っているのか、男性への好意なのか計りかねていた。


 その後も、ミサのロック歌手としての夢、誠が大学生活などを話すうちに、家に来てから2時間近く経過していた。

「もう、こんな時間ですね。残念ですが、そろそろお暇しなくてはいけません。」

「分かりました。今日は、本当に楽しかったでした。」

「私も誠とお話ができて、楽しかったです。」

「盗聴器のことですが、鈴木さんにバレたことの連絡が、もう業者からご両親に行っていると思います。」

「そうですよね。はい、誠が言うように、今晩、両親と話そうと思います。とりあえず、会う約束のために、ここから母に電話してもよろしいですか。」

「はい、どうぞ。」

ミサが母親に連絡する。

「あっ、お母さん。帰ったらお話があるのですが、今日はお父さんはいますか。」

「わかりました。では帰ったらリビングで。」

「はい、気を付けて帰ります。」

ミサが誠と尚美にお礼を言う。

「今日はいろいろ有難うございました。お礼をするつもりが、また、お礼をしなくてはいけなくなってしまいました。」

「それは気にしなくても大丈夫です。僕たちも楽しかったです。そうだよな、尚。」

「うん、楽しかった。」

「それより、両親との話し合いの結果、良ければさっきのSNSで教えてください。」

「はい、そのつもりでした。」

「問題が生じるようなら、3人で対策を考えましょう。」

「そう言ってもらえると嬉しいです。」

ミサが車を呼び出した。3人は階段を降り玄関に向かった。車はすぐに来た。

「今日は有難うございました。」

「困ったときはお互い様です。尚をよろしくお願いします。」

「わかりました。尚、歌のトレーニング、ビシビシ行くわよ。」

「はい、よろしくお願いします。あと、トリプレットが美香先輩のワンマンへ参加することが決まったら、またトリプレットのダンスをいっしょに練習しましょう。」

「うん、それは楽しみね。それでは、また。」

「はい、事務所で。」「来月までに、盗聴器についてもっと調べておきます。」

ミサが車に乗り、挨拶をする。

「今日は有難うございました。」

運転手がドアを閉めて車は出発した。誠と尚美は車が見えなくなるまで手を振って、家の中に戻った。

「今の大河内さんでしょう。すごいわね。私の若い時にそっくり。」

「お母さん、若くない女の人は、美香先輩を見てみんなそういうことを言ったりするけど、やっぱり違うと思う。」

「大河内さんがそれだけ美人て言うことよ。じゃあ、ご飯食べちゃいなさい。」

「はい。」

夕食を食べながら、誠と尚美がミサについて話す。

「お兄ちゃん、美香先輩のことどう思った?」

「夏の時も感じたけど、歌っているときとイメージが違って、尚の言う通り、本当に真面目と言うか純真な人だと思った。あと、もしかするとだけど、自分の兄とうまく行っていないので、僕を兄のように思っている感じもしたんだけど、どう?」

「私もそんな感じがした。お兄ちゃんはどうするの?」

「そうならば、妹みたいなものなんだから、仕事や私生活で良い方向へ導ければと思うけど、レベルが高すぎてさすがに僕じゃ力不足な気もする。」

「確かにね。でも、その方向なら協力してもいいよ。」

「疑り深いな。だから変な勘違いはしないって。」

「なら、いいけど。」

 その夜11時ごろ、ミサからSNSで連絡が入った。

美香:うまく行きました。護衛はそのまま付けるけど、盗聴器やGPSを付けるのは止めてもらえるそうです。

尚美:さすが先輩です

誠:とりあえず、よかったです

美香:あと、護衛は小学校5年から付けていたとのことです

尚美:もう8年間ぐらいですよね

誠:大事にされているということだと思います

美香:本当に有難うございます。また3人でどこか行きましょう

誠:盗聴器がないか確認が必要ですよね

美香:できればお願いします

誠:はい喜んで。東京で場所を探します

誠:尚も考えてくれる

尚美:了解

美香:尚、誠、今日は本当に有難う

美香:いろいろあったけどとても楽しかったです

誠:お役に立てて嬉しいです

美香:有難うございます。ごめんなさい。明日も朝から仕事があって

誠:はい、おやすみになって下さい

美香:おやすみなさい

尚美:おやすみなさい

美香:誠、アキさんとコッコさんには気を付けてね

誠:はい

美香:それでは、また

誠:また


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