第8話 お茶会
4月初旬の週末、いよいよアキが初めて地下アイドルイベントへ参加する日がやってきた。その昼過ぎに、ライブ会場の隣の建物のカラオケ店の部屋に、アキ、パスカル、コッコが集合した。
「アキちゃん、コッコちゃん、こんにちは。」
「こんにちは。パスカル、サラリーマンみたい。」
「パスカルちゃん、背広を着ると本当に地方公務員だね。パスカルちゃんと湘南ちゃんがスーツを着て抱き合っているところを見てみたいな。」
「私には分からない世界だわ。」
「本題に入るよ。ライブ会場の楽屋は狭くて全部のグループが入ることはできないので、俺たちはこの部屋を楽屋代わりに使う。練習もできるし。」
「そうよね。1日に3部構成で18組のアイドルユニットが出演するからね。」
「このカラオケ店を利用している他のアイドルユニットも結構いるみたいだよ。すきを見てお邪魔しようと思う。」
「コッコ、すきを見てって。」
「説明を続けるけど、アキちゃんは、第2部の4番目で16時からの出演。第2部は14時集合で、14時20分から順番にリハーサルが始まる。リハーサルの時間は各グループ5分間。5分でやることはマイクとカラオケの音量のバランスとステージモニターの音量を確認するだけになると思う。」
「わかった。」
「ライブが終わったら、17時から物販をする。物販では、CDとコッコちゃんがデザインしたアクスタの販売と、お客さんとアキちゃんのチェキを一緒に撮影して販売することになる。」
「チェキの撮影は私がやればいいんだよね。」
「その通り、あと、お金の受け渡しもお願い。」
「分かった。アイドルの隣に並んだやつの生態を観察するいいチャンス。漫画のネタになるようなやつが現れるといいんだけど。」
「コッコ、危険な奴はいやだよ。」
「俺は基本離れて見ているけど、危なそうだったらすぐに行く。もし、それより先にアキちゃんかコッコちゃんが危なそうと思ったら手を挙げて。」
「うん、パスカル、有難う。」
「俺は手続きを済ませて、会場の方を見てくる。10分ぐらい前に戻ってくるから、アキちゃん、それまでには出発できるようにしていてね。」
「分かった。」
パスカルは隣の会場に向かい、主催者のところで手続きを済ませた。その後、ホールの後ろの方で、第1部に出演しているユニットのパフォーマンスを見ていた。アキは着替えて化粧を直した。
「アキちゃん、衣装を着ると見違えるね。」
「もう、コッコはからかわないの。でも、なんか言ってもらった方が緊張がほぐれる。」
「やっぱり、ビートエンジェルスとは違う?」
「うん、ここのホール、スタンディングで300人ぐらい入るんだよね。もちろん、私が目当てじゃないんだけど。」
「そこそこはいけると思うよ。選曲も無難だし。」
「分かっている。少しでもファンを増やさないと。」
「でも、本当にすごいよ、その衣装。」
「うん、このステージ衣装、原宿で買ったの。コッコも着てみる?」
「私はいい。アキちゃんみたいに可愛い女の子が着た方が似合う。」
「コッコも可愛いよ。」
「まあ、機会があったら。それより物販がコミケみたいで、少しワクワクする。」
「物販も頑張らないと。コッコ、悪いけど直前の練習をしちゃうね。」
「分かっている。私はその衣装を着たアキのスケッチをしているよ。」
アキは、イヤホンを耳に着けてスマフォから曲を流しカラオケルームのマイクを使って、3曲の歌やダンスの確認をした。13時50分の少し前に、カラオケルームの扉がノックされた。コッコがパスカルであることを確認して、扉を開けた。
「それじゃあ、行こう。」
「分かった。」
パスカルがバックステージパス(首からかける関係者用のID)を二人に渡す。アキとコッコがそれを首に掛けながら尋ねる。
「パスカルちゃん、何人ぐらい来ていた?」
「200人は超えていそうだけど。」
「結構来ているもんだね。」
「いや、このぐらい標準だと思う。もっと大きなイベントもある。アキちゃん、言葉が少ないけど、ちょっと緊張している?」
「ちょっとね。」
「今日は初めてのステージだし、少しぐらい失敗しても大丈夫だから、思いきりね。」
「分かっている。」
「じゃあ、行こう。」
「うん。」「イラストのネタになるような、エロ可愛い子がいるといいな。」
3人は会場に入り、関係者用の通路を通って楽屋に入った。第2部に出演する他のアイドルユニットも集まってきた。全員が集まったところで、係員が説明を始める。
「第2部の出演者が全員集まったようですので、リハーサルを始めます。マイクは割り当てた番号のマイクを使ってください。マイクにトラブルが生じたら、ステージ脇の係員が交換しますので言ってください。曲は頂いた順番に流します。リハーサルは1グループ5分ですので、次の曲に進みたいときは、PA席のミキサーに合図を送ってください。何か、質問はありますか。・・・・ないようですので、リハーサルを開始したいと思います。では、1番のミルキーウエイさんからお願いします。」
5人のグループがステージに出た。「ミュージックスタート」と言うと曲が流れ始めた。MCの部分を確認しながら、途中で次の曲に進んで、リハーサルを終えた。ミルキーウエイの5人は所定の位置にマイクを戻した。
アキは3番目のグループがステージに向かったところで、割り当てられた番号のマイクを手に持った。そして、ステージ袖から3番のアイドルユニットがミクサーへどう指示を出すのかを確認していた。3番のアイドルユニットが戻ってきた。
「じゃあ、行ってくる。」
「アキちゃん、ステージモニターから自分の声が聴こえるかのチェックを忘れないでね。」
「分かった。」
アキはそう一言だけ言って、ステージ中央に進んだ。
「4番、アキです。最初の短い挨拶の後に、1番目の曲と2番目の曲を続けてお願いします。」
アキは最初の挨拶の言葉を言ってみた。
「やあ、みんな、こんにちはー。」
客席に声が流れていることを確認して、PA席の方を見る。
「それでは、音楽をお願いします。」
音楽が流れ出した。アキは、ステージモニターから自分の声が聴こえることを確認しながら、振付を踊り半コーラスばかり歌って1曲目を歌うのを止める。
「有難うございました。次の曲をお願いします。」
2曲目が流れ出し、それも半コーラス歌って歌うのを止める。
「2曲目、有難うございました。ここで少し長めのMCが入ります。その後に最後の曲になります。」
アキからPA席のミクサーがOKのサインを出しているのが見えた。
「それでは最後の曲をお願いします。」
曲が流れ出した。それを半コーラス終わったところで、歌うのを止める。
「有難うございました。この後、少しだけ挨拶して、私の番は終了です。本番のとき、またよろしくお願いします。」
アキはPA席に一礼して、舞台袖に戻った。そして、マイクを所定の場所に戻した後、パスカルとコッコがいるところへ向かった。
「お疲れ様。」「お疲れ。」
「有難う。何とかできそう。」
「ステージモニターの音量は。」
「大丈夫だった。自分の声が聴こえた。」
「了解。」
「横から見てても、アキちゃん可愛かったよ。」
「コッコ有難う。」
「アキちゃんで、漫画を描きたくなった。地下アイドルの生態。」
「そういうことか。まあ酷くなければいいわよ。」
「まだ出演まで1時間以上あるので、カラオケルームに戻ろう。その後、俺は第1部の特典会の様子を見るためにここに戻るけど。」
「分かった。」
パスカルとコッコは,アキをカラオケルームまで送った後、第一部のアイドル達が特典会をやっているロビーに向かった。ロビーで、物販の様子について話し合った。
「結構盛況だね。」
「やっぱり、人気があるグループとないグループの差がけっこうあるな。」
「それは仕方がないかな。あの子、結構可愛いから、やっぱり列が長い。」
「そうだね。分かる気がする。」
「あの子、後で声をかけてみるか。」
「コッコちゃんは、アキちゃんの物販ときだけお願いできればいいから、それ以外は自由にしていていいよ。」
「サンキュー。うん、後でちょっと回ってみるよ。」
「あと、お客の列ができるようなユニットもあるけど、そんなユニットには、誘導員もいるから、そうなったら、俺が誘導員をやるよ。」
「どうだろう。アキちゃんを知っているお客はいないはずだから、そんなにたくさんは来ないと思うけど。」
「逆に、初参加ということで来るお客さんがいる気もするな。俺が客だったらそういうことをしそうだから。」
「ライブで初参加をアピールできるところが、コミケとは違うところか。確かにパスカルはオタクの客の心がわかりそうだ。アキちゃん、この中では可愛い方だから、それなりに集まるかもね。」
「客がたくさん来るようになったら、湘南にも特典会を手伝ってもらうか。背広を着てもらって。むふふふふふ。」
「このぐらいのイベントなら大丈夫だけど、アキちゃんがワンマンをするようになったら、来てもらうかな。」
「地下アイドルでもワンマンライブなんてあるんだ。」
「ワンマンで、100人ぐらい集客できるようになれば、できると思う。」
「へー。」
「地下アイドルってピンキリで、いかがわしいところもあれば、メジャーのレコード会社も付いていて、2000人ぐらいの箱でワンマンをやっているところもある。」
「ワンマンで、2000人も集められるようなユニットも地下というの?」
「アイドルの場合は、テレビなんかに出ていないようなユニットは地下アイドルとかライブアイドルって呼んでいるようだよ。」
「なるほど。」
「もちろん、そういうユニットは、こんな小さなライブには来ないで、もっと大きなライブで活動しているけど。」
「確かにそうだろうね。」
「アキちゃんがワンマンをするには、現状だと曲数が少なすぎるので、まずそれをなんとかしないと。」
「何曲ぐらい必要?」
「カバーとオリジナル合わせて10曲以上は必要かな。後はトークやゲームで2時間ぐらいをつなぐ感じだ。」
「そのためには湘南ちゃんにも頑張ってもらわないとか。」
「カラオケのMIDIデータの制作は、うちでは湘南しかできないから、そうなると思う。シングルをもう1枚出した後に、カバーミニアルバムを出すことを考えている。」
「3+3+5で、11曲ということか。」
「それで年内にワンマンライブを開く予定。客が入らないで、赤字でボーナスが全部飛んじゃうかもしれないけどね。」
「パスカルP、すごいな。」
「まあ、今年の目標だな。」
会場のアナウンスで第2部ライブが間もなく開演されるとの案内があり、ロビーの客がホールへ移動し始めた。
「じゃあ、俺は最初のユニットのライブを見てからカラオケルームに戻るよ。」
「私は、プロデューサーにイラストの要望はないか聞いてみるよ。Pを落とせれば、あとは簡単だ。」
「それじゃあ、物販の時に。」
「了解。」
パスカルはカラオケルームに戻り、部屋の前でノックした。アキが扉を開ける。
「お帰りなさいませ、ご主人様。」
「・・・・・・」
「いや、こう言えば落ち着くかなって思って。」
「そうか。2番目のユニットのライブが始まったから、もうそろそろ行こうか。」
「よし、行こう。」
会場に向かいながら話す。
「コッコは?」
「モデルを探すために、まずプロデューサーを落とすって。」
「さすがは、コッコ。お客さんの数は?」
「ホールの中はさっきより混んでいたから、200より少し増えていると思う。」
「そうか。まあ、その方がやりがいがあるわよね。」
「その通りだ。」
楽屋に到着した。まだ、アキの前の3番目に出演するユニットが順番を待っていた。アキがユニットに、挨拶をする。
「こんにちは。」「こんにちは。」「こんちは。」
パスカルがプロデューサーらしき人に挨拶する。
「こんにちは。」
「あー、こんにちは。若いね。」
「はい、プロデューサーの方も始めたばかりです。アキちゃんも、今日はこの手のイベントには初出演です。」
「へー、ユニットじゃなくて一人なんだ。歌が上手いの?」
「これからですが、本人が歌手志望だからです。」
「なるほど。上手くいくと面白いね。それじゃあ、我々はもうそろそろなので。」
「はい。有難うございました。」
3番目のユニットがマイクを持って舞台袖に移動した。
アキは上がらない方ではあったが、小さなライブハウスでもステージに上がれることに胸が高鳴っていて、口数は少なかった。10分ぐらい前になってコッコがやってきた。
「アキちゃん、調子はどう?」
「大丈夫。歌は完璧に覚えてきたからできると思う。コッコの方はどうだった。」
「うん、タピオカガールズというユニットのPと話すことができた。上手く行ったら、そこのアイドルさんにモデルになってもらえそう。エロく描いてもいいという話だし。ただ、タピオカガールズの漫画を描かくというオブリゲーションがあるけど。」
「オブ、オブ、オブラート?」
「オブリゲーション?義務のこと。」
「でも、そのユニットが売れれば、漫画もたくさん売れるんじゃない。」
「うん。でも何となく売れなさそう。」
「そうか。じゃあ、漫画だけでも面白く描くと良いかも。」
「もちろん、そうするつもり。」
パスカルが声をかける。
「アキちゃん、そろそろスタンバイで。」
「分かった。」
アキはマイクの番号を確認して、手に取り舞台袖に向かう。ステージでは、3番目のユニットが最後のパフォーマンスを披露していた。3人は横から黙ってそれを見ていた。歌が終わり、ユニットの全員が短く最後の挨拶をして、舞台袖に戻ってきた。
「お疲れ様。」
アキがそう声をかけると、係員がアキに声をかける。
「じゃあ、アキさん、どうぞ。」
アキは緊張はしていたが,覚悟を決めてステージに向かう。
「パスカル、コッコ、本当に有難うね。」
「おう。」
「いってらっしゃい。」
アキがステージ中央に向かって歩いていく。右手にマイク、左手は高鳴る胸を押さえる。ステージ中央で止まると、一礼して最初の話を始める。
「やあ、みんな、こんにちはー。」
客席から「こんにちはー。」という返事がある。アキは客席を右から左、そして中央と見た後に話し始める。
「初めまして、私の名前はアキって言うんだよ。」
客席から「知ってる。」「アキちゃーん。」「アキちゃん、可愛い。」という声がかかる。
「実は私、こういうイベントに出演するのは生まれて初めてなんだ。だから、このイベントが私のデビューイベントなんだよ。」
客席から「おー。」「すごい。」という反応があった。
「今日は、3曲歌うね。まだ自分のオリジナル曲がないから、全部カバー曲になるけど、気軽に楽しんでね。1曲目は神田明日夏さんの曲で『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』、2曲目は『恋愛サーキュレーション』だよ。2曲続けて歌うね。それでは、ミュージックスタート!」
誠が製作したカラオケ音源が流れ始め、アキがそれに合わせて歌い始める。1曲目が終わると
一礼した後、2曲目を歌い始める。パスカルとコッコが静かに舞台袖からアキと客席の反応を見ていた。そして、2曲目が歌い終わった。場内から拍手が起こった。
「みんな有難う。『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』と『恋愛サーキュレーション』を歌ったよ。こんな立派なステージの上で歌うのは初めてだから、これでも少し緊張もしていたんだよ。どうだった?」
歌のレベルから言えば、カラオケの上手な女子高校生が高校の文化祭で歌うレベルではあるが、客席からは「良かった。」「最高」「可愛かった。」という声がかかる。
「みんな有難う。この活動を始めた理由は、私の夢が歌手になることだからなんだよ。これから一生懸命歌っていくので、よろしくね。」
会場から「はーい。」「よ・ろ・し・く。」という答えが帰ってきた。
「今後の活動は私のホームページ『アキが歌う海浜公園』から見ることができるので、是非チェックしてね。SNSのアカウントもそこから分るよ。」
アキはCDとアクリルスタンドを見せながらMCを続ける。
「あと第2部の終了後、今日の3曲を収めたCDと、このアクリルスタンドを販売するよ。アスクタのイラストは知り合いの女子大学生に描いてもらったんだよ。本業はBL漫画を描くことなんだけど、女の子のイラストも上手なので絶対手に入れてね。アキと一緒にチェキを撮ることもできるよ。それでは次が最後の曲なんだけど、」
会場から「えーーーーー。」というお約束の悲鳴が聞こえる。
「有難う、最後の曲、『君色シグナル』!」
音楽が流れ始めてアキが歌い出す。曲の後半から、感極まったアキは泣きながら歌っていたが、なんとか歌い終わることができた。
「ごめんなさい。最後、頑張れなくて泣いちゃったけど、これからも頑張る、絶対に。だから、アキのこと応援してね。次のライブは2週間後にあります、詳しくはホームページを見てね。今日は、アキの歌を聴いてくれて本当に有難う。また、会おうね!」
アキは頭を下げて、舞台袖に手を振りながら下がっていった。
「アキちゃん、お疲れ。」
「アキちゃん、お疲れ様。すごい感動したよ。」
「パスカルちゃんもがんばったもんな。」
「みんなごめん。最後泣くのを止められなかった。」
「まあ最初だからしょうがないよ。」
「そうだよ。私も最初のコミケではいろいろ失敗したし。」
「次は物販よね。」
「そうだよ。これから物販の準備を始めるけど、始まるまでカラオケルームで休んでいていいよ。」
「今はこの会場に居たい感じ。」
「座る場所がなくなっちゃうけど。」
「物販の準備手伝うわよ。」
次のユニットが楽屋に入ってきたので、3人は関係者しか入れない部分の通路に出た。
「終わってから反省会をしようと思う。湘南を呼んでみるよ。」
「来るかな。」
「聞いてみる。」
パスカル:湘南、今、辻堂か?
湘南:いえ大岡山です
パスカル:渋谷に集まれるか?
湘南:今日の反省会ですね。夜9時前に終われば大丈夫です
パスカル:じゃあ夕方19時に渋谷で
湘南:了解
アキ:湘南、有難う
アキ:ライブは大丈夫だったよ。詳しくは反省会で
湘南:分かりました
物販が開始される時間の少し前になって、3人はロビーの割り当てられた机の前に移動した。パスカルは、スーツケースから販売用のCDとアクリルスタンド、そしてチェキカメラ、チラシ、お釣りが入った小さな手提金庫、文房具を取り出して机の上に並べた。コッコはパスカルのスーツケースからポスターを取り出し机の前に張り、同様に値段表をポスターの隅と机の上に張った。そして、アキとコッコが机の前に立って、パスカルは少し離れたところで様子を見ることにした。
第2部の公演が終わり、客がホールから出てきて、目当てのユニットの物販の前に並んだ。地下アイドルのオタクの中にも、この種のイベントに来るとすべてのユニットとチェキを撮ろうとするDDの客がいて、まずはDDの客がアキの物販にやってきた。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「チェキをお願いできる。」
「はい。」
コッコが話に入る。
「チェキで、千円をお願いします。」
「どうぞ。」
千円を受け取ると、コッコがリングライトを点けながら写真を撮る位置に移動する。
「デビューイベントなんだって。」
「はい、お客さんがデビューイベントの物販の最初のお客さんです。有難うございます。チェキに書くお名前は?」
「ケンゾウ。」
「漢字は?」
「全部カタカナ。」
「ポーズはどうします。」
「ハートで。」
二人の手でハートマークを作る。コッコが声をかける。
「チェキを撮ります。」
アキが撮影した写真を受け取り、机の上でサインとメッセージ「ケンゾウさん、私のデビューイベントの最初のお客さんです。有難う。」を書いて、チラシといっしょにケンゾウに渡す。
「イベントに出ている全員の特典会を回っているので、またどこかのイベントで。」
「ケンゾウさん、有難う。またお願いね。」
次は、50歳台のお客である。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
「チェキとCDとアクスタをお願いできる。」
コッコが商品を揃えながら言う。
「チェキ、CD、アクスタで三千円になります。」
コッコが写真を撮る位置に移動する。
「アキちゃん、とっても可愛くて、子供のころの昔のアイドルを思い出すよ。」
「有難う。私も昔のアイドルのような一人で歌える歌手になりたいの。」
「アキちゃんなら、なれるよ。」
「有難う。あの、お名前は。」
「RX78」
「ハイフンと2は。」
「へー、ファーストガンダムの型式名、知っているの。」
「最近はインターネットで見れるから。」
「両方ともなしで、単なるRX78だ。」
「チェキのポーズはどうしようか。ファーストガンダムならラストシューティングとか?」
「それは、すごいね。」
二人が上に向かって射撃するポーズを付け、コッコがチェキを撮影する。チェキに「ラストシューティング!」とサインを,CDにサインを書いて、チェキ、CD、アクスタをRX78に渡す。
「おー、RX78さんのラストシューティング、なかなかカッコいい。」
「有難う、記念になるよ。次のイベントは、ホームページを見ればいいんだよね。」
「うん、このチラシにホームページのURLが書いてあるよ。」
「これか。有難う。」
「CDも聴いてね。」
「楽しみにしている。じゃあ、また来るね。」
「はい、またね。」
物販時間の中ごろになっても、アキの物販に長い列ができるということはなかったが、連続して客がやってきた。50歳ぐらいの男性のRX78は、他のユニットの物販に行った後にアキの物販に戻ってきた。
「アキちゃん、こんにちは。」
「RX78さん、こんにちは。」
「また、チェキいいかな。今度は3枚で。」
「はい、もちろん。」
コッコが三千円を受け取った後、話しを続ける。
「ポーズはどうする。うーん、第一話の立ち上がるところはちょっと無理ですし、コックピットだけを狙うところ、ビームサーベルを構えるところ、ビットを撃つところ、エルメスを撃つところ。アムロだと、発進するところ、塞ぎ込むところ、襟のホックを止めるところかな。ギレンの演説とか、キシリアに撃たれるところとか、シャーがキシリアを撃つところとか。」
「それにしても、詳しいね。」
「最初はダブルオーからだったんだけど、それから遡っていった感じなんだ。」
「しかし、逆に困ったな。じゃあ、ビームサーベルを構えるところと、襟のホックを止めるところと、ギレンの演説でお願いするね。」
「了解。」
それぞれのポーズを付けて写真を撮影し、アキがメッセージとサインを書く。
「アキちゃんはどんなアニメが好きなの?」
「ガンダムだとダブルオーかな。」
「じゃあ、今度は僕がダブルオーを勉強して来るね。」
「うん、RX78さんが来るのを、待ってるね。」
「了解。」
物販時間の後半になると、まだ列ができているユニットの物販もあったが、客足が途切れがちになってきた。終わりの方にRX78がまた来て、チェキを撮影していった。ライブの第3部が始まり、第2部の物販は終了となった。
「じゃあ、俺は主催者に挨拶をしてくるので、二人は先にカラオケルームに戻っていて。7時から湘南を交えて、反省会をしよう。」
「分かった。」
「それじゃあ、アキちゃん、もどろう。覚えているうちにアイドルに群がるオタクの様子をスケッチしておきたい。」
「コッコ、OK。パスカル、じゃあ後でね。」
「おう。」
アキ、パスカル、コッコの3人はカラオケで休んだ後、誠から渋谷駅に到着したとの連絡があったため、集合場所の喫茶店に向かい店の前で合流し、店内に入った。注文を告げた後、パスカルが話し始める。
「湘南、土曜日だというのに急に申し訳ない。」
「いえ、この後、妹を迎えに行く用事もあるので、問題ないです。」
「そうか。妹子ちゃん、部活忙しそうだね。」
「はい。それでライブはどんな感じでした?」
「なかなか盛り上がっていたよ。特典会の売り上げはチェキ31枚、CD15枚、アクスタ13枚というところだった。」
「やっぱり、チェキの方が売れるんですね。」
コッコが答える。
「チェキは、一人で何枚も撮る客がいるから。アキちゃん、オタク話のノリがいいし。」
「お客さんが全然来なかったらどうしようと思っていたから、良かった。」
「危なそうなお客はいなかったですか?」
「それは大丈夫かな。チェキを何枚も撮った50歳ぐらいのおじさんが一人いたけど、身なりも話し方もいいし、犯罪をするという感じではないかな。少なくとも、見た目はパスカルよりは安全そうだよ。」
「俺は、安全だよ。」
「その通り。パスカルは中身は安全だけど、見た目は安全じゃなさそうだからね。」
「ふふふふ、俺に近寄ると火傷するぜ。」
「そうじゃなくて、体から腐敗臭がする感じ。」
「腐っているのは、そっちだろう。」
「まあ、それはそうだけど。」
「パスカルさん、コッコさん、話しを先に進めましょう。」
「おう。」「そうだね。」
「アキさんの感想は。」
「会場の反応は良かったよ。カバー曲にしたのは成功だったかも。年齢の高い方用に古いアニソンもあるといいかも。でも、もっとCDを売りたいかな。まあ、チェキもだけど。あと、アクスタのデザインは好評だった。さすが、コッコという感じ。」
「アキちゃん、そう言ってくれると有難い。でも、もう少しエロいアクスタとかキーホルダーとか作ってみないか。もっと売れると思う。」
「そういうのはコミケで。」
「コミケほどはエロくはしないよ。それに、実物があった方が、お客さんが妄想をふくらますことができる。パスカルにも言ったけど、あの中では一番可愛い方だったから、結構行けそうな気がする。」
「コッコを仲間にしちゃったから、しょうがないか。じゃあ、少しぐらいなら。」
「分かった。いくつか案を作って、アキPGに送るよ。」
「チェックできるならいいかな。」
「パスカルさんの感想は?」
「結構行けそうな感じだった。ミサちゃんとか明日夏ちゃんとか、メジャーのレコード会社のアーティストと比べると、歌はまだまだだけど、あの中では良い方だった。ルックスもコッコが言った通り、あの中では一番良かった。」
「何々、パスカル、コッコ、そんなに私を褒めて。そんなこと言っても何も出ないよ。」
「あの中ではという話。メジャーで活動するにはまだまだだとは思う。」
「それは私も理解しているつもり。」
「パスカルさんの話を聞くと、今は地下アイドルとして活動するけど、最終的にはアキさんがメジャーで活躍できるようにすることを本気で考えているんですね。」
「それは、Pとしては当然だろう。」
「分かりました。コッコさんも、行けそうという感じですか。」
「地下アイドルの方は行けるんじゃないか。まあ私のBL漫画よりは売れるよ。ただメジャーの方はわからん。」
「分かりました。でも、それを聞いただけでもやる気が出てきました。楽曲の制作の方、頑張って勉強します。」
「湘南、有難う。お願いね。」
「ただ、地下アイドルで人気を考えるなら、せめて2名のユニットにしたいとは思っている。」
「まあ、今回一人なのは私だけだったし。」
「ただ、人選は慎重にした方がいいので、急ぐつもりはない。」
「それはわかります。アキさんに候補がいれば別ですが。」
「うーん、とりあえずはいないかな。」
「メンバーの話は置いておいて、湘南、今年の年末にアキちゃんのワンマンライブを開こうと思っている。」
「ワンマンライブですか。それはすごいですね。」
「まあ100人規模だけどね。それで、トークやゲームを混ぜるにしても、曲が少なくとも10曲はいる。」
「それがこの反省会に、僕を呼んだ理由ですね。」
「湘南は頭がいいから話が速い。それで、どうだ?」
「はい大丈夫です。半年以上ありますから、インスツルメンタルのMIDIデータの作成は、10曲ぐらいなら何とでもなると思います。ソフトの操作にもだんだん慣れてきていますし。ライブならインスツルメンタルで行けると思います。」
「それは有難い。それじゃあ12月にワンマンライブを開催する方向で話を進めよう。」
「半年以上必要なことはわかりますが、12月にするのは何かあるんですか?」
「お客が集まらないときに、ボーナスで必要経費が補填できるようにだ。」
「分かりました。潔い覚悟ですね。」
「ああ、Pとしての矜持だよ。収支に関しては、今日の分を含めてアキPGに報告する。黒字が出始めたら、みんなに配分する。」
「僕は楽しみでやっているので、別に配分はなくても大丈夫です。」
「湘南、そういうことは言わないの。私も黒字がでるように頑張るから、その時は少しでも受け取って。」
「分かりました。僕の思慮が浅かったです。でも、ワンマンライブ開催の手伝いができるというのは楽しみです。」
「あと、そうそう、ワンマンライブの時は人手がいるので、スーツを着て手伝いに来れるか?会場案内とかだけど。」
「スーツは入学式の時に親に買ってもらいましたが、入りますでしょうか。」
「湘南、ダイエットよ。意外とカッコよくなるかもよ。」
「分かりました。他に重要な用事がなければ手伝いに行きます。」
「重要な用事って、妹子ちゃんか。」
「はい。土日はそれ以外はありません。それも夜8時ごろまでならば参加できます。」
「それなら、昼に開催する予定だから大丈夫かな。」
「会場のレンタル費用の関係ですね。はい。99%大丈夫です。」
「わかった。それじゃあ、ケーキでも食べようか。ここは経費から出すから。」
「赤字だったら、パスカルさんの奢りですか。」
「そうだが気にしなくていい。黒字にするつもりだ。」
「分かりました。僕も頑張らないとですね。」
「でも、パスカル、ここのケーキ、本当に美味しいね。」
「ラッキーさんのお勧めだから、間違いはない。紅茶も美味しいそうだ。」
「ほんとだね。紅茶も美味しい。さすがラッキーちゃんだわ。」
その後、今日のライブの話やゴールデンウィークの予定などについて話して、引き上げることになった。
「じゃあ、アキちゃんとコッコちゃんは再来週かな。」
「そう。私は、もうちょっと衣装を探してみる。えーと、バイト料で何とかするからパスカルは心配しないで。」
「すまん。」
「私はアクスタの新デザインね。」
「程よいものができるといいな。」
「それが一番難しい。服はそのままで、表情とポーズだけすこしエロくするか。」
「湘南とは、・・・ゴールデンウィークの『タイピング』のイベントかな、次は。」
「そうなると思います。アキさんの曲については、候補があったら連絡して下さい。」
「分かった。じゃあ、みんなまた。」
「パスカル、コッコ、湘南、有難う。またね。」「じゃあ、再来週。」「それでは、また。」
ここで話しは変わって、尚美たちがオーディションに合格してから二日後、尚美がミサにSNSにお茶会の誘いの通話をする。
「こんにちは、ヘルツのライブでお世話になった、星野なおみです。」
「そんな他人行儀な。ライブでは有難うね。それで、尚、社内のうわさで聞いたんだけど、ヘルツのオーディション合格したんだって。」
「はい、一昨日、社長が合格の電話連絡を頂いて、現在契約を進めているところです。」
「おめでとう。最終選考を省略しての合格、さすが尚って感じ。」
「有難うございます。それで明日夏先輩とユニットのメンバーで、合格祝いのお茶会を喫茶店で開く予定なんですが、参加しますか?」
「私なんかが行っていいの。」
「それはもちろんです。というか、お茶会を開くと言っていたのに、今まで開けなくて申し訳ありませんでした。」
「デビューのオーディションがあったから、それは仕方がないよ。」
「逆に、今回のオーディションに溝口エイジェンシーからもユニットが参加していましたので、大河内さんの社内の方が心配ですが。」
「うちは大きいから大丈夫だと思うよ。アイドルユニットは別部門だけど、CDを出しているアイドルだけでも20人以上いるし。うちの事務所のユニットは『ハートリングス』だっけ、きっと溝口社長がどこかにねじ込むと思う。」
「さすが、すごいですね。それでは、合計5名参加で、場所はうちの社長がお勧めのケーキ屋さんの中から探しておきます。」
「ううん、ケーキ屋さんは私に心当たりがあるので、私に探させて。」
「分かりました。たまには社長のお勧めじゃないところに行ってみたいですし。場所の確保はお願いします。明日夏先輩とユニットの日程はこちらで調整します。あとの調整はSNSで。」
「わかった。有難う。」
「そういえば、来週、CDリリースですよね。おめでとうございます。」
「有難う。それで今忙しいのよ、ごめんね。」
「そうですよね。忙しいところ有難うございます。ケーキ屋さん、楽しみにしています。」
「じゃあ、また。」
尚美はこの話を明日夏にSNSで連絡する。
「もちろんOK。ミサちゃんとまたお話しできるの嬉しい。」
由佳と亜美には練習の時に話した。
「すごい、大河内ミサさんとお茶ができるのか。デビューってすごいな。大河内さん、あまり表にはしないんだけど、実はダンスもすごいんだよね。亜美、絶対失礼がないようにしろよ。」
「えー、それは由香に言われたくはないけど。でも、大河内さんバラードも上手いし。うちらとは格が違うという感じだよね。」
尚美が二人にお願いする。
「大河内さんの場合、パフォーマンスだけでなく、外見も格違いで、」
「リーダー、それを言っちゃおしめいだよ。」
「私は、争うつもりはないから大丈夫。」
「そのために面と向かうと緊張するかもしれませんが、大河内さんは、全くお高く留まっていないですし、普通に話して欲しいみたいなので、できるだけ普通に話して下さい。」
「へー、そうなんだ。」
「でも、どうして大河内さんみたいな方とお近づきになれたんだろう。」
「それは、明日夏先輩の魚肉ソーセージのおかげです。」
「なんですか、それ。」
尚美が一年前のアニソンコンテストに関して聞いたことを話す。
「あはははは。やはり明日夏さんも別格だな。」
「別格人同士、明日夏さんとミサさん、二人は意外に合っているのかな。」
「えー、亜美、さすがにそれはないんじゃないか。」
「由香先輩、それがですね。明日夏先輩と大河内さんは、さいたまスーパーアリーナの楽屋でもすごく仲良さそうに話していました。亜美先輩の言う通り、性格が正反対で合っているという感じはやっぱりします。逆に明日夏先輩と亜美先輩が、推しが同じということで少し心配です。ここは3歳下ですが、亜美先輩が大人になって欲しいところなのですが。」
「はい、明日夏さんのオーディションの面接での話を聴いた限りは、私が譲るしかないと思います。お互い妄想の中の話ですし。」
「亜美先輩、有難うございます。」
お茶会の当日になった。待ち合わせは、パラダイス興行の事務所である。
扉をノックしてミサが入ってきた。
「こんにちは。」
悟が答える。
「大河内さん、こんにちは。私がパラダイス興行の社長の平田悟です。」
「初めまして。大河内ミサと言います。よろしくお願いします。」
明日夏から順番に声をかける。
「ミサちゃん。いらっしゃい。」
「大河内さん、今日はありがとうございます。」
「私なんかがなんてお呼びして良いかわかりません。大河内様、大河内お嬢様、大河内姫様。私は本名は山田由香、芸名は南由佳と申します。」
「えーっとミサでも、本名が鈴木美香だから、美香でも。好きなように呼んで下さい。」
「じゃあ、ミサさん、でよろしいでしょうか。」
「由佳、いいよ。」
「ミサさんに由佳と呼んでいただいて、有難き幸せでございます。」
「由佳先輩、何言っているかわからないです。本当は、もっとぶっきらぼうに話すんですが。慣れるのにもう少し時間がかかると思います。じゃあ、私は美香先輩で。」
「先輩か。尚が言うと、いい響きよね。」
「私は、真名は佐藤亜美、芸名は柴田亜美と申します。どうぞ、ミサさん、お見知りおきください。」
「亜美、こちらこそ、よろしくお願いします。」
ミサが橘さんの方を向いて挨拶する。
「橘さん、この間のライブでは大変有難うございました。本当に助かりました。」
「大河内さんの今度の新曲、ボーカルのための部分が良くなって、本当に上達していると思いました。」
「はい、そこは今回の曲で自信があるところなんです。分かってもらえると嬉しいです。今後とも、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
「ここが練習室ですか。」
「そうです。一応、バンドが練習できる最小限の広さになっています。お客さんとの打合せも練習室で行ったります。あとは、この部屋だけで、小さな音楽事務所です。」
「へー。でも、すぐ練習できていいですね。」
「小回りが利くところだけが取柄です。」
明日夏が言う。
「小さいところなんで、いつでも遊びにおいで。」
「うん、分かった、また遊びに来ます。それじゃあ、予約もあるので行きましょうか。」
悟が尋ねる。
「タクシーを呼びましょうか?」
「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫です。車を待たせてあります。9人は乗れますので、何でしたら、社長さん、橘さんもいらっしゃいますか。」
「若い人たちだけの方がいいでしょう。今日は遠慮しておきます。」
「いっぱい私たちの悪口言っていいから、今日は楽しんできてね。」
「分かりました。」
窓から道を見た明日夏が尋ねる。
「あのダックスフントみたいな車がそうなの?」
尚美が答える。
「明日夏先輩、あれはリムジンというんですよ。」
「でも、あのリムジン、明日夏の言う通り白いダックスフントみたいですね。さすがは明日夏。それじゃあ、行きましょう。」
「ダックスフント号で出発だー。」
5人が階段を降りて行くと、外に立っていた運転手が客室のドアを開いた。そこに5人が乗り込んだ。亜美はデジカメでリムジンの写真を撮っていたため最後に乗り込んだ。運転手がドアを閉めると、リムジンが出発した。
明日夏が言う。
「すごく広いのに、天井が思ったより低いんだね。」
尚美は「ナンバーが白いから溝口エイジェンシーの車なのかな。」と思いながら答える。
「兄から聞いた話ですが、この方がワゴンのような重心が高い車と違って、サスペンションを柔らかくしたまま、カーブでのロールが抑えられるので、乗り心地が良くて、アメリカみたいに車で長距離を移動するときに楽なんだそうです。」
明日夏が答える。
「へー、そうなんだ。」
「明日夏先輩、分かったんですか。」
「難しくて分からなかったよー。でもね、ふっふっふっふっふー。」
「何ですか、勝ち誇ったように。」
「車のことでは尚ちゃんには勝てます。ふんす。」
明日夏が免許を見せる。
「あー、そうでしたね。先輩に免許を発行する日本の警察も無謀と思いますが、運転するときには、安全運転を心がけて下さいね。」
「ダコール。」
ミサが自分の免許を出しながら言う。
「明日夏の免許見せて。・・・すごい可愛い。」
明日夏がミサの免許を見ながら言う。
「わーわーわー、すごい、ミサちゃん美人過ぎだよ。」
尚美が言う。
「美香先輩の写真は、これだけ見たらフォトショップ職人すごいって感じですが、免許じゃ加工はできませんし、すぐ隣に実在するんですよね。」
「尚は、お世辞の言い方も頭がよさそう。」
「お世辞のつもりはなかったんですが、やっぱり、わーわーわー、すごい、ミサちゃん美人過ぎだよ。って言った方が良かったでしょうか。」
「うーん、尚が言うと、なんかすごい馬鹿にされているみたい。やっぱり、最初の方が合っているかな。」
「はい、自分で言ってみてそう思いました。」
由佳と美香も言う。
「でも、免許の写真でこれだけ綺麗って、ミサさん、マジ美人ですね。」
「ほんと、近くから見てもすごい綺麗。」
ミサが答える。
「何、みんな。ケーキをおごってもらえるからって、そんなにサービスしなくていいよ。」
明日夏が尋ねる。
「えっ、ケーキおごってもらえるの。」
「あれ、尚、言っていなかったっけ。」
「特にそういう話はなかったと思います。美香先輩に店の心当たりがあるとだけでした。あと、あの割り勘で大丈夫です。私以外、みんなバイトをしていますし。」
明日夏が言う。
「じゃあ、尚ちゃんを抜いて、4人で割ろう。尚ちゃんは中学生だし。」
由佳と美香が同意する。
「賛成。」
ミサが答える。
「ごめん。正確に言えば、おごるのは父。父の店だから。お願い、だから気にしないで。」
「ミサちゃんの家ってケーキ屋さんだったの?すごい。」
「まあ、そんなもんかな。」
「わかった。でも次からは絶対に出すね。」
尚美も同意する。
「私も次からは収入があると思いますので、出させて下さい。」
「うん、そうしようか。でも、もう着くよ。」
車はホテルの玄関の前で止まった。5人は車を降り、玄関を通って、ホテルの従業員が全員会釈する中をエレベーターに向かった。亜美が由佳に話しかける。
「すごい、礼儀正しいホテルだね。」
「そうだな。」
エレベーターで上がり、最上階の店に到着すると、予約席に向かい、店員がテーブルの椅子を動かしてくれる中、着座した。明日夏が言う。
「これって、座る瞬間に店員さんが椅子を引かないか心配で、ドキドキしちゃう。」
尚美が答える。
「明日夏先輩ならやりそうですよね。でも骨折することもありますから、絶対やっちゃだめですよ。」
「私は、やらないよー。」
「でも、やりたいという気持ちがあるからドキドキするんです。」
「さすが、名探偵尚ちゃん。」
「なんですか、それ。」
「社長が言っていたんだよ。尚ちゃんは名探偵になれそうって。」
ミサも同意する。
「それは、社長さんに同意しちゃう。」
店長という名札を付けた店員が挨拶にやってきた。
「美香お嬢様、ご来店大変有難うございます。今日はお友達の方もごいっしょですか。」
「はい、みんな私の大切な友人です。」
「そうですか。それでは、より一層腕を奮ってお作り致します。」
「お願いします。」
「では、ご注文が決まりましたら、お呼びください。」
「有難う。」
メニューを見て、明日夏、由佳、亜美が驚く。
「ケーキが3000円以上するんですが。」
「パンケーキが3500円って。」
「紅茶が1200円って。」
尚美が答える。
「高級ホテルに入っている店のケーキの値段としては普通です。」
ミサが答える。
「うちの店だから、値段を気にしないで頼んで。」
4人が注文する。
「じゃあ、チョコレートケーキとペリエで。」
「有難うございます。モンブランと紅茶のセットで。」
「ごちになります。イチゴのショートケーキとコーヒーで。」
「有難うございます。チョコレートケーキと紅茶のセットで。」
「分かった。私はミルフィーユと紅茶かな。」
ミサが店員を呼んで注文を伝える。待っている間、亜美が由佳に話しかける。
「最初に来た店長さん、美香お嬢様って言ってたよね。」
「さすがに、違和感が全然ねーよな。」
「映画かドラマのシーンみたい。」
「亜美お嬢様。」
「ミサさん、こういう時はなんて言い返せばいいのでしょうか。」
「えっ、普通に苗字を呼ぶのかな。」
「山田、何か用か?」
明日夏が尚美に言う。
「尚ちゃんお嬢様。」
「ちゃんはつけないでしょう普通。でも、美香さん、こういう感じの店だと、ミサさんのお父さんは、ケーキ屋のおやじさんというよりは、パティシエって感じなんですか。」
ミサがだんだん暗くなりながら、答える。
「ううん、うちの父は単なるオーナーだから、残念だけどケーキは作れないかな。」
「そうですか、オーナーというと、こういうケーキ屋を何店舗も?」
「父のホテルには、このケーキ屋が入っているから、20店舗はあると思うけど。」
由佳が答える。
「俺の場合、親父がこんな店を20店舗も持っていたら、ケーキ食べ過ぎて太ってダンスできなくなるよ。」
「ケーキ好きの由佳なら、そうなるかもな。」
明日夏も同意する。
「でも、ケーキに囲まれた生活。あこがれるよね。」
「それ豚になりますよ。」
「そうか、それで魚肉ソーセージから、豚肉のソーセージにレベルアップすればいいんだ。」
「おーー、さすが発想がポジティブですね、明日夏さん。」
尚美がミサに尋ねる。
「美香さんのお父さんは、このようなホテルを20棟以上を持っていて、このケーキ屋はそのホテルのブランドのケーキ屋さんということですか。」
「うん、そうかな。このホテルが一番大きいけど。」
由佳と亜美が絶句する中、尚美が続ける。
「あのリムジンも白ナンバーだったからどこのものかと思っていましたが、美香さんのお宅のものですか。」
「はい、その通りです。」
「でも、私たちをここにわざわざ連れてきたということは、見せびらかしたいわけではなくて、いつかは分かってしまうから、早いうちに分かってもらって、美香さんの家のことは気にしないで欲しいって伝えようということかなと思ったのですが、違いますか。」
「はい、それで完全に合っています。」
「わかりました。それじゃあ、そのことは気にしないことにします。ただ、一般人が行くようなお店にもいっしょに行くことになると思いますが、それで大丈夫ですか。」
「はい、全く大丈夫というか、是非、行きたいです。」
「明日夏先輩、由佳先輩、亜美先輩、ということで、美香先輩の家のことは今日で忘れて、普通に付き合うことにしましょう。」
由佳が言う。
「家のことを忘れるとしても、ダンスも歌もすごく上手くて、すごい美人ですごく良いスタイルという無茶苦茶な存在だけど、性格もすごく良いって今わかったんで、なんとかします。しないと女が廃る。」
亜美も言う。
「私も大丈夫だよ。鈍いから。」
明日夏が言う。
「親がケーキ屋を20店舗持っていても、ミサちゃんなら自制できるから太ったりしないよ。大丈夫。心配いらない。」
尚美が尋ねる。
「あの、明日夏先輩、今、何の話をしているかわかりますか?」
「だから、家がケーキ屋だと太るという話でしょう。せっかく、美人でスタイルがすごい良いミサちゃんがそうなったら絶対にだめだということだよね。」
「はい、その通りです。ですので、先輩もケーキの食べすぎには注意しましょうね。」
「でも、たまには食べてもいいよね。」
「そうですね、息抜きも必要ですから、たまにならいいと思います。今度は、みんなで社長お勧めのケーキ屋さんに食べに行きましょう。美香先輩、こちらは大丈夫です。」
「尚、有難う。全部先回りして言ってもらって助かった。本当に、超名探偵尚って感じだった。」
「こちらも慣れるのに時間がかかるかも知れませんが、これからも、こういう感じでやって行きましょう。」
「でも、そうか!」
「明日夏先輩、急にどうしたんです。」
「凄いことを思いついちゃった。」
「何ですか?」
「ミサちゃんの立派な胸の脂肪は、ミサちゃんのお父さんのケーキに秘密があるんだよ。ここのケーキをたくさん食べれば、その脂肪の謎が解けるかもしれない。だって、パラダイスの4人を合わせても勝てないぐらいあるんだよ。」
「パラダイスにはここにいる5人を合わせても勝てない橘さんがいるじゃないですか。橘さんを見習った方がいいんじゃないですか。たぶん、ここのケーキをたくさん食べても、お腹の脂肪になるだけと思います。」
「そうか、さすが尚ちゃん。」
「もう、二人でいったい何の話をしているの。」
「あっ、美香先輩、申し訳ありません。明日夏先輩の話しに乗ってしまいました。」
「まあ、いいけど。」
「おおお、すごい法則を発見しちゃった。」
「先輩、今度は何ですか。」
「胸の脂肪の量と歌の上手さが比例する。」
「明日夏さん、それは橘さんが一番上手で、ミサさん、亜美と続いて、明日夏さんとリーダーが同じぐらい、最後が俺ということですか。まあ、その通りか。」
「まあ、6人だけで成り立つ法則でしょうけど。」
「でも尚、そんな気はしてたけど、やっぱり橘さんって歌が上手なんだ。」
「はい、個人的にはそう思います。」
「今度聴いてみたい。」
「そうですね、歌うことは好きなようですから、橘さんと一緒にカラオケに行きましょうか。」
「うん、お願いね。」
「はい。」
「しかし、19歳の私と13歳の尚ちゃんが同じぐらいというのは悲しいことだよね。」
「じゃあ、しっかり歌の練習をしてください。」
「そうしたら、胸の方も。」
「歌の方は保証できますが、そっちは分かりません。」
「そうか。残念。」
「明日夏先輩の法則は置いておいて、それだけスタイルが良くて美人だと、夏に向けて水着写真集なんかの話が来ているんじゃないですか。」
「あーー、尚の言う通り。結構その手の話しが来ているんだよね。全部断っているけど。私はロックシンガーになりたいだけだから。」
「そうですよね。この手の話は、嫌ならば絶対止めた方が良いと思います。まあ明日夏先輩には話も来ませんけど。」
「本当にそうならいいな。この話、本当に憂鬱でしょうがないの。でも、明日夏はそういう話が来たらどうする?受けるの?」
「えっ、うーん、社長と橘さんの判断に任せます。脱げと言われれば脱ぎます。」
「そうか。明日夏は社長さんと橘さんを信用しているんだ。いいね。」
「明日夏先輩は心配しなくても大丈夫です。需要がないから話が来ません。」
亜美が言う。
「リーダー、さすがにそういうことはないみたいですよ。2件ぐらいは話が来ているみたいです。でも、橘さんが明日夏にはまだ早いと言って全部断っているそうです。社長が言っていました。」
「へー、亜美先輩そうなんですか。明日夏先輩、失礼しました。」
「えへん。」
「橘さんは、そういう方ですよね。羨ましいな。」
「ちなみに、橘さん的には、由佳ちゃんは本人が良ければ良いそうです。」
「まあ、俺はそうかもな。」
「橘さんから見ると、明日夏先輩は、由佳先輩より子供ってことですね。」
「あと、由香ちゃんはダンサー志望で、体を使って表現することが必要だからみたいです。」
「なるほど。」
「まあ、ほとんど水着みたいな格好でダンスするときもあるからな。」
「由香は話が来たら受けるの?」
「俺は、自分の知名度が上がるならば受けます。でも、ミサさんにはその必要はないので、気が進まないなら、得意な歌で勝負すればいいと思います。」
「有難う。社長や事務所のみんなが受けろ、みたいな感じで、少し居づらいんだ。」
「印税で1億円以上稼ぐ人もいるみたいですからね。事務所の方で予測計算していると思いますが、美香先輩も人気が伸びていますから、近いところまで行くかもしれません。」
「尚、事務所の人みたいなこと言わないで。」
「すみません。私も、美香先輩の場合、お金に困っているわけではありませんので、気が進まないならば止めた方がいいと思います。もちろん、スタイルが良いですから、水着写真集ならば出して損することは、私的にも歌手としてもないとは思いますけど。」
「そうかもしれないけど、自分の感情としていやなのかもしれない。」
「でしたら、やっぱり歌で勝負するのがいいですね。」
「うん、そうする。」
由佳が言う。
「でも、もし好きな男がいたら、ミサさんが自分の水着写真集を手渡せば、相手はイチコロでしょうけどね。」
「ははははは。分かった、由佳。好きな男性ができたら、水着写真集、受けることにしようかな。」
「ミサさんがどんな男を好きになるか、俺も見てみたいです。」
「それは私が一番見てみたいわよ。」
「それでいいと思います。美香先輩の事務所、大きいだけに大変なところもありそうですが、美香先輩が愚痴を言いたくなったら聞きますので、いつでも呼んでください。」
「うん、そうしよう。逆にみんなの愚痴はないの。尚とかは?」
「トリプレットに関してはないです。あるとすれば、明日夏先輩が歌の練習の宿題をちゃんとやってこないので、橘さんがかわいそうということでしょうか。」
「明日夏、ちゃんとやらないとダメよ。」
「家に帰ると、アニメやゲームの登場人物が遊ぼうと語りかけてきちゃうので。」
「妄想モードに入ってしまうということですね。」
「尚ちゃん、するどい。」
「亜美先輩は、そういうことはないんですか?」
「私の場合は、アニメグッズのない部屋に行って、頑張っています。」
「明日夏先輩も、どこか別の場所に行くなどして、頑張ってみて下さい。」
「うーん、私の方が推しへの愛がずっと深いんだよ。」
「そうですか。このホテルのレストランのメニューでお勧めの・・・・」
尚美が話を変えようとすると、ケーキがやってきた。亜美がデジカメを出しながら提案する。
「みんなで写真を撮りましょう。」
「うん、賛成!」
「じゃあ、ちょっと待ってて、店員さんにシャッターをお願いするから。」
ミサが手を挙げると店員がやってきた。
「何か御用でしょうか、美香お嬢様。」
「写真のシャッタをお願いできますでしょうか。」
「かしこまりました。」
店員がカメラを構えたが、亜美が止める。
「そちら側だと逆光になるので、フラッシュを炊きたいのですが。」
「はい、でも。」
「ちょっと待っててください。」
亜美がフラッシュを取り付けて、炊く設定をする。
「これで、シャッターを押してもらえれば大丈夫です。」
「かしこまりました。では、チーズ」
「ケーキ。」
みんなが爆笑するなか、写真が撮られる。
「明日夏はもう。すみません。もう一枚お願いします。」
「はい、チーズ。」
「ジャムおじさん。」
パラダイス興行の4人はある程度予想していたため、微笑で済んだが、ミサはまた爆笑していた。
「クリームは予測していたんだけど、ジャムおじさんは予測できなかった。」
「明日夏、次は何もなしで。すみません、もう一枚お願いします。」
「かしこまりました。何枚でも大丈夫です。では、チーズ。」
また、ミサが爆笑した。
「ミサちゃん、私、何も言っていないよ。」
「そうだけど。なんか、想像してしまった。すみません、もう一枚お願いします。」
「はい、チーズ。」
「ケーキ!」
明日夏が陽気な感じで言った。ミサが笑いをこらえたが、少しして吹きだしてしまった。
「もう、明日夏は。そうね、さっき次の次とまで言っていなかったものね。」
「その通り。」
亜美が店員から、カメラを戻してもらって、ミサに見せる。
「まあ、これでいいか。楽しそうだし。」
「ミサさんは、吹きだしても美人です。」
「亜美、それ誉めているのか馬鹿にしているの分からない。」
「誉めています。」
その写真をみんなに見せると、みんなが微笑む。
「もう、みんな笑っているし。」
「美香先輩、楽しいひと時ということで。それに、美香先輩のちゃんとした写真なら、売るほどありますし。」
「売っていますし。」
「尚と明日夏のいう通りね。じゃあ、ケーキを食べましょうか。」
「了解!」
「頂きます。」
みんながケーキを食べ始める。
「日本的な味、すごい美味しい。かな。」
「すごい、高級な味がするぜ。」
「クリームがふわふわ。」
微妙な雰囲気を感じたのか、ミサが尋ねる。
「尚、どう?」
「はい、高級な食材を使って後味が良いのはわかるのですが、若い人には甘味が足りないかも知れません。でも、客層の年齢が高めなのでそうなるのではないかと思います。」
「なるほど。」
「これを食べ慣れている美香さんが、普通のケーキを食べると、逆に、甘すぎると思うかもしれません。」
「そう言われてみれば、甘さが足りないと思う。今度、みんなが美味しいと思うケーキ屋に行こうよ。」
亜美が言う。
「リーダー、社長さんを連れてきたら、詳しいことがわかったかもしれないね。」
「ほんと、そうですね。」
ミサが尋ねる。
「尚も言っていたけど、平田社長さんケーキ屋さんに詳しいの?」
「美味しいケーキに詳しんですよ。」
「へー、ケーキ好きなの?」
由佳が答える。
「自分がケーキ好きというより、美味しいケーキ屋さんをたくさん知っていて、事務所で俺たちに食べさせてくれるんだ。もしかして、本当は女を騙すためとか。」
「そんな、ケーキぐらいで騙される女の人なんて、」
「明日夏先輩ぐらいじゃないですか。」
ミサが尋ねる。
「ねえ、尚って明日夏と仲が良さそうなんだけど、時々辛辣なことを言うよね。もしかして、それが仲がいい証拠なの?」
「明日夏先輩、話していいですか。」
「うん、ミサちゃんなら、秘密なしでいいよ。」
「明日夏、有難う。」
「私がこの事務所にスカウトされたときの話です。うちの兄が明日夏さんの大ファンで、全イベントに応募して、抽選じゃない場合は早い順番を取るために始発で向かって、応援方法を考えコールブックを作って配布して、いわゆる、明日夏さんのTOをやっています。」
「へー、そうなんだ、尚のお兄さんが。」
「でも、イベントの抽選に外れるとしょんぼりして帰ってくるので、前のCDのリリースの最終イベントではチケット確保のために、兄といっしょに行ったんです。」
「そうか、尚はお兄さん思いの良い妹なんだ。」
「そのイベントでは兄も私も当選して、兄が前の方、私が一番最後の参加者としてイベントに参加しました。イベントはサイン入りアナザジャケットのお渡し会だったのですが、兄が終わって、最後の私が会場から出ていこうとするときに、明日夏先輩が橘さんに兄たちの話をしてて、もうちょっとイケメンだったら良かったのに、って言ったんです。」
「明日夏、本当に?」
「尚ちゃんの言ったことは、全部本当でございます。大変申し訳ありません。」
「その一日、面白くないことが続いていまして、何言ってんの、みたいな感じで明日夏先輩と口喧嘩になってしまいました。」
「これは、さすがに明日夏が100%悪いかな。」
「ミサちゃんの言う通り、プロの歌手として失格でございます。その後、社長が尚ちゃんをケーキでおもてなしして、尚ちゃんが部屋から出てきたら、土下座してお詫びする覚悟だったんですが、明日夏先輩と呼ばれて、今ではこんな関係になっているんだよ。」
「はい、そんな感じです。」
「でもね、実は尚ちゃん。すべては尚ちゃんをアイドルとしてパラダイス興行に引き込むための名探偵明日夏の作戦だったんだよ。ふふふふふ。」
「さすが迷える探偵、明日夏先輩はすごいですね。」
「社長のケーキの威力を計算に入れた作戦が無事に成功して、みんなと友達になれて、良かったでしょう。」
「はい、結局は良かったですけど、スカウトを受けた理由はケーキではないんですよ、明日夏先輩じゃないんですから。」
「じゃあ、尚、何でスカウトを受けてみようと思ったの。」
「色々なんです。明日夏先輩や兄の友達でアイドルを目指している子に負けたくないという気持ちと、社長がなんか可哀そうに見えたのと、毎日が単調だったので変わったことをしてみたいという気持ちがありました。」
「そうなんだ。」
「でも、今は何よりもこのユニットを成功に導きたいという気持ちが一番大きいです。」
「尚なら絶対に成功すると思う。」
「明日夏先輩に悪気があるわけではないのは分かっていましたし、ここに来て超面食いということも分かりましたので、もう怒ってはいません。明日夏先輩にも、成功して欲しいと思いますし、協力もしますが、たまに悪態をつきたくなることがあります。」
「なるほど。何となく分かった。このことは、お兄さんには?」
「何も話していません。悲しむ顔は見たくないですから。兄はそのイベントで私が急にスカウトされたと思っています。あと、兄には明日夏さんのことについては私が困ったこと以外は絶対に話すなと言われていますので、話していません。」
「立派なお兄さんなんだ。」
「不器用ですけど、いい兄だと思います。本当は7月に明日夏さんのセカンドシングルが出ることを知ったらすごく喜ぶんでしょうけど。」
「そうか。でも、いろいろ大変ね。」
「大丈夫です。上手くやります。」
「尚ならできるよね。そうか、尚たち自身のデビューの件は話したの?」
「はい、オーディションのころから、兄に面接の受け答えとか相談していたので、『トリプレット』のことは話しています。」
「それは良かったね。私も、協力できることがあったら何でもするから言ってね。」
「はい、有難うございます。」
「明日夏、私たちは、みんなの思いを背負っているということを忘れてはだめよ。」
「ウィ、マドマゼル。」
「うん、でも、私も肝に銘じないと。」
亜美が由佳に話しかける。
「でも、尚ちゃんのお兄さん、なんでこんなに可愛い妹がいるのに、明日夏さんを推すんだろう。」
「妹と恋人は別だろう。同じじゃ困る。」
「恋人とも違うのかもしれません。例えば、兄は美香先輩の曲をサブスクリプションで聴いています。ロックが特に好きということはないですが、時々聴いて明日夏さんより歌が上手いとはいっています。あと、すごい美人とも言っていました。でも、推す気にはならないみたいですから。」
「私はそれで嬉しいよ。個人的には聴いてもらうだけでいいんだけど、それで生活している人も多いので、ちゃんと正規ルートで時々でも楽しんでくれれば、推してくれなくても嬉しいかな。」
「美香先輩的には、それが歌手の本懐という感じですね。」
「うん、その通り。」
「逆に、明日夏さんに関して、例えば美香先輩の歌を聴いたりしたときなんかに、明日夏さんももっと頑張らないと、って親みたいなことを言っていますし。」
「もしかすると、明日夏さんは、男性にとって、父性本能をくすぐるタイプなのかもしれませんね。」
「亜美、何だそれ。」
「母性本能の反対みたいなもの。ダメ男好きの反対のダメ女好きみたいな感じ。」
「ねえねえ、みんなで私に酷いことを言っているよねえ。でも、まー・・・」
「まあ、何ですか?先輩。」
「まあ、いいかな。」
「そうですね。みんな明日夏先輩が大好きだから、こんなお茶会が持てるんですよ。」
「そうだよ。」「そうそう。」「うん、そう。」
「へへへへへへへ。」
「でも、私も一回、尚のお兄さんに会ってみたくなった。」
「すごくいいお兄ちゃんとは思うけど、ミサちゃんがわざわざ会うほどのものでもないと思うよ。だいたい、女の人とそういう縁とかなさそうだし。」
「明日夏さん、相変わらず自分のファンに酷い言い方をしますね。そんなことを言っていると、またリーダーが切れますよ。」
「うちの兄は人が良いところがあって利用されることはあっても、いわゆる彼女いない歴と年齢が同じです。確かに、美香先輩が会うほどの兄ではないかもしれません。」
「二人とも、自分のファンとお兄さんに酷いことを。」
尚美は「明日夏先輩はともかく、美香先輩にはちょっと会わせたくないかな。」と思いながら、話を変える。
「あの、由香先輩と亜美先輩をもう少し詳しく紹介してもいいですか。」
「もちろん。是非、知りたい。」
「まずは、由香先輩、どうぞ。」
「えーと、基本位置はユニットの左側、一応、ダンスが得意なんで、将来はプロのダンサーになることが夢です。」
「うん、ビデオで見たけど3月に明日夏のバックダンサーをやっていたよね。明日夏の左側で、高校生なのに切れのあるダンスで驚いた。」
「本当ですか。有難うございます。母がダンス好きで、2歳上の兄にダンスをやらせていたんですが、私が幼稚園の時に兄の真似をしてダンスを始めてから続けています。兄の方はダンスをやったことも忘れちゃっていますが。」
「まあ、男の子は小学校1、2年のことはよく覚えていないからね。」
「でも普通の男の子なら、明日夏先輩よりは覚えているんじゃないですかね。」
「尚ちゃん、・・・厳しい。」
「そう言えば、ミサさんも、本当はダンスがお上手なんですよね。」
「一応、歌手になるなら動きが良くなるためにダンスのレッスンを受けたほうが良いということで、やっているけど。由香ほどではないよ。」
「動きを見る限り、そんなことはないと思います。」
「明日夏はダンスやっているの?」
「少しだけ。それより歌だって。橘さんが。」
「カッコよくダンスする明日夏先輩は想像できないというか、ゆっくりと動かす方が似合っていると思います。美香先輩がダンスをすればカッコいいと思いますが、歌っているときはダンスはしないんですか?」
「うん。やっぱり、歌に全力で集中したいからかな。」
「さすがミサちゃん、私と同じだね。」
「それは、同じように聞こえても中身がだいぶ違うと思います。」
「でも、由香、機会があったらいっしょにダンスしようか。」
「是非お願いです。そのときのビデオを撮って家宝にしたいです。」
「わかった、約束ね。」
「じゃあ、次は亜美先輩。」
「亜美と言います。私は、どちらかというと、バラード系の歌が得意です。夢はバラードで心を伝えることができるアニソン歌手になることです。」
「へー、アイドルでバラード系というのも面白そう。3人の個性に幅を持たせているんだね。」
「はい、社長の方針で、アイドル卒業後のことも考えての構成になっています。」
「それを尚がまとめるのか。頑張ってね。」
「はい、私自身も頑張らなくてはいけないんですが、ユニットを成長させることは、やりがいがある目標と思っています。」
「明日夏さん的には、尚が風呂桶で、私がシャワーで、亜美が下の蛇口らしいです。」
「ユニットバス?相変わらず、明日夏は独特な感性を持っているのね。」
「へへへへへ。」
「美香先輩は、何か夢を持っていますか?」
「ありきたりだけど、私に元気をくれたロックをもっと上手になって、世界中で活躍できるロックシンガーになりたいということかな。」
「世界で活躍している日本のロックシンガーはいませんので、是非、美香先輩が道を開いてください。」
「もちろん、がんばる。でも、成功は約束できないかな。」
「それでいいんじゃないでしょうか。美香先輩は恵まれた環境にいるんですから、思いっきり挑戦しないと、人生がつまらなくなると思います。」
「挑戦すると心が砕けそうになることもあるけどね。」
「ゴム人間の明日夏先輩とは違いますから、それは仕方がないです。」
「何、ゴム人間って。ゴムゴムのってやつ?」
「社長が言っていたんですが、明日夏先輩はどんな壁に当たっても、砕けることのないゴムのようで、あちこちで跳ね返った後にまた壁に当たっていくという話です。」
「なるほど。羨ましいわね。」
「心が砕けそうな時は、みんなで集まりましょう。明日夏先輩を見れば、くよくよすることがアホらしくなりますし。」
「そうね。約束。」
「はい。」
「ミサちゃんと尚の話は難しくて、良く分からないけど、みんなで集まるのは賛成!」
「分かりました。次はゴールデンウィークに集まりましょう。」
「尚ちゃん、偉い。」
「どこか行きたい場所はありますか?」
「尚、やっぱり春だから、ピクニックなんかいいんじゃない。」
「ミサちゃん、そういう無駄に疲れるものは。」
「分かりました。皆さん忙しいと思いますので、日帰りのピクニックにしましょう。場所は、美香先輩と相談して決めます。」
「尚ちゃんが私を無視している。」
「明日夏先輩もたまには運動しましょう。最近、仕事以外はいつも家に籠っているんでしょう。」
「だって、家の中、快適だし、アルバイトが佳境なんだよ。」
「由佳先輩と亜美先輩も大丈夫ですね。」
「俺はOKだぜ。」
「私も、ちょっと気が重いですが、大丈夫です。みんなと一緒に行きたいです。」
「亜美先輩、無理はしないようにしますので、大丈夫だと思います。」
「尚ちゃんとミサちゃんの無理ないは、普通の人にとって、すごい無理なことになってしまう気がするんだよ。」
「今回は、明日夏さんの言うこと、分かる気がします。」
「亜美ちゃん、そうだよね。分かるよね。」
「はい。」
「分かりました。途中で変更可能で、場合によっては、徒歩でなく乗り物でも移動できるようなルートを考えます。」
「リーダー、有難うございます。」
「それでは、美香先輩、場所はSNSで相談しましょう。」
「うん、わかった。」
こうしてお茶会を終えて、5人はホテルを後にした。ミサはリムジンで4人を近くの駅まで送って、帰宅の途に着いた。
後日のパラダイス興行での練習で。
「明日夏、最近、家でちゃんと練習するようになって、偉いわね。」
「へへへへへへへ。この間のお茶会で、とってもすごい法則を発見しちゃったもので。」
「へー、どんな法則?」
「橘さん、とっても馬鹿な法則ですので聞かないほうがいいです。」
「尚ちゃん、酷い。」
パラダイス興行では、未来に向けた希望があふれる幸せな時間が過ぎていた。
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