第6話 初ライブ

 3月後半になると、尚美の歌とダンスは、プロによる集中した指導と、持ち前の思考能力と運動神経を融合させた練習によって、どうにか形になってきた。そして、いよいよ明日夏も出演するヘルツレコード主催のライブがさいたまスーパーアリーナで開催される3月25日になった。朝6時、誠と尚美が平塚の家を出た。

「お兄ちゃん、つき合わせちゃってごめんね。」

「広島から始発の飛行機で来るラッキーさんに比べれば、全然だよ。それに今日のヘルツレコードのライブ、3万人ぐらい入るんだから裏方さんもとっても大切だよ。」

「分かってる。社長がバックバンド、橘さんが明日夏先輩、私がバックダンサーの由香先輩と亜美先輩の面倒を見るから、今日はパラダイス興行の主力メンバー全員がさいたまスーパーアリーナに行くことになるの。」

「そうか、それはすごいな。やっぱり、演者とファンの間には敷居があるべきだから、僕からはあまり聞かないけど、もしも尚が困ったことがあるようだったら遠慮なく言ってよね。何でも力になるから。」

「有難う。でも、今のところは大丈夫。」

「事務所での練習の方も順調なんだよね。」

「うん、筋がいいって、橘さんが。」

「さすが、尚だな。」

誠と尚美は、渋谷で別れ、誠はスーパーアリーナに、尚美はパラダイス興行に向かった。


 朝8時、パラダイス興行では、明日夏とすっカーズの最後の調整を済ませた後、事務所のバンとレンタルしたバンの2台で出発しようとしていた。

「じゃあ、久美、女性陣の車の運転、お願いね。」

「うん。」

「心配?」

「少しだけ。」

明日夏が二人に話しかける。

「でしたら、私が運転しますよ。」

「明日夏ちゃん、免許持っているの。」

「もちろん。」

そう言いながら免許を見せる。全員が不安そうな顔をする。悟が答える。

「そっ、そうなんだ。でも、運転はするの?」

「親の車で時々運転します。上手いんですよ。赤信号で止まれますし。」

「そうだね。でも・・・。」

尚美が言う。

「明日夏先輩、車の運転ができるってすごいです。今度、いっしょに乗せてください。でも、今日は先輩が主役です。午後には3万人の前で歌うんですから、運転せずに休んでいた方が良いと思います。」

「そうそう、尚ちゃんの言う通り、今日はこの後、明日夏が一番大変なんだから、今は休んでおいた方がいい。」

久美と悟が出発を促す。

「私も、すごく大丈夫になった。」

「それじゃあ、みんな、車に乗って。」

バンに乗った明日夏が言う。

「そうなのか。私のドライビングテクニックを見せたかったな。」

尚美が提案する。

「それでは、また今度、乗せてくださいね。」

「分かった。尚ちゃん、どこへ行きたい。」

「えーっと、田島ケーキ店かな。」

「それ、事務所からまっすぐで歩いて1分のところだよ。」

「なんか、今、そのケーキが食べたくなっただけです。また考えます。とりあえず、今は遅刻しないように、出発しましょう。」

久美がバンを発進させる。明日夏が尚美にケーキ屋に行く話をする。

「そうだ、今日、ライブが終わって事務所に戻ったら、ケーキ食べに行こう。」

「でも、今日はこちらに戻るのが、夜10時近くになるので、難しいと思います。」

「そうだね、ケーキ屋さんは閉まっちゃっているよね。」

「それじゃあ、明日行きましょう。学校は春休みですから私は大丈夫です。由香先輩と亜美先輩は?」

「オーライ。」

「うん、行くよ。」

「明日夏先輩、パラダイスドリームスは大丈夫です。」

「やったー、じゃあ、明日行こう。」


 さいたまスーパーアリーナへ向かう道中、明日夏は寝ていた。尚美はタブレットを見ながら、スケジュールの確認をしていた。由佳と亜美はスマフォを見ていた。バンがさいたまスーパーアリーナに到着すると、男性陣は楽器などの荷物の搬入を始めた。久美が尚美に言う。

「じゃあ、尚、こっちの荷物をお願い。」

「はい。」

久美は明日夏のマネージャーとして明日夏の楽屋に、尚美は由佳と亜美と一緒にバックダンサーのための大部屋の楽屋に向かった。

「それじゃあ、」

「スマフォの音が聞こえにくい場合もあると思いますので、時々着信のチェックをお願いします。」

「了解。由佳と亜美は尚に任せて大丈夫そうね。」

「はい、大丈夫です。では、最終リハーサルは11時35分ですので、その15分前の11時20分に入場口で。」

「了解。」

久美たちと尚美たちがそれぞれの控室に向かった。尚美たちが楽屋に入ると、由佳が驚く。

「すごい、榊原ダンススクールのメンバーだ。榊原先生もいるのか。」

「由佳さん、亜美さん、とりあえず、このテーブルに座りましょうか。」

「了解。」

「ペット茶は置いておきます。リハーサルも、一応、着替えてやりましょう。完璧を期すために。舞台の化粧は本番だけでいいと思います。」

「わかった。でも、さすがに少しビビってきたな。」

「由佳は上手いからいいけど、私なんかどうしよう。」

「亜美先輩のダンスも十分カッコいいです。練習もしましたし、1曲ですから頑張りましょう。」

「うん、良かったよ1曲で。」

「でも、亜美先輩、パラダイスドリームスが成功したあかつきには、ライブで20曲は歌ったり踊ったりするんですよ。」

「だけどさあ、リーダー、こんなところじゃ、やんないだろ。」

「由佳先輩、そんなの分からないですよ。もしかしたら、東京ドームでライブするかもしれませんよ。」

「東京ドームでやるなら野球だよ。俺がピッチャーで、亜美はキャッチャー。リーダーは監督。」

「えー、由佳、私、野球できないよ。」

「じゃあ、練習するか。」

「由佳先輩、それは、有名になってから芸能人野球大会に出て実現して下さい。東京ドームは無理でも、ここはいろんなライブで使われていますから、3曲ぐらいをパフォーマンスする可能性はありますよ。」

「そうか、それはすごいな。」

「そうです。とりあえず、さいたまスーパーアリーナのライブに呼ばれることを目指しましょう。」

「よし、頑張ろうぜ!」

「わかった。でも、明日夏さん、ここでライブできるんだから、本当はすごいんだな。」

「由香、本当は、って。」

「やはり、明日夏先輩、あのやわらかい声と雰囲気がいいんだと思います。外見、声、雰囲気がマッチしていますよ。」

「リーダー、気を使って言っているだろう。」

「本当だと思います。このユニットは、カッコ可愛いを目指すので、それほど参考にならないとは思いますが。」

「まあ、そうか。」

「そうです。では先輩方、11時10分にはここを出発しますので、それまでは休んでいて下さい。」

「了解だぜ。」


 久美と明日夏が楽屋の前に着いた。

「出演者が多いので2組の相部屋とは聞いていたけど、大河内さんか。」

久美は明日夏といろいろレベルが違うので少し心配だったが、明日夏は嬉しそうだった。

「本当だ。ミサちゃんと会うの1年ぶりぐらい。嬉しい。」

ノックして扉を開けたが、中には誰もいなかった。

「それじゃあ、この角の方に座っていましょうか。」

「そうですよね。やっぱり。」

「もう少ししたら、リハーサル前の発声練習をするから。」

「了解です。」

しばらくして、ドアの外で声が微かに聞こえた。

「何で、ミサちゃんが相部屋に入らなくてはいけないの?」

「先輩方がたくさん出演されますので、仕方がないです。私は、まだデビューして1年もたっていない新人ですし。」

「でも、同室の神田明日夏は、まだ2か月よ。」

「同じ新人ということでしょう。それに聞こえますよ。早く部屋に入りましょう。」

ノックの音が聞こえた。久美が返事をする。

「どうぞ。」

ドアが開いて二人が入ってきて挨拶した。

「お邪魔します。大河内ミサです。」

「お邪魔します。大河内のマネージャーの溝口です。」

明日夏が返事をする。

「えーと、うちの社長が同年齢だからミサちゃんと呼んでと言うのでミサちゃんでいい?ミサ様でもいいけど。」

「ミサでもミサちゃんでいい。」

「私のこと覚えているかな。去年、アニソンコンテスト東京大会で同じ控室だった、魚肉ソーセージの神田明日夏と言うんだけど。あの時は、いろいろ教わって、刺激も受けて、本当にそのおかげで、プロの歌手としてデビューできたよ。有難う。」

「もちろん、覚えているよ。明日夏は、あの大会を通して一番印象的だった。デビューおめでとう。」

「ミサちゃん、有難う。でも、印象的だったのは、やっぱり魚肉ソーセージで大笑いしていたから?」

「ううん、出場者の中で一番可愛かったことかな。」

「・・・・・・あの大会で、飛びぬけて一番可愛くて綺麗だったのはミサちゃんです。」

「有難う。お世辞でもうれしい。」

「えーと・・・・まあいいや。」

「ミサちゃんって、趣味は?」

「趣味はロックだけかな。聴いたり歌ったりしているときが本当に一番楽しい。」

「アニメや漫画は?」

「仕事の関係で見るけど。あんまりは。」

「えーーー、それは人生損しているよ。リラックスできるし。二次元男子、カッコいいし。お勧めの作品を教えてあげるよ。」

「本当に!?有難う。そうすれば、私も、コンテストの控室で魚肉ソーセージって叫べるようになれるかな。」

「なる。」

「じゃあ、教えて。」

「えーと、魚肉ソーセージって叫びたいの?」

「あの時は、優勝しなくちゃって思いが強くて、胃も痛くて、明日夏が自由なのが羨ましくて、ちょっとイライラしていたの。」

「そうなんだ。」

「緊張していて良く覚えていないんだけど、その時もしかしすると失礼なことを言ったかもしれなくて、ごめんなさい。」

「いえいえ、どんどん失礼なことを言って言って。本当にためになったから。そのお礼に、現代の女の子が見るべきアニメについて、一から教えてあげよう。」

「お願いします。」

 久美が短く挨拶する。

「明日夏のマネージャーをしているパラダイス興行の橘です。今日はよろしくお願いします。」

「溝口エイジェンシーの溝口です。よろしくお願いします。」

久美は、デビューすることの精神的負担に関して「これだけ順調な大河内さんも実は大変なのか。」と共感していた。明日夏とミサのアニメや漫画の話は、途中で係員が入ってきて、最終スケジュールを確認することなどにより中断することもあったが、明日夏の一方的なおしゃべりが続いていた。久美が、ミサと溝口マネージャーに話しかける。

「もう少しすると、リハーサル前の発声練習をしたいと思いますが、よろしいでしょうか。」

「はい、どうぞ。私もその後で発声練習をしたいと思います。」

「有難うございます。明日夏、始めるよ。」

「分かりました。」

 明日夏がイヤフォンを耳に着けて、発声練習を始めるが、久美がすぐに止める。

「ストップ。半音ぐらい低い。それじゃ大河内さんに迷惑がかかる。私もいっしょにするから良く聞いて。」

「ウィ、マダム。」

明日夏がイヤフォンを外して、久美と一緒に発声練習をする。途中で何度も止まったが、なんとか発声練習が終わった。

「明日夏、力が入っていないのはいいけど、もっと周りの音を聴かないと、一人でずれていくわよ。」

「ウィ、マダム。」

「大河内さん、失礼しました。明日夏の発声練習は終わりました。」

ミサは「明日夏のマネージャさん、音源なしですごい正確に音程がわかるんだ。」と思いながら答えた。

「いえ、勉強になりました。では、今度はこちらが失礼します。」

「どうぞ。」

ミサもイヤフォンを発声練習を始めるが、ミサが満足いかない表情をする。久美が

「16分の1ぐらい低いかな。上に飛んだ時が8分の1ぐらい低くて、少し安定していない感じです。」

溝口マネージャーが久美に注意しようとするが、ミサが止める。

「申し訳ないですが。」

「いいの、言っていることは正しいから。もし他にもありましたら、何でも言って下さい。」

「少し力が入って、声に伸びやかさがない気がします。緊張していますか。」

「はい、こんな大舞台は初めてで、有名な先輩方も多数いらっしゃいますし、今回は張り出し舞台からの登場ですので。」

「今まで聞いてきた印象では、大河内さんは本当に高い技術をお持ちですので、普段の力を出せれば大丈夫です。リラックス。リラックスです。何か楽しいこととか面白いことを思い出してみて、軽く動いてみて下さい。」

「楽しいこと、面白いことですか。わかりました。」

ミサが背伸びなどをした後に、再度発声練習を行った。ミサが、久美に尋ねる。

「どうですか?さっきよりはだいぶ良くなったように思いますが。」

「はい、1回だけ16分の1ぐらいずれましたが、十分だと思います。声の感じも良くなりました。」

「有難うございます。橘さんは音楽をされていたんですか。」

「子供のころから、音楽は好きで色々やっていました。」

「ですよね。今は明日夏のマネージャー兼トレーナーということですか?」

「小さな事務所ですので、マネージャー、トレーナー、荷物運び、若いミュージシャンの相談相手、何でもやっています。」

「楽しそうですね。」

「小さくて大変なこともありますが、今は楽しいです。トレーニングした明日夏がメジャーデビューできましたし。」

「それは良かったです。」

明日夏が尋ねる。

「ねーねー、ミサちゃんが楽しいことって何を思い出していたの。」

「えっ、明日夏が漫画を読みながら、魚肉ソーセージ、魚肉ソーセージって叫んで爆笑していた顔かな。」

「それって、楽しいことじゃなくて、単に面白ことの方よね。」

「面白いだけでなく、私もできれば明日夏みたいになりたいなって思って。」

久美が止める。

「いえ、それだけは止めた方が良いと思います。」

「師匠、ひどい。」

「周りが大変なのよ。」

「ごめんなさい。」

「でも、明日夏はもう仕方がないから、今日は伸び伸びやってきてね。それが明日夏のいいところなんだから。」

「ウィ、マダム。」

「明日夏の場合、縮こまれというの方が無理かもしれないけど。」

「はい、無理だと思います。」

部屋の中で笑いが起きた。


 最終リハーサルのために、4人が部屋を出て、舞台入り口に向かった。

「ミサちゃんの方が少し後なのに、集合時間が同じなんだ。」

「うん、私、張り出し舞台から登場するから、その移動時間があるの。」

「あのステージの出っ張ているところの先っぽのところ?」

「そう、あそこに立つと、ほぼ360度お客さんだから、お客さんの海の中にいるみたいになるって。」

「そうなんだ。さすがはミサちゃん。私も張り出し舞台で歌えるような歌手になりたい。」

「その逞しさ。やっぱり明日夏が羨ましい。」

「えー、大丈夫だよ。ミサちゃんは普段の実力を出せば良いだけなんだから。私なんて、お客さんの力を借りて、普段の実力以上の力を出さないといけないんだよ。」

「そうなんだ。じゃあ、私は明日夏の力を借りて頑張る。」

「私の顔と魚肉ソーセージの力。」

「そう。」

「とりあえず、最終リハーサル、頑張ろう。」

「うん。」

最終リハーサルを終えて、明日夏と久美が楽屋に戻ってきた。久美と悟がスマフォで会話する。

「明日夏は大丈夫だと思うけど、デスデーモンズの方はどうしちゃったの?」

「なんか、みんな極度に緊張しちゃっているようだ。」

「私もそっちに行くわ。」

「その方が安心するだろうけど、明日夏ちゃんは?」

「尚に任せる。由佳と亜美は大丈夫だと思う。」

「わかった。じゃあ、尚ちゃんに連絡するので、久美はこっちに来て。」

「すぐ行く。」

久美が明日夏に言う。

「ちょっとバンドの方に行ってくる。本番前の発声練習の前には戻る。」

「えー、私も橘さんと行く。」

「大丈夫、尚を呼んだから。」

「良かった、尚ちゃんが来れば安心。じゃあ、尚ちゃんを待っている。」

明日夏は服を着替えたりして、尚美を待った。そのとき、ノックがあり扉が開いた。

「明日夏先輩、こんにちは。」

「あー、尚ちゃん、いらっしゃい。一人で寂しかったよー。」

「そうですか。大河内さんと相部屋なんですか。」

「そう、リハーサルの後、もうすぐ戻ってくると思う。」

「分かりました。明日夏先輩はちゃんと歌えていましたね。」

「本当?有難う。橘さんのおかげだよ。」

「由佳さん亜美さんのダンスも、うまくいっていました。」

「後ろだから見えなかったけど、バッチリってオーラは感じた。」

「直観力はさすがですね。ただ、その後ろの・・・」

と言いかけたところで、ミサたちが入ってきた。尚美が挨拶をする。

「こんにちは、神田明日夏のマネージャー代理の岩田直美です。芸名は星野なおみと言います。」

「こんにちは、大河内ミサです。」

「こんにちは、マネージャーの溝口です。」

ミサが尋ねる。

「あの、橘さんは?」

「すみません。橘はバックバンドの出来が良くなかったので、そっちを見に行きました。」

「あーー。」

「はい、目隠しをしてもちゃんと演奏できるぐらいにはなっていたので、技術的な問題ではないと思うのですが。」

明日夏も同意する。

「うん、昨日は本当に目隠しをして合わせてみたけど、問題なかったよ。」

「私もそうだけど、大きなホールで日本最高の大先輩のバンドメンバーの方々が出演していると、知らず知らずのうちに緊張してしまうみたい。」

「そうですか。大河内さんの場合は、どうやって克服したんですか。」

「橘さんのアドバイスもあって、楽しいものや面白いものを思い浮かべるといいということで、さっきも言ったんですが、明日夏が大笑いしている顔を思い浮かべました。」

「明日夏さんの顔ですか。」

「大笑いしている顔が、ギャップがあって面白い。」

「なるほど。それは確かにありますね。私も今度使ってみようかな。」

「へへへへへ、お役に立てて嬉しいです。」

「はい、そういうとこぐらい役立って下さい。」

「ところで、マネージャー代理さん。」

「尚って呼んでください。」

「尚、すごく若いようだけど。」

「はい、この4月で中学2年生になります。この2月に兄と明日夏さんのイベントに参加しているときに、事務所の社長にスカウトされて、現在アイドルユニットとして活動するための練習をしているところです。」

「中学2年生なのにすごいな。」

「うん、尚ちゃん、すごいんだよ。私のお姉さんという感じだよ。」

「妹じゃなくて、お姉さんなの。」

「うん。」

「橘さんは。」

「お母さん。」

「なるほど。」

「大河内さん、お話し中大変申し訳ありませんが、明日夏先輩が忘れないうちに、リハーサル後のチェックをしたいのですがよろしいでしょうか。」

「ごめんなさい。どうぞ。」

尚美がタブレットでチェックリストを表示した。ミサはステージ衣装を着替え始めた。

「まず、マイクの調子は?」

「大丈夫だったよ。」

「はい、もし本番でマイクの調子が悪いときは、係りの人が別のマイクを持って来ると思いますので、慌てず交換してください。」

「イヤモニの方は、ちゃんと音が聞こえましたか?」

「大丈夫だった。」

「イヤモニはマイクと違って途中ですぐには交換できないので、注意が必要です。あと、本番では歓声が入りますので、リハーサルより聞き取りにくくなると思いますが、リハーサルでは自分の声が聞き取りにくかったり、途切れたりということはなかったですね。」

「うん、大丈夫。」

「靴が脱げそうになったり、服が引っかかることはなかったですか。」

「大丈夫だった。」

「位置取りや、移動で難しいことは?」

「ステージ中央で歌うだけだから、大丈夫。」

「他に何か気になったことはないですか。」

「えーっと。明日はケーキ2個食べていいかな。」

「問題がないということですね。分かりました。」

「あー、尚ちゃんが無視した。」

「本番の前にはもう1度イヤモニの確認をしますが、橘さんが戻るということなので、橘さんにお願いすると思います。」

「分かった。」

ミサが尚美に尋ねる。

「そういえば、イヤモニの調子が良くなかったんだけれど、どうすれば良いか分かりますか。」

「送信機の不良とは考えにくいので、考えられる原因は3つで、受信機の不良、受信機とイヤモニのジャックの接触不良、イヤモニの中の電線が切れかかっている、です。とりあえず、受信機のジャックにイヤモニを差しなおす。それでだめならば受信機を交換してもらう、それでなければイヤモニを交換する。いずれにしても、早いうちに舞台袖に行って確認した方がいいと思います。」

「分かった。」

「イヤモニの予備はお持ちですか。」

「ごめんなさい、持っていません。」

「じゃあ、お貸しします。新品が2つ使用済みが2つありますので、新品の方をどうぞ。」

「有難う。お金はお支払いします。溝口さん、大丈夫ですよね。」

「領収書があれば、問題ないのですが。」

「そのまま返してもらっても別に構わないのですが、気になるようでしたら、同型品を購入してこちらの事務所まで送ってください。お貸ししたイヤモニは大河内さんの予備として使ったらどうでしょうか。」

「分かりました。そのようにします。でも、なぜ、そんなにいっぱいの予備を持っているんですか。」

「新品があるのは新しいアイドルユニットのためにちょうど買ったばかりで、多数持ってきたのは、明日夏さんがひっかけたり、転んだりして壊すかもしれないと思ったからです。リハーサルでは、転ばずに済みましたのでもう大丈夫だと思います。」

「なるほど。明日夏のおかげで助かったわけですね。」

「まあ、これだけ人がいればどこかで借りることはできたとは思います。それより、とりあえず早めに確認してきた方が良いと思います。」

「有難う。そうします。溝口さん、いっしょにお願いできますか。」

「はい、では行きましょう。」

ミサたちはイヤモニの確認のために舞台袖に向かった。尚美が言う。

「あとは、昼食の弁当を食べて、本番だけですね。最後に全員で舞台挨拶もありますので、忘れないで下さいね。」

「お弁当が出るんだ。」

「はい、もう少ししたら運んで来るんじゃないかと思います。」

「ミサちゃんたち、食べそびれないかな。」

「大丈夫です。係りの人に言って二人の分を確保しておきますから。」

「さすが。頼れる尚ちゃんだね。」

「誉めるなら、弁当じゃなくてイヤモニの方を誉めて下さい。」

「イヤモニの方って?」

「何でもないです。」

 扉がノックされて、ドアが開いた。明日夏が叫ぶ。

「お弁当!・・・・違った。」

大河内が返事をする。

「どうしたの?」

「すみません。大河内さん。明日夏先輩がお弁当を待ちくたびれているようです。」

「ははははは。すぐそこまで来ていたから、もうすぐだと思うよ。」

「楽しみだなー、お弁当。」

「尚、イヤモニ有難う。やっぱり、イヤモニの問題みたい。同じ型の新品を買ってお返しします。」

「はい。もう大丈夫と思いますが、まだ新品1つ、使用済み2つの予備がありますので、もしもの時はいつでも言ってください。」

「分かりました。有難う。」

ミサが明日夏に向って言う。

「明日夏が、尚を姉みたいという理由がわかったわ。」

「でしょう!」

「明日夏先輩は威張らないで下さい。」

「はーい。」

その時、また、扉がノックされた。今度はお弁当が入った段ボールを乗せた台車を持った人が入ってきた。明日夏が叫ぶ。

「お弁当だ。」

「はい、お弁当です。ここは4つで大丈夫でしょうか。」

ミサが尚美に聞く。

「橘さんの分は。」

「橘さんは、バックダンサーの部屋の私の分を食べると思いますので、4つで大丈夫です。」

「わかった。では、4つお願いします。」

「分かりました。」

係員がお弁当箱4つと味噌汁のカップ4つをテーブルに置いて、部屋を出た。明日夏が喜んで言う。

「お弁当、お弁当、嬉しいな。パクパクパク。」

「先輩、手を洗ってからです。」

「はーい。」

手を洗って、味噌汁のカップにお湯を注いで、席に着いた。

「頂きます。」

弁当を開けてみた明日夏が言う。

「なんか、お年寄り向きの弁当だねー。」

「それは、大御所が多数出演されているので、仕方がないんじゃないかな。」

「その代わり、明日夏先輩、この卵焼き、だしが利いていて美味しそうですよ。」

一口食べた明日夏が言う。

「本当だ。薄味だけど美味しい。」

食事をしている途中に、森永本部長が挨拶にやってきた。

「どうぞ、そのままで。」

明日夏を除いた3人が立ち上がる。立ち上がる途中で、尚美が小さく声をかける。

「先輩。」

少し遅れて明日夏が立ち上がる。

「お疲れ様です。」

「そのままで、いいんだが。ミサ君、調子はどうだい。」

「こんな大きなところでライブするのが初めてで、緊張して、明日夏や周りの方々に助けて頂いて、なんとか普通にできるようになっています。」

「そうか、それは良かった。本番では頑張ってね。」

「はい、頑張ります。」

「神田明日夏さん。」

「初めまして、パラダイス興行の神田明日夏と申します。アニソンなどの歌手をやっています。」

「一応初めてではないのですが、ヘルツレコードの第2事業部で本部長をやっています森永です。今日の調子はどうですか。」

「私的には、パーフェクトです。」

「そうですか。それは心強い。」

「でも、橘さんにはまだまだと言われます。」

「それは困りましたね。ところで、橘さんは。」

「橘さんは、えーと。」

尚美が答える。

「橘は、バックバンドがリハーサルで緊張しすぎのため調子が良くなかったですので、そちらの方を見に行っています。」

「そういえば、そうだったね。ところで、君は?」

「私は、今日はマネージャーの代理を務めていますが、パラダイス興行でアイドルユニットを出すために練習をしている岩田尚美と言います。ユニットのリーダーを務め、芸名は星野なおみとなる予定です。」

「パラダイスさんは元々はロック系の事務所だったと思うけど、手を広げているんだね。」

「はい、経営的な面もあるとは思いますが、社長の平田と橘がロックへ固執することから、だんだん楽しい音楽を目指すように気持ちが変わってきているのだと思います。」

「なるほど。ユニットの計画があれば話してもらえますか。」

「はい、3名のユニットで、メンバーの個性を生かしたトリプルセンターで構成されるユニットにする予定です。高校をもうすぐ卒業する切れが良いダンスをするダンスセンターの由佳。高校2年生になる響く歌声が特徴のボーカルセンターの亜美。私は中学2年生になるところですが、チアセンターとユニットリーダーを務める予定です。由香と亜美の二人は今日の明日夏の公演のバックダンサーを務めています。」

「そうだね、さっきのリハーサルで、左側のダンサーが抑えていたけど、切れが良くて上手そうだったね。」

「おっしゃる通りです。今日はバランスを考えて、左側で踊っていた由佳には抑えてもらっています。ユニットの時は、ソロのダンスパートを設けて、由佳の全力を出せるような構成にしたいと思っています。」

「そうですか。個性を生かしたユニットにするわけですね。」

「はい。あと、平田としては解散後の行き先を考えて、ユニット内でそれぞれの個性を生かせるようにしたいようです。」

「なおみ君は、チアリーダーということですが、どういう感じに持っていくの。」

「私は始めたばかりで、まだレベルが低くて偉そうなことは言えないのですが、見ているお客さんが元気になってほしいということで、可愛くてきびきびした動きとトークを特徴としたいと思っています。」

「そうですね。なおみさんは、ルックスもよいですから、それは良い考えですね。」

「恐縮です。ただ、個性を生かしつつ、バランスを取りながらユニットをどうまとめるかは、いろいろ試みていますが、まだ試行錯誤の段階です。もし、お時間があるようでしたら、ビデオをお送りしますので、ご意見など頂けると嬉しいです。」

「分かりました。それにしても、なおみ君は優秀そうだね。」

ミサも同意する。

「本当に、理解力が高くて、さっきもイヤモニのトラブルがあったとき助けてもらいました。」

「いえ、単に考えながらやっているだけです。」

「そうだね。ビデオを見るのはいいんだけど、それよりも実は今、一般公開はしていない7月デビューのアイドルユニットのオーディションをやっているんだ。音楽に関しては、うちの事業部がプロデュースをする予定なんだけど。アニメタイアップのタイトル曲はもう決まっていて、それは事業部で提供する。パラダイスさんにはアイドルユニットがあると知らなかったので、連絡していなかったんだけど、応募してみるかい。今からだと、練習時間が短くなって、他のユニットに比べてだいぶ不利になっちゃうけど。」

「それは大丈夫です。是非、挑戦したいです。合格できなくても、方向性を考えるためにご評価を伺いたいと思います。」

「分かった。じゃあ、今日中に応募要領を事務所の方にメールで送るね。有力な事務所を含めて、複数の事務所から12組以上参加するので、そんなに簡単ではないと思うけど。」

「有難うございます。今はちょうど春休みですので、全力で頑張ります。」

「うん、期待している。それじゃあ、ミサ君、明日夏君、本番の公演は全部観ているので、活躍を楽しみにしているよ。そのときに、また。」

4人で挨拶する。

「今日は、有難うございます。」

4人が食事に戻る。ミサが尚美に話しかける。

「尚、良かったわね。」

「結果は分かりませんが、由香先輩と亜美先輩が頑張る動機付けにはなると思います。」

明日夏が励ます。

「私で受かったぐらいだから、尚ちゃんなら絶対大丈夫だよ。」

「明日夏先輩みたいな、顔を思い出すだけで笑顔になれるという特技はありませんので、そんなに簡単ではないとは思います。」

「よし、顔思い出すだけで笑顔になれる、特訓をしよう。」

「そんなのどうするんですか。」

「うーーん、ミサちゃんの話を聞く限りは、魚肉ソーセージと叫びながら笑ってみるとか。」

「それはやはり明日夏先輩だけの特技だと思います。」

ミサが言う。

「明日夏の場合、最初イラっとくるんだけど、その後でおかしくなってくるんだよね。普通の人がやったら、イラっとくるだけで終わっちゃうと思う。」

「やはり、パラダイスドリームスとしては、正攻法でがんばります」

「わかった。でも、秘訣を知りたくなったら来てね。いつでも実演するから。」

「分かりました。由香先輩と亜美先輩と相談して考えます。とりあえず、社長と橘さんにこの件、連絡しておきます。」

「そうだね。」


 リハーサルの後、尚美と交代した久美がすっカーズがいる楽屋に到着した。そこには、メンバーの他に悟がいた。バンマスの大輝が口を開く。

「姉御、社長、申し訳ないっす。あんな演奏になってしまったっす。」

「姉御はやめてって。みんな、技術的には問題がないんだし、済んだことは仕方がないから忘れて、本番のことを考えよう。やっぱり、会場が大きかったから?」

「それはあるっす。ステージだけで、いつも演奏しているホールよりでかいんすよ。でも、舞台袖で是木さんととすれ違ったんすよ。こんな人たちをどかして俺たちが入るっていいのかって。俺の場合、そっちが、気になったっす。」

「それはいいんじゃない。是木さんたちが一服できて。長いライブなんだから、喜んでいるわよ。」

「そうすね。休憩を除いて3時間以上あるライブっすから、休憩は少しでもあった方がうれしいっすね。」

悟も同意する。

「それは、久美の言う通りだね。」

「あとは、出だしさえうまく行けば何とかなると思う。」

「うん、これも久美の言う通りだ。彼らは確かな技術を持っているから調子に乗れば、きちんとやれるだけのものは持っている。」

「それじゃあ、悟、ウクレレで出だしを願い。」

「うん、久美の言う・・・・。いやいや、それは無茶だろう。」

「曲的には大丈夫だし、ライブ感も出る。音はマイクで拾う。リハーサルの最後にバンドの練習を1回だけできるようにお願いして来る。できが悪かったのはディレクターも分かっていると思うから、大丈夫だと思う。」

「しかし、・・・」

「今、ディレクターと話してくるから、出だしのウクレレのアレンジをお願い。帰ったら、ここでアンプは使えないけど、出だしの練習をしよう。」

「・・・・」

治が言う。

「久美さんが音楽のことで言い出したら、もう無理っすよ。社長。」

「わっ、わかった。」

「じゃあ、話してくる。」

久美が部屋を出ていった。

「言っておくけど、僕がバンドで演奏した最大の箱は、スタンディングで2000だぞ。それも、一杯にはなっていなかった。」

「俺たちとあんまりかわらないっすね。」

「ああ、その通りだよ。まあ、文句を言ってもしょうがない。最初の4小節をウクレレのソロで、その後バンドが入って、8小節目からウクレレは消える感じで、明日夏ちゃんが入るところは同じで行く。」

「了解です。」


 尚美に久美からSNSの通話が入った。

「尚、明日夏といっしょに13時20分に舞台入口に来て。今回は普通の格好でいい。」

「バンドの再練習ですね。」

「うん、ワンコーラスだけ練習時間をもらった。」

「了解です。」

「悟が最初にウクレレで入るけど、明日夏が入る位置は変わらない。」

「社長がですか?わかりました、明日夏先輩に伝えます。社長のピックアップやイヤモニの準備は。」

「大丈夫、こっちで何とかする。」

「分かりました。それでは、13時20分に舞台入口で。」

「それじゃあ、明日夏をお願い。」

「はい。」

 13時20分の少し前、舞台入り口に、悟、久美、明日夏、尚美、由佳、亜美、すっカーズのメンバーが集まった。

「社長もウクレレのデビューライブが、満席のさいたまスーパーアリーナになりましたね。社長のパーフォーマンス、楽しみだなー。」

「明日夏ちゃん、人をあんまり緊張させないで。」

尚が助言する。

「大河内さんによると、明日夏先輩の笑顔を思い浮かべると緊張がほどけるそうですよ。」

「大河内さんが?本当?それなら、僕もそれやってみようかな。」

大輝が尋ねる。

「大河内さん。我々が大河内さんとお呼びして良いのかわかりませんが、大河内さんの話しは本当ですか。」

「はい、さっき大河内さん自身がそう言っていました。」

「よし、すっカーズも、それやるぞ。」

「おー。」

「しかし、みんなでそれをやると、明日夏教みたいになっちゃいますね。」

「明日夏教の教祖様なるぞ。皆の衆、跪け。」

「それは教祖様が言ってはだめですよ。」

「尚ちゃん、固いことを言わない。」

久美が係りの人にお願いする。

「このバンドセットを舞台へお願いします。」

尚美が舞台への移動を呼びかける。

「みなさん、舞台が空いたみたいですから、舞台への移動をお願いします。」

 セッティングが終わったあと、演奏が始まった。悟のウクレレから入って、バンドの演奏が始まり、明日夏がワンコーラス歌った。後ろで、久美と尚美が並んで様子を見ていた。

「今度は大丈夫そう。悟のウクレレか明日夏の笑顔のどちらの影響か分からないけど。」

「たぶん、両方だと思います。」

「意外と明日夏と悟、良いコンビかもしれない。」

「橘さんと社長さんにはかなわないと思います。」

「そう?」

「やっぱり、年季が違いますね。」

「それはそうね。リハーサルが上手くいったから、あとは本番だけ。お客さんが入るとどうなるか。」

「大丈夫なんじゃないでしょうか。明日夏先輩が大丈夫ですから。」

「まあ、そうよね。」


 会場の外では、誠、パスカル、ラッキーが駅で待ち合わせた後、物販(ライブがある日に行う出演者に関するデザインのTシャツや小物などの販売。会場の外で行うことも多い。)の列に並んでいた。

「ラッキーさんは、物販どうするんですか?」

「全種類買いたいんだけど、郵送してくれないから、かさばらないものを主に全員分買うつもりだよ。」

「湘南君は、明日夏ちゃんだけかな。」

「はい、明日夏さん関係は全種類買う予定です。」

「パスカル君はどうするの。」

「ここでの推しは、ミサちゃんと明日夏ちゃんだから、二人のグッズを全種類です。」

「パスカルにしては少ないな。」

「アキちゃんを推すのに、曲の準備やら、レコーディングスタジオのレンタルやらで、結構お金がかかっていまして。湘南のおかげで、MIDIデータやCDとホームページの作成では助かっていますが。」

「そうか、パスカル君はプロデューサーだもんな。」

「まあ、地下ですけどね。最近は地上のライブを見ると、勉強しなくちゃと思います。今日もそのつもりで来ています。」

「すごいな。そんなに大変なんじゃ、僕ももう少し手伝うよ、アキちゃんのプロデュース。」

「有難うございます。とりあえず、4月の週末に2回ほど、地下アイドルのライブに出演する予定ですので、是非見に来てください。」

「地下アイドルのライブには行ったことがないので、様子を知るために行ってみるよ。」

「基本的にはコッコちゃんに任せて、俺は見えないところで仕事をしています。」

「確かに男は見えない方がいいな。」

「なので、湘南には、ライブの手伝いに来なくていいと言っています。」

「そうなんだ。」

「本当は、お客さんの反応とかを直接見てみたいのですが、今のところ遠慮しています。」

「湘南は若いんで避けているんですが、ラッキーさんならば本物のプロデューサーに見えるので大丈夫と思います。」

「ははははは、本当のプロデューサーか、それはすごいな。」

「詳しいスケジュールは送ります。場所は秋葉原で、1時間見ておけば大丈夫です。」

「分かった。スケジュールを調整するよ。」

「有難うございます。」

「そう言えばミサちゃんは、4月にもニューシングルリリースだってね。3期連続だよね。」

「ヘルツレコードがいま最も強力に売り出そうとしていますからね。」

「楽しみだね。」

「はい。」

「湘南君、明日夏ちゃんの予定、何か知っている?」

「春はCDのリリースはなさそうですが、ゴールデンウィークに『タイピング』のアニメのイベントへ参加するようで、楽しみにしています。」

「ゴールデンウィークにアニメのイベントに参加するのか。追えていなかった。」

「ラッキーさんは、追うべき人がたくさんいますから、仕方がないです。明日夏さんの予定のことは、いつでも僕に聞いてください。」

「うん、よろしく頼む。ところで、妹子ちゃんはどうしてる。」

「えーと。」

「アキちゃんと衝突しちゃったからな。」

「はい、でも今は自分のことですごい忙しいようですから、そっちを頑張ってもらえればと思います。」

「そうか。女性のオタクはまだ数が少ないから、少し残念だけど仕方がないな。」

「コッコちゃんが、一番がっかりしそうだな。」

「コッコさんとは大学で打ち合わせすることもありますが、趣味がちょっと、いや、ちょっとどころなじゃなくて普通じゃないですから、やっぱり心配なので良かったです。」

「まあ、そうだね。まあ、妹子ちゃんも、やりたいことがあるなら良かったよ。」

「はい。」

「あと、明日夏TOとしての計画は?」

「はい。まず、今回のフラスタ(フラワースタンド、上にファン一同の札が立てられ、下に募金者のSNSの名前を書いたプレートがおいてあることが多い。)の件、有難うございました。ラッキーさんとパスカルさんにだいぶ出して頂いて、助かりました。」

「いやいや、給料をもらっているからその辺は大丈夫だよ。急だったから、募金を募る時間があまりなかったよね。」

「はい、知り合いに連絡するだけになってしまいました。時間があるときは、ネットで一口1000円の募金を集めたいと思います。デザインも、コッコさんに相談してもっと良いものにしたいです。」

「そうだね。出資のところの名前はたくさんあった方がいいよね。次回は、情報の拡散にもっと協力するよ。」

「有難うございます。その他には、コールブックの内容をホームページに乗せることを考えていて、歌詞の著作権の処理を調べているところです。」

「がんばってね。情報拡散には協力するから。」

「はい、フォロワー数が多いラッキーさんの助力は心強いです。」

「パスカル君、そう言えば、今日はアキちゃんは来るの?」

「勉強のためにも来るとは言っていました。でも、昼すぎまでお店のバイトだから、来るのは開場ぎりぎりぐらいかな。」

「コッコちゃんは?」

「前の打合せの時は来ると言っていました。」

「じゃあ、席はみんなバラバラだから、終わったら一杯と行きたいところだけど、今日は夕食でも食べようか。」

「パスカルさん、アキPGで聞いてみたらどうでしょう。」

「アキPGって?」

「あの、アキちゃんをプロデュースするためのSNSグループです。ラッキーさんも是非入ってください。」

「うん、分かったよ。」

「湘南、アキちゃんはいま仕事中だよね。」

「ちょっと、分かりません。」

「そうか。返事は後になるかもしれないな。おー、コッコちゃんから返信があった。来るって。」

「場所はライブが終了しだい、SNSで連絡を取ればいいかな。」

「はい、それで大丈夫と思います。」

3人は物販でグッズを購入した後、大宮に向かい昼食をとり、開場時間までアニメショップを見たり、グタグタしながら時間をつぶしていた。開場時間になると、入場のための列に並んだ。列はアリーナ席(ホールの床に椅子を並べて作られる席)とスタンド席(はじめから設置されているすり鉢状の観客席で、2階席、3階席、4階席とある)では異なっていて、ラッキーがアリーナ席の列、誠とパスカルがスタンド席の列に並んだ。列が少しずつ前に進み、入場できる順番が来ると、チケットの半券の切り離し、手荷物のチェックと公告のチラシが入った袋を受け取って、アリーナの中に入った。

「じゃあ、湘南、終わってから、また。」

「はい、了解です。」

誠は一度、席についてペンライトの点灯をチェックした後、ノートパソコンを見ていたが、開演30分ぐらい前にトイレに行くことにした。トイレは50メートルぐらいの列になっていたが、全員が整然と用を足していた。誠は10分ぐらい待ったが、その後で席に戻り、開演を待った。パスカルとラッキーを探してみたが、人が多くて見つけられなかった。

 開演5分前ぐらいからアナウンスがあり、開演時間を少し過ぎると、出演者の画像が正面の大きなスクリーンや脇のスクリーンに表示され、音楽と共に名前の読み上げが行われ、会場を盛り上げた。その音楽が鳴りやみ、5秒ぐらいで、右と左の舞台袖から大御所の歌手が現れた。ヘルツレコードが用意した日本最高レベルのバンドメンバーによる伴奏が始まり、二人の歌が始まった。ライブでしか聴くことができない大物歌手のコラボレーションによる歌唱である。


 ライブは順調に進んでいき、明日夏の順番となった。ヘルツレコードが用意したバックバンドが一度下がり、誠とすっカーズステージのバックバンドが席についた。悟がつぶやく。

「やっぱり、すごい数のお客さんだな。ミサちゃんのまねをして、明日夏ちゃんの笑顔でも思い出してみるか。」

バンドメンバーも同様だった。

「明日夏さん、我々に力を。」

ウクレレの独奏が始まり、その後にバンドが演奏が始まった。会場では緑のペンライトが揺らぎ始める。明日夏が、ステージ中央の階段を降りて出てくる。

「みなさん、こんばんは。神田明日夏です。『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』をお届けします。」

明日夏が歌い始め、無事に歌い終えた。

「こんばんは、神田明日夏です。アニメ『タイピング』の主題歌『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』をお聴き頂きました。この1月にデビューしたばかりで、ライブと名前のついたものでは、これが最初のライブ出演。いきなり、さいたまスーパーアリーナって無茶苦茶な気もしますが、こんなにたくさんのお客さんの前で歌うことができて幸せです。もし私の歌を気に入ってもらえたら、今後も神田明日夏の歌をチェックしてみて下さいね。」

観客席からたくさんの声援と歓声が起きる。

「実は、アニメの中で埼玉最速の恵梨香先輩よりも私の方がタイピングが速いんですが、それは別の機会に披露することにして、次はいよいよ、みなさんお待ちかね。というか私もお待ちかねなんだけど、友人の大河内ミサさんのカッコいいパフォーマンスです。どうぞ!」

観客からの拍手の中、明日夏が手を振りながら舞台袖に下がった。誠は1月より上手に歌えていたので喜んでいた。

ミサは張り出し舞台の下に降りている昇降機の上で、軽くジャンプしながら、明日夏が魚肉ソーセージと言っている顔を思い出して、つぶやく。

「何度思い出しても笑える。」

 バンドメンバーによる演奏が始まった。ミサが昇降機の台の白線の内側にいて、台を上げても安全であることを確認した係員から声がかかる。

「昇降機、上げます。」

「はい、行きます。」

昇降機の台が張り出しステージの高さになると、ミサが挨拶を開始する。

「みなさん、こんばんは。大河内ミサです。」

アリーナを揺るがすような大歓声が起きる。ペンライトが赤くなり、多数のUO(ウルトラオレンジ、オレンジ色の強力なケミカルライト。光は強いが、光がついている時間が短い。ケミカルライトは、化学変化で光る棒状のライト。プラスチックの筒に液体が入っていて、一度折って中の液体が混ざると光り出す。)が折られて点灯し始める。誠はペンライトの色が分からなかったため、周りの人を見て赤に変えて応援した。2曲目の途中からミサは張り出しステージから正面ステージに戻り、ステージの右、左に移動し、最後に中央に戻って、2曲を歌い終える。誠の口から感想が洩れる。

「それにしても大河内さん、すごいな。生で歌っても本当に上手なんだな。明日夏さんも、もう少し頑張らないと。」

ミサがMC(マスターオブセレモニーの略であるが、歌の間に話すスピーチのこと)を始める。

「改めましてこんばんは、大河内ミサです。」

大きな歓声が沸く。

「『Fly!Fly!Fly!』と『Uninnocent』をお聴き頂きました。有難うございます。私も、こんなに多くのお客さんの前で歌うのは初めてで、その幸せをかみしめています。最初に歌った『Fly!Fly!Fly!』は、私のデビュー曲です。スピード感あふれるカッコいい曲で、そのカッコ良さを表現できていれば嬉しいです。」

同意の歓声が響いた。

「次の『Uninnocent』は、少しゆっくりした曲ですが、ヒロインの気持ちを表現できるように歌ったつもりです。半年ぐらい前にデビューして、まだまだ未熟なところが多々ありますが、これからも頑張っていきたいと思いますので、是非、応援をお願いします。それでは、次が私の最後の曲になります。」

会場から「えーー。」という声が響く。

「次の4月18日に発売になる新曲『Bottomless power』です。来月から始まるアニメ『棄民の惑星』の主題歌になっています。これは、人口が増えすぎて、遠い惑星に捨てられた人たちが立ち上がって自由を獲得するという、SF的な内容になっています。その主題歌『Bottomless power』は、自由のために戦う人々の力強さを表した曲です。是非、そのパワーを受け取ってください。それでは歌います、大河内ミサで『Bottomless power』。」

ミサは歌い終わると、

「有難うございました。大河内ミサでした。」

と挨拶して舞台袖に移動した。舞台袖では明日夏が待っていた。明日夏とミサ、マネージャー二人でおしゃべりしながら、控室に向かった。

「ミサちゃん、すごいパフォーマンスだった。橘さんが言う通り、私も頑張んなくちゃいけないと、実感できた。有難うね。」

「うん、なんとか問題なくできた。明日夏の魚肉ソーセージの顔で落ち着くことができた。本当に有難う。」

「そんなので良ければ、どんどん使って下さい。でも、新ネタも考えないとか。」

「それより、橘さんと歌の練習でしょう。」

「そうでした。」

久美が言う。

「明日夏と同じ年と思えないすごいパフォーマンスでした。明日夏のために大河内さんの爪の垢を頂きたいぐらいです。」

「私が上手く歌えたのは、橘さんのご助言のおかげです。有難うございました。」

「すごいでしょう、うちの師匠は。」

「本当にそうなんだよ。張り出し舞台の下で聴いていたけど、1年間ですごく上手になって、プロの歌手になっていた。明日夏がこれだけ上手になれたのは、橘さんのおかげがすごく大きいんだと思う。・・・ごめんなさい。また偉そうなことを言っちゃって。」

「ミサちゃんが言うことは本当のことで有難いから、いいんだけど。それより、ちょっと心配になっちゃう。」

「心配って?」

「真っすぐすぎて、大丈夫かなって感じ。」

「私が折れちゃいそうってこと。でも、折れないように頑張っている。」

「ねえ、ミサちゃん、SNSのアドレス交換しない?」

「いいの?」

「もちろん。」

「心配だから?」

「一緒に遊んだら楽しいかなって思って。」

「わかった。交換しよう。有難う。」

SNSのアドレスを交換した。

「同じ年頃の女の子と交換するの初めて。」

「本当に?私は無駄に多いかも。あと、このアドレス、尚ちゃんに教えていい?」

「もちろん。」

溝口マネージャーも女性歌手同士なので、特に気にすることなく、様子を見ていた。控室に着くと、明日夏が『棄民の惑星』について、男性の登場人物を中心にミサに熱く語っていた。

 ライブの最後の演者が出演するころ、歌手の全員が舞台入り口に集まった。そして、その演奏が終わると一度舞台袖に下がった。次に曲が流れ、出演順に一人ずつ舞台に出て、舞台の上で横に並んでいった。出演順番の関係で明日夏とミサは隣同士となった。

「すごい、お客さんだ。」

「ほんとね。」

「ここで歌ったって、夢みたい。」

「でも夢じゃない。」

「それ、私の曲のタイトル。」

「二人っきりじゃないけどね。」

「3万人きりって、夢みたい。」

「そうよね。」

「ねえねえ、ミサちゃん、本当に現実かどうか、頬っぺたつねってみてくれない。」

「こう?」

「もっと強く。」

「こう?」

「痛い!」

「ごめん。」

「でも、夢じゃなかった。」

「良かった。じゃあ、今度は私もつねって。」

「こんな感じで。」

「なんか、くすぐったい。」

「それも夢じゃない証拠かな。」

「そうかも。」

二人の両側の演者たちが新人の初々しいしぐさを見て苦笑していた。全員が舞台に出た後、最後の演者が他の演者を代表してMCを始める。

「みなさん、今日はここさいたまスーパーアリーナにお集まり下さり、大変ありがとうございました。ヘルツレコード所属の歌手が集まったライブ、いかがでしたでしょうか。」

観客席から、歓声が沸き起こる。

「では、今回のライブを盛り上げてくれたバンドメンバーを紹介したいと思います。」

ヘルツレコードが用意した日本最高峰のバンドメンバーが一人一人紹介される。

「それでは、最後に全員で『大きな古時計』を歌いたいと思います。みなさんも,是非一緒に歌って下さい。バンドのみなさん、お願いします。」

一人1小節ぐらいを歌っては、次の歌手に交代しながら全員で最後の歌を歌い終えた。そして、演者全員が手をつなぎ、手を一度上にあげた。司会の演者が声をかける。

「皆さん、今日は本当に有難うございました。」

その声と共に、演者一同が礼をした。他の演者も「有難うございました。」と言っているが、マイクを使っていないので、観客にはあまりはっきりとは聞こえていなかった。その後、演者が舞台袖に向って退場して行った。明日夏は大きく手を振りながら、ミサは微笑みながら小さく手を振って舞台袖に向かった。そして、全歌手が舞台から舞台袖に消えた後、ライブの終了のアナウンスが会場に流れた。

 明日夏とミサは舞台袖から控室に戻って、帰る支度をする。

「じゃあ、明日夏、またね。」

「うん、SNSで連絡するよ。ケーキを食べに行こう。」

「わかった。でも少しの間、尚は忙しそうだから、それが終わったら行こう。」

「尚ちゃん、忙しんだっけ。」

「ヘルツレコードのオーディション。」

「ミサちゃん、さすが。うちの事務所について、私より詳しい。」

「先輩なんだからちゃんとフォローしなくちゃ。」

「大丈夫、尚ちゃんなら受かるよ。私でも受かったんだから。」

「そうだといいね。」

「じゃあ、また。」

「うん、また。」

パラダイスの一行は、2台のバンに分乗して事務所へと帰っていった。


 ヘルツレコード・エンターテイメント主催のライブが終了し、さいたまスーパーアリーナの客席に終了のアナウンスが流れた。

「今日は、ヘルツライブ202Xにお集まり下さり、大変有難うございました。これにて、本日の公演は全て終了となります。どなた様もお忘れ物のないよう、お気をつけてお帰り下さい。なお、この後ホールは清掃となりますので、お客様はホールに残ることはできません。お早めのご退場をお願い申し上げます。」

誠は、このアナウンスを聴きながら、会場の出口に向かった。出口は帰る客で混んでいて並んでいた。誠は並びながらアキPGのSNSを見た。全員が退場中であることがわかった。ラッキーから集合場所の指示があったので、了解の旨の返事をした後、集合場所に向かった。集合場所に集まった5人は、少しだけ離れたハンバーガーの店に入った。それぞれが食事を購入したあとに席に着く。

「アキちゃんは高校生なんで今日は早めに切り上げよう。俺とラッキーさんは、この後飲みに行くけど、コッコはどうする?来るなら学生だし奢ってあげるけど、この時間だと始発帰りになるかもしれないから、さすがに無理は言わない。」

「可能性を探るために行くよ。」

アキが尋ねる。

「可能性って何?」

「分かっていることは聞かないの。」

パスカルがライブの話を切り出す。

「ミサちゃん、良かったよね。」

アキが同意する。

「うん、スタイルもいいし、カッコいいし、可愛いし。」

「湘南君はどう思った?」

「はい、ミサさんは本当に歌が上手でした。CD音源より良くなっていて、素直にすごいなって思いました。本当に歌姫って感じです。明日夏さんも1月より良くなっていましたが、比べると、まだまだという感じがします。」

「相変わらず自分が推している明日夏ちゃんに厳しい湘南君だけど、ミサちゃん確かに良かったね。でも、最後の舞台あいさつでミサちゃんと明日夏ちゃんと頬っぺたをつねりあっていたのが、和気あいあいとして良かったと思った。」

「おう、あれは可愛かった。二人で今が夢じゃないことを確かめていたんだよね。」

「二人は仲が良いんでしょうか。」

「まあ、そうだろうね。歳とレコード会社が同じで、デビューも3か月しか違わないし、曲調が被らないから仕事を取り合うこともない。仲良くはしやすいと思う。」

「アキちゃん、記憶が新鮮なうちに聞くけど、今日の出演者の歌の中でアキちゃんが歌う曲を選ぶとすると、どの曲を歌うことを目指したい?」

「うーん、ミサちゃんの曲には憧れるけど、私には難しすぎそうだし、明日夏ちゃんの癒し系の可愛い曲よりは、もう少し元気な曲の方が私に合っているかな。」

「今日の中では、綾谷真琴ちゃんみたいな感じかな。」

「うん、そんな感じ。」

「分かった。それじゃあ、湘南、次のCDは真琴ちゃんの曲から探して作るか。」

「まだ、最初のCDを出したばかりで、その評価を待ちたいところですが、アキさんと綾谷真琴さん・・・真琴さん。えーと、はい、二人の音域は合っていますからキーをいじらずに、自然な感じでできると思います。」

「湘南、でも、何で真琴を2回も言うの?」

「それは湘南の本名と同じで、違和感があったからだよ。」

「そうか、コッコは同じ大学だから、湘南の本名を知っているんだ。」

「まさか、大学で湘南とかコッコとか呼び合うわけ行かないじゃん。」

「それもそうね。」

「誠か、しかし似合わねーな。」

「ねえ、普段はSNS名で呼び合うとしても、もう本名を秘密にすることないわよね。」

アキが周りの人の顔を見る。

「私は有森杏子。苗字と名前から1文字づつ取って、アキという名にしているの。」

「私は小林晴海。まあ、SNS名のコ以外の部分はなんとなく。」

「僕は豊田功。ラッキーは幸運なことがあるようにかな。」

「俺は小沢健一。大学では哲学を勉強していたんでパスカルとしたんだけど。」

「パスカルちゃんは哲学か。それはすごいな。いいこと聞いた。漫画のネタにできそう。」

「えーと、僕は自動車の会社でシステムエンジニアをやっています。」

「私もやっていることを紹介すると、融合系と言って、あまり専門がない感じかな。」

「コッコちゃん、最近の大学には、専門がない学科があるの?」

「最近の流行で、学際というやつ。」

「なるほど。学際というのはたまに聞く。」

「ラッキーさん、システムエンジニアなのに、土日をちゃんと休めるんですね。」

「うん、情報系じゃない、普通の製造会社のシステムエンジニアは、それほど大変じゃない。情報系の会社に業務を指示するのが仕事だから。」

「なるほど。それは良いことを聞きました。」

「湘南君も情報系と言っていたけど、システムエンジニア志望?」

「まだ分かりません。最近のはやりだからかもしれませんが人工知能にも興味があります。」

「まだ19だから、いろいろ可能性はあるね。」

「でも、あと2年ぐらいでは決めないとと思っています。自己紹介が遅れましたが、僕は岩田誠と言います。湘南は、住んでいるところから付けた名前です。」

「でも、みんな、名前は平凡なんだね。」

「有森杏子が一番平凡なんじゃないか。」

「パスカルうるさい。パスカルだって、小沢健一なんて感じはしないし。」

「次のCD製作の話しに戻していいですか。」

「おう。」

「前にも説明しましたが、バンドスコアが入手できれば一番手っ取り早いです。それがないとコードからアレンジ、えーと、編曲をしなくてはいけないので多少時間がかかります。」

「一応、スコアがあるものから探してみるよ。」

「有難うございます。ただ、個人的にはアレンジにもまた挑戦してみたいですので、コードだけでも構いません。」

「今回のCDみたいに、両方を混ぜた方が、湘南君の負担が少なく勉強にもなって効率的かな。」

「はい、そうだと思います。CDをいつごろ完成させる予定ですか。」

「前回は急ぎすぎたから、夏ごろを目指したい。」

「そうですね。それならば十分時間が取れそうです。」

「とりあえずは、来週の初ライブに集中かな。」

「パスカル君、本当にプロデューサーみたいだね。」

「はい、最近は帰ってからやることも多く、お酒も飲めなくて、今日は久しぶりにお酒が飲めるので楽しみです。」

「そういえば、パスカルさん、今日の昼も飲んでいませんでしたね。」

「そう言えばそうだね、パスカル君にしては珍しい。」

「ライブも勉強のために参加しているので、最近は飲んでライブに参加することは減っちゃいましたよ。」

「まあ、飲んでいなくてもライブは楽しいものだし。」

「それにしても、今日の出演者は、みんなそれぞれにすごかったな。メジャーのレコード会社に所属しているのは伊達じゃない。いつも聴いている地下アイドルの歌とは、全く違う感じがした。湘南じゃないけど、アキちゃんも歌唱力をアップしないと、メジャーアイドルになるのは厳しいかもしれない。」

「そうね。残念だけど、それは私も思った。パスカル、いろいろ考えてくれて、有難うね。」

「それは、プロデューサーとして当然だよ。」

「でも、パスカル君、僕が箱推しする理由もわかるでしょう。」

「はい、良くわかりました。」

「湘南君も、そういうことなら、DDと言わずとも、ミサちゃんを推しに加えてみたら。」

「本当にそういう気持ちがないことはないのですが、アキさんのプロデュースの裏方作業で結構時間を使っていますので、余裕ができてからにしたいと思います。でも、アレンジは楽しくてやっていますので、それは気にしなくても大丈夫です。」

「湘南も有難うね。」

「いいえ。」

「まあ、湘南君は真面目だからね。コッコちゃん、何か収穫は?」

「男性アイドルグループのネタはいくつかあったよ。女の子の可愛い衣装も。ミサちゃんと明日夏ちゃんの頬っぺたをつねりあう場面はGL(ガールズラブ)の連中が喜びそうで、販売用には使えるかという感じかな。」

「それなら、今日、誘って良かったよ。」

「でも今は、今日のライブより、パスカルちゃんと湘南ちゃんの関係にどうラッキーさんを絡ませるかで悩んでいるところ。」

「もう、怖いなー。」

「大丈夫。ウォッチするだけだから。あとは妄想。」

「それを売るのを手伝う方の身にもなってよ。」

「大丈夫だって。漫画の中のラッキーちゃんは、イケメンだから。」

「そうか、それなら安心した。」

「ラッキー、それ喜んで良いの?」

「まあ、パスカル君と湘南君は顔がそのまんまだから。それに比べれば。それより、アキちゃん、もうそろそろ帰った方が良くないか?」

「あっ、そうね。ラッキー、心配してくれて有難う。じゃあ、そうする。みんな有難う。また会おうね。」

「ああ。じゃあアキちゃん、気を付けて帰ってね。」

「パスカルは飲みすぎちゃだめだよ。」

「分かってるって。」

「すいません。僕もそろそろ失礼したいと思います。」

「湘南君は、お酒も飲めないし、辻堂だから、しょうがないね。うん、じゃあまた。」

「はい、申し訳ありません。パスカルさん、曲が決まりましたら連絡して下さい。」

「了解。じゃあ、アキちゃんをお願い。新宿までかな?」

「はい、そうなると思います。コッコさんは、また大学で。」

「はいよ。」

アキと湘南が店を出て、駅に向かい、乗車した電車の中でアキと誠が話す。

「パスカル、良い人で本当に良かったわ。地道にがんばるし。地下アイドルのプロデューサーの中には、酷い人も多いから。」

「ネットを見ていると、金だけが目的という人や、それより酷いことをアイドルにさせる人もいるみたいですね。」

「ほんと、ひどい話は良く聞く。男の人の相手をさせられたり。」

「パスカルさん、根は良い人ですし、地方公務員で、収入が一応安定していますし。」

「そうかもね。」

「パスカルさんも楽しそうですので、良い関係でアキさんのプロデュースがうまく行くと良いです。そのためには、パスカルさんに、あまり無理させてはいけないとは思います。」

「湘南の言う通りね。」

「ただ、パスカルさんが変なことを言うことは、99.9999%ないとは思いますが、万が一の時には相談して下さい。」

「了解。今日来て、パスカルや湘南の言う通り、自分のパフォーマンスを向上させないといけないって、良く分かった。」

「頑張って下さい。」

「そういえば、妹子ちゃん、どうしている?」

「あーー。」

「あの時は、最初に妹子ちゃんに睨まれちゃって、売り言葉で買い言葉みたいになっちゃったけど、良く考えたら、私が3歳年上なんだから、上手くやらなくちゃって思っている。」

「すみません。妹からはアキさんが自分のために僕を利用している、何というか、悪い女みたいに見えていたみたいです。」

「妹子ちゃんから見ればそうなるかな。妹子ちゃん、湘南のことが大好きみたいだしね。それに、全く外れているというわけでもないし。機会があったら仲直りしたいけど。」

「うーーん、しばらくは無理かもしれません。もう少ししてからの方がいいと思います。」

「そうかもね。うん、そうするよ。そういえば、私のホームページのブログに記事を書く方法、教えてくれる?」

「いいですよ。」

誠はノートパソコンを使って、ホームページへブログの記事を書いたり、画像を載せる方法をアキに教えた。そして、間もなく新宿に到着する旨のアナウンスが流れた。

「じゃあ湘南、カラオケ音源のこと、またお願いね。」

「はい、パスカルさんと相談して進めます。アキさん、家に着いたら、アキPG宛てに連絡して下さい。みんなが安心します。」

「わかった。じゃあ、また。」

「では、また。」

誠は、アキを新宿まで無事に送った旨の連絡をアキPG宛てに送った。

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