第5話 活動開始

 ここで、由佳と亜美が悟にスカウトされた11月下旬まで話を戻す。ちょうどそのころ、明日夏のCDデビューが決まり、それが正式に発表されていた。その少し前から、悟はアイドルユニットの構想を練り始めていた。そのために「歌ってみた」や「踊ってみた」の動画を見て、メンバーに加えるべき若いアマチュアの歌手やダンサーを探していた。

「久美、この子の声、どう思う。」

「アイドルユニットの話?本当にやるの?」

「うん、そのつもりだよ。ボーカルセンターに据えようと思っている。」

「明日夏はうまく行っているけど、アイドルユニットとかだと、こっちに経験やコネがないから難しんじゃないかな。」

「別の大学だけどバンドでベースをやっていた連中と今でも連絡を取っていて、就職したインディーズのレコード会社で、アイドル担当なんかになっているやつも多くて、コネがないことはない。向こうでも、アイドル系のCDが売れるので、ロック部門からも一部の人間がシフトしてきているそうだ。」

「そうなんだ。時代かな。」

「確かに経験の方はあまりないから、逆に、普通とは違うユニットを目指すつもり。歌やダンスに高いレベルを求めて、トリプルセンターの少人数構成にしようと思う。」

「まあ、聴いてみるわ。とりあえずURLを教えて。」

「分かった、その子のチャンネルのURLをメールで送る。」

「あー、来た来た。聴いてみるね。」

その子が歌った曲を何曲か聞いた後に感想を話す。

「うん、良い声していると思う。発声もかなりいい。声の響きがいい。でも、アイドルの歌というよりバラードに向いているんじゃないかと思う。」

「僕も同じ感想。」

「普通と違うアイドルを目指すから?曲をかなり工夫しないといけないけど。」

「普通の曲の低音パートは歌えると思う。それにプラスアルファでこの子のソロをメインにした曲を歌ってもらおうと思う。」

「悟の言うこと、分かんないことはない。」

「来てくれるかどうか分からないけど、連絡してみるね。」

「そうね。明日夏の発表があって、事務所の信用は上がっているから、なんとかなるかもね。」

「あと、ダンスセンターに関してはこの子にしようと思っている。」

「あまりダンスのことは分からないけど、上手だとは思うよ。」

「喋っている動画はあるけど、歌っている動画がないので、歌に関しては未知数だけど。」

 悟はその日のうちに、二人のチャンネルのページに書いてあるSNSのアドレスに連絡を入れてみた。二人の返事はすぐに来た。二人とも、興味があるので詳しい話を聞きたいと言うことだった。


 次の土曜日の午後、二人が事務所を尋ねてきた。悟が説明を始める。

「こんにちは、パラダイス興行社長の平田悟です。」

「こんにちは、パラダイス興行でトレーナー兼マネージャーの橘久美です。」

「こんちは、都立用賀高校3年の山田由香です。」

「こんにちは、吉祥寺女子高校1年の佐藤亜美です。」

「由香ちゃん、亜美ちゃん、でいいかな。」

「OKです。」

「大丈夫です。」

「まず、今日二人に来てもらった理由を説明するね。パラダイス興行は元々は、ロックバンドを中心とした音楽事務所だったんだけど、最近その活動範囲を広げていて、来年1月には、うちの事務所の神田明日夏がヘルツレコードからCDをリリースし、アニソン歌手としてデビューする予定なんだ。」

「はい、そのことは良く知っています。今日この事務所の面接に来てみようと思った理由はそれが一番大きいです。」

「亜美ちゃん、明日夏ちゃんのこと知っててくれて嬉しいよ。」

「俺は、良く知らないですけど。」

「由香ちゃん、アニソン歌手は一般の人には知られていないから、知らなくても大丈夫。亜美ちゃんは、きっと歌手志望なんだと思う。」

「はい、その通りです。アニメがとても好きですので、アニソン歌手志望です。」

「それは頼もしい。今回プロデュースするのは、3名のメンバーからなるアイドルユニットなんだ。アイドルユニットと言っても、各メンバーの特徴を生かして、トリプルセンター方式を取ろうと思っている。」

「何です、トリプルセンターって?」

「全員のそれぞれの持ち味を生かせる曲のパートや曲自体を作り、それぞれがセンターになり、他の二人がそれをサポートするというものかな。実際はパフォーマンスしながら曲を作っていくことになると思う。」

「なんとなく分かりました。」

「由佳さん、本当に分かっています?」

「亜美、年齢は俺が上だが、ここでは同期なんでタメ語でいいぜ。」

「分かった。じゃあ由香、今の話、本当に分かっている?」

「おー、分かるぜ、亜美。三本の矢は折れないというやつだろう。」

「由佳、その話は三本とも同じ矢だから、やっぱりちょっと違うかも。」

「何だよ。亜美って細かいやつなんだな。」

「うーん、うちの父が建築会社に務めているんだけど、その例で言えば、セメントと砂利と砂を混ぜたコンクリートは、単にセメントを固めただけより強いという感じかな。」

「ほう。でもコンクリートなら、俺の豊も詳しいぜ。建築現場でバイトしているから。今度、聞いてみるか。」

「豊って誰?」

「おう、俺の彼氏だ。同じくダンサーを志して、いつもいっしょに踊っているぜ。」

「えーー、由佳。男子と付き合うにしても、今はアイドルユニットの面接なんだから、そういうことは秘密にしないと。」

「どうせ、俺じゃすぐバレるし。」

久美が尋ねる。

「彼氏は一人だけなの?」

「それは、もちろん。高校の部活の先輩で1年の時から付き合っています。」

「じゃあ、いいか。」

「えーーー、本当にいいんですか。えーと、橘さんでしたでしょうか。」

「亜美、いいのかと聞くのは、一人じゃ経験が少なすぎるということ?」

「いえいえ、そういうことではなくてですね。あの社長さんはいいんですか。」

「久美が言い出したら後に引かないので、この件は大丈夫です。」

「あの、橘さん。橘さんは高校の時には、何人か彼氏が居らっしゃたんですか。」

「2.5人かな。」

「0.5人というのは。」

「向こうが二股かけていたの。」

「それは許せませんね。」

「うん、最後は蹴っ飛ばして、川に落としてやった。」

「許せないとは言え、その人、大丈夫でした?」

「もう一人が助けるのを見たから大丈夫。」

「橘さん、すげーな。」

「でも、ここは音楽事務所ですよね。橘さん、それでやっていけますか?」

「ロックシンガーだから。」

「それが理由になるんですか?」

「恋人もいないロックシンガーなんて認めたくないな。」

「亜美、俺はすごく気に入った、この事務所。」

「由佳、有難う。」

悟が亜美についても確認する。

「それでは、一応、亜美ちゃんについても、聞いてもいいかな。」

「はい、たくさんいますが。」

「えっ、たくさんいるの?」

「はい。今は『タイピング』の直人が一番です。」

「えーっと、3次元の彼氏は?」

「社長さん、アニソン歌手をプロデュースするのに2次元と3次元を分けるんですか?」

「そんなことはないけど。」

「冗談です。今のところいません。」

「そうですか。ところで同担は大丈夫ですか。」

「さすが詳しいですね。ライバル意識は持つことはあっても、同担拒否(同じキャラを推すことを否定すること)までは行きません。」

「そうか、それは良かった。明日夏ちゃんが同じ『タイピング』の直人推しなんで。」

「営業上じゃなくてですか。」

「うん。詳しくはわからないけど、本気で推しているみたいだよ。」

「さすがに『タイピング』の主題歌を歌われる方とは、格が違いすぎますので、うまくやれると思います。明日夏さんと是非オタ話をしてみたいです。明日夏さんが同担拒否じゃなければですが。」

「久美、わかる?」

「良くわからないけど、独占しようとするよりは、直人の力になりたいみたいだけど。」

「すごい、ファンの鏡ですね。それで主題歌を歌うわけですね。」

「うん、それが動機で練習しているところはある。」

「なるほど。明日夏さん、尊敬します。」

「尊敬するなんて聞いたら、明日夏が喜ぶわね。」

悟が話しを先に進めようとする。

「話しを元に戻して、歌とダンスについて聞きますね。まず、由佳ちゃん。」

「ダンスには一応自信があります。高校生のダンス大会で、東京地区予選を一位で突破したこともあります。一応、賞状を持ってきたので見せます。」

「すごいね。歌の方は?」

「歌の方は、カラオケぐらいは行くかな。」

「あとで、歌って久美に聴いてもらうけど、いいかな。」

「橘さんなら問題なし。」

「亜美ちゃんは?」

「歌の方は、一応、ボイストレーニングにも行ったりしています。あと、聴いてもらったようですが、動画サイトにアップして、上手と言ってくれる人もいます。ただ、低音の歌の方が得意なので、アイドルとしてはどうなんだろうとは思ってはいます。」

久美が言う。

「心配しないで、それを生かす道を考えるのは、こっちの仕事。歌に関しては、自分が一番得意で好きな分野を伸ばしていって。」

「はい、それは嬉しいです。ダンスに関しては、友達と遊びで踊る程度です。」

「じゃあ、最初に歌ってみてほしいから、練習室に来てくれる。」

「了解。」「はい。」

4人が練習室に移動した。久美が尋ねる。

「まずは、由佳、何を歌う。」

「いつもカラオケで歌っている『恋愛サーキュレーション』で。」

「えーー、由香、急に何。それ全然ダンス曲じゃないよー。『恋愛レボリューション』と間違えていない?」

「いや間違えていない。しゃーねえだろう、豊が好きなんだから。」

「そうなのか。じゃあ仕方がないか。」

「悟、インスツルメンタルある?」

「サブスクリプションにあると思うから大丈夫。」

「了解。」

「あった。じゃあ、由佳ちゃん行くよ。」

由佳が『恋愛サーキュレーション』を歌い終わると、久美が感想を述べる。

「音感は悪くない。リズム感はいい。ただ、発声はまだまだだから、発声の基礎から始めようと思う。」

「はい、分かりました。」

「じゃあ、亜美は何を歌う。」

「『空は高く風は歌う』をお願いします。CDは持ってきていますので、インスツルメンタルもあります。」

「亜美ちゃん、有難う。でも、サブスクリプションにもありそうだから、とりあえずは大丈夫。」

「わかりました。準備はいい?」

「少しだけ、発声練習をしてもいいですか?」

久美が答える。

「もちろん、いくらでもやって。」

「有難うございます。」

亜美がイヤフォンをつけて発声練習を行った。

「発声練習終わりました。」

「いい声だった。」

「有難うございます。」

「じゃあ悟、お願い。」

「了解。」

亜美が『空は高く風は歌う』を歌い終わると、久美が驚いて感想を述べる。

「動画でも思ったけど、生で歌っても本当にいい声しているし、発声の基礎もかなりできている。音感も悪くない。」

「有難うございます。」

「明日夏ちゃんよりも上手いかも。」

「そうね。少なくとも、この曲は明日夏が歌うより、ずうっと良いとは思う。トレーニングするとすれば、表現力の向上かな。声域も広げられるようなら広げた方がいいけど。」

「あの、橘さんの歌を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか。」

「もちろん、いいわよ。何を聴きたい。」

「元々は、ロック歌手だったんでしたっけ。」

「そうよ。」

「じゃあ、大河内ミサさんのデビュー曲の『Fly!Fly!Fly!』をお願いできますか?」

「大丈夫。明日夏と同じヘルツレコードということで、チェックしているから。」

「では、それでお願いします。」

「分かった。ちょっと発声練習をするね。」

「はい。」

久美が発声練習を始めた。亜美が驚く。

「なんか声の厚さが違う。」

「じゃあ、悟、『Fly!Fly!Fly!』をお願い。」

久美が歌い終わると、亜美が感想を言う。

「すごいです。歌の迫力が全体的にミサさんよりあるように思いました。ミサさんの方が良いところと言えば、声の感じが若いことだけでしょうか。でも、スピード感、疾走感、風を切る感じも、橘さんの方がうまく表現しているように感じました。」

「・・・・・」

「亜美ちゃん。亜美ちゃんが言っていることは当たっているけど、それを言っちゃおしまいよ、みたいなことは言わない方がいい。」

「ごめんなさい。私、何か変なことを言いましたか。誉めているつもりだったんですが。」

「亜美、若い感じがないみたいなことを、いっちゃあダメだろう。」

「そういうつもりはなかったんです。橘さん、ごめんなさい。橘さんの歌、すごく良かったでした。」

「亜美、大丈夫。わかってる。わかってるから。」

「今度はダンスだけど、由佳ちゃん、曲は?」

「じゃあ、さっき亜美が言った『恋愛レボリューション』でお願いします。」

「その曲なら、私も隣で踊るよ。」

「亜美、いっしょに踊ろう。」

「たぶん、由佳ちゃんほど上手じゃないけど。」

「構わんさ。」

「準備はできたんで、始めるよ。」

「オーケー。手拍子をお願いします。」

「了解。」

2人が手拍子をする中、由佳と亜美がダンスを踊った。

「由佳、さすが東京地区予選一位突破は伊達ではないわね。」

「有難うございます。」

「亜美は、ダンスはこれからかな。」

「はい、それは分かっています。後ろから見てても、由佳ちゃん上手だった。」

「本当か。まあ、一緒にやっていこうや。」

「うん。」

「本当に、由佳と亜美を組み合わせると、面白いことができそう。」

「じゃあ、条件とか説明するから、事務室の方へ来てくれるかな。」

「おう。」「はい。」

事務室で、悟が由佳と亜美に説明を始める。

「概要はこれから説明するけど、これが専属契約書の原本と説明書。最終的には保護者の方と相談して決めてね。」

「俺は、もう入ると決めた。」「私も入りたいです。」

「どうも有難う。基本的に、プロデュースに必要な費用はこちらが支払う形になる。歌のレッスンは久美が担当する。ダンスのレッスンは知り合いの教室で受けてもらうけど、その費用もこちらの支払になる。その他、ステージ衣装や交通費もこちらの支払になる。」

「タダでダンスレッスンを受けられるのはいいな。」

「そうだね。」

「その代わりになるけど、すべての芸能活動はうちの事務所を通して行うことになる。その活動によって得られた収入から経費を差し引いて、演者と事務所で分けることになる。その比率は活動内容によって異なって、具体的な比率は契約書を見てみて。」

「その辺りはお二人を信用します。」「私も。」

「信用してくれるのは嬉しいけど、これから芸能生活を続けていこうと思うならば、ちゃんと読んで理解しないとだめだよ。」

「はい、社長。酷い事務所もあると聞いていますから、読んで勉強してみます。」

「亜美、分かったら教えてくれ。」

「いいよ。」

「その他にも、アルバイトの紹介もできるので、必要なときは言ってね。」

「俺は3月で高校を卒業するんで、いいのがあればお願いしたい。」

「由香ちゃん、どんなのがいい。スタイルは大丈夫そうだからモデルとか?」

「俺がモデル?社長さん、冗談きつい。」

「モデルと言っても、スーパーのチラシのモデルの場合が多いけど。」

「それでも面白そうと言えば面白いか。」

「あとは、キャンペンガールなんていうのもある。」

「スマフォの宣伝なんかで、店頭にいるやつ?」

「そうだよ。」

「俺がああいう服を着るのか。さすが芸能事務所だな。」

「そうだけど、由香ちゃんは芸能活動をするなら敬語を覚えた方がいいかな。ここでは、そのままでも大丈夫だけど、外に出た場合。」

「社長様、それは大丈夫でございます。社長様、どうですか。当店には社長様がお気に召すような子を多数揃えております。是非ご覧ください、この亜美ちゃんを。とっても可愛いでございましょう。性格も温厚で、その上、歌がプロ並みに上手なんです。只今、亜美ちゃんをご指名頂ければ、すぐにお伺いさせます。指名料は5千円でございます。」

「いや、敬語は分かったけど、そんなバイトしていないよね。」

「してません、してません。冗談です。本当です。バイトは主にコンビニでした。だって、パラダイス興行という名前が、あれじゃないですか。」

「そう言えば、そうだったね。分かった。」

「でも、由香、私を勝手にそっちのパラダイスの従業員にしないでよ。」

「社長、もしかすると亜美の好みかと思って。」

「社長さんって何歳ですか?」

「29才、久美もそう。」

「一回り違うのかー。あと6歳若かったらあったかも。」

「そうですか、それは残念です。でも、こんなにすぐに社長の私をからかうことができるなら、二人ともこの事務所でやって行けそうですね。」

「はい、面白そうで期待しています。」「はい、大丈夫です。」

久美が言う。

「悟は明日夏にも、最初からからかわれていたんだよ。それが、悟の良いところなのかもね。」

「そう思うことにするよ。あと、この事務所はロックバンドの事務所なので、とげとげしい服や鎖のついた服を着た男性が来ることがあるけど、必要以上に怖がらなくても大丈夫だよ。通常の男女関係で注意するところを注意すればいい。」

「パンクロックのバンドですか。」

「亜美ちゃんのいう通り。うちのバンドで一番売れているデスデーモンズが、パンクロックだから。」

「デスデーモンズ、可愛い名前ですね。分かりました。」

「亜美、可愛い名前なのか?」

「うん。メンバーは真面目にバイトしてそう。」

「そうね、亜美のいう通り。可愛い連中よ。」

「でも、事務所にバンドが在籍しているなら、生バンドでダンスするというのも、面白そうだな。」

「そうだね。そういうこともできるのが、うちのメリットかもしれない。」

「はい。」

「これからの話だけど、3人目のメンバーを探している。3人目が見つかるまでは、歌とダンスの練習を続けていて欲しい。」

「言われなくても、ダンスの練習はするけど、歌の練習を頑張るよ。」

「私は、逆。」

「レッスンも受けるみたいだけど。亜美、休みの日とか一緒に練習しようぜ。」

「うん、有難う。」

「豊も来るけど、大丈夫だよな。」

「私より、由佳の方は大丈夫なの?自信があるの?」

「まあ、亜美なら。」

「酷い。」

「俺と、トントンだろうということ。」

「そっか。分かった。」

「じゃあ、3人で練習しようぜ。」

「うん。」

「それじゃあ、二人から、何かこちらに質問はある?」

「今のところはない。」「特にありません。」

「それでは、由香ちゃん、亜美ちゃん、今日はこれで帰宅して大丈夫だよ。ご両親と相談の上、決めてね。」

「了解。」「分かりました。」

「では、次は練習の時に。」「歌の練習はビシビシ行くわよ。」

二人で声を揃えて言う。

「今日は大変ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。それでは失礼します。」

「はい、気を付けて帰ってね。」「じゃあ、また。」

由佳と亜美が事務所を後にした。二人は、ショッピングセンターで新しい服を見たり、喫茶店に寄ったりしてから帰宅した。


 由佳と亜美が荷物運びなどの手伝いをした明日夏の『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』の2回目のリリースイベントの帰りに、由佳と亜美が喫茶店に立ち寄って、今日の話をしていた。

「明日夏さん、カッコ良かったね。」

「まあな。お客さんが入りきれないほど来てたんだろう。」

「そうらしいね。」

「俺らも早くデビューしたいな。」

「うん、そうだね。」

「でも、いつになったら、3人目が決まるんだ。亜美、もう二人で活動を開始させて欲しいって、橘さんに直訴しないか。」

「二人だけで売れるかと考えるとどうなの、というのがあるんじゃない。探しているのはリーダーみたいだし。」

「俺はリーダーってガラじゃないしな。」

「私もそう。パフォーマンスだけじゃなくて、全体を見渡せて判断できる人。」

「そんなやつ居るのかな。」

「なかなか居ないから、時間がかかっているみたいだね。」

「そうか。」

「練習して待つしかないよ。それより、さいたまスーパーアリーナでの明日夏さんのバックダンスの方を考えようよ。由佳はダンスが上手いからいいけど、私なんてまだまだだから。さっきは勢いでOKしちゃったけど、良く考えると心臓バクバクだよ。」

「さっき、豊に連絡したらびっくりしていた。」

「そうだよな。バックダンスといっても、プロばかりだからね。」

「おー、しばらくはそっちに集中するか。週末、また練習しようぜ。」

「うん、お願い。」


 2月初めに開催された明日夏の『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』の最後のリリースイベント、明日夏と尚美が衝突した日曜日の夜に、由佳と亜美がSNSで連絡を取り合った。

亜美:社長からユニットのリーダーが決まったって連絡来たよね

由佳:おう、来た来た

亜美:どんな子なんだろう

由佳:社長があれだけ探したんだ。スゲーやつに決まっている

亜美:そうだね。どんな歌を歌うか楽しみ

由佳:俺はダンスが見たいぜ

亜美:私が低音で由佳が中音だから高音が出せる子なんだろうけど

由佳:やっと本格的な活動が開始できるよな

亜美:そうだね。頑張んないと

由佳:水曜日に顔合わせだ

亜美:いつものショッピングセンターの待ち合わせでいい

亜美:おう、いいぜ


 その3日後の水曜日の夕方、悟が事務所の時計を見た。久美は練習室で明日夏のレッスンをしていた。

「もうすぐ5時か。5時に初めて尚ちゃんが来るから書類の準備を終えておかないと。契約書を印刷して、署名と会社の社印と代表者印を押してと。そして、封筒にしまってと。」

そのとき、明日夏と久美が練習室から出てきた。

「もう、明日夏は。リリースイベントが終わったからと言っても、もっとちゃんと家で練習しなくちゃだめよ。」

「腹式呼吸の練習、可愛くないからやる気が出なくって。」

「テレビを見ながらでもいいから、毎日しっかりやらないと。来月にはさいたまスーパーアリーナでのライブもあるんだから。」

「はい、私の初ライブです。」

「そうか。でも初ライブがスーパーアリーナって、考えてみるとすごいわね。夏アニメでセカンドシングルが決まったし。いや、そう、だからもっと頑張らないと。」

「やろうとは思うんですけど、なかなか始められないんです。」

「今は若いから、魚肉ソーセージでも売れるけど、そのうち壁に当たるわよ。」

「そうでした。練習しようと思ったら魚肉ソーセージを食べれば、思い出してやる気がでるかもしれません。」

「明日夏なりに頑張って。」

「分かりました。」

悟が久美に話しかける。

「今日、尚ちゃんが来る。由香ちゃんと亜美ちゃんも来て3人揃ったら顔合わせをする。その後で3人のレッスンをお願いね。」

「分かっているわよ。でも、あのいかにも委員長タイプの子、頭は良さそうだったけど、本当にアイドルに向いているのかな。」

「うん、状況を理解して判断するのがとてつもなく速いから、ユニットのリーダーに向いていると思う。委員長タイプというのも、由佳と亜美の対比で面白いし。委員長タイプのリーダーのアイドルユニットというのもあまり他にないしね。」

「それもそうね。」

悟が不安そうな顔をしている明日夏に話しかける。

「明日夏ちゃんも、日曜日のことは心配しなくても、尚ちゃんはちゃんと分かっているから大丈夫。だから普通にしていて。」

「分かりました。」

「それに尚ちゃんのお兄さん、この間少し話したけれど、しっかりとして本当に良い青年だよ。」

「私も話したことがあるので、良く分かっています。性格も真っすぐですし、頭もすごく切れる感じなのですが・・・」

「明日夏、その先は言わないのよ。」

「はい。」

「まあ、これでユニットが固まったから、ライブやイベント活動、インディーズレコード会社の協力を得てCDを出して、ちゃんとしたアイドルとして売り出そうと思っている。」

「それまでがいろいろ大変よね。」

「明日夏ちゃんのおかげで、それぐらいの予算は取れる。CDも8千枚近く売れたし、夏のライブの誘いもいくつか来はじめた。ライブに出れば出演料がもらえる。事務所の知名度は上がったし、ロックミュージック関係者以外の知り合いも増えた。」

「えへん。」

「事務所の経営は本当に助かっている。」

「社長にそこまで言われると、威張れなくなっちゃいます。橘さんの親身で厳しい指導のおかげと思います。」

「私としては、明日夏には、少し甘すぎると思っているんだけど。」

「それは橘さんの基準で。」

「でも、明日夏、CDが8千枚近く売れるのは、本当にすごいことよ。」

「えへん。」

「明日夏ちゃん、次のCDの話も無事に決まったけど、そこで躓くと次はなくなるかもしれないから、油断しちゃいけないよ。」

「分かりました。ちなみにミサちゃんはどのぐらい売れたんですか。」

「一般の人にも売れていて、4万枚を超えていたのは知っているけど。」

「すごいですね。」

「大河内さんは宣伝費も違うし、明日夏ちゃんは、人のことより自分のことだけを考えていればいいから。」

「そうね、しっかり練習しましょう。」

「はいです。」

 そのときノックがあり、部屋全体がパッと明るくなるように感じるぐらいの、私服のものすごく可愛らしい中学生の女の子が部屋に入ってきた。

「失礼します。」

悟が尋ねる。

「あの、どちら様でしょうか。」

「えっ、今日、夕方5時の約束ではなかったでしたっけ。」

女の子は手帳を開いてスケジュールを確認しようとする。社長が尋ねる。

「もしかして、岩田尚美さん?」

「もしかも何も、まだ3日しか経っていないのに、私の顔を忘れてしまったんですか。」

「そんなことはないんだけれど、雰囲気がだいぶ違うから。」

「そんなにですか。アイドルユニットのリーダーということで、明るい雰囲気の方がいいかなと思って、髪型を変えたり、コンタクトにしてみました。制服でこの事務所に入るのも気が引けましたので、途中のデパートで服を着替えて、コンタクトに換えました。デパートのトイレで服を着替えるなんて、ちょっと不良みたいですね。」

「そうなんですね。尚ちゃん、雰囲気が変わり過ぎて分かりませんでした。」

「もし前の方が良いようでしたら、戻しますけど。」

「いえいえ、そんなことはありません。今の方が全然良いと思います。というか、こんな美少女だとは思ってもいませんでした。」

「どうも有難うございます。自然な感じで女性を誉められるのはさすがです。あと、橘さん、明日夏先輩、こんにちは。」

「岩田さん、こんにちは。」「あの、こんにちは。」

「私は、もうここの従業員みたいなものですので、私を呼ぶときは、社長さんみたいに尚で構いません。」

「尚ちゃん、この前は本当にごめんなさい。」

「明日夏先輩、日曜日の件はお互い忘れましょう。私も二度と口にすることはないですし。」

「はい。」

「あの、橘さんは社長さんと同じ大学と聞きましたが、社長さんって大学では女性にかなりもてていませんでしたか。美味しいものをたくさん知っていそうだし、今もさらっと女性を誉めることができて。」

「尚でいいかな。うん、すごくもてた。」

明日夏が言う。

「えー、やっぱり信じられない。」

「明日夏先輩は、男の人を見る目がなさすぎなんです。」

「尚ちゃん,酷い。」

「それで最初は警戒したんですが、でも、社長さん、たとえもてても、女性に関心を示さなかったですよね。」

「その通り。」

「話していくうちに、そんな社長さんと分かりましたので、信じてやってみようと思いました。」

「うん、それは大丈夫。ここは恋愛も自由だし、どうしても辞めたかったら辞めてもかまわない。理由ぐらいは聞くかもしれないけど。もし、悟、社長が何か変なことを言ったら、私に相談して。ぶん殴っても言うことを聞かせるから。」

「分かりました。でも暴力はいけません。話して分からない社長さんではないと思います。」

悟が同意する。

「そうそう、尚ちゃんの言う通り。話し合いでね。もう、5時を過ぎているけど、まだ2名が来ないので、久美、とりあえず先にレッスンを初めておいてくれるかな。」

「了解。じゃあ、尚、こっちに来て。」

「はい。練習用のスタジオですね。」

「そう。会議室も兼ねているので、いろいろなものもあるけど。」

練習室の扉を閉めて、二人は練習を始めた。

「でも尚ちゃん、3日で可愛くなりすぎ。まさか整形とか?」

「3日じゃ整形は無理だよ。学校にも行ってるみたいだし。それに、そういうことを言ってはいけません。」

「でも、もしかすると、尚ちゃんのお兄さんも少しスマートになって雰囲気を変えると急にすごいイケメンになったりするのかな。」

「明日夏ちゃん。」

「はい、ごめんなさい。」

「まあ、二人きりの時は多少はいいんだけど、次第に多くの人に顔を知られてくるので、気を付けようね。」

「分かりました。それにしても、あんなに可愛いと、事務所での私の立場がなくなっちゃいますね。」

「大丈夫。明日夏ちゃんみたいに面白いことは言えないんじゃないかな。」

「あの社長、私、面白いことを言っているつもりはないんですが。」

「それが明日夏ちゃんの良いところかな。」

「それにしても、ファーストシングルが決まってから、みんな忙しかったですね。リリースイベントが終わって、やっと一息です。その間は事務所のアルバイトはしていませんでしたが、また始めましょうか?何かありませんか。」

「いや、これからは神田明日夏の名前を背負っているので、自分の価値を高めるために、名前にふさわしくないアルバイトはできなくなる。」

「遊園地のイベントのエキストラとか?」

「やっぱりだめだと思う。」

「侍従の衣装、可愛かったのに残念。」

「明日夏の名前が出せるような役だったらいいんだけど。」

「遊園地の人もいい加減で、人によって、お姫様より目立っているから抑えろとか、もっとやれとか、正反対のことを言われていました。」

「こちらにはクレームは来ていないから、遊園地でも意見がまとまらなかったのかもしれないね。明日夏ちゃんらしいと言えば明日夏ちゃんらしいけど、これからはお姫様のイメージに変えていかないと。」

「社長的には、面白いお姫様ですか。」

「いや、そうじゃなくて。ちゃんとしたお姫様。とりあえず、神田明日夏の名前を出せるショップのモデルの仕事を探しておくよ。」

「よろしくお願いします。」

「それでは、今日はこれで帰って大丈夫だよ。」

「分かりました。頼まれた家でできるアルバイトと録画が溜まったアニメを見ようと思います。」

「久美が言っている毎日の練習を忘れないようにね。」

「はいです。」

 20分ほど遅れて、2人がやってきた。

「ちーっす。」「社長、こんにちは。」

「由佳ちゃん、亜美ちゃん、こんにちは。でも、プロの芸能人になりたかったら遅刻しちゃだめだぞ。」

「すみません。」「ごめんなさい。二人で服を見てたらこんな時間になっちゃって。」

「まあ、メンバー同士仲良くなることも大事だけど、人を待たすことになるから。」

「了解。」「はい。」

練習室をガラス越しに見た由佳が言う。

「あれが、今回決まったという、うちらのリーダー?」

「そうだよ。」

「もしかして、中坊?」

「その通りだ。今、中学1年生。」

「ダンスとか、歌とか歌えるんですか。」

「両方ともこれからだ。」

「素人ってことですか。」

「その通り。」

「何で、それをうち等のリーダーに。」

「僕の直観かな。」

亜美が扉のガラス窓越しに見えている尚美の方を見る。

「由香、そんなもの見れば分かるよ。」

「何だよ。亜美。」

「理由なんて、可愛いからに決まってるよ。」

「それだけなのか。」

「そんなもんだよ。」

「少数精鋭のユニットのリーダーには、歌とダンスに高いレベルを求めるみたいに言っていたのに、結局そっちかよ。」

「この間、橘さんが言ってたじゃん、社長が魔法少女のアニメにはまって困ったもんだって。あの子、魔法少女の格好させればすごく似合いそうだよ。」

「何だよ。社長、ロリコンだったのかよ。」

悟が口をはさむ。

「おいおい二人とも勝手に。」

ただ、亜美も由香も社長の話は聞いていなかった。

「そうなんじゃない。それに、あの子の笑顔、キュートだし、小学生からおじさんまで、全年齢の男子に好かれそうに見える。」

「・・・・・くっそ、神様は不平等だ!」

「でも、その方が良いよ。私たちだけより、あの子がいたほうが絶対にユニットが目立つよ。私たちはそれを利用すればいいんだよ。ここは目立ってなんぼの世界なんだよ。」

「そうかよ。」

「そうだよ。」

「・・・・まあな、亜美の言う通りかもな。面白くねーけど。」

「見てくれる人が増えれば、集まってくれたお客さんの中には、由香のダンスを見て、良いって言う人が絶対に出てくるから。」

「そうだといいけどな。まあ、社長の直観を信じてみるか。」

「うん、そうしよう。」

悟が尋ねる。

「二人とも話はまとまったのかい。」

由香が答える。

「おう。ロリコン社長の目力を信じて、あの子をリーダーとして活動してみるよ。」

「なんだか良く分からないが、よろしく頼む。尚ちゃんが慣れたら、知り合いが開催関係者にいる大きなアイドルのライブやイベントに出て、支援してもらえそうなオーディションを受けまくるぞ。覚悟しておけ。とりあえず、インディーズレコード会社の協力を得て1年以内にCDを出すことを目標にして頑張るぞ。」

「亜美、ここからが勝負だぞ。」「うん、やっとエンジンを始動する感じ。」

「亜美ちゃん、久美と尚ちゃん、こちらに気付かないようだから、呼んできてくれるかな。」

亜美が練習室の扉を開けて二人を呼ぶ。

「橘さん、社長さんがお呼びです。」

「有難う。亜美。でもこの世界では遅刻はだめよ。じゃあ、尚、行こう。」

「はい。」

悟が尋ねる。

「尚ちゃん、どう。」

「何も言っていないのに予習をしてきて、誰かと比べちゃいけないけど、すごく楽。不十分なところを補足していくだけで済みそう。」

「はい、本やネットをみていろいろやってみたのですが、理解が不足しているところを指摘してもらえて、すごく助かります。」

「そうか、それは良かった。尚ちゃん、ユニットの他のメンバーを紹介するね。由香ちゃん、高校3年生、ダンスの切れがすごくいい。」

「由香先輩、岩田尚美と言います。中学1年生です。ダンスも初心者ですので、よろしくご指導、お願いします。」

「先輩・・。おっおう。ダンスのことで質問があったら何でも聞きな。何でも教えるからよ。」

「もう一人は高校1年生の亜美ちゃん、響く綺麗な声が特徴だ。」

「歌に関しても、いまレッスンを受け始めたばかりです。亜美先輩、よろしくご指導のほど、お願いします。」

「わかった、えーと。」

「尚って呼んでください。」

「尚、社長さんは、大きなアイドルイベントに出場したり、オーディションを受けたり、インディーズのレコード会社の協力を得てCDを出すことを目指すと言っているから、三人で頑張って行こうね。」

「いえ、レコード会社に関しては、最初からメジャーを目指しましょう。地下アイドルのような活動でインディーズからCDを出して、その後でメジャーに行けたとしても、年齢的に有効に活動できる残り年数が少なくなってしまいます。難しいことは承知の上ですが、うちはメジャーからCDを出す明日夏先輩を抱えたちゃんとした事務所なのですから、最初からメジャーのレコード会社のサポートを受けられることを目指すべきです。」

悟が言う。

「言いたいことは分かるけど、やはり難しいぞ。」

「社長、由香先輩、亜美先輩のためにもそうすべきだと思います。」

「そのことも考えてか・・・・。ユニットのリーダーがそこまで言うなら、その通りにするけど。うん、分かった。由香ちゃん、亜美ちゃん、とりあえず、この1年間はメジャーでのCDデビューを向けて活動する。そのためには、知名度ばかりじゃなく、ユニットの潜在的な魅力を認めてもらうことが必要だから、レベルをもっともっと上げなくてはいけないぞ。」

「まあな、デビューするなら、メジャーだよな。頑張ってみようぜ。」

「明日夏さんができたんだから、やってみる価値はあるよね。頑張ろう。」

「うん、話はまとまったようだね。分かった。こちらも、メジャーのレコード会社のオーディションを調べておく。」

「社長、こちらから売り込むことも必要です。私は今は全力で自分のレベルアップに努めますが、レベルがある程度まで来たら、デモテープの作成とレコード会社への売り込みもお願いします。」

「そうだね。それもやらなくっちゃ。」

「メンバーの特徴を生かすなら、デモテープもオリジナルの方が良いですが、予算的に厳しいようならば、カバーでも良いように思います。その場合は、選曲をお願いできますか。」

「曲に関しては久美と検討する。」

「うん、曲に関しては、まかせて。」

「ところで、社長。ユニット名は何なんですか。」

「今のところ、パラダイスドリームスという名前を考えているけど、正式というわけではない。」

「わかりました。とりあえずパラダイスドリームで行きましょう。由香さん、亜美さん、パラダイスドリームで円陣を組みましょう。こっちに集まってください。」

「おう。」「はい。」

3人が円陣を組んだ。

「では、行きます。新星パラダイスドリームス、目標、メジャーでCDデビュー、行くぞ!」

「おー!」

「頑張るぞ!」

「おー!」

「絶対にくじけないぞ!」

「おー!」

3人が正面を向き、抱き合った。

「由香さん、亜美さん、頑張りましょう。それが私たちそれぞれの夢への近道です。」

「おう,分かった。」「がんばろう。」

悟と久美が拍手を送った。

 久美が3人の歌のレッスンした後、3名は近くのダンススクールへ向かった。悟と久美だけになり、久美が悟に話しかける。

「今日のレッスン、由香も亜美も、やる気が表に出ていたわ。」

「やっぱり、目標はある程度高く設定した方がやる気が出るということかな。」

「そうね。それに明日夏がメジャーに通ったから、手が届くかもしれないって思えるし。」

「僕もさっきそういう気がしたんだ。亜美が言っていたけど、尚ちゃん、笑顔がいいからかな。」

「うん、審査員の受けは良いような気はする。」

「しかし、そんなに簡単ではないけどね、メジャーデビュー。久美だってできなかったんだしね。」

「私は尚ならできそうな気がする。それに、尚はそれができなかった時のこともちゃんと考えていそう。」

「うん、それは考えていそうだね。」

「社長の椅子、危ないんじゃない。」

「ネット通販を成功させている女子中学生の社長もいるしね。でも、それでみんなを成功させてくれるなら、僕は平社員になるよ。」

「そうね。」


 ダンススクールでの練習の帰り道、亜美と由佳は喫茶店でだべっていた。

「なんかあの子に上手く乗せられた気もするけど、亜美、やっぱり納得いかねー。何で、あんな素人の中坊がリーダーなの?」

「だから、それは可愛いからじゃない。」

「そんなんでいいの。」

「しょうがないじゃない。妹キャラだし。眼鏡を外すと可愛いって、男の子が好きなアニメみたいだし。」

「でも、・・・」

「じゃあ聞くけど、由佳、あの子を豊に会せたい?」

「それは、・・・・」

「やっぱり会わせたくないよね。私も好きな人がいたら会わせたくない。」

由佳は豊が尚美にデレデレしているところを想像しながら答える。

「豊のやろう、手取り足取りばかりじゃなく、肩取り腰取りダンスを教えようとしそう。」

亜美が笑いながら言う。

「だから、そういうことだよ。」

「なんか面白くない。」

「さっきも言ったけど、グループに人気が出たら、由佳の夢もに近づくんだよ。」

「そういうことになるのか。」

「実力もそうだけど、知名度は絶対だよ。」

「とりあえず様子見か。」

「ただでレッスン受けられるんだよ。もし1年たっても、どこのレコード会社にも受からなかったら考えよう。それまでは、レベルアップ。」

「まあ、分かったよ。」


 一方、明日夏やミサの一連のリリースイベントが終わった2月中旬、アキのプロデュース計画の実施も本格的に開始された。まず、アキの写真撮影のため、お台場の海浜公園に、アキ、パスカル、コッコが集まっていた。

「今日は湘南、忙しいって?」

「連絡したら、まだ期末試験が残っているので、今日は無理と言っていた。」

「ああ、大岡山工業大学は第4クォータの期末試験の終盤なんだよ。」

「ねえ、コッコ、クォーターって何?」

「高校は3学期制だけど、大学は2学期制や4学期制のところがあって、4学期制のところは、それぞれの学期を順番に第1クォーターとか第4クォータとか呼ぶんだよ。」

「へー、そうなんだ。でも、コッコも同じ大学だよね。」

「うん、そうだけど、うちの系はレポートが多くて試験が少ない。それに湘南と違って、良い成績を取ろうと思っていないし。」

「系って。」

「大学に入ると専門に別れるんだよ。化学とか機械とか情報とか。それをうちの大学じゃ系と言っている。学科って呼ぶところも多い。」

「へー、そうなんだ。同じ大学でも、系によって試験が違うんだ。」

「そうだよ。ところで、アキちゃん、大学はどうするの?」

「今は、プロのアイドルになれれば行かないけど、なれなかったら行こうと思っている。」

「有名私立大学のキャンパスクイーンになれれば、芸能人への道も開けるしね。」

「そうか、コッコすごい。じゃあ勉強もしておこうかな。」

「アキちゃん、勉強する動機がそれでいいのか?」

「問題なし。」

「パスカルちゃん、そんな湘南ちゃんみたいなことを言ってないで、写真を撮ろう。」

「分かった。まずは海を背景に撮ろうと思うけど、いいかな。」

「了解。」

「D800か。ちょっと古いけどいいカメラ持ってるじゃん。」

「写真はこのカメラでも大丈夫だけど、動画が弱いんで、機を見てミラーレスに買い換えるつもり。」

「今日はこのカメラで十分すぎるぐらいだね。」

「おう。」

「ねえ、コッコ、オタクに響くポーズってどんなだと思う?」

「喜んで教えるけど、ここでやってくれる?」

「難易度の低いものなら。」

「ちょっと、コート脱いでみて。」

「はい。」

「白いワンピースに赤いカーディガンか。鉄板だな。」

「私、この色の組み合わせが似合うとよく言われるから。」

「日本選手団、今、入場です。」

「パスカルちゃん、こんな時に、そんな冗談を言うから、もてないんだよ。」

「ごめんなさい。」

「とりあえず、可憐な感じだから、手を合わせて前の方とか、手を後ろに組んで歩いてみるとかかな。」

「分かった。それでやってみる。」

「アキちゃん、一応、海のそばに行ってくれるかな。」

「分かった。」

アキが移動して、ポーズをつけると、パスカルが写真を撮り始める。

「アキちゃん、いいね、その笑顔。とっても可愛いよー。」

「パスカル、何それ。スケベおやじみたい。」

「アキちゃん、そうじゃなくて、パスカルはプロのカメラマンになっている気分で、カッコ付けているだけなんだよ。」

「なるほど。カメラマンさん、頑張って。」

パスカルは少し上から撮って海を主な背景にしたり、下から撮って空を背景にしたりしながら、100枚程度撮影した。

「とりあえず、撮った写真をチェックしてみようか。」

パスカルがデジカメのデータをタブレットに転送する。

「コッコちゃん、どう思う。」

「まあまあ良いんじゃないかな。」

「うん、私もそう思う。」

「でも、笑顔だけじゃつまらないか。」

「コッコ、どんな表情が良いと思う?」

「悲しそうな表情で木とか柵とかにもたれかかるととか、男を誘うような表情とか。」

「男を誘うような表情は、撮っているのがパスカルじゃ無理。」

「湘南ちゃんを想像するとか?」

「もっと、無理。」

「でも、僕がイケメンでなくても、アイドルならばそれぐらいできないと。」

「そうか。パスカルの言い分も分かる。私も頑張らないといけないと言うことね。パスカルがイケメンだと想像する。・・・・・ぷっ。」

「逆光気味でフラッシュを炊いて撮ってみようか。そうすると人が浮きたってビビットな感じがでるかな。」

「そうだね。そんな感じもいいかも。」

「何か無視された。」

「あとは恋人的な感じで、横少し上から見たような感じかな。」

「上目遣いの感じか。」

「パスカル!」

「はいっ、何?アキちゃん。」

「人の言うことを無視しないで。」

「ごめん。写真の構図の注文?いいよ、何でも言って。」

「そうじゃない。何でもない。」

「えーと、じゃあ、とりあえず木陰でフラッシュを使ってみようか。」

「分かった。それじゃあ、あの木陰に行くね。」

「お願い。」

木陰に移動して写真を撮る。

「アキちゃん、いいな、いいな、いい表情。」

パスカルがアキの横に移動する。

「じゃあ、上目遣いで、好きな人の隣ということを想像して。」

「パスカルじゃ難しいけど、やってみる。」

撮影した画像をカメラのモニターで見てみる。

「ちょっとフラッシュの光が強いか。銀レフ(銀色の光の反射板)を使おう。コッコちゃん、銀レフ持ってくれる。」

「いいよ。」

パスカルが銀レフを取り出して、自分の後ろで持ってもらい、フラッシュの光を後方に出して、銀レフで前に反射させるようにセットする。そして、撮影を再開する。

「少し、光が柔らかくなった。」

「パスカルも、結構物事に集中するタイプなんだね。」

「えっ、そうか。」

「だから湘南ちゃんと仲が良いんだろうな。何となく分かったよ。」

しばらく撮影してから、再度、タブレットに写真を転送して確認する。

「どう?」

「うん、なかなか面白い。この角度のイラストを描いてみようかな。」

「でも、私の表情、ちょっと硬いね。」

「撮っているのが俺だからか。もう少し柔らかくできる?」

「うん、やってみる。」

「本当は、胸の谷間が覗けるといいんだけど。」

「それは、コッコのコミケ用のイラストで。」

「まあ、そうさせてもらうよ。」

「じゃあ、今の感じでまた撮ろう。」

「了解。」

結局、600枚ぐらい撮影してその日は終了した。そして、パスカルのおごりの喫茶店で、ホームページに載せる写真を選んでから、帰っていった。

 一方、誠は、2月下旬になると大学の第4クォーターの期末試験も終わって、自動車部の活動があるとき以外は、アキのためのMIDIデータの作成に取り掛かっていた。アキをサポートすると決まったときから、デスクトップパソコンとノートパソコンの両方に無料のDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション、作曲ソフト)であるcakewalkをインストールして、使い方を勉強していた。

「とりあえず、バンドスコアがあるものから始めるかな。」

誠は、パスカルさんから送られてきたバンドスコアを打ち込み始めた。そして、時々、ヘッドフォンに出力して確認しては修正していた。目標とした、ワンコーラス分の入力を終え、ヘッドフォンで確認した。

「まあまあかな。これで著作権管理会社と契約している動画サイトやライブは大丈夫なはず。CDにするには著作権管理会社に支払いが必要だけど、それはパスカルさんに任せるか。キーはアキさんに歌ってもらって決める。キーをすぐに変えられるところは、DTM(デスクトップ・ミュージック、コンピュータで音楽を作ること。)のいいところかな。」

誠はデータを保存したあと、次の曲に進むことにした。

「この曲のパスカルさんからの情報は、コードだけか。とりあえず楽器をギターにしてコードを入力しよう。」

コードを入力したデータを音にして聞いてみる。

「次は旋律を入れるか。絶対音感があるわけじゃないから、一小節づつ確認しないと。でも、ワンコーラス分作れれば、あとはコピペで済むし。」

結局、その日に旋律の入力は終わらなかった。

「まだ、時間はある。」

翌日も旋律の入力をすることにしたが、この日は尚美がパラダイス興行へ練習に行き、帰りが遅くなるため、尚美を迎えに行く予定だった。そのため、午後から大学に行き、一代で財を成した卒業生の寄付によって建設された学生交流会館でイヤフォンを使って作業をしていた。まず、旋律の入力を終え、その後で伴奏のリズムやベースの音を加えていった。その時、後から声がかかった。

「湘南ちゃん。」

振り向くとコッコだった。

「ここで、その呼び名は・・・。」

「そうか。何て呼ぶ?」

「苗字の岩田でお願いします。」

「じゃあ、私は小林だ。」

「小林さん、今日は何しに。」

「漫画を描いているとき、ずっと家で作業していると煮詰まって描けなくなるんで、よく大学に来て作業するんだ。ここか図書館が多い、まあ、何時間いてもお金がかからないしな。岩田は?」

「僕もです。アキさんの曲のカラオケ音源の準備をしたり、勉強したりしています。あと、今日の夜は、部活で遅くなる妹を迎えに行きます。と言っても、駅で待ち合わせて、そのまま一緒に家に帰るだけですが。」

「妹子ちゃん、元気。」

「元気です。」

「そう警戒しない。元気ならいいよ。何の部活をやっているの?」

「合唱部です。」

「なるほど。だからアキちゃんより歌が上手いと言っていたのか。」

「はい、それもありますが、妹は何でも要領がいいところがあります。」

「確かに、そんな感じはするよね。」

「コッコさん、アキさんのためのカラオケ音源を聴いてみます?」

「もうできたの?」

「もっと良くするつもりですが、とりあえずはできています。」

「音楽はあまり分からないけど。一応聴いておこうかな。」

「はい、MIDIデータに関しては3月の初めにはカラオケ音源を完成させて、アキさんとパスカルさんに送って確認してもらいます。その後にアキさんのボーカルを収録して、ボーカルとカラオケをミックスした最終バージョンを完成させてから、CDーRに焼く予定です。コッコさん、イヤフォンを持っていますか?」

「一応、持っている。」

誠がコッコのイヤフォンをパソコンにつないで再生を開始する。コッコが聴き終わって、誠が尋ねる。

「どうですか?アイドル向けに少し若々しくしてみたのですか。」

「細かいことは分からないけど、ダメってことはなさそう。」

「有難うございます。僕もボーカルが入らないと、本当のところは良く分からないです。」

「まあね、湘南も初めてだもんね。」

「はい。あと、この間、コッコさんとパスカルさんが撮影した写真をホームページ案に入れてみました。意見をもらえれば。」

「うん、いいんじゃない。」

「この、横から撮った写真、すごく良いと思いますが、コッコさんのアイディアですか。」

「いや、私が得意とする女の子の絵はエロいポーズばかりだよ。こんなお花畑のポーズを考えられるのはパスカルの方。」

「なるほど。」

「ちょっとキモいけど。でも、アキちゃんにはそいう感じの方があっているかも。」

「はい、僕も合っていると思います。」

「CDジャケット、チラシやポスターもこんな感じで作るの?」

「CDジャケットの表面はこの写真にしようと思いますが、裏面はイラストにしようと思っています。イラストの方はどんな感じですか。」

「何通りか作ってあるけど。」

「思ったよりちゃんとしてて、いいと思います。」

「一応エロくないのも描ける。あまり得意分野ではないので、今一つインパクトがある絵は描けないけどね。」

「そうですか。なかなか可愛く描けていると思います。どれを使うかはパスカルさんに決めてもらいましょう。フォントとかこだわりはありますか?」

「手書きで入れるというのもあるよね。」

「そうですね。とすると、それもプロデューサー案件ですね。」

「あと、アキちゃんのロゴのようなイラストを考えてあるんだけど。」

「それはこれから統一的にずうっと使うんですね。良いアイディアだと思います。」

「アクスタ(アクリルスタンド、アクリルの板の上に人や物の写真やイラストを印刷して、その周囲の不要な部分を切り取りその対象物の形にして、立てるようにしたもの。)にもできるようにはしてある。」

「グッズを作って販売することも考えるんですね。」

「初めは缶バッジかアクスタぐらいがいいかな。制作費が安いから、」

「それはわかります。やはりグッズもプロデューサー案件ですね。パスカルさん、決めなくてはいけないことが多そうです。」

「そうだね。春休み、この辺りをうろちょろしているから、また。邪魔したな。」

「いえ、参考になりました。ではまた。」

誠とコッコは、それぞれの作業に戻った。学生会館は平日は夜9時まで開いているが、誠は夜8時ごろに渋谷に向かい、尚美と合流した。

「尚、お疲れ様。」

「うん、お兄ちゃんも有難う。」

「どう、練習の方は。」

「順調、順調。早くデビューできるように頑張らないと。」

「学校の方は?中学校はもうすぐ期末試験だよね。」

「そうだけど。レッスンは週3、4回で、部活をやっているのと同じだから大丈夫。」

「なら良かった。」

「それに、英語は分かっているし、社会も基本的なことばかりだし。教科書に文句つけたくなることもあるけど。」

「国際政治は、尚がいつも読んでいる本の方が難しそうだよね。」

「うん。あと、数学と理科はお兄ちゃんに聞けば分かるし。」

「そのあたりは、いつでも聞いて。」

「有難う。でも、今日はお兄ちゃん、大学で何をやっていたの?部活?」

「えーと、自分の勉強と、アキさんがCDに吹き込むためのカラオケ音源をMIDIで作っていた。」

「曲はどうするの?」

「カバー曲で『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』、『恋愛サーキュレーション』と『君色シグナル』。パスカルさんがバンドスコアかコード進行を入手して、それからカラオケのMIDIデータを作る。」

「コードだけだと、アレンジはお兄ちゃんがするの。」

「うん、そういうことになる。バンドスコアはあったけど、アキさん用にアレンジを変えてみた『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』のカラオケ音源、聴いてみる?」

「へー、すごい。お兄ちゃんのアレンジ、聴いてみたい。」

誠がカバンからパソコンを取り出し、イヤフォンをセットして尚美に渡す。尚美がイヤフォンをつけると、誠に合図をして、誠が作成した音源を流す。尚美は、歌詞を思い出しながら、カラオケを聴いていた。曲が終わると、尚美がイヤフォンを外した。

「金管を入れて明るい感じを出したんだ。」

「そう。ベースも弱めにして華やかな感じにしている。」

「うん、高校2年のアキが歌うにはいいかもしれない。」

「尚にそう言われると、少し自信が出る。」

「でも明日夏先輩がこのことを知ったら、どう思うかちょっと心配だけど。」

「あっ・・・・・・やっぱり、気を悪くするかな。」

「うーーーん。」

「一応、著作権管理会社を通して合法なCDにするつもりだけど。」

「それは分かっているけど、どちらかと言うと感情的な問題だから。」

「そうか。そうだよね。」

「明日夏先輩、子供っぽいところもあるし。」

「そうなんだ。」

「大丈夫だとは思うけど、機会があったら、それとなく明日夏先輩に聞いてみる。」

「尚は無理しなくていいけど、心配をかけて申し訳ない。」

「お兄ちゃんが二股をかけるからいけないんだぞ。」

「明日夏さんもアキさんも、そういうんじゃないんだけど。」

「私は分かっているけど、何と言うか、自分が一番じゃないといやみたいなところがあるかもしれないから。」

「なるほど。」

「逆に、全く気にしない可能性もあるし、とりあえず続けていていいと思う。でもお兄ちゃん、アレンジをしているということは、作曲もしてみたいの?」

「うん、将来的にね。」

「そうなんだ。じゃあ、尚たちがデビューできたら、尚たちの曲もお願いね。」

「それはいいけど、さすがにプロの作曲家にかなわないと思うよ。」

「いつかでいいから。」

「分かった。尚たちの曲が作曲できるように勉強しておくよ。」

「有難う。CDを作るという事は、アキのレコーディングをするの?」

「カラオケ音源を完成させた後、3月中旬の土曜日に、パスカルさんがレコーディングスタジオを借りて、アキさんの歌を収録する予定。」

「スタジオを借りるんだ。うちの場合、明日夏さんはヘルツレコードのスタジオを使ったみたい。デモテープは事務所の練習室で作っているよ。」

「音楽事務所だから、機材も揃っていそうだよね。」

「中古のもあるみたいだけど、一応は。」

「こっちはマイクとアンプはスタジオのものを借りて、ノートパソコンで出力と収録をするだけだけど、何とかする。」

「まあ、お兄ちゃんがいれば大丈夫だよね。」

「初めてだから心配もあるけど、やってみる。」

「本当は尚も行きたいんだけど。」

「土曜日は、尚も練習があったよね。帰りの電車で収録の様子を話すよ。」

「うん、お願い。」


 3月初め、誠はアキPG宛てに完成した曲を送る。

湘南:カラオケ音源のmp3データをデータボックスの置きました

パスカル:さすが湘南、期限より早いな

アキ:湘南、有難う。聴いてみるね

(15分ぐらいしてから)

パスカル:曲調を若々しくしたのか

湘南:アイドル向きにしたつもりです

アキ:これで大丈夫だよ

湘南:キーはどうしますか

アキ:3曲とも大丈夫と思う

湘南:変えたいときはスタジオで変えることもできます

アキ:わかった。とりあえずこのカラオケ音源で練習するわ

湘南:了解です

パスカル:湘南、当日レンタルするものをチェックしてもらえるか

湘南:チェックしますので、書類ができたらアップロードをお願いできますか

湘南:さっきのボックスはURLを知っている人が誰でもアップロードできます

パスカル:今晩中にはデータボックスに送る


 アキの歌を収録する3月中旬の土曜日の午前中、誠はレコーディングスタジオの前に到着した。そこにはパスカルが待っていた。

「パスカルさん、お早うございます。」

「おう、湘南、お早う。相変わらず早いな。」

「相変わらず、パスカルさんの方が早いです。」

「追加でレンタルするのは、コンデンサーマイクだけでいいんだよね。」

「はい、アンプなどは備え付けられているみたいで、MIDI音源の再生とボーカルの収録だけですので、それで十分です。」

「何か重そうな荷物だな。」

「念のため、ノートパソコンを2台持ってきましたので、少し重いです。」

「そうか、ご苦労様。アキちゃんもあと5分で来るそうだから、到着したら、レンタルスタジオに入ろう。」

「いよいよだな。」

「いよいよですね。」

「でも、最初にビートエンジェルスに入った時よりは緊張していない。」

「僕もそうです。あの時は本当に緊張しました。」

「まあ今日は失敗しても、また録ればいいだけだし。」

「予約は2時間でしたよね。」

「アキちゃんが、そのぐらいが限度かなと思って。」

「そうですね。順調にいけば、今日1日で3曲録れるとは思います。」

「湘南は作業があるにしても、俺は何をしていればいいだろう。」

「メイキングビデオを作るわけではないですが、ビデオを撮っておいたらどうでしょうか。アキさんが有名になったときに、使えるかもしれませんし。」

「分かった。カメラは持ってきているから、それで撮っておくよ。」

アキがやってきた。

「パスカル、湘南、お待たせ。」

「おう、お早う。」

「お早うございます。」

「じゃあ、いい時間だからスタジオに行くか。」

「ちょっと、胸が高まる。」

「本当の高さも高まるといいな。」

「高校生にそういう話をすると捕まりますよ。」

「二人ともバカな話をしていないで、早く行こう。」

「おう。」「はい。」

 スタジオに行って受付を済ますと、初めてという事でスタッフから説明を受けた。

「湘南、分かりそう?」

「はい大丈夫です。機材のマニュアルは先週ダウンロードして見ておきました。」

「さすがだな。」

「録音室の方を先にセットしましょう。」

誠はマイク、ポップガード(マイクのすぐ前に置く網のようなもので、口とマイクの距離を保ったり、不要な音がマイクに行かないようにするもの)とショックマウント(振動を吸収するもの)をマイクスタンドにセットしたあと、譜面台をセットし、マイクからのケーブルをミキサーのマイク入力端子に、ヘッドフォンをヘッドホン端子に接続し、譜面台に楽譜を置いた。そして、誠は操作室に戻って、パソコンをセットし、オーディオインターフェースをUSBでパソコンに接続し、オーディオインターフェースと操作室のミクサーを接続した。パソコンから音を出す。操作室のスピーカと自分のヘッドフォンの音量を調整してから、アキに尋ねる。

「ヘッドフォンの音量は大丈夫ですか。カラオケの音と自分の声の音量は手元の機器で操作できます。いま、カラオケを流していますのでボリュームを調整してみて下さい。」

「・・・こんなものかな。」

「了解です。歌う時の声の大きさで歌ってみて下さい。録音レベルを調整します。アキさんのヘッドフォンの音量は自分で調整してみて下さい。」

「了解。」

アキがマイクに向かって歌い始める。誠は録音レベルを調整し、アキもヘッドフォンの音量を調整する。少しして誠がアキに尋ねる。

「音量はどうですか?」

アキが歌うのを止めて答える。

「大丈夫、両方とも、良く聞こえる。」

「有難うございます。録音を確認しますから、少し待ってて下さい。」

録音したボイストラックを確認して答える。

「大丈夫です。ティックが必要ならば入れますが。」

「ティックって?」

「拍子の音です。メトロノームみたいな役割です。」

「カラオケだけで大丈夫。」

「アキさん、発声練習とかは?」

「別にいらないかな。何回か歌うんだよね。」

「はい、何回か録ると思います。水は適宜飲んで下さい。」

「わかった。」

「では、アキさん、パスカルさん、通しで録ってみましょうか。」

「うん、やってみよう。」「おう、そうしよう。」

「指で、3、2、1の後にカラオケをスタートさせます。」

「湘南、了解。」

「パスカルさん、録音室の扉を閉めてもらえますか。」

「分かった。」

扉が閉まり、録音室の中は静かになった。アキはガラス窓越しに、パスカルと誠を見てから、マイクの方に向かい、誠の方を見る。

「ファーストテーク、行きます。」

アキからは誠が指でカウントダウンするのが見えて、カラオケが始まった。歌詞は覚えてきたので、楽譜を見ることはなく歌い終わった。パスカルが扉を開けて拍手する。

「アキちゃん、良かったよ。」

「有難う。」

「カラオケトラックのボリュームを低めでミキシングしたものを再生しますので、聴いてみて下さい。」

誠が再生する。誠はとりあえず直した方がよさそうなところを楽譜にチェックしながら聴いていた。

「パスカルさん、プロデューサーとしての指示は?」

「良かったと思うよ。でも、少し緊張していた?」

「うん、扉が閉まったときに、いよいよかって思った。湘南は?」

「はい、緊張して声が上ずっていたのと、チェックしたあたりの音程がだいぶずれていたと思います。」

「そうか。有難う。次はもう少し気を付ける。」

「まだ1時間40分ぐらいはありますから、どんどん歌って行きましょう。」

「分かった。」

こうして、チェックしながら2曲を延べ15回ほど歌って、2時間が過ぎた。

「時間が過ぎるのあっという間ね。」

「もう、終わりかって感じだ。」

「そうですね。2時間が思ったより短かったでした。とりあえず、片づけて出ましょうか。」

「もう1回収録しないといけませんね。」

「早い方がいいか。明日の午前中は大丈夫?」

「午前中なら大丈夫だよ。」

「僕も大丈夫です。」

「じゃあ、おれは係員に明日空いているか聞いてくる。湘南には片づけをお願いしていいか。」

「はい、やっておきます。」

誠はケーブル類を外して、借りた機材と自分の機材を分けて、パスカルといっしょに係員のところへ行き、パスカルは手続きをして、誠は借りた機材を返却した。そして、3人はスタジオを後にした。

「明日も大丈夫だって。同じ部屋が使える。」

「それは良かったです。」

「そんじゃ、昼飯でも食うか。アキちゃん奢るよ。」

「行くけど、さすがに今日は自分で出すよ。」

「そうか。じゃあ、あまり高くないファミレスでいいかな。」

「うん、いいよ。」

「了解です。」

3人がファミレスに到着して、それぞれ注文する。

「私はトマトスパゲッティとドリンクバー。」

「じゃあ、俺も。」

「じゃあ、僕も。」

「なんか、主体性のない人たちね。」

「俺たちが、主体性を発揮する場所は別にある。」

「その通りです、パスカルさん。」

「まあ、いいけど。」

「湘南って、家族とレストランに行くといつもメニューは妹子ちゃんが決めているんじゃない?」

「はい、その通りです。」

「妹の尻に敷かれている兄って感じ。」

「そうかもしれません。それより、CDジャケット、CDの表面、ポスターとチラシのデザインを確認しますか?パスカルさんに言われた修正はしてあります。」

「見る、見る。見たい。」

「おう、どんな感じになった。」

誠がパソコンを開いてデザイン案を示す。

「うん、すごくいいよ。私じゃこんなのできない。パスカルが撮った写真もすごくいいと思う。パスカルと湘南は誰かの尻に敷かれてこそ、秘めた実力を発揮するタイプなんだね。」

「おーい、アキちゃん。」

「褒められているのでしょうか。」

「褒めているよ。」

「そう言うことにしておこうか、湘南。」

「はい、そうしましょう。何か変えて欲しいところはありますか?」

「うーん、特にないかな。」

3人がドリンクを取り行き、食事が到着した。

「頂きます。」

食事を始めながら誠がホームページの最終案を見せる。

「それで、これがホームページの最終案です、ここのイベント開催案内などの記事はパスカルさんが書くことになると思います。アキさんもブログが書けるようになっています。」

「うん、いいんじゃないか。」

「有難う。いい雰囲気のサイトになっている。」

「二人のアカウントを発行しました。アカウント名とパスワードはSNSのメッセージで送りますので、最初にホームページ開設の記事と最初のブログを書いて下さい。それが終わったら公開しようと思います。」

「いよいよね。」

「だね。」

その後、アキとパスカルが参加する地下アイドルのイベントに関して話をした後、ファミレスを後にして駅に向かった。

「小節単位で良く歌えているボーカルを取り出して、カラオケ音源とミックスしたものを、今日中にはできると思いますので、夜にはアップロードします。」

「よろしく。明日午前中にもう一度収録で、その次はCDの試作品の受け渡しか。」

「はい、CDの受け渡しは、ビートエンジェルスですか。」

「そうだな。秋葉原で待ち合わせをしよう。」

「二人とも、店の中で待ち合わせをすればいいじゃない?」

「店に入るときは、湘南と二人の方が落ち着くし。」

「そうですね、パスカルさん。」

「まあ、いいけど。」

「では、SNSは毎日見ていますので、ミキシング、ホームページなどに意見があったら、何でも連絡してください。」

「了解。じゃあ、アキちゃんに湘南、また明日。」

「パスカルと湘南、今日は有難うね。それじゃあ、また明日。」

「では、また明日。」

 3人は駅でそれぞれの方向に向かった。誠は大学に向かい、ミキシングを完成させ、夜になってから渋谷に尚美を迎えに行った。

「お疲れ様。練習は順調?」

「うん、順調。お兄ちゃんは今日はアキのレコーディングだったよね。」

「その通りだよ。そのあと大学の学生会館でミキシングをしたところ。」

「聴かせてもらってもいい?」

「いいけど。尚たちが聴くほどのものじゃないかも。」

「でも、一応。」

誠がパソコンを開いて、尚美にミキシングしたものを聴かせる。

「伴奏はもっと前より華やかになっていて、いい感じだけど。」

「うん、金管はほぼ全種類使ってみた。このあたりはMIDIだから簡単にできるのかも。」

「でも、うーん、やっぱりボーカルは発声からして素人と言うしか。」

「尚の言う事はわかる。トレーニングはしているみたいだけど、やっぱり、プロの歌手を目指すトレーニングと違うのかも。ホームページの最終案、見てみる。」

「うん、お兄ちゃんが作ったんだよね。」

「アキが歌う海浜公園か。アキの写真は誰が撮ったの?」

「パスカルさんだよ。」

「えっ、そうなの。写真は結構いいかな。本人より雰囲気がいいと思う。」

「僕もそう思った。このロゴはコッコさん。」

「へー、ロゴか。小さいのにアキってわかるよね。」

「僕もそう思う。大きくするとこんな感じ。」

「なるほど。このロゴ、いろんなところで統一的に使うんだよね。」

「その予定だよ。あと、ページのここにパスカルさんが記事を書いて、ここにアキさんがブログを感じ。」

「すごいね。ホームページの写真もいいと思う。さすがお兄ちゃんの友達だね。」

「有難う。CDが完成したら、アキさんが地下アイドルのライブへの参加して、CDがどのくらい売れるかというところ。」

「お兄ちゃんも行くの?」

「僕は行かない予定。地下アイドルの現場には若い男はあまり行かない方がいいということみたい。パスカルさん、アキさん、コッコさんが行く。」

「へー、そうなんだ。」

少し安心する尚美だった。その後、尚美の歌やダンスの練習や時事問題の話などをしながら家に帰って行った。

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