第4話 兄と妹

 木曜日の午後、誠のスマフォにメッセージの通知が来た。米川教授と北崎助教による「コンピュータサイエンス第3」の授業中であったが、メッセージをのぞいてみた。アキのアイドル活動をサポートするSNSグループ「アキPG」からだった。

アキ:パラダイス興行のオーディションはだめだった

パスカル:今日18時にビートエンジェルスに集合

コッコ:18時は無理だけど行く

 誠は授業が終了するとパスカル個人に返信した

湘南:授業中で返信できませんでした

パスカル:真面目に授業を受けているんだな

湘南:志望する研究室の米川先生の授業だったので

パスカル:で18時は大丈夫?

湘南:行きます

パスカル:湘南にしては返事がいいけど明日夏ちゃんの事務所だからか

湘南:僕がホームページで見つけてアキさんに紹介した手前です

パスカル:そう言えばそうだったな。よしアキちゃんを慰めに行こう

湘南:僕たちで慰めになりますか?

パスカル:話を聞くぐらいはできる

湘南:今週末で明日夏さんと大河内さんのリリースイベントが終了します

湘南:プロデューサーとしての計画を聞かせてあげた方が

パスカル:それはいい考えだ。今から作るよ

湘南:お仕事は?

パスカル:明日できる。

湘南:分かりました

パスカル:コッコちゃんと会うのは始めてだな

湘南:そうですね

パスカル:それだけかよ

湘南:明日夏さんのイラスト良かったでした

パスカル:そうだな。じゃあ18時に

湘南:18時に

 誠は、アキPG宛てに短く返事をした。

湘南:18時了解


 18時少し前に、誠とパスカルがビートエンジェルスの前に到着した。

「よし、行こう!」

「了解。」

ビートエンジェルスのドアを開く。二人の時間が正確なことを理解していたアキがドアの内側で待っていた。

「お帰りなさいませ、ご主人様。」

「えーと、ただいま。」

「はい、ただいまです。」

「こちらへ、どうぞ。」

「おう。」

「それにしても、二人とも時計のように時間に正確ね。」

「仕事がらだな。」

「一応、十分前行動をしています」

「そうなんだ。」

「今日は、プロデューサーとして、相談しながら今後の計画を練っていこうと思う。」

「そうね。過去のことにこだわっても、仕方がないものね。」

「はい、今後の計画を中心にすることは賛成です。ただ、今後の参考のために、どんな感じだったかだけ聞かせてもらえませんか。」

「分かったわ。書類審査に受かったのは4人だった。練習室に順番に呼ばれて、歌唱と面接を行った。歌唱は課題曲は『adrenaline!!!』、自由曲は明日夏ちゃんの『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』を歌って、自由曲は実力を見るためにいい選曲と言われたわ。」

「実力は出せたんですよね。」

「うん。」

「面接は、オーディションに参加した理由、自分の強みと弱み、将来の抱負、自由な意見、事務所への質問だった。内容は用意してチェックしてもらった通りに話した。うまく行ったと思う。」

「何か事務所の方からの情報とかなかったですか。」

「合否のメールに、歌唱力を伸ばすことが必要とは書いてあった。ダンスや受け答えは良かったって。」

「そうですか。僕も最初に同じことを感じたんです。一応、ボイストレーニングはやっているんですよね。」

「うん、近くのカラオケ塾みたいなところに行っている。」

「歌手のトレーニングについては、僕もよくわからないですが、やはり地道にやっていくしかないのかもしれません。」

「あと、才能とかもあるのかもしれない。でも私は諦めないよ。」

「おう、プロデューサーも諦めないから、頑張れ。」

「パスカル、有難うね。」

そのときコッコが店に入ってきた。アキがテーブルに案内する。コッコが自己紹介する。

「初めまして。コッコと言います。大学生ですが、漫画やイラストを描いています。」

「初めまして、パスカルです。明日夏さんの他にも何人かアニソンアーティストを推している、いわゆるDDです。今はアキさんのプロデューサーもやっています。地方公務員です。」

「初めまして、湘南と言います。明日夏さんイラスト、有難うございました。コールブックの表紙とホームページに使う予定です。アキさんのプロデュースについては、パスカルさんの手伝いをしています。大学生です。」

「コッコちゃんは、アキちゃんのイラストも描いてくれるということでいいんだよね。」

「そう。そのために、アキちゃんのスケッチが必要なんだけど。」

「うん、そうだね。どこに行けばいいですか?」

「私のアパートで。一人住まいだから、大学の授業がない時ならいつでも大丈夫。」

「東京ですか?」

「うん。世田谷だけど。大学が大岡山だから。」

「なら大丈夫。世田谷なら自宅の近くです。」

「じゃあ、今度の水曜日の夕方とか大丈夫?」

「はい、大丈夫です。」

「時間はSNSで決めよう。」

「分かりました。」

「あの、コッコさん、もしかするとですが、大学は大岡山工業大学ですか?」

「そうだよ。えっ、まさか湘南も?」

「はい、そうです。情報系です。」

「私は融合系。」

「絵を描いているぐらいですから、元々、建築志望だったんですか?」

「うん。けど今は融合で良かったと思っている。建築の忙しさは鬼畜だよ。」

「そうらしいですね。」

「でもいいよな、情報はオタクが多くて。先生にもいるよね。SNSで活躍しているし。うちにはあんまりいない。逆に、リア充が多くて住みにくい。」

「うちの大学、生協の食堂がもう少し美味しいといいんですが。」

「最近、キッチンカーが来て弁当を売っているじゃないか。あれは、なかなかだぞ。」

「そうですか。今度、試してみます。」

「あの、あの二人とも、ローカルな話はそれぐらいにして。」

「あっ、ごめんごめん。」

「ごめんなさい。アキさんのイラストはどのぐらいで仕上がりますか。」

「だいたい2週間を見ておいてくれるかな。」

「CDジャケットのデザインを考えるので、構図が大体決まったら連絡してください。」

「湘南ちゃんだっけ、了解。」

「学校で受け渡しできるから便利だ。」

「そうですね。」

「話は終わった?」

「はい。」

「じゃあ、プロデューサーとして計画を話すね。」

「お願いします。」

「アキちゃんからもらったイベントのリストと、自分でもアキちゃんが出演できそうなイベントを探しておいた。」

「どんな感じのイベントなんですか。」

「いろいろな地下アイドルが出演するライブのイベントで、基本、持ち時間20分のライブ。参加費が必要だったりもするけど、その後の特典会で、自家製のCDを売ったり、お客さんとチェキ写真を撮影したりして稼ぐ。あと、観客の指名入場で入場料のキックバックがあるところもあるし、なかなか複雑だね。」

「うん、ここの店員で地下アイドルをやっている子から聞いた話だとその通りだと思う。でも今まで未成年で一人だったし、CDも作れなかったので出演できなかった。パスカルたちの協力で出られそう。」

「アキちゃんはまだ高校1年生だからね。無理もないと思うよ。」

「パスカルさん、僕は何をすればいいですか?」

「湘南にはCDとチラシやポスターの作成を手伝って欲しい。イベントで湘南がやることはないかな。」

「私はイラストを描くのと、イベントを手伝うよ。イベントに参加しているアイドルの女の子をモデルとしてスカウトしたいし。」

「じゃあ、コッコちゃんにはチェキの撮影と、お金の受け渡しをお願いできるかな。」

「分かった。」

「まあ、俺が撮るより、コッコちゃんがやった方が、お客さんの印象がいいと思う。俺は後ろに下がって裏方に徹するよ。そういう意味では、若い男の湘南は来ない方がいいぐらいだ。」

「分かりました。」

「パスカルちゃん、チェキ撮影の準備は?」

「チェキカメラとライトはもう買ってある。コッコちゃんはお客さんからお金を受け取って、アキちゃんとお客さんがいっしょのところを撮影して、チェキをアキちゃんに渡すだけ。」

「わかった。」

「それで、私がチェキにサインしてお客さんに渡せばいいんだよね。」

「その通り。」

「最近は声を録音して、チェキのQRコードから読みだせるというのもあるみたいです。」

「そうか、そういうのもあるのか。調べておくよ。CD作成の方は、曲とカラオケの調達、歌の録音、ミキシング、CDーRへコピー、CDーR表面への印刷、ジャケットのデザインの制作と印刷、CDーRとジャケットをケースに入れ、できたCDを袋に入れる。湘南はCDーRへのコピー以下をお願いできる?実費は俺が持つから。」

「了解です。その前の項目はどうするんですか。」

「その前に、アキちゃんは、オリジナル曲とカバー曲はどっちがいい?」

「オリジナルだけだと曲が知られていないから厳しいよね。」

「オリジナル曲は、アキPGに作曲できる人がいないから、調達しないといけない。地下アイドルのために、1曲数万円で作詞、作曲、編曲をしてMIDIデータを売っている作曲家もいるから、それを調達する。」

「パスカル、意外に頼りになる。」

「意外ってなんだ。えーと、カバーだと、著作権の利用料は売り上げの6~7%程度を著作権管理会社に払えばいいけど、カラオケ音源はレコード会社の許可がいるので、カラオケは作らなくてはいけない。MIDIならばカラオケを2~3万円ぐらいで作ってくれるところもある。」

「前からMIDIの作成はやろうと思っていましたので、バンドスコア(バンド用の楽譜)があればMIDI音源は作ってみようと思います。慣れてきたらアレンジ(編曲)にも挑戦してみたいです。」

「そうか、それは助かる。」

「ただ、その業者もたぶんそうですが、インスツルメンタルのMIDIはできますが、コーラスは別に必要です。アキさんがコーラスを歌えればいいのですが。」

「うーん、主旋律を歌うより難しそう。」

「ボーカロイドでコーラスを入れることも考えますが、しばらくは無理かもしれません。」

「コーラスがないと、どんな感じになる?」

「ライブはまだ大丈夫と思いますが、CDではすこし厚みがないように感じるかもしれません。」

「仕方がない、初めはコーラスなしで行こう。アキちゃんがコーラスを歌えるようになれば、後はなんとかできる?」

「はい、トラックの合成はできると思います。」

「じゃあ、アキちゃん、コーラスに関しては頑張って歌えるようになろう。」

「分かった。勉強してみる。」

「最初はカバー曲から作ってみるか。その方が、お客さんが取っつきやすいと思う。」

「私自身がほとんど知られていないし、オリジナル曲が名曲ということはなさそうだもんね。うん、パスカルの言う通りで行く。」

「アキちゃんは、どういう方向を目指す?」

「ユニットより、一人で歌うアイドルになりたいんだけど。」

「私も、その方がアキちゃんに似合っていると思うわよ。」

「ただ、最近では、アーティストかアイドルグループのどちらかになっていて、カバーする曲があまりないということが問題かな。」

「うーん、昔のアイドル歌手の曲を使うか、現在のアーティストの曲を使うか。」

「好きな歌手とかいますか?」

「いるけど、自分で歌うと、表現がまだまだって感じかな。」

「そうですか。アニソンだと?」

「今は明日夏ちゃんとミサちゃんが好きだけど、ミサちゃんの歌は難しすぎて歌えない。」

「じゃあ、明日夏ちゃんの歌にしようか。」

「まあね。アキPGは全員明日夏ちゃんのファンだしね。」

「明日夏さんの曲の場合、一般の方にはそれほど知られていないというところは問題ですけど。」

「お前、明日夏ちゃん推しというか、実質TOなのに、そういうこと言うか、普通。」

「アキさんのために、冷静に考えてです。」

「まあ、湘南らしいな。でも、アニソンを柱にしているイベントならばいけるかもしれない。」

「そういうものもあるんですか。」

「うん、ある。」

「そうすると、他の曲もアニソンにした方がいいですね。」

「そうだな。」

「大丈夫。私、アニメもアニソンも大好きだから。」

「わかった。とりあえずはその方針で行こう。パラダイス興行のオーディションもアニソンだったわけだし。」

「とりあえず明日夏さんの曲を1曲使いましょう。あとは声優さんのキャラソンを使ってみてはどうでしょうか。」

「そうね、キャラソンにもいいのあるよね。」

「では、明日夏さんの『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』とあまり難しくない『恋愛サーキュレーション』と、もう一曲もキャラソンにしよう。候補を何曲か探すから、アキちゃん、それから選んで。」

「分かった。」

「予定より早かったので、まだホームページの原案は完成していないのですが、大体はワードプレスを使って作ってあります。テーマは後でも変えられますが、現在はこんな感じです。」

誠がノートパソコンを使って原案のアウトラインを見せる。

「湘南、有難う。うん、単なるブログより全然いい。」

「湘南、さすがだな。」

「コッコさんの絵は、ヘッダーのこの部分と背景に使う予定です。」

「分かった。準備する。」

「水着の写真かイラストがあると、目を惹くんだけどね。」

「極悪プロデューサーめ。」

「まあ、アキちゃんが水着にならなくても、アキちゃんの水着のイラストを描くことは可能だよ。というより、服を着ているイラストより簡単だ。」

「でも、それだと写真よりエロくなりません。」

「それは、当たり前だよ。捕まらないぎりぎりを攻める。」

「やっぱり遠慮します。そういうものはコミケで。」

「分かった。」

「それでは、ホームページは今の路線で整備していきます。」

「はい、湘南、お願いね。」

「あと、動画サイトのチャンネルを作らなくてはいけないんですが、チャンネルの名前はどうしますか。」

「アキちゃん寝る。」

「パスカル、寝ちゃったらしょうがないでしょう。『アキが歌うチャンネル』で。」

「分かりました。その名前で作成します。」

「とりあえずやることは、だいたい決まったかな。」

「はい、そうですね。」

「じゃあ、この調子でやっていこう。」

「パスカル、コッコ、湘南、有難うね。」

「おう。」「面白そう。」「了解です。」


 明日夏のリリースイベントがあと2回を残すだけとなった土曜日、朝早いうちに家を出た兄が、イベントをやっている時間なのに家に帰ってきたことを不思議に思った尚美が、誠に理由を尋ねた。

「あれ、お兄ちゃん、今が明日夏さんのイベントをやっている時間なんじゃない。」

「そうだけど、券が外れてしまったんで参加できないんだ。」

「券が外れるって?」

「うん、CDは一人1枚の制限があって、それを買うとイベント参加の抽選券を1枚もらえるんだけど、明日夏さん、最近人気が出てきてでなかなか抽選が当たらないんだ。」

「そうなんだ。」

「人気が高いことはいいことだから、仕方がないよ。」

「もったいないけど、CDを2枚買ったりできないの。」

「できるところもあるけれど、この店は、それができないように、スマフォのアプリで2枚買えないようにしている。」

「スマフォが2台あれば?」

「スマフォが2台あれば可能だろうけど、そこまでは。」

それでも寂しそうな兄を見た尚美が提案する。

「じゃあ、明日は尚が一緒に行こうか?尚だけが当たったら、尚のスマフォを貸してあげる。」

「でも、尚にとっても大切な日曜日だろう。」

「大丈夫。明日だけだし。親なしで二人で出かけるなんて滅多にないし、面白そう。場所はどこ?」

「渋谷だよ。」

「渋谷なら、学校の定期が使えるから、電車賃もかからないし、迷子にもならない。」

「そうか、それじゃあ、お願いしていいかな。明日も抽選制だから、ゆっくり行こうか。昼前に着くようにして、昼飯をおごるよ。」

「本当!?嬉しい。何でもいいけど、何おごってくれるの?」

「尚の好きなもので、何でもいいよ。」

「じゃあ、ファミレス、ドリンクバー付きで。」

「もっと高い店でもいいよ。イタリアン、ステーキ、とんかつ、寿司とか。」

「お兄ちゃん、そういうところによく行くの?」

「いつもじゃないけど、パスカルさんやラッキーさんと行く時がある。二人ともサラリーマンだから。」

「そうなんだ。じゃあ、行ったことがあるお店で、お兄ちゃんが気に入っているところがいいかな。」

「わかった。じゃあ、イタリアンにするか。ランチが結構おいしい。」

「うん、わかった。」

「そうだ、向こうで知り合いと会うことになると思う。名乗る名前は、基本SNSのアカウント名を使うんだけど、尚は何て名乗る?」

「お兄ちゃんは湘南オタクなんだよね。」

「そう。」

「じゃあ、湘南妹子で。」

「イモコか。響きがなんだけど、男だけど小野妹子がいるから大丈夫か。」

「うん、そんなに使う名前じゃないから大丈夫だよ。」

「そうか。じゃあ、明日、午前10時に家を出発するよ。」

「分かった。明日が楽しみ。」


 二人は、翌日の10時少し前に家を出た。

「行ってきます。今日は夕方には帰ります。」「行ってきます。」

そして、徒歩で辻堂駅まで向かい、湘南新宿ラインに乗った。イベントを開催する店がある渋谷までは、横浜で東急東横線に乗り換えて1時間少しの行程である。

「お兄ちゃんの学校も、この電車なんだよね。」

「そうだよ。自由が丘で乗り換えるけど。」

「学校も一緒に行けるといいのにね。」

「尚の方が始業時間が早いから。でもいいよ、これから朝一から授業があるときには一緒に行くよ。」

「本当に!?」

「嘘はつかないよ。学校でノートパソコンを使っていればいいし。」

「朝一に授業があるのは何曜日?」

「月、水、木だけど。」

「週に3回もお兄ちゃんと一緒に学校に行けるの。今日は来て良かった。やっぱり、お兄ちゃんが一緒だと安心だし。」

「そうか。尚の方が強そうだけど。まあ、変な奴もいるから、盾ぐらいにはなれるよ。」

「お兄ちゃんを盾にはしないけど。」

「尚は足が速いんだから逃げることが一番だよ。」

尚美は「そうもいかない。」とは思ったが同意した。

「分かってる。脱兎のごとく逃げるよ。」

「そう、それが一番。中学生で辻堂から青山までの通学は大変だからね。学校は面白い?」

「うん、部活はやっていないけど、いろんな人がいるし、楽しいよ。」

「友達は?」

「地味にしているし家が遠いから、あんまりいないかな。趣味が合う子もいないし。でも大丈夫。心配しないで。」

「そうか。いじめられたりはしていないんだよね?」

「うん、大丈夫。みんな尚に関心がない感じ。」

「なんか、悩みがあったら、お兄ちゃんに相談しなよ。」

尚美は「私の一番の悩みなんて、お兄ちゃんがあんな神田明日夏みたいなのにハマっていることなんだけど。」と思いながら答える。

「そうする。」

渋谷駅に着くと、最初に今日のイベントを主催する店に向かった。

「じゃあ、これはCD代。まずはお金を払って、CDを購入して、昨日インストールしたアプリのQRコードを見せて登録してもらう。時間になると合格か不合格かのメールが送られてくる。入場するときは順番にアプリのQRコードを見せて入場する。」

「うん、分かってる。」

2人はCDを購入して店を出た。

「じゃあ、昼飯にするか。10分ぐらい歩くかな。」

尚美は嬉しそうに答える。

「うん、分かった。」

店に到着して、テーブルに腰かけた。

「何でも頼んでいいよ。」

「お兄ちゃんは、何を頼むの。」

「僕は、ランチかな。」

「そうか。ティラミスもついているし、尚もランチにする。」

誠はランチを2つ注文する。

「尚と二人でご飯を・・・ごめん。ここからは妹子と呼ばないと。」

「まあ、尚だけなら大丈夫とは思うけど。無理のない範囲で。」

「分かった、妹子と二人でご飯を食べるのは久しぶりだな。」

「そうだね。だいたい、お母さんがいっしょだから。でも、今日が終わったら妹子じゃなくて、尚に戻してね。」

「分かってる。良く考えたら、二人で食べたのは、1年半前に海に行ったとき以来かな。」

「うん、たぶんそう。」

「だいぶ、大きくなったね。」

「少しずつ大きくなっている感じ。」

「そうだね。妹子も大人になるんだよな。」

「そうだよ。でも、何で親みたいなことを言うの?」

「寂しくなるなって思って。」

「大丈夫だよ。まだまだ何十年も先だよ。」

「何十年?」

「全く予定がないから、すごく先のことという感じ。」

「そうか。でも急に変わるんだろうな。」

「変わんないから。」

「今は、そういうことにしておくよ。」

「約束は守るよ。」

テーブルに料理が運ばれてきた。

「この貝、美味しい。」

「そうだね。」

「肉も美味しい。また、イベントがあるとき、抽選を当たりやすくするの手伝うから、私を連れてきてね。」

「有難う。次のCDリリースの時にお願いするかな。次は、尚、じゃない妹子の場合、とんかつよりフレンチかな。」

「どこでもいいけど、絶対ね。」

「わかった。」

 尚美は至福の時間を過ごしていたが、楽しい時間は、だんだんと終わりを告げようとしていた。レストランに二人の男が入ってきて、誠を見て声をかけた。

「おー、湘南じゃないか。」

「本当だ、湘南君だ。こんにちは。」

「ここ、いいか。」

「はい、どうぞ。えーっと、妹子、悪いけど隣に来てくれる?」

尚美は「何、この邪魔な人たち。でも、お兄ちゃんの交友関係を知るにはいい機会か」と思って、誠の隣の席に移動した。

「話したことがあると思うけど、こちらが伝説のDDのラッキーさん。そして、こちらがパスカルさん。」

「初めまして、湘南オタクの妹の湘南妹子です。」

「こんにちは、妹子ちゃん、ラッキーです。」

「こんにちは、パスカルです。妹子ちゃんは中学生?」

「はい、中学1年生です。」

「妹子ちゃん、すごく頭が良さそうだよね。」

尚美は「それは他に誉めるところがない時に使う言葉だよ。もてなさそう。」と思いながらも、お礼を言う。

「有難うございます。」

「頭がいいだけじゃなくて、運動もできるんですよ。自慢の妹です。」

「うん、そんな感じがするよね。でも、湘南君、何で今日は妹を連れてきたの。」

「えーと、昨日、抽選に外れて家に帰ってそれを話したら、抽選のために来てくれることになりました。」

「そうなんだ。でも湘南君、あまり家族に迷惑をかけてはいけないよ。そういうことをしていると続かなくなるから。やっぱり自分が頑張らないと。」

「ご忠告有難うございます。ラッキーさんの言う通りだと思います。はい、妹を連れてくるのは、今日で最後にしようと思います。」

尚美は、「ええいラッキー、余計なお世話だよ。でも何でこの店に。偶然?あっ、そうか、しまった、私が行ったことがある店って言ったからか。もともと、この店はラッキーたちの行きつけなのか。尚美、一生の不覚。」と思いながら言った。

「いいんです。私から行くと言ったんです。昨日、お兄ちゃんが淋しそうにしていたので。それに、美味しいランチもおごってもらえますし、二つ当たればアニソン歌手のイベントというのも見てみたいです。さっきも兄に、また連れてきてってお願いしました。」

「そうか、兄思いの妹なんだね。」

「二人兄弟で、たった一人の兄ですから。」

「まあ、妹子ちゃんがいいならば、それでいいけれど。でも、湘南、こんないい妹はそういないよ。妹子ちゃんを大切にしなくちゃいけない。」

「はい、分かりました。」

尚美は「邪魔だけど、悪い人じゃなさそう。」と思った。ラッキーもパスカルも店のランチを注文した。

「あのラッキーさんも、パスカルさんも、明日夏さんのファンなんですか。」

「僕とパスカル君は、いわゆるDD、誰でも大好きというやつで、ファンになっている演者は多いけど、明日夏さんもその一人。」

「ラッキーさんと僕とでは、DDのレベルが全然違いますけど。ラッキーさんは推している演者が30人以上はいるんですよね。」

「数にすれば、そんなもんかな。」

「30人以上のこういうイベントに行っているんですか。」

「もちろん、時間が許す限りできるだけ参加している。今日も3つの現場に行く予定。」

「すごいんですね。」

「湘南君は、今でも明日夏ちゃん単推しだよね。」

「あとは、パスカルPさんとしてのパスカルさんを手伝っているぐらい。」

「お兄ちゃん、Pって?」

「プロデューサーの略だよ。」

「えっ、パスカル君、プロデューサーをやってるの?」

「まだラッキーさんには話していませんでしたけど、高校1年生のアイドル志望の子のプロデュースをすることになりました。」

「パスカル君、それ犯罪じゃないんだよね?」

「僕もウォッチしていますが、今のところは大丈夫です。」

「ラッキーさん、その子、アキちゃんと言うんですが、今日は明日夏ちゃんのイベントに来ると言っていましたから、お引き合わせします。是非、推しに加えてください。」

「パスカル君がプロデューサーをやっているなら、もちろんそうするけど。湘南君は何やっているの。」

「コンピュータ関係のお手伝いです。正直言えばこれからで、今はホームページの作成ぐらいです。これから、MIDIデータの作成とかミキシングとかを担当する予定です。ただ、正直言うと、歌のレベルはまだまだとは思います。できれば、その辺を先に何とかした方がいいとは思います。」

「だから、湘南はそういうことを言わないの。」

「湘南君、高校1年生じゃしょうがないよね。」

「でも、中学1年の妹の方が・・・」

「なんだ、湘南、お前シスコンか。」

尚美は話を聞いていて「お兄ちゃんは、もう、また利用されているのか。後でゆっくり話さないと。」と思う。

「その子が来ると言うなら、その話しは会った時にして、湘南君のコールブックは、著作権管理会社のマークが書いてあるから、コールブックの歌詞はちゃんと許可を取ったみたいだね。」

「はい、取りました。ブックというより、チラシみたいですが、あちこちで配っています。」

「まだCDを一枚出しただけだから、それは仕方がないことだよ。これからだんだん厚くなっていくと思う。えーと、これ昨日もらったミサちゃんのファンが作ったコールブックだけど、湘南君のために1冊余計にもらったから参考のために取っておいて。」

「わざわざ、有難うございます。」

誠が、ページをめくりながら言う。

「すごく良くできていますね。」

「ミサちゃんのファンの中にはプロのデザイナーもいるからね。」

「本当に参考になります。」

「ただ、ミサちゃんの所、強いファンのグループの仲が良くなかったりとか、少し変なファンもいて、雰囲気が良くないところもあるけど。」

「そうなんですか。」

パスカルも同意する。

「ミサちゃん、歌もうまいけど、美人でスタイルがすごいから、いろいろ大変かもしれない。でも、事務所が大きいから大丈夫だとは思う。明日夏ちゃんの後に、ラッキーさんとミサちゃんのイベントに行く予定で、湘南を誘うつもりだったんだけど、今日は妹子ちゃんがいるから無理か。」

「はい。そうじゃなくても、MIDIの方の勉強をしたいので。」

「分かった。」

「パスカルさん、ミサさんは美人という話ですが、どんな感じの人なんですか。」

「えーと、こんな感じ。」

パスカルが尚美にタブレットの画像を何枚か見せる。

「うわっホントだ。すごい美人。スタイルもいいし。」

「パスカルさんは、ミサさんのファンでもあるんですか。」

「うん、ラッキーさんほどではないけど、オレも8人ほど推しがいるから。」

「へー。」

「お兄ちゃんは、ミサさんを推さないの?」

「明日夏さんにもっと人気が出るまでは、明日夏さんの応援と、さっき言ったパスカルさんがプロデュースしている高校1年生のアキさんの活動のサポートに集中しようと思っている。」

「そうなんだ。」

「今、店で流れているの、ミサちゃんの曲のイントロだね。」

「ラッキーさん、イントロで分っちゃうんですか。」

「まあね。」

「あー、私も聞いたことがあります、この声。うん、すごく上手かもしれない。カッコいいですね。」

「おー、さすが湘南君の妹だね。分かっている。オタクの素質あるかもしれないね。」

「でも、妹はもっと普通でまともな生活をした方がいいと思います。」

「そんなことないよ。なんかみんな楽しそうだし。だから、お兄ちゃんのやっていることを手伝ってもいいよ。パソコンに詳しくなりそうだし。パソコンを使いこなすことは重要だと思うし。」

「本当に?それなら時間に余裕があるときに、MIDIデータとかイラストレータをいっしょに使ってみる?」

「うん、使ってみたい。」

「じゃあ、やってみようか。でも、嫌になったら、遠慮しないで言ってね。」

「わかった。」

デザートのティラミスが運ばれて来た。

「うん、美味しい。」

「うん、この店、結構おすすめだよ。」

「ラッキーさんは、推しの数だけでなく、行ったことがあるレストランの数すごく多いから、ラッキーさんの行く店は間違いないよ。」

「料理も美味しかったし、パスカルさんの言う通りです。有難うございます。」

このときまでに、尚美の機嫌は持ち直していた。

「じゃあ、そろそろ現場に向かうか。妹子さんの分は3人で割ろう。パスカル、いいよな。」

「無問題。」

「ラッキーさん、パスカルさん、それじゃあ申し訳ないような。」

「気にしない、気にしない。将来、オタク仲間になってくれるかもしれないし。とりあえず、僕がカードで払うから、後で適当にお願い。」

「わかりました。」

 4人は店を出て、お店に向かった。

「湘南君、昨日は抽選が外れたんだって。でも今日の箱は昨日よりだいぶ大きいので、まず大丈夫だと思うよ。」

「はい、だといいのですが。」

店に到着すると、それなりに人が集まっていた。

「ここの箱、180は入るから、これぐらいなら、落ちる人はかなり少ないと思う。」

「そうですね。発表までもう少し。」

「発表を待つ間は、いつもドキドキします。」

「僕はここがダメだったら、歩いてすぐの声優の加奈子ちゃんの現場に行ってからミサちゃんの現場に行くけど、単推しだとそうもいかないからね。」

「はい、僕の場合は他に用事がなければ帰るしかないです。」

その時、横から声がかかる。

「よー、パスカルに湘南、元気だった。」

尚美は「誰、この女、お兄ちゃんに馴れ馴れしい。」と思いながら見ていた。

「おー、アキちゃん、もちろん元気だったよ。今、湘南と歌の収録の準備を進めているからね。」

「こんにちは。はい、元気でした。」

「アキちゃん、こちらの方はラッキーさんと言うんだ。ラッキーさんも、アキちゃんを推してくれるって。」

「ラッキーさん、初めまして。アキと言います。私も推して下さるということで、是非、よろしくお願いします。パスカルも私を紹介してくれて有難うね。」

「おう。」

「でも、ラッキーさんって、SNSで有名なあのラッキーさんですか。」

「有名かどうかは分からないけど、この界隈では、私を知っている人は多いと思うよ。」

「ですよね。では、是非、私の宣伝の方もお願いします。チラシやホームページは湘南が作ってくれる予定ですので。」

「了解。あちこちの現場でアキちゃんのことを宣伝するよ。」

「普段はビートエンジェルスというメイド喫茶で、歌ったり踊ったりのアイドル的な活動しています。是非、そちらにも。」

「えーと、イベントの合間とか時間があったら行ってみるかな。」

「じゃあ、早速来週の日曜日の夕方なんてどうですか。すいているから。場所は秋葉原です。」

「えーと、はい、広島に帰る前に寄ってみるかな。」

「パスカルと湘南も大丈夫?プロデュースの詳細を詰めましょう。」

「日曜の夕方ね、了解。それまでには収録の具体的計画を詰めておくよ。」

「分かりました。それまでには、こちらも詳細を詰めておきます。」

尚美は「もう、お兄ちゃん、人がいいから、また利用されている。利用されているのが見え見えなのに。」と思いながら、尚美は誠の服を引っ張って、誠を少し離れたところに連れていった。

「ちょっと、ちょっと、お兄ちゃん。メイド喫茶なんて行ってたの。」

「ただ、アキさんのプロデュースの作戦会議をしているだけだから。」

「でも、メイドの恰好をした女の人がたくさんいるところなんでしょう。」

「コスプレをしている人もいるけど。あと、アイドルみたいに歌ったり踊ったりしている。」

「そんなところがいいの?」

「アキさんがそこの店員だから。」

「お父さんとお母さんに言うよ。」

「それは勘弁。」

誠に頼まれると、弱い尚美であった。

「まあ、言わないけど。プロデュース活動を一番しているのはパスカルさんのようだし。それじゃあ、親に言わない代わりに活動内容を尚に逐次報告してね。」

「わっ、分かりました。」

誠と尚美がもとの場所に戻った。アキが尋ねる。

「湘南、この子は?」

尚美が睨みつけながら答える。

「湘南妹子、湘南の実の妹です。」

睨まれたアキも「何」と思い、アキも睨み返す。

「いも子?芋みたいだから?」

「小野妹子を知らない?」

「知ってるけど。男だから違うと思った。」

「日本に芋に子って書く人がいるんでしょうか。」

「芋に失礼かもしれないわね。」

「メイド服を着ると服に失礼な方もいらっしゃいますけどね。」

誠はハラハラしながら見ていたが、ラッキーが止めに入る。

「アキちゃん、妹子ちゃんは兄思いなんだよ。それにアイドルになろうという人がそんなことを言っちゃ。」

「わかった。ブラコン妹なのね。でも、湘南は私がアイドルになるのを楽しんで手伝ってくれているから。」

「アキさんの場合、何でもできるうちのお兄ちゃんが手伝っても、アイドルになるのは難しそうですけどね。」

「あなたには一生無理だし、縁のない話だから。」

再度、ラッキーが止めに入る。

「とりあえず、来週日曜日、僕とパスカル君はビートエンジェルスに行くから。MIDIはともかく、僕もコンピュータを使ってホームページやチラシを作って応援するのは得意なんだよ。もう10年以上やってきているし。」

「知っている。ラッキーが応援してくれるなら心強い。」

「うん、僕は応援するから。それで、湘南君は妹さんと良く話し合って。」

「はい、そうします。ここが終わったら、二人で喫茶店にでも行くか。ラッキーさんが教えてくれたんだけど、近くに紅茶の美味しい店があるんだ。」

「うん、お兄ちゃん、ごめん。そうする。有難う。」

パスカルが空気が読めないことを言う。

「そうだ、いいことを思いついた。」

「何、パスカル。」

「アキちゃんと妹子ちゃんの二人のアイドルペアとして活動するのは?」

「はっ、馬鹿じゃないの、パスカル。」「パスカルさん、頭、大丈夫?」

「いいコンビだと思ったんだけど。そうか、同類嫌悪ってやつか。ははははは。」

パスカルがアキに蹴られる。

「もう、パスカルは、黙ってていいよ。それより、プロデューサーはプロデュースの計画をとっとと立てる。」

「痛い。わかったよ。じゃあ湘南、帰ったらMIDIの件、連絡するから。悪いけど、それだけはお願いできる。」

「わかりました。やっておきます。」

「有難う。」

 落ちつくかと思った直後、コッコがやってきた。

「パスカルちゃんに湘南ちゃん、相変わらず仲良が良さそうだな。うへへへへ。」

尚美は「今度は何?」と思いながら様子を見ていた。パスカルがラッキーにコッコを紹介しようとした。

「ラッキーさん、この女性は・・・。」

「コッコちゃん、知ってるよ。コミケでBL漫画を売るのが本業かな。」

「本業は大学生です。」

「そうだったね。でも、イラストがすごい上手なんだ。フラワースタンドのイラストをお願いしたり、逆に漫画の販売を手伝ったりしている。」

「本当にラッキーさん、顔が広いですね。」

「今はパスカルちゃんと湘南ちゃんのBL漫画を描いて、夏のコミケに出す予定。」

「お兄ちゃん、BL漫画って何?」

コッコが尚美に顔を寄せてじっと見てから、湘南に話しかける。

「えーっと、この超可愛い女の子は、もしかして湘南ちゃんの妹さん。」

「はい、そうです。」

アキがコッコに文句を言う。

「超可愛いって、コッコは、それでイラスト描けるんですか。それとも一般人じゃ分からない新しい概念があるんですか、可愛いさについて。」

「そうじゃないよ。見る目がないのは、アキちゃんだよ。普通に超可愛いよ。ところで、お嬢さんお名前は?」

「湘南妹子です。」

「妹子ちゃんか。変わった名前だね。そう、BL漫画のBLは、ボーイズラブの略で、男性同士で、キスをしたり、裸で抱き合ったりする漫画のことだよ。もちろん、ストーリーも工夫するけど。」

「えっ、そっ、そっ、それをお兄ちゃんとパスカルさんで?」

「うん、20年以上生きてきたけど、最高のカップルだと思う。」

尚美は「またお兄ちゃん、変なのに利用されて大丈夫か。でも、その漫画ちょっと見てみたいかな。」と思いながら答える。

「それって、いいんですか。お兄ちゃんはどう思っているの?」

「まあ、コッコさんの妄想の中だけだから、気にしなければ気にならないよ。」

「そう、二人は単なる素材で、ストーリーや話の中でやっていることは完全に妄想。人によっては、芸能人で描いている場合もあるよ。名前とかは少し変えるけど。」

「そっ、そうなんですか。まあ、フィクションだからか。」

「ちょっと、湘南ちゃんとパスカルちゃんを描いたスケッチ、見てみる。」

「はい、チェックのために。」

「じゃあ、男子禁制で。」

コッコがタブレットの画像を変えながら尚美とアキに見せる。

「へー、上手ですね。えっ、えっ、えーーーー。」

「私はもういいわ。こんなの見ていると、二人とまともに話せなくなる。」

「まあ、こんな感じよ、妹子ちゃん。」

「わっ、分かりました。」

「それより、妹子ちゃん、モデルやってくれない?バイト代払うよ。」

誠が即座に断る。

「ダメです。」

「何でだよ。湘南ちゃん。」

「だって、コッコさんだと、スクール水着とか着せて、エロティックな格好をさせるんでしょう。」

「そうだけどさ。BL漫画より、その手のイラストの方が売れるんだよ。楽に稼げる。」

「でもダメです。妹はまだ中学1年生ですし。BLの方は好きに描いて構いませんが、妹はダメです。」

「分かったよ。もう。そんなに真顔で言うなよ。シスコンか。じゃあ、すごいの描いてやるからな。パスカルちゃんが湘南ちゃんを後ろから攻めるやつ。」

「はい、いくらでも描いて下さい。」

「ちょ、ちょ、ちょ、お兄ちゃん、いいの?」

「大丈夫だよ。パスカルさんは?」

「まあ、コッコちゃんにはアキちゃんのイラストでお世話になるので、ダメとは言わない。」

「二人とも理解があって嬉しい。じゃあ、どんどん描いてやるぜ。」

尚美は、心の中でため息をついた。

「コッコちゃん、アキちゃんのイラストの方は?」

「大丈夫、描いている?」

「でも、アキちゃんにも、すごい格好させてスケッチしているの?」

「当たり前だろう。」

「コッコ、それは言わない約束。」

「いや、そのままでは見せないと言っただけだよ。だから、スケッチは本人以外に見せない。顔を変えて販売するよ。」

「えーー。」

「顔を変えたら別人だから。誰が誰だか分からない。」

「でも、アキさんの顔を他の人の体と組み合わせたりもしないんですか。」

「湘南ちゃん、君はつまらないやつだな。そういうことは分かっても聞かないの。」

アキが尋ねる。

「するの。」

「顔はアニメ顔だから基本的には大丈夫だよ。似てると言われても、しらを切れば問題ない。私は、裏切ったりしないから。それは、イラストレータとしての矜持だよ。」

「そうだね。所詮イラストだから、しらを切れば問題ないのね。」

「コッコさん、女の人のスケッチってどんな感じなんですか。」

コッコが尚美にアキのスケッチを見せる。

「こんな感じ。」

尚美がアキを見て言う。

「まあ、はしたない。」

「コッコ、他人には見せないって、イラストレータの矜持だって。今、言ったばかりでしょう。」

「あー、女の子は別でいいじゃん。でもやっぱり、ほら、この当たりの水着の食い込みとか、実際に見ないと分からない。」

「確かに、本物っぽく見えますよね。」

「そうだろう。」

「なんだ、妹子の水着の食い込みを見たいから、超可愛いって言ったんだ。」

「それは違うよ。妹子ちゃんの顔のつくりを見て言っているだけ。」

「コッコさん、そういうところのスケッチって、自分のを見るのでは、不十分なんですか?」

「もちろん自分のも見ているけど、やっぱり体型とか年齢が違うと微妙にちが」

誠が言葉をさえぎる。

「ダメですよ。丸め込もうとしても、妹は。」

「ちっ、アキちゃんと湘南ちゃんは変なところで勘がいいから。」

ラッキーがまとめる。

「まあコッコちゃん、妹子ちゃんは中学生だし、湘南の気持ちは良くわかるよ。」

「分かったわ。ここは一旦諦めるわ、もう。」

「コッコちゃんは、一度食いついたら離れないって感じだね。」

「これだけ可愛い子はなかなかいないからよ。」

「そうなの?いずれにしろ、湘南君の許可を取るように。」

「分かっています。」

尚美は「お兄ちゃん、私のためならガツンと言えるのに、自分のこととなると全然だめ。やっぱり、お兄ちゃんは私が守らないと。」と思った。

 その時、次々に抽選の当落のメールが到着して、周辺からいろんな声が聞こえた。

「おー、当たった。」「当たった。」「くそー、外れた。」

ラッキーがみんなに聞く。

「僕は当たったけど、みんなは、どう当たった?」

「当たった。」「当たったよ。」「当たりー!」「当たりました。」「これは、当たったということだと思います。」

「良かった。ここは全員当たったようだね。僕は19番だけど、みんな何番ぐらいだった。」

「38番」「8番」「50番」「39番」「180番です。」

「ここの会場は横12の縦15ぐらいだから、アキちゃんは最前だね。おめでとう。」

「普段の行いがいいからね。明日夏ちゃんのステージでの振る舞いを勉強しないと。」

「僕は2列目で、パスカル君と湘南君は隣同士で3列目か。」

「湘南、一緒に応援しような。」

「はい、その方がみんなが合わせてくれると思います。良かったです。」

「で、コッコは二人の真後か。」

「いやー、今日はすごいついているよ。二人が隣同士で私がその後ろなんて、神のポジショニングだよ。」

「コッコちゃんの妄想が爆発しそうでやばいよ、これは。」

「うーーん、まあいいか。」

「はい、普通に応援しましょう。コッコさんの妄想は止めようがないです。」

「妹子さんは、キリ番、一番最後かもしれない。」

「大丈夫です。皆さん、前で楽しんできてください。その様子を見るのも楽しいです。残り物には福があるともいいますし。」

「そうだね。こういうところに来たことがないんだったら、普通のライブよりはずうっと近いから、楽しめると思うよ。」

「はい、ラッキーさん、いろいろと有難うございます。」

誠が尚美に話しかける。

「会場は特典会が終わったら出なくてはいけないから、僕は階段の下で一般の人が入れるぎりぎりのところで待っている。」

「分かってるって。それに、尚もスマフォを持っているから大丈夫だよ。」

「電池は?」

「82%ある。」

「僕も83%あるから大丈夫かな。終わったら喫茶店に行こう。」

「うん。楽しみにしている。」

ラッキーが声をかける。

「湘南、そろそろ、コールブックを配らないか?」

「ラッキーさんの言う通りです!もう少しで、忘れるところでした。」

「オイオイ、明日夏TOがそれじゃあ困る。」

「はい、今日は色々なことがありましたもので。」

「そうだったね。でも、これからはライブに集中だ。」

「はい、その通りです。ラッキーさん、さすがです。」

「それじゃあ、僕も配るの手伝うから。アキちゃんは女の子に配ってくれる。」

「分かった。」

「パスカルもお願い。」

「もちろん。」

「押し付けないようにね。協力をお願いする感じで。」

「了解。」「はい、そうね。」「はい。」

誠は「さすがラッキーさんは場数が違う。」と思いながら、持ってきたコールブックを自分を含めて4人で分けて、配布を開始した。

「はい、明日夏ちゃんのコールブック。えっ、これは僕じゃなく、あそこの湘南君がまとめたものだよ。本当に良くできているから、使ってみてよ。うん、良くわからなかったら、今配っている人を見て真似れば大丈夫。」

「これを見て、明日夏ちゃんをみんなで揃って応援しようぜ。」

「明日夏ちゃんの応援の方法をまとめた本なの。よかったら一緒に応援しましょう。分からなくなったら、私を真似てね。」

「明日夏さんの応援の方法をまとめたコールブックです。参考にしてみて下さい。」

4人が力を合わせたため、コールブックの配布は思ったより早く終わった。

「アキさん、ラッキーさん、パスカルさん、有難うございました。」

「湘南君、この手のことなら、いつでも力になるよ。」

「湘南、リリースイベントは今日が最後だから、揃って応援できるといいよな。」

「本当、女の子も結構居て驚いた。応援、頑張ろう。」

尚美は楽しそうな誠をぼんやりと、そして複雑な気持ちで見ていた。

 ミニライブが始まった。明日夏は今回はカバーソングは歌わずに、CDに収録されている3曲を歌った。誠たちが事前にコールブックを配布したこともあって、揃って応援することができた。尚美もそれほど気が進んでいたわけではなかったが、兄が作ったコールブック通りに応援した。ミニライブのパートは盛り上がりを見せて終わり、特典会が始まった。明日夏のサイン入りアナザージャケットを受け取りながら、アキは、『一人ぼっちのモーニングコーヒー』の歌い方について、ラッキーはミサちゃんとの関係について、パスカルは応援の出来について聞いた。特典会で誠の番が来て、明日夏の前に出た。

「今日は、揃って応援できて良かったでした。」

「今日も、辻堂からですか?」

「はいそうです。」

「私も小学2年まで藤沢に住んでて、お正月の辻堂海浜公園からの海が綺麗でした。」

「はい、その通りです。今日は素敵な歌を本当に有難うございました。」

「こちらこそ、有難うございました。」

誠は迷惑をかけてはいけないと思い、話を進めずに去って行った。明日夏の視線は誠を少し追ってから、次の客に向けた。特典会は、少し長めに話す客に対して治が肩を叩くことが何回かあったが、順調に進んでいった。最後の参加者は中学生の女の子のようだった。その女の子が明日夏に質問する。

「歌手の方って、熱心なファンの方をどう思うものですか?」

「有難いと思います。」

「それだけですか?」

「歌で元気をお返しできればと思って、一生懸命練習して歌っています。」

「有難うございました。」

そう言って女の子は帰る方向に進み始めた。明日夏は、サイン入りアナザージャケットを全員に渡し終え、デビューCDのすべてのリリースイベントが終了して、ほっとしながらも、少し寂しい気持ちになっていた。手持ち無沙汰な明日夏はステージの上のものを片づけようとしている久美を手伝おうとする。久美が明日夏に話しかける。

「休んでいていいわよ。今日はあの二人がいたからか、応援に一体感があって、今までで一番会場が盛り上がったわね。」

明日夏は今回最後のイベントが終わり、男性客もいなくなっていて気が緩んだのか余計な言葉が漏れた。

「応援の仕方を考えてくれたり、二人ともすごく良さそうな人そうだけど、もうちょっとイケメンになったら良かったかな。」

尚美にも明日夏の言葉が届いた。それで、「こいつも、お兄ちゃんを利用しているのか。」と思い、昼から鬱積していた思いが爆発した。久美の言葉

「ファンの方にそんな言い・・・。」

を遮るように、部屋の後ろの方から女の子の大きな声が聞こえた。

「何言ってんの、あんた。」

最後のお客で帰ろうとしていた中学生ぐらいの女子が、電光石火のような速さでさっと走り寄って明日夏の前で止まった。久美が女の子を制止しようとする。

「お客様。」

「お兄ちゃんは、お前なんかのために、夜遅くまで準備して、いつも朝早くから来て。」

久美は事情を理解した。

「お客様、この度は本事務所の神田明日夏が。お兄様のことで大変失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。」

「お前に言っていない。偉そうにでしゃばるな。私はこの女に文句を言っているの。何、そのアクセサリー、どうせ元は売れないロックシンガーだったんでしょう。」

「売れないロックシンガー、売れないロックシンガー・・・・」

久美は図星を突かれて心に深手を負ってしまった。逆に、明日夏は敬愛している久美を馬鹿にされたためか切れた。

「そんなことは誰も頼んでいないよ。」

「そんなの、お前がダメ女だからだろう。だから、やさしいお兄ちゃんが心配して世話をやこうとするんだよ。」

「だから、頼んでいないって。何も分かっていないのは、あなたのお兄さん。」

「頼んでいるだろう。応援して下さいって。」

「そういことは頼んでない。」

「じゃあ、何で同じCDを何枚も買わそうとするんだよ。」

「この業界はそういうところなの。あなたのお兄ちゃんも、私の歌を聴いて楽しんだって、すぐに忘れて次の人に行くんでしょう。とりあえず橘さんに謝れ。」

「謝るのそっちが先だろう。人の兄に向かってもっとイケメンだったら良かったって。」

「性格はいいって言ったよ。もっとイケメンになったら良かったって本当の事じゃん。」

「お兄ちゃん、少なくとも、あんたの外見よりはいいよ。」

「じゃあ、もう、もう、・・・来ないでよ!」

明日夏の目には涙が少し滲んていた。騒ぎを聞きつけた悟が控室から来て、明日夏を大声で一喝する。

「明日夏!」

明日夏は驚いて、悟の方を見た。そして、悟の見たこともない怖い顔で事態を理解した。悟は静かに明日夏に話しかけた。

「明日夏、明日夏はもうプロの芸能人なんだから、お客様に失礼なことを言ってはプロ失格だよ。それも、きっかけはこっちが悪かったからなんでしょう。」

「はい。社長、大変申し訳ありません。」

「謝るのは、お客様に向かってだよ。」

尚美に話しかける。

「あの、お客様、明日夏には後できっちりと謝罪させますが、今は少しだけ時間を置いた方がいいと思います。私は神田明日夏が所属する事務所の社長の平田悟と申します。私と少しお話しませんか。私はどんなことでもお客様の話を聞きます。あと、ケーキとお茶もありますので、こちらにお願いできませんでしょうか。」

「分かりました。」

「有難うございます。久美、久美、明日夏をお願いね。」

「うん、任せて。」


 久美が明日夏に話しかける。

「あの二人のどちらかの妹さんだったみたいね。」

「顔は似てはいないけど、たぶん若い方の妹だと思います。」

「もう分かっていると思うけど、ちゃんと謝らないと。」

「はい、もう土下座でも何でもして謝ります。本当に私が不用意なことを言った上に逆切れしてしまって。社長の言う通りプロとして失格です。」

「でも、明日夏が怒るのを初めて見た。明日夏、明日夏はあの子が私のことを言ったから、怒ったんだよね。」

「それがきっかけだったとは思います。」

「今回はこっちが悪かったけれど、そうじゃなくても、私は明日夏側の人間なんだから、例えお客様が悪くても、怒るのは我慢しないと。」

「はい。今回は、あの子に対して怒ったというより、個人的なことで積もっているものがあったんだと思います。これからは気を付けます。」

「不満や不安などあったら相談してね。」

「わかりました。それにしても、あんな怖い顔の社長を見たのは初めてです。」

「私は二度目かな。」

「橘さんでも二度目ですか。社長、いつも優しいですからね。」

「あの時、明日夏を叱ったのも悟の優しだよ。」

「はい、分かっています。」

「悟が上手く収めてくれるとは思うけど。」

「そうだといいです。」

「まあ、ケーキ、取られちゃったけどね。」

「そんなのはどうでも。私が後で買いに行きます。」

「そうね、今回は、そうした方がいいかもね。」

「はい。でも何を話しているんでしょうか。」

「よくわからないけど。静かだし、悟を信用しましょう。」

「はい。」

「あれ、でも、なんかウクレレの音が聞こえてきたわね。」

「それになんか、あの子、歌い出していますよ。」

「そうね。良く聞こえないけど『一人ぼっちのモーニングコーヒー』みたいね。」

「そんな感じですね。橘さん、さすがです。」

「自分の曲でしょうに。」

「そうですが、店の音楽と混ざって。」

「でも、さすが悟ね。実は悟、大学時代はあれで結構もてていたんだよね。」

「そうなんですか。あれで?」

「明日夏、それは酷い。ははははは。」

「あっ、すみません。いま反省したばっかりだったのに。本当にすみません。」

「悟、マメだし、もてる要素も多かったんだけど、本人は気づいていなかったのか、女性には興味がないのかなって感じだった。」

「そうですね。この間、話のついでに、付き合った人がいるのかちょっと聞いてみたんですが、今一つわかりませんでした。もしかすると、男性に興味があるんでしょうか。」

「どうだろう。大学時代のバンドでギターのジュンとは・・・・高校から仲が良かったけれど。」

「もしかして、二人はできていた?」

「それはないと思うけど。でも、そういうことも、私とだけならいいけれど、周りを確認してからじゃないとね。」

「分かりました。今回も妹さんがいるとは思いませんでした。いえ、こういうことは二度と口にしません。」

「いま、悟で二度目をしたばっかりだったけど。」

「うーー、三度としません。うーん、それは無理かもしれないので、考えてから言うことにします。」

「そうね。明日夏もプロの芸能人の端くれにはなったんだから。」

「はい、端くれのさらに端くれかもしれませんが。」

「ヘルツレコードからデビューしたから端くれぐらいは言っていいと思う。端くれの端くれは私かな。あはは。」

「そんなことはないです。周りが見る目がない人ばかりだったからです。」

「ほら、三度目。」

「あー。」

「でも、周りは正しく評価していると思う。やっぱり私に何か問題があるんだと思う。それを解決しないとね。そうしないと、またデビューしても失敗するだけだと思う。」

「分かりました。私にできることならば何でも協力します。言ってください。」

「それにしても、こんなギターのアクセサリーから、私が売れないロック歌手っていきなり分かるって、あの子、頭が切れそうよね。」

「そうかもしれないですが。」

「ああいう頭の切れが必要なのかな。」

「でも、私はあんまり頭が切れないですよ。」

「そうか、頭が切れなくても大丈夫なのか。切れないか、すごく切れるのがいいのかな。」

「橘さん、一度目です。」

「はははは。ごめん。でも、明日夏は私のことはあまり気にしないで、今は明日夏自身のことを頑張って。逆に、それで私も何かがわかるかもしれないし。」

「はい、わかりました。」

 明日夏と久美は雑談を続けていたが、少しして控室の扉が開いた。

「あっ、二人が出てきます。」

「土下座はともかく、あの子にはちゃんと謝りなさい。」

「はい、分かっています。」

女の子が先に部屋から出てきて、明日夏の方にやってきた。表情は穏やかだったので明日夏は少し安心はしたが、やはり緊張はしていた。明日夏前で止まった時、明日夏から声をかけようと思ったが、女の子が先に口を開いた。

「明日夏先輩、先ほどは大きな声で、橘さんと明日夏先輩に失礼なことを言ってしまい、大変申し訳ありませんでした。」

「いえ、そんなことはありません。悪いのは100%私です。先ほどは、お兄さんのことで失礼なことを言ってしまい、その後逆切れしてしまい、本当にごめんなさい。」

「長くいっしょじゃないと、うちの兄の良さはわからないと思います。それより、今日は昼からむしゃくしゃすることが続いて、あそこで爆発してしまいました。悪いのはこちらですから、明日夏先輩は気にしないで下さい。」

「お兄さん、本当に頭が良さそうで、すごくた・・・えっ、明日夏先輩?」

悟が話しかける。

「尚ちゃん、明日夏ちゃん、仲直りできた?」

尚美が答える。

「はい。」

悟が久美に話しかける。

「この前から懸案だったアイドルユニットのリーダーが決まったよ。こちらの岩田尚美さんにお願いすることにした。」

久美と明日夏が驚く。

「はい?」「えっ、えーーー。」


 話しは20分ほど戻る。明日夏と尚美の口げんかの後、悟が尚美を誘って控室に入り、悟が話し始める。

「おいで下さり、大変有難うございます。それでは、こちらにおかけ下さい。」

「有難うございます。」

「こんにちは。先ほども申しましたが、パラダイス興行の代表取締役社長の平田悟と言います。」

悟は名刺を差し出す。

「こんにちは。私は、私立青山女子中学校、1年生の岩田尚美と言います。」

「そうですか、中学校1年生でいらっしゃるんですか。この度は、うちの神田明日夏が岩田さんのお兄さんに失礼なことを言ってしまい、大変申し訳ありませんでした。」

悟が頭を下げる。

「こちらこそ、大きな声を出してしまって、大変申し訳ありませんでした。ただ、兄は神田明日夏さんのために、頑張ってコールブックを作ったりSNSで宣伝していたりするのに、何様のつもりよ、みたいな感じで怒りが爆発してしまいました。」

「はい、お怒りはごもっともと思います。明日夏には後ほどきちんと謝罪させます。ただ、勝手なお願いになるのですが、できればこの件をSNSなどで広めることを止めていただけると嬉しいのですが。」

「はい、そういうことをするつもりはありません。証拠もないですし、第一、兄が一番悲しみます。悲しんだ兄の顔は見たくありません。兄が悲しむというのは、神田さんを恨むということではなく、そういう了見の狭いことをするのが自分の妹だということを悲しむということです。」

「そうですか、立派なお兄さんなんですね。話の途中ですが、どうぞ、このケーキを食べてみて下さい。私が一番美味しいと思うケーキ屋さんのものです。」

「それでは、せっかくですので遠慮なく頂きます。」

「お茶がペット茶しかないのですが、どうぞ。」

「有難うございます。」

尚美がケーキをプラスチックのホークで1口食べる。

「ほんと、美味しい。」

「でしょう。」

社長もケーキを食べ始める。

「社長さんは、美味しいものをたくさん知っていて、女の人を騙したりするというと語弊がありますが、コントロールするのが得意なんですか?」

「ははははは、厳しいですね。コントロールするというよりは、こういう商売をしていますので、ご機嫌取りをするためでしょうか。」

「なるほど。会社には女性の芸能人がたくさん在籍しているのですか。」

「うちの事務所は基本はロックバンドの事務所でしたので、男性の方がだいぶ多いです。」

「じゃあ、ご機嫌を取るのは社外の人なんですね。」

「はい。ロックだけでは経営的に苦しいこともあり、間口を広げようとしています。神田明日夏のアニソン歌手はうちでは初めてです。」

「そうですか。そういえば、社長さんの指は硬そうですから、バンドでギターかなにかやってきたという感じですね。でも、なんとなく正面に出るより、縁の下の力持ちという感じですからベースですか。それで、明日夏さんのマネージャーの方は昔からご存じのような感じで、年齢も同じぐらいのですので、同じバンドのボーカルとかですか。」

「指からですか。名探偵になれそうですね。はい、大学時代はバンドを組んでいて、今のマネージャーの橘久美がボーカル、私がベースです。メンバーはあと3人いましたが、今でも音楽をやっているのは、この2名だけになってしまいました。私も、ベースを弾くことはめったになくなって、このウクレレを弾くぐらいです。」

「それでも演奏するというのは、音楽がお好きなんですね。」

「岩田さんの言う通りで、音楽は楽しい気持ちにしてくれますし、苦しいときや辛いときに、それを和らげてくれます。」

「兄も、明日夏さんのこと、外見が可愛いとかじゃなくて、歌の力がすごい、衝撃を受けたと言っていました。そして、あんなに夢中になれるぐらいの力があるんですよね。私には、脳天気な歌だなとしか思いませんでしたけれど。」

「厳しいですね。でも、あの脳天気さを出せるのは、明日夏ぐらいなんですよ。」

「やはり、プロの歌手は特徴があった方がいいということですね。」

「はい。それでも本当は基礎をもっとやった方がいいとは思います。」

「でも脳天気だから、今一つ練習に身が入らないということでしょうか。」

「ははははは、その通りです。本当に厳しいな。明日夏だけでなく、人が歌うと歌に性格が出ます。歌を聞けばその人の性格がわかります。」

「性格が占えるわけですね。まあ、歌った時の方が話す時より本当の自分が出やすいのは確かと思います。」

「岩田さん、ちょっと歌ってみてもらえますか。」

「私の性格を占うんですか。社長さんの見立てで、どのくらい当たるか、面白そうですね。」

「何を歌います?」

「『一人ぼっちのモーニングコーヒー』でいいですか。兄が好きな歌なので、一人カラオケで練習してみたんです。」

「はい、良くわかっている曲ですので、それでお願いします。」

尚美が歌い終わる。

「どうですか。」

「すごく、真面目な歌い方ですね。明日夏ちゃんとは全然違って、強さもあって。あと、音程は正確ですね。」

「音楽の成績は良い方です。というか、明日夏さんがたまにですが少しずれるので、なんであれでプロの歌手なんだろうと思いました。」

「よくお分かりですね。はい、今も橘といっしょに練習中です。でも、あれでも1年前よりはだいぶ良くなったんですよ。」

「そうですか、1年前の歌はあまり聞きたくないですね。」

「あはははは。」

「歌占いで、あと他にはどんなことがわかります。」

「実は、現在、当社ではアイドルユニットを作ろうとしています。」

「あまり経営を拡大すると、破綻する可能性も増えますよ。」

「はい、ですのでメンバーは慎重に選んでいます。岩田さんはそのリーダーにぴったりと言う感じです。芯があって他のメンバーをよく見ながら、引っ張っていくことができると思います。どうですか、うちのアイドルユニットのリーダーをやってみませんか。」

「プロレベルの歌が歌えるでしょうか。」

「普通のアイドルユニットならば、それほど高いレベルの歌は要求されないのですが、うちのアイドルユニットは人数を3名にするかわりに、それぞれに高いレベルを求めようと思っています。ダンスの切れのある子、響く声の歌の上手い子は見つけたのですが、リーダーが決まっていない状態だったのです。」

「3人ですか。経費節減と、社長さんの性格から考えて、アイドルができない年齢になったときに独り立ちできるようにとの配慮ですか。」

「はい、その通りです。やっぱり、それぞれの道を続けていってほしいと思います。歌の指導に関しては、橘が担当します。」

「マネージャーの方ですか。」

「はい、もともと、CDを出したプロの歌手です。今でも音楽に対して真剣に取り組んでいます。プロの歌手になることもまだ諦めていません。それだけに、少し指導が厳しくなることもありますが、明日夏ちゃんがヘルツレコードからデビューできたのも、久美、いえ橘の指導の力も大きいと思います。」

「語りに熱が入っていますが、お二人は恋人同士ですか。違いますか、秘めた熱さという感じですから、社長さんの片思いでしょうか。」

「いや。」

「なるほど、社長さんの会社はもともと橘さんを歌手として成功させるために設立したのですか。」

「それだけというわけではありませんが。」

「最初はそうだったけれど、若い人を育てるうちに、だんだん社長さんや橘さんの気持ちも変わってきたんですね。」

「いや、うん。尚美さんの分析は、僕の歌占いより正確ですね。」

「このことは、誰にも話しませんから大丈夫です。」

「そうしてくれると有難いです。」

「そうだとすると、社長さんにも謝らないといけないです。先ほどは、橘さんにも大変失礼なことを言ってしまい、本当に申し訳ありませんでした。」

「それは構いません。橘も自分が謝るより最初に明日夏に謝らせるべきでした。こちらこそ、大変申し訳ないと思っています。それに残念なことに、岩田さんが言ったことは当たっていますしね。」

「あの、アイドルユニットの件、ここで少しだけ考えさせてもらってよろしいですか。」

「はい、いくらでもお待ちします。」

尚美は少し考えて決定した。

「分かりました。社長が橘さんを成功させるために私を利用することはそれで構いません。社長さん、悪い人というわけではないというか、どちらかというと、いい人なことも良くわかりました。私も、ギブアンドテイクでこの会社を利用させて頂きます。」

「有難うございます。できることならば協力しますので、何でも言って下さい。」

「有難うございます。それで、そのユニットのリーダーになるためには、オーディションを受けるんですか。」

「今のがオーディションで、もう合格しています。」

「でも、橘さんに相談しなくて、大丈夫ですか?」

「今回はアイドルユニットで、ロックシンガーではないですから大丈夫と思います。」

「分かりました。私も両親の許可が必要ですが、何とか説得できると思います。」

「そうですか、それは心強いです。」

「それでは、橘さんと神田明日夏さん、えーと、明日夏先輩かな、に挨拶してきます。」

「岩田さん。申し訳ないのですが・・・」

「社長、もうお世話になることになりましたので、岩田、尚、尚美で構いません。必要なことならば、社員として命じて下さい。とりえあず、明日夏先輩と仲直りしてきます。」

「じゃあ、尚ちゃん、お願いね。」

「はい、やってみます。」


 誠は会場のすぐ外でやきもきしながら尚美を待っていた。

「もう、会場からお客さんが出てこなくなってから20分ぐらい近く経つけど、尚、どうしたんだろう。大丈夫かな。」

お客さんが降りてくる階段の上の方を見てみる。

「20分ぐらい前に、尚の大きな声が聞こえたような気がしたけど、周りにはたくさんの人がいるから違うかもしれないし。会場とはだいぶ離れているから、聞こえるとも思えないし。」

また、スマフォも繰り返しチェックしてみていた。

「スマフォを見ても、尚から連絡が入った様子はないし。会場には非常口がもう一つの出入口としてあるだろうけど、それを使う事態になったら、店が騒がしくなるだろうし。」

それからちょっとして、スマフォが振動した。誠が見てみると、尚美からSNSで連絡が入っていた。

尚美:待たせてごめん。いま行く

誠:わかった。店の下で待っている

尚美:パラダイス興行の社長さんもいっしょ

誠はホッとしたが、社長が一緒に来る意味を考えていた。少しして、尚美と30歳手前の男性が階段を降りてきた。

「お兄ちゃん、この方はパラダイス興行の社長で、平田悟さんと言う方です。」

「初めまして、私は尚美の兄で、岩田誠といいます。尚美についてなにかありましたでしょうか。」

「初めまして、平田です。尚美さんのことでお話したいことがあります。この店の応接室をお借りしましたので、応接室までお越し願えないでしょうか。」

「はい、分かりました。」

尚美が黙っているので、誠は緊張しながら応接室に行った。応接室に到着すると悟が誠に話しかける。

「うちの応接室じゃないですが、まずはお掛けください。」

「はい。」

平田が誠に名刺を渡す。

「いつも、うちの神田明日夏を応援して下さり有難うございます。ただ、今回お呼びしたのは、そのこととは全く関係がないことです。現在、パラダイス興行でアイドルユニットをプロデュースしようとしています。」

「はい、ホームページで見ました。応募した知り合いもいます。」

「そうですか、それは話が早い。そのアイドルユニットのリーダーとして、妹さんの岩田尚美さんをスカウトしたいということです。」

「・・・・・」

「突然のことで驚かれたと思いますが、尚美さんにはその力があると思っています。」

誠は尚美の方を見て尋ねる。

「尚、尚はやりたいの?」

「うん、やってみたい。」

「本当に?」

「本当だよ。」

「わかりました、それならば、パラダイス興行は小さいながらもちゃんとした音楽事務所ですし、僕から言うことはありません。」

「有難うございます。」

「お兄ちゃん、お父さんとお母さんの説得が必要になったら手伝って。」

「わかった。全力で協力する。」

「有難う。」

「妹は引き受けた以上は、きちんと最後までやり抜くと思いますが、この業界に詳しいわけではないので、よろしくご指導をお願いします。」

「どうも有難うございます。パラダイス興行としても、尚美さんの音楽やアイドルに関する教育とプロデュースに関して責任をもって取り組んでいこうと思います。質問や意見などがありましたら、いつでも平田まで連絡して下さい。」

「はい、分かりました。」

話が終わると、平田は明日夏、久美、治が揃っているバンに向かい、誠と尚美は、親への説得方法を相談しながら、喫茶店には寄らずに渋谷駅から家に向かった。

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