第3話 オーディション

 話は約1年前の3月初旬、明日夏がパラダイス興行に所属する前に戻る。場所は、アニソンコンテストの東京地区予選会場である。地区大会での優勝者と準優勝者が全国大会に駒を進めることができる。この予選に高校も卒業式を残すばかりになった明日夏とミサが出場していた。会場の観客席には、久美と悟の姿もあった。久美はアニソン歌手のプロデュースがお金になりそうだからと、アニソン歌手をスカウトしようとしている悟に少し不満を抱いていた。第2部までが終わり休憩時間になった。

「なんか、みんな今一よね。歌にソウルもパンチも足りない。」

「ロックじゃないんだから。アニソンはアニメの世界観の再現が重要なんだよ。」

「それはそうだけど。みんな若いから、世界観の表現なんてむずかしいんじゃ。」

「その素質を見抜くのが僕たちの役割じゃないかな。」

「でも、うちはロックバンドの事務所じゃないの?」

「そうだけど、今のロックバンドだけじゃ、やっぱり事務所の経営が苦しいんだ。どうにかして立て直さないと。」

「そうか、私が昔大きな赤字を作っちゃったから・・・」

「それは気にしなくてもいいよ。何年も前だし、久美は頑張った。歌も良かったよ。」

「そう言ってもらえるのは嬉しいけれど。」

「それより素質のある歌手がいないか探そう。歌の指導は久美に任せるよ。」

「私にアニソンの指導ができるかな。」

「苦労性の久美ならできる。」

「それを言うなら努力家でしょう。最近、アニソンを聴いているけど、本当にバリエーションが豊富で、音楽は広いなって勉強にはなったけど。」

「さすが苦労性。」

「もう。」

「でも久美の言う通り、今までの出場者に、スカウトしたい歌手はいなかった。」

「うちの場合、スカウトしても来てくれるかどうか分からないけれどもね。」

「それは言わない。」

「そうね。」

「さて、もうすぐ第3部が始まる。現在のうまい下手じゃなくて素質を見るんだよ。」

「わかった。」


 出場者は出場するそれぞれの部ごとに控室として楽屋が割り当てられていた。第3部に出場する歌手は1つの楽屋で化粧や発声練習などの準備をしていた。明日夏が化粧を終わって隣の出場者を見ると同じく化粧が終わっていたため、声をかけてみた。

「こんにちは、私は神田明日夏と言います。」

隣の出場者は明日夏の方を向いて、短く答えた。

「何?」

「今日はお互い頑張りましょう。」

「・・・・・」

「どんなアニメが好きなんですか?私は子供のころ、プリキュアを見て、その主題歌に感動して、絶対にアニソン歌手になりたいって思ったんだけど、今は、イケメン男性キャラが出るアニメが一番です。」

「あのっ、集中したいので、話しかけないでもらえますか。」

「あっ、ごめんなさい。」

明日夏は一度前を向いたが、改めて少し横を向いて隣の出場者を覗き込んでみた。

「うわっ、本当に美人。それに可愛いし。えっ、ちょっと待って、スタイルもすごい。」

前の鏡を見て少しため息をついた。

「えー、差がありすぎ。何を食べたらあんなになれるんだろう。ちょっと聞いてみようかな。」

また、少し横を向いた。

「集中している顔が、すごく綺麗。うーん、声かけるのは終わってからにしようか。私も集中しなくちゃ。でも集中して何するんだろう。それも後で聞いてみようかな。」

手持ち無沙汰な明日夏はスマフォで漫画を見始めた。

「あはははは、魚肉ソーセージ、魚肉ソーセージだって。なにこれ。」

横の出場者が明日夏を見て言う。

「あなたは、もっと真剣になれないの。私はこの大会にかけているの、邪魔しないで。」

そう言って、遠くの方の空いている席へ行ってしまった。明日夏はその背中に向けて謝罪した。

「ごめんなさい。本当ごめんなさい。」

楽屋の全員が明日夏を見ていた。明日夏がポツリと言う。

「私だって、お正月の公園でプロの歌手になるって決心して、この大会にかけているんだけど。」


 第3部が始まり、出場者が順番に楽屋から舞台袖に呼ばれ、その後に舞台に呼ばれた。舞台の様子は控室のモニターの画面に表示されていた。控室のモニターから音は出ていなかったが、客席のためのスピーカからの音が少し聞こえていた。明日夏はぼんやりモニターを見ていた。先ほどまで明日夏の隣にいた出場者は、イヤフォンを装着して自分のことに集中していた。細かい歌い方や、手振り身振りを復習しているようだった。やがて明日夏が呼ばれた。

「25番の出場者の方」

明日夏は大きな声で返事をした。

「はい、25番、神田明日夏です。」

「神田さん、はい、それではついてきてください。」

「有難うございます。」

係員についていき、舞台袖で待機した。そのすぐ後に24番の出場者がステージの上に呼ばれた。明日夏が声をかける。

「24番さん、平常心!」

24番の出場者は驚いて明日夏を見たが、少し微笑んでステージに向かった。24番の出場者の自由曲の歌が半分を過ぎたころ、控室で隣に座っていた出場者が舞台袖に少し緊張した面持ちでやってきた。明日夏が声をかける。

「26番さん、平常心!」

「黙ってて!魚肉ソーセージ。」

「魚肉、魚肉ソーセージって。それは26番さんほどスタイルは良くないけど。」

「それは、さっきあなたが自分で言ったんでしょう、大笑いしながら。」

「そうでした。だって、魚肉ソーセージが武器になるなんて意外でしょう。」

「今はそんな話をしたくないから黙っていて下さい。」

「はい。」

明日夏を係員が呼び出す。

「25番、神田明日夏さん、ステージへ。」

「じゃあ、行ってきます。26番さんも平常心!」

26番がそっけなく答えた。

「はい、がんばって。」


 明日夏はマイクを持ってステージに上がり中央に向かった。スポットライトが眩しかった。

「25番、神田明日夏、課題曲は『残酷な天使のテーゼ』、自由曲は『君色シグナル』です。」

あたりを見回した。まだ予選のため、会場には審査員と関係者以外の観客は少なかった。ほとんどの審査員は、書類の方に目を向けていて、明日夏を見ているものは少なかった。ただ、動画が生放送で配信されているため、そのための大きなテレビカメラが何台か設置されているのが印象的だった。イントロが流れ始め、明日夏はカラオケに併せて全力で歌った。課題曲と自由曲を歌い終わると、審査員の方をそっと見てみた。審査員の様子は変わっていなかった。

「有難うございました。」

明日夏はそう言って、舞台袖に退いた。すぐに、26番の出場者が中央に出てきた。

「26番、大河内ミサ、課題曲は『残酷な天使のテーゼ』、自由曲は『Don’t say lazy』です。」

舞台袖に残っていた明日夏が、ミサの様子を見ていると係員から声がかかった。

「25番、神田さん、楽屋に戻ってくださいね。」

「大河内さんのパフォーマンスがすごくて、ちょっと見ていたくて。」

「そうだね。彼女、この数年でピカ一だものね。」

「係員さん、この大会の係員、長くやっているんですか?」

「第1回からやっているよ。この大会の顔みたいなもんだ。」

「すごいですね。彼女の歌、ぐっと心に刺さります。」

「うん、彼女は全国で1位になれると思う。」

「ですよねー。ちなみに、私はどうでした。」

「歌は素人としか。」

「そうかー、ですよね。あれを見ちゃうと。」

「というより、平均にも行っていない感じだったけど。」

「そっ、そうですか。来年は大河内さんは出ないだろうから、来年までにもっと練習して全国大会を目指します。」

「うーん、来年も今年と同じだとデモテープで通らないからね。」

「わかりました。ご忠告、有難うございます。肝に命じてがんばります。さっきも、控室でスマフォで漫画を見ていて、魚肉ソーセージが武器になったもんで大笑いしていたら、大河内さんにしかられちゃったんですよ。もっと真剣にやりなさい、この魚肉ソーセージがって。」

「大河内さんの言う通りだね。しかし、この大会の控室で漫画を見て大笑いできるというのも、数年に一度の逸材かもしれない。」

「そうですか。有難うございます。」

「いや、誉めてない。」

「私も魚肉ソーセージほど寸胴じゃないと思うんですけど、でも、見て下さいよ、あのスタイル。どうやったら、あんなスタイルになれるんでしょう。」

「魚肉ソーセージをたくさん食べたからじゃないことは確かだね。」

「うまいですね。係員さん、コメディアンになれますよ。」

「それはそっちだな。アニソン歌手よりアニメネタのコメディアンの方が向いていそうだ。」

「歌って踊れるアニネタ漫才師ですか。考えておきます。」

「いや、考えなくてもいい。」

「あっ、課題曲が終わった。最後まで完璧でしたね。」

「うん、君の言う通り。気持ちよく聞けた。」

「あっ、Don’t say lazyが始まった。」

「いや、君ね、もうそろそろ楽屋に戻った方が。」

「気持ちよく聞けたって、私の時はどうでした。」

「君の時?最初の曲を聴いた時は、どうしてこれでデモテープが通ったんだろうって感じだった。」

「そんなにひどかったですか?」

「課題曲、僕の好きな曲だし。やっぱり残酷ってイメージが無理なのかも。面白い天然のテーゼだったら行けたも。」

「なんですか。面白い天然のテーゼ、少女よ記念物になーれ、ですか。」

「反応がいいね。本当に漫才師になれるかも。」

「来年は二人で組んで出場しますか?歌って踊れるアニネタ漫才。自由曲は漫才で。」

「あはははは。それは前代未聞だね。」

「係員さんは、歌は上手なんですか?」

「歌は無理だな。ヴァイオリンが少し弾けるけど、所詮素人レベルだ。」

「ヴァイオリンですか。音楽が好きなんですね。」

「ああ君の言う通りだ。そうそう、残酷な天使のテーゼは今二つだったけど、君色シグナルの方はまあまあだったな。雰囲気は出ていたよ。」

「有難うございます。大河内さんのDon’t say lazy、全部がカッコいいなー。」

「うん、オリジナルの振りも完璧だね。」

「ですよね。やっぱり、大河内さんにDon’t be lazyと言われてもしょうがないか。」

「君、やっぱりコメディアンの方が向いているじゃないか。」

「いやいや。来年にはイベリコ豚肉のソーセージ級の歌手にはなって見せます。」

「期待しているよ。」

「脚長っ。日本人とは思えない。」

「彼女、クォータみたいだから。」

「クォータ?」

「おじいさんがアメリカ人のようだよ。」

「詳しいですね。」

「パンフレットの自己紹介に書いてある。」

「どれどれ、本当ですね。げっ、年齢がいっしょ。でも、クォータってチートだったんですね。」

「チートって。」

「いい意味で使ったんです。差別じゃなくて。」

「しかし、それでも君がプロの歌手になりたいなら、人に対してそういう表現は使ってはいけないよ。」

「分かりました。肝に命じます。うわっ、顔の表情もいいですね。可愛いし、セクシーだし。あれも考えてやっているんでしょうか。」

「そうだと思うよ。プロを目指していると思うから。」

「計画通りってやつですね。」

「ははは、そうかもね。大河内さんに狙われたらノートに書かれるのと同じで、いちころかな。」

「二人とも眼中にないから、名前も顔を思い出せなくて大丈夫だと思います。」

「ひどいな。」

「それが現実です。」

「確かに。」

「大河内さんに邪魔するなって叱られたんですけど、本当に最後まで細かいところまで復習していたんですね。私は行き当たりばったりだから。でも、私が計画しても元が違うから無駄かな。」

「そうでもないと思うよ。がんばれば。」

「そうか、ライト、月にはかなわなくても、すっぽんなりに可愛い表情ができるかもしれませんもんね。がんばります。」

苦笑しながら答える。

「まあ、そうだね。」

「最後のサビ、すごいな。大河内さん、さっきは怖い人かと思ったんですけど、本当に真剣なだけなんですね。」

「歌を聴いてそう思うのかい。」

「はい、パフォーマンス全体を見てそう思いました。また大笑いして大河内さんの邪魔をしたら、かなり恨まれそうです。」

「それは気をつけなくちゃね。」

「あっ、歌が終わりました。もう行かなくっちゃ。それでは係員さん、来年またよろしくお願いします。」

「はい、じゃあ、また来年。」


 明日夏が控室に戻った。さすがに漫画を読む気にはなれなかった。それで、モニターで他の演者のパフォーマンスを漫然と見ていた。少しして、ミサが戻ってきて、もともとのミサの隣の席に座った。明日夏がミサに話しかける。」

「お疲れ様。大河内さんのパフォーマンス、残酷な天使のテーゼもDon’t say lazyも両方ともカッコよくて凄かったでした。」

「見てたの?」

「はい、舞台袖で。」

「係の人に、楽屋に戻るように言われなかったの。」

「言われましたが、係員さんと話しているうちに。大河内さんの歌が終わっていました。」

「そうなんだ。」

「私の残酷な天使のテーゼは、面白い天然のテーゼだと言われちゃいましたが。」

「係員さんの言う通りだと思う。残酷な天使のテーゼって感じではなかった。本当は、ここはあなたみたいな素人が来るところじゃないはずなんだけど。」

「はい、実力の差を本当に実感できて勉強になりました。有難うございます。大河内さん、歌も振り付けも本当にすごいです。それでも、歌だけは大河内さんに少しでも近づけるようにがんばります。」

「そっ、そう。真剣にやる気なら、絶対にプロのトレーナーの指導を受けた方がいいわよ。まだ基礎ができていないようだから。」

「歌でトレーナーですか。ストレッチとかするんですか。」

「何言ってるの?歌について少しは勉強した方がいいわ。ボイストレーニングで検索すれば出てくるから。あなた人懐こい独特の雰囲気をしているし、すごく可愛い外見も武器になるから、歌がもう少し良くなれば、プロとしてやっていけるかもしれないわね。私なんかあなたみたいに可愛くないから歌だけで勝負しなくてはいけないのに、今日、全力で歌ったけど、やっぱり全然だった。もっと頑張らないと。」

「いやいや、ご謙遜を。」

「あなたも、もっと練習して、違いが分かるようになれば分かると思う。うん、プロの歌手の世界はそんなに甘くないわよ。」

「・・・・」

「あと、ごめんなさい、私は連絡しなくてはいけないところがあるから。それじゃあ、あなたも頑張って。」

「はい、大河内さんも。全国大会でもすごいパフォーマンスを見せて下さい。」

「まだ出場も決まっていないけど、もちろん、そのつもり。」

ミサはタブレットに向かい始めた。

「私がすごく可愛いって嫌味かな。すごく真面目そうだけど悪い人には見えないし、いわゆる大人の社交辞令ってやつかも。うーん、やっぱり歌に関しては、大河内さんの言う通り、プロの指導を受けてもっと練習しないと。バイト、少し減らそうかな。」


 全員が歌い終わり、出場者が舞台に並んだ。プレゼンターが準優勝者の名前を読み上げた。準優勝者も全国大会に進めるので、喜んでいることがわかった。プレゼンターが優勝者を読み上げる。

「それでは、本年度のアニソンコンテスト、東京地区予選、優勝者の発表です。」

小刻みなドラムの音が鳴る。

「26番、大河内ミサさん。優勝です。おめでとうございます。どうぞこちらへ。」

優勝トロフィーが渡され、優勝者の言が求められた。

「私の歌を高く評価して頂き、大変ありがとうございます。歌手になるという私の夢に一歩近づくことができて、とても嬉しいです。私は小さいころ塞ぎ込んでいました。そんな私に歌が力をくれて、歌手になりたいという夢も与えてくれました。これからも、私の歌を聴いて頂ける方に少しでもお返しができるように精進していきたいと思います。今日は本当にありがとうございました。」

 出場者は控室に戻り、帰宅の準備を始めた。少し遅れて戻ってきたミサに明日夏が声をかけた。

「大河内さん、優勝おめでとうございます。」

ミサも地区大会で優勝は確実ではあったが、この時ばかりは嬉しそうだった。

「有難う。」

「全国大会の活躍、配信で見ます。私をここで蹴落とした以上、絶対に優勝してくださいね。」

「そのつもりです。あなたの思いを受け取って頑張ります。」

「ところで、何を食べるとそんなスタイルになれるんですか。」

「はい?」

「大河内さんは理想的なスタイルをしてますが、何を食べているのかなって思って。」

「魚肉ソーセージです。」

「本当ですか?」

「うーん、でも、基本的にお魚が多いです。」

「なるほど、健康第一ということですね。有難うございます。」

「それじゃあ、またどこかでお会いしましょう。」

「はい、どこかで会える日を楽しみにしています。」


 全国大会に出場はできなかったが、それでも明日夏は自分が凄いと思える大河内と話すことができて、可愛いと言われたこともあって、実は少し上機嫌だった。明日夏が鼻歌交じりでまとめた荷物を持って通用口から出た。ミサが大人の人に連れ添われて車に乗るのが見えた。

「全国大会、頑張って。」

明日夏はミサの背中に向けて念じた。駅の方に向かおうとすると、大人の男女が立っていて、女性の方から話しかけてきた。

「こんにちは、パラダイス興行の橘久美と言います。会場であなたを見ました。単刀直入に言います。うちの事務所で働いてみませんか。」

明日夏は戸惑った。そして答える。

「私、無理です。男の人と付き合ったこともないし。」

「はい?」

「これって、いわゆるアダルトの事務所の勧誘ですよね。パラダイス興行って、パーラパラパラ・パラダイス、パーラパラパラ・パラダイスのあれですよね。」

悟が大笑いする。

「久美がアダルトの仕事のスカウターに見えるって。そう言われれば、事務所の名前も怪しいし、僕も怪しく見えないこともないか。あははは。」

「もう、悟、笑わないで。だいたい事務所の名前は悟がつけたんじゃない。」

「ごめん、ごめん。」

久美が明日夏の方を向いて説明する。

「ごめんなさい。パラダイス興行はもともとロックバンドの音楽事務所なんだけれど、アニソン歌手のプロデュースを始めようと、この会場に来て、歌を聴いて、神田さんがいいんじゃないかということになったの。」

悟がタブレットを使って明日夏に事務所のホームページを見せる。

「これがうちのホームページ。」

「音楽事務所なんですか。なんか服がトゲトゲして怖そうな人ばっかりですね。」

「それはパンクロックの衣装だからで、バイトしているときなんかは普通の人だよ。」

「そうですか。私に目を付けてもらったことは嬉しいです。でも、優勝者の大河内ミサさんの方が全然歌が上手で、振り付けも完璧で、美人でスタイルも良くて。私なんかじゃ無理と思います。今日、本当に思い知らされました。スカウトするなら、私じゃなく大河内ミサさんがいいと思います。」

「アニソン歌手の道は諦めるの?」

「いえ諦めません。歌手になるのは子供のころからの夢ですし、今でもカラオケや公園で歌ったりしています。公園で歌うとみんな離れていったりしますけど。今は、プロのトレーナーの指導を受けながら、歌だけでもレベルアップしようと思っています。でも、それにはまだ時間がかかりそうで。」

「だったら、この久美が指導するから、うちに所属するといいよ。それに大河内ミサさんは全国大会でも優勝が確実だと思うし、たぶんもっと大手の事務所と契約するか、既に契約していると思う。」

「なるほど。それで私と言うわけですか。」

「うちに所属すれば、少なくとも、歌のレベルアップにお金がかからない。」

「えっ、事務所で歌のトレーニングをしてもらえるんですか。」

「もちろん。ただし専属契約をしてもらうことになるけれど。」

「専属契約って、僕と契約してアニソン歌手になってよっていうやつですか。」

「そんな怪しいものじゃないけど。君、魔法少女アニメの見すぎだよ。」

「アニソン歌手を目指すぐらいだから、アニメは大好きです。」

「そうですか。それは分かります。専属契約と言うのは基本的には神田さんの芸能活動は全てうちを通して行うということを意味していて、その際にうちが契約先から手数料を受領するということです。」

「エントロピーじゃなくて。」

「そう、エントロピーじゃなくてお金。」

「なるほど。じゃあ安心か。」

「何が安心なんだかわからないけど、少なくても、神田さんがうちにお金を払うことは一切ないから。」

「えっ、じゃあやっぱり私からエントロピーを。」

「だから、エントロピーはいらない。欲しくない。だいたい、エントロピーは自然に増加するんだから、必要なのは負のエントロピー。」

「えっ。」

「いや違う。」

久美が割って入る。

「話がややこしくなるから、私が説明する。」

「ごめん、頼む。」

久美が明日夏に説明する。

「ごめんなさい、ここにいるのがパラダイス興行の社長の平田悟。」

「えー、社長さんなんですか。でも魔法少女のアニメ、詳しいんですね。」

「まあ、暇があるときに見ているから。」

「何、悟、新人発掘で徹夜で動画を見ていると言っているけど、アニメを見てたの?」

「だから、息抜きに。」

「それで急にアニソン歌手をプロデュースしようと言い出したわけ。」

「うーん、それが全くないと言えばうそになる。久美、それより話を戻そう。」

「そうね。神田さん、神田さんはうちが取ってきた契約に従って芸能活動をするだけ。事務所の中に小さいけれど練習室があるから、歌のトレーニングはそこでします。」

「橘さんがですか。」

不安そうな顔をしている明日夏を見て、悟が提案をする。

「そうだ、時間があるならカラオケに行きませんか?おごりますよ。久美の歌を聴けば単なるスカウターじゃないことはわかると思うし、神田さんの歌ももう少し聴きたいし。」

「橘さんの歌を是非聞いてみたいですので、カラオケに行きたいです。それに、社長さん、少し話して、とても信用できそうな方と思いました。」

「有難う。」

久美が笑いながら言う。

「何だ、さっきは悟が試されていたのね。」

「そうみたいだね。若い女の子だからそれでいいと思うけど。それじゃあ行きましょう。」

 3人はカラオケボックスに向かった。部屋に案内されたところで、悟が切り出す。

「さて、どうしようか。」

明日夏が答える。

「まずは、私が前座で3曲歌います。その後、橘さんにお願いするということで。」

「わかったそうしよう。」

「それじゃあ、十八番の3曲、神田明日夏行きます。」

明日夏が、『交わした約束』、『恋愛サーキュレーション』、『アイヲウタエ』を歌った。歌っている途中、悟が久美に話しかける。

「楽しそうに歌うね。」

「ホント。」

歌が終わった。

「どうでした。」

「まあまあかな。」

「でも、もうちょっと、基礎をちゃんとした方がいいわね。」

「はい、それは痛感しています。それで橘さん何を歌います。入力します。」

「そうね、『残酷な天使のテーゼ』と『Don’t say lazy』を歌おうかな。」

「えっ、さっき大河内ミサさんの歌を聴いて感動したばかりなんですが。」

「まあ、聴いていて。」

明日夏は、久美の歌を手拍子を取りながら聴いていて。久美が歌が終わって明日夏が驚いて言う。

「もう、感動とか通り越して聞き入ってしまいました。ミサさんが自分はまだまだって言っていた理由がわかりました。上には上がいるもんなんですね。」

「有難う。」

「分かりました、私は是非、専属契約したいと思います。でも、ダメとは言わないと思いますが、一応両親には相談しないといけないです。」

「神田さん有難う。はい、保護者の方の了解が必要なことは分かっています。久美と二人で神田さんのお宅に説明に伺います。」

「私のオタク?えーと、私のオタクは戦闘系の漫画で、イケメン男性が出てくるアニメが好きです。あと、缶バッジを集めて痛バッグを作るのも趣味です。今、はまっているアニメは、南十字星の剣です。」

「僕のオタクは、魔法少女系かな。フィギュアを集めるのが趣味ですって、そのオタクじゃなくて、神田さんのご自宅のことです。」

「話を合わせてもらってありがとうございます。ただ、両親とも家はここから遠くですし、今、父は海の上だと思います。ですから、父から事務所の方に電話を入れるようにしますので、それでよろしいでしょうか。」

悟は明日夏のお父さんは船乗りなのかなと思いながら答える。

「はい、もちろんそれで構いません。」

「話がまとまって良かったわ。」

「私も嬉しいです。じゃあ、カラオケ、次は社長さんの番ですね。」

「えっ、僕はいいよ。」

「そんなことを言っていると、契約しませんよ。」

悟が苦笑しながら答える。

「分かったよ。久しぶりに歌うよ。本当は、神田さんがそんなことが言える立場ではないとは思うけど。」

「えっ、悟が歌うの?もしかすると悟の歌聴くの初めてかもしれない。」

「あのね、普通、久美の前じゃ歌えないよ。」

明日夏が言う。

「それは分かります。でも気にすることはありません。橘さんは本当にプロの歌手ですから、かなわなくて当たり前です。私と比べて下さい。」

「まあ、明日夏ちゃんよりは上手かな。」

「言ってくれますね。イントロが始まりました。それでは、社長さんが山あり谷ありの経営を乗り越えて歌います。どうぞ。」

「事務所の経営、山より谷の方が多いけれど。では、皆さん、手拍子をお願いします。」


 3人がカラオケを2時間ぐらい楽しんだ後、悟が切り出す。

「2時間ぐらいになるので、今日はこれぐらいにしましょうか。」

「はい、了解です。社長さん、歌もなかなかでした。ロックから魔法少女の主題歌まで。」

「いっそのこと、悟もデビューしたら。」

「二人で社長をからかわない。明日夏ちゃんの色々な声が聴けて良かった。うん、行けそうな感じする。」

「ほんと、周りが明るくなるというか、楽しくなるというか。」

「いえいえ、橘さん、最後まで、パワー、テクニック、表現、安定感ともにすごくて、道は長いと思いました。」

「契約はともかく、時間があったら明日から来て、善は急げというし。」

「はい、分かりました。」

「びしびし行くわよ。」

「覚悟の上です。」

悟が尋ねる。

「明日夏ちゃん、感がよさそうだから聞くけど、久美の歌に欠点があるとすると何だと思う。」

「歌自体には、欠点はないと思います。自信をもって歌っていて、プロという感じです。でもなんか、表情も暗めで、負のオーラーを帯びているというか、背中にすごく重いものをしょっているというか、もう少し楽しい雰囲気を出せるといいと、ちょっと思ったのですが。」

「久美、厳しいけど、当たっていると思うよ。」

「そうね。」

「でも、歌のトレーナーとしては完璧とは思います。」

「そっか。」

「一応、久美も歌手を諦めているわけではなくて、再デビューを狙っているんだよ。」

「そうですよね。トレーナーだけではもったいないと思います。手伝えることがあれば、荷物運びでも何でもやりますので言って下さい。」

「明日夏ちゃんは、うちがメインでプッシュしていくので、自分を売り出すことに集中すればいい。でも、何でもやろうという気持ちは大切だよ。」

「任せて下さい。このカラオケで、頑張ろうという気になりました。」

「頼もしいな。じゃあ、行こうか。」

「はい。」

 3人はカラオケ店から出て、明日夏は自分の家に向かった。明日夏は2人が見えなくなるまで、手を振っていた。

「やっぱり若い子はいいわね。元気になる。」

「若さだけじゃなくて、あの子の性格だろうね。周りを明るくする。」

「そうね。将来有望っていう感じがする。私も頑張らないと。」

「僕も、明日夏ちゃんの売り込み、頑張るよ。」

「私も頑張るわ。」


 高校3年は3月になると卒業式を迎えるだけで、授業はなくなっていた。明日夏は受験する予定がなかったため、翌日からアルバイトがないときに、ボイストレーニングのため週3回ほどパラダイス興行の事務所に通うようになっていた。

「社長さん、橘さん、お早うございます。」

「明日夏ちゃん、お早う。」

「お早う、明日夏。それじゃあ、練習しちゃおうか。今日もまずは腹式呼吸から。」

「あのハゼみたいなって、声を出すやつですね。」

「ハゼみたいかどうか分からないけど、うつぶせになって声を出すやつ。」

「分かりました。ハゼの気持ちになってやります。」

「とりあえず、練習室に行こう。」

「1時間後ぐらいにバンドが曲を制作するために来るから。それまでみっちりやるわよ。」

「分かりました。」

 明日夏と久美のトレーニングが終わり、部屋から出てきた。

「明日夏、家での復習、しっかりやるのよ。音程はだいぶ安定してきたけれど、基本的な声がプロの歌手って感じになっていない。」

「わかりました。」

「返事はいいんだけどね。しっかりね。」

「がんばります。」

久美はバンドの曲作成の補助のため、待っていたバンドメンバーと練習室に入っていった。

 明日夏が悟に話しかけた。

「橘さん、忙しそうですね。」

「うん、うちのバンドがレコーディングに向けて、曲の最終調整をやっているので、何時に終わるかわからないし。」

「曲制作、カッコいい曲ができるといいですね。」

「バンドの曲は、カッコいいだけじゃなくメッセージ性やオリジナル性もいるけれどもね。」

「なるほど。」

「逆に、バンドの曲は実際の演奏者が演奏しながら作るので、バンドにピッタリな曲ができるというメリットはある。」

「奥が深そうです。」

「ちなみに、久美はその後で自分の練習もしているんだよ。」

「そうらしいですね。橘さんに負担をかけないようにしないといけないですね。」

「一応、明日夏ちゃんも分かってはいるんだね。」

「もちろんです。ただ、なんというか。帰るとアニメを見たり、他のことに気が行ってしまって。」

「まあ、若いからね。でも、徐々にプロの歌手になる自覚を持ってね。」

「わかりました。社長も橘さんの後にウクレレの練習ですか。」

「それは、深夜、時間があるときにだな。」

「目的は、ウクレレコメディアンデビューですか。」

「楽器に触っていたいだけかな。コメディアンは明日夏ちゃんにまかせるよ。ところで、明日夏ちゃんはどんなバイトをやっているんだっけ。」

「今はパソコンを使った仕事です。以前はスーパーのレジ打ちとかもやっていました。」

「えっ、無謀なスーパーだな。金額を打ち間違えたりしない?」

「社長、今は金額を入力しないんですよ。基本バーコードか写真からの選択、そうでない場合も番号の入力です。」

「お釣りは?」

「キャッシュレスが増えていますし、現金でも受け取った全額をレジ入れると、そのお釣りが自動的に出てきます。」

「なるほど。科学技術が明日夏ちゃんをフォローしているわけだ。」

「私のための時代というわけですね。」

「そうかもしれない。ただ、スーパーのレジ打ちもいいけど、これからの活動を考えると、少しでも人前に出る、芸能人的な仕事の方がいいと思う。」

「はい、そういう仕事あると本当にいいと思います。」

「そうか良かった。何件か事務所に推薦依頼が来ているんだ。」

「何のバイトですか?」

「モデルだよ。」

「いや、私、グラビアモデルは体型的に無理です。」

「うん、明日夏ちゃんにグラビアモデルの需要はないな。」

「はっきり言っちゃってくれますね。橘さんだったら需要がありそうですが。」

「久美がグラビアモデル?いや、需要はあるかもしれないが、そういうこと久美に言うなんて、想像するだけで恐ろしい。」

「はい。キックボクシングの技が炸裂するかもしれません。」

「その通りだよ。で、話しを戻すと、明日夏ちゃんにお願いしたいモデルは、服の宣伝のモデルだよ。」

「ファッションモデル?いやじゃないですけど、やっぱり私じゃ無理なんじゃないですか。」

「ファッションモデルというほどのものではなくて、服を着て写真を撮って、それがスーパーのチラシになる。」

「なるほど、スーパーモデルですね。」

「明日夏ちゃん、引っ込むべきところは引っ込んでいるから大丈夫。」

「出るべきところは出ていませんけどね。分かりました。やってみます。でもオーディションみたいなものがあるんですか。」

「それほど厳しくはなくて、カメラテストだけ。」

「了解です。スケジュールを教えてください。」

「分かった。あともう一つ来ているのが、遊園地のパレードの侍従の役。」

「はい、お姫様のそばにいる人ですね。」


 遊園地のパレードでは、侍従なのにその振る舞いからお姫様より目立つとか、服のチラシのモデルのポーズが独創的であるなどのことはあったが、それを喜ぶ人もいて大きな問題になることもなく、練習とバイトの日々が過ぎていった。そして、6月中旬のある日、悟がトレーニングを終えた明日夏と久美に話しかける。

「明日夏ちゃん、そろそろ、新人発掘のオーディションに参加してみようと思う。昔のバンド関係者の伝手を頼って、レコード会社やアニメの音楽プロデューサーの情報も集まってきたし。」

「社長、いよいよですね。腕が鳴ります。」

「ちょっと、悟、まだ早いんじゃないかな。明日夏、だいぶ良くなってきたけど、もう半年ぐらいはトレーニングした方が。もし、オーディションに落ちて自信を失っても。」

「橘さん、大丈夫です。落ちても、めげることはありません。それだけが取り柄ですから。」

「久美、明日夏ちゃんも、そう言っているし、やってみよう。でも、明日夏ちゃん、そう簡単に通らないということは理解してね。」

「はい、それは理解しているつもりです。」

「でも、悟、曲の方はどうするの。」

「新人発掘のオーディションのデモテープは既存曲で大丈夫だし、曲持ち込みでアニメの音楽プロデューサーに売り込むのは、レコード会社が付いていないから苦しいけど、若手で結構いい曲を作る作曲家を知っているから頼んでみる。」

「悟の耳は確かだからそっちは任せる。じゃあ、私は明日夏の既存曲のデモテープを作ることから始めるわ。」

「そうだね。オーディションのリストはまとめたから、どのオーディションに参加するかは、後で相談しよう。」

「分かったわ。」

 こうして、パラダイス興行を挙げての取り組みが始まった。デモテープを作成しては、オーディションに参加したり、悟が直接音楽プロデューサーに売り込みを行うが、書類選考に落ちたり、書類選考を通っても1次選考で落ちたり、わずかに1次選考を通っても最終選考でおちたりする日々が続いていた。夏の終わりに、久美が明日夏に尋ねる。

「オーディション、なかなか受からないけど、明日夏は精神的に大丈夫?」

「大丈夫です。それに、だんだん書類選考や1次選考を通ることが増えてきましたし、あと、半年頑張れば、なんとかなるんじゃないかと思っています。」

「さすがね。私だと・・・。ううん、それはいい。オーディションに出るようになってから、また歌が上手になっているし。」

「人参を目の前にぶら下げられた馬じゃないですが、目標がはっきりしていてやりやすくなりました。」

「そうね、頑張りましょう。」

「はい。」

悟が次のオーディションの情報を話す。

「次は、ヘルツレコードが製作に加わる冬アニメ『タイピング』が新人の歌手を採用する方針ということで、それに応募するよ。」

久美が聞き返す。

「えっ、ダイビング?」

「違う、タイピング。キーボードの入力の早さと正確さを競う大会の話みたいだよ。」

「へーー、いろんなネタを考えるのね。」

「私、知ってます、その漫画。直人がイケメンでカッコいいんですよね。」

「明日夏ちゃんは『タイピング』の漫画を知っているのか。それは話しが早い。」

「はい。是非、参加しましょう。直人の声優、だれがやるのかな。楽しみ。」

「でも、ヘルツレコードか。業界ナンバーワンよね。」

「うん、そんな簡単ではないとは思う。曲も持ち込みになるから、知り合い二人に発注している。」

「タイピングの速さなら負けない自信はあるんですけど。」

「明日夏ちゃん、タイピング早いの?」

「家でやっているバイトは、そういう感じなんで。」

「なるほど。あっ、そうそう。ヘルツレコードと言えば、アニソンコンテストの東京予選でいっしょだった大河内ミサさんって覚えている?」

「もちろん。」

「オーディションの話のついでに聞いたんだ。まだ公開されていない情報だけど、秋アニメでヘルツレコードからデビューが決まったそうだ。」

「本当ですか、それは良かったです。本当に真剣にやっていましたから。でも、大河内さんの3か月遅れで私がデビューってなんか無理な気がしてきました。」

「あと、大河内ミサさん、年齢が同じだから、もし仕事でいっしょになるときがあったら、ミサちゃんと呼んだ方がいい。大河内さんはやっぱり不自然だから。」

「なるほど、私とでは格はだいぶ違いますが、そういうものなんですね。」

「年下だったら大丈夫なんだけど。」

「はい、分かりました。これからは、ミサちゃんと呼ぶことにします。早く、一緒に仕事ができるようになりたいです。」

「目標があることはいいことだよ。」

「頑張ります。とりあえず、『タイピング』のオーディションに全力でぶつかります。」

「明日夏ちゃんの場合、はじき返されても、砕けることはないから。また跳ね返って、何度でもぶつかっていけばいいからね。」

「ダコール。」

「じゃあ、久美、デモテープ制作の件、お願いね。」

「分かった。じゃあ、明日夏、デモテープ、今までより、もっといいものを作るわよ。」

「はい、ヘルツの連中に、明日夏史上最高のデモテープを聴かせてやりましょう。」

「そうね。明日夏のポジティブさは武器ね。でも、能書きはそこまでにして、練習よ。」

「うっ、了解です。」

 それから1週間後、練習室でデモテープの録音を行い、オーディションへ応募した。書類選考は無事に通り、少人数の面接員による歌唱と簡単な面接による1次選考が行われた。その1次選考に通った旨の連絡が事務所にメールで送られてきた。

「よし、明日夏ちゃん、1次選考は合格だ。」

「有難うございます。最終選考、頑張ります。」

「ほんと、1次選考を合格することが増えてきたわね。」

「社長、橘さん、何か最終選考へ向けた秘策はありませんか。」

「うーん、ないな。」

「歌をもっと良くすることしかないわよ。」

「歌った後に面接もありますが、どんなことに注意すれば。」

「私が言うのもなんだけど、やっぱり人前に出る仕事なので、面接のときにものおじしないことは大切と思うわ。」

「面接員によって違うけど、プロの歌手としての雰囲気とか、やる気とかかな。」

「わかりました、堂々とやる気を示してみます。」


 最終選考が始まり、6人が控室に通された。

「この5人と争うのか。でも、さすがヘルツレコードのオーディション、すごく綺麗な人が1人いるし。外見では勝てないな。社長の言う通り、やる気を全力で示さないと。」

明日夏が面接室に呼ばれ、歌唱の後、面接となった。

「歌ってくれて有難う。生歌なのにデモテープより良くなっているね。」

「はい、今も歌の特訓中で、デビューした場合にはもっともっと良くなると思います。」

「そうですか。それは頼もしいです。それでは神田さん、このオーディションに参加した理由を説明して下さい。」

「はい、歌うことは小さいころから好きで、近所の子供相手に公園でよく歌っていました。高校に入って深夜アニメを見るようになって、アニメの男の子がカッコ良すぎるので、3次元の男など眼中に入らなくなりました。『タイピング』も好きな漫画で、その中で登場人物の直人が超イケメンで、現在の最大の推しです。その直人の力に少しでもなればと思い、今回のオーディションに応募しました。合格した場合には、直人のために死ぬ気になって全力で主題歌の歌唱、アニメの宣伝に取り組みたいと思います。」

「そっ、そうですか。次に、自分がアピールできる点を言ってもらえますか。」

「小学校のころパソコンのキーボード入力ゲームにはまっていたため、かな入力ができます。」

「かな入力ができると、何が良いのでしょうか。」

「ローマ字入力より50%速いです。作品中、埼玉最速の恵梨香先輩にも負けない自身があります。」

「そうですか。」

「はい、実際に漫画に書かれている文章を入力しましたが、同じ時間で、私の方が3文字多く入力できました。もちろん、恵梨香先輩もなかなかの速さをお持ちとは思います。」

「えーと、よくわからないのですが、タイプが速いので、作品の登場人物の心情が深く理解できるということですね。」

「他人の心情はわかりませんが、ライバルになることはできると思います。」

「なるほど。ライバルとして相手を見ることができるということですか。」

「いえ、タイピングの速さを争うことができます。キーボードを持ってきましたので、パソコンにつないでタイピングの速さをお見せしましょうか。」

「タイピングの速さは、アニメのイベントで使えないことはないですが、今はけっこうです。」

「それは残念です。あとアピールポイントと言えば、直人を俺の嫁にするために争うこともできます。ただ、アニメの中の女の子はみんなかなり可愛いく強敵で、タイピングの速さで優っても、この争いに勝つことは大変とは思います。それでも、最後まで諦めずに戦います。」

「どこで争うのですか?」

「私の妄想の中です。」

「なるほど。そういえば現在、本社のヘルツ電子と共同で、GPTを使ってアニメキャラと会話できるゲームを製作中ではあります。」

「すごいですね。そのゲームで、アニメキャラと自然な会話できるようになるんですか。」

「そうだよ。」

「さすがヘルツレコードは伊達ではないです。キャラを落とすこともできるんですか。」「たぶんそうなると思う。」

「それは、ぜひ買わないといけないです。いつ発売になるのですか。」

「来年以降だと思うけど、今はその話している時間ではないので、歌手としてのことを聞かせてくれるかな。」

「歌ですか。橘さんにしごかれて、ハゼの気持ちがよくわかりました。」

「腹式呼吸ですか。」

「そこまでは誰でもできると思いますが、私の場合、ハゼになりきることができます。そして同時に人間にもなって歌を表現することができます。」

「神田さんは元から人間だと思うけど。それでは、これからの抱負があったら述べて下さい。」

「秋葉原の中古パーツ店で、伝説の親指シフトキーボードを買いましたので、それで練習して、恵梨香先輩を10%上回れるようになります。そして、貴社が販売するという、ジェネラティブ・プリトレインド・トランスフォーマーを使ったアニメキャラと会話できるゲームで直人を落としたいと思います。」

「わかりました。最後に、こちらに何か質問はありますか?」

「漫画では東プレのキーボードだったようですが、PFUのキーボードを使わない理由はなにかありますか?」

「よくわかりませんが、それは作者の好みではないでしょうか。」

「そうですか。作者とは私は合わないということなんですね。残念です。」

「もしかすると、すごく合うかもしれませんので、気を落とすことはないと思います。」

「作者のライバルになれるかもしれないということですか。気を遣って頂いて、有難うございます。」

「はい、それでは面接を終了したいと思います。有難うございました。結果は追って事務所の方に通知します。」

「有難うございます。それでは失礼いたします。」

「お疲れさまでした。」

 オーディションが終わったところで、明日夏は悟に連絡を入れた。

「社長、オーディション、今終わりました。」

「どうだった?」

「はい、社長の指示通り、面接員にやる気をバッチリ見せつけてやりました。」

「それは、良かった。歌の方は?」

「バッチリです。あと、発売時期は未定だそうですが、アニメの登場人物と会話できて、落とすこともできるゲームが発売予定だそうで、楽しみです。」

「うっうん、わかった。じゃあ、今日はゆっくり休んで。明日からまた久美との練習、頑張ってね。」

「分かりました。」

何となく不安になる悟ではあった。


 最終選考で残った6人の中でも合格の候補者は3名に絞られていた。しかし、その3人から誰を選ぶかの議論はなかなか収束しなかった。最終審査から参加していた第2事業部本部長の森永が一度議論をまとめる。

「歌手としてのレベルは3人ともだいたい同じ。特徴で言えば、ルックスが良くて歌声が高くて可愛い加藤、小柄で元気な声の小寺、何だか良く分からないことを言うけど独特の可愛い声の神田。」

「神田は本当に不思議ちゃんでしたね。嫌味がないところがいいところですか。」

「加藤ですが、ルックスがいいという意味では、ちょうど大河内をデビューさせたところですから、変化を付けるという意味では、他の2名の方がいいとは思います。」

「大河内はロックだから、加藤と歌のタイプは違うだろう。」

「ただ、あの歌を歌わせても大河内の方がずうっと上手く歌えます。それに、ルックスなら大河内の方が上だし。スタイルも。」

「そうかもしれないけど。」

「今回採用すれば、数年間は契約することになる。大河内もいずれロック以外の曲も歌うことにはなると思うので、加藤は大河内の陰に隠れてしまう可能性が高い。何かもう少し個性というか特徴がないと苦しいかもしれない。」

「小寺はどちらかというと、アーティストというよりアイドル向きかな。」

「実際にアイドル活動もしているようだね。ただ、事務所としては、個人でも売り出したいようで、今回応募したみたいだ。確かに、歌唱力は普通のアイドルよりはかなり上だとは思う。」

「元気な声だから、バンドボーカルも合うかもしれない。」

「それは言えるね。バンドに負けないで歌っていける感じはする。でも、一人で歌うという感じではないな。」

「神田の特徴ある可愛い声はいいんだけど、感性もかなり独特だよね。」

「大丈夫でしょうかね?プロとしてやっていけますかね?少し心配です。」

まとまらない話しが続く中、森永の秘書が会議室に入ってきて、森永に耳打ちした。

「オーディションで撮影した3人のビデオを社長に見てもらいました。神田を最大限に推すということだそうです。」

「理由は?」

「個性が際立っているからだそうです。」

「それは、そうでしょうけれど。」

森永は社長が3人に対して意見を示すのかと思っていたが、神田だけについて示したので不自然に思ったが、決定要因に欠けていたので神田を採用することにした。

「もう1時間以上話し合ってきて、これ以上決定的な材料はないため、社長決裁ということで、神田を採用ということにしたいと思いますが、反論がある方は?」

「社長と本部長が決定されるならば異存はありません。」

明日夏が採用となって、会議は解散となった。大きな会社のため、大半の社員にとっては、3人のうち誰でもよく、社長決済で長い会議が終わってほっとしていた。


 数日後、第二事業部の採用担当部長の堀池から悟に電話があった。悟は採用担当部長から電話があったため、明日夏の最終選考の合格を直感した。

「堀池様、いつも大変お世話になっています。」

「私からの電話で分かったと思うけど、今回のオーディション、神田明日夏が合格になった。」

「それは、大変ありがとうございます。全社員になり代わりまして、お礼を申し上げます。」

「平田さんのところとは、契約を結んだことがなかったよね。」

「はい、おっしゃる通りでございます。」

「間違いがあるといけないので、契約の説明のために、近々にこちらまで来てもらえますか。」

「はい、喜んで伺います。」

「では、細かい事務的なことはその時に話すとして、オーディションの時の話しを口頭で簡単にします。」

「はい、よろしくお願いします。」

「最終的に3人が候補に残って、歌の実力はだいたい同じ。ルックスがいい子がいたんだけど、ルックスがいい大河内を出したばかりなのに、大河内には歌もルックスに敵っていない。あと、元気な子がいて、その子はグループの方が合う。神田さんはルックスはそこそこだけど、声も性格も個性的で人を惹きつけるところがあるという評価で、神田さんが選ばれた。」

「有難うございます。」

「ただ、面接中、なかなか話しが嚙み合わなくて。」

「明日夏は非常に独特の感性を持った子ですので。」

「普通の子ではないというのはわかります。それが良いという者と良くないという者に分かれましたので、事務所にはその面の教育もお願いしたい。」

「かしこまりました。全力でその面の指導にあたりたいと思います。」

「それでは、細かいことは秘書からメールで連絡が行きますので、よろしくお願いします。」

「はい、今日は有難うございました。」

電話を横で聞いていた久美が本当に嬉しそうに尋ねる。

「もしかして、明日夏、最終選考に受かったの?」

「ああ、信じられないけど受かった。冬にはヘルツレコードからアニメタイアップ付きでデビューだ。」

「すごい。本当にすごい。」

「久美も、よく頑張った。」

「でも、やっぱり明日夏がすごい。」

「そうだね。忙しくなるけどね。」

「分かってる。」

合格の知らせは悟から明日夏に伝えられた。

「明日夏ちゃん、おめでとう。ヘルツレコードから合格の知らせがあった。」

「おーーーー、やった。私、これでやっとアニソン歌手になれますね。」

「うん、そうだね。」

「本当に直人の役に立つ人になれるんですね。嬉しいです。」

「直人って誰?」

「えっ、社長、この前言ったじゃないですか、『タイピング』の中の超イケメンの男子の名前です。性格は少し暗いんですが、そこがまたいいんですよ。」

「なるほど。」

「それで、面接でもやる気を示すために、直人のためならば死ぬ気で頑張りますみたいなことを言ったんです。」

「・・・・・・」

「社長のいう通り、それが功を奏したんですね。」

「そっ、そうかもね。でも良かった。これから忙しくなるけど、頑張っていこうね。」

「ウィ、ムシュ」

 悟からの連絡を受け取ったあと、明日夏は電話をかける。

「北崎です。」

「兄貴、やったよ。」

「明日夏か。」

「そう。アニソン歌手のデビューが決まった。」

「本当に良かったな。アニメのために日本に戻ってきたかいがあったな。」

「うん、やっぱり、今まで生きてきた中で一番嬉しい。」

「僕も嬉しいよ。バイトを頼めなくなるけど、それは気にせず頑張れよな。」

「わかった。でも、メインでやっているのは姉貴だし、まだそれほどは忙しくはならなそう。」

「そうか。まあ、手の空いているときに明日夏も手伝ってくれると助かる。」

「ダコール。」

こうして、明日夏のデビューに向けての活動が開始された。


 さて、話は現在に戻る。明日夏のリリースイベントは続いていたが、会場を押さえることができなかったため明日夏のイベントが開かれない日曜日の午後、パラダイス興行の事務所で、新しいアイドルユニットのリーダーを決めるためのオーディションが行われようとしていた。アキがSNSグループ「アキPG」にメッセージを送った。

アキ:今、パラダイス興行の事務所の前、行ってくる

アキ:パスカル、書類のチェック有難うね。おかげて書類審査が通った

パスカル:おう!

アキ:湘南も面接の原稿を見てくれて有難う。だいぶ良くなった

パスカル:頑張ってきて。上手くいったら、明日夏ちゃんとお友達だね

湘南:平常心で

コッコ:ファイト

アキ:うん、平常心でファイトで頑張ってくる


 アキは、パラダイス興行のある小さなオフィスビルに入り、エレベータで事務所に向かった。事務所の扉をノックして開け、名前を告げると、若い男性の係員がアキを事務所の一角にあるソファーに誘導した。そこに座って待っていると、受験者4名が揃ったところで、悟がオーディションの説明を開始した。

「こんにちは、パラダイス興行社長の平田悟です。今日は本事務所で計画しているアイドルユニットのメンバーのオーディションのために、お集まり頂き大変ありがとうございます。パラダイス興行はもともとロックバンドをプロデュースする音楽事務所だったのですが、近年はその他の分野にも手を広げ、この1月には神田明日夏がアニソン歌手としてヘルツレコードからデビューしました。その第2弾として現在アイドルユニットをプロデュースすることを計画しています。今日のオーディションは私とこの橘が担当します。久美、自己紹介をお願いします。」

「こんにちは、パラダイス興行でマネージャー兼トレーナーを担当している橘久美です。合格したら、私が歌のトレーニングを担当することになります。」

「あと、ここにいるのが近藤大輝、デスデーモンズというバンドのギター兼バンマスなんですが、今回は皆さんの世話役として来てもらっています。隣の部屋でオーディションを行いますが、待っている間に何かありましたら、近藤に何でも言って下さい。近藤、自己紹介をお願い。」

「近藤大樹と申します。なんというか、ギターがないと緊張してしまって、何を言うか忘れてしまいました。メモを見ます。みなさん、今日はお寒いところを、とうろ遥々・・」

「えんろ遥々よ。」

「橘さん、すみません。遠路遥々お越しいただき有難うございます。このオーディションで皆さんが持っている実力を十分に発揮できるようサポートしたいと思いますので、御用がありましたら、何でもお申しつけ下さい。」

「大輝、すごい。文章は完璧。誰かに書いてもらったの?」

「姉貴です。」

「はい、ということで、何かあったら何でも大輝に言って下さい。お住まいの最寄りの駅からの交通費はこちらで計算して支給しますので、領収書にサインして下さい。それも大輝から受け取ってください。お送りいただいた書類は、合格者のもの以外、オーディションの結果が決まり次第、こちらで責任をもって処分します。オーディションの内容は、課題曲、自由曲の歌唱とダンス、そして面接になります。試験番号は書類選考の中で受け付け順となっています。オーディションの時間は一人20分から25分を見込んでいます。それが終わりしだい帰宅して構いません。また、こちらから追加で質問がある場合は、メールなどで連絡します。合格・不合格の発表は3日後を予定していますが、場合によっては伸びる可能性もあります。契約に際して大まかな条件はホームページにも書きましたが、細かいことは相談して決めていこうと思います。何か質問がある方は、いらっしゃいますか。」

アキが質問をする。

「今回のアイドルユニットのメンバーの選抜で一番強く求められているものがありましたら、教えて頂けますでしょうか。」

「有難う。いい質問です。元々音楽事務所のアイドルですので、どちらかと言えばダンスよりは歌の方に重きが置かれます。募集要項には書いてありませんが、現在はユニットのリーダーになるメンバーが決まっていない状態で、それが務まる総合的な資質が一番必要と考えています。」

リーダーと聞いて4人の目が輝く。

「総合的な資質ですね。分かりました。」

「他にありますでしょうか。・・・・ないようでしたら、私たちは試験室に移動します。」

試験室に移動すると、悟と久美は機器や机と椅子の位置を再確認後、着席する。

「準備OK。」

「こちらも、OK。じゃあ最初の人から呼び出して来る。」

1番の受験者が練習室に入り、試験が始まった。アキは歌や面接のイメージトレーニングをして自分の順番を待った。試験は順調に進み、最後の受験者であるアキの番となった。久美に案内されて、練習室に入り、一礼する。

「受験番号4番、有森杏子です。よろしくお願いします。」

「それではマイクをお持ち下さい。まず、歌唱の試験を行います。スイッチを入れて、声を出してみて下さい。」

悟と久美はヘッドフォンを装着する。

「あー、あー、あー」

「はい、マイクは大丈夫のようです。まずは課題曲『adrenaline!!!』。歌う準備はいいですか?」

「はい、大丈夫です。」

「わかりました。では久美、ミュージックスタート。」

「了解。」

アキがダンスと共に歌い始める。悟と久美はヘッドフォンの出力をアキのマイクからの音だけにして歌を聴きながらメモを取っていた。アキが歌い終わると、次の曲の準備に入る。

「自由曲は『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』ですね。」

「はい。」

「こちらが正確に評価するのにはいい選曲です。有難う。準備はいいですね。」

「はい。」

「それでは、久美、ミュージックスタート。」

「了解。」

アキが再度、ダンスと共に歌い始める。アキが歌い終わったところで、面接を開始する。

「お疲れ様です。それでは、マイクを机の上に置いてお掛けください。」

「はい、有難うございます。」

「まず、今回のオーディションに参加した理由を説明してください。」

「はい。私は子供のころから、アイドルのテレビ番組を見ることが大好きでした。そして、その光り輝くようなパーフォーマンスから、生活に光、例えば、やる気だったり、勇気だったり、辛いときに立ち直る力をもらってきました。その恩を少しでも返せるように、自分もアイドルになって、世の中のたくさんの方々の生活に光を与えられるような人になりたいという夢を持つようになりました。パラダイス興行には神田明日夏さんが在籍しています。神田さんのパフォーマンスは大変すばらしく、それを見習おうと一生懸命練習をしています。神田さんがいらっしゃるような環境でアイドル活動ができれば、私も自分のパフォーマンスをより高いレベルに引き上げ、多くの方々の生活に光を与えられるような一流のアイドルになれると信じています。それが、このオーディションに応募した理由です。」

「有難うございます。それでは、アイドル活動をするに当たって、自分の強みと弱みを説明してください。」

「まず、強みについて説明します。私には一流のアイドルになるという強い意志があります。そのため、どんな厳しい練習や辛いできごとにも耐える自信があります。それが、一流のアイドルへの道ならば、喜んで受け入れます。また、経験という意味では、メイド喫茶でですか、アイドル的なことを行っていますので、たくさんの人がいても臆することなくしっかりとパフォーマンスをすることができます。逆に、弱みですが、一流アイドルになるという意思が強いため、周りと人々と衝突してしまうことが考えられます。もし行き過ぎていると感じるときがありましたら、社長さんや橘さんから諫めていただければ、自分を律してすぐに修正したいと思います。」

「有難うございます。アイドルの寿命は限られますが、その先を含めた将来の抱負を説明してください。」

「今はアイドルになることに夢中で、自分が一流アイドルになることだけを考えています。はっきり言いますと、その先の将来については、現在はまだ何も決めていません。一流アイドルになって、そこから見える景色をしっかりと見て、自分で決めたいと思っています。」

「わかりました。有難うございます。自由に述べたいことがあれば言ってください。」

「募集しているのは、リーダーという話しですので、まずは、社長さんや橘さんの話しをしっかりと聞こうと思います。そして、それをメンバーに正確にわかりやすく伝えて、その方向にメンバーを引っ張って行き、必ず、今回のアイドルユニットを素晴らしいユニットに成長させていきたいと思います。」

「有難うございます。これで面接は終了しますが、最後にこちらに何か質問したいことはありますか。」

「すでに決まっている他のメンバーはどのような方なのでしょうか。」

「ダンスが非常に上手なことが特徴の高校3年生の子と、綺麗な低音の声が特徴の高校1年生の子が決まっています。現在、二人にはボイストレーニングとダンスのトレーニングをしてもらっています。」

「私より年上のメンバーがいるわけですね。」

「はい、でもその子はダンスは非常に上手なのですが、性格的にリーダーには向いていないとは思います。」

「わかりました。」

「他にありませんか。」

「いえ、特にありません。」

「わかりました。それでは帰宅して大丈夫です。今日はわざわざお越し頂き有難うございました。では、気を付けてお帰り下さい。」

「今日は面接に呼んでいただいて、本当に大変有難うございました。」

 こうしてオーディションが終了した。悟と久美が事務所でオーディションの判定に関して検討を始めた。

「じゃあ、久美、歌唱力、ダンス、面接での印象の順番に話していこうと思うけどいいかな?」

「オーケー。じゃあ、まず歌唱力から。これからの伸びしろも考えないといけないんだけど、私としては2番の子が一番良かったと思う。発声がしっかりしているし、音程もかなり安定していて。」

「僕もそう思った。2番の子だけ明日夏のアニソンコンテストの時よりも良いよね。後の3人はそのときの明日夏より良くないように思う。なので、そこそこになるまで、半年以上はかかるかもしれない。」

「そうね。」

「音域とか声の質は。」

「亜美が低音、由香は中音だから、できれば綺麗な高音を持っているといいんだけど。」

「可愛いと綺麗に響くとか魅力のあるのある高音だけど、今回は特にいなかったたかな。」

「1番の子と4番の子が少し可愛い声をしていたように思うけれど。」

「うん、4人の中で比べればそうだね。トレーニングすれば変わるかもしれないけど、現状では、もう二歩という感じ。」

「ダンスは私は良く分からないけど。同じぐらいに見えた。」

「うん、少なくても際立っていた子はいなかった。やっぱり、由香はすごいと思った。でも、全然ダメな子もいなかったかな。」

「面接の印象では、4番の子が一番しっかりと受け答えしていたわね。」

「そうだね。誰かと相談したのかもしれないけど、ルックスも一番良かったから、普通のアイドルグループの方が向いているとは思う。周りを見ながらやって行けそうという感じはするけど、うちのユニットとしては、もう少し突き抜けるものが欲しいかな。まあ、明日夏ちゃんは突き抜けすぎだけど。あと、歌のレベルが少し低いことが気になる。」

「そうね。声質も可愛らしさを感じたけど、悟の言う通り、もう少し人を引き付ける特徴が必要かもね。」

「そうだと思う。うちの事務所じゃ少数精鋭しかないから。でも、ダンスは無難だったし、受け答えもきちんとしていたから、歌がもう少し良くなれば、どこかの事務所がアイドルユニットのメンバーとして受け入れてくれるようには思うけど。」

「そうかも。でも、うちのアイドルユニットのリーダー、なかなか難しいわね。」

「うーん、そうだね。残念だけど、今回は合格者なしかな。」

「私も悟の意見に賛成。」

「さて、本当にリーダーどうするかな。」

「私は、今回呼ばなかった応募者のデモテープをもう一度聴いてみる。」

「お願いする。僕は動画サイトを探してみる。」

「魔法少女アニメばっかり見るんじゃないわよ。」

「わかってるって。」


 オーディション終了後、建物を出たアキは「アキPG」にメッセージを送る。

アキ:オーディション、今終わったところ

パスカル:お疲れ、どうだった

アキ:実力は出し切れたとは思う

湘南:実力を出せたのは良かったです

パスカル:それなら大丈夫だ

アキ:他の3人もレベルが高そうだったから簡単ではなさそう

パスカル:そうか

アキ:探しているのはユニットのリーダーみたいだし

パスカル:それはすごいな

アキ:結果の通知が来たらここに連絡するね

パスカル:楽しみだ

コッコ:合格したらパスカルP(プロデューサー)は出番なしに終了だな

パスカル:プロデューサーとしての仕事は今日の書類のチェックだけだな

パスカル:めでたいことだから諦める

コッコ:漢だな

パスカル:推しの出世は喜ばなくちゃ

湘南:さすがです

アキ:みんな有難う

アキ:じゃあ結果の通知を待っててね

パスカル:合格したら俺のおごりでパーティだ

アキ:パスカル太っ腹

湘南:今日はゆっくり休んで下さい

アキ:心配してくれて有難う。でも疲れていないから大丈夫

コッコ:また会おうぜ

アキ:うん、また会おう。パスカルと湘南もね

パスカル:おう

湘南:はい

アキ:みんな本当に有難うね

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