第2話 パラダイス興業

 明日夏の初リリースイベントの翌日の朝、久美が事務所にやって来た。

「悟、おはよう。」

悟が久美の方を向いた。

「久美か。おはよう。」

「久美かって。」

「ごめん、考え事をしていて。」

久美は机の上のカップラーメンの食べ終わったカップを見てため息をついた。

「昨日も会社に泊ったの?」

「経理の残りと、新人発掘で動画を見てた。」

「そう。でも、あんまり根を詰めると体を壊すわよ。」

「分かっている。」

「ならいいけど。でも昨日の明日夏のリリースイベント、凄かったわね。うちだけのイベントで会場にあんなにお客さんが一杯入ったの初めて見たわ。それも隣で大河内ミサがイベントをしているのに。」

「うん、上手くいけば事務所の経営がかなり楽になる。」

「悟の場合はそっちね。それにしても、明日夏はあれだけお客さんが来ているのに不満そうで。近頃の若い娘ときたら本当に苦労を知らないわね。」

「久美には少し嫌味に聞こえたかもしれないけど、明日夏ちゃんは、あれで会社や僕たちのことを心配していたんだよ。」

「私たちのことを?そうか、それでか。悟の言う通りかもね。」

「久美が鍛えた歌は、明日夏ちゃんの武器になると思う。本当に良かった。」

「それに若さはいいわね。明日夏が歌うと、会場がパッと明るくなるもんね。」

「若さだけじゃないとは思うけどね。」

「まあね。私が若い時でもあんなにはならなかった。」

「ほら、そんなこと言っていないで。昨日も言ったけれど、久美も明日夏ちゃんから吸収できるところは吸収しないと。」

「性格も違うし、さすがにそれは無理よ。」

「最終的にはエンターテイメントなんだから、もう一度デビューしたいなら、そんなこと言ってない。」

「わかったわ。見てて。」

久美が明日夏の真似をして言ってみる。

「みなさんこんにちは。今度、ヘルツレコードからデビューしました橘久美です。よろしくお願いします。」

「社長さん、橘さん、お早うございます。何ですか橘さん。それ私の真似ですか?」

「えっ、あっ、明日夏?!いつからそこにいるの?」

「ちょうど今です。えーと、橘さんが私の真似をして喋っているところからです。私の真似をして二人で面白がっていたんですか?まあ、構いませんけど。」

「違うの。悟が、再デビューしたいなら、明日夏を見習わないとと言うから。」

「社長さんが?橘さんが私をですか?何言っているんですか。橘さんの方が歌は上手だし、美人だし。私から見習うことなんてないですよ。」

悟が言う。

「美人で歌がうまいだけで売れたら、音楽事務所は苦労しないよ。」

「そうなんですか。」

「そうなんだよ。久美がどのぐらい売れた・・・」

久美が話を中断した。

「やめて。あの時のことは思い出したくない。」

「ごめん。」

久美が話を変える。

「でも明日夏、昨日は本当に良かった。大河内さんとバッティングしたのに、173人来たみたい。」

「一杯にならなかったのは残念ですが、昨日社長が言ったように、入れないお客さんがいるのも心苦しいです。」

悟がフォローする。

「今日の箱のキャパは80だから入りきらない可能性が高いけど、どちらの件も僕の情報収集力不足。明日夏ちゃんのせいじゃないから、気にしなくていいよ。」

「そうですか、でも入れないお客さんがいると、来てくれた方に申し訳ないです。」

「抽選制に変えておいたけど、明日夏ちゃんは、会場のファンに全力を尽くせばいいから。それ以外のことはこちらで考えるよ。」

「はい。」

「悟の言う通りよ。明日夏は気にしなくていい。それより、どう、疲れていない?今日は夕方からのイベントだけれど。」

「声の方は全く大丈夫です。歌い足りないぐらい。歌の後に、あんないっぱいの人と話すのは初めてでしたが、逆に元気をもらった感じです。今日も大丈夫です。行けます。」

久美が悟に話しかける。

「いっぱいの人と話して元気をもらったって、私も言ってみたい。」

「自分で墓穴を掘らない。」

「そうね。」

久美が明日夏にイベントの準備について説明する。

「今日のイベントは夕方だけど、午前中は、今日のプレゼントのアー写(アーティスト写真、昔で言えばブロマイド)にサインを書いていて。今日は100枚ほど。歌の調整は午後からにする。」

「はい、了解しました。橘さんは午前中は何をしている予定ですか。」

「うちで面倒を見ているバンドが、もうすぐ練習に来るはずだから、それを見ている。」

「分かりました。橘さんも忙しくて大変ですね。」

「ううん、面倒な仕事は全部悟がやってくれるし、音楽は好きだから。私は楽しんでやっている。」

悟が答える。

「内助の功っていうやつだ。」

「本当ね。日の本一(ひのもといち)のお嫁さんになれるわよ!悟は。」

「久美にお褒め頂くとは。僕は音楽の才能はそれほどないから、みんなをサポートするのがやりがいだよ。」

「そんなに卑下することもないけれど、経営のことは分からないから助かっているわ。」

昨日の来客が多かったこともあり、誠と久美の気は軽く、あまり面白くない冗談でも笑うことができた。そのとき、とげとげしいパンクの恰好をした一団が入ってきた。

「社長、姉御、うす。」「うす。」「うす。」「ういーっす。」「うす。」

明日夏は写真では知っていても直接的には見たことのない格好をしたバンドたっだので、不安そうに見ていた。社長と久美が答える。

「お早う。」

「偉い、ちゃんと来たわね。」

「当たり前っす。今日は久しぶりに大きなライブに呼ばれて気合が入ってるっす。」

「そうよね。」

「これが、噂の明日夏ちゃんすか。」

「そうよ。」

男5人が明日夏の前に行って挨拶をする。

「うす。」

明日夏が困って返事を返す。

「うっ、うす。」

久美が注意する。

「大輝、明日夏を怖がらせちゃだめじゃない。」

「えっ、怖がらせるっすか。いや、ヘルツレコードのオーディションを受かって、尊敬しているすよ。こいつも凄いって言ってたっす。なあ。」

「ほんと、可愛いだけじゃなく、歌、良かったっす。」

明日夏の表情が明るくなった。

「本当ですか。有難うございます。私の歌、どこで聞いて頂けました。」

「えっ?昨日、会場ですっけど。」

「えっ、昨日?」

「ははは、この恰好じゃ分からないすっか。社長と荷物を運んだ治っすよ。」

「あー、治さん。ごめんなさい。昨日と全然違って分からなかったです。」

「そうすっか。」

「昨日はお手伝してもらって有難うございました。」

「バイトっすから。社長が仕事を回してくれているんっす。」

「でも、治さん、昨日は本当に真面目な会社員風で、今はパンクロックのミュージシャンという感じですよね。何の楽器を弾いているんですか?」

「ベースっすよ。明日夏さんがライブをやるときは、是非、バックバンドで呼んでくださいっす。昨日の歌、感激したっす。」

「えっ、その恰好で?」

「恰好は大人しくするっす。」

「そのことは、私より社長や橘さんにお願いした方が。」

「じゃあ、社長や姉御がいいと言ったらいいすっか。」

「そのときはもちろん。お願いします。」

「有難うっす。」

「社長、姉御、どうですか、明日夏ちゃんのバックバンド。」

社長と久美が答える。

「いいんじゃないか。」

「まあ演奏を聞いてからね。今度聴くから。それより、今日は今日のライブに集中!」

「わかったっす。」

「じゃあ、ライブ前の確認をするよ。準備はいい?」

「オス!」

久美とバンドメンバーが練習室に入っていった。

「明日夏ちゃん、あのバンドのメンバーいいやつばかりだから、怖がらなくても大丈夫だよ。」

「そうでしたね。社長さんの言う通りです。用心しすぎてしまいました。」

「いや、バンドの中には悪い奴も少なからずいるので、用心することは必要だよ。」

「悪いというのは?」

「まあ、いろいろと。」

「あー、ごまかした。社長、私を子供だと思っています?」

「久美じゃないけど、一度、ちゃんと恋愛をしてからかな。」

「恋愛をしてもいいんですか?」

「いや、うーん、うちの方針は恋愛は自由だけど、経営上は、やっぱり、しばらくしてくれないほうが嬉しいかな。」

「社長さんは、正直なんですね。はい、しばらくは歌を頑張ります。というか、相手に心当たりもないですし。」

「そうしてくれると嬉しい。明日夏ちゃんのためにも、もう少し人気が安定してからというのも本当だと思うよ。ただ、久美には内緒で。」

「橘さんですか。」

「もともと、所属メンバーの恋愛に口を出さないことは久美が言い出したことで、恋愛しないようにって言ったと知ったら『この守銭奴が』って怒鳴られそうだ。」

「確かに、そういうところありそうですね。分かりました。社長と私の秘密です。」

「有難う。」

「でも、橘さんが恋愛にこだわるのは、何かあるんですか。」

「後悔しないようにということだと思うよ。」

「橘さんでも、後悔することがあるんですね。」

「久美は、あれでも心が繊細だからね。」

「私が繊細じゃないみたいですが、それは置いておいて。社長は今まで恋愛をしたことはあるんですか。」

「いや、ないよ。もう28だけど。」

「じゃあ、私のこと全然言えないじゃないですか。」

「あはははは。その通りだね。」

「お互い、あと数年後ぐらいに向けてがんばりましょう。」

「そうだね。」

「じゃあ私はサインを書いちゃいます。」

「はい、よろしくね。」

 明日夏は事務机に座ってアー写にサインを書き始めた。

「さて時間もあるし。1枚1枚何か言葉を添えようかな。マジックの色も変えちゃおう。」

明日夏がサインの他に、「今日は有難う。」「明日夏を見つけてくれて有難う。」「元気だけが取柄、元気が一番!」「好物は焼肉定食。」「ピュアな気持ちを忘れずに!」「よっ、イケメン!」などの言葉を添えていたが、すべて別の言葉にしようとしたので、考える時間がかかり、書くのが段々遅くなってきた。そのとき事務所に電話がかかってきて、社長が応対した。

「荒木さん?明日夏の広報ではいつも大変お世話になっています。」

「本当ですか。もちろん、喜んで引き受けさせて頂きます。」

「はい、両日程は最優先で空けます。」

「大変有難うございます。」

明日夏は何だろうと思って社長を見ていたが、社長が明日夏に話しかけた。

「明日夏ちゃん、3月21日と3月25日は空いている?空いていなくても空けられそう?」

「えーっと。」

手帳を見ようとしたが、見ずに答える。

「事務所で仕事がなければ、空いています。予定は何もありません。あははは、いいのかなそれで。でも社長、仕事ですか?」

「そう。ヘルツレコードの第2事業部が主催するライブに呼ばれたんだ。歌うのは1曲だけだけど。」

「もちろん、喜んで歌わせてもらいます。ところで、第2事業部が主催するなら、大河内さんも出るんですか?」

「ああ、彼女は第2事業部が全力で売り出し中だから、絶対に出ると思う。曲数は1曲とかじゃないとは思うけど。明日夏ちゃん、アニソンコンテストの東京予選で負けたことを気にしている?」

「全然。私が予選落ちで、大河内さんが全国大会で優勝したことは、今では当然と思っています。」

「そうか。」

「でも、その大会がきっかけで、ここにスカウトしてもらえたし、橘さんのおかげで歌もレベルアップできて、私はついていますよ。」

「そう言ってもらえると嬉しい。」

「えーと、3月21日がリハーサルで、3月25日がライブですか。」

「その通り。」

「じゃあ、リリースイベントの後で、時間的な余裕もあるし、ばっちりです。」

「もっと緊張するかと思った。でも、その余裕が明日夏ちゃんらしいところだけど。」

「有難うございます。それに、大河内さんといっしょなのは本当に嬉しいです。」

「大河内さん、大会のころよりもさらにレベルアップしているし、同じ歳だし、ジャンルは違うけど、歌を聴いて刺激になると思うよ。」

「大河内さんの歌も聴きたいけど、大河内さんに私の歌を聴いてもらいたくて。」

「予選結果のリベンジ?それとも、なんかあったのかい?」

「魚肉ソーセージって言われました。」

「また、なんで。」

「私が、控室で漫画を見ていたら、魚肉ソーセージが対宇宙人用の武器になるのが面白くて、魚肉ソーセージ、魚肉ソーセージって叫んでいたからですが。」

悟が大笑いをする。

「あはははは、じゃあ仕方がないな。大河内さんは悪くない。」

「はい、社長の言う通りです。それに彼女の言ったことは全部本当でした。ですので、せめて魚肉から豚肉のソーセージにグレードアップしたところを見てほしいと思っています。」

悟が苦笑しながら答える。

「何だかよく分からかないけど分かった。参加OKということで予定を組むから、今は夕方のイベントの準備を続けて。」

「はい。」

明日夏は、また、アー写にサインを書く作業に戻った。


 少したって、久美とバンドメンバーが練習室から出てきた。

「演奏はだいぶ落ち着いてきた。治のベース、良かったよ。今日はスタンディングのライブだから、思いっきりはっちゃけて大丈夫だと思う。でも、大輝のギターはリズムがあっていいけれど、ボーカルの方はもっと頑張れるはず。基礎練習が不足しているんじゃない。そんなことじゃあ、明日夏に負けちゃうよ。あと、表現をもっと考えないと。」

「うす。」

 悟が声をかける。

「大輝、今、ヘルツレコードから連絡があって、明日夏ちゃんが第2事業部主催のライブに出ることになったんだ。1曲だけどバングバンドをお願いできるか。ギャラは出る。」

「うっす。明日夏ちゃんの晴れ舞台だ。バイトを休んでもバックバンドを務めさせて頂きます。なあ、みんな。」

「うす。」「やったー。」「明日夏ちゃんのバックバンド、楽しみっすよ。」「もちろんっす。」

「基本OKっす。で、社長、いつやるんっすか。」

「3月21日がリハーサルで、3月25日がライブだ。」

「みんな、大丈夫か!」

「はい、大丈夫っす。」

治が尋ねる。

「社長、場所はどこっすか。東京っすか。」

「さいたまスーパーアリーナーだよ。」

「あー、さいたまスーパーアリーナの隣のヘブンズロックっすね。ライブに呼ばれて演奏したことがあるっすが、本当にいいライブハウスすっよ。」

「そうじゃなくて、さいたまスーパーアリーナそのものだよ。スタジアムモードで3万人は入る。」

「社長、またまた、ご冗談を。」

「あのね、ヘルツレコードの第2事業部が主催するライブなんだから。」

悟がライブのホームページを見せる。

「マジなんすっか。」

「マジだよ。」

明日夏がホームページを見ながら言う。

「すごい、お客さんが3万人も来るんだ。」

「明日夏さんは平気っすか。」

「お客さんが何万人いても、やることは同じだし。」

「そうすけど。」

「それより、治さん、昨日は普通に話していたのに、何で今日は、すっか調なんですか。」

「この格好をすると、この喋り方になってしまうんっすよ。メンバー全員そうですっし。」

「それじゃあ、バンド名はすっかーズにするといいかも。」

「明日夏ちゃん、ひどいっす。僕たちは、デスデーモンズっす。」

「デジモンズ?」

「違うっす。」

悟が言う。

「じゃあ、すっかーズにするか。」

「えー、社長までっすか。」

「いや、明日夏のバックバンドをするときのバンド名だよ。そのときは、格好もパンクというわけにもいかないから。そうだ、衣装代も出すよ。でも、一人2万円ぐらいまでかな。」

「本当すっか。すごいっす。普通の革ジャン買うっす。わかったっす。明日夏ちゃんのバンクバンドのときは、すっかーズになるっす。みんないいっすね。」

「うっす。」

大輝が言う。

「ちょっと待つっす。」

「何だい、大輝。大輝はすっかーズに不満すっか。」

「名前はすっかーズで大丈夫っす。それより社長、ここを見て欲しいっす。ここに書いてあるバンドメンバーは何っすか。」

「ああ、事業部が用意したバックバンドだよ。みんなに断れたらこのバンドにお願いするしかなくなるけど。」

「いやいやいや社長。それはおかしいっす。これ日本最高レベルのバンドメンバーっすよ。」

「ヘルツレコードがスーパーアリーナのために用意するんだから、当然そうなるだろう。」

「じゃあ、何で、我々が明日夏ちゃんのバックバンドをやるんすっか。」

「それは、このメンバーのバンドが明日夏のために、どんだけ時間を割いてくれると思うかい。」

「それは・・・」

「譜面を見て、1、2回演奏して、あとはリハーサルでおしまいだろう。」

「そうっすね。」

「それじゃあいい音楽を届けられないからだよ。」

「我々とならば、事前に十分練習できるということっすね。」

「そういうことだ。久美にも頑張ってもらわないと。」

「私はいくらでも頑張るけど。でも、万が一明日夏が失敗して、自信を失ったらどうするの。」

「久美は心配性だな。大丈夫だよ。」

「でも。」

明日夏が答える。

「大丈夫です。私は失敗しても自信を失いません。というか、はじめから、それほど自信も持っていませんし。」

「久美。すっかーズなんて、名前を発案できるぐらいだから、大丈夫だと思うよ。」

「そうか。私とは違うもんね。わかった、練習のスケジュールを考える。」

「うん、お願い。明日夏は大丈夫だと思うけど、3万人のお客さんと、あのバンドメンバーの前で失敗したら、デスデーモンズの精神状態はどうなるか分からないから。」

「まあ、デスデーモンズは、なんやかんや場数を踏んでるから大丈夫だよね。ねえ、大輝。」

「・・・・・今回のヘルツレコードのギタリスト、俺が世界で一番尊敬しているギタリストっす。下手くそと思われたら、立ち直れないっす。」

「えっ、治は?」

「・・・・・もし失敗したら、明日夏さんに申し訳が立たないっす。」

明日夏が言う。

「いやいやいやいや、一番失敗しそうなのは私ですから。練習しましょう。それしかないです。」

「明日夏の言う通りよ。今回は1曲だから練習すれば絶対大丈夫。」

「姉御と明日夏ちゃんの言う通りっすよ。練習しかないっす。」

「おう、やろうぜ。姉御は3万人分以上の迫力があるから、会場でのまれることはないっすよ。」

「姉御はやめろって言っているでしょう。もう。」

「すんません、姉御。じゃなかった。姉さん。」

「姉さんもペケ。久美で。」

「分かりましたっす、久美さん。じゃあ、みんな3月25日まで頑張るぞ。」

「それじゃあ、練習のスケジュールを作るから、みんなのスケジュールを教えてね。」

「へい。俺がみんなの分を集めてまとめて、あ・・・久美さんに送るっす。」

「ありがとうね。」

「すっかーズのみんな、有難う。頑張ろうね。」

「へい、明日夏さん。分かったっす。いいな、すっかーズ、頑張るっすよ。」

「うっす。」

 デスデーモンズのメンバーは今日のロックバンドのライブ会場に向かっていった。久美が明日夏に言う。

「出発は3時だけど、2時半から最終確認をするから、それまでにサインを終わらしておいて。時間があまったら自由にしてていい。」

「はい、分かりました。」


 明日夏のイベントに関して、昨日のうちに店のホームページに、イベントへの参加が抽選制になることが告知されていた。抽選の時は、早く並んでも仕方がないため、始発ではなかったが、それでも湘南は早めに家を出て店に向かい、CDを購入して参加券を受け取った。基本的に参加抽選券は一人一枚だけの配布で、そのために本人確認の書類の提示が必要だった。朝のうちにパスカルから、別の推しのイベントに参加した後に、明日夏のイベントに向かうと連絡があった。誠は抽選券を受け取ると、店に並ぶところがないため、近くの公園のベンチに座って、ノートパソコンを操作していた。

 店の抽選の発表は午後4時ごろであるが、抽選券の配布の締め切りは午後3半ということで、誠は3時ごろにパスカルが来ると予想して店に戻った。実際、3時4分ごろにパスカルが30才後半の体格がいい男性とやってきた。

「パスカルさん、こんにちは。」

「おう、湘南。今からCDを買ってくるからちょっと待ってて。」

「はい。」

パスカルが男と誠のところに戻ってきた。

「湘南、待たせた。」

「いえ。」

「それで湘南、こちらにいる方がラッキーさんと言って、アニソン・声優ファンの世界では知られた伝説のDDだ。一応、この世界にいるならば知っておいた方がいい。」

「ラッキーさん、初めまして、湘南と言います。ラッキーさんのSNSは良く見させて頂いています。演者を推すときの注意などについての情報があってとても参考になります。」

「ラッキーさん、湘南君は、さっき話しました通り、今のところ明日夏ちゃんのTO(トップオタの略、熱烈なファンで、ファンのグループのリーダーとなり、ライブで『ファン一同』の名義でフラワースタンドを贈ったり、記念品を贈るときの募金や署名を集めたりする。)の最も有力な候補です。」

「湘南君、こんにちは。明日夏ちゃん、ヘルツの期待の新人だよね。昨日も来たかったんだけど、ミサちゃんのイベントと重なって行けなかった。」

「そうですか。今日は有難うございます。じゃあ、昨日もすぐ近くにはいらっしゃんたんですね。」

「200メートルぐらいのところか。」

「大河内さんはどうでした?」

「最高だった。可愛いし、歌もカッコいいし。始発で来て朝から並んでいたんで、最前が取れたし。朝から来た疲れなんて、もう完全に吹っ飛んだよ。」

「はい、それは100%同意します。」

「ところで、湘南君。名前からすると、湘南に住んでるの?」

「辻堂です。ラッキーさんは?」

「あー、俺は広島だ。」

「広島からいらしているんですか。では、朝の始発と言うのは?」

「広島から東京への飛行機の始発だよ。車で空港まで行って。」

「そうですか。」

パスカルが説明する。

「ラッキーさんは、いわゆる、広島都民というやつだよ。」

「そうだね。まあ、週末はだいたい東京か大阪だけど。だから、広島府民でもあるのかな。」

「それじゃあ、この後飛行機で戻るんですか。」

「この後もう1件行って、そのあと最終便で広島に帰る予定。」

「もう1件って、その後で間に合うんですか。」

「ギリギリ間に合う計算だけど、飛行機をジャージャー(乗り損ねること)したら、始発で帰るさ。」

「そうですか。」

「いつも東京の場合は、土曜の始発で来て一泊して、日曜の最終で帰る。大阪は新幹線になるけど、だいたい同じ。」

パスカルが言う。

「月3回ぐらい、こっちに来ていますよね。」

「平均すれば、そんなもんかもね。飛行機も年間5~6回はジャージャーするけど、国内は平気。海外でやらかすと翌日に予定がある場合は面倒になるけど。」

「すごいですね。」

誠が尋ねる。

「交通費が大変でしょう。」

「イベントの発表があったらとりあえず早割りを抑えるし、それでイベントの抽選に外れても他のライブかイベントに行くだけ。それに他にお金を使うとこもないから。」

「なるほど、さすがです。」

「ラッキーさん、一応、大きな会社に務めていますしね。」

「メジャーのアイドルのオタ(オタクのこと)は、総選挙の時に1つのCDに数百万円を使うやつもいるし、数千枚をウェブ投票するのが大変だからということで、自動投票アプリを自作するやつもいるぐらいだから。それに比べればこっちはかわいいもんだ。」

「ラッキーさん、海外遠征も多いですよね。」

「海外はアジアならいいけど、アメリカ・ヨーロッパだと飛行時間や時差の関係で休暇を取らなくてはいけないから、全部合わせて年5~6回ってところだ。」

「そういえば、湘南は明日夏ちゃんの歌のコールブックを作っているんですよ。見てやってくれませんか。」

「もちろん、見るよ。」

パスカルが誠のコールブックをラッキーに見せようとするが、誠が二人に新しいコールブックを手渡す。

「これが土曜日にイベントを見て、昨晩修正したものです。」

ラッキーが答える。

「ふんふん、なかなかいいね。今日のイベントで確認してみるけど、明日夏ちゃんは、湘南にまかせてよさそうだ。」

「有難うございます。」

パスカルが尋ねる。

「ラッキーさんは、今までどのくらいコールブックを作っていましたっけ。」

「数えていなけど、4、50ぐらいじゃないか。」

「湘南、ラッキーさんは推しにコールブックを作るファンがいない場合、自分で作るから、そんな数になるんだよ。」

「す、すごいですね。何人ぐらい、推しがいらっしゃるんですか。」

「まあ、ヘルツのアニソン女性歌手は箱推し(所属する全員を推すこと)だ。その他にも10数人はいるかな。」

「ところで、湘南君は、明日夏ちゃんのTOを目指すのかい。」

「目指すというわけではないですが、明日夏さんのためになることは何でもしたいと思っています。」

「たぶん、明日夏ちゃんのTOは湘南になると思います。もう一名、あそこにいるやつが明日夏ちゃんをかなり推していそうですが、あまり他のファンと絡まないみたいですから。」

「僕から言うのもなんだけど、ファンとしての節度を守るようにね。」

「分かっています。運営さんの言うことは絶対と思っています。」

「僕も若いときは、いろいろやっちゃったからね。」

「ラッキーさん、昔、出禁になったこともありましたよね。」

「マナーの悪いファンを注意しすぎたり。推しのためと思って、他のファンを管理しようとするのは、結局推しのためにならないかな。何かあったら運営さんに静かに報告するぐらいにして、それで運営さんが黙認するようなら、それに従う。そんな感じかな。」

「はい、分かりました。」

「ところで、コールブックに歌詞を載せているけど、ちゃんと許可は取ったかい。」

「こんなものにも許可がいるんですか?」

「うん、一応著作物だから、著作権管理会社の許可がいる。無料の配布物ならば、許可を取るのはそんなに難しくはないよ。このコールブックは私的にもらったものとするけど、みんなに配布する前には、許可を取った方がいい、推しに迷惑をかけないためにも。」

「有難うございます。分かりました。帰りましたら至急調べます。」

「じゃあ、湘南君の活躍を期待しているよ。もし、僕に何か質問があったらいつでもSNSで聞いてくれ。フォローしてくれたら、すぐにフォロバする。」

「はい、今フォローしました。今日はいろいろ教えて頂いて有難うございました。」

「じゃあ、また。」

「はい。」

ラッキーは、他の知り合いと話し込み始めた。


 2時を少し過ぎたころ、パラダイス興行の新しいアイドルユニットで現在までに決定しているメンバーの由香と亜美がやってきた。

「ちーっす。」「こんにちは。」

悟が答える。

「由香ちゃん、亜美ちゃん、今日はあまり遅刻しないで来てくれたね。」

「一応、明日夏さんのメジャーデビューのイベントだから。」

「それに水を差すわけにはいかないですよね。」

「ありがとう。今日はイベントの時間が遅くて、帰ってからお茶する時間がないから、そこにあるケーキを食べてて。」

「ごちになります。」「頂きます。」

「明日夏ちゃん、久美も休憩しよう。」

「わー、ケーキ、ケーキ。美味しそう。頂きます。あっ、由香ちゃん、亜美ちゃん、こんにちは。」

「明日夏さん、ちーっす。」「明日夏さん、こんにちは。」

「今日は?」

「明日夏さんのイベントの手伝いのバイトです。」

「由香ちゃんと亜美ちゃんが?」

悟が答える。

「今日はデスデーモンズがライブなので、二人にお願いしたんだ。」

「大丈夫ですか。荷物運びもありますよ。私も手伝いますけど。」

由香が答える。

「明日夏さん、心配しなくても大丈夫です。ダンスのために体鍛えているんで、大輝や治みたいに軟弱じゃないです。」

「デスデーモンズの人たちが軟弱なの?最初は怖くなかった?」

「全然。最初から、何だこのカッコばかりで軟弱なやつらは、って感じでした。」

「まあ、話してみると普通だったけど。」

「パンクやりたかったら、 もっと体鍛えろよって感じです。いずれにしろ、明日夏さんは荷物運びを心配しなくて大丈夫です。」

亜美と悟が同意する。

「由香と協力しますから、明日夏さんは心配無用です。」

「それに、今日は昨日より持っていくものが軽いので、大丈夫だと思う。明日夏ちゃんはイベントの主役だから、そっちをしっかりとね。」

「社長、分かりました。」

「あと、今回2人を呼んだのは、メジャーのCDのリリースイベントの雰囲気を知ってもらえば、もっとやる気が出るんじゃないかと思って。」

由香が答える。

「それより、やる気を出して欲しいのは社長です。ユニットのリーダーはいつ決まるんですか。私はこの3月で高校卒業です。」

「そうだね。こちらとしても、早く決めたいんだが。実力派の少数精鋭のグループにしようと思うとなかなか決まらなくて。」

「うちの会社の規模じゃ少数精鋭しかないからな。そのリーダーか。」

「由香、社長は歌とダンスの両方が高いレベルの子を探しているんじゃないかと思う。」

明日夏が言う。

「ユニットのリーダーって、お風呂で言えば、風呂桶みたいなものかな。みんなを受け入れる。」

「あはははは、ユニットバスですか。じゃあ、俺はシャワーで、派手にぶちまけるぜ。」

「それじゃあ、私はシャワーの下の蛇口で、下支えを頑張る。」

「明日夏さんの例えは分かりやすいや。」

悟が答える。

「明日夏の言う通りで、リーダーには歌だけでもダンスだけでもだめで、高いレベルのリーダーシップ力が必要と思っている。今度またオーディションをするよ。二人には練習を続けていて欲しい。」

「まあ、ただでプロの講師の指導を受けられるのは、すごく嬉しいんですが、なんか中途半端な状態って感じで。何なら、明日夏さんのバックダンサーでもやりますよ。」

明日夏が答える。

「由香ちゃんのダンス、カッコいいから嬉しい。」

悟が同意する。

「それはいいアイディアだね。亜美も大丈夫?」

「はい、由佳ほどはダンスは上手くはないですが、頑張ります。」

「有難う。1曲だけど、明日夏がヘルツレコードのライブに呼ばれているんだけど、バックダンサーやってみるか。」

「是非!」

「それって、3月25日のさいたまスーパーアリーナのやつですか。」

「その通りだよ。話しが早い。」

「マジか、すごい。さいたまスーパーアリーナでダンスできるんか。」

「実は私、そのライブのチケット持っているんだけど。まあ、無駄になってもいい。」

「そりゃ観るより出る方が楽しいだろう。」

「だよね。」

「リハーサルが3月21日だけど、大丈夫?」

「春休みなので、大丈夫です。由佳ちゃんは?」

「高校を卒業しているはずなので、大丈夫です。」

「由佳、落第したら?」

「亜美、縁起でもないことを。落第しても春休みなので、その2日は大丈夫だよ。」

「由香ちゃん、ちゃんと卒業しようね。」

「余裕です。高校3年の3学期は大学受験する生徒が多いので、期末試験がありません。」

「なるほど。それで、由佳ちゃん、亜美ちゃん、そのライブでのバックバンドは、すっカーズがやってくれるんだよ。」

「何ですか、そのバンドは。」

久美が答える。

「デスデーモンズのこと。すっカーズは、デスデーモンズが明日夏のバックバンドをするときだけの名前だよ。」

「ははははは。もしかして、すっか、すっか言っているから、すっカーズですか。それはいい。うん、いい。いっそのこと、本当にデスデーモンズは元の名前もすっカーズに変えるべきだよ。その方がピッタリだ。」

「由香ちゃん、有難う。その名前、私が考えたんだよ。」

「へーー。明日夏さんが。怖いと言っておきながら、言うときはズバリと言うんですね。」

「えーー、そんなでも。」

「それより、あいつら、ビビっていなかったですか、会場がさいたまスーパーアリーナって聞いて。」

「うん、ヘルツレコードが用意したバックバンドもすごいらしくて、それにも驚いていた。でも、橘さんの一言でやる気を出した。」

「さすが、橘さん。」

「本番までに猛特訓をやるわよ。でも、1曲だから大丈夫だと思う。大舞台で演奏して、自信につながるといいんだけど。」

「久美の言う通り。彼らに素質はあると思う。もう一歩足りない感じなんだ。」

「そうだわね。」

社長が由香と亜美に明日夏のイベント会場への出発を告げる。

「あー、もうこんな時間か。じゃあ、由香ちゃん、亜美ちゃん、もうそろそろ行くよ。明日夏ちゃんと久美は、練習の後にタクシーで。」

「あのおんぼろバン、結構好きだぜ。」「裏方として行くのちょっと楽しみ。」「由香ちゃん、亜美ちゃん、会場でね。」「じゃあ明日夏、練習を始めようか。」


 午後3時30分ごろに当選者の番号が張り出された。誠は緊張して、張り出された表を見た。

「こんなに緊張するのは、大学の合格発表の時以来か。」

残念ながら、1番はその表になかった。パスカルから声がかかった。

「見たところ1番がなかったから、湘南は外れたということか。」

「はい、残念ながら。」

「そうか、俺もだ。」

「そうですか。」

ラッキーが誠とパスカルに声をかける。

「僕は番号があったけど、二人はなかった感じ?」

「はい、残念ながら。」

「朝から並んでいたのに、残念と思うかもしれないけど、こういうことは良くあるから気にしない方がいい。僕も広島から朝一で来ても外れることがしょっちゅうある。今回のことは忘れて、今できることを先に進めた方がいい。」

「はい、ラッキーさんのおっしゃる通り、仕方がないと思っています。会場がガラガラになるよりは、人気があった方が気が楽です。」

「その通りだ。イベントはまだ結構残っているし。イベントの日程をみると、今回、大きな箱が取れなかったのか、一番狭い。」

「ラッキーさんのおしゃる通りです。キャパ80以下は今日だけです。」

「そうだな。次か、次の次には必ず入れるよ。」

「はい、そう思います。」

「君もDDになれば、一人の演者で当たらなくても、別の演者のところに行けばいいだけなんだけれどもね。」

「今のところは、無理かもしれないです。」

「まだ若いし、そうかもね。それじゃあ、僕は会場の方に行くけど、明日夏ちゃんのイベントにもまた何回か来ると思うので、そのときにまた。」

「はい、また。」

「パスカルは、来週土曜のミサちゃんで。」

「はい、では来週。」

ラッキーが会場に向かった後、パスカルが誠に話しかける。

「よーし、湘南、時間ができただろう。行くぞ。」

「えっ、行くって、どこへですか。」

「アキちゃんの店に決まっているだろう。」

「何でです。」

「アキちゃん、頑張っているようだから応援しなくちゃだめだろう。」

「まだ明日夏さんのイベントが続きますし。」

「でも今日はもう暇だろう。それに、もうアキちゃんに行くって連絡しちゃったよ。」

「パスカルさんは、勝手に。」

「でも行ってみようぜ、メイド喫茶でどんなパフォーマンスをするのか見てみたくはないか。」

「パスカルさんが、メイド喫茶に行きたいだけじゃないですか。」

「湘南は行ったことがあるのか。」

「ないですけど。」

「それに一人じゃ行きにくいだろう。」

「それはそうですけど。」

「じゃあ、行こうぜ。」

「うーん、わかりました。アキさんも応援すると言ったので、とりあえず行って様子を見てみましょうか。今日は会場に入れなかったので、コールブックの修正もできないですし。著作権の件は、明日調べます。」

「さすがだ。俺がみこんだオタクだけのことはある。」

「勝手にみこまないで下さい。」

誠とパスカルは電車で秋葉原にあるメイド喫茶ビートエンジェルスに向かった。


 悟、由香、亜美がイベント会場に到着した。

「道が混んでいて、到着が少し遅れたか。」

「社長、まだ大丈夫です。社長は、店に挨拶してきてください。亜美、社長と一緒に行って台車を借りてきて。俺は、荷物を台車に載せる準備をしておく。さっさと片づけましょう。」

「由香ちゃん、亜美ちゃん、手伝えなくてごめん。」

「社長は、とっとと行ってくる。」

「分かった。」

由香と亜美はバンと会場を2往復ぐらいして、荷物を運び入れた。

「荷物、大したことはなかったな。」

「でも、待っているお客さんの注目を浴びて恥ずかしかった。」

「100人近くいたよね。でも亜美、そんなんでアイドルできるのか。注目を浴びるのが快感ってなぐらいにならないと。」

「由佳は、快感なのか?」

「おう、たくさんの人の前でダンスが上手くいって拍手をもらうとすごい快感だ。」

「快感は無理でも、慣れないとね。」

「でももう次は3万人の前で踊るんだぞ。さっきの人の30倍はいるんだ。」

「そうだね。かなり憂鬱になってきた。」

「練習すれば大丈夫だ。」

「違うよ、由佳。」

「何が?」

「300倍だよ。」

「何が?」

「3万を100で割ったら、300だよ。」

「そんなの、どっちでも同じだ。練習しかないぜ。」

「それしかないか。」

「せっかく家が離れていないんだから、近くの広場で練習しようぜ。3万とはいかないが、10人ぐらいには注目される。」

「そうか、由佳にしては、まともな意見だよ。」

「何だよ。してはって。」

「ごめん。由佳はいろいろ経験があるから、ためになるわ。」

「おー、その通りだ。」

「そう言えば、まだ会場チェックが残っていた。社長にもらったチェックリストで、会場をチェックしておかないと。」

「OK、手分けしてやっちゃおう。」

悟は店長のところに挨拶に行った。

「今日はお世話になります。」

「こちらこそ、よろしくお願いします。」

「我々の到着は少し遅れましたが、明日夏は間もなく来るという連絡が入っていますので、予定通り開催できると思います。」

「今日はこれが最後のイベントですから、多少の遅れは大丈夫ですが、時間通りできそうですね。」

「はい、到着したらリハーサルをして、本番に備えます。売れ行きはどうでしたか。」

「140ぐらい売れて、抽選になりました。半分近いお客さんが落選となりました。店としては助かりますが。」

「有難うございます。ネット販売のデータでも当初予想より売れているとの連絡が、ヘルツレコードからもありました。」

「そうですか。それは良かったです。うちは少し狭いですが、次回CDのリリースの際にも当店でイベント開催をお願いできればと思います。」

「わかりました。はい、是非、お願いしたいと思います。」

「有難うございます。」

「それでは、私は会場の方へ向かいます。」

「はい、有難うございました。」

社長が会場にやってきた。

「由香、亜美、お疲れ様。」

「運んだ荷物はここに置きました。」

「チェックリストもOKだぜ。」

「有難う。イベントでの二人の役割だけど。ライブの間は観客席を見ていて異常があったら知らせる係かな。特典会が始まったら、由香ちゃんか亜美ちゃんのどちらかが、スマフォで明日夏や会場の写真を撮ってもらえるかな。」

亜美がカメラを見せながら言う。

「カメラを持ってきたので、私が写真を撮ります。」

「へー、デジタル一眼カメラだね。亜美ちゃんはカメラが趣味なの?」

「はい、中学校の時に写真部に入っていて、そのころからデジタル一眼カメラを使っています。」

「じゃあ、今日はライブも特典会も写真撮影は亜美ちゃんにお願いするね。明日夏や会場の様子を、適当に撮影してもらえるかな。消耗品とか必要だったら会社から出すから。」

「デジカメなので消耗品はありません。写真撮影は趣味ですから、撮影できた方が嬉しいです。」

「そうか。じゃあ頼んだ。」

「あっちは何をすれば。」

「会場の後ろで見ていて、何か異常があったら連絡をお願い。」

「わかりました。社長は?」

「ライブ中はステージの横にいる。特典会では、写真を渡す時間を管理する係を担当するよ。」

「了解です。」

 明日夏たちが到着した。

「由佳ちゃん、亜美ちゃん、有難うね。二人がイベントをするときは、私が荷物運び手伝うからね。」

「明日夏さんは、そんなことを心配せずに、次のCDをバシッて決めて下さい。」

「そうそう。」

「そうだね、夏のアニメのコンペがあるから、そっちに集中だね。明日夏ちゃんに合った曲だから是非通したい。」

「はい、社長、頑張ります。」

「春アニメの曲は、明日夏には合わなかったと思う。受からなかったことは忘れて、今度の曲に集中だよ。」

「というか、春アニメの曲はどんな曲だったか覚えていなかったりします。」

「そうか。じゃあ、なおさら次の曲に集中だ。」

「了解です。」

久美が確認する。

「手順は昨日とだいたい同じ。渡すものが違うだけ。セットリストは覚えている?」

「『二人っきりなんて夢みたい。でも、夢じゃない。』、カップリングの『やってられるか』、カバー曲の『ステラブリーズ』」

「その通り。歌詞も大丈夫ね。」

「だいたい。」

「だいたいじゃだめよ。」

「わかりました、今、確認します。」

「お願いよ。」

 イベントも2回目ということもあり、明日夏はそれほど緊張することなく、と普通は書くところであるが、1回目からそれほどは緊張していなかったので、2回目は全然緊張していなかった。満員の会場で3曲歌った後、サイン入りのアーティストフォトお渡し会になった。何番目かに、ラッキーさんが明日夏の前に進み出た。

「ミサちゃんから、こっちに来たんだけど、楽しかったよ。」

「本当。有難う。私もミサちゃんに会いたい。」

「同じレコード会社なのに会えないの。」

「今のところ。でも3月のライブで会えると思う。」

「そうか。僕も楽しみにしている。それじゃ。」

「有難うございました。」

その後何番目かに、背の高い男が明日夏の前に立った。

「今日も来ちゃったよ。」

「2日連続、有難う。」

「明日夏ちゃんのコールブックを作ってるオタクが入れなくて、可哀そうだった。」

「お客さんが一杯なのは嬉しんだけど、ごめんなさい。会ったらよろしく伝えてね。」

「うん、伝えておく。では、また。」

「有難うございました。」

こんな感じでアーティストフォトを手渡しながら、1人10秒程度の会話を80名の客として、特典会は無事終了した。その後、店の宣伝のためにSNSにアップする写真を撮影してイベントでの活動は終了した。荷物が少なかったため、由佳と亜美が台車を押しながら5人はいっしょにバンへ向かった。バンの運転席に悟、助手席に久美、後部座席に由佳、亜美、明日夏が乗り込んでバンは出発した。悟と久美が明日夏をねぎらう。

「明日夏ちゃん、お疲れ様。」

「お疲れ様。」

「あまり疲れていないです。」

「それは良かった。ここまで、売り出しは順調だね。」

「本当、順調すぎで怖いぐらい。明日夏、次のイベントは今度の土曜日ね。」

「それまでは、ゆっくりできますね。」

「月曜日はお休みにするけど、夏アニメのコンペあるから、火曜日はその練習が始まる。」

「社長が私に合っていると言っていました。」

「うん、そう思うけど、曲は一昨日来たばかりだから、明日、細かくチェックするわ。」

「あと、明日夏ちゃん、木曜日にアニソン雑誌の記者さんが来るので、取材を受けて。取材費は入らないけど、宣伝になる。」

「それで、金曜日には、土曜日の準備をしないと。」

「分かりました。でも、なんか急に忙しくなりましたね。」

「メジャーデビューしたんだからしょうがない。でも、CDリリースが順調に続けば、バイトしなくてもやっていけるわよ。」

「そう言えば、明日夏ちゃんは、事務所が紹介した以外のバイトをしているんだっけ?」

「先月から外でやるバイトは止めて、家でできることだけにしています。」

「そうだね。芸能人になったから、その方がいいね。」

亜美が由佳に話しかける。

「デビューって、したらしたで大変そう。一つCD出したら、もう次のことも考えないといけないみたいだね。」

「それは、デビューできてから心配しようぜ。」

「それもそうだね。」

「そんでも明日夏さん、いっぱいのお客さんの前で堂々としていて、カッコ良かったです。」

「有難う。由佳ちゃん。」

「明日夏さん、写真がありますよ、見てみますか。」

「本当!?見せて見せて。」

亜美がデジカメを明日夏に見せる。

「有難う。データもらっていい?」

「もちろんです。でも、メールで送るには大きいからどうしよう。」

「ノートパソコン持ってきているから、SDカードを貸してもらえればコピーできる。」

「明日夏さんがノートパソコンを持ち歩いていると言うのは少し意外でした。」

「パソコンだと、メールも便利だよ。バイトもこれでやっているし。写真、家に帰ったら、データボックスにアップロードして、そのURLをみんなに連絡するね。」

「分かりました。SDカードを取り出します。」

亜美がSDカードを明日夏に渡し、ノートパソコンにコピーした後に亜美に戻した。

「悟、若い子はすごいわね。」

「このぐらいなら、僕でもできるよ。」

「無理に張り合わないの。」

「まあね。こんなに自然にはできないかも。」

明日夏が写真が映っているノートパソコンの画面を見せる。

「私です。」

久美が言う。

「ほんと。堂々として、プロの歌手らしくなったわ。」

「僕は運転で見れないけど、想像はつくよ。久美の場合、ステージの上のMCのときは顔が青くなるぐらい緊張しちゃうから。」

「うるさいわね。蹴るわよ。」

「それじゃあ、一社心中になっちゃう。」

「それは、困るわね。」

「それじゃあ、蹴らないで。」

「うん、事務所に帰ってからにするわ。」

由佳が亜美に言う。

「仲がいいんだか、悪いんだか。」

「どう見たって、仲がいいんでしょう。」

「男女で仲がいいって、ラブラブだろう。」

「もしかすると、ラブラブはすでに超えているんじゃ。」

「由佳、亜美、勝手なことを言っていない。しいて言えば、一緒に戦ってきた戦友みたいなものよ。」

「まあ、そういうことにしておきましょう。」

久美が話しを変える。

「そう言えば、今日は昨日より応援にまとまりがなかったわね。」

「久美の言う通りだけど、昨日の先頭の3人が来ていなかったからじゃないかな。」

「特典会の時にその人たちのことを話しているお客さんがいて、朝から並んでいたのに入れなかったんだそうです。」

「そうなんだ。次の会場は、200人ぐらい入れるから大丈夫だとは思うけど。」

「一人は、私の歌のコールブックを作ってくれているそうです。もう一人は、橘さんのファンになると言っていました。」

「そうだったわね。まあ、嬉しくないことはないけれど。いずれにしろ、この業界では、ファンは平等に扱うことを忘れてはいけないわよ。」

「はい、二人ともイケメンというわけではないので、それは大丈夫です。」

「正直なのかもしれないけど、明日夏、この仕事でそれは言っちゃダメ。」

「はい、大変申し訳ありません。」

「まあ、オタクっぽくはあったけど、女子高校生一人と男性二人のグループみたいで、あまり危なそうではなかったわ。でも、トラブルになりそうだったら早めに知らせてね。」

「私より、その女の子、大丈夫かな。少し心配。」

「どっちかというと、女子高校生一人に男性二人が使われてそうなグループだったような気がしたけど。」

「なんだ、うちみたいなものか。」

「悟、今なんか言った。」

「いえ。でも今まではロックバンドで男性の演者ばかりで、あまり心配なかったけど、由佳ちゃんや亜美ちゃんのこともあるし、今後は安全面も考えないといけないか。」

「悟、キックボクシング、教えようか?」

「いや、いい。久美の歌の練習の感じで教えられたらたまらない。」

車の中が笑いに包まれた。

「もうすぐ駅だよ。由佳ちゃん、亜美ちゃん、今日はお疲れ様です。」

「社長、ありがとな。」

「有難うございます。」

亜美と由佳は近くの駅前で降りた。そして、明日夏は別の地下鉄の駅前で降りた。

「じゃあ、明日夏ちゃん、火曜日に。」

「気を付けて帰ってね。」

「社長さん、橘さん、お疲れ様です。それでは、火曜日に。」

そして、バンは事務所へ戻っていった。


 夕方の6時ごろ、パスカルと誠はビートエンジェルスの前に到着した。

「よしここだ、入るぞ。アキちゃんに連絡してあるから大丈夫なはずだ。」

「はい。」

パスカルがドアを開けた。中を見ると、日曜日の夕方のためか、お客が少なく閑散としていた。パスカルと誠の来客に気が付いたアキがやってきた。

「お帰りなさいませ、ご主人様。どうぞ、こちらへ。」

パスカルが答える。

「おっおう。」「おじゃまします。」

「お邪魔しますではなくて、ただいま、よ。」

「ただいま。」「ただいま。」

「ご主人様、どうぞこちらへ。」

「おう。」「はい。」

席に着くとメニューを渡す。

「ご主人様、メニューはこちらです。何をお召し上がりになりますか。お勧めは愛情たっぷりオムライスとぷりぷりタピオカミルクティーでございます。」

「じゃあ、それで。」「ぼくも。」

「かしこまりました。愛情たっぷりオムライスとぷりぷりタピオカミルクティー、2つづつでございますね。」

「はい。」「はい。」

アキがカウンターの方に向かう。

「こういう感じの所なのか。」

「なんか落ち着きませんね。」

「まあ、いつもはネカフェだから。」

「僕もです。時間をつぶすには最高ですよね。」

「その通りだ。」

少しして、アキがオムライスとミルクティを持ってきた。オムライスの上にケチャップでハートを書く。

「美味しくなーれ、美味しくなーれ、もえもえきゅん。美味しくなーれ、美味しくなーれ、もえもえきゅん。はい、アキの愛情たっぷりオムライス。」

「有難う。」「有難うです。」

「ショータイムは20分後ぐらいだから、食べて待っててね。ここは、アイドル志望の子が多いからレベル高いと思うよ。あと、明日夏ちゃんの曲も歌うから。ショーが終わったら、感想を聞かせて。」

「分かった。」「はい。」

「いや、湘南がいて良かったよ。一人じゃ心細い。」

「はい、僕もです。」

「湘南。なんで、周りを見回しているんだ。」

「店に飾りつけのコンセプトみたいのものがあるのかなって思って。」

「どうだ?」

「まあ、想像上のアイドルの部屋みたいな感じなんでしょうか。」

「確かに、女の子の可愛くて華やかな部屋という感じだ。」

「実際の女の子の部屋は違うと思いますが。」

「そうなんだ。女の子の部屋なんて入ったことがあるんだ。俺はないぞ。」

「女の子というより、妹の部屋ですが、国際政治とか紛争に関する本が並んでいます。」

「男子アイドルのポスターとかは貼っていないのか。」

「トムクルーズとかトムハンクスの写真なら見たことがあります。」

「なるほど、トムが好きなのか。」

「別にそういうわけではないと思います。出演している映画が好きなんじゃないでしょうか。」

「しかし、渋いな。」

「それは、そう思います。」

「湘南はどんな映画を観るんだ。」

「最近は、日常系アニメの劇場版が多いです。」

「そうなんだ。俺は転生ものの劇場版かな。」

「流行っていますよね。」

「男の欲望を叶えてくれるからかな。」

誠とパスカルが、そんな話をしているうちに、ショータイムの時間となった。店の一画に低くて小さいがステージがあり、少ない客がステージ前に集まり始めた。

「湘南、行ってみるか。」

「そうですね。せっかく、ペンライトも持ってきていますし。」

ショーが始まった。5人のグループで、アイドルの有名な曲をダンスと共に歌うショーである。アキは5人グループのセンターで、元気よく歌って踊っていた。ショーが終わると、客は席に戻った。アキがやってきた。

「どうだった?」

「すごくよかった。華やかで、みんな可愛くて。また、絶対来るよ。」

「有難う。待っているね。湘南は?」

「一生懸命やっていて、ダンスは華やかで良かったと思いますが、歌がやっぱりプロとは違う感じがしました。声が、細いというか、弱いというか、喉からでているというか。」

「俺は、お世辞じゃなく、アキちゃんの歌が好きだぞ。可愛かったし。」

「好きという人がいるのはわかりますが、やはりなんか素人が歌っているという感じは否めませんでした。」

「どうせ湘南は、明日夏ちゃん単推しだし、明日夏ちゃんじゃないとだめなんだろう。」

「明日夏さんも、少し素人ぽさが残っています。でも、これからどんどん上手になっていくと思うので、応援したくなる感じです。」

「じゃあ、湘南がプロの歌手としてだれが一番優れていると思うんだい。」

「ベテランは除いて、若手の歌手で考えると、大河内ミサさんだと思います。昨日、みなさんがいいと言うので、どんな歌手だろうと思って、配信サイトからダウンロードして聞いてみたのですが、大河内さんは外見だけじゃなくて歌も完璧でした。例えるならば、コーディネーターのお姫様ですか、って感じです。」

「俺もミサちゃんは可愛いだけじゃなくて、本当に歌もすごいと思う。でも、何で湘南はミサちゃんを推さない。」

「まず僕がロックよりポップミュージックの方が好きということもあります。」

「まあ、そうか。俺はロックも好きだがな。」

「あと、僕が推そうが推すまいが全く関係なく、大河内さんに人気がどんどん集まってくることは間違いないです。世界で活躍できる歌手になるんじゃないでしょうか。住んでいる世界が違いすぎる気がします。明日夏さんの方が僕がわずかでも力になれるかもしれないという感じだと思います。」

「それも横柄な考えだな。ミサちゃんは別格としても、アキちゃんだって、まだまだこれからだよ。」

「そうです。そうですが、かなり厳しい道になるように思えるということです。」

「やめて、二人とも。私のためにケンカしないで。」

「大丈夫だよ。アキちゃん、これはケンカでなく、単なるオタクの議論だよ。」

「良かった。」

「もしかすると、さっきの言葉は、こういう喫茶店のお決まりの言葉なんでしょうか。」

「ううん、ただ私が言ってみたかっただけ。」

「そうですか。」

「初めて言えて嬉しかった。パスカル、湘南が言っているようなことは、オーディションに行ってもよく言われるから気にしないよ。これからもアキは歌の練習頑張るよ。それで、湘南、結局アキも応援してくれる?」

「はい、アキさんが頑張ると言うならば、できることで応援していこうと思います。」

「ありがとう。湘南はどんなことができる?コンピュータに強そうだからMIDIデータとか扱える?」

「はい、できると思います。あとはホームページを作ったり、イラストレーターを使ってチラシの作成とか。」

「それは頼りになるわ。じゃあ、今後ともお願いね。」

「分かりました。」

「パスカルは?」

「俺は何でもやるよ。」

「じゃあ、プロデューサーかな。」

「プロデューサーか、カッコいいな。わかった。プロデューサーをやるよ。」

「有難う。」

「で、プロデューサーって具体的には何をやればいいの?」

「イベント会場と交渉して出演枠を確保したり、物販をマネージしたり、いろいろかな。」

「雑用係というわけか。仕事場でも雑用係だから得意だよ。アニソン歌手を単に推すよりは面白そうだし。」

「パスカルも有難うね。」

「あの、でも、僕は画像の加工はできますが、イラストを描くこと自体はそれほど得意じゃないので、プロに依頼しないといけないかもしれません。」

「昨日の明日夏ちゃんのイベントに来ていた、コッコという人が漫画なんかも描いているそうだから、イラストはお願いしてみる。明日夏ちゃんのイラストも書いているそうだから、湘南のコールブック用に提供してもらえないか聞いてみるね。」

「有難う。」

「ところで、もしかするとコッコさんて女性なの?」

「パスカルの興味はそっちだよね。うん、一応そう。20歳のJD(女子大学生)だよ。」

「それは会うのが楽しみだ。」

「パスカルさん、一応言っておきますが、アキさんは高校1年生で、何かあると逮捕されますから気を付けて下さいね。」

「それは、お前も同じだろう。」

「それはそうですが。」

「それに、20歳は合法だ。」

「でも、そういうことを持ち込むと、サークルが壊れますよ。」

「大丈夫だ。たぶん相手にされない。俺もお前も。」

「一緒にしないで下さいと言いたいところですが、現実が厳しいことは知っています。」

パスカルと誠が苦笑した。それを見ていたアキは「これはコッコが喜びそうだ。」と思った。

「それじゃあ、連絡用にSNSのグループを作ろうか。私のプロデュースをするメンバーのグループね。コッコは私から誘っておく。」

「了解。」「お願いします。」

「名前は何にする?」

「えーと『アキPG』では。PGはプロデューサーズグループの略です。」

「湘南、ナイス。そうする。」


 SNSのグループを登録した後で、誠が尋ねる。

「アキさんも、言うと何ですが、まずは地下アイドルのイベントに参加したいんですよね。」

「地下アイドルで大丈夫だよ。うん、その通り。今までは、成人の責任者がいなくて参加できなかったんだ。パスカルがプロデューサーになってくれたから参加できる。」

「そうだな。地下アイドルのイベントへの参加を計画しよう。」

「アキさんが参加できそうなイベントっていつになるか分かりますか。」

「とりあえず今はパラダイス興行のオーディションに集中しているけど、二人も明日夏ちゃんのイベントが終わってからがいいんだよね。」

「できることは、その前からやっておくけど、本格的な活動はそうかな。」

「僕も同じです。」

「そうだとすると、CDを作成しなくてはいけないから、4月初旬ごろからかな。その後に開催されるイベントの候補のリストを作って、『アキPG』に送るね。」

「有難う。俺はそのリストのイベントを詳しく調べておく。」

「アキさんはパラダイス興行のオーディション、受けることにしたんですね。」

「もちろん、チャンスには挑戦しないと。書類を今作っている。」

「うまく行ったら、明日夏さんの同僚ですか。すごいですね。」

「まあ、そんなに簡単じゃないわよ。メジャーの明日夏さんがいる事務所ということで、志望者も多いだろうし。」

「アキちゃん、書類ができたら見せてくれる。誤字脱字をチェックするのは得意だ。」

「分かった、できたらパスカルに送るね。ところで、雑用係って、パスカルってどんな仕事しているの?」

「いわゆる、地方公務員だ。」

「そうなんだ、じゃあ書類作成のプロね。」

「おう、書類作成なら任せてくれ。」

「じゃあ、アキさん、僕も、面接で話すことのメモがあったら、見てみますので送ってもらえますか。」

「分かった。有難う。」

「それと、アキさんの活動のホームページはとりあえずあったりしますか?」

「ブログならあるけれど。ホームページはまだ。」

「わかりました。じゃあ、僕はそのあたりから始めたいと思います。明日夏さんのホームページを作ったばかりなので、それを流用して新しいものを作ります。」

「有難う。写真やデータを揃えて送るね。」

「はい、さっきのSNSのグループを使って送ってください。容量が大きいときは、データボックスのURLを連絡するので、そこにアップロードして下さい。」

「わかった。」

「ホームページの名前はどうします。」

「うーん、アキのホームページ。」

「パスカル、そのままじゃん。プロデューサーとしてもう少し捻ろうよ。」

「アキちゃんのホームページ。」

「ちゃんを付けただけじゃん。」

「アキのアイドル部屋。」

「だいぶ良くなった。」

「アキさんが歌う海浜公園」

「湘南、さんはいらないけど、アキが歌う海浜公園。まあまあかな。公園はいいとして、なんで海浜なの?」

「近くに海が綺麗な海浜公園があるからでしょうか。」

「湘南に住んでいるからね。わかったわ。」

「それで、水着写真を掲載しろっていう事だろう。」

「湘南は、パスカルじゃないんだから。」

「プロデューサーは売れるためなら何でもする。」

「極悪プロデューサーめ。」

「アキさんは、高校1年生ですから、やっぱり水着は止めましょう。」

「そうね。ホームページに水着は恥ずかしいかな。」

「とりあえず、水着なしということでいきたいと思います。僕も妹に見つかると、何て言われるかわからないので。普通の服を着た海辺での写真で使えそうなものはありますか?」

「ごめん、今は分からない。」

「お友達にお台場あたりで、普通の服で撮影してもらったらどうでしょうか。」

「分かった。じゃあパスカル撮って。」

「いいけど、僕でいいの?友達じゃなくて?」

「だって、お台場あたりで、カッコつけて写真を撮ったら、友達にバレちゃうじゃん。旅行のついでなら、彼に渡すとかごまかせるけど。」

「アキちゃん、彼氏がいるの?」

「いないよ。アイドルをやろうというのにいるわけがないじゃん。」

「そうだよね。」

「ただ、アイドル活動のために必要というより、彼のためって言った方が自然でしょう。」

「そうなのか。湘南は若いからアキの言うことが分かるか?」

「いえ、アキさんの話には元からついていけていません。」

「だよな。まあいい。俺が写真を撮ればいいんだろう。分かった。」

「有難う。」

「最終的な、ホームページの名前は?」

「アキが歌う海浜公園。」

「パスカルさん、プロデューサーとして、OKですか。」

「OKだ。夏に薄手の服の写真とかは有りですか。」

「まあ、私が気に入るものがあったらね。」

「無理を言ったら犯罪になりますからね、パスカルさん。」

「分かっているって。それじゃあ、俺がすぐにしなくてはいけないことは、アキちゃんからイベントのリストが来たら、調べておくことかな。」

「うん、お願い。本当にありがとう。強力な助っ人を2人も得た感じだよ。」

「助さん、格さんか。」

「そんなこと言っても、普通の若い人は知りませんよ。」

「子供のころ再放送で見たから、一応知っているわよ。」

「そうですか、それじゃあ、僕たちは、うっかり八兵衛にならないようにしましょう。」

「そうだな。じゃあ、湘南、頑張っていくぞ。」

「はい。」

 そのような話をしているうちにビートエンジェルスの閉店時間となった。

「今日はいろいろありがとうね。パスカル、湘南、よろしくお願いね。」

「プロデューサーって呼んで。」

「はい。プロデューサー、頑張って下さいね。」

「おう。」

「ホームページの原案は急いで作成しますので、終わったらお見せします。」

「有難う。それじゃあ、二人とも、行ってらっしゃいませ。」

「行ってくる。」「では、また。」


 パスカルと誠が店を出た。

「来週は土曜日がミサちゃんの後に明日夏ちゃん、日曜日が明日夏ちゃんだ。湘南は両方とも明日夏ちゃんオンリー。」

「はい、その通りです。」

「たまにはミサちゃんの方にも来てみないか?生歌も本当にCDより迫力があっていいぞ。」

「それはわかりますけど、しばらくは明日夏さんとアキさんに集中します。明日夏さんと大河内さんは同じヘルツレコードですし、たぶん同じライブに出演することもあると思いますので、その時に生の歌を聴こうと思います。」

「湘南は、律儀なやつだな。」

「そうでしょうか。」

「それが湘南のいいところなんだろう。それじゃあ、また来週。」

「はい。今日は来てよかったです。じゃあ、来週。あっ、ホームページが出来たらSNSで連絡しますので、チェックしてみて下さい。プロデューサーとして。」

「おう。プロデューサーとして見てやろう。」


 誠とパスカルは電車で帰宅した。誠が家に着いたのは夜9時を回っていた。玄関を開けると、尚美が階段を降りてきた。

「尚、ただいま。」

「お兄ちゃん、今日は遅かったのね。」

「パスカル、えーっと、明日夏さんのファンの人と、明日夏さんを応援する計画を練っていた。」

「パスカルって男?」

「そうだよ。」

「ふーん、居たのはパスカルだけ?」

「あとは、ラッキーさんもコールブックや中の著作権のこととかで相談に乗ってもらった。」

「やっぱり男?」

「明日夏さんを推すのは基本的に男だよ。」

「そっか。お母さんが、ご飯が片付かないから早く食べて欲しいみたい。」

「分かった。荷物を置いたら、すぐに行くって言っておいてくれる。」

「うん、伝えておく。」

誠は自分の部屋に向かった。尚美をそれを後ろから眺めていた。

「何をしていたんだろう、お兄ちゃん。嘘は言っていなさそうだけど、本当のことも言ってなさそう。」

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