996+4 その5
三日目、彼に名前を訊かれた。
「し、しある」
「『シアル』?」
彼が、ぎょっとした顔をする。
その反応は、予想していた。おれは居心地が悪かった。
「その名前……」
「うん。父さんと千年前の約束をした人の名前だよ。絶対に名前を忘れないように、あとは見つけてもらえるようにって、おれにこの名前をつけたんだ。父さん、ずっとその人の名前言ってたから」
彼はまた、大きくため息をつくのだろうと思った。彼のよくする仕草は、顔をぎゅっと真ん中に寄せることと、魂の半分ぐらいが出てしまいそうなほどに、ため息をつくこと。
ところが、今回は違っていた。泣きそう、嬉しそう、悲しそう、幸せそう。そのどれもを飲み込み切れずに、舌の上で持て余すような顔だった。
やっぱり、おもしろい人だ、と思った。
「人の親には散々言っておいて、自分だって、ちゃんと自分の子どものこと見てないんじゃないか……」
「親?」
「いいや。こっちの話」
彼は、何やらぼんやりと思いを巡らせているようだった。おれは、おずおずと切り出した。
「君の名前は?」
今度は、彼は露骨に嫌そうな顔をした。あの、中心にパーツが寄る顔である。
彼はぐっと口を引き結び、わずかな歯の隙間から、その名前を名乗った。
「ミチル」
「! 父さんと、同じ名前だ……!」
「そうだよ」
目の前の「ミチル」は、大きくため息をついた。よく見る顔、その二。その一のしかめつら、その二のためいき。彼の反応はどれもおもしろいけれど、年に似合わない仕草が多い。
「あいつの名前を忘れないために、代々この名前がつけられてるんだ」
苦い野菜を噛み砕くように、「ミチル」は言った。おれは想像してみた。家族の名前、みんなが「ミチル」。
「じゃあお父さんもおじいちゃんもそのお父さんもそのまたお父さんも、みんな『ミチル』なの?」
「ああ。女でもこの名前がついてる」
「へえ……なんだかそれは楽しそうだね!」
彼は目をぱちくりとさせた。
あ、それもけっこう見る。よく見る表現その三に、加えておこうと思った。いつも細くなっている目が、年相応のかわいい真ん丸に戻る瞬間。ずっと、そういう顔をしていればいいのに。
彼は目をかわいい形にしたまま、言った。
「やっぱり、あいつの息子だな」
「そう?」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ」
言われて、自分の頬を触ってみる。確かに、嬉しそうに頬の肉が上に寄っていた。
おれは思い出していた。まとう光の粒の色、髪の色、目の色、服の宝石の色。
よく笑う、少女のように無邪気な、おれの父親。
「嬉しいよ! おれにとっては、自慢の父さんだったもん」
「……そっか」
彼は、ほんの少しだけ目尻を下げた。これも、笑顔の一つなんだろうか。
彼と話していると、不思議な気分になる。
ミチルは――せっかく名前を教えてもらったのだ、これからは積極的に使っていこう――普通の人間の子どもで、ちょっと老成した雰囲気はあるものの、おれにとっては九十一年も歳が違う、まだ無垢な生き物のはずだった。
けれど彼は、どこか違う。もっと黒く、寒く、冷めた熱を持ち、中に渦巻くものがあって、それはおれの知っているものではない気がする。
そして、父の二千年とおれの百年とミチルの十五年を比べた時、おれたちはまだ差の少ない百と十五であるはずなのに、なんだかそういう感じがしない。むしろ、父の二千年と、ミチルの十五年の方が近いような――
父親の友達、という感じがする。
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