夜の海で
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月は、水平線に沈まない。彼が、月を引っ張ってきたのだ。
憎かった。自分の祖先を殺したという魔法使いが。僕と、僕の両親を「憑かれモノ」なんかにした、魔法使いが。僕を苦しめる、月に誘惑する、恐ろしい生き物が。
でも、この人との繋がりに、自分の居場所があると思った。
死にたかったわけじゃない。でも、あの月に連れていかれるなら、それもいいか、と思った。夜の海の冷たさを、足の痺れを、震えて止まりそうになる呼吸を、決して僕は拒まなかった。
あれほど憎んでいた魔法使いには、形があって、温度があって、意思があって、痛みがあって心があって。
その魔法使いは、僕の手をとった。
あの時、僕は独りで、ちゃんと僕に向かい合ってくれたのは、彼だけだった。
目を見て、隣にいてくれた。
周りには、誰もいなかった。
僕を大切に思うのなら、僕を手放さず、大変な目にあってもそばにいてほしかった。
引き取ってくれただけありがたい、わかってるよ、わかってるけど、たまには抱きしめてほしかった。
そうだよ、あんたのいう通りだ。僕は、人と関わる苦しみに、怯えていたんだ。また石を投げられるんじゃないか、誰かを失うんじゃないかって、優しい無関心と本物の無関心の違いに気づけないんじゃないかって、何もできずにいたんだ。
誰かと、心から繋がりたかったんだ。
楽しかった。はじめてできた友達みたいだったんだ。
たまらなく憎い存在に、たまらなく惹かれていた。これがどうしようもない運命だったらいいと思った。
あの日、海で、僕の「不在」を案じてくれた時。僕が死ななくてよかったと、笑ってくれたあの日。
僕を連れ去ってくれると、なんで言ってくれなかったんだろう。
悪い魔法使いが子どもをさらうなんて、いかにもありそうな話じゃないか。そうでなくとも、あの頃は毎日の大半をあんたのそばで生きていた。だから、さらってくれてよかったんだ。
そうしたら僕は、いつまでも、あんたのそばにいたのに。
あんたをこの世界の誰よりも呪いながら、一人で死にたくないと泣くあんたの手を握って、息の根を止めるその瞬間まで、目の前で笑ってやったのに。
別れた後で知った。魔法使いは、海が苦手なんだってね。
三日間、眠り込んだあんたに、僕は海に行こうと言った。あんたは、喜ぶみたいに賛成してくれた。本当に海でいいのかと聞いた時も、そこでいい、そこがいいと言った。
僕が、はじめてあんたに何かをねだった瞬間だったからだ。
あなたを恨まなければ、両親を裏切ることになる気がした。
あなたを恨むことにすれば、楽になれる気がした。
あなたを傷つけてみたかった。
僕の手をとってくれたのは、あなただけだった。
僕は最低の方法で、あなたの心に残ろうとした。
ああ、そうだよ。
憎くて憎くてたまらなかったあなたを、僕は同じぐらい――
執着。勝利。賭事。愉悦。背徳。呪詛。
魂についた、傷。
全部嘘だ。
憎いのも楽しかったのも寂しかったのも嬉しかったのも恨みたかったのも他のことも、全部全部、全部全部全部嘘だ。
僕は、ただ。
ねえ、ミチル。愚かな僕の、魔法使い。
僕も、ひとりでいたくないよ。
会いたいよ。
僕を、迎えに来て。
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