1000

 変な夢を見た。

 父と、一度も見たことがないはずの、「シアル」の夢だった。

 月が、海の水平線に沈んでいた。

 二人は海に浸かっていた。父が何事かを言って、「シアル」の手をとった。「シアル」はその手を強く握り返して、ざぶざぶと、海の中を進んでいった。

 二人の表情は見えなかったが、その背中は穏やかだった。

 父の身体は、光っていなかった。光の粒は、いなかった。


 目が覚める。

 枕元に宝石がいくつか、こぼれ落ちていた。

 それを拾い上げると、外が何やら騒がしいことに気がついた。

「火だーーーーーーー」

 叫ぶ声を聞き、おれは部屋を飛び出した。



 家の外に出て、辺りを見回した。人が向かって来る方へ走る。

 人の流れを見なくても、その中心は嫌というほどわかった。

 藍色の空の端が、眩しく滲んでいた。

 流れに逆らって走る中で、なぜ、どうしてという声を聞いた。

『なぜ、彼が火を放ったんだ』――

 おれは首を振って、音も振り落として、走り続けた。

 城塞の中庭に着くと、おれはうずくまりそうになってしまった。

 見渡す限り、赤と熱でいっぱいになっていた。

 木々を、壁を、舌のように赤が這う。熱さに取り囲まれている。黒い煙が、どんどん空に吸い込まれていく。

 息苦しさも、熱さも、どうでもよかった。ただ、自分を押しつぶすように立ち上る色が、音が、怖かった。

「魔法使いは、海が嫌いだ」

 中庭に、ぽつんと立つ人影を見つけた。おれは顔を上げた。

「水も、火も。だからあいつは、樽に詰められて海に流されたんだ。一年間も、その中で気を失ってたんだ」

 ミチルが、真ん中に立っていた。黒い外套に覆われた背中が、なんだかいつもより小さく見える。

 彼がなぜ火を放ったのか、その理由は一番燃えている場所が指し示していた。

 一番高い塔の下。先の遠征先で捕まえたという、魔法使いがいる牢があるはずだった。

 まだ、人々は逃げている。牢の番、夜の見回り、武器庫の管理。宿舎からだって、遠いわけじゃない。城壁のそばに邸宅を構える仲間だっている。

 ごめんなさい、と心の中で謝った。牢にいるという魔法使いの心配をしている余裕がなかった。

 今は、おれの知っているひとたちを、一人でも多く助けないと。

 手袋をとって、手を握ったり、開いたりしてみたが、おれの魔法では、現れたわずかな水はすぐに蒸発して消えてしまった。

 がこん、と音がして、おれはミチルの方を見た。

 彼の身体の向こう側に、樽があった。彼はそれを一つ、持ち上げて、そばの火の中へ放り投げた。中から液体がこぼれ出る。火が、激しく燃え上がった。逃げる人々から、悲鳴が上がった。

 おれは役立たずの手を握りしめ、一歩、近づいた。

「ミチル、だめ。海は、特に火の海は……魔法使いでなくても、怖いよ。人間だって、怖いよ」

 魔法使い一人を殺すのに、こんなことしなくたっていい。

 だが、おれの声は、彼に届いてはいないようだった。かくんと、彼の膝が折れた。が、彼はそのまま、膝で地を這い、宙へと腕を伸ばしていた。

「それなのに、海へ行こうと言ったら、嬉しそうにして、ついて来てくれた。……そうしたいって、言ったから」

「ミチル?」

「ああ、『ミチル』――お願いだ――」

 誰もいない場所に、縋るような。

 彼の膝が小さな岩にぶつかった。身体が傾いで、地面に叩きつけられる。それでも彼は身体を起こして、今度は腕で、ずるずるとどこかへ向かっていた。

 彼の魂が、何者かに飲み込まれてしまっているのがわかった。

 いや、「何者か」じゃない――

「ねえミチル――『シアル』。こっちを見て。君はもう、『ミチル』には会えないんだよ。だって――」

 だって父は、おれが殺してしまったんだから。

 おれが、父を死なせた。

 人間たちに脅されて、他の魔法使いを差し出せば、助けてやると言われて――

 誰かの名前をつぶやき続ける父を、指さした。

 ミチルが振り返る。その目の中にはいくつもの――あまりにもいくつもの思念が、感情が蠢いているのが見える。何年、何十年、何百年――それでも忘れられなかった、誰かの呪い。懇願。

 その目に、鮮やかで静かな、川の色が浮かんでいる。

 あたりには悲鳴が響き渡っている。熱い。まぶしい。怖い。この人たちを、おれが守らないと。

 目の前の、この男から。

 彼が微笑んだ。

「やっと迎えに来てくれたの、『ミチル』」

 その身体の真ん中へ、おれは鋭利なものを突き立てた。

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