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 それから、数ヶ月がたち、一年がたち、数年が過ぎた。

 おれは、死なずにいるままだった。

 その間に、色んなことがあった。


 ミチルは、仕事が増えていった。戦いが増えたのだった。彼はおれと話すよりも、学校へ行ったり、人間の大人と話す時間の方が長くなった。

 何を聞いて、何を話して、何の仕事をしてくるのか。顔を合わせるごとに彼からは、何かの影が失われていくようだった。いつも睨むように細められていた彼の目の色は、月日を重ねて冷たくなっていった。

 少し粗雑で、けれど優しかった部分が彼の角だったとするならば、段々とその角は削れて、丸くなっていってしまった。

 その話を、よく話していた使用人の人にしたら、「普通は、ああいうののを『丸くなった』って言うんだよ」と、少し哀しげに笑っていた。

 三日後、その人は仕事をやめていた。どこへ行ったのかは知らない。

 彼から父さんの話を聞くことはどんどん少なくなって、今ではまず会話に出ないし、そもそも彼とゆっくり話をできることがほとんどない。


 おれ以外の魔法使いが殺されたという話を、耳にすることが増えていった。

 おれは相変わらず守られていた。軍の仲間たちは優しかった。少し、気味が悪かった。

 その頃、この軍が、おれ一人のために出来上がったんじゃないということを、ひしひしと感じるようになっていた。始まりは父一人のためだったとしても、今は魔法使いを、この世から追い出すために動いているのだ。

 もともと、魔法使いは嫌われていたのだ。元は一人の魔法使いと一人の少年の約束でも、それはあくまで当事者たちにとっての話だ。その少年が始めた研究は、他の人々にとっては、魔法使いを追い払えるのに使える、ちょうどいいものだったのだろう。

 どこかの土地を水に沈めたとか、丸ごと穴にしてしまったとか、土砂に埋めたとか。薬品をまいたという話も聞いた。

 それに、人間が巻き込まれたという話も。

 軍の中は平和だったが、その行動は、内部の穏やかさに反して過激だった。気味が悪かった。

 魔法使い一人と戦うなら、そんなことをしなくてもいいはずだった。彼らは一体、何と戦っているのだろう? おれがはじめてこの土地に来た日、たくさんの鉄の棒が向けられたが、たぶん、あの武器がもう十本もあれば、魔法使いは簡単に死んでしまえるのだ。

 明日、彼はまた戦いに行く。

 おれは気が重くて、少し前のことを思い出していた。



 それは、彼がまだ、おれと話す時間を設けていた頃のことだった。

 彼は悪夢を見ることが多かった。目を覚ますと、だいたい夜も起きているおれのところへ来て、散歩へ行こうと誘った。おれは必ずうなずいた。

 大きな家の廊下を歩きながら、ミチルが言った。

「あいつは、シアルのこと……」

「おれのこと?」

「いや、なんでもない」

 歯切れが悪かった。夜に会う彼はだいたいそうで、眠いのかもしれなかった。

 おれは少し考えて、あっと思い当たって手を叩いた。

「ああそうか、『君』のことだね! そうか、君は生まれ変わりだもんね。あの後父さんとは会ってないんだもん、どう言われてたか気になるよね! おれが君でも気になるもん」

 我ながら、優れた洞察力だと思った。

 ところが、ミチルには恨めしげににらまれた。言いにくそうだから言ってあげただけなのに、なんでだろう。

 それでも否定はされなかったから、おれは父のしていた話を思い返した。

「彼」について、色んなことを言っていた。

 強がり、儚い、たまに嘘をつく。背丈は小さめ。耳の形が自分好みだったこと。指先で簡単に潰れてしまいそうなのに、自分の死体を他人に食われることには頓着しない人。ああ、最後のはやめておこう。父さんは楽しそうに喋っていたけれど、多分人間にとっては、あまり気持ちのいいものではない。

 父の語っていた話の中から、おれは一つを引っ張り出した。

「優しい涙のひとだと、言ってたよ」

「涙?」

 ミチルが目の形を丸くする。おれはその顔が大好きだった。

「ぼ……『シアル』は、あいつの前で泣いたことなんか……」

「でも、父さんは『シアル』が泣いたところを、見たことあるって言ってたよ。おれたちが流す宝石よりよっぽど希少で綺麗なんだと、言ってたよ」

 彼は顔をしかめてしまった。残念、もうちょっと丸い目を見ていたかったのに。

「『君』の鼻がずびずびいいだして、鼻をつまむと苦しそうな顔するのがおもしろかったとも言ってた」

「うわ、なんかそこだけ信憑性ある」

 ミチルは少し破顔した。気の抜けた感じの笑みは、珍しかった。シアルについての話だったが、「君」と呼びかけたことにも、反論してこない。

「ねえ、やっぱりおれたち、友達になろうよ」

「いやだよ」

「前は『ダメ』って言ってた。ダメから嫌になったってことは、道徳的な問題はなくなったってこと? おれが君の気持ちを変えさせればいいってこと?」

「そういうことじゃない」

「じゃあ、どういうこと?」

「――この廊下を先に走り切れた方が勝ちってことだよ!」

「え⁉ 待って!」

 彼は急に走り出した。おれもわけもわからず後を追った。彼が振り返って、げらげらと笑った。つられて、おれも笑った。

 廊下はとても長かったけれど、途中で使用人の人に出会って、怒られてしまった。

 ああ、あの時は、とても幸せな時間だったのに。

 どうして、こうなってしまったんだろう。


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