996+4、その7

 五十八日目、ミチルとおれは、昔話をした。

 といっても、それは大昔、ミチルもおれも生まれていない頃、更に言えば「シアル」もいない頃の話。

 はじまりの男と、魔法使いの話だった。

 最初ミチルは、「シアル」が知る父の話をしてくれていた。

 父のことを語るミチルは、懐かしそうで、少しだけ楽しそうで、寂しそうだった。おれにとっては、父と「シアル」の両方を知るミチルのことが、羨ましかった。

「いいなあ、おれには記憶がないから……」

「お前は生まれ変わりでもなんでもないからな。あいつ『ミチルあいつ』の記憶があった方が怖い」

「そっか、そうだね。魔法使いは、生まれ変われないし」

「そうなのか」

 ミチルは菓子の入ったボウルから手を離し、目を見開いた。小さくて細かい粒状の菓子は、たぶん彼の年相応の娯楽品で、けれど彼は、それをこの部屋でしか食べないのだと言っていた。

「もともと昔の人は、だから魔法使いを嫌ってたって話だよ。生まれ変われないなんて、その不思議の力と引き換えに、自分たちの魂を悪魔に売り渡してしまったんだろうとか、魂に大罪を背負ってるんだろうとか」

 おれはソファの上で、足をぶらぶらと揺らしていた。

「でも、もし魔法使いが生まれ変われたとしても、おれが生まれた時、父さんはぴんぴんしてたわけだから、おれが父さんの生まれ変わりになることはありえないんだけど……」

「まあ、そうだな」

 ふと、互いに言葉を続けない時間がやってきて、夜の物置部屋は静寂に包まれた。おれは自分のブーツの先を眺めた。ミチルが、ぽり、と菓子を口にする音がしたが、その一口も飲み込んでしまうと、部屋の中はいよいよ静まり返った。

「通りがかりで邪魔だったから殺したって、言ったんだ」

 おれは顔を上げた。

「最初の、男の話。あいつが最初に出会った、おれの祖先の話だよ」

「通りがかりで……」

「ちなみに、その息子が、最初にあいつを呪った奴になるわけだけど。そいつのこと、あいつは話してたか?」

 おれは首を振った。

「父さんがするのは、『シアル』の話ばかりだったから」

 ミチルは、ちら、とおれの方を見た。それから上を向き直して、空中に向かって、鼻で息を吐き出す。

「やっぱり思い出せてなかったのか」

「え?」

「たまたま通りがかりに殺した相手の息子だっただけ、なんかじゃない。まあ、実際殺した時は、本当にそうだったのかもしれないけど」

 彼の目がゆらゆらと泳いでいて、何かに迷っているのがわかった。おれはそのゆらぎが身体に伝播して、彼がボウルを取り落としたりしてしまわないよう、見張っていた。

「まあ、本人いないし、言ってもいいか」

 ミチルのゆらぎはぴたりとやみ、その目がこちらを向いた。おれもボウルから、彼に視線を移した。

「あいつとその人――その息子は、友達だったんだって」

 父との日々を楽しげに綴った日記があったのだと、ミチルは教えてくれた。

 その人が、彼の落書きをその日記に真似描いていたこと。日記はさすがに今の自分の手元までは残っていなくて、だからこれは、「シアル」の記憶で知ったこと。

 ミチルは、「シアル」にとって父がその人のことを忘れていたことが許せなかったのも恨みの原因の一つだと思っていたのに、日記が後世まで伝わらなかったことに肩をすくめていた。そんなの、どんな形でも絶対に残るように手を尽くすだろうと。

「『シアル』にとっても、もうその話は、どうでもよくなってしまったんだろうな。千年後のあいつに会うためには」

「そんなの、ひどい……友達のお父さんを、殺しちゃったなんて」

 おれはうつむいた。想像した。誰かといる日々を、毎晩楽しそうに綴る心の高鳴りを。

「父さんの落書きを日記に真似て描くぐらい、彼らは仲がよかったんでしょう? なのになんで、父さんはその人の大事な家族を殺しちゃったんだろう」

「さあ。仲が良かったとしても、その時のあいつにとってはその親父が本当に『通りがかりで邪魔だった』だけなのかもしれないし、他に理由があったのかもしれない。けど、一番ひどいのは、恨まれた相手が友達だったことを忘れて、人間に憎まれた、ってことしか、あいつの中に残ってなかったってことだけどな」

「そっか、そうだよね……忘れちゃうのも、ひどいよね」

 素直にそう言うと、なぜかミチルはまじまじと僕を見た。

「お前、ほんとにあの魔法使いの息子か?」

「そうだよ? なんで?」

 彼はじっとこちらを見るばかりで、答えを寄越しそうな気配がなかった。

 しょうがないので、おれは両足をソファの上に上げて、折り畳んだ。彼の方に向き直る。

「なんだよ、改まって」

「ねえ、ミチル。おれ、君と友達になりたいな。ダメかな?」

「ダメ」

「どうして?」

「友達を殺すなんて、『俺は』嫌だよ。それに、普通魔法使いに友達はいないんだろう」

「そうだけど……」

 父が普通じゃなかったんだから、息子の自分だって普通じゃなくたっていいじゃないか。そう食い下がろうとしたが、ミチルは目をそらしてしまっていて、これ以上の会話の発展は望めなさそうだった。

 今日がダメでも、明日はいいかもしれない。地道に交渉しよう。

 今日のところは諦めると決めて、代わりにずっと気になっていた質問を投げかけた。

「ねえ、なんで『シアル』は、叶えてあげようと思ったんだろう?」

「叶える?」

「父の望みをだよ」

 ミチルは黙り込んだ。おれは答える材料を増やすつもりで、もう少し話をした。

「『シアル』は、父さんのことが、憎くて憎くてたまらなかったんでしょう? 自分のお父さんも魔法使いのせいで殺されて、お母さんとも離れ離れになって、新しいお母さんのことも殺されそうになったんでしょう。なのになんで、千年後だけど、父のもともとの望みを叶えてあげることにしたんだろう」

 自分だったら、どうするだろうか。殺してくれと笑顔で懇願する、憎い相手を前にして。

「憎い」という感情がよくわからなくて、「怒る」に置き換えてみた。あとで食べようと思ってとっておいたおやつを、リスに食べられてしまった時の悲しみ。まあ、リスだって食べたい時に好きなものを食べたいもんね。ああだめだ、怒るのも難しい。

 おれがうんうん唸るのを横目に、ミチルは顔を上げて、窓の外を見ていた。その目があまりにも凪いでいて、気になったおれも窓の外を見た。

 小さな月が見えた。

「――さあね、俺にはわからないよ」

 一つ息を吐き出して、くるりと彼がこちらを向いた。

「君はどうなんだ」

「おれ?」

 首を傾げる。どう、とはどういうことなのだろう。

「自分の父親がそんなやつだったと知って、それでもまだ、俺に殺されようって、思うのか。自分には、何も関係ないことなのに」

 おれは口を引き結んだ。

「それが、父さんとの約束だから」

「その約束を守らないと、何か大変なことになったりするのか?」

「ないよ。ないと思うけど、これは守ってあげたいんだ」

 大好きだった父。彼は死んでしまったけれど、あれだけずっと、思っていた願いを、おれが叶えてあげないと。

 そこでふと、思い出すことがあった。出会ったばかりの頃にした質問だ。

 おれはそれを、今度はおそらく「正しい形」で彼にした。

「君は、『おれの父』が、憎い?」

 彼は、顔を歪めて笑った。

「ああ。とんでもなくね」


 月が綺麗な夜だった。

 聞こえるはずもない、潮騒が聞こえた気がした。

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