Calamity
996+4
声が聞こえる。
魔法使いは耳がいいということを、彼らは知らないらしかった。
おれがその地に降り立った時、その話し声は、海のさざめきほど大きくなっていた。
つい、背中が丸まりそうになる。慌てて、背筋を伸ばした。ついで、頭からずり落ちそうになっていた帽子を被り直す。
少し、辺りを見回した。暗い森。目の前、少し進んだ先に、高い石の壁がある。城塞。おそらくその後ろにある街を守るための壁だろう。
ぎゅっと、帽子の鍔を強く握る。足が震える。
「お……あ」
練習で声を出そうとした。早速間違えた。
『来たぞ』
先の方から、声。はっきりと、言葉が聞き取れるほどの距離まで来てしまった。
森の中、そばの草むらあたりに、何人もの人間たちがいる。気配はするのに、姿が見えないのが怖かった。
『本当に来た……』
『あれが、二千年生きてるっていう魔法使い……?』
『どう見たって、こいつと同じぐらいのガキじゃねえか』
『でもなんで、フライパン持ってんだ』
『おまえ知らないの。あいつ、あれで空を飛ぶんだぜ』
『マジ⁉ すげえなあどこに乗るんだよ』
『おまえら、うるさい‼』
怖い。とんでもなく怖い。当然、おれを迎え撃つ準備をしているのだろうから、怖くない存在のはずがない。でも、なんだか悪口を言われているみたいだった。おれは片手に握りしめたフライパンを見やった。
やっぱり、箒の方がよかったなあ。これ、とんでもなくバランスが悪いんだもの。
話し声は、まだ続いている。内側に丸まってしまいそうな肩を、何度も意識して張り直す。怖いものは、怖い。それはしょうがない。
一番怖いのは、おれにはどれが「その声」なのか、判別ができないことだった。
「ぼ、僕を殺しに……来たんでしょう?」
やっとのことで投げかけると、急に声が止んだ。しいんと、森が静かになった。
「い、いないの……?」
『なんか様子が変じゃないか……?』
『あの魔法使いって、あんな気弱な感じなのか?』
『どっちかっていうと、やって来たのはあいつの方だよな』
『ていうか探されてるぞ。魔法で気配とか、わかるもんじゃないのか』
『そもそも魔法が使えるなら、俺たちなんて一瞬でおがくずに変えられちまうんじゃ』
「……おまえら、ほんとに、うるさい‼」
「ひ……!」
ひときわ大きな声がして、もうそれは「聞こえる」という程度ではなくはっきりと、この耳に届いた。
というのも、それを発した主が、森の中から飛び出してきたからだった。
子ども。
肩を怒らせて、彼は草むらを睨みつけていた。
防具を身につけた体躯は、あまり大きくない。たぶん年齢は、おれの見た目より少し下ぐらい。暗い、茶色の髪。花みたいな黄色の目。手には長い棒を持っていて、おれは最近、それをどこかの土地で見た気がした。
この子が。
「いいから、そこで準備してろ! 合図したら、一斉射撃だからな。いいな!」
おれはびくりと肩を震わせた。見た目のわりに、声も大きくて高圧的な子だった。年齢で考えれば、誰かに指示を出すような立場ではないように思えるが、身につけているものは決して安価なものじゃない。
その彼が、きっとねめるようにこちらを見た。真っ直ぐな目。会うまでに抱いていた印象と違う。怖いけれど、あんまりにも真っ直ぐだった。だから、目を離したくなくなってしまう。
彼が、更に目を細めた。おれはまた、肩を跳ね上げさせた。
怯むな、怯むな。このために、おれはここまで来たんだから。
おれは力を入れて、口の端を吊り上げた。
「お……僕のことが、わかる?」
「わかるよ。『本人』じゃないのも、わかるけどな」
僕は唾を飲み込んだ。
蜜の飴を転がすような声だ、と思った。苦くて、最後は少し甘い、雑味のない味。
彼が片眉を吊り上げた。そうか、おれが喋る番なのに黙ってるから、変に思ったんだ。
「ああそっか、そりゃあわかるよね、はは……じゃあ、真似しなくてもいっか。本当に、千年続く呪いになったんだね……」
話を聞いた時は、半信半疑だった。遠い昔に、自分を殺してくれると、約束してくれた人がいる。それを、果たしてほしい。半分信じて半分疑ったままで来たから、おれはまだ震えているし、人間が怖い。
そうだ、殺される心の準備なんて、正直、おれは全然――
「君は今何歳?」
はっと顔を上げた。彼はおれをじっと見ている。どちらかといえば粗雑な物言いに対し、君、という呼びかけ方が印象的だった。
「ひゃく、ろくさい」
「そう。俺は十五歳」
思っていたぐらいの年齢だ。彼は脇に抱えていた長い棒を、持ち直した。
「さて、こうして俺の前に姿を現したってことは」
一歩、前に出る。おれは半歩、足を引いた。
「千年前の約束を、果たしにきた。そう思っていいんだよな?」
「う、うん……」
「君が誰だか知らないけど、了承したってことは、あの魔法使いの子孫かなんかだな?」
「うん……」
「君は、君がした覚えのない、いわれのない理由で俺に殺されるんだぞ。それでもいいのか?」
「だ、だって、それが『僕』の望むことだから……」
そう言うようにと、教わってきた。
「そう。じゃあ、殺すよ」
彼が片手を上げると、たくさんの鉄をぶつかり合わせたような音がした。
長い棒。あっちこっちの草むらから、森の中から、木の上から、たくさんの長い棒が、こちらを向いている。その先端には穴があって、その奥に何が入っているのか、なんとなく察した。
あれは全部、「僕」を殺すための、道具。
目の前の彼も、その長い棒を構えた。その先は、震えることなく、おれの真ん中に当てられている。森の中の棒たちも、がちゃりと音を立てた。
これで、全部、終わり。
自分の中で、何かがぱちんと弾けた。
彼が息を吸う。
「ま、待って! やっぱり待って!」
おれはフライパンを投げ出し、彼に飛びかかった。咄嗟の判断だった。
途端に、耳元で大きな音と衝動が一斉に爆ぜ、背中が押され、目が眩み、咳き込んだ。おれは無意識に、おれに向けられていた何かを防いだようだったが、頭の中はそれどころではなかった。
この子。この子を止めないと、おれは死ぬ。ここで終わってしまう。
片腕で腰をつかみ、もう片方の手で、彼の持つ長い棒をしっかりと抱き込む。作りはわからないが、手を離して作動するということはなさそうだ。彼の手から取り上げる。舌打ちをするような音がした。おれは急いで、手にした棒を熱で溶かした。はやく、はやく。煙をあげて形を失ったそれの残骸を、遠くに投げ捨てる。人間たちの、どよめく声が聞こえた。
自由になった手で、彼の肩も地面に押さえつけた。
彼はおれの下で、もがこうと顔を歪めていた。
「ほんっ……とに、馬鹿力……!」
「いやだ。まだ殺されたくない。もう少し、せめて……せめて、君という人を知ってからにしたい。だから待って。もう少し待って。なんにも知らないで殺されるのは、いやだ」
彼がまた、片眉を吊り上げた。
ぼろぼろと、おれの目から熱がこぼれる。落ちる瞬間、それはおれの周りに漂う光を吸って、小さな宝石に変わる。ああ、この光景は好きじゃない。自分の顔の上に落ちるそれを見て、彼はうっとうしそうに目を細めた。
「最初からそう言えばいいのに」
「え……?」
「総員、やめ。待機。……とりあえずどいてくれる? 動けないんだけど」
じゃきり、と、周りを囲む鉄たちの音がした。おれは辺りを見回した。
「ど、どいたらおれを殺すかもしれないじゃないか」
「今止めたよ。君は殺されないから。『まだ』、何もしないから」
しぶしぶ、おれは彼の上から下りた。彼はため息をつく。立ち上がり、土埃を払った。
おれが座り込んでいると、その背後へと歩いていき、先ほど投げ捨てられた長い棒だったものを手に取る。針金のように細くなったそれを眺めて、腰のベルトに差した。
「君は今から、俺たちの捕虜だ。ついてきてもらう」
「ほりょ……?」
草むらから、人間たちが立ち上がった。伸びをしたり、しゃべったり、おれをちらちらと見たり、おれが泣いた跡の宝石に目を丸くしたり。思っていたよりも、人数が多かった。おれは気兼ねせず、肩を丸めることにした。
戻ってきた彼が、おれの両手を鎖のようなもので縛る。じゃらりと音のするそれは、重たかった。
おれを立たせ、彼は言った。
「捕虜っていうのは、俺たちに捕まった人、ってこと」
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