「あんた最近、どこ行ってるんだい?」

 久しぶりに、自分の家に帰った時のことだった。

 といっても、着替えを取りに来ただけで、またすぐに出かけようとしたところ、家の玄関で母に呼び止められた。

「別に。学校、行ってるけど」

 靴を履く。背後で、無言の返事がある。

 僕が学校に行ってないのは、伝わっているはずだった。いや、伝わっていないかもしれないし、知ろうともされていないし、察されてもいないのかもしれなかった。

 つまりは、どっちでもいいのだと思う。

 はじめて会ったその日、ここへ連れてきた彼は、とんがり帽子を丸めて手にしていた。その光の粒は弱く、目の色も大人しくなっていた。

 気まぐれで恐ろしく、無邪気に笑い、残酷なことをする。神様とはずっと遠いところにいて、一度関われば、末代まで呪われてしまう。

 魔法使いは、人間たちに嫌われている。

 そのことは、知っていた。

「じゃあ、今日も学校、行ってくるから」

「そうかい」

 母が背を向ける気配がした。

 淡白な返事には、慣れていた。



 ミチルはフライパンを手に、赤い家の前に仁王立ちしていた。今日は空を飛ぶのだという。

 魔法使いは箒で空を飛ぶものだ、とばかり思っていたが、似たような形状のものならなんでもいいらしい。

 僕、今家に箒がなくって、これしかないんだけど、ダメかなあ。

 知らないので不安そうに問われても困ったが、いいんじゃない、と肩をすくめて返すと、彼は安堵したように笑った。

 フライパンのどこに座るのだろうと思っていたら、彼はためらいなくそれを地面に置いて、丸い部分に足を乗せた。

 バランスをとるのが難しいんだけどね、そう言う彼が指を鳴らすと、料理器具はふわりと宙に浮いた。少しぐらぐらと揺れながらも、彼はしっかりと空飛ぶフライパンに足を乗せていた。

 君が乗ったら、落っこちちゃうかも! でも僕は僕のフライパンに乗るのに集中してるから、君を助けてあげられないかも。けど、乗る?

 もう一つ、フライパンを呼び出した彼がそう訊いた。僕は答えた。

 乗ろうかな。

 それを聞いて、魔法使いは目をぱちくりとさせたが、やがてフライパンを消して微笑んだ。

 ダメだよ、君が死んじゃったら困るもの。

 フライパンに乗った彼が一度家の中に消え、かと思ったら、僕の身長の二倍ほどもある梯子を手にして戻ってきた。

 これでもたぶんいけるよ! 跨がるか立つかは、君に任せるけど。安定感はけっこういいと思うよ。

 僕は梯子を受け取って、地面に横にして立て、跨ってみた。とりあえず、強風にあおられたりしなければ落ちることはなさそうだった。

 僕が腰を落ち着けたのを見て、彼が指を鳴らした。

 フライパンと、梯子で、僕たちは空へ舞い上がった。

 宙を泳ぐ感覚は、如何とも説明し難いものだった。風の冷たさにこぼれた涙が、一瞬にしてぱりりと乾いてしまう速度を、僕は永遠に忘れないだろう。

 この日、空を飛ぶ僕たちの姿を、一体何人の町人が目にしたんだろうか。

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