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結果的に、それは「最後の思い出作り」にはならなかった。もう来ない、と言うと、彼はにっこり笑って、僕の鼻の前で指先に火をおこしてみせた。蛇を呼び出されたこともあるし、一歩後ろに巨大な穴が出現していたこともある。彼に脅されながら、僕は彼の家に通うことになった。
彼の家を訪れた時点で、僕の中に、否定できない直感があるのを知っていた。
僕は、彼と僕の縁について、全く心当たりがないわけではなかった。
だが、正確に言えばそれは僕の心当たりではないし、殺す云々という言い分を僕は知らない。人違いをしている、という気配はあったが、相変わらず彼が話を聞いてくれなかったこともあり、話すのはしばらくやめることにした。
思うところもあった。
というか、彼はすっかり「思い出作り」に夢中になってしまったようで、余計な話を挟む隙を与えてくれなかった。
やることは、その日の彼の気分次第だった。
あの家の中で彼が踵を鳴らすと、火花が部屋中に飛び散った。僕は大きな鍋をかぶってそれを避けながら、鍋の上で柔らかい魚を焼いた。彼は楽しそうに笑って、「僕もやる!」と、両手に持ったフライパンにカエルを載せた。僕はカエルは食べなかったが、見た目だけはおいしそうに焼けていた。
彼の家中の布を少しずつ集めて大きな布団を作り、晴れた日、それを被って外に出た。空気を入れて膨らませると、布はまるで空のようになり、陽光が差し込む縫い目の隙間が、星に見えた。彼は縫い目をいじって自在に変えていきながら、星の数え方を教えてくれた。「隣の家のひと座」なんて星座の話を語り出した時は、さすがに制止した。それ、本当にある星座? うん、この布の中にはね。彼は笑って、縫い目の星の位置を戻した。そんな調子だったから、僕の星の知識は、ひょっとしたら一つも正しくないかもしれない。
僕が家から持ってきたパイを食べた。母の焼いてくれたものだ。具の大きく欠けたパイは、生地だけになっている部分もある。そこがおいしいのだと教えたら、強欲な彼と取り合いになった。
夜、虫と鳥の合唱を指揮する彼の指を、しばらく眺めた。高い空に浮かぶ月は、黄色くて小さかった。
虹色に光る蟹を捕まえるのだと言って池に入り、ところがその虹色というのは油の色でそこは油の浮いた池だったので、どろどろとぬめぬめと腐臭にまとわりつかれて帰ってきて、大きな風呂場で水鉄砲合戦になった。
(僕は少しの間、その容姿から彼が実は女なのではないかという疑いを抱えていて、それが完全に晴れた瞬間でもあった。その話をすると、彼は大真面目な顔で「女の子の方が好きなら、そうなる?」と尋ねてきたので、丁重に断った。)
彼に付き合う間、学校には行けなかったけれど、魔法使いが勉強を教えてくれた。いい加減そうに見えて、彼はある一定までは教えるのが上手だった。その一定を――つまりは「飽き」の線を超えると、彼は数字を猫語で説明したし、土地の名前は全て生物の名前にした。
おかげで僕の頭の中では、いつでも猫がくじらを追いかけ回す歴史が出来上がっていたけれど、学校に行くのは好きではなかったので、十分だった。
彼は、魔法使いについても教えてくれた。とても長生きなこと。誰も愛さないし恋をしないし憎まないこと。けれど、いったん出会った大好きなものは、生涯大切にすること。友達は作らないこと。魔法を使うのに、呪文は必要ないこと。少し忘れっぽくて、楽しくて過激な出来事が大好きなこと。集団では暮らさないから、彼自身、他の魔法使いには数えられる程度しか会ったことがないのだそうだ。
彼はいつも、小さな輝きの粒を纏っていた。それが魔法使いである証明だとわかってはいたが、何が起きるのかわからなかったので、その粒に触れることはしなかった。
彼と出会って三日目、名前を聞くと、彼は目を見開いた。彼の中で、僕は面識があったことになっているようだから、驚いたのかもしれない。だが、傷ついたような表情ではなかった。
むしろ、これ以上ないぐらい嬉しい、といった顔だった。
ミチル、と彼は名乗った。
いつまでも「君」呼ばわりをされるのも嫌で、シアル、と名乗ると、彼は僕の両手を握って上下に振った。
なんだか似た名前だね、と笑っていた。
彼の家に泊まることも、何度かあった。
やはりそれは自ら進んでではなく、今帰ったら道を底なし沼に変える、などと言われたものだから、しぶしぶ従ったことだった。
ある夜、「君の口をくちばしに変えちゃうぞ!」と脅されて泊まった日のこと、僕と彼は家の高い床の下にもぐり、寝そべって、地面の石ころを光らせる遊びをしていた。
彼が小石に触れると、青白く、時には黄色く、時には薄紅色に光る。僕が触れると、それは消える。彼の触った石を、僕が追いかけるようにつつく。ただ、それを繰り返すだけの遊びだった。
鈍く光をまとう、爪ほどの石に指を乗せながら、僕は訊いた。
「あんたはどれぐらい生きてるの?」
少なくとも外見だけでは、五つか、ひょっとしたら十ぐらい、彼は年上に見えた。
彼は片手の指を全部使って、リズムを取るように五つの石を光らせていた。珍しく、眠たげに目を伏せている。
「さあ……三百年ぐらい?」
ぱらぱら、と光が灯る。僕はそれを、一つずつ潰していく。彼がまた、隣の五つの石に触れる。
試しに、大昔に海底に沈んだという島の名前を出してみた。ああ知ってる、そこに住んでる鳥がおいしかったんだ、と彼は目を閉じた。
「それを知ってるなら、千年ぐらい生きてることになるよ……」
彼はぱちんとまぶたを上げた。その拍子に、彼の身体の光の粒が飛び散った。思わず避けそうになったけれど、彼と出会って数日たち、当たっても特に何も起きなさそうだな、と考えるようになっていた。案の定、手の甲に当たっても、光の粒は跳ね返っていくだけだった。
「あっそうなの? 時間の単位って難しいから、すぐにわかんなくなっちゃうんだよね!」
にこにこと笑う。先ほどまで睡魔に取り憑かれていたのが嘘のように、表情にはっきりと色が乗っている。細めた目の隙間はやっぱりゆらゆらと揺れていて、今日は碧色が強い。
「ねえ、シアル」
光る小石をつついていた指を、不意に彼が押し握った。逃げるネズミを捕まえるような勢いだった。相変わらずの力の強さである。
「僕たち、友達になろうよ」
力を入れた。やはりびくともしなかった。手の中でもぞもぞと指を動かしてみると、くすぐったかったのか、少し力が緩んだ。
「嫌だよ」
「なんで?」
「あんたが変なヤツだからだよ」
彼は一瞬、きょとんとした顔をした。その目いっぱいに、朝の川の色が広がる。僕は小石に視線をそらしたが、彼はけらけらと笑い出した。
「ほんと? 僕は変なヤツって大好き! だから君のことも好き!」
「僕は変じゃない」
「変だよ。十分」
手が離れた。顔を上げると、彼は僕の手をつかんでいた手で自分の頬を包み、地面に肘を立てて笑っていた。その目がいっそうきらきらとして、少しだけ、あの月のように白い光を含んでいた。
君は変だよ、十分ね、と彼は言った。
僕はまばたきを一回した。
背中が痛いねえ、と言って、彼は膝をたたんで起き上がろうとした。彼は上背がそこそこあるので、座り込む姿勢でも床に頭がぶつかる。案の定、ごち、と音がして、金色の頭が激突する。頭をおさえてうめいていた。
魔法使いでも、長く寝そべっていると背中が痛くなるし、頭をぶつければ悲しいらしかった。
「友達、友達かあ」
僕はうなずいた覚えはないが、すっかりその言葉を自分のものにしたように、彼は嬉しそうな顔をしていた。
地面の小石が一つ、僕が消し忘れた光で弱く点滅していた。
「友達に殺してもらえるなんて、僕は幸せな魔法使いだねえ」
僕は目を伏せて、地面に片頬をつけた。汚れちゃうよ、と彼が髪を引っ張ったけれど、僕は無視した。片手を見やる。
彼に押さえつけられていた指先は、まだ若干しびれている。
ああ、なんて。
目を閉じる。
なんて、愚かな魔法使いなんだろう。
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