第15話 彼女の決断

 維持局に戻った俺たちは理不尽にもリアから鉄拳制裁を受けた後、エリカの安全を得るに至った。

 だからと言ってエリカの様態が良くなるわけでもなく。


「おっさん、どうにかできないのか!?」

「焦る気持ちはわからないでもないけど落ち着いて。インリェンにお願いしたって医者でもないんだから無理だよ?」

「リアさん……でも何もできないままだなんて」

「…………」


 エリカの肌に皮下出血斑が出来始める。同じように出血斑が出ていないところはちりちりと焦げ始めエリカを覆うような陽炎が揺らめき始める。前者は水溶症の最終症状で、後者は狂火症の最終症状だ。同時に症例が出たという報告例がほとんどない。このような罹患者を見ること自体俺にとっては初めてのことなのだ。もともと五行病の罹患者に対して現代の医療は成す術もない。


「お前に出来ることは唯祈るだけだ。エリカの生命力が五行病に打ち克つ事に」


 今、エリカは存命の克服者の誰よりも激しい苦痛の中にいる。リアとヤンが懸命に汗を拭っているが文字通り焼け石に水だ。

 止めはしない。

 何もできないと言うことがどれだけ辛いかを俺は知っている。罹患者のためというよりは、自分自身のための行動。確定した別れのための前準備であり、最後の最後まで自分は君を想っていたぞと自身を偽る行為。要するに自己満足だ。


「……イン、リェン」

「エリカ? お前意識が!?」


 再び、あの声が俺を呼ぶ。

 凛とした芯のある、透明な心地よい声。

 懐かしい、二度と聞くことはないと思っていたあの声を。


「エリカ、わかるかエリカ!? 俺だ、ヤンだ! 大丈夫、お前は大丈夫! 俺がここに居るから、絶対お前は助かるから!」

「…………」


 ヤンの震える声にリアは顔を背ける。

 自分に言い聞かせるような悲痛な叫びは、虚しいとわかっていても言わずにはいられない。それは聴く者の心を抉る行為だ。

 俺もリアも、エリカも含めて。


「ちょっと静かにしろ」

「なんでだよ、声をかけるのがそんなにいけねえってのか!!?」

「君、その言い方は」

「いいから。黙れ小僧」

「っ!?」


 面倒だと俺が圧をかけると即座に黙った。剣呑とした雰囲気にリアも押し黙り真剣な表情だ。流石の胆力。経験した修羅場の数が違う。

 ご指名の俺は壁から離れ、エリカのそばにしゃがみこみ、なるべく大きな声を上げさせないよう顔を近づける。


「なんだ、俺に何を言いたい」


 俺の問いはエリカの息遣い聞こえない室内に響く。

 誰も口を開かない。エリカの答えを誰もが待つ。


「……………………ボク、にも」


 瞬間、俺は椅子を蹴飛ばし、怒りのままにエリカを罵倒しようとした。

 しかし、彼女の顔は諦めた者の顔じゃない。むしろ逆。未体験の激痛に顔を歪め、喋ることすら辛いであろう状況で伝えたかった願い。


「……お前、あの時意識があったのか。だから俺の名前を知っていたのか」


 ニコッと微笑むエリカに、俺の心臓は早鐘を打つ。

 生きたいという意思。生にしがみつく覚悟。


 生きるために死ぬ勇気を決めた、気高い女。

 

 あの時、初めてエリカに会った時もそうだった。

 こいつは生きるためならなんでも利用する、なんでもする。

 それが例えどんな絶望の中であろうとも、決して諦めない。 

 そんな意思が彼女の瞳に、笑顔に満ちている。 


 きっと今、この部屋にいる誰よりも強い心を持っているのは彼女だ。

 いい女だ。うっかり惚れちまいそうだよ。


 動向を見守っていた二人に向き直り、俺は告げる。


「これからすることは見せられない。席を外してもらえるか」

「いやいや、それはちょっとできないかな。彼女は既に維持局預かりだから。私には見守る義務があるよ」

「俺もだ。幼馴染として一緒にいるに決まっている」


 二人もエリカの笑顔を見てなにか察したのだろう、意思は硬いようで一歩も動こうとはしない。


「時間がないからもう一度聞くが退く気はないんだな?」

「とーぜん」

「ええ、もちろん」

「なら、これからすることは絶対に他言無用だ。そして――」


 俺はおもむろにエリカの手を掴む。エリカの表情が苦悶に歪むが笑顔は絶やさない。あの光景を見たのなら自分がどうなるかなんてわかっているだろう。だから俺はエリカには何も言わない。

 唯強く。エリカの手を握り締めた。

 俺から陰が立ち上り、赤黒い光を放つ。

 室内に風が生まれ、頬を撫でた。


「絶対に俺を止めるな」

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