第4話 五行病と克服者

 俺達三人がその家に駆け込んだとき、家の主人は厄介事が転がり込んできたと、それはもう迷惑そうな表情を浮かべた。


「今日はなんの用だ」

「この娘を診てくれ」

「ここ、なに? ここ、どこ?」

「そっちの坊主の頭は見なくて大丈夫か?」

「手遅れだから気にしないでくれ」

「そうか」


 スラム街には珍しい白衣を翻して男がエリカを診る。片手には酒瓶。赤ら顔で足取りもおぼつかないがれっきとした医者だ。

 酒にクスリにギャンブルに女。もともと上流階級の主治医だったがそこの奥様と娘に手を出して死んで当然の私刑を受けた後、スラム街へと放逐されたらしい。らしいというのは本人が語ったのみの話なため、確認のしようがないからだ。すねに傷がある連中ばかり住まう場所がスラム街だ、別に珍しいことじゃない。

 患者を診る目は真剣そのものであるし、何度か世話になった身なので信用はしている。エリカを撫でる手つきがすこし粘っこいので信頼はしていない。


「どうだ」

「ふうむ。こりゃまた……珍しいこともあったもんだ」

「なんだよ珍しいって。こんなんでもエリカは女なんだぞ、珍しいとか言うなよな」

「お前ってやつは本当に……」

「ほお、女か。どれじゃあ確かめてみるとするか」

「やっていいことと悪いことも分かんなくなったのかヤブ」

「おっと」


 大げさに手を上げて首を振るヤブ医者。おどけて見せているが、止めなかったら確実に触っていたに違いない(どこをとは言わない)ちなみに奴は自身をヤブ医者と言っているので俺もそのままヤブと呼んでいる。


「この娘は五行病を患っている。そして珍しいことに。症状が二つ出ている」

「……」

「やっぱりか」

「ただでさえ罹患者に出来ることは少ねえってのに、二つも出てちゃお手上げだ。他を当たってくれ」


 他がないことをお前が一番知っているだろうに、俺たちが厄介事絡みだとわかっているから早く追い出したいのだろう。睨みつけてもどこ吹く風、くそムカつく野郎だ。


「じゃあ出て行く前に一つだけ答えてくれ」

「ああ、いいぜ。俺は優しいからな。せめてもの情けだ」

「優しいなら匿えこの野郎」

「それとこれとは話が別だ」

「ヤブ医者」

「落ちこぼれ」


 俺とヤブがガキみたいな言い争いをしていると、小僧がポロっと呟いた。


「五行病って、なんだ?」


 場が凍りつく。

 今コイツ、なんてった? 

 

「……おい、冗談ならもっとマシな事をいえ。この世に生きていて五行病を知らないなんて生まれたばかりか野生動物くらいなもんだぞ?」

「なんだよバカにすんなよ! 俺は田舎じゃ賢い方だったんだぞ!」

「はいはい田舎じゃ賢かったんだろうな、田舎じゃ」

「だが五行病を知らないのは賢いは関係ない。よってそれを『賢い』と結びつける時点でお前は脳タリンのこんこんちきだ」

「田舎じゃ教育も満足に受けさせられないって聞いたことあるが、これほどとは」

「も、もういいだろ! さっさと五行病のこと教えろよ!」


 知らないことは赤恥この上ないが、知ろうとしないのは愚劣極まりない。その点こいつは好奇心旺盛で、まっすぐ疑問を聞くことができる。大人になるにつれ失われる人としての善良さを持ち合わせているんだ。

 青い顔をして臥せっているエリカを見る。俺の失ったものを全てこいつは持っているんだな。


「……五行病。世界に蔓延る最悪の病気だよ。何が原因で感染するのかも、どうやって発症するのかも一切分かっていない病気だ」

「一切わかってないのにどうして病気だってわかるんだ?」

「厳密には病気なのかどうかすらわかってない。ただ、特異な症状を纏めて五行病と呼んでいる」

「なんで五行なの?」

「体が発火し灰になる『狂火症』水に溶けて消える『水溶症』土となって崩れる『土崩症』体の中に宝石ができる『金剛症』そして人が木へと変異する『樹木症』。これらを五つを纏めて五行と呼んでいる」

「お前が飲もうとしているコップの中身も、元は人間かもしれないってことだ」

「ふ、ふぅん」


 小僧が勝手に飲もうとしていたコップを静かに置く。流石の奴でもそんなふうに言われたら素直に飲めるはずない。


「本来一つの症例が出たら十中八九その罹患者は死に至るわけだが」


 ヤブはそこで言葉を切り、呼吸が乱れて青い顔をしているエリカを見た。


「どういうわけかこの娘は二つの症状が出ている。『狂火』と『水溶』だ」

「或いは、見えてないだけで『金剛』もあるかもしれないが、だな」

「治す方法はないのか?」

「ない。言っただろ、五行病については一切分かっていないって。俺ら医者にできるのはただ一つ。罹患者の隔離、それだけだ」

「…………」


 悲痛な面持ちで小僧がエリカを見る。苦しそうに呼吸する彼女の頬をそっと撫でて、冷たくなっている手を取った。それはそうだろう、自分の女がほとんどの可能性で死ぬとわかってしまったのだから。俺は黙ってその光景を見つめていた。死別すると分かっている彼らにかける言葉なんて俺にはない。


「じゃあさ」


 視線をエリカに固定したまま小僧が言う。


「死ぬとわかっているエリカを、なんで連中は攫ったんだ?」


 ……コイツ。

 正直馬鹿で空気も読めない世間知らずの能天気野郎と思っていたが。

 地頭が悪いってわけでもなさそうだ。


「五行病は症例自体が厄介だ。が、実は厄介極まりないのはそこじゃない」

「なんだよ、その厄介極まりないことって?」

「……奇跡的に快復した人間、『克服者』には必ず、それぞれの症状に沿った恐ろしい能力が備わるってことだ」


 ぽかんと口を開けて言葉を続けることができない小僧。ま、想像できないことだろうからそんな反応になるのも無理はない。


「さっき言ったよな、普通一人の人間に一つの症状だと。一人の人間に二つの症状が出たのは聞いたことがない」

「ただでさえ快復すること自体奇跡なんだ。もしこの娘が奇跡以上を起こして快復し、《克服者》となった暁には」

「暁には?」

「稀少戦力として高待遇。もしくは生きながらの実験解剖か」


 死んでもなお彼女の体には価値がある。しかも青天井の金銭のやり取りが発生するような事案だ。ヤブもわかっていることだろうが、あえて口にはしない。言ったところで何が出来るというのか。


「それってさ」


 震える声で小僧がエリカの手を握りながら声をあげる。無理もない、何も知らなかったガキがいきなり現実を叩きつけられたのだ。恐怖、不安、葛藤。色んな感情がごっちゃになって混乱しているだろう。


 しかしだ。小僧に同情していた俺たちは次の言葉で吹き飛んでしまった。

 

「それってさ。めちゃくちゃカッコよくね!?」

 

 顔上げたクソガキの表情は、それはもうめっちゃキラキラしていた。

 

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