【短編】女性恐怖症を克服するために幼馴染を女装させたら、アイドル顔負けの超絶美少年になった。

じゃけのそん

第1話

「きゃぁぁッ!」


 耳に刺さるような甲高い悲鳴が響いた。

 それと共に全身に凍えるような寒気が走る。


 グラグラと視界が揺れるような感覚の中、目の前の女生徒は、まるで化け物でも見たかのような驚愕の表情を浮かべた。


「だ、大丈夫⁉︎」


 やがて強張った彼女の顔は、心配の色に染まった。

 俺の顔を、具体的には鼻から下辺りをじっと見つめているからして……。


「ちょ、ちょっと待ってて! 今先生呼んでくるから!」


 そう言って、慌てた様子で階段を下って行った女生徒。

 そうだ。俺はこの曲がり角で、階段から来た彼女とぶつかりそうになったんだ。実際にはぶつかりはしなかったが、あれだけ女子と急接近すれば間違いなく……。


「やっぱりか……」


 右手で鼻の下を拭えば、手にはべっとりと真っ赤な血が。そのまま流れるように視線を落とせば、俺の制服のシャツと上履きは、なだれ落ちた鼻血まみれになっていた。


「ティッシュは……って、切れてるし」


 ハンカチを使うわけにもいかないので、ここはひとまず手洗い場に行って血を流さないと。幸い接触したわけではないので症状は軽いが、それでも満タンの牛乳パックを勢い良く押したくらいには血が吹き出ている。


「ど、どうしたのコー君⁉︎」


「ああ花音かのんか。マジナイスタイミング」


 手洗い場に向かう途中、偶然幼馴染の花音と出くわした。

 花音は血まみれの俺を見るなり、心配そうに眉を顰める。


「もしかしてまた鼻血?」


「ああ、今さっきそこで女子とぶつかりかけてな」


「それは大変だよ! 早くティッシュ詰めないと!」


 そう言うと花音は、ポケットの中を慌てて弄る。

 やがて携帯ティッシュを取り出し、さっさっと2枚ほど抜き取って俺の顔に当てた。


「もぉー、いつも言ってるでしょ? 周りには気を付けてって」


「急だったんだよ。まさかあのタイミングで鉢合わせると思わなくて」


「どれだけ急でも、コー君の体質は特殊なんだから。ちゃんと注意しないと」


「す、すまん」


 仕方ないんだからーと、呆れた声を漏らしながら俺の顔に付いた血を拭き取っていく花音。こうして誰かに鼻血を拭われながら叱られると、つい昔のことを思い出しちまう。


 俺は幼い頃から、女性に近づくことをトリガーに、度々鼻血を吹き出していた。


 その度に母ちゃんに鼻血を拭いてもらっては「気をつけなさい!」と叱られ、そしてまた気を抜くとすぐに鼻血を吹き出す。


 医者によればストレスから来ている症状、ということだったが、俺がなぜこんな体質になってしまったのかは、高校生になった今でもわかっていない。


「これでよしっ。それじゃコー君、これ鼻に詰めておいて」


「お、おう。サンキューな」


 思いのほかデカ目の鼻栓を、俺は両鼻にねじ込んだ。


「いつも悪いな、迷惑かけて」


「ううん、大丈夫だよ。学校では僕がコー君の面倒見ないとね」


 ニコッと太陽のように眩しい笑顔を浮かべた花音。

 特異体質を持つ俺が、どうしてこいつに近づいたり、触れられたりするのは平気なのか——その理由は非常にシンプルだ。


 この女子顔負けの可愛さを誇る花音が、俺と同じ一物を所持する男だからだ。


「先生! あそこです!」


 一段楽付いたところで、背中に嫌な気配を感じた。振り返れば、先ほどぶつかりかけた女生徒と保険の先生が慌てた様子で駆けてくる。ちなみにどちらも女性。


 まさか止まってくれるよな……なんて考えているうちに。その距離は十メートル、五メートル、三メートル——と、みるみるうちに縮まっていく。


「ちょ、ちょ! それ以上近づかれると!」


「ああ、ごめんなさい。そういえばあなたは”女性恐怖症”だったわね」


「だったわねって……口に出さんでくださいよ先生。気にしてんすから」


 停止した二人との距離、およそ二メートル。

 あと一歩こちらに来てたら、間違いなく俺の鼻栓は吹き飛んでた。


「思春期男子がもったいないわね。私が何とかしてあげましょうか?」


「やめてくださいよ……先生の悪ふざけで痛い目見るの俺なんすから」


「もぉ、釣れないわね」


 妙に色っぽい顔つきに、俺は咄嗟に目線を斜め下へ避けた。


「コー君を誘惑するのはやめてください!」


「ごめんごめん。つい意地悪したくなっちゃって」


 花音が気を利かせて間に入ってくれたから助かったが、俺にとってこのお色気教師の存在は毒でしかない。今までだって何度この人に殺されかけたことか。


「とにかく、コー君の面倒は僕が見ますから!」


「そう? まあ花音君がいるなら安心かしら」


 撤収撤収〜、と軽いノリで踵を返す先生、そして女生徒。

 どうか次会う時までに、まずはその悪ノリを何とかしてくれ。


「ほんとあの人は……教師の自覚あんのか?」


 俺の体質をあそこまで軽く捉えているのはあの人だけだ。

 まあそれだけ俺を特別扱いしていない、ということなのだろうけど。にしてもこのままだと、いつかあのお色気教師に殺される。


 女子に近づく度に鼻血を吹き出す生活もいい加減うんざりだし。何とかしてこの特異体質を、改善するきっかけを作りたいところだが。





* * *





「僕が女装⁉︎ そんなの無理だよ!」


「そう言わずにさ、頼むよ」


 放課後の帰り道。

 俺がダメ元で頼むと、案の定花音は全力で否定して見せた。


「俺がこの体質を治すためには、お前の協力が必要なんだ」


「でも……僕は男の子だし、女装なんて」


「お前なら絶対大丈夫だって。ただでさえ見た目が少女っぽいんだから」


 俺が女性恐怖症を治すためには、まず女性に対しての耐性を付けなきゃならない。とはいえいきなり女性相手にあれこれやると、また鼻血を吹き出してしまうのは目に見えてる。


 そこで思いついたのが、花音に女性役になってもらうという作戦。


 俺の体質に理解があって、おまけに中性的な花音に協力してもらうことこそが、ゼロに等しい俺の女性耐性を改善できる唯一の方法に思えたのだが。


「女装なんてしたことないし……そもそも僕には似合わないよ」


「似合わないわけがあるか。鏡見てみろ鏡」


 どうやら花音はあまり乗り気ではないようだった。

 まあ無理もない。普通の男子なら女装に抵抗があって当たり前だ。


「なあ花音、頼むよ。俺を助けると思ってさ」


「コー君を助ける?」


「ああ。お前が協力してくれたら、この体質も改善できるはずなんだ」


 俺にとって、花音だけが頼みの綱だ。

 女子顔負けの美少女的ルックス。そして男を虜にする可愛らしい仕草。おまけに触れても鼻血が出ることはないとくれば、花音に頼む他道はない。


「少しの間でいいんだ。どうか俺のために女装してくれ」


 俺は立ち止まり、深々と頭を下げた。

 下げた目線の先で、花音の足がパタパタと落ち着きなく動いてる。

 急にこんなお願いしたせいで、動揺しているのだろう。


「ぼ、僕が女装すれば、コー君は喜んでくれる?」


「もちろんだ」


「コー君の力になれる?」


「ああ」


 視線を地に伏せたまま答えると、やがて花音の動きが止まった。

 顔を上げればそこには、先ほどとは違い覚悟に満ちた顔の花音が。


「わかったよ。僕コー君のために女装する!」


「本当か⁉︎」


「うん。とびきり可愛くなって、コー君の体質を治すんだ!」


 グイッと拳を握り、頼もしく意気込んでいる花音。

 俺はそんな彼の華奢な身体をガバッと両手で包み込んだ。


「マジありがと! お前は最高の親友だよ!」


「ちょ、ちょっとコー君苦しいよっ」


 こうして俺たちは、女性恐怖症を克服するために最初の一歩踏み出した。


 これがきっかけで家族以外の女性と親しくなれたら。そう思うと、後ろ向きだった人生にも、ようやく追い風が吹いたような。そんな気がした。





* *  *





 家に着くなり、俺は大学をサボってソファで居眠りしていた姉貴に言った。


「花音を女装させてくれ」


 初めこそ寝ぼけていた姉貴だったが、事情を話せばシャキッと身体を起こし、


「あたしに任せなっ!」


 と、まるで新しい玩具を買ってもらった子供のような曇りのない瞳で、上機嫌で花音を自室へと連れていった。


 思えばうちの姉貴は昔から、事あるごとに花音に自分の服を着させたがっていた。記憶の中では全部断られていた気もするが、今日は無条件でその願望を叶えちまった。


「ごめんな、花音」


 消えゆく背中にそっと呟き、俺は自室で女装の完成を待った。

 少し変わった姉だが、あれでもルックスと、化粧やファッションのセンスはピカイチ。


 まだうちの高校に在籍していた去年は、文化祭の美少女コンテストでダントツの一位に選ばれた他、校内で姉を見かける度に告白の最中、なんてのは日常茶飯事だった。


 故に花音の女装に関しての心配はない。が、昔から執拗に花音を愛でていた姉貴に任せるのは、少しばかり良心が痛んだ。


 二人が部屋に篭ってから20分ほど。


「コー君」


 部屋の扉がガチャリと開いて、一人の美少女……いや、美少年が俺の前に現れた。


「花音……なのか」


「うん、そうだよ」


 火照った顔でコクリと頷いた花音は、見違えるほどの美少女に変身していた。


 素材を活かしたナチュラルなアイライン、そして色気も立つ薄めの口紅。この妙にひらひらとした服は、本当に姉貴の服だろうか。こんな服着ている姿は見たことないが。


「ど、どうかな」


「お、おう。すげぇいい感じじゃないか」


「ほんと⁉︎ ならよかった」


 褒めれば本物の女子のように、愛らしく照れる花音。もともと中性的な形だとは思っていたが、まさかここまで完璧に女子っぽくなるとは。


「流石は姉貴だな」


 呟いてふと思う。


「あれ、そういや姉貴は?」


「お姉さんなら、今頃部屋で僕の写真見て泣いてる」


「そ、そうか……」


 せっかくお礼言ってやろうと思ったのに。

 まさか泣くほど花音を女装させたかったとは。


「とにかく、これなら俺の体質も何とかなるかもな」


 俺の目から見て、今の花音は完璧に女子そのもの。

 この状態であれこれすれば、必ず俺にも女性耐性が付くはず。


「と、とりあえず。お前の身体に触れてみてもいいか」


「ふ、触れるって……⁉︎」


「ああいや……変な意味じゃなくてだな。女装した花音で症状が出るか検証したいんだ」


「そういうことなら、いいよ」


 俺は妙な緊張を覚えながら、花音に歩み寄った。


 一歩、そしてまた一歩。

 踏み出す度に、花音は身体をよじり頬を赤く染める。


「い、いいか。触れるぞ」


「う、うん」


 恥じらい顔で小さく頷いた花音。

 その綺麗に整えられた髪に、俺は恐る恐る右手を触れた。


「……」


 今のところ身体に変化はない。

 鼻血も……出ていないようだ。


「だ、大丈夫っぽいな」


「ほ、ほんと? 鼻血出てない?」


「ああ、いつもと何ら変わりなさそうだ」


 よし、とりあえずこれで第一関門は突破だ。


「次は手を繋いでもいいか」


「手⁉︎ 僕とコー君が⁉︎」


「そのつもりだったが、嫌か?」


 花音は必死に首を横に振る。


「嫌じゃないよ! ただちょっと恥ずかしくて……」


「まあ、男同士だしな。躊躇うのも無理はない」


 なんて言いつつ、恥ずかしがってる花音は女子にしか見えない。


「手汗とかかいちゃったらごめん」


「んなの気にするわけないだろ?」


 そう言って俺は花音の手を握った。

 細く冷たい、でも仄かに暖かい感触が右手を支配する。


「ど、どう? 何か変化ありそ?」


「いや、もう少し経ってみないと」


 これはあくまで検証。

 頭ではそう理解しているはずなのに……。

 何だろう、この心地いいような安心感は。


「コー君、もうそろそろ」


 花音は男で、手などガキの頃に何回も握った経験がある。


 なのにこの胸のドキドキはなんだ?

 どうして俺の気持ちはこんなにも高ぶっている?


「コー君? 大丈夫?」


「あ、ああいやすまん。ついついぼーっとしちまって」


「そっか。体調悪くなったと思ってびっくりしちゃった」


 言われて、俺は慌てて手を離した。

 花音を見れば、安心したように笑っている。


「鼻血も出てないみたいだし、大丈夫そうだね」


 やがて花音は、俺の顔を見て首を傾げた。


「コー君、顔赤いよ?」


「えっ、う、嘘だろ⁉︎」


「嘘じゃないよ。もしかして熱でもある?」


 そう言うと、花音は俺に顔を近づける。


「うーん、ちょっと暑い気もするけど」


「ちょ、花音……⁉︎ いきなり何して——!」


「いいからじっとしてて」


 ひんやりとした優しい感触が額いっぱいに広がる。

 気づけば視界には、美少女と化した花音の目、鼻、口。

 うーん、と喉を鳴らしながら額を合わせ思案顔を浮かべていた。


「ちょっと熱あるかも」


 そして。

 花音がそう口にした刹那。

 至近距離で俺たちの視線はぶつかった。


「ご、ごめんね! 男の子同士なのにこんな……」


「ああいや、俺の方こそ……」


 慌てて飛び退いた花音には、先ほどまでの平静さはなかった。まるで爆発寸前のボム○みたいに顔を真っ赤かにしながら、手や脚をモジモジとさせている。


「と、とりあえず、女装してても鼻血は出なそうだな」


「そ、そうだね。やっぱり男の子だからかな、あはは」


 誤魔化すように笑う花音。

 もしや花音もドキドキしていたのだろうか。


「おーいあんたらー」


 場の空気にそぐわない声がドアの方から飛んでくる。


「何だよ姉貴かよ」


「何だよって何よ。せっかく花音ちゃんを可愛くしてあげたのにお礼もないわけ?」


「いやその……感謝はしてるよ」


 すると姉貴はズカズカと、無許可で俺の部屋に入ってくる。

 平気な面しやがって。こちとらさっきまで嬉し泣きしてたの知ってんだぞ。


「それで症状はどうだったのよ」


「ああ、女装した花音に触れても何も起きなかったよ」


「へぇー、あたしはてっきり、今頃鼻血吹いてぶっ倒れてるかと思ったけど」


 何だよその『そうなってたらよかったのに』みたいな言い方は。


「あんた、やっぱり見る目ないわね」


「はぁ?」


「こーんなに可愛い子を前にして鼻血も出ないとか。もしかしてB専なの?」


「び、B専じゃねぇし。てかそもそも花音は男だし」


 急に俺の部屋に来たと思ったら、随分と好き放題言ってくれる。

 俺はあんたみたいに、女装させた男で興奮する趣味はねぇんだよ。


「まあ、何でもいいけど。あたしの努力を無駄にしないでよね」


「努力って……一番身体張ってんのは花音だろ」


「化粧も服も髪型も、この日のために準備してたんだから」


 なるほど。

 だから姉貴はこんなフリフリの服をすぐに出せたのか。


「どうせなら今からデートでもしてくれば?」


「デ、デート⁉︎」


「だって女性恐怖症治したいんでしょ? ならずっと部屋でダラダラ過ごしてても意味ないじゃない」


 確かに、部屋で出来ることは自然と限られてくる。

 外に出れば、もっとリアリティのあるシュチュエーションを作れそうだが。


「それにあんた、どうせこの先一生デートなんて出来ないんだから。この機会に花音ちゃんにお願いして、デートしてもらいなさいよ」


「いつも思うが、姉貴は俺に恨みでもあんのか……?」


 ふんっ、と、そっぽを向いた姉貴。

 どうして俺はこの人にここまで邪険に扱われるのか。そりゃ昔はガキらしく迷惑を掛けたが……だからって実の弟にここまで言わなくてもよくない⁉︎


「とにかく、可愛い花音ちゃんを無駄にしないでよね」


「わかってるっつの……」


 毒を吐くだけ吐いて、姉貴は部屋を出て行った。

 残された俺たちの間に妙に気まずい空気が流れる。


「どうするよ花音。姉貴はあんなこと言ってたが」


「コ、コー君がよければ僕はデートするのもいい、かな」


 てっきり嫌がるかと思ってたが。

 女装して色々と吹っ切れたのだろうか。


「じゃあちょっくら街の方行ってみるか」


「うん!」


 こうして俺は、女装した花音と共に街へ出た。





* * *





 駅が近いからか、夕方の街は仕事帰りのサラリーマンや学生で溢れていた。


 俺は適当に見繕った私服で、花音は相変わらずの女装で、しばらく並んで街を歩いたが、これといって不審に向けられる視線はなかったと思う。


「何あの子、めっちゃ可愛いじゃん!」


「ちょっと、今デート中なんですけど」


 それどころか、違う意味で目立ってしまっていた。

 相手がカップルだろうがなんだろうが関係ない。すれ違うほとんどの人が、花音を二度見しては、その可愛すぎる見た目に惚れ惚れとしていた。


「何だか、凄く見られてる気がするよ」


「まあ仕方ないだろ。これだけ可愛かったらな」


「そんなに可愛いのかな、僕」


「それはもう、とんでもなく」


 男同士とはわかっているが、これだけ連れが目立つと気分がいい。

 美女と付き合っている男は、いつもこんな気のいいデートをしているのか。


「あんまり見られるのも嫌だろうし、ぼちぼち引き上げるか」


「うん、そうしよっか」


 一通り街を楽しんだ後、俺たちは近道の裏路地へと入った。


 今日は女装した花音と様々なことをしたが、これといって女性恐怖症らしい症状は何も出なかった。


 やはり俺の症状は、女性を相手にした時だけ発症するものなのだろうか。


 だとすれば俺の目から見て、花音は十分可愛い女の子のはずだが。やはり付き合いが長いだけ合って、『幼馴染の男の子』という印象の方が勝ったのか。


 どちらにせよ、今日はとても充実していた。

 女性に近づくことさえ出来なかった俺が、これだけ可愛い子の髪に触れたり、手を繋いだり、ましてやデートまでしたり。


 実際は幼馴染で同性の花音とはいえ、今までには感じることのできなかったドキドキを、思う存分味わうことができた。


 目的が女性恐怖症を治すためで、その結果がどうであったとしても、俺は今日という日を無駄にはしたくない。


 願わくばまた、この姿の花音と一緒に居られる日が来て欲しい。


「女性恐怖症なんて、別にどうだっていいのかもな」


「ん? 今コー君何か言った?」


「ああいや、何でもない……」


 うっかり漏れた一言を、俺は慌てて誤魔化した。

 そりゃ今俺の目に映っている花音は、可愛くて、優しくて、俺の一番の理解者だけど……だからって同性に特別な感情を抱くなんてことは。


「な、なあ花音」


「うん?」


 ドキッと、心臓が高鳴ったのがわかった。

 名前を呼び目が合った花音は、微かな微笑みと共に首を傾げる。


「どうしたのコー君?」


「その、えっと……」


 なぜか上手く言葉が出てこない。

 今までなら何の気兼ねもなく話せていたのに。

 どうして俺はここへ来てこんなにも動揺しているんだ。


「僕の顔に何か付いてたりする?」


「い、いや、そうじゃなくてだな」


 その透き通った声を聞く度に。

 そのきめ細かい白い肌を見る度に。

 俺の心臓の鼓動は躊躇いもせずに加速する。


「コー君、顔赤いよ」


 ひたっと、俺の頬に花音の華奢な手が触れた。

 その瞬間、鳥肌とは違う、不思議な感覚が全身を巡った。


「花音、俺は」


 緊張と高揚の間で心が揺れているその最中。

 気づけば俺は何かに導かれるようにして口を開いた。


「俺は——!」






「よう、そこのカップル」


 しかしその声は花音に届くことはなく。

 場の空気を一変させるのに十分な低い声が、俺の背後から飛んで来た。


「こんな街中でお楽しみかぁ?」


 迸る嫌な予感に俺は振り返る。

 するとそこには、わかりやすくガラの悪い男が三人。


「何か用かよ」


「いやぁー、用ってほどじゃねぇんだが」


 制服を見るに、おそらくは近くの不良校の奴らだろう。

 男たちは俺たちを取り囲み、舐めるような視線で花音を見た。


「随分と可愛い彼女連れてるなーって思ってな」


「こいつは彼女じゃない。俺の幼馴染だ」


 答えるとニヤリと笑う男たち。


「そりゃ都合がいいや。ちょいとお前さんの幼馴染俺たちに貸してくれや」


「どうして大切な幼馴染をお前らなんかに貸す必要がある」


「そりゃもちろん今日の相手をしてもらうからさ」


 どうやらこいつらにも、花音が本物の女性に見えてるらしい。

 にちゃっとした笑いの中に、花音に対する下心が丸見えだった。


「それは無理なお願いだな」


「そう堅いこと言わずによ。ちょっとくらい貸してくれや」


「お前らみたいな外道な人間に「はいどうぞ」って渡すはずないだろ」


「外道だぁ?」


「だってそうだろ。下心丸出しで近づいて来やがって。高校生なら少しは自重しろよ」


 口論の最中、背中にブルブルと震える感覚があった。

 おそらく花音が怯えて俺の後ろに隠れているのだろう。


「てめぇ、こちとら下手に出てれば舐めた口ききやがって」


「それで下手に出たつもりかよ。流石はこの辺で有名なバカ校なだけあるな」


「さては死にてぇようだな、クソもやし野郎!」


 間髪入れずに殴りかかって来たリーダー格の男。

 俺はそいつの右拳をひらりとかわし、逆に開いたわき腹に左拳をねじ込んだ。


「ぐほっっ……!!」


 前かがみになって崩れ落ちる男。

 続けて俺の死角から、二人の男が同時に殴りかかってくる。


 花音を巻き込まないように間に入り、二人の拳を右左それぞれの手のひらで受け止めた。


 手応えがない。


「お前ら不良のくせに喧嘩弱いのな」


 わかりやすく焦る男たちの腕を激しく捻じり上げる。


 イタタタタと声を上げる片方の腰をドン! と足で蹴り飛ばし。もう片方は捻った腕をそのままに、柔道の背負い投げの要領で、前かがみに倒れていた男の上に投げ飛ばした。


「何だよ。もう終わりかー」


 あまりの弱さに嘆息すると、男たちは怯えた目で俺を見上げた。


「な、何なんだよてめぇ……」


「何って、東高の安藤だけど」


「東高の安藤……⁉︎」


 答えれば、顔色を真っ青に染めるリーダー格の男。


「東高の安藤って……もしやあんた、東陽中にいた魔王⁉︎」


「それはうちの姉貴な。俺はその弟」


「ってことは兄妹揃ってバケモンなのかよ⁉︎」


 バケモノと呼ばれるのは心外だが、昔はうちの姉貴がよくそんなあだ名で恐れられてた。


 東陽中にはとんでもなく喧嘩が強い魔王がいると。そのせいで俺まで一目置かれる羽目になって、中学時代は先輩後輩関係なく全員が俺に敬語だったっけ。


 今でこそその噂は、不良たちの間でだけ流れる伝説になっているようだが、ここで余計な問題を増やせば、今通っている高校にまでその過剰な噂が流れかねない。


 花音もだいぶ怯えていたようだし、ここはすんなりと退いて欲しいのだが。


「どうする、まだやるか」


 手をポキポキと鳴らしながら挑発すると、男たちは情けない声を上げて去って行った。


 久しぶりの喧嘩だったが、どうやらまだまだ腕は鈍っていないらしい。ガキの頃はよく姉貴に挑んでボコボコにされていたが、今となってはそのおかげで花音を守ることができた。


「花音、大丈夫か」


「う、うん……ごめんねコー君」


「気にすんな。お前が無事ならいいんだ」


 怯える花音の頭にそっと手を置いた。


「さっ、もう帰ろう。あんまり遅くなると姉貴に殺されちまう」


 そう言って、俺はすっかり暗くなった路地を進んだ。

 一歩、そしてまた一歩。花音より先に歩みを進めていると。


「コー君」


 後ろから袖を掴まれ、俺は振り返った。


「どうした」


「あの……手、繋いでもらえないかな」


「ど、どうしたよいきなり」


「わかんない、けど……もう一度コー君と手を繋ぎたいの」


 暗がりではっきりとは見えなかったが、花音の頬は確かに高揚していた。


 躊躇いながらも、そっと差し出されるその手を——俺は迷いなく握る。


「また危ない目に遭っても困るしな。俺が掴んでてやるよ」


「うん!」


 こうして俺たちは家までの道を辿った。

 その間、これといって花音と交わした会話はない。


 ギュッと、互いに手を握って、ただ相手の肌を、温もりを感じる。


 そんな時間が続けば続くほど、やはり俺の中に生まれるのは形容しがたい感情。花音の手に触れている、花音を独り占めしているという謎の優越感。


「なあ花音」


「うん?」


 その答えを探るために、俺は自らこの沈黙を破った。

 しかし花音と目を合わせた瞬間、顔を出しかけていた想いにストップが掛かる。


「今日はありがとな」


「こちらこそ。コー君とお出かけ出来て楽しかった!」


 曇りのない純粋なその笑顔に、俺は思い知らされてしまう。やはり俺の抱いているこの気持ちは毒だと。決してあってはならない想いなのだと。


「ねぇコー君」


「ん」


「コー君はさ、どうしていつも僕を守ってくれるの」


「それは——」


 答えかけたその時。

 突如として花音は俺の胸に身を寄せた。


「か、花音、いきなり何を……」


「僕ね、気づいちゃったの」


「な、何に」


「コー君は男の子だけど、でも僕にとっては凄く特別な人なんだって」


 一度は俺の胸に埋めていた顔を上げた花音。

 満面に染まったその優しい笑みは、塞いでいた俺の心の氷を瞬く間に溶かした。


「コー君の側にいたい。コー君の肌に触れたい。そう思っちゃう僕は悪い子かな?」


 俺の気持ちは誰も幸せに出来ない毒だと思っていた。

 女性恐怖症を治し真っ当な恋愛をすることこそが、自分に出来る最大限の努力だと。花音もそれを望んでいると、勝手にそう思い込んでいた。


 でも今触れ合って感じた花音の本当の気持ち。

 これほどまでに幸せな現実を前にした俺は……もう。


「こ、コー君⁉︎」


 愛らしく着飾った花音を俺は力強く抱きしめた。

 女性恐怖症を治すしかないと思っていた俺にくれた、この新たな選択。


 おかしいのはわかっている。だけど気づいてしまったこの気持ちに、花音の想いに、嘘はつきたくない。


「花音、俺はお前が好きだ」


「コー君……」


「おかしくてもいい。笑われてもいい。だからこれからもずっと俺のそばに居てくれ」


 吐き出した想いに花音は頷いた。


「僕がコー君の居場所になってあげる」


 こうして互いの気持ちを伝え合った俺たちは、かくして禁断の愛の道へと進んで行くことになった。


 同時に俺の女性恐怖症問題は、改善する必要もなく解決に向かったのだった。

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