第14話 心ここにあらず
ロードリックとの距離が縮まらないまま、時間だけが漫然と過ぎていく。リビングで読書をしつつも、頭の中は文面を追ってはいなかった。
どうすればロードリックに好きになって貰えるだろう。そんな事ばかり考えてしまう。
プレゼントを沢山してみる?
編みあがった手袋はもう彼に渡してある。偶に私服で過ごせる日があれば使っていて、気に入ってはくれているのだろう。けれどどちらかというと、私への気遣いの範囲な気もしてくる。
そもそも何が欲しいのかもよく分からない。財力があり、殆ど何でも手に入る人へ物を贈るのがとても難しい事であるのを、この状況になって初めて知った。
そうなると無難な必ず必要とされるような男性用小物……例えば財布などに落ち着いてしまうのだろうが、私は監視されている身である。
天来衆の人達の態度が少し和らいではいるが、外出を許可してくれるまでに信頼を得ているとも思えなかった。唯一外出の許可を条件付きで認めてくれそうなのはロードリックであるが、まさか本人に理由を説明する訳にもいかない。
悶々と悩んでいると、傍で紅茶を入れてくれていたザラさんが小さく笑う声が聞こえた。
「心ここにあらず、ですね。さっきから頁が動いていませんよ」
見透かされた事が恥ずかしく、頬が赤くなってしまう。
「え、と。そんな事は」
「ロードリック様の事ですか?」
誤魔化す前に言い当てられてしまった。姉のような雰囲気の彼女には意地を張り辛く、大人しく頷いて肯定した。
「天来衆の皆さんにはまたロードリックの邪魔をするなって言われるかもしれないけど、折角夫婦になったからにはもっと仲良くなりたいんです」
「……そうですよね。クラリス様は人間ですものね」
その声は何処か遠く、在りし日の誰かを思い出しているのを伝えてくる。けれどすぐさま気を取り直し、ザラさんは言った。
「皆の気持ちも分かりますが、私はクラリス様のお好きになさったらいいと思います。転ぶかもしれないと、ずっと子供を抱えて歩くのが愛情だとは思いませんから」
彼女の例えが私にはよく分からなかった。そしてザラさんはそれを説明してくれる気配もなく、言葉を続ける。
「それで、何かいい案は思いつきました?」
「それがちっとも。お金で買えるようなものは全部もっていますし、私が何か作っても気を遣わせるだけな気がしてしまって」
「それなら、デートはいかがでしょう?」
「デート?」
「はい。気分転換に外に行きたいと言えば、連れ出して下さるんじゃないですか?」
自分では考え付かなかった提案に目を見開いた。
「それです」
何とも自然な誘い方である。尊敬の眼差しをザラさんに向け、早速実行しようと思った所で懸念すべき事を思い出す。
「でも最近とても忙しいみたいなんですよね。今日もずっと書斎に籠りきりですし」
忙しくなると言っていた通り、ロードリックは夜遅くまで作業をしているようだった。
仕事の邪魔にならないようにそっとしているので、顔を合わせる機会がそもそも少なくなっている。
「ええ。ですから少し様子を見に行ってくれませんか? 丁度一息つけると思うんです」
「書斎に入っても大丈夫ですか?」
「扉を軽く叩いてみて下さい。取り込み中なら言って下さると思います」
ザラさんに背中を押され、彼に会いに行ってみる事にした。二階の書斎前に立って中の音に聞き耳を立ててみると、書類を纏めるような音が聞こえてくる。
勇気を出して、軽く扉を叩いてみた。
「……はい」
「私です。クラリスです」
扉にロードリックが近づいてくる足音が聞こえる。そして扉が開かれ、今日初めて目にした彼の姿に驚いた。
何度見ても見とれてしまう整った顔立ちは変わらないが、目の下にくっきりとした隈が浮き上がっている。病を抱える薄命の人。そんな雰囲気だった。
「どうしましたか?」
ロードリックは珍しく私が書斎の扉を叩いた事に首を傾げていた。
「ずっと籠っているから心配になってしまって。……寝てないんですか?」
「ええ。昨日は少し遅くまで作業がありまして。ご心配ありがとうございます」
そう言って目頭を指で解している。相当疲れが蓄積しているようで、心なしか声にも覇気がない。こんな状態のロードリックを見て外出など言いづらくなってしまった。
「少しだけ、休まれてはどうでしょうか?」
ザラさんが様子を見に行くのを勧める訳だ。こんな状態を何日も続けていたら、本当に倒れてしまうだろう。
ロードリックは私の顔を虚ろな目でぼうっと眺め、首を縦に振った。
「そうですね、それもいいかもしれません」
そう言うと私の手を掴み、書斎の中へ連れていく。初めて入室を許可されたその場所には壁一面の本棚、机、二人掛けのソファーが置いてあったが、それ以上にうず高く積み上げられた書類が私を圧倒した。机の上にも、床の上にも、紙が散らばっており辛うじて人が通れるスペースだけが確保されている。
こんな場所に私が入っていいとも思えなかったが、ロードリックは見るからに疲れ切っていてそれを判断する余裕もないのだろう。
私が口を滑らせなければいいだけだから、まあいいか。
ロードリックはソファーに私を座らせて、隣に自分も腰を下ろす。使用人に紅茶を持ってこさせて二人でそれを啜ったが、余程眠いのか会話が弾まない。
「凄い数の書類ですね」
「……ええ」
「美味しいですね、この紅茶」
「そうですね……」
この調子である。一回眠らない限り、頭も働かないのではないのだろうか。
「仮眠を取りますか?」
提案してみると、ロードリックも自覚があるのか素直に頷いた。
「そうします」
手にしていた紅茶を机の上に置くと、壁掛け時計を指さした。今はお昼を少し過ぎたぐらいである。
「三十分経ったら教えてください」
言うや否や、腕を組んで目を閉じてしまった。気絶のような速さで寝息が聞こえてくる。
えっと、三十分動かない方がいいのかしら。
折角眠る事が出来たロードリックを、身動きして起こしてしまうのも申し訳ない。置物の様に静かにしている事にした。
視線を部屋にさ迷わせると、暗号で書かれた書類や、細分化された各国の地誌がある程度種類に分けられて置かれていた。
大変な仕事をしているのを垣間見て、改めてロードリックを尊敬する。彼は一族と、この国を守る為に身を粉にして働いているのだ。
その重圧はどれほどだろう。辛いとは感じないのだろうか。
私が少しでも負担を減らす為に協力出来る事は無いだろうか。
そんな事を思いつつ身動きせずにいると、深い眠りに落ちたロードリックの体が私の方向へとずり落ちてくる。
驚いて隣を見ると、彼の寝顔が至近距離にあった。彼の頭が私の肩に乗って止まる。
本格的に身動きが出来なくなってしまった。
ロードリックの髪の毛が頬に当たり、そのこそばゆさが私の恋心を刺激する。
眠っている所、初めて見たかも。
寝室は未だに別だった。私が言えば彼は応えてくれるのかもしれないが、温情に甘えて恋人としての振舞いを要求するのも悔しいのでしていない。なりふり構わなくなるのは、まだ先でいいだろう。
なにせ既に立場としては妻である。だからこそ心の距離を詰めるのを一番優先したかった。
隣で寝てくれるって事は、少しは甘えてくれているのかな。
だとしたら嬉しい。込み上げてくる愛しさに一人笑みを浮かべる。頭を乗せた肩が固まっていくのを自覚しつつも、時の進みが遅くなるようにと願った。
「……ハーヴィー様」
それは秒針の音にも消されそうな程小さな寝言だった。起きたのかもしれないと思いロードリックを見てみるが、瞼はしっかりと閉じられている。
誰の事だろう。
今まで会った天来衆の人にはいない名前だった。様をつけて呼ぶのだから、身分としては同じか、それ以上の方だろうか。もしくはロードリックに尊敬されているのかもしれない。
あれこれ考えている内に、あっという間に言われていた三十分が経過してしまう。起こしたくない気持ちを抱えつつも声をかけた。
「ロードリック。時間になりました」
すぐに長い睫毛が震え、目がゆっくりと開かれる。そして体が私に寄りかかっていた事に気づき、驚いたようだった。
「すみません。重かったでしょう」
「いいえ、大丈夫です」
重さだけで言えば肩が凝るぐらいだったが、それ以上に幸せだったので勿論口に出さない。少し恥ずかしそうな顔をしているので、つい笑みを浮かべてしまう。
「……おかげで少しすっきりしました」
「良かったです」
ロードリックの顔色はさっきよりも随分マシになったように見えた。また直ぐに仕事に戻るのだろう。
顔を合わせられなくなる前に、忘れない内に疑問に思った事を聞いてみる。
「ハーヴィー様って誰ですか?」
私に聞かれてロードリックは驚いたようだった。
「何処で聞いたんですか?」
「えっと……寝言で」
ロードリックを指さしてみると、思いもよらなかったようで一瞬固まってしまう。そしてカレンダーに視線を向けて懐かしむような、愛おしむような、淡い笑みを浮かべた。
「……あの日が近いからか」
いつもの穏やかさの仮面が剥がれ、彼の目に宿る強い感情に驚く。それはまるで恋をしたかのような切ない表情でもあった。
ロードリックの心の中に、その人がいる。
胸が騒めいた。私が知らない彼の姿に、穏やかではいられなくなる。
長い間を生きてきたのだ。頭では色々な人と出会っているのを理解しているのに、いざ目の前で目の当たりにすると幼い嫉妬心が私を苦しめた。
けれど名前から察するに男の人である。本当に一体ロードリックにとってどんな人なのだろう。
首を傾げてロードリックの口から説明を待っていると、思いついたように彼は言った。
「そうですね、明後日空いていますか?」
「はい」
どうせ用事らしいものは私には無い。
「一緒に行きましょう。説明はその時に」
そう笑うロードリックはもう普段通りの穏やかさだ。思いもよらず一緒に外出する約束を取り付けたが、デートだと素直に喜べるような空気ではない。
何処に連れて行ってくれるのだろうか。
ふと、毎月二十六日に彼が私服で何処かへ行っていたのを思い出す。特に気に留めてなかったその事実が何故だかとても胸を重くさせる。
「……分かりました」
色々聞きたい気持ちを抑えて大人しく首を縦に振ると、ロードリックは兄の様に私の頭を撫でてきた。
いつか私にも、あの目を向けてくれますか?
そんな事、とても口に出せやしないのだった。
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