第13話 剪定作業

 ロードリックの暗い表情が忘れられなくて、落ち込んでしまう。私は綺麗に整えられた庭園のベンチに座り、ぼんやりと天来衆の事について考えていた。

 終わりが見えているというのは、どれほどの絶望なのだろう。

 人間である私には、多分本当の意味は分からない。けれどそこまでの状況に陥ってしまえば、いっそ自らの手で終わらせてやりたくなるような気がした。

「どうした? 随分暗いな」

 気づけば大きな剪定鋏を持ったコリンが、直ぐ隣に立っていた。彼は最初こそぶっきらぼうだったが、話しかけて無視される事はない。

 少々強引に観葉植物を次から次へと強請っても、文句を言いつつ用意してくれる優しさがあった。

 しかし向こうから話しかけられたのは初めてである。それほど私は暗い顔をしていたのだろうか。

「ロードリックに天来衆の事について聞いたの」

「ふうん?」

 コリンは片眉を上げて、私に続きを促した。

「終わりがもう、分かっているのよね?」

「それでそんな顔をしているのか。悪いが、それでも人間のアンタよりは長生きする。同情される筋合いはねえ」

「そうかしら」

「そうだよ。俺からしたら百年にも満たず死んじまう人間が、好き好んで死にに行く方が理解出来ねぇ。この前の戦争とか、志願兵だって随分いただろう。全く分からんね。命ってのは、最後の最後、擦り切れるまで生きたいと思うもんじゃないのか」

「そういう考えもあるけれど、でも何かの為なら命を懸ける事もあるわよ」

 肯定も否定もせず、コリンは私の話を聞いている。そこに生物としての埋められない溝があるようだった。

「アンタもそうなのか? 何かの為になら、死ねるのか」

 何気なく問われたその質問に、向き合って答えてみる。

「……多分? それよりも、ここが死に時だと思えない死の方が……そうね、哀れだと思うかも」

 それは思ったままの言葉だったが、何故だかコリンは目を見開いて驚いた顔をした。そんなに変な事を言っただろうか。

「コリン?」

 思わず問えば、彼は舌打ちして顔をいつものしかめっ面に戻す。そして手に持っていた大きな剪定鋏を私に押し付けた。

「暇なんだろ、剪定手伝え」

 それは侯爵夫人の仕事なのだろうか。まあ、暇なので歓迎して手伝う事にする。

「分かった。どれを切ればいい?」

 コリンは少し背の高めの、美しく丸みを帯びだ形に作られたトピアリーを指さす。

「全体的に少しだけ刈ってくれればいい」

「分かった」

 既に形が出来上がっているので、そこまで難しくないように見えた。植物の世話をするのが好きになってきていたので、いそいそと庭の隅に置いてある踏み台を取りに行くとする。

 どうせ外の人に見られないと思い、町で暮らしていた時のようなシンプルな恰好をしていたので、着替えるまではしなくてもいいだろう。

「その辺り全部な」

 コリンが私の背中にかけてきた言葉に、ふと指示されたトピアリーの方角に視線を向ける。十本以上は優に超えているのを見て、一瞬気が遠くなった。

 ええい。やってやるわ!

 私は気合を入れ、足台に乗って黙々と剪定鋏を動かし始めるのだった。

 トピアリーはこまめに手を加える事で、特有の人工的な美しい形を維持しているらしい。

 以前外の公園で見たトピアリーは穴が出来てしまっていたり、一部分が不自然な葉の色でみすぼらしいものもあった記憶がある。

 私は庭仕事に詳しくはないが、この美しい庭園を見る限り彼の腕はちゃんとしたものなのだろう。

 上方向に一本、角の様に長く伸びてしまった枝を切り落とす。作業に夢中になっていた私は、枝の落ちた場所から「うわ」と聞きなれない声が聞こえたので驚いて手を止めた。

「ごめんなさい!」

 慌てて踏み台を降りてみると、木の反対側に人がいたらしい。見た事のない、銀の髪をした若い軍人である。

「私、不慣れな作業で周りを見てなくて……! 怪我はありませんか?」

 彼は怒ってしまったのか、眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔で体に付いた枝葉を叩き落としている。

 やってしまった。どうやって怒りを解いて貰えばいいのだろう。そう思って彼をよく見て、目の前の彼が全く光を帯びていない事に気づく。

「人間?」

 思わず口走ってしまうと、私の言葉を聞いた軍人の表情が驚きの表情に変わった。

「君もか?」

 もしかして、私が此処にいる事って知られては不味いのではないだろうか。しかし口から出た言葉は取り消せない。

 どうしようと狼狽えていると彼は不機嫌だった顔から一転し、とても親し気に話しかけてきた。

「ここの天来衆なら私の顔を知っているだろうから、君は人間だろう。ああ、枝の事は構わない。手で払えば済む事だ」

 そしてじっと私の顔を見て首を傾げる。

「それより、何故ここに人間が?」

「えっと……」

 何処まで話してもいいのだろう。困ってしまって何も言えずにいると、彼の表情がどんどん険しいものになっていく。

「脅されているか、何か弱みでも握られているのか? 安心して欲しい。私はこれでも少佐だ。天来衆の事も把握している。もし君が彼等から不都合を受けているなら、私の責任でもって保護しよう」

 実際は彼の言う通り、脅されているのかもしれない。少し前までの針の筵の扱いが続いていたなら、頭を下げていただろう。

 けれど今は天来衆の人とそれなりに仲良くやっているし、またロードリックの顔を潰す事は受け入れられなかった。

 今会ったばかりの人間と、ロードリック。どちらを選ぶかと言えばロードリックである。

「えっと、違うんです……」

「何が違う?……ああ、此処はやつらの巣窟だからな。一先ず外へ出ようか」

 彼は私の腕をがっしり掴み、少々強引に連れ出そうとする。その拍子に手に持っていた剪定鋏が地面に突き刺さった。

 彼の言葉の端から、ひしひしと天来衆が嫌いなのを察知する。

「私は別に脅されてなんかいません」

「話は外で聞こう」

 まるで聞く気が無い。私を掴む手は強く、押しても引いても離れる気配がない。

 どうしよう。このままじゃ外に連れ出されちゃう。

 ずんずんと歩いていってしまうので、もう家の門がすぐ傍だ。大声を上げて誰かを呼ぼうと決心したその時、後ろから私達を呼び止める低い静かな声がした。

「その手を放してください。バリエ少佐」

 後ろを振り返ると、ロードリックが酷く冷たい表情をしてバリエ少佐と呼んだ彼に鋭い視線を向けていた。私に向けられたものではないのに、初めて見るその顔に数度体温が下がる。

 けれどもバリエ少佐はその凍るような視線に動揺せず、それどころか挑発的な笑みを浮かべた。

「その理由を、彼女の口から聞くまではお断りします。ムーアクラフト少佐」

 ロードリックは一瞬眉を顰め、怒気を逃がすかのように大きなため息を吐いた。

 もしかして私が攫われそうになったから怒っているのではないかと、そんな淡い期待を抱いてしまう。けれどそれを確かめる術はなく、単に不埒な真似に腹を立てたのかもしれなかった。

「彼女は、私の妻です」

 思いもしなかった理由なのか、バリエ少佐が訝し気な表情をする。そして確認の為に半信半疑で私へと質問した。

「本当か?」

「ええ、そうです。ご心配かけてすみません」

 そう言って頭を軽く下げると、漸く掴まれていた手が外される。この早合点の見知らぬ人から離れ、安心できるロードリックの元へと小走りで近寄った。

 ロードリックは傍に寄って来た私に怪我がないかさっと視線で確認し、少し赤みがある腕に気付いてそっと触れる。

「すみません、気付くのが遅れました」

「いいえ。……来てくださってありがとうございます」

 罪悪感に苛まされている顔をしたので、私は安心させる為にも笑顔でそう言った。実際ロードリックは随分早く来てくれたと思う。

 そんな私達のやり取りを見て、バリエ少佐が驚いた声を上げた。

「人間と夫婦に?……また、天来衆同士の偽装婚姻かと思っていましたよ」

「私にも感情がありますから」

「へえ、興味深いですね。何処で奥様と出会われたのか。排他主義者かと思っていましたが?」

 言われなくても分かる。この二人、仲が悪い。

 ロードリックは私を自分の背中に隠して、バリエ少佐の視線から逃れさせてくれる。

「我々がそうだとしたら、軍部に所属もしていませんよ、バリエ少佐。此処は私の私的空間です。今日は連絡の為に来ていただきましたが、もう用は済んだでしょう。お帰り下さい」

 暫く沈黙が落ちる。ロードリックの背中しか見えないが、多分睨み合っているのだろう。

 やがて諦めたのか、遠ざかっていく足音が聞こえる。謝罪の一つもない。余程天来衆が嫌いなのだろう。

 その足音がすっかり聞こえなくなったところで、ロードリックが振り返り庇っていた私に心配気な視線を向けた。

「巻き込んでしまいましたね。嫌われているのを承知で共に仕事をせざるを得ないのだから、面倒なものです」

「えと……彼は?」

「バリエ・マクシミリアン少佐です。同僚ですよ」

 そして先程の冷たい顔が嘘のように、優しい笑みを浮かべて私の手を取った。

「気を取り直して、私とお茶でもしませんか? それとも何か作業中でしたでしょうか?」

 そう言えばコリンに言われていた作業が途中である。ロードリックのお茶のお誘いに是非とものりたいが、コリンが気を利かせて任せてくれた仕事を放り投げるのも躊躇われる。

 どうしようと狼狽えていると、垣根の隙間からコリンが顔を覗かせた。一体何時からそこにいたのだろう。

「作業に構わずどうぞ。クラリス様がやるよりも、自分でやった方が十倍は早いですから」

 その捻くれた言い方にロードリックは少し笑い、「では」と私の手を引いて家の方へと歩き出す。私は心躍らせながら後に続いた。

 けれど去り際ふと見たコリンの顔が何故だかとても悲し気に見えて、暫く脳裏から離れなかった。


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