第4章 氷と凍

第9話 発散と解放

「はあ〜」

 腕を思いっきり天井に向かって身体を伸ばしながら大きな嘆息が班室に響いた。ゴキゴキとしとやかさもなく首を鳴らす如月きさらぎ弥生やよいはそのまま前のめりに机に突っ伏した。

「終わったのか?」

「終わるわけないでしょー。ったく、多すぎるよ」

 机の上に積み上げられた大量の書類をぽすぽすと拳で叩く。普段の冷静で冷徹で冷酷な弥生とはかけ離れた話し方。だが、これがコイツの素だ。弟であり、『元』家族であるオレと二人のときだけ、上司であり師匠であり班長である弥生は素=姉の顔を晒すのだ。

 そんな姉にため息まじりで返してやる。

「はたらけ」


 仁科や空染はアコニトムから犯行声明が届いたため警察学校へ警備および後進育成に行っている。奴らがそんな楽そうな、もとい、大きな件に派遣されているのに、オレはといえば換気の利かない班室で書類作成なんてやっている。大晦日のアコニトムから火が着いたのは、自由選択に関する議論だけではなかった。

 支影──源光大戦から世界的な社会の再生へと舵を切られた黎明期れいめいきにまるで今しかないと言わんばかりに支配の魔の手を伸ばし、当時残っていた日本軍との悶着の末に日本の裏側を、影を支えるに至った組織──その活性化に繋がった。

 支影の末端、下っ端たちが表立って犯罪行為に走り出したのだ。そのほとんどはオレたちLOSや警察によって鎮圧され、犯人たちは逮捕されたが、ソイツらはみな口を揃えて「アコニトムの連中にナメられるわけにはいかねえ!」と言っていた。バカバカしい。アコニトムは一切犯罪行為に及んでない。構成員も現時点で朽名絵花以外は不明だし、その上、アコニトムを名乗る奴らが支影の事件を正義のヒーロー気取りで解決したということもあった。支影とアコニトムとでは領分が違う。支影は文字通り影からひっそりと日本を支えていたからこそ消されずに犯罪行為を黙認されてきたというのに。いわば暗黙の司法取引状態だった。だがLOSのお上が重い腰を上げる時は近いかもしれない。

 長くなったが要するに、社会の裏側が活性化している。そんな状況なのだ、現在は。裏側などなくなってしまえばいいのに……。そんな影に潜んでいる人間たちが光の下で生きていける世の中にしたいものだ。

 そうなれば、そんなバカの起こした事件の書類を作らなくてもよくなるだろう。まったく、こんなことは所轄にでもやらせてほしい。

 再びぐいっと伸びをした弥生は書類をまとめてトントンと角を揃えた。

「やれやれ、こんなに時間がかかるとはね。どれだけ事件が多くなってるか思い知らされる」

「これだけ増えればそのうち支影自体を解体させるために動くことになるだろう。それに成功すれば裏の秩序の崩壊だ。支影が抑えている犯罪者予備軍が犯罪を起こして犯罪者になる。犯罪数は増加して、しかも規模も大きくなる。今の比じゃなくな。そうならない手立てが必要だ」

「そのとおりだけど、結局は上の判断だからね。私たちはそれに身を任せるだけさ」

 その言葉に反応するでもなく、作り終えた書類をまとめ弥生のデスクへと持っていく。それを手渡した瞬間だった。班室に出動指令のコールがされる。

「あーもう! デスクワーク終わった途端にこれだよ!」

「どうでもいいが、仁科たちの前でそれを言うなよ? 指揮に、いや、士気に関わる」

「わかってるよ! あかりだけしかいないからだっつーの! さ、行くよ!」

「了解」

 出動ざまに喰らわせようとしてきたデコピンを避けると弥生はムッとして睨んでから走り出した。まったく、弟でストレス発散をするな。オレは班長のうしろを追いかけた。




 ドゴオオオオッ! 現場の高級ホテルに到着した瞬間、響き渡る爆裂音。数十階建てのホテルの中層がまるで内側の空気が外へ解放されたかのように窓ガラスをぶち破っている。

「──凍れ」

 弥生の呟き、放たれる真青の光、飛び散るガラス片が凍りつく、三つが同時に起こる。起こした弥生本人の合図がなくともオレもやるべきことを遂行する。凍らされたガラス片は飛散が止まったわけではない。だが、凍りついたのなら、それは『氷』だ。オレは氷を操ることができる。欠片たちをひとかたまりにして地上へとゆっくり下ろして、再び上を向いた。

「あかり──」

「わかっている」

 響いたのは爆裂音だけではなかった。響いたもうひとつは重たい光の波動、それも莫大な量だ。通報の内容は支影を名乗る連中が客室用フロアを占拠したというものだった。また、下っ端によるものだと早とちりしたが、いや、まさか……。

「久遠永遠の光だ」

 姉は以前の百々香脱獄の際に直接その光に触れている。その弥生が言うのだから間違いない。だが、これまで密やかに潜んできた支影のトップが自らこんなにも堂々とその手を汚すだろうか?

 オレたちは創り出した氷の階段で宙を駆け、破られたガラス窓から一気に突入した。

「──!?」

 目の前には焦げ茶色のウェーブがかかった長髪を揺らす、この高級ホテルへパーティーに参加でもしにきたかのような派手な赤いドレス姿の女が立っていた。そして、その足元には赤い水溜まり、いや、血溜まりがこれまた派手に彩っていて、そのドレスの赤もまさか血で──と思わされるほど、赤く赤く染まっていた。

「遅かったね、如月弥生」

「久遠──お前、いったい何を」

 殺気のこもっていない敵の見えない光を感じて、弥生はそう問いを投げた。

「ハ! 何って見りゃわかるだろう? かわいい部下の後始末さ」

「おまえ、仲間を──」

「仲間? まさか──。あんたら表に秩序があるように裏にも秩序ってもんがある。規律がある。支影に入る条件はソレを守ると誓うこと、ソレだけだ。コイツらはソレを破った。アコニトムとかいうチンケな連中に煽られたからだなんだって知らないけど、破った。ルール破りは罰しなきゃ、秩序は維持できない。それは、そちらさんも同じだろう? 支影末端でこういうことが多発している責任を私も感じてるのさ。だから、今回派手におしおきしてやることで、そういうやつらがもう出ないように、変な気を起こさないようにしてやろうってことさ」

 つまり、今回の事件も支影下っ端によるもので、久遠はそれをちゅうしに来たと言いたいのだろう。信じるか? コイツを。そんなこと……いや、でも嘘を吐いているようには聞こえない。

「たとえ裏の秩序を守るためであっても、殺しの実行犯を見逃す訳にはいかない。今回は派手にやりすぎたな、久遠!」

「ここを派手に爆散させたのは私じゃない。コイツらが、まるで私が来るのを分かっていたかのように、来てやった途端に自爆したのさ。まるで私の解放で爆発させたかのように……。裏で誰かが手を引いているに違いないけど、それはコレから探ればいい。……長話しすぎちゃったね。アンタらの面子もあるだろうから、このまま何もせずじゃ済まないだろう? 一戦、始めようか」

 見えない透明な光を久遠が放つ。正確には、紫外。紫色の外側の、人間が視覚で認識することができない波長を持つその光。色と言っていいのかわからないその色が久遠の光色。見えないがその光圧は感じることができる。

「それじゃあ、デスクワークのストレスを発散させてもらおうかな!」

 オレはアイスブルーの、弥生が真青色の光をそれぞれ放つ。弥生の輝気は【凍結】、オレの輝気は【氷ソウ】、前者は物や光を『凍らせる』輝気で、後者は『氷を創造し操作する』輝気だ。そして、久遠の輝気は【解放】。『解き放つ』という意味のことがなんでもできる。九条の【再生】と同じ概念系。

「凍れッ!」

 弥生の速攻で部屋一面の血溜まりごと久遠の足を凍てつかせる。しかし、久遠に対して拘束力は皆無。解放によって即時抜けだされてしまう。

 ──貫け、

「【氷槍ひょうそう那由他なゆた】!」

 無数の細い氷の槍を秋の田んぼの稲穂のように地面から突き立てる。

 突き刺してくる氷槍のような物理攻撃からは『解放』という言葉の意味では受けきれまい。

 その予想とは逆に、久遠が輝気を発動する。何から解放したかと言えば、久遠自身は何からも解放されていない。彼女が解放したのは『氷という固体』という状態からの解放。オレの氷の槍は固体でなくなり、水にはならず、そのまま光へと還った。物理攻撃はそもそも九条の【再生】のように光に戻されて無意味ということか。技の発動を切られる前に物質を出しておけば良いと言われた百々香より厄介だな。

 氷と凍結の応酬。それをことごとく切り抜けられる。オレ自身の強さは自己評価で姉に匹敵していると考えている。そのオレと日本現最強の弥生との共闘をして尚、あしらわれている。

 まあ、こちらとて弥生が一切本気を出していないし、オレも姉のやる気のなさをカバーして久遠と対等に渡り合っているかのように見える程度しか力を出していない。いったい、本気でやったらどうなるだろうか。その結果がわかるのは今ではない。

 膠着から解放されたがるように久遠が言葉を発する。

「このまま戦い続けてもいいんだけど……そろそろお暇させてもらおうか」

「逃がすとでも? って言いたいところだけど、お前には手を出すなって上からの命もあるんでね。お前を捕まえてしまえば裏の秩序が本当に狂ってしまう。……仕方ない」

 なるほど。上層部からの命令ゆえの手抜きだったか。

「あらそう。それなら、お言葉に甘えて行かせてもらうわ。さようなら、如月弥生」

「今回の件で上も判断を変えるでしょう。次に会うときは──」

「楽しみにしておくわ。でも、そのときは、表と裏が入れ替わるかもしれない……。覚悟を持ってくることね」

「そんな心配はいらない。勝つのは私なのだから」

 弥生のその言葉をふっとひと笑いに付し、久遠はその場から消え去った。

 『次に合う時は』か──。皮肉なものだ。その時はオレも……。

 事件を警察に引き継いでオレたちの役目はそこで終わりとなった。はあ……また書類を作らなければならないことになるのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る